連載小説
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火鼠、虎を噛む
 ……ここ数日はティエンにとって、試練の日と言えた。
 タオフーの襲来、敗北からの三日と半日における虎穴の荒行。そしてそのまま戻り、家事をこなした後に火鼠との炎武を経て勝利を収めたのちの火遊び、その難行の果てに精も根も尽き果てたティエンは意識を手放すことと相成った。

 そんなティエンが目を覚ましたのは、仙石楼の一室であった。見慣れた天井から己の部屋だということがわかる。
 (……フオイン殿に迷惑をかけてしまったな……)
 恐らく、意識を失った自分をどんな形であれ運んでくれたのはフオインだろうとティエンは考える。周囲の空気が冷たく薄暗い様子から、夜明けの少し前といった刻限であることが伺えた。
 その時であった、ふと己の体が裸同然であると同時に、その割にはやけに熱いということに気が付く。そして、それは当然のことであった。起き上がろうとしたティエンの体に、むにゅりとした柔らかな感触が当たる。

 「! フ、フオイン殿……!」
 それは、己と同じく裸同然……否、素っ裸、産まれたままの姿で艶めかしくティエンに絡みつくフオインであった。寝床の中で抱き合うようにして……恐らくティエンを運んだ後、同じように寝床に潜り込み……寝ていたのである。もともと火鼠の魔物である影響か体温の高いフオインである、それが抱き着いていたとなれば熱く感じるのは当然であった。
 「……ぅぅ……ぁ あ、兄ちゃん!」
 もそりと、ティエンの動きを察して目を覚ましたのかフオインも目を覚ます。そしてそのまま腕を絡みつけるとティエンの口を奪う。

 暫し、舌を絡め唾液を飲ませ合う音が響く

 「っ……フオイン殿!」
 得意げな顔で、フオインは口を離す。こうした睦事に慣れていないティエンは、焦った様子で顔を離すもフオインはそんな様子も愛おしく感じるのかその小柄な体をティエンに預けるようにのしかかる。
 むにゅむにゅと柔く張りのある大餅が二つ、ティエンの上でもちもちと動く。柔らかなフオインの体の中で特に柔らかいそれは触れ合うだけで心地よく、そして己の中の獣欲を刺激するようであった。
 そんなティエンの気持ちを目ざとく察したか、フオインは身をよじり馬乗りになると妖しく微笑む。その表情は悪戯な少女のようで、淫らな娼婦のようでもあった。
 「へへ……朝から兄ちゃんは元気だな いいぜ……」
 そう言って、もぞもぞとティエンの一物を握り、数度扱くと己の蜜壺へと誘う。柔く熱く、もうすでに粘ついたそこはぴったりと閉じているにもかかわらず亀口が当たった瞬間、ねちょりと吸い付きその口を開ける。
 「あっ! ま、待ってください、朝からは流石に!」
 朝一番、敏感なところに感じる熱にティエンは腰を浮かせるも何とか制止するようにフオインは声を出すも、フオインはどこ吹く風、といった表情で腰を落とす。ちぷちぷと、滑った肉同士が擦れあう音が響く。
 「ああっ! 兄ちゃん! ティエン兄ちゃん!」
 朝から愛兄を飲み込み、歓喜に打ち震えるフオイン。そのまま強く抱きしめ、腰を振り始める。
 (嗚呼……こんな、こんな……)

 修行者として、快楽に呑まれてはいけない。そう思いつつも下半身から送り込まれる本能的な快感と、今まで溺れたことのない愛情をぶつけられる情交という麻薬を前にティエンの理性はあっさりと屈していく。

 結局、そのまま数度果てるまでティエンとフオインの朝の睦事は続いたのであった……









 ……しかして、ティエンのこのまま関係をもって良いのか、という懸念は当然の如く杞憂では終わらなかった。
 朝餉の時間。フオインとの朝一発目の情事の後、身を清めたティエンは胸騒ぎを抑え込むように朝の支度に打ち込んでいた。昨日の夕餉は作る事ができず、まともに家事もできていない。それはそうとしてあれ以来タオフーともまともに口をきいておらず、どうしているかもティエンはわからなかった。
 今できることといえば、せめて今まで通り……といっても一か月にも満たない生活の中で……朝餉を支度し、彼女たちを待つだけであった。フオインは朝の睦事の後、満足げに暫し甘えたのち、朝の空気を吸ってくるといって外出していた。ヘイランはまだ起きてこず、タオフーも同様である。一人で……足元で手伝う小さな粘性、ナオと共に……朝餉の支度に集中していると、不思議と心が落ち着くようであった。同時にこの僅かな間で起きた出来事を反省する機会にもなっていた。

 (タオフー殿、ヘイラン殿、フオイン殿……彼女たちの内二人と関係を持ってしまった……この私が未熟なばかりに……)

 よもや、当初仙石楼を訪ねた時はこのようなことになるとは露にも思わなかっただろう。だが、事実……ティエンは宿敵と呼べる三獣拳士の内が二体の妹と関係を持ってしまった。その事実だけでもティエンにとっては心を乱す出来事であったが、それと同時に未だ戻らず音沙汰もない宿敵たち……ライフー、バイヘイ、フオジン……それらの安否も気になり始めていた。
 あれだけの武人たちである、無事であると思い、また願う。しかしこうまで音沙汰がないとそれはそれで不安に駆られてしまうのであった。何より、ティエンにとっても気持ちが悪かった。どちらにせよ、戻れば雌雄を決す死闘となるだろう。だが、せめてその前に……結果としてそれが死闘の発端となるかもしれないが……妹に手を出してしまったことを謝罪したかったのである。
 特に、ライフーには謝罪とは別に伝えたかった。貴方の妹は素晴らしい武人であると……



 ティエンが朝餉の支度を終え、悶々と彼女たちを待つ。ほこほこと良い香りが立ち込める食堂に、なんとなしに重い空気が漂う。
 そんな折であった、朝餉をもらいに来たのか食堂に足音が響く。ティエンが顔を上げ、足音の主を見る。

 「……ティ、ティエン……」

 それはタオフーであった。美しい銀毛がちらと光を反射する。ばつの悪そうに、そしていつもの尊大さは鳴りを潜めるように、しおらしくティエンの前に立つ。何かを言いたげでもあったが、それはティエンも同じであった。しかし、互いに言葉が出ない。薄氷を踏むように、互いに探り合うような、そんな重い時間が過ぎる。
 最初に、口を開いたのはタオフーであった。

 「……ティエン、その……お前……フオインの奴と、何か……」

 予想だに、否……予想することをためらっていた言葉を問いかけられ、ティエンは固まる。いくら人の身に近いとはいえ、獣の血を引いている彼女たちである。フオインですら、匂いで何が起きていたかを悟った、なればタオフーもまた同様であることは自明の理であった。いくら身を清めようとも、ごまかせるようなものではないのだ。
 それに、タオフーの純潔を汚したうえ、日をまたぐこともなく次に……フオインに手を出したとなれば軽蔑されて然るべきである。
 タオフーの声音はどこか震えており、それは軽蔑というよりも驚愕とある種の恐れ、怒りにも似たものだったが、今のティエンにはそれを聞き分けるだけの余裕はなかった。

 「兄ちゃーん! 腹減ったー!」

 そこに、フオインが勢いよく……天真爛漫といった様子で駆けこんでくる。その時であった、タオフーが牙を剥いたのは。

 「! 貴様! ティエンに何をしたッ!」

 瞬間、風を感じる間もなく鋭い爪がフオインを襲う。しかし、その爪は宙を掠める。それよりも早く、フオインは後ろに下がりその爪を躱す。突然の強襲というべき一撃、ティエンすらそれを捉えることは難しい一撃をフオインは易々と躱したばかりか、タオフーに応酬するように言葉を発する。

 「なんだよ、先に兄ちゃんをヤったのはそっちだろ! ……へんっ そうかそうか、そうやって力づくでヤったんだろ お前らしい乱暴なやり方だな!」

 再び、ライフーの剛爪がフオイン目掛けて振るわれるも、それもまた躱されたばかりか反撃とばかりにフオインの拳がタオフーの脇腹にめり込む。
 その一撃に怯み、距離を取るタオフー。フオインも追撃はしなかったが、挑発するように言葉を叩きつける。

 「なんでティエン兄ちゃんがお前なんかと、そう思ったけど な〜んだ、無理やりだったんだな 俺、安心したよ……兄ちゃん、お前のこと好きなんだと思ってた」

 フオインの言葉、それはどこか勝ち誇ったようであり、そしてまたその言葉を受けタオフーは苦悶の表情を浮かべる。それは同時にティエンにとっても盲点と言える部分であった。タオフーは、あの虎穴の情事において無意識とはいえ好意を口にし、また行為でも示していた。だが、ティエンは思いだしてみてもタオフーに対し好意を伝えてはいなかった。もちろん、友人に接するような親愛の好意は伝えていたかもしれない。だが、男女の仲、とりわけそう言った行為に及んだ間柄としての好意は伝えていなかった。

 そして、その事実は思った以上に残酷にタオフーの心を抉っていた。

 「ッ……それは……それ、は……」

 足元が、崩れ落ちるかのような感覚。己が、通じ合ったと思っていた事柄が実は己の独りよがりだったのではないか、勝手にそう思っていただけではないか……そう突きつけられる感覚。だが、それはタオフーにとっても無理やり抑え込んでいた感情でもあった。フオインの言うように獣欲に任せてティエンを犯したのは他ならぬ己であり、そこにティエンの意思は介在しない、あるのはただ己の身勝手さだけである。

 「……お前と違って俺は兄ちゃんに好かれているし、俺も兄ちゃんが好きだ! 気持ちが通じ合ってるんだ! どうだ、悔しいか?」

 うろたえたタオフーに対し、得意げに追い打つフオイン。
 当然、冷静であればそんな下手な言葉でうろたえることなどあるはずがない。だが、タオフーの心は揺らぐ。ティエンの目が、タオフーを射抜く。
 「タオフー殿……」

 彼は何を想っているのだろう

 ティエンは、我のことを……どう……想って……

 それは、恐ろしい問いかけであった。問おうにも、できぬ問いかけ。いずれ雌雄を、生死を決する相手に対しここまで執着してしまうなど、それを自覚することは受け入れられなかった。だが、心は乱れ砕ける。
 ティエンの目が、タオフーを追う。



 あの目に、我はどう映っている?



 わかっているのだ、ただ体を重ねただけ、それで終わる関係もあるのだと。
 あの火鼠の可愛らしさを見よ、我の体の岩の如きを見よ、愛らしさもなければ柔さもない、恐るべき獣の体でしかない。我は捕食者、あやつは獲物、それでよい、よかった、それで……なぜこうも心が苦しいのだろうか

 相手にも情がない、それは本来安堵するべきこと
 そうだというのに、受け入れられぬことがなぜこんなにも痛みとなってしまうのか

 この体に変じ……体を重ねる前の己であれば、フオインの……フオジンの言葉など一蹴に伏し、ならばその人間諸共殺してくれると嘲笑ったであろう。
 だが、今はどうだろうか?

 それは、自覚してはならない



 タオフーは叫び、咆え、背を向ける。



 まさかの逃亡に、フオインは面食らう。しかし、そこに生来の悪戯好きが顔を出し、タオフーの後を追う。
 「! フオイン殿、いけません!」
今までさんざんバカにされてきたのだ、追い打ちできるならばしてしまおう。そんな考えであった。
 「待てよ! 俺から逃げれると〜 うっ!?」

 食堂から逃げるタオフーを、追おうと部屋を飛び出たフオインの喉にふわふわとした黒毛に覆われた指がめり込む。逃げようともがくフオインだったが、そのままグッと力が入れられるとだらりと全身の力を抜く。

 「! フオインッ!」

 ティエンが叫び、助けに入ろうとしたその時であった。フオインを黙らせた主が姿を現す。
 それは、ティエンにとってはよく知る人物であると同時に、今までこの場にいなかったもの……嫋やかに、妖しく微笑むレンシュンマオのヘイランであった。


22/07/09 08:21更新 / 御茶梟
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