連載小説
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前編
 人にはみんな、ヒミツがあるらしい。
 だから、ボクにもヒミツがある。友達にも、父さんにも母さんにも教えてあげない、ボクだけのヒミツが。

「……バレたら、すっごく叱られそうだしなぁ」

 なので、できるだけ大人に見つからないように走る。
 目指すのは、街外れのヒミツの場所。
 じりじりと暑い太陽の光の下、石で作られた道を走り抜けていく。

 やがて道が石から土になり、草の匂いがしたところで、ボロボロの小さな家が見えた。
 その小さなお家が、ボクの目的地。ボクらのヒミツの場所。

「はぁっ……はぁっ……!ちょっと…ぜぇっ……急ぎすぎた……」

 全力で走ったせいで、息が苦しい。落ち着くまではノックだってできそうにないや。
 家のドアの前で足を止めて、息を整える。胸に手を当てて、息をすって、はいて。
 何回かくりかえせば、ドキドキって音がゆっくりになっていく。
 ……うん、落ち着いてきた。

「ふぅ……今、いるかな…?」

 コン、コン。二回ドアを叩く。

「ごめんくださーい!今日も、あそびに来たよー!」

 大きな声でよびかけると、家の中からドタドタって音がした。
 彼女の音だ。ああ、よかった。彼女は今、家にいたみたいだ。
 音が少しずつ大きくなって、一番大きく聞こえたそのとき、勢い良くドアが開いた。

「こんにちは!エディ!今日も私のところに来てくれてありがとう!」

 出てきたのは、黒い髪を左右で結んだ、ボクと同じくらいの大きさの小さな女の子。
 だけど、その女の子はボクと同じじゃない。女の子には黒い羽があって、しっぽも生えている。

「ささっ、早く上がって?今日もたくさん、一緒にいようよ!」

 こうやってボクの手を引く女の子の手はむらさき色で、なんだかふかふかしてる。

「おじゃまします。こんにちは、ネネロ」

 ふかふかした大きな手をぎゅっとして、女の子にあいさつする。
 これがボクのヒミツ。

 魔物と友達。
 大人に知られちゃいけない、ボクとネネロの、二人だけのヒミツだ。






 ネネロという少女は魔物だ。
 たしか、“ファミリア”って言うんだっけ?

 ボクたち人間とは違った体の女の子で、羽やしっぽのあるそのカタチは、大人の言う魔物そのものと言えるのかもしれない。

「大丈夫?汗が凄いことになってるけど…。そんなに急いで来たの?」

 なんて考えていたら、タオルを持ったネネロに声をかけられた。
 見た目と違ってきれいに片付けられた家の中で、ネネロにタオルで髪をふいてもらう。
 今日は暑い。その中を全力で走ったせいで、髪の毛の先っぽにまで汗が伝っていた。

「ん、ありがとうね。……ほら、大人にバレたらいけないからさ、走っちゃった」

 だって、この国は反魔物国家だから。
 つまりは、魔物と仲良くしちゃいけないんだ。
 魔物は人間にとって悪いモノ。魔物は人間を食べちゃうから、人間は魔物を倒さなきゃいけない。
 ボクも大人からそうやって教えられてきたし、みんなもそう思ってる。
 だから、こうやってネネロと遊んでいることはヒミツなんだ。
 これが大人たちに知られちゃったら、とんでもなく怒られるだろうから。

「あっ、でもそれだけじゃなくてさ!やっぱりネネロといっぱい遊びたかったから!
 だから走ってきちゃった!キミと早く会いたくってさ!」

 たしかに、他の人に知られたらいけないっていうのもあったけど、それよりもネネロに会いたいって思いが強かった。
 ネネロはずっと一緒にいたいって思える、大切な友達なんだから。

「もうっ!『早く会いたい』だなんて、嬉しいなぁ!」

「わっ!?」

 いきなりネネロが抱きついてきた。
 ふかふかした手が背中に回されて、胸と胸がぴったりとくっつく。
 やわらかくて、温かい。なんだか甘くていい匂いがする。

「あははっ!顔真っ赤だよ!照れてるの?」

 顔が熱い。それもそうだ、女の子とハグしてるんだもん。
 ボクはまだ子どもだけど、それでも抱きしめられることがトクベツだって分かってる。

(たぶん、これも“いけないこと”なんだろうな……)

 魔物に抱きつかれた、なんて母さんに言ったら倒れるんじゃないかな。

 「……こんなにもやさしくて、かわいいのに」

 ネネロとはじめて会ってから一か月くらいだけど、彼女たちが大人の言うような悪い存在だなんて、とても思えない。
 ……なんて、ボクみたいな子どもが大人たちに言っても、誰も聞いてなんてくれないだろうけど。

「ねぇねぇ、エディはいっぱい汗かいっちゃったみたいだし、遊ぶ前にお風呂入る?」

 ぼー、っと考え事をしてたら、ネネロがそんなことを言ってきた。

「あっ、そうだ!私と一緒に入ろうよ!二人で洗いっこ、きっと楽しいよ?」

「いやいやいやいやいや!?まずいってそういうの!」

 なんてことを言うんだ!よくないって、男の人と女の人が…その、裸になるのは!はずかしいし!

「あははははっ!冗談だって!エディは真面目だなぁ。
 ………そんなことしたら、私のほうが我慢できないもん」

 がまん?どういうことだろう?何をがまんするんだろう?
 早く遊びたいとか、そういうのだろうか?ネネロは遊びたがりな女の子だから、お風呂はきらいなのかな?でも、いつもいい匂いがするしなぁ。

「エディにはまだ分からないよね。キミはまだ子供だもん」

 たぶん、よく分からない、って顔に出てたんだと思う。
 ネネロがにっこり笑って、抱きしめてた手をはなす。

「さっ、お風呂にいってらっしゃい。上がったら、いっぱい遊ぼうね?
 絵本もお菓子も、たくさん用意してるから!」

 そう言って、ネネロが手を引いてお風呂場まで案内してくれる。
 こうして今日も、ヒミツの友達との時間が始まった。






■■■■■






「ええ、ええ。………やるなら明日の夜ですか?」

 お風呂から上がって、ネネロの用意してくれた服に着替えてリビングに向かうと、話し声が聞こえた。ネネロが誰かと話しているみたい。
 こっそり見ると、リビングにはヤギみたいな角の生えた、小さな女の子がいた。たぶん、前にネネロが言ってたバフォメットさまだろう。

「…………エディですか?いい子でしょう?
 私のですから、いくらバフォメットさまでもあげませんよ」

 あ、ボクの名前が出てきた。でも何の話をしてるんだろう?
 盗み聞きは悪いことだと思うけど、ちょっと気になってしまう。

「……この国が魔界になったらどうするか、ですか?そうですね……とにかくエディと一つになりたいですね。
 ………なんですかニヤニヤして!別にいいでしょ!お兄ちゃんじゃなくて同年代の子を伴侶にしても!」

 ネネロが大きな声を上げる。彼女がこんなふうに大声を出すところは今まで見たことがなかったから、ちょっとびっくりした。
 まぁ、内容はまったく分からないんだけど。はんりょ、ってなんだろう?今度母さんに聞いてみようかな。

 なんて考えながら、部屋のソファーに座る。
 内緒話は聞いちゃいけないって父さんに言われてるし、これ以上はなんだか悪い気がしたから。

「とにかくっ!私はこれからエディと遊ぶので!失礼します!」

 あたふたしたみたいなネネロの声を最後に、女の子たちのお話が終わった。
 しばらくソファーの上で待っていると、ちょっと顔を赤くしたネネロが部屋に帰ってきた。

「…あ、もう戻ってたんだ。ごめんね、待たせちゃった?」

 言いながらトテトテと歩いてきて、ボクの隣に座る。ふわり、甘い匂いがした。
 こうやって、ネネロが近くにいるとなんだかドキドキする。
 なんでだろう?ネネロと出会ってから、分からないことがいっぱいになった。

「あれ?固まっちゃった?ねぇねぇ、エディ…?」

 ドキドキして動けないボクの耳にネネロの顔が近づいて、軽く息を吹きかけられた。
こそばゆくて背筋がぞわっ、とする。

「あははっ!びっくりした?それとも……気持ちよかった?もっとしてあげよっか?」

「あっ、ちょっと!?くすぐったいって!なんかぞわぞわするし!」

 また耳の穴にふーっ、って息を吹きかけられる。
 抱き着かれちゃったせいで、手で耳をふさぐこともできない。
 ネネロの柔らかい体と、ぞくぞくっていう変な感じに、ドキドキが止まらない。

 あははははっ!楽しいな!こんなに楽しいのは初めてかも!」

「ボクで遊ばないでよ!もう!」

 別に怒ったわけじゃないけど、なんとなく恥ずかしくてそっぽを向いてしまう。

「ごめんごめん。エディと一緒にいると嬉しくて、幸せで……つい、甘えちゃうんだ」

 謝りながら、ボクの腕を抱き直してくる。
 頭は肩に乗せて、しっぽと羽がお腹の辺りに巻き付いてきた。

 「……………ん」

 イタズラしてきたさっきまでと違って、ただ抱き着いて甘えてくるネネロがかわいらしくて、つい頭を撫でてしまった。
 サラサラしてる黒い髪の毛からふさふさの耳まで優しく撫でてあげると、ネネロは楽しそうに笑った。いつもの無邪気な笑顔とは違う、ゆるんだような笑顔だった。

「ねぇ、エディ。私、とっても幸せだよ……♡」

 なんでだろう、その言葉を聞いたら、胸が温かくなった。

「……そっか。ネネロが幸せだったら、ボクもうれしいよ」

 思わず顔がにやけちゃう。たぶん、これが幸せなんだろうな。
 ネネロがいて、こうして二人で触れ合う。たったそれだけで、こんなにも温かい。

「今日は、ずっとこのままでいようか」

 なんだか離れたくなくて、そんなことを言ってしまう。
そしてネネロは、そんなボクの思いつきを聞いてくれた。

「うんっ。私もこのままがいい。いっぱい、頭なでなでして…♡」

 甘えた声に言われるまま、ボクはネネロの頭を撫で続けた。
たまにほっぺたに触ったり、髪の毛を指ですいたりと、ネネロの喜びそうなことを思いつくだけやってみた。
 その間、ずっと胸は温かくて、ドキドキしてた。ネネロと出会ってからドキドキがずっと止まらない。
 だけど、それがイヤなわけじゃなくて。むしろ嬉しくて。

「ずっと一緒にいようよ、エディ…♡」

「うん。ずっと一緒だよ、ネネロ」

 本当に、いつまでこのまま一緒にいられたら、それはきっと幸せなんだと思う。
 だけどそれは、とっても難しいことなんだ。だって、ボクは人間で、ネネロは魔物なんだから。
 大人たちは絶対に、ボクたちを許さないだろう。それこそ国そのものが変わらなきゃ、いつかボクとネネロは離れ離れになるに違いない。

「明日も、明後日も……キミと遊んでいたいよ」

 そう願って、ネネロの頭を撫でる。
 日が暮れて、家に帰らなきゃいけなくなるまで、ずっと、ずぅっと。






■■■■■






 そのお話を聞いたのは、昨日と同じようにネネロのいる小さなお家に遊びに行くところだった。

 “なぁ、知ってるか?この国には魔物が隠れているらしいぞ”

 ピタリ。その話声が聞こえて、ボクは走るのをやめた。
 ………バレてる?なんで、どうして。
 ぞっ、と寒気がした。今日も暑いのに、ボクは背中に氷を当てられたみたいに、怖くて震えていた。

 “サバトの魔女共だってよ。嫌だよなぁ”

 耳をすませて、うわさ話を聞き逃さないようにする。
 サバト。魔女。前にネネロから聞いた言葉だ。ネネロの友達たちだ。その人たちが、見つかった?
 胸が苦しくて、息が止まりそう。さっきまで走ってたからじゃない。怖くて、上手く息ができない。

 “だけど、明日の朝には勇者様たちが討伐してくれるってよ。いやはや、一安心だな”

 明日の朝?ウソでしょ?明日には、ネネロたちが殺されちゃうの?
 歯がカチカチって鳴る。足が震えて、思わず倒れそうになった。
 ……いや、もしかしたらネネロのことじゃないかもしれない。他の魔物とか、見間違いとか。
 お願い、そうであってください。どうか、ネネロのことは見逃してください…!

 “そういや、街外れにボロボロの小さい家があるだろ?そこに魔物がいるってさ”

 気づけば、ボクは走り出していた。
 話していたのは間違いなくネネロのお家だ。ボクたちのヒミツの場所だ。
 大人たちには全部、バレてたんだ。
 だから早くネネロのところへ行かなきゃ。早くネネロに伝えなきゃ。

「このままじゃ、ネネロが死んじゃう……!」

 泣きそうになりながら必死に走る。
 ネネロが傷つくのは嫌だ!しかも、殺されちゃうなんて!

 早く、早く、早く早く早く!
 足がどれだけ痛くなっても、胸がどれだけ苦しくても、ただただボクは走り続けた。






「ネネロ!ネネロっ!!」

 ドンドンドンと小さな家のドアを叩いて、大きな声でネネロを呼ぶ。
 すると、いつもみたいに中から足音が聞こえた。
 ネネロの足音だ。まだ彼女が生きてたことに、少しだけ安心する。
 やがてドアが開かれ、昨日と同じようにネネロがお家から出てきた。

「こんにちは!エディ!丁度いいところに来たね!今夜ね…………ってどうしたの!?」

 笑顔であいさつしてくれたネネロだけど、ボクを見たら、その顔が焦ったみたいなものに変わった。

「……………逃げて」

 ぜぇぜぇと息を切らせながら、どうにか伝える。

「明日の朝っ、ネネロを殺しに勇者さまが来るんだ!だから、逃げてっ!!」

 ネネロの肩をつかんで叫ぶ。

「どこか、遠くへ!お願い、逃げて!ネネロが死んだら…いやだよ……!」

 いつの間にか、ボクは泣いていた。
 ネネロが殺されることが怖くて、しゃくりあげながら泣いていた。

「エディ……!」

 泣いてしまったボクを見て、ネネロが抱きしめてくれる。
 昨日と同じハグなのに、今日はなんでかドキドキしなかった。
 それよりも、やさしくて温かいネネロがいなくなることが、ただひたすらに怖ろしい。

「教えてくれてありがとう。
 大丈夫だよ、エディ。私は、死んだりしないから」

 ボクを泣きやませようと、優しく背中をさすって頭を撫でてくれる。昨日とは逆だ。

「…………ほんとうに?」

 ネネロの言った“大丈夫”が安心できない。
 ボクを落ち着かせるためのウソのようにさえ聞こえてしまう。

「本当だよ。うん、大丈夫だから……」

「……ウソだ。」

 次にネネロの声を聞いたとき、それがウソだって気づいた。

「だってネネロ、泣いてるじゃん…!」

 ネネロの声は震えていた。
 顔を見たら、ぱっちりとした目からは涙があふれてて、ボクと同じようにネネロも泣いていた。

「っ…!エディ……私、逃げたくないよ…!」

 抱きしめる腕の力が強くなる。

「だって、ここから離れたら、二度とエディに会えないんだよ!?」

「……………あ」

 二度と会えない。それは、全然考えていなかった。
 ネネロに生きて欲しい、それだけを思っていたから、気づかなかった。

 そうだ、ネネロがこの国から逃げたら、ボクたちは二度と一緒に遊べない。
 もう二度と、ネネロに会うことはできない。

「エディと、ずっと一緒にいたいよ…!」

 ボクだって、ずっと一緒がいい。ネネロがいなくなるなんて嫌だ。
 だけど、その言葉は言っちゃいけないんだ。人間と魔物は一緒にいられないから。
 このままじゃ、ネネロが傷つくから。

「それでも、逃げて……。死なないで、ネネロ…!」

 ネネロを抱きしめようとして……やめる。
 触れてしまったら、きっとボクはネネロから離れられなくなる。
 それは、いけない。ネネロを引き止めたら、いけないんだ。

「………そっか」

 ボクを抱きしめていた腕をといたネネロは、とってもさみしそうだった。
 ぽろぽろと泣いているネネロを見たら、胸がきゅっ、と苦しくなる。

「ごめん…ごめんね、ネネロ……」

「いいよ、エディ。……だって、仕方ないもん」

 そう言ったネネロは、あきらめたみたいに下手くそに笑う。
 無理矢理に笑顔を作るネネロに、ボクは謝ることしかできなかった。

「荷物をまとめて、今夜にはこの国から離れるよ。……さよなら、だね」
 さよならと言われて、頭が真っ白になる。
 そうか、明日からは、ネネロに会えないんだ。
 逃げてと言ったのはボクなのに。なのにどうして、こんなにも悲しいんだろう。
 ネネロに生きてほしいのに、泣いてしまうのはなんでだろう。

「……ねぇ、最後にワガママを言ってもいい?」

「……………うん、ネネロのおねがいなら…なんでも聞くよ。…最後、だから」

 内容も聞かずにうなずく。今のボクにできることなら、なんだってしてあげたい。
 もう二度と、ネネロには会えないんだから。

「じゃあ……ちょっとだけ、目を閉じて」

「うん………これでいい?」

 言われたように目を閉じる。真っ暗になって何も見えない。
 ふと、ほっぺたにネネロの手が触れた。ふかふかしてやわらかい、ネネロの手だ。

「ありがとう、エディ。……そのまま、動かないで」

 ネネロの声が近い。顔に熱い息がかかるくらい、近い。
 見えなくても、ネネロの顔が少しずつ近づいてきているのが分かる。

 ゆっくりと時間をかけて、ネネロとボクが引きよせられていく。
 あと少しで、くっついてしまいそう。

「………………っ」

 いきなり、ネネロがボクを突き放した。
 押し飛ばされて、思わずしりもちをついてしまう。
 びっくりして目を開けたら、顔を真っ赤にしたネネロが見えた。

「ごめんね。……やっぱり、なんでもないや」

 謝りながら、ネネロがドアに手をかける。
 さっきまではあんなに近くにいたのに、今ではどうしてか、こんなにも遠い。

「今までありがとう、エディ。……じゃあね」

 そうしてネネロがドアを閉めて、家の中に消えてしまう。
 手を伸ばしても、とどかない。ボクは、間に合わなかった。

「……あ、ぁ……ぁ…」

 涙がとまらない。きっとボクはよろこぶべきなのに、笑うことができない。
 ネネロともう二度と会えないことが、悲しい。これでお別れなんて、イヤなのに。
 だけど、もうどうしようない。だって、人と魔物は、一緒にいられないから。せめてネネロが生きててよかったって、そう思おう。

「………………………………さよなら、ネネロ」

 涙をふいて、このヒミツの場所から……ネネロのところから帰る。
 何回も振り返っちゃいそうになったけど、がまんした。振り返ったら、きっとボクは帰れないから。

 これでいいんだって、自分にうそをついて。
 ボクは、ネネロとお別れした。






■■■■■







 あの後、ネネロと別れて家に帰ったボクは、なんだかなにもしたくなくて、ベッドに転んでいた。

「ネネロは、もうここから出たかな……」

 思いうかぶのはネネロのことだけ。
 ネネロは無事なのかな、とか。騎士さまや勇者さまに見つかってないかな、とか。

「だいじょうぶかな……」

 ふと外を見れば、太陽はすっかりしずんで真っ暗になっていた。
 夜だ。ネネロはもう、荷物をまとめて逃げちゃったかな。
 それならいいんだ。大人たちにつかまらず、どこか遠いところへ逃げてくれたなら…きっと、安心だ。

「……なのになんで、苦しいんだろう」

 逃げてほしいって、ネネロに生きててほしいって、本心から思っているはずなのに、なんだか心がチクチクして、痛い。

「わかんないよ、ネネロ……」

 痛くて、苦しくて、悲しくて。ネネロのことを考えるほど、痛いのが強くなっていく。
 ネネロと過ごした毎日を思い出すほど、胸が苦しくなっていく。

 ――――思い返すのは、はじめて出会った日のこと。
 ふらふら街を歩いて、あの小さな家を見つけたのがきっかけだった。

 そこでボクはネネロと出会った。
 ネネロは魔物だから、はじめて会ったときはびっくりしたけど……でも、きらいにはなれなかった。
 明るく笑いかけてくれた彼女が、悪い魔物だなんて思えなかったんだ。

 それからは、ずっと二人で遊んでた。日が暮れたら“また明日”ってやくそくした。
 ネネロとボクの、二人だけのヒミツ。二人だけのやくそく。それがなんだか楽しくて、うれしくって。

「……もっと、あそびたかったなぁ」

 ぽつりと出たのは、そんな願い事。
 ネネロとあそんだ毎日を思い出したら、もっともっとって思ってしまう。

 もっとあそびたかった。もっとネネロの笑顔が見たかった。
 もっと、一緒にいたかった。

「……ネネロと、はなれたくないよ」

 はなれたくない。ずっと一緒にいたい。
 ネネロは大切な人なんだ。だから、離れ離れになるのはイヤだ。
 じゃあ、どうする?ボクみたいな子どもになにができる?
 大人の決めたことは変えられない。子どもにできることなんて、なにもない。
 だから、あきらめるしかない?

「…………いやだ」

 あきらめられるわけがない。
 こんなところで終われるわけがない。

 「これでお別れなんて、ぜったいにイヤだ!」

 こんなところで引きさかれたくない。ボク達のヒミツを、大人たちにジャマされたくない。
 そうだ、やることは決まってるじゃないか。なにがしたいかなんて、初めから分かっていた。だったら、あとはやるだけだ。
 ベッドから飛び上がり、窓から外へ抜け出す。くつなんてはいてるヒマはない。その間に、ネネロはいなくなるかもしれないんだから。

「待ってて、ネネロ…!」

 一直線に走り出す。目指すのは、ボクたちのヒミツの場所。父さんと母さん、そして大人たちに知られないように、全力で走る。
 走って、走って。その間ずっと、ボクの心はネネロを思って、ドキドキしてた。







 真っ暗な街を走り抜けて、もう一度、あの小さな家にたどり着く。
 ノックもせずにドアを開く。カギはかかってなかった。たぶん、待ってくれているんだと思う。
 そのまま暗い家の中を進めば、思った通りに彼女はいた。

「……来てくれたんだ、エディ」

 ネネロは、ボクを待っていてくれた。
 早く逃げなきゃいけないのに、それでもボクが来るかもって。それで、待ってくれた。

「私ね、エディが来てくれたらいいなって思ってた。
 もう一回だけ、逢えたらいいのにって。
 駄目だよね。早く、出ていかなきゃいけないのに…………」

 そう言うネネロの声は、なんだかさみしそうだった。
 しっぽや羽も垂れてて、顔も下を向いている。

「ネネロ……」

「来ないで!」

 一歩、近づこうとしたそのとき、ネネロが叫んだ。

「これ以上、私に近づかないで」

 ここで初めて、ネネロが顔を上げる。

「きっと私は………エディから、離れられなくなるから」

 ネネロは、泣きそうな顔をしていた。
 必死に涙をこらえているのは、泣いてしまったら、ボクとお別れできなくなるからだろうか。
 それでも、ボクは一歩を踏み出す。近づいていけば、ネネロの肩がビクリとはねた。

「ネネロ。キミにおねがいがあるんだ」

 逃げる事だってできたのに、ネネロはその場から動かなかった。
 一歩ずつ、一歩ずつ。手を伸ばせば触れられるほど近くへ。

「ボクと一緒に、ここから逃げよう」

 右手を差し出して、ネネロにおねがいする。
 子どものボクじゃ、大人たちを変えられない。
 だけど、ずっと一緒にいることは、できる。

「…っ。駄目だよ、エディ」

 一瞬、ネネロはボクの手を取ろうとした。

「エディはこの国の人でしょ…?お父さんやお母さんだって、いるじゃんか…!
 私と一緒にいたら、もう二度と家族とも会えないんだよ!?」

「それでも!ボクはネネロと一緒がいい!」

「………あ」

 ネネロを抱きしめる。
 温かくて、柔らかい。
 ……心が、温かい。

「………………駄目、だよ……!
 そうやって、抱きしめられたら……抑えられないよ…!」

 とうとう、ネネロは泣き出した。
 感情があふれて、大粒の涙がこぼれて。

「エディ……!エディ!私も、ずっと一緒がいいよ!
 いつまでもエディの傍にいたいの!」

 ネネロもまた、ぎゅっとボクを抱きしめる。
 腕で、羽で、しっぽで。体全部を使って、しがみつく。

「エディと私を引き裂くモノなんていらない!離れたくなんてないの!
 キミと離れ離れになるなんて絶対に嫌だっ!!」

 肩に顔を押しつけたネネロは、ずっと押し込めていた本心を叫ぶ。

「大丈夫だよ、ネネロ。ボクは、どこにもいかないから」

 気づけばボクは、ネネロの頭を撫でていた。
 昨日と同じように、黒い髪をすいて、やさしく撫でてあげる。
 胸が温かい。ドキドキして、なんだか嬉しくて。きっと、幸せなんだと思う。

「好きだよ、ネネロ」

 自分の言った言葉に、ハッとなった。
 好き。そっか、ボクはネネロが好きなんだ。
 だから、ずっと一緒がいいんだ。だから、ネネロといると心がドキドキするんだ。

「ボクは、ネネロのことが大好きなんだ」

 はじめて、恋をした。はじめて、誰かを好きになった。
 その誰かがネネロで、本当によかった。

「エディ………」

 顔を真っ赤にしたネネロが、ボクと目を合わせる。

「私も、大好き……。エディを、愛してる…」

 そして、ネネロは目を閉じる。
 なにかを待っている。だけどネネロがなにを期待しているのかは、簡単に分かった。
 
 ゆっくりと、ネネロに顔を近づける。
 ドキドキがすごい。緊張もする。これも、はじめてのことだから。
 少しずつ、少しずつ、ボクとネネロが重なっていって

 ボクは生まれて初めて、キスをした。



「ありがとう、エディ……。私は、とっても幸せだよ……」

 ふと、とろんとしたネネロが抱きしめていた腕をゆるめる。
 少しだけネネロと離れたことで、思い出した。ボクたちは逃げないといけないんだった。
 早くしないと、大人たちにつかまってしまう。

 “逃げよう!”そう言う前に、ネネロが口を開く。

「……ごめんね。私は、狡猾で卑怯な魔物なんだ」

 ぞくり。背筋がふるえた。
 腕の中のネネロは、笑っていた。それは、いつもの無邪気で明るい笑顔じゃなくて、それこそ魔物みたいな底の知れない笑いだった。

「大丈夫だよ、エディ。キミがなにかを失うことはないよ。
 誰かとお別れする必要なんてないんだ」

 ふかふかの手が、ボクの頬にふれる。
 そこでようやく分かった。はじめから、ネネロの瞳にはボクしかいなかったんだ。

「だって、この国は魔界になるんだから」

 遠く、街の方で悲鳴が聞こえた、気がした。


23/07/03 14:33更新 / めがめすそ
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