カボチャの魔女

 古来より魔女とは森に住まう。
 薬草は森に生えているものが多く、また薬を調合する際の異臭は多くの人々にとって耐えられない。
 村人と適切な距離で付き合うためにも、魔女は森で住むことが合理的だ。

「それはそれとして。調合の匂いさえ問題が無ければ、森に住む必要もなし、と」

 それもまた合理的だ。だから私は、町に住んでいる。
 都会とは都心のことを意味する。都会から電車で30分も離れればただの町で、1時間離れれば田舎だ。
 コツコツと貯めた資金を使えば安いアパートの一室を借りる事も容易い。
 まぁさすがに安アパートは狭いので2LDKのアパートを借りることにした。


「おばさんおばさん。ニートのおばさん」
「酷い事を言う子供だな」

 食料品を購入しようと家を出たところで、子供に出くわした。確かお隣の岩下さんの子供だったか。今はまだ小学生だろうか。今日は平日のはずだが、どうして子供がこの時間にアパートに居るのだろう。

「学校をサボったのか」
「サボってない! 授業が午前中で終わりだったんだよ」
「そういう事もあるか」

 小さな村で育った私は学が無い。魔女に拾われて魔女を目指したので、幾らかの教養はある。しかし学歴はない。履歴書は私にとって非常に難解な契約書だ。

「ニートのおばさん。ヒマ? ヒマでしょ?」
「会社に勤めていないことをヒマと呼ぶなら、暇だ。今から買い物に行くところだ」
「そんなことより、なんかして遊ぼうぜ」
「今から買い物に行くところだ」
「ええー! そんなの後でいいだろ! ほら、遊ぼうぜ!」

 子供は自由だ。良くも悪くも。私の言葉を無視して手を掴むと、思ったより強い力で私の手を引き走り出した。
 抵抗するのも大人げない。私は、文字通り問答無用な子供の引っ張られるままに走り出した。


「疲れた。もう無理だ」
「ええー」

 子供は無限の体力がある。生物なのか、ゴーレムなのか。一度本腰を入れて研究しても良いのではないだろうか。

「まだ30分も経ってないぞ。体力ねぇなー」
「私は剣士でも体育教師でもない。体力は不要だ」
「つまんねー!」

 公園のベンチで休む私の前で、子供が地団太を踏む。他の子どもと遊べばいいだろう、と公園を見る。

「ふむ」

 公園には散歩をする老人、赤子や幼児を連れて雑談をする主婦たち。スーツ姿でタバコを吸っている男性もいる。
 だが遊び相手は居ないようだ。だから私を引きずり回したのか。実に迷惑専売この上ない話だ。

「ところで」
「なんだよ」
「やはり学校はサボったのだな」

 確信を口にすると、子供は黙り込んだ。

「サボったから遊び相手がいない。ならば遊び相手が学校から帰ってくるまで待てばよいのだ」
「ニートおばさんが偉そうなことを言うな!」
「酷い話だ」

 子供の暇つぶしで消耗した私の体力は、まだまだ戻りそうにない。買い物を明日に延期しようかと思うほどだ。あと30分は動きたくない。

「あ、そうだ! 遊ばないんなら、ジュースおごれ!」
「お前は暴君か」
「ほら、早く!」

 私の悪態も子供には通じず。手を引っ張られるままに立ち上がり、力が抜けそうな足を引きずるように歩く。
 自動販売機に硬貨を入れると、子供は飛び跳ねる。子供の手の位置では届かない高い位置の飲み物が欲しいようだった。
 ふと悪戯心が沸いた。邪魔をしてやろうかと。しかし、実行に移す前に、子供はジュースを購入し終わっていた。

「ぷはー!」

 たかが安い飲料水だけで、あれほど走り回っていた子供の動きを止める。ジュースとはある種の魔法薬かもしれない。私には刺激が強すぎて、炭酸飲料は向いていないが。試してみるか。

「貸してみろ」
「えー?」

 一口飲んでみる。やはり、口の中が痛い。これのどこが良いのだろうか。

「やはりわからんな」

 ジュースを子供に返す。ジュースを受け取った子供は、ジュースを見るだけで飲もうとしない。

「どうした? もうジュースは要らないのか?」
「べ、べつに! そうじゃねえよ!」
「そうか」

 私は早くベンチに座りたいので、子供を放置してベンチに戻った。
 後をついてきた子供が私の隣に座ったが、私が回復して帰宅する段になっても子供はジュースを飲もうとしなかった。


 チャイムが連打される。

「今日もか」

 ここ数日、子供が昼頃になると襲撃してくるようになった。
 何度も子供に絡まれれば、対処方法も確立してくる。問題は、どう対処しても私の体力が持たないという点だ。
 滑り台は私の体格に合わず、危うく途中で転落しそうになった。ブランコは地面に足が当たりつんのめって転がってしまった。ジャングルジムは手も足も頭もそこかしこにぶつけ痛い思いをした。実に痛かった。シーソーは、そうだな。私が重いので勝負にならなかった。
 だが私はデブではない。デブではないのだ。


「もういっちょー!」

 今はボールを蹴っている。子供が蹴ったボールを私が足で止め、私が蹴ったボールを子供が足で止める。それだけだ。何が楽しいのだろう。
 私がボールを蹴っても思った位置には飛ばない。子供が蹴ればある程度まっすぐ飛ぶが、たまに顔に飛んでくる、当たると実に痛い。子供は何故、平和な町の中で戦闘訓練をするのだろう。そして、どうして私を巻き込むのだろう。
 私は苦痛を楽しむ性癖は持たない。蹴ったボールがまっすぐ飛ばないのは諦めるが、飛んできたボールは手で受け止めることにした。手が痛くなるが、顔に当たるよりはましだ。

「おばさん、ほんっとに運動神経ないなぁ」
「人には向き不向きがある」
「言い訳するな―!」
「事実の説明は言い訳ではない」

 子供相手には子供の様な言い訳に聞こえるのだろうか。恐らくは今日も、体力が底をつくまで遊びに付き合わされるのだろう。
 困ったものだ。無論、一番の困りごとは、私が子供に振り回されるこの時間をさほど嫌っていないという点だ。実に不可解だ。帰宅した後に、少し研究してみるか。


 夕食を済ませベランダのプランターに水をやっていると、室内電話の着信音が鳴った。受話器を取る。

「何か用か?」
「最近どうしてる?」

 受話器からは声が聞こえず、私の左隣から声が聞こえた。

「エリザ。靴は脱いでいるだろうな?」
「大丈夫よ。日本の風習はマスターしてるわ」
「ならばせめて電話応対の意味を考えてくれ」

 異界からやって来たサキュバスは、同性の私さえ魅了する様に笑う。気を抜けば愛撫から始まり良い様に弄ばれるだろう。

「今日のお金を持って来たわ。ニートお・ば・さ・ん♪」
「いつも助かる」

 不本意な呼び方は気になったが、黙殺する。エリザには魔法薬を渡す代わりに金銭を受け取っている。お陰で、実に円滑に生活することが出来ている。暗示魔術の頻度は少ないに越したことが無い。

「それにしても。現地のダークメイジさんは、実に奥ゆかしいわね」
「ダークメイジか。ウィッチではないのだな」
「違うわね。幼女じゃないから」
「君たちが言うウィッチは、黒き集会、いやサバトの魔女の事だったな。であれば、確かに私とは本質的に異なるが」

 魔女であれば幼女だ。その理論は実に不可解だが、仕方の無い事だ。異界と繋がり異界の法則が適応された今、私が何を言おうがウィッチとはサバトの魔女を表すのだ。

「そのエッチな体で、あの男の子を誘惑しないの?」
「必要があればそうするが。今は必要ではない」
「ぶーぶー。つまんないー」

 エリザは不満を口にするが、私の反応が変わらないことを知ると胸の谷間からスマホを取り出す。

「もっとこー、ラブとロマンスはないのー?」
「ヤクとエッセンスなら今すぐ渡せるぞ」
「ぶー。ほんとにつまんないー」

 エリザはスマホを操作して床に魔法陣を広げると、魔法陣から湧き上がる光に飲まれるようにして消えていった。


「異界の夢魔も実に自由だな」

 あの奔放な自由さは嫌いではない。私は家庭菜園のカボチャを収穫すると、カボチャばさみを中心とした準備を開始する。

「私は運動は苦手だが。悪戯が苦手とは、言ってはいない」

 いつも私を振り回してくれる子供の驚き顔を想像し、少々はしたない笑みを浮かべた。


 聖人の夜。ケルト人たちが行っていた祭りで、冬の始まりに訪れる死者の霊のご機嫌取りに食物を提供する伝統行事だ。日本のお盆の様なものだ。カトリックの行事と組み合わさって今の形になったと言われている。
 よくある話だ。時代が流れれば形も変化する。魔女が町に住む様になったり。あるいは、魔女が幼女だけで構成されるようになったり。

「いやよく考えれば訳が分からないな。魔女が幼女だけとは、いったいどういう理屈なのだ」

 異界のバフォメットの影響である、異界の魔王の影響であると言った話は理解している。だが、なぜ幼女なのだろう。深く考えても答えは出ない。異界の法則は実に謎が多い。

 解ける見込みのない謎はこの際捨て置く。現在のハロウィンとは、カボチャ祭りであり、仮装パーティでもある。そして、特別な呪文が解禁される日でもある。
 だから私はその呪文を唱える準備を、あるいは唱えられる準備をしている。呪文の対策は必須だからな。
 浮き立つ心を自覚し、年甲斐もなくハロウィンを楽しみにしているのだと気付いた。

 存外、悪くない気分だった。


 ハロウィン当日。
 今日も、煩い位のチャイムが鳴り響いた。私は常に無く準備万端でドアを開ける。

「トリックオアトリート! お菓子をくれなきゃ悪戯するぞ、おばさん!」

 いつもの子供が、今日は吸血鬼の仮装をしていた。裏地が赤い黒マントの下は白いシャツ。どこをどうモチーフにしたのか、普段は手入れもしていない髪をオールバックに固めている。さて、その笑顔がいつまで続くか楽しみだ。

「お菓子が無ければ、どんな悪戯をするのかね」

 対する私は古式豊かな魔女姿。黒のドレスに黒のケープ。頭に黒い三角帽子。今日はカボチャ祭りでもあるため、加工したカボチャを尖った部分に突き刺して飾りとしている。いうなれば、ポニーテールを括る髪留めに似ているだろうか。
 子供の視線に合わせるように身を屈め、子供の反応を見る。
 子供は予想外の事に硬直しているが、その反応も含めて私の予想通りだ。目論見が叶い、内心で嗤い声を上げる。

「くく。冗談だ。ほれ、カボチャのクッキーだ。喉を詰まらせて吐き出すような間抜けは曝すなよ?」

 私はリボンで包装した小袋を少年に手渡す。中身はカボチャを象った、カボチャのクッキー。

「味は保証する。無農薬無添加、昨日採れたばかりのカボチャを使用した」

 未だに硬直している子供の鼻をつまむ。数秒すると子供が暴れ出す。

「何をするんだよ!」
「惚けているお前が悪い」

 主導権を握った暗い喜びを抱きつつ、少年に手を差し出す。

「今日は亡霊悪魔がうろつく怖い日だ。魔女が守って差し上げよう」

 子供は数度瞬きをした後、乱暴に私の手を取る。

「へん! 吸血鬼に任せろ! どんな化け物だってふっとばしてやるよ!」


 公園を歩くと、町内会の催しだろうか。お菓子を配る大人たちがいた。私たちが近付き、魔法の呪文を唱えるとお菓子をくれる。
 町全体がにぎわっているのだろう。アーケードを歩くと、仮装した大人たちがそこかしこに見えた。
 子供は相変わらず元気に走り回り、私は手を引かれるままに走る。今日ばかりは子供に置いて行かれぬよう、体力増強の魔法薬を飲んでいる。まだまだ走れるぞと笑ってやると、子供は喜色満面に笑う。

「昼間だというのに陽気だな、ドラキュラ伯爵」
「今のドラキュラは太陽も平気なんだよ!」
「それは実に興味深い話だ」

 聖人の夜は死者の夜。細かく考えれば昼のハロウィンは矛盾だらけだ。
 子供は昼の陽気が良く似合う。異界の理に則り爛れた夜を過ごすのも悪くないだろう。だが私は古式豊かな現地の魔女だ。性欲快楽に酔うサバトの魔女ではないのだ。気楽にやらせてもらうとしよう。

「そう言えば、おばさんの名前ってなんだ?」
「名を訪ねる時は、まずは名乗るものだ」
「あれ、言ってなかったっけ? 俺の名前は」

 とりあえず。
 魔女に真の名を告げるこの愚かな少年の未来は決まった。

 悪い魔女に騙される未来の少年を思い、私はまた、心の内で暗い笑みを浮かべたのだった。
 
 


「あら? あらら〜? これは、何時まで持つかな〜? 淫魔術放り込んだら今晩にでも〜、て、ちょ、まって! ごめん、ごめんって! だから呪い飛ばすのやめて〜〜〜〜〜!!」

22/11/01 00:08 るーじ

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