宝物庫の女王様

 古くから存在する国には、その繁栄を象徴する城がある。繁栄を象徴する城には、繁栄の証として宝物庫がある。
 金銀財宝、宝剣に高価な魔道具。聖剣に魔槍、呪いのランプに危険な呪本。子々孫々と残したい宝から、危険過ぎて外に出すことが出来ない危険物まで、数多くの財宝が眠る場所。
 魔道具と結界の効果で埃一つ立たない宝物の中に、大きな袋がある。謁見の間に広がる赤絨毯にも負けず劣らずの上質な赤い布袋。大きさは酒樽ほどもある。その巨大な袋は、自身の正体をひけらかす様に開いた袋の口から中身を零している。
 明かり一つ入らない宝物庫の中にあってなお輝く、金の硬貨。金銭の扱いを知る年齢であれば子供でさえ理解出来る、文句のなしの財宝の一種。金貨袋が宝物庫の中心に、無造作に置いてあった。酔いつぶれた酔客が零した酒の様に下品なほど金貨を床に散らばせた金貨袋は、所有者の訪れを待っていた。


「ここかぁ! ここが、俺様の宝物庫かぁ!」

 気品溢れる宝物庫の入り口が荒々しく蹴破られると、山賊かと見紛う男が中へ入っていく。
 手には青い宝石の嵌ったアミュレット。身に纏う衣服は布も縫製も一級品。頭には金と宝石で飾られた冠。それらが意味するものは即ち、この男が王族、いや、この国の王であるという事。
 しかし、男に王としての風格はない。事実、男は先代を非道な方法で退け、文字通り玉座を奪った。山賊と見紛うのも無理はない。男は王位の簒奪者だった。暴力を良しとし、暴力で欲しい物を奪ってきた男は、野心で煮えたぎる目と力の溢れる肉体を持ち、血の尊さよりも暴力の荒々しさを強く印象付ける人相をしていた。

 男がアミュレットを掲げると、宝物庫の魔道具が作動して内部を昼の様に照らす。

「くく、かっか、ははははははっははぁ! これが、この全部が全てが皆々皆が、俺様の物ってことかぁ! 最っ高だぜぇ、"王様"ってのはよぉ!」

 男が心からの喜悦に叫び声を上げた。

 それに呼応してか。赤い金貨袋から、カチャリと金貨が一枚、零れ落ちた。


 意外なことにか、あるいは他に優先すべき事があったからか。
 次に男が訪れたのは、それから一か月後の事だった。

「やれやれぇ、働いた働いたぁ!」

 男はやはり野心に煮えたぎる目、欲望を喰いつくす獣の笑みを浮かべていた。

「下らんことを言うやつはぜぇんぶ罪人罪人罪人! 財産は全部没収没収没収ぅうう! はっはぁ! 政治って簡単じゃねぇかぁ!」

 男にとって国の財産はすべて自分の物だ。よって、財産を隠し持つ貴族は全て"正当な理由"で投獄し、所有していた財産を全て没収した。国庫は潤い、その金を注ぎ込んで武力を整えた。自分に逆らうものをすべて排除するためだ。もうこの国で男に逆らう人間は、誰も居ない。
 男は、働いた。男が為した事を仕事と呼ぶのか暗愚の暴走と呼ぶかは後の歴史家が語る話だ。男にとってこの1か月は、間違いなく王としての仕事の日々だった。

 男は仕事にひと段落ついた所で、腰を据えて自分の財宝を愛でる事にした。かつて無造作に振りまいた欲望を、王位の交代と王の仕事のために堪えていた。もう、限界だったのだ。
 娼館に駆けこんだ若者が欲望耐え切れずに服を脱ぎ捨てるように、男は宝物庫の扉を蹴破って中へと駆けこんだ。

「さぁ! さぁ! さぁ!! 俺様の、俺様のぉ! 俺様の財宝ぉお! 待たせたなぁ!」

 男は贅沢の限りを尽くしてきた。それ故に人並み以上の審美眼を持っていた。聖剣、魔槍。曰く付きの呪物も含め、間違いなく超一級品の財宝が、市場の果物野菜の様に並んでいる。
 支配欲、独占欲、物欲。それらを満たしてもあまりある財宝の輝きを前に、男はひたすら嗤い声を上げ続けた。


 一通り財宝を見て回った男は、最後に赤い金貨袋の前にやってきた。
 これ見よがしに宝物庫の中央に置いてあった金貨袋。馬鹿でもわかる、典型的な財宝。聖剣や魔道具など見る物が見なければ価値が見いだせない財宝とは違う、見ればわかる財宝。
 男は財宝を見て回っていたが、その実、金貨袋の金貨の一枚一枚を数える妄想ばかり巡らせていた。途中からは財宝を見ていてもどこか上の空。思考は既に金貨で占められていた。

「随分と待たせたなぁ?」

 男は涎を垂らしそうな獣の笑みで金貨袋に近づく。薄着の娼婦に近づくような笑みを浮かべた男は、互いを焦らす様に敢えて遅々とした歩みで近づく。

 あと3歩。

 あと2歩。

 あと1歩。

「そうらぁ!」

 逃げる娘を捕らえるように。あるいは、財宝の海へ自ら溺れに行く様に。
 男は金貨袋へと跳び込んだ。


「あはぁ♪」


 夢か、幻か。
 極上の女の様に求めた金貨袋は、そのまま黄金色の女へと変わっていた。
 金貨袋と同じ質感の赤いケープを羽織り、やはり同色同質の絹ドレスを身に纏う女。黄金の様な高級娼婦、財宝に身を包んだ貴族の娘。それら極上の女たちを見て来た男は、その上が存在する事を今この時知った。
 本能が吠える。これは極上の財宝だ。この宝物庫の何よりも価値のある宝だ。誰にも渡さない。
 本能が涎を垂らす。これは極上の女だ。国中の女全ての美徳を集めてもなお叶わない女だ。誰にも渡さない。
 故に男は、シンプルに告げる。

「お前は、俺のものだぁ」

 豊満な胸の谷間から白手袋の手で金貨をつまみ上げた女は、ぺろりと唇を舐めて情欲を誘う笑みを浮かべる。

「私は、貴方のものですわぁ」

 二人の出会いは簡潔だった。その後の流れもまた同じ。
 男は女の腰を抱き寄せ、その頬を舐める。女は不快さの欠片も無く、甘えるように目を細める。
 男は女のドレスを手荒に剥ぎ取り、その豊満な胸をわしづかみにする。女は痛みを感じる様子もなく、せがむ様に吐息を漏らす。
 男は女の柔らかな尻を両手で揉みしだき、いきり立った股間を女にこすり付ける。女は恥じらいも無く、快楽に身をよじり喜悦の笑みを浮かべる。

 二人の相性は宝箱と鍵の如く、噛み合っていた。求めていた欲望も。

かちゃり、ちゃり。

 金貨が零れる音を聞きながら男は女を押し倒し、いきり立ったモノを女の中へ突き入れる。
 女は既に興奮していたのか。十分すぎるほどの潤うその場所は、容易く男を受け入れた。
 緩いわけではない。ひとたび飲み込めば、絡みつき逃さないように締め付ける。安い娼婦が払いの良い上客に抱き着き誘う様に、熱烈に男を奥へ奥へと誘う込む。
 男は誘われずとも蹂躙するとばかりに、強く突き入れ女の一番奥まで支配する。

かちゃり、ちゃり。

 女の全てを奪いつくさんと、男は乱暴に腰を動かす。
 男は娼婦に令嬢に町娘と、数多くを食い荒らしてきた。それゆえに女体を弄ぶ術を知り尽くしていた。嫌がる娘を暴力的な性欲で押し流し懇願させる。それもまた、男の悦びだった。
 女の中は、極上のさらに上だった。溢れ出る愛液は粘度が高く、煮えたぎる熱は男を喜ばせる。高級娼婦でさえ男に体がなじむまで時間が必要となるが、この女は数回、奥を突きこんだだけで男に馴染んだ。
 女の腰は細く柔らかで繊細な肌艶をしている。破滅的な欲望が沸き上がり、思わず握りつぶしたくなるほど芸術的だった。

かちゃり、ちゃり。

かちゃり、ちゃり。

 既に男は、何度女の中に欲望を解き放っただろうか。
 女の首筋に垂れる汗を舐めとれば女の吐息は甘く漏れていき、情欲を込めた抱擁と共に豊かな胸が押し付けられる。
 趣向を変えて四つん這いになった女を後ろから突きあげれば、奥を突かれるたびに女は体をくねらせて快楽の笑みを浮かべる。
 女の全身を味わおうと後ろからきつく抱き締めると、女の体の柔らかさを感じ、なお強く抱きしめる。女は抵抗する節も無く、くすぐったそうに微かばかり身をよじっただけ。あまつさえ、腰をにじり捻じりとくねらせて男を味わう余裕さえある。
 女を屈服させたいと支配欲が沸き上がり、男は牙を剥くように笑い女の中を蹂躙する。支配する。暴力的な快楽を精液と共に流し込む。

かちゃり、ちゃり。

かちゃり、ちゃり。

 女は喜び、喜悦の吐息をつき。
 髪から金貨は零れ落ち。胸から金貨が零れ落ち。
 精液を体に受けるたびに金貨が零れ落ちる。快楽の混ざった声が漏れると、金貨が零れ落ちる。金貨ごと胸をきつく揉むと、やはり金貨が零れ落ちる。甘えたがりの子供の様にあどけない顔を向けて女の唇を吸い、その柔らかな舌を甘く噛めば。やはり、金貨が零れ落ちる。
 目は口程に物を言う。真面目ぶった教育係が口にした言葉だ。男からすれば女の金貨を見て、ふとその事を思い出した。
 女の金貨は、女の快楽を雄弁に語る。女の悦びを雄弁に語る。戯れに金貨を噛む。純金だが、違和を感じる。呪物に似た、何かを感じる。
 唐突に男は気づいた。目の前の女は魔性の女だ。だがしかし、より正確に語るなら。

 この女は魔物だ。

 比喩でも皮肉でもなく。正しく、この女は魔物だ。財宝に化ける類の魔物なのだろう。
 しかし、それがどうしたというのだ。男は笑う。財宝を我がモノにしたい。女を我がモノにしたい。両方同時に我がモノに出来るならば。この女は最高の女に違いが無い。
 金銭欲。支配欲。独占欲。肉欲。性欲。所有欲。
 数多くの欲望は、この女一人いれば満たされる。

「お前は、俺の物だ」

 さすがに体力には限界がある。最後のひと撃ちを終えてから、男は再度宣言する。

「ええ。私は、貴方の物ですわ」

 女は体内の熱を逃がすように息をついて、笑った。


 男は、宝物庫に通うようになった。

 政治を含めた煩わしい雑事は可能な限り早く終わらせる癖がついた。自分で決める事が煩わしいため、政治に詳しい人間に一任させた。
 軍事を含めた煩わしい雑事もまた、同様だ。外交も何もかもを部下に任せた。掛かる費用は没収した財産を惜しみなくつぎ込んだ。
 しかし、男はまた、獣の感性で人間を覗き込んでいった。王であるからこそ宝物庫に通うことが出来る。故に反乱の芽は潰し、無能な大臣は切り捨てた。
 真っ当に職務を遂行する者のみを残していく。それこそが雑事を片付け、雑事を押し付ける適切な方法だと気付いた。
 投獄した者も全て集め、見た。その目を見た。その振る舞いを見た。その上で真っ当に職務を遂行する者だけを見抜き、職務に当たらせた。
 財源が尽きたなら、また無用な人間を探す。見る。獣の感性で、玉座への執念で。

 やがて男は暗愚の暴君から、餓狼の暴君と呼ばれるようになった。
 男は、何かに飢えていた。常に飢えながら、牙を剥いていた。だが、男の爪や牙は次第に研ぎ澄まされていった。
 男が排除した者は悪事や腐敗を良しとする貴族や将軍、大臣たちが増えていき。逆に有用だと感じたなら一度投獄した者も重要な役職に就けた。人々を驚愕させたのは、かつて玉座から追い落とした先王に外交の全てを任せた事だった。
 人々は男が何故飢えるのかは理解出来なかったが。男が作り上げるこれからの国に対し、一人、また一人と、期待する人間が増えて行った。


「これで暫くは、またここに籠れる」

「あら。それは嬉しいですわね」

 男が宝物庫に住み着く期間が、少しずつ増えてきた。不思議と女の唾液を味わえば、多少の空腹も渇きも満たされる。さすがに絶食は不可能なため、男が宝物庫に赴くときは多量の食料を持参する事が増えた。
 最近ではそれさえも面倒だとばかりに、宝物庫へ料理を運ばせる様になった。多くの者が男の奇行に疑問を抱いたが、宝物庫に関する話題を口にすると男は食い殺さんばかりに豹変するため、宝物庫に男が通う事に関しては陰口さえ噤む様になった。

「お前は、ここにずっと居たのか」

「ええ。先王は、奥様一筋だったのかしらね」

「子の俺が言うのもなんだが、愛妻家だったな」

 男は女から零れる金貨を二枚、手に取る。金貨同士をこすり合わせると、何とも言えぬ金属音が鳴る。

「理解していたのだろうな。人の親となるならば、宝物庫に近寄ってはならないと」

「貴方は人の親になるつもりは無いのかしら?」

「魔の親にならば、いずれなるだろうさ」

 男にとって女が魔物であろうが関係が無かった。女は男が求める物を全て備えていた。
 故に手放すという考えはなく。より効率的に玉座にしがみつく方法だけを考えてきた。

「この金貨は、便利ではある」

「ふふ、光栄ですわ」

 女に、そして女が零す金貨に慣れた男からすれば多少の欲望を焦がす、この金貨。
 男はこれを最大限に使うことにした。
 結果は呆れるほど見事に現れた。物欲、性欲、支配欲、権力欲。あらゆる欲望をこの金貨は引き出す。この金貨を文字通りの試金石とし、男は有用か害悪かを判別した。
 どのような欲望を持っているか。欲望を制御出来ているか。金貨の本質を知らぬものは、面白いほど容易く欲望を吐き出した。

 今や宝物庫には床を埋め尽くすほどの金貨に溢れていた。不思議とこの金貨の上は寝心地が良かった。触れれば確かに金属の硬貨なのだが、寝転べば柔らかく体を抱きとめる。

「当然でしょう。私は貴方の物。貴方が望むのであれば、金貨は従者の様に傅くでしょうね」

「お前が望めば、だろう」

「同じことですわ。私は、貴方の物なのだから」

 女を抱き寄せ、頬に口づけをする。女は擽ったそうに笑みを浮かべ、男にすり寄る。

「この国を魔に堕とす。金貨は幾らでもくれてやる」

 男が誰に語るでもなく虚空に告げる。

「さすがは王様。太っ腹ね♪」

 その声に応じる、別の声が響いた。

 ふわりと、小さな悪魔が降り立った。白い翼と髪の、小さな悪魔。

「返答はどうだ?」

「商談成立♪ さぁさぁみんな、この山ほどの。違った。海ほどの魔界金をかき集めるんだよ〜」

 白い小悪魔が手を鳴らすと、周囲の空間が歪み、光る魔法陣が生まれ、次々と小悪魔が姿を現した。

「うわー、たいりょーだー」

「すっごいおおいね」

「いっぱい、でたね♪」

「やん♪ あふれちゃう♪」

 小悪魔たちは思い思いに金貨を拾い、袋に、小箱に、大きな箱に、宝箱に、仕舞い込んでいく。

「あれをどう扱うつもりだ?」

「ふふ〜。この国を魔に堕とすなら、簡単な方法があるんですよぉ♪」

「方法はどうでもいい。堕とせるなら、堕とせ」

「はぁい♪ 毎度ありぃ〜♪」

 何十もの小悪魔たちが金貨を集めては消えていく。

「それでは、ごゆっくりぃ〜♪」

 最後に白い小悪魔が姿を消した。

「これでやっと、ここで暮らすことが出来る訳か」

「ふふ。ここまで大掛かりに、そして輝かしい行動に出たのは、貴方が初めてですわね」

 どこか過去を振り返るような女の言葉を聞き、男は女の唇を無理やり奪う。
 唐突な男の行動に女が目を開くも、女の口の中を男が蹂躙していき、女は喜悦に目を細める。

「お前は俺の物だ。過去、誰の物であったかはどうでもいい」

 まるで子供の様な妬心だ。男は自覚しているのだろう。女から目を反らしている。

 女は、母の様に、あるいは妻の様に。男の恥じらいも含め愛おしさを感じ、そっと寄り添う。

「ええ。私は、貴方の物ですわ」



 やがて、とある国が一つ、魔界へと堕ちた。
 その魔界はアークインプを中心としたインプの商団が拠点として腰を下ろしたが、魔界に落ちた原因は王族貴族たちにあったという。
 先王の王妃も含め、王族貴族の令嬢奥方が皆揃って、金貨を零す魔物へと変じたのだ。魔物と変じた令嬢たちが王城に詰める男たちを虜にし、彼女たちが零す金貨を求めて多くの魔物たちがやってきた。

 国の中枢が動きを止めた時点で国の行く先は決まっていた。坂を転げる貨幣の様に、ころりころりと魔界へと変貌していった。


 その最たる原因となった男は、その事を知らない。

 今もなお、男は女の体に溺れ、女の体を貪り。
 そして女と共に、数えきれない夜を過ごしていった。

「お前、小さくなることも出来たのか?」

「ふふ。私は、貴方の物と言ったでしょう。貴方が望むのなら、ほら。このちっちゃな体で、誘って見せましょう」

「全く。本当にお前は、手放せないな」

22/11/05 01:06 るーじ

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