連載小説
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剣の行く末

 目に沁みる朝焼けだった。
周囲の雲を紅く染めながら昇る太陽に照らされて、地も赤く染まっている。
 いや、地を染めているのは朝焼けだけではない。
夥しく積み重なる兵士の死体、死体、死体。
そこから流れ出る血が大地を染めている。
人間だけではない、馬の死体もある。
引いていた戦闘用の馬車からは火が上がり、パチパチという音と共に黒煙と異臭を立ち昇らせている。
開けた広大な平原に果てしなくその紅い光景は広がり、朝焼けがその紅を更なる紅で包み込んでいく。
「違う……こいつじゃない」
「捜せ!この辺りのはずだ!」
 殆ど動く物の無いその光景の中を数人の兵士が走る。
時折足を止めては倒れている兵士の顔を確認し、首を振る。
「隊長ー!お返事を!」
「隊長ー!」
 周囲に声を枯らして呼びかける。
と、そのうちの一人が全員に声を掛けた。
「おおい!こっち!こっちだ!」
「どうした!いたか!?」
「いや、違う、だがこれは……」
 兵士の一人が見つけたのは、一際巨大な馬車。
豪奢な装飾を見るだけでも他との違いが分かるその馬車は横倒しになり、ひしゃげた車輪を紅い陽光に晒している。
そして、その馬車に座って寄りかかっているのはこれもまた一際大柄な男。
鎧や兜を見るに明らかに一般の兵士とは違う。
「アレグスコ!?」
「敵将のか!?」
「間違いない……!た、隊長が、本当に一人で……!?」
「待て、本当に死んでいるのか?」
剣を構えて、数名の兵士が近寄る。
「うっ……」
一人が口元を抑える。
「どうだ?」
「死んでいる、間違いない」
 座り込んでいるように見えたその男は上半身だけだった。
地面に血の池を作りながら馬車に寄りかかったその上半身は苦悶の、というよりは驚愕の表情を浮かべている。
「と言う事は……隊長はいる!この周辺だ!」
「し、しかし、生きている者はどこにも……相打ちに……?」
「なってないよ」
 唐突に聞こえた足元からの声に全員が飛び上がり、声の方向に剣を向ける。
死体に混じって寝転んでいたその声の主はのっそりと上体を起こし、朝焼けに眩しそうに目を細めた。
若い、他の兵士達よりも一回りは若く見える。
血の赤で斑になっている豊かな金髪は元は美しい光沢を放つ質をしており、瞳の大きな顔立ちは女性的ですらある。
この真っ赤な情景に似つかわしくないほどに耽美な顔立ちをした少年だ。
「朝か」
「隊長!ご無事で!?」
「お怪我は!」
 剣を納めて駆け寄ろうとする兵士を手で制し、少年は立ち上がる。
ぽんぽんと軽装の鎧に付いた土を払い落とし、返り血で真っ赤に染まった顔をごしごし拭う。
「あー、よく寝た……」
「寝っ……」
 言葉に詰まる兵士達に構わず、長身の少年は傍に置いてあった大剣を軽々しく持ち上げて兵士に言う。
「で、出迎えに来てくれたからには何か食える物でも持ってきたんだろ?」
「え?い、いえ……」
「気が利かねえな」
 ぶつぶつ言いながら腰の革袋から携帯食のドライフルーツを取り出し、齧り始める。
「大体昼には帰るって伝えた、何をそう泡食って捜しに来てるんだ」
「いやまさか本当に単身で行くなんて……普通は冗談だと」
「俺は冗談なんか言わん」
 その顔立ちに似合わぬ粗暴な仕草でぺっ、と種を吐き出しながら少年が言う。
「戦後処理は任せたよ、また次の戦があるんだ」
「え!?」
 兵士達は顔を見合わせる。
「化け物だとか超人だとか、色々噂を聞いてたけどそいつは完全に見掛け倒しだった」
 既に興味を失くした物を見る目で、上半身だけになった敵の将をちらりと見やる。
「次はもっと強い奴と会えるといいな……」
少年は紅い光の中で、もう次の紅い光景に想いを馳せる。
トエント・オルエンド。
後に「暴風の騎士」の異名を取る少年。







 「ううむ」
 陽光に目を開く。
その陽光は真っ赤な朝焼けではなく、未だ昇り切らない青白い朝日。
漂ってくるのは血と煙の混じる異臭ではなく、冷たい朝の空気。
「ん……」
 宿の一室、ベッドの上で身を起こすと全身の節々からギシギシと軋む音が聞こえるようだ。
少しばかり解せば動きも滑らかになるが、寝起きだけはどうにもならない。
寝込みを襲われる事もざらだった昔であれば死活問題なところだが……。
ベッドを下り、軽い柔軟で血の巡りを戻した後、洗面所に向かう。
「……」
 よく磨かれた鏡にくっきりと自分の顔が映る。
真っ白な髪に、顔に深く刻まれた皺。
深く窪んだ眼窩に収まる目は灰色。
年を追おうとも、もう少し前はまだその目には光が……「血の気」のようなものが宿っていたはずだった。
だが、今鏡に映るその目はひどく落ち着いている。
達観、と言うべきか、諦観、と言うべきか。
いずれにせよ以前のようにただ見るだけで人を威圧していた頃の面影はない。
「ふ、」
 微かに自嘲するような笑みが口の端に浮かぶ。
蛇口を捻り、冷水を顔に浴びる。
最初に訪れた時はこの都市の下水回りに驚いた記憶がある。
これ程までに技術の進歩した設備など教団領のどれだけ栄えた都市でも見た事がなかった。
そう、教団領では。
顔を驚く程柔らかい肌触りのタオルで拭いながら窓際に歩み寄り、窓を解放する。
朝特有の冷えて澄んだ空気が部屋に流れ込む。
自分の借りた部屋は三階、背の高い建物が近くに無い為、ある程度街並みが見える。
まだ完全に夜の明けきらない仄暗い空の元、それでもこの老人よりも早起きな建物には明かりが灯り、煙突から煙が上り始めている。
恐らくはパン屋だろうか。
他にもぽつぽつと明かりの灯る街の上空を複数の黒い影が舞っている。
鳥にしては大きすぎるが、ドラゴンのように巨大でもない。
ハーピー達が朝一番の号外、もしくは籠に入れた牛乳瓶を家々に運んでいるのだ。
そう、ここは親魔物領の街。
四人の精霊使いに守護される大陸屈指の規模を誇る都市。
誰が呼んだか、精霊指定都市。







 トエント・オルエンドは一線を退いた後に教職に就いた。
限界を感じたからではなく、自らの技術を後世へと伝える為にだ。
あの狂ったような時代を生き抜いた自分の役割はこれに違いない、と、骨身を削った。
しかし、昔の熱と狂気が今となっては過去の物となったのと同じく、この教職への情熱も時代が奪った。
彼の役職は通常の教師ではなく、騎士の学校で戦いの教鞭を取る事。
優秀な兵士、もしくは勇者を生み出す事が彼の使命だった。
兵士や勇者は何と戦う為の存在か?
それは他国との争いもある、しかし本懐は魔物との戦いだった。
時代は変わった。
今、世界は親魔物派と教団の対立する混迷の時代へと突入している。
そして、トエントの居た国は親魔物派へと舵を切ったのである。
トエントは、時代の変化に対応できなかった。







 日が少しづつ登り始め、道にも商人たちの馬車が通り始める時刻。
トエントはそれらを横目に街道の隅を歩いている。
忙し気な街の人々とは対照的にゆっくりとした足取りで。
何も急ぐ事はない。
何も目的は無いのだから。
少しばかり息が上がっている自分を自覚し、苦笑が漏れる。
朝に行った素振りの疲労が抜けきっていない。
身体を保つ為、というよりは朝一番は一汗かかねば気が済まないよう自分の体は習慣づけられてしまっているのだ。
寝る前もそうだ、何もせずには寝付けない。
全盛の何十分の一であろうと鍛錬の真似事をせねば眠る事ができない。
この年になっても体に致命的なガタが来ていないのは、この習慣あってこそではあろうが……。
表の賑わいに背を向け、トエントは薄暗い路地に足を踏み入れる。
夜になると明かりが灯り、賑わいを見せる路地だがこの時間帯に開いている店は滅多に無い。
だが、例外もある。
いくつか角を曲がると、昼でも薄暗いその路地にぼんやりと明かりを灯す小さな店が見えて来る。
トエントはふらりとその店に入ると、グラスを磨いているマスターに黙って硬貨を一枚渡す。
マスターは黙って琥珀色の液体が揺れるグラスをカウンターに置く。
「おはよう」
グラスを持ち上げ、口を付けようとした所で奥のカウンターから声が掛かった。
表からは見えづらい位置で自分の同じようにグラスを持ち、カウンターに肘を付いている青年が愛想のいい笑顔を向けていた。
手入れの行き届いた長髪、スラリとした長身に高そうな衣服を着崩している。
「おはよう」
 そう答え、僅かにグラスを掲げる、青年も掲げる。
グラス半分程をあおると酒精が鼻を抜け、寝起きの胃袋と脳にアルコールが染み渡る。
街が一日を始めようとする爽やかな朝日の元、酒を食らう。
その背徳がより陶酔を深くするような気がする。
いいご身分だと思われるだろう。実際そうかもしれない。
教職を退いた際、トエントには十分な金が支払われた。
トエント自身は辞退しようとしたがそれでは他の教職員に示しが付かない、と学校から握らされた退職金。
細々と暮らしたなら老い先短い自分では使い切れない額が懐にある。
だから額に汗水垂らして日々働かなくとも、生きていける。
「いいご身分だ」
 今まさにそう考えていた言葉を言われ、顔を上げる。
ほんの舐める分だけを飲んだらしい青年が、カウンターに視線を落としている。
「ああ、いいご身分さ」
 それだけ答えた。
不思議な青年だった。
この男に出会ったのは初めてこの場所を見つけた時。
今と同じように奥のカウンターに座っていた。
以来、この店での顔馴染みだ。
というより、このような時間に居る客など、自分とその青年以外いなかった。
何をしているかは知らない。
だが、その手入れの行き届いた容姿、崩れていながらも気品を失わないその出で立ちから夜の商売に関係するものだとは予測が付いた。
少なくとも自分の人生に最も縁遠い人種である事は明白だ。
ところが、この青年にトエントは不思議な共感を抱いている。
常に薄い笑みを浮かべたその表情に、隠しきれない陰が付きまとっているように見えるのだ。
それは寂しさか、虚しさか、諦めか。
いずれにせよ、自分が胸に抱えている虚無に近いものを感じ取った。
直接当人に聞いた訳ではない、ただその姿から勝手に想像しているだけだ。
ぐい、ともう一口あおる。
染みる。
そう、虚無、虚無だ……。







 トエントが教職を辞めたのは国の方針が変わった事も一因ではある。
だが、本当の切っ掛けはその前に起こった出来事。
人生において初めての明確な敗北が原因だ。
トエントは「漆黒の勇者」と呼ばれる一人のサキュバスに完全なる敗北を喫した。
その正体は「ソラン・ストーサー」、トエントが手塩に掛けた生徒の一人だった。
自らの生徒の中から魔に堕ちた者が現れた。
そのけじめを付けるため彼女に挑み、そして敗れたのだ。
それは彼の生涯における一つの大きな転換となった。
初めての敗北、そして、魔物に対する認識に変革が起きた出来事だった。
もし、彼女に負ける前に国の方針が変わっていたなら、トエントは恐らく納得はしなかった。
教職を辞めた後親魔物領から抜け出し、教団領へと身分を移していただろう。
何故ならそれが彼の戦いだからだ。
一線を退いたとしても、後進の育成という方法で彼は魔物と戦い続けていた。
それが生き甲斐だった。
ところが、ソランに出会い、敗北し、魔物というものを知った。
知った事で、トエントにとって魔物は「倒すべき相手」では無くなってしまった。
時代が変わったのだ。
争いと裏切りの時代が終わり、共生の時代が始まろうとしている。
或いはトエントがもっと愚かであればその潮流に逆らおうともしただろう。
だが、トエントには時代が見えた。
見えてしまった。
世界は「戦い」を求めてはいない。
戦いにのみ生きて来た自分は、ただただ、過去の時代に取り残された遺物になろうとしている。







 タァン、と、晴天の空に地面を打つ音が響く。
「ま、まいりました!」
 続いて男の太い声が続く。
場所は城に程近い稽古場。
稽古場とは言っても市民にも開放されており、普段公園としても使われている。
その広場に円形に人が集まっている、服装を見るにどうやら皆訓練中の兵士達のようだ。
兵士達の円陣の中央に先程地面に叩きつけられ、尻もちをついている大柄な男、その傍に一人の女が立っている。
長い黒髪を後ろに纏めた練習用の軽装姿の女は一見すると人間と変わりない。
だが、その耳は普通の人間よりも鋭角に尖っている。
そこだけを見るとエルフのようにも見えるがそうではない。
彼女の種族の特徴を最も端的に表すのはその首元を繋げる黒いチョーカー。
「首無し騎士」デュラハンが彼女の種族だ。
とはいえ、そのチョーカーも一見するとファッションにしか見えないので、普通の人間に彼女の種族を言い当てるのは困難だろう。
「もう一度やりますか?」
「い、いや、もういい、十分だ」
 女が問うと、痛む尻をさすりながら大柄な男がすごすごと円陣に戻っていく。
「では、次に経験したい者はいますか?」
「……俺がやる!」
 円陣からまた一人の兵士が歩み出る。
「いいでしょう、遠慮はいりません」
 そう言うと女は半身になると両手を下ろし、脱力した構えを取る。
手には何も持っていない。
顔を赤くした若い兵士は練習用の木剣を持っている。
普通ならば丸腰の女に武器を持って打ちかかるなど抵抗があるだろう。
しかし、兵士達がそんなまともな感覚を保っていられたのは最初の数人だけだった。
体格差も装備の差もものともせず、バタバタと倒されていく腕自慢の同僚達を見て、自分たちの目にしている美しい女は正に魔物なのだと認識させられた。
「いぃやっ!」
 掛け声と共に兵士が打ちかかる。
決して素人の動きではない、訓練を受けた兵士の動き。
しかし結果は先程の大柄な兵士と一緒だった。
木剣は紙一重で当たらず、女が小さな動きで軽く足を払うと兵士は自分の木剣に振り回されるように転倒する。
「も、もう一度!」
「いいでしょう、何度でも」
 再び立ち上がり、挑みかかる兵士の身体がまた宙を舞う。
タァン、と、地面を打つ音がまた響く。
「やってられねぇ……」
 その光景を見ながら、円陣の中の兵士の一人があちこち痛む体をさすりながら呟く。
「魔物が人間より強いのは当たり前だってのに」
「お前、魔物だろうとあんな女に負けねぇっつってたじゃねえか」
「そ、そりゃあお前……見た目あんなだからあそこまで化け物だなんて思わねえよ」
「だから実践して見せてる訳だろ……あー、でももう十分分かったっての、人間じゃ魔物に勝てねえってのは一目瞭然……」
「そりゃあ違うな」
 二人のひそひそとした会話に、急に枯れた声が背後から割って入った。
その声に数人が振り向くと一人の老人が円陣の外に立っている。
幾分赤らんだその顔には深い皺が刻まれており、僅かに酒気を漂わせている。
「何だい……酔っぱらいのじいさんは危ないから離れてな」
「昼間っからいい身分なもんだ」
 追い払おうとする兵士に構わず、老人はおぼつかない足取りで兵士達に近付く。
「魔物だから勝てない、か、ふふ……壁にぶつかる度に言い訳が生えて来るのが目に見えとるわい」
「おいおい……絡むのも大概にしてくれ」
「離れてろって……」
 兵士が押しやろうと伸ばした手を老人がつい、と引っぱる。
身体が前のめりになるのと同時に軽く足を払うと、見事に兵士は地面に転がった。
「なっ、何をする!?」
「そら、酔っぱらいのじじいに転がされたぞ、どう言い訳する?「油断していた」か?」
「貴様……!」
「ご老人!」
 枠の外で起こった騒ぎに、女の声が飛んだ。
そのデュラハンが兵士を掻き分けて老人の前に立つ。
「幾分、酔いが回っていらっしゃるようだ、あちらで少し休まれてはいかがか」
 そう言って広場の隅にあるベンチを指差した。
厳しい表情をしている。
老人は赤らんだ顔でその顔を見つめる。
「ん……?貴方は……トエント侯?」
その見覚えのある顔にデュラハンが言うがトエントは何も答えず、デュラハンの顔から視線を外し、肩、胸、腰、膝、爪先にまで視線を下ろして行く。
「美しい」
「へ?」
 不意打ちのようにトエントの口から零れた言葉に、デュラハンは目を白黒させる。
「お前達!何故彼女に勝てないかわかるか?」
 よく通る声だった。
ただの老人の声では無かった。
何故か耳にするだけで身が引き締まるような、そんな迫力の籠った声だった。
兵士達は乱入してきたこの老人の酔っぱらい相手に何故か萎縮してしまう。
「そ、それは……ディム先生は魔物だから……」
「違う!そんな事は問題ではない!それ以前の問題だ!そこのお前!」
「は、はい!?」
「お前は相手と対峙している時、相手のどこを見る?」
「け、剣を……」
「お前は!」
「全体を……」
「お前は!?」
「目を……目を見る」
「それでは駄目だ!」
 ドスン!と地面を踏み鳴らす音が広場に響いた。
トエントの足元から立ち上る砂塵を見て、兵士達は今の音がトエントが足を踏み鳴らした音だとようやく気付く。
地面が揺れたかと思う踏み込みだった。
「見るべきはここ!「爪先」だ!」
 兵士達全員の視線がトエントの爪先に集まる。
「剣も、体も、視線も、嘘を付く!それを使って相手を惑わせる手段が幾らでもある!だが!爪先は違う!」
 トエントは今一度ドン!と地面を踏む。
兵士達の足元にまでその振動が響く。
「大きな動きの起こりは地を蹴る事から始まる!その時爪先は絶対に嘘を付かない!」
「し、しかし、足元ばかり見ている訳には……」
 思わず、という感じで兵士の一人が漏らす。
「視線で見るのではない、意識で見るのだ!相手が地面に立っている以上、足は必ず地面を踏んでいる!」
 コンコン、と自分の爪先を叩いて見せる。
「地に根付く足、足に根付く腰、腰に根付く胸、胸に根付く肩、肩に根付く首、そして頭!全て繋がっている!それを意識する!」
 自分の身体を足元から順番に指差しながら言う。
「それら全ての繋がりが動き出す起こりは?そう、爪先だ!そこのお前!」
「は、はい!」
「爪先がどのようになっている時が最も無防備か!?」
「……えっ……と……う、浮いている時?」
「浮いている時もそうだが、もっと顕著な時がある!それは如何なる武術であっても必ず避けられている!」
 すい、と手を腰付近で構え、腰を落とす。
堂に入った構えだ。
「これも」
 次に手を上げ、拳を頬に付けるように高く構える。
「これも」
 そうして手を下ろし、半身に構えて脱力する、先程のデュラハンと同じ構えだ。
「これも共通点がある!両足の爪先が同じ方向を向かない事だ!」
 ばんっ、と太ももを叩いて見せる。
「爪先が同じ方向を向いた時、人は一方向にしか踏ん張りが効かなくなる!バランスが最も崩れやすいという事だ!」
と、トエントは横で目を丸くして固まっていたデュラハンの肩を不意に手でぐい、と押した。
「わっ……」
 デュラハンは驚くが、体は揺らがない。
「見たか!?不意を打たれようとも彼女はバランスを崩さない!それはここだ!」
 唐突にトエントはデュラハンの足元に跪き、靴の爪先とふくらはぎをガシッと 掴んだ。
「ひゃわ」
 それでもバランスは崩さなかったが、デュラハンの口から珍妙な声が漏れる。
「無意識にあっても彼女の爪先は常に同じ方向を向かない!常に準備万端なのだ、だからこそ……!」
 トエントは立ち上がり、両手を広げてデュラハンから離れる。
「だからこそ、彼女の立ち姿はこれ程に美しいのだ……」
自然、兵士達の視線がデュラハンに注がれる。
デュラハンはコチコチに固まっている。
「……」
「……」
「……」
「……」
 ひゅう、と風が吹いた。
「あー、つまりなんだ……その……訓練の邪魔をして……申し訳なかった……」
 何やら酔いが醒めた様子のトエントは先程の威厳もどこへやら、ぼそぼそ言うと足早に立ち去ってしまった。
「……あの、ディム先生……」
「……はっ……!?……あー、その……今日の訓練は……ここまで、と言う事で……」
 耳まで真っ赤にしたデュラハン……ディム・ディンは呆気にとられる兵士達に何とかそれだけを言ったのだった。







 「うーん……」
 夜、とある酒場にディムはいた。
屋内では仕事を終えた街の人々で賑わっているが、ディムは月明かりの当たるテラス席に一人座っている。
カラカラとグラスの中の氷を転がしながら悩まし気な溜息をつき、月を見上げる
そのテラス席は盛り上がるよりも恋人と二人きりでムードのある席を設けたい時に利用されるので、ディムにはとんと縁がなかった。
しかし今のディムには周囲の恋人達の語らいも耳に入る様子もなく、ぼんやりとしている。
と、背後に気配を感じた。
こんな場所で一人飲みをしていればナンパの類も寄り付きそうなものだが、生憎とその気配は魔物娘のものだった。
「……っ」
 思わず、ディムは身を固くする。
熱さと冷たさ、矛盾した二つの感覚が同時に首筋を撫でた。
巨大な獣に首筋を舐められたような、赤々と燃える炎を近付けられたような。
こんな場にあって、そんな剣呑な気配を発する存在をディムは一人しか知らない。
「隣、いいかぃ……?」
 低めの声が背中に掛けられる。
「どうぞ」
 答えると、ディムの隣に赤いものが座った。
正確には赤一色ではなく、彼女の種族にしては珍しい雪のように白い肌の色もある。
だがその白さが彼女の髪、瞳、手を覆う鱗、そして背後に揺れる炎の深紅をより引き立てる。
サラマンダー。
リザードマンの亜種であるこの種族の特徴としては、実直で直情的な性格の者が多いという。
確かにディムがこれまで会った事のあるサラマンダー達は差異はあれどそういった気性の者が多かった。
だが、今彼女の隣に座るこのサラマンダーは彼女の知るどのタイプとも違った。
「いい夜だねえぇ……」
 奇妙に語尾の間延びした挨拶をしながら、そのサラマンダーは持ってきたグラスを傾け、真っ赤な液体をぐびりと流し込んでこちらを向いた。
笑顔。
彼女は大抵の場合常に笑顔だ。
だが、その笑顔は人に安心感を与えるものではない。
三日月のように口の端が吊り上がった口元は開くとギラギラと鋭い歯が覗く。
目元も口と同じように三日月型に歪み、爛々と輝く真っ赤な瞳が覗いている。
とても穏やかな月光を反射しているとは思えない輝きだ。
イオ・ヴォックス
この都市を守護する四人の精霊使いの一人、「灼熱のイオ」が彼女だ。
「黄昏れちゃってぇ……どうしたんだぃ……?」
「いえ……別に……」
「別にってこたぁないだろぅ……?」
 ディムは普通に受け答えしているが、このイオとこうしてまともに会話を交わす人物はディムを含めて数えるほどしかいない。
温厚な他三人と違い、重度の「戦闘狂」である彼女はそもそもまともに他人とコミュニケーションを取る事が珍しい。
ディムが彼女と知り合ったのは、この街で開催された剣術大会の決勝で当たった事が切っ掛けだ。
結果は、率直に言うとディムの惨敗だった。
そんなつもりは無かったが、少なからず自分の中に自惚れがあったとディムは認めなければならなかった。
世界一強い、などとは思いもしないが、それでも剣を持って一対一で向き合ったならば大抵の相手には引けを取らないと思っていた。
無論、その大会は純粋な剣の腕を競う場なので、精霊の力を介入させる事は禁止されている。
よってディムとイオは真っ当に剣の腕のみで対峙した。
ディムは知った。
魔物娘の中にあっても、本当の怪物というものが存在するのだと。
どれだけ修練を積んだとしても、勝てるビジョンが浮かばない相手が存在するのだと。
とは言えディムは過剰に強さを競う性格でもなかったので、気を引き締めるいい機会だと受け取った。
その試合以来何故だかイオに気に入られたらしく、ちょくちょく飲んだりしている。
「恋の悩みかぃ……?」
「えっ」
 そんなイオなので、彼女の口からそんな言葉が出たのがディムにとって非常に驚きだった。
「戦いの事しか頭にないのかと……!」
「うんん……めっちゃ失礼な事言うぅ……」
「す、すいません、でも、どうしてそう思ったんですか?」
「私もねぇ……こんなだけど魔物娘だからねぇ……」
ぐび、と紅い液体を喉に流すとイオはニィィ、と三日月の笑顔を浮かべて見せる。
 紅い液体で濡れた鋭い歯が覗く。
「誰が相手だぃ……?」
「えっ……と、あの、その……」
「無理には聞かないけどねぇ……?」
 ディムは手の中でグラスを弄びながら口ごもる。
イオはニヤニヤしながらそれを見守る。
「あ、あの……お相手は……秘密……と言う事で……そもそも本当に自分の気持ちがそういうものなのかどうか……」
「はぁいはい」
イオは頬杖を付いてまた口の端を吊り上げる。
「その、唐突な質問で申し訳ないんですけれど……」
「なぁに?」
「どうすればそのように色気を出す事が出来るのですか?」
「……はいぃ……?」
 イオは彼女にしては珍しく目を大きく見開き、きょとんとした表情になる。
縦に裂けた瞳孔も大きく開くと、別人のようにあどけない顔になる。
「いえ、その、イオさんに限らず、他の魔物娘の皆さんはこう……自然に醸し出される色香というか……そういうものがあるように思うのですが……」
 グラスを手で包みながらディムは俯く。
「私はいつまでも野暮ったいというかこう……垢抜けないというか……」
「きひ、こちらこそ色っぽいなんてぇ……言われたのは初めてだけどねぇ……」
 イオはそう言うが、足を組み替えてグラスを傾けるイオが男の視線を奪う場面は何度も見た事がある。
深紅の髪と鱗に瞳、それと対照的な肌の白さは背中を大きく露出した服装も相まって非常に映える。
とは言え、彼女の放つ剥き出しの刃物のような空気においそれと声を掛けられる者もいないのだが。
「だけどぉ……これは確定じゃないかねぇ……」
「何がですか?」
「今までアンタはさぁ……オトコが欲しい欲しいって嘆いてばっかだったけどぉ……」
 ぐむむ、とディムは反論しようとして口を噤む。
彼女相手に酔っ払って醜態晒した事が何度かある。
大抵記憶が飛んでしまうのだが、後に聞かされると大体そういう事を言っているらしい。
恥ずかしい。
「自分に魅力がないかもぉ、なんて悩むのは初めてじゃぁないぃ?」
「……」
言われてみれば今まで他のカップル達を見る度に羨ましい、とか、自分も、とかは考えたが。
具体的にこの人にどう見られるだろう、と自分の外見を気にした事は初めてかもしれない。

 「美しい……」

 ぼわ、と、耳にまで火が付いたように熱くなる。
唐突にトエント公に言われた言葉を思い出してしまったからだ。
そんなにストレートに言われたのは初めてだった。
いや、容姿についてではなく自分の姿勢について言われたのだとは分かっている。
だがそれが下手に見た目を褒められるよりも嬉しく感じた部分もある。
自分が最も磨きを掛けて来たもの、自負しているものを褒められると人は嬉しい。
「うぅん……アタシがどうこう言う必要もないと思うけどねぇ……?」
 くい、とグラスの残りを飲み干してテーブルに置く。
「ただ、アンタをその気にさせるオトコがどんな奴かは気になるねぇ……」
「ちょちょちょちょちょちょっかいを出す気ですか!?」
「取らない取らない、ひっひっひっ、焦りすぎじゃないかぃ?」
「だっ……!そっ……!」
「安心しなよぉ……横恋慕も趣味じゃないしぃ……ただ、そいつは強ぇのかなって思っただけさぁ……」
「つ、強いのは間違いないですが……なにぶんお歳を召してらっしゃるので……」
「あぁ、トエント侯かぃ」
「なん……!」
「わかるともぉ……アンタのお眼鏡に叶う実力でご老人と言や……あの人くらいなもんさぁ……」
「……っっ」
 色々と図星を突かれて何も言えなくなったディムを愉快そうに見ながらイオは席を立った。
「ただ、一筋縄でいかなそうだけどねぇ……あのご老人……ま、がんばってぇ……?」
 散々ディムをかき乱した末、イオは愉快そうに炎の尻尾を揺らしながら酒場を出て行った。
後に残されたのはただ悶々とグラスを弄ぶディムだけだった。

21/12/19 13:32更新 / 雑兵
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■作者メッセージ
精霊指定都市と銘打ちながらメインは精霊使いではないという

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