連載小説
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任命後の略奪
「…む。そこか」

ようやく見つけたときには目的の人物は二人で紅茶を嗜んでいた。その人物は男だし、以前見たところそんな優雅さを感じさせなかった振る舞いからおそらく相手の趣味だろう。
真っ白なテーブルクロスの上に乗せられたお菓子の数々。どれも細かなデザインと甘い香りを漂わせる高級感溢れる貴族御用達のもの。それだけではなく真っ白な陶器のカップは豪勢な装飾が施され一見しただけでもかなりの値がするものだと理解できる。さらには傍らに女中。紅茶の入ったポットを抱え物静かに二人を見つめ、時折目的の人物が善意で誘うように声をかけ、応えるように笑みを浮かべている。
何の変哲もない午後のお茶会。紅茶とともに雑談を楽しむありふれた日常の一時。だがそこにはこの国を担う勇者が一人混じっているのだから普通の人間からしてみれば話すことははばかられるだろう。
しかし勇者がいようが女中が佇んでいようが気が引けるわけじゃない。王族として生まれ育った私にはその程度何の障害にもならない。
私はつかつかと歩み寄ると一言声をかけた。

「おい」

それに対して三者三様の反応を示す。

「レジーナ、様…?」
「…え?何?姫様何用?」
「…ん?ん?どしたの?」

女中は驚き口を開け、勇者は露骨にいやな顔をし、目当ての男はぽかんと気の抜けた表情を浮かべた。
それくらいならいい。女中など話しかければ誰でもこのような反応だし、このナンパ者もいつもこうだ。
ただ一人、見慣れない反応を返したのはやはりというか目的の者。王女が声をかけたというのに一般人相手と大して変わらない表情に私は呆れてため息をついた。
まぁ、これくらい抜けてたほうがこちらも変に気を張らなくてすむのだが。

「おい、ユウタ。お前に話がある」
「ん?オレ?」

肩を掴んで立たせて私はユウタの手に一つの書簡を手渡した。彼は不思議そうな表情を浮かべながらも書類に目を向ける。
そして一言。

「…なんて書いてあるの?」
「…」

ああ、そうだった。こいつは異界の人間だったことをつい忘れていた。異界から来たのなら文化圏も違うのだから文字も違って当然だろう。
なら口で言ったほうが早い。元々書簡もただの形だけなのだから。
私はユウタの胸に指を突きつけて言った。



「お前これから私の護衛な」



いたって単純、いたって明快。バカでもわかるただの一言にユウタは遅れて反応する。首をかしげ、ぼそぼそと唇を動かし言葉を反芻でもしているのだろう。

「…え?」
「はぁっ!?」

反応したのはユウタだけではなかった。それどころかそいつは椅子を倒しながら立ち上がり、こちらへ詰め寄ってくる。

「ちょちょちょ!何言ってんだよ姫様!」
「聞こえなかったか?ユウタの持っているそれにも書いてあるだろう、アイル」

アイルはユウタの肩からのぞき込み書簡の内容を確認する。その最後にあるのは父上であるこのディユシエロ王国国王のサイン。正式な書簡であり、この国に存在する者誰もが逆らえないものであると証明するものだ。

「…いやいやいや、姫様に護衛なんて必要ないだろ!あんた一人で軍壊滅できるほど強いんだから今更護衛の一人二人つけたところで何もかわんねーだろ!!」

第一、とアイルは言葉を続けその細長い華奢な腕で守るかのようにユウタに巻き付かせた。

「ユウタ君は有望な勇者になる素質があるんだぜ?この国の希望がまた一つ増えるんなら国民もあんたら王族も万々歳じゃねーか!」
「だからその素質を私が確かめてやろうというんだ」
「いくら姫様とはいえ許せねーぜ!ユウタ君は俺様達が勇者にしてやるんだからよ!」
「ふふん」

ここまで食ってかかるとは珍しい。それだけこの男がアイルを惹きつけて離さないと言うことだろう。
何とも面倒くさい。だが、所詮勇者であると言うだけのアイルには私の決定をどうにかできるわけがない。

「たった一人の勇者の発言で私の決定が覆せると思うのか?」
「…いや、俺様だけじゃなくてあの女嫌いも同じ意見だろうぜ」
「だとしても、この私ディユシエロ王国王女、レジーナ・ヴィルジニテ・ディユシエロの発言がどれほどのものかわかっているのか?この国における戦争事は全部私に決定権がある。全軍の指揮権も、お前達勇者の決定権もな」

それとも、と私はアイルに体を寄せた。耳元に口を寄せ、側にいる二人に聞こえないように囁いた。

「お前の秘密をここでバラされたいか?」
「っ!」
「そこの女中はともかく、お前がやたらと執着してるユウタの方は…どうだろうな?」

面構えが平凡でよくわからないユウタのことだ、バラしたところで嫌うような反応をとるはずもないだろう。
だがこの秘密はアイルの存在を根本から覆す事実。国民に、騎士達に知られてはならない隠すべきこと。そしてアイル自身が誰にも知られたくないもの。
アイルは私の言葉を聞いて悔しそうに唇を噛んだ。

「…腹黒いぜ姫様」
「何を言うか。この程度で腹黒なら私の妹はどうなる?」
「…それもそうだけどよ」

渋々了承することになったアイルを突き飛ばし、私は改めてユウタに向き直った。

「ともかく、そういうことだ。わかったな?」
「…いや、全然わからないんだけど。ってか、なんでオレ?」
「本来ならば先日の私への行為は不敬罪にあたる。その首とんでもおかしくないことだったんだぞ?それを私の護衛という大役を任せることでチャラにしてやるというんだ、ありがたく思え」
「あのときのことはなかったことになったんじゃないの?」
「ああ、なかったことにしてやろう。だが私の前に立つどころか一撃入れるほどの実力を持っている人材を無視することは一国の王女としてできない。優れた人材を放っておくほど私は無能ではないからな」
「…本当は根に持ってない?」
「うるさい黙れ。男ならハイだけで答えていればいい」
「拒否権なしっ!?」
「私の命令に拒否できる者など妹か父上達だけだ。それに、一国の王女の言葉に逆らうのならそれこそ不敬罪で首を落とすことになるぞ?」
「逆らったら死ねとっ!?」
「だから男らしくハイと言っとけ。それ以外は認めないがな」
「選択肢ないじゃん…」

私はもう片方の手に持っていた布を押し付けた。上等な布でできた塊を受け取りユウタは首をかしげる。

「えっと、レジーナ?何これ?」
「私の護衛専用の制服だ。今着ている服でもいいがそれだと動きにくいだろう?」
「…まぁ、学生服姿で護衛っていうのも変か」

そう言ってユウタはまるで影を纏っているような黒い布地と金色のボタンでできた服を引っ張った。
見るからに高級そうな服。この世界では見られない布にこの男が前の世界でどんな生活を送っていたのかぐらいは伺える。
だが関係ない。今からこの男は私の部下であり、護衛となるのだから。

「それに着替えたらついてこい。何、護衛といってもそこまで気負う必要はない。書類整理も策謀も、これといった難しいことなど何もないのだからな」










「ふふんっ♪」

ユウタが服を着替え終えた後、私は彼を率いて王宮の廊下を足早に進んでいた。
気分がいい。調子がいい。足は軽いしステップの一つでも踏みたくなる。まるで欲しい玩具を手に入れた子供のようだ。

「この服、オレのサイズにピッタリなんだけど」
「ああ、ユウタのサイズに合わせて作ってあるからな」
「それってオーダーメイドってこと?」
「当然だ。私の護衛につく者にダルダルだったりぱっつんぱっつんな服を着させる訳にはいかないだろう?王女の護衛なんだ、身なりも礼儀も品格もそれなりではなければな」
「なーんか落ち着かないなぁ…」

私の後ろでユウタは服を引っ張ってそう言った。あんな高そうな服を着ておいてどの口が言っているんだと思う。
特に意味のない会話を続けているうちに私とユウタは目的の場所へとたどり着いた。
平らな土の地面に眩しい位の白い壁。人は誰もいない中庭と同程度の広さを有する空間は本来私以外の立ち入りを許可していない。以前護衛であったものですらここに訪れたものはいない。
ここは私個人の鍛練場。より正確に言うならば王族専用の鍛練場だ。

「…なにここ」
「鍛練場だ。それも私個人が使っているな」

父上も妹も共に戦闘が得意なわけではない。特に妹は私と違って政治事に優れているからか、代わりに争い事や戦略に疎い。剣など生まれてこのかた握ったこともないくらいで、か弱さで言えばそれこそありがちなお姫様だ。
それゆえここに訪れる者はいない。勇者さえ私の許可なくしてはここにこさせないようにしている。
誰も邪魔は入らない。
それなら心ゆくまで剣を振れよう。

「…なんで?」
「護衛がただ私の身を守るだけだと思うな。私がいついかなる時も万全な体調で望めるように肉体鍛錬の相手を命ずる」
「ちょ…そんなことまでしなきゃいけないの?」
「当然だ。ユウタは私の護衛である前に私の臣下でもあるんだからな」
「護衛がお姫様傷つけちゃ本末転倒じゃないの?」
「そんな言い訳をするのならあの時に殺気を込めた一撃でも見舞うべきだったな。それに、そこまで気が回せるなら私との稽古の相手をしても怪我することもないだろう、お互いにな」
「…うぁー」

空を仰ぎ見て脱力気味に唸るユウタに私はくすりと笑う。本来この国の者だったら泣いて喜ぶところをこんな反応で返されるのは腹立たしいが、どこか面白くもある。彼は王女として扱われるだけの人生の中には存在し得なかった特異点だった。

「ほら、受け取れ」

私は近場においてあった模擬剣をつかみ取ると一本をユウタに投げて渡す。ユウタはそれを掴み眺め、剣であることを確認するとあからさまに嫌そうな顔をした。

「…レジーナ、何これ?」
「見てわかれ。模擬剣だ」
「…何で?」
「向かい合う者二人でここは私の鍛錬場だ。そしてお互いの手に模擬剣が握られている。だとしたらする事など一つだろう?」

軽く振るった模擬剣の切っ先をユウタへと向けて私は一言。

「ふふんっ♪男らしくかかってこい、ユウタ!」

その時自分でもわかるほど楽しそうな表情を浮かべていた。















「…無理」

始めたころは頭の上に上っていた太陽も気づけば赤く染まり地平線に隠れようとしていたそんな時間。昼間と違い寒さを運ぶ風が身に染みる鍛錬場内で情けない言葉を吐いて情けなくユウタが地面に倒れ伏した。せっかく渡してやった模擬剣は一度も振るうことなく鍛練場の端っこに転がっている。

「この程度で音を上げるとは男らしくないな、ユウタ」
「男らしさ関係ないと思うんだけど…」

ゆっくりと気だるそうに体を起こすユウタ。その隣で模擬剣を突き立て柄に両手を乗せる私。先ほどまでほぼ一方的な激闘を演じていたから互いの肌には汗が滲み、地面に染みを作っていた。

「戦場では疲れたところで敵は待ってくれないぞ?」
「そんなのわかってるけど無理なもんは無理なんだよ」

だがそう言って体を起こしたユウタはまだまだ体力が有り余ってるように見える。今ここで場内を走り回って来いと言えば渋々ながらも走れるほどの余裕が見て取れる。先ほどはあからさまに荒い呼吸をしていたのだが今はけろりとしているし、体力が無尽蔵なのか、それとも体の使い方がわかっているのか、あるいはその両方なのか。とにかくこの男は並大抵の騎士とは実力が違う。
剣を握っている最中はど素人の動きだった。それどころか満足に打ち込むことさえできていなかった。子供に持たせて打ち込ませるのと大差ない、そんなチンケな剣撃だった。
それでも剣を捨てれば玄人の動きだった。紙一重で身を翻す足運び、最小の力で最大の一撃を打ち込める体捌き。それは一瞬の勝負というよりも長時間戦い続けるためのものだった。
一人で何人も相手するつもりで鍛え上げたのか。
一人で数日間戦い抜けるために鍛え抜いたのか。
理由はわからないが何かがあることは確かだろう。
それが何なのか興味はある。だがそれ以上に全力を見てみたいと思ってる。
その無尽蔵な体力は私のどこまで達してくれるのか。
その繊細な体の扱いはどこまで私に届いてみせるのか。
ユウタは全力で私に掛かってくるつもりはないだろうが、まぁ今はまだいい。一度に楽しむのはもったいない。こういうのは時間をかけてじっくりと楽しんだ方が面白いのだから。

「ユウタ。鍛錬はこれで終わりだ。私の部屋に行くぞ」
「…ん?何するの?」
「運動した後なんだ、汗を流すための湯浴みをする。それともなにか?ユウタは汗をかいたままの私の方がいいと言うのか?」
「別に言わないけど」
「…そんな男らしくない単調な返事はつまらん」
「どこに男らしさがあるのさ。そもそもシャワーならこの鍛錬場につけられてたりしないの?」
「私の鍛錬場といってもそこまで経費をさけん。結局のところこの建物も国民の税からでているんだ、極力無駄な贅沢は控えるべきだ」

そう言うとユウタは感心したようにへぇと小さく声を漏らした。

「結構しっかりしてるんだ」
「私を誰だと思っている?一国を担う王女だぞ。王族だからと言って贅の限りを尽くすようなことをすればたちまち国は疲弊する。人の上に立つものは国のあり方を考え、正しい道へと導かなければならない」
「かっこいいねぇ」
「当たり前のことだろう?」
「そっか。当たり前か。んじゃいってらっしゃい」
「………は?」

笑顔で見送ろうといているユウタに私は口をあんぐり開けてしまった。その表情は王女が浮かべていいものではなかっただろう。だがそうさせてしまうくらいにこの男の発言は抜けていた。

「…何?」
「ユウタ、お前は護衛だ。護衛はいついかなる時も私の身を案じ、私を庇い、私を敬わなければならない。私がシャワーを浴びているときに暗殺者でも現れたらどうする?」
「レジーナなら撃退できるでしょ」
「…」

この男は…本来ならばこの言動、不敬罪で首が飛んでいるところだというのにそれを分かっているのだろうか。
なんというか、忠誠心に欠けるというか、忠義がないというか、王族相手の扱いがそこらの一般人となんらかわらないのはおかしいだろう。一般常識や礼儀がないというわけではないのに…。

「そこは男らしく体を張って守るべきところだろう?たとえ私がユウタよりも強かったとしてもだ」
「オレより強いんじゃ意味ないでしょ」
「…何もわかってないな」

例えそうであっても守られたいと思うのが乙女心。そんなことをいえる歳ではないがそれでもようやく見つかった私に並べそうな存在なのだから私だって守られてみたいと思うことがある。それは絵本に出てくる騎士のように、なんて夢見がちな少女のようなことは流石に言わないが。

「―なら」

私はドレスの胸元を指でひっつかみ、見せつけるように引っ張った。元々肌の露出が多いドレスだが掴んだことでさらに露出が増える。
魅惑的で蠱惑的で、刺激的な姿。しかも私は国を代表する王女として妖艶で可憐で、他の追随を許さないほどの美貌だと自負している。それこそあんな淫らな魔物にすら負けんというほどのだ。そんな王女のセクシーな姿、男にとっては反応しないわけないだろう。
そして、一言。

「湯浴みをする私の隣で護衛を許可してもいいんだぞ?」
「パス」

だがこの返事はなんだというんだ。こいつ本当に男か。

「お前一国の王女の誘いを無碍にするというのか。もったいない奴め」
「一国の王女ならなおのこと。女性ならもっと恥じらいもったら?」
「…」
「…レジーナ?」
「あ、ああ、いや」

女性なら、か。
気づけば今まで戦場を走り国の軍務に忙殺されていた日々の中、そんなことを言ってくれる男性なんていなかった。女中からはもっとお淑やかにしろと口を酸っぱく言われることはあってもだ。
舞踏会や縁談では紳士的な男性はいたが皆が皆心の奥に野望や欲を隠した者ばかりだった。あるものは体を、あるものは私の地位を、狙い、求め、擦り寄ってくる。
それゆえこんな裏のない純粋な言葉が私の心に響いてきた。



―まるで一般人に対するようなものだが…女性扱いされることなど存外、悪いことじゃないな…。



「とにかくだ、ユウタ。お前は私の部屋で湯浴みする私の護衛を命ずる。わかったら男らしくハイと言え」
「…はい」
「男らしさが足らん。もう一度言え」
「はいっ!」
「ふふん、いい返事だ。これから私の命ずる言葉には内容がどうであれその返事を忘れるな」
「……え?」
「…」

ああもう、この男は…一筋縄でいかないのにどこか面白く、よくわからない男だ。











あのあと部屋にたどり着いた私はユウタを部屋の中に入れさせ湯浴みをしていた。
やはりというか自分で言ったことは曲げない主義なのかどれほど誘惑してやっても反応しないユウタは脱衣所の前のドアに立っている。まったく、もったいないやつだ。
熱い湯が体を叩き肌を湿らせる。滴となって流れては風呂場の床に滴って排水溝へと流れていった。

「…んっ」

小さく吐息を吐き出しながら髪の毛についた土埃を洗い流す。火照った体に熱い湯の感触がなんとも心地よい。いつもなら大きな浴槽に薔薇でも浮かべた湯に体を浸すのだが今は簡単なもので十分だろう。この後食事をするだけであり、来客なんていないのだから最低限身なりを整えておけばいい。こんなこと言えば妹や女中にどやされてしまうだろうが。
そんなことを考えながら足を洗うようにさすっていると指先についた湯とは違う感触に動きが止まった。

「…」

わずかな粘りけのあるそれは太股に伝って床へ湯とともに流されていく。指でぬぐい取ったそれは部屋の明かりで艶めかしく映しだされていた。

「…ふふんっ♪」

ほぼ私が一方的に打ち込むものだったがあれだけ興奮した戦いはそうそうない。よけられながらの反撃は鋭く、それでも傷つけまいと気心を加えたものばかり。実戦には遠く及ばないが白熱したことに間違いない。
そして、感情が高ぶれば女としても感情が揺れ動く。その証拠は如実に体に現れていたらしい。



―だからこそ、惜しい。



どうしてあのような逸材が今更になって出てくるのか、こんな時に限って私を高ぶらせてくれる相手が見つかってしまうのか。
男らしいとは言い切れないが常識はずれの存在は押さえきれない高揚と止められない興奮を沸かせてくれる。まるで闇のように底の見えない性格は中に何が入っているのかどきどきさせ、歳甲斐性もなく胸を高鳴らせてくれる。
そんな相手がどうして、今更…。

「…今更、か」

呻くような、嘆くような呟きは床を叩く水音にかき消されていった。










シャワーを浴び終えた私は柔らかなバスローブに身を包んで鏡の前に立っていた。全体が映し出される鏡を前に髪や体に変なところがないかを見ておく。本来ならここは女中の役目なのだが部屋に男性を引き入れたとあってはいい顔をされるわけもない。それ故私は仕方なく一人で身だしなみを整える。

「さて、このままの姿で出て行ってるか」

私が胸元をはだけたとき、興味なさげに装っておきながらもしっかりと視線をよこしたということはなんだかんだでユウタも男だという証拠。それならばこんなはしたない格好でも此度の報酬程度にはなるだろう。
私はこれでも臣下想いな王女なんだ。僅かな功績でさえ報酬は出さねばならん。

「ふふん♪」

さて、これでユウタはいったいどんな反応を示してくれるだろうか。先ほど同様に素っ気ない態度をとるか、それとも穴があくほど私を見つめるのか、初心に顔を真っ赤に染めたりしたら面白い。
しっとり湿った髪を簡素なリボンで結ってから私は意気揚々とドアを開けた。

「おいユウタ―」

そう言った私の視線の先にいたのはテーブルの側の椅子に座るユウタの姿。手元にはいつの間に用意したのかティーカップが置かれ暖かそうに湯気が漂っているのが見えた。
人の部屋で何を勝手にくつろいでいるんだ。見たところ私への応対はどうであれこういう場所なら萎縮するタイプだと考えたのだが違っていただろうか。
そう思ったがその考えすら当てはまらない状況だったことに私は気づいてしまう。

「でね、レジーナったら私の話も聞かないでいきなり切りかかってくるのよ?ひどいと思わない?」
「あー…そりゃ大変だ」
「この前なんて私の自慢の髪の毛を切ってくれちゃうし」
「そりゃひどい。フィオナの髪の毛こんなに綺麗なのに」
「え…?」
「こんなに綺麗な髪の毛そうそう見ないんだよ。オレのいたところじゃほとんど黒髪ばっかだから珍しいっていうのもあるけど、それでもこんな透き通った白髪は初めて見る」
「あ、ありがと…っ♪男の人にそんな風に言われるの、お父様以外だと初めてなの…♪」

紅茶を片手に楽しそうに談笑する姿。彼の目の前にいたのはやや高めの声で嬉しそうに笑う女だった。
ただ、普通の女ではない。
その姿は何度も見てきたものであり、見るたび剣を交えてきた相手であり、私が憎むべき、浄化すべき存在だった。

リリムのフィオナ

そいつは褒められたことがよほど嬉しかったのか照れたように頬を朱に染めた。おそらくただあれだけでも普通の人間ならば虜にされていたかもしれない。女である私からしてもその表情は美しいと感じてしまった。
だがそれを自覚する前に私は飛びかかっていた。

「ふんっ!!」
「きゃっ!?」
「おわっ!?」

手近なところに飾ってあった剣を握り締め両断するつもりで一振り。この程度では斬れるはずもなく案の定二人に挟まれていたテーブルが真っ二つに切り裂かれた。遅れて紅茶の入ったティーカップが砕け散る。

「ちょ!ちょっと!何するのよ!!」

いきなりの強襲にリリムとはいえ冷や汗を浮かべながら真っ赤な瞳で睨みつけてくる。だが、そんなことをされたぐらいで物怖じはしないし、当然振るった刃を止めることもしない。
今度は横凪に剣を閃かせた。それでも後ろへと飛び去り躱される。

「やっ!あ、危ないでしょ!!ユウタが怪我しちゃうじゃないの!」
「何親しげに名を呼んでいるんだっ!」

次いで一突き。容赦ない殺意を込めた一撃はこれまた身を翻すだけで避けられた。
この程度ユウタが当たるとは思えない。模擬剣から真剣に持ち替えたとは言え私の攻撃をあれだけ避けた男が今更無様にくらうはずもないだろう。
だがどこにいる?リリムと向かい合うように座っていたのなら反対側に避けているはずだ。

「―…」

ふと僅かにリリムから視線を下げるとそこには大切そうに両手で抱きしめられる黒い塊。着ている服の色が同じ色だったからか一瞬わからなかったが、癖のある黒髪を生やしたそれは紛れもない先ほどまでリリム相手に会話していた者。

「―っ!!」

傍から見ればなんとも間抜けな姿だ。女に守られるように抱きしめられているのだから。
だが、それは。
男がリリムと接触するということは。
かつて私の護衛についていた騎士達がただたっているだけで無力化された『魅了』を肌で直接感じてしまうということ。
見るだけでも『魅了』し、心を捕え虜にする魔性の存在。そんなものが触れてしまえばどうなるのかわからないわけがない。
それは、以前見せつけられた騎士達と同じことになってしまうということ。
皆心を囚われ何もできず、私の前から魔物たちに連れ去られていく光景と重なるということ。
また。
また、同じことに…。

「フィオナぁあああっ!!」

刹那、鋭い刃が数回閃く。肩を、腕を、首を、頭を、切り裂かんと明確な殺意を携えて。

「きゃっ!?」

この攻撃にはさすがのリリムも避けきることは叶わなかったのだろう、ユウタを斬撃の当たらない場所へと突き飛ばすと寸前で両手をこちらへ向けてきた。
次の瞬間どす黒い紫色の壁がリリムの代わりに斬撃をくらう。一度、二度、直撃するたびにヒビが走り最後の一撃で粉々に砕け散る。
その一瞬の間に私は突き飛ばされたユウタの首を掴み、自分の方へ守るように抱き寄せた。

「な、なによ!そんな意地にならなくてもいいじゃないの!」
「黙れ!お前は…お前はっ!」

捕まえたユウタの体を強く強く抱きしめる。
もしも魅了されてしまえばそれこそ以前の騎士たちや護衛達と同じことになる。正気に戻ることはできるだろうが、それでもしばらくはこの魔性の存在に心染められたままだ。
ようやく見つけた私に並べそうな存在でも、やっと探し出した私を喜ばせる逸材でも容易く奪われ蹂躙される。
それがどれほど悔しいことか。
それがどれほど苦しいことか。

「私の前から消え失せろっ!」

今練り上げられる魔力を全て剣先へと集中させる。ただ装飾のために作られた剣では切れ味があっても頑丈さに欠けるためか大きなヒビが刀身に入った。
だが、構わない。たったの一撃でも放てればそれだけでいいのだから。

「ちょ、とっ!?」

この一撃にはリリムも顔を真っ青にしてすぐさま転移魔法を展開させる。どうやら前回のとは違う一瞬で発動できるタイプらしい。
だが、発動まで待つつもりはない!
刹那の一撃。殺意の剣擊。風より早く、音より早く、私はリリムの心臓めがけて鋒を一直線に突き出した。

「ああもうっ!!」

間一髪、リリムは転移魔法を発動させその場から姿を消した。そのせいで標的を失った一撃は後方にあった窓ガラスを周囲の壁ごと跡形もなく消し飛ばす。結界を貼り直していなければ王宮の一部も消えていただろう強力な一撃だった。

「…くそっ!!」

砕け散った剣を投げ捨て悪態をつく。剣は既に限界を超えてしまったのか粉々になって消えた。それだけでは飽き足らず床を踏み鳴らして舌打ちをする。
くそ…くそっ!
どうしていつも一方的に奪われるだけなんだ…!!
互角に戦えようとも実力が拮抗していようともいつも向こうが一枚上を行ってしまう。
私はただ奪われるだけで、リリムは容易く盗んでいく。
止める手立てはなにもない。奪い返す術は一つもない。

「くそ……っ!」

呻くように呟いてそのまま力なく床に座り込むとぺしぺしと肩を叩かれていることに気づいた。

「…?」
「んー!んー!んんんん!!」

苦しそうに唸るそれは先ほどリリムから奪い返したユウタの声。見れば私が強く抱きしめているせいで胸に顔を埋めてしまい呼吸ができないらしい。
腕の力を抜いてやるとユウタはまるで抱きかかえた猫が逃げ出すように俊敏な動きで転がり床に倒れふした。

「…ユウタ?」

あまりにも突然の行動に心配して声をかけると耳まで真っ赤にしたユウタはその姿勢のままこちらへ手のひらを向けてきた。

「ちょっと待って………今は顔合わせられない……」
「何を言って…」

そこまで言って気づく。私がしていた先ほどのことに。
強く強く、守るように抱きしめたユウタの体。
王族として引けをとらない大きさと女らしい妖艶さをもつ私の胸。

「はっは〜?まさかお前、私の胸に顔を埋めて照れているのか?」
「…」

無言の返答。両手で顔を覆ってうずくまるだけだったが言葉にせずとも内容はしかりと伝わってきた。



「ふふん♪お前も男だということだな♪あんなそっけない返事をしていても初というか子供というか♪」
「…うるさい」
「どうだ?一国の王女の胸の感触は?そこらの人間が一生の運を使い果たしてもこんな機会に恵まることなどないぞ?」
「…じゃ、返す」
「どう返すつもりだ」
「…」

普段とはまた違う、余裕が欠片もない脱力した姿。耳まで真っ赤に染まった顔を庇うように両手で隠してぶつぶつと何かを呪詛のようにつぶやいている。
ふふん♪腹立たしいところばかり多かったが、こうしてみると中々可愛げのあるやつじゃないか♪

「…あれ?」

いや、そうじゃない。そんなことを喜んでいる場合じゃない。
何かが違っているんだ。リリムを前にした者としては何かがおかしい。
見ただけで相手の心を虜にする魔性の美貌。呼びかけるだけで心を染める堕落の声。触れようものなら快楽の底へと突き落とす肌触りに見つめただけで捕らわれてしまう熱い視線。
リリムを前にした男性など無事で済むはずがない。例外があったとしてもそれは情欲に負けない教皇や嫌悪感を抱いた女嫌いの勇者ぐらいだろう。
未だきょとんと私を見続けるユウタを見てようやく違和感の正体に気づいた。



―なんでこの男はリリムに触れられながらも平然としていられるのだろうか。



魅惑の声を、蠱惑の視線を、束縛の吐息を、魔性の肌を身に感じながらも普段通りにしている。互いに向かい合い、友人を相手にするような気軽さで会話をしていたどころか抱きしめられていたというのにだ。
ユウタが魔法を使った痕跡はない。
リリムが自分の力を抑えるわけがない。
私が魅了を解く術を持ってはいない。
なら導き出される答えは一つ。

「…はは…」
「レジーナっ!?」

思わず乾いた笑い声が漏れ、体から力が抜けて後ろへ倒れかけた。寸前のところで起き上がったユウタに手を引かれ抱きとめられる。
あまりのおかしさに気の抜けた笑いが止まらない。こんなこと、喜べばいいのか嘆けばいいのかわからない。



―この男、既に勇者として十分な素質を備えているじゃないか。



国を傾けるほどの戦力より、国の光となる希望より、何よりも重要なものを持っているじゃないか。
魔物の、それもリリムの魅了に耐えうる素質。ただそれがあるだけでもこの国にとって大きな戦力となる。備わっているだけで勇者になれると言っても過言じゃないほどに。
だからこそ、脱力してしまう。
ここまで優れた人材だともう少し早くわかっていれば。
これほど秀でた人間だと最初からわかっていれば。
わかって、いれば…私は…きっと…………。
きっと……っ。

「…レジーナ?」
「ああ、何でもない。何でも、ない…」

結局そのまま私はユウタに抱かれたままでただ虚しく笑うことしかできなかった。
13/09/08 20:17更新 / ノワール・B・シュヴァルツ
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■作者メッセージ
ということで二話目でした
護衛につきながらリリムのフィオナ相手に親しげに会話をするあたり失格なところは前回と同じですね
ただし、誘惑には滅法強いくせにラッキースケベには極端に弱いところがあったりします
そこは年相応の健全な男子高校生ですw
そして問題を抱え、彼の本質に悔やみまくりなお姫様
それが一体なんなのかは話の後半で明らかになります
次回は黒崎ゆうたの護衛仕事の休日!お姫様とのデートとなります!

ここまで読んでくださってありがとうございます!!
それでは次回もよろしくお願いします!!

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まろやか投稿小説ぐれーと Ver2.33