サイクロプスさんかっこいい

「冗談のつもりか」
 メインホールの一角に響く、僕達とは違い訛りのないドイツ語だった。しかし抑揚に乏しく、話者自身の表情も乏しかった。
「神なる身でありながら、どうして私が己に劣等感を持とうというのだ」
 僕が彼女を見たのはあれが初めての事だったが、堂々とした様がとても印象的だった。

 あの日僕は地元で行われるパーティーに出席した事を覚えている。結構飲んでいたし、夜だったから場所がどこかは失念してしまった。ベランダからライン川が見えたのは覚えているが、僕宛に送られてきた資料は自宅のどこかで埋もれているか焼却場だろうから確認も面倒臭い。何より安っぽいドラマのように「連絡先を聞いておけば…」と終生の後悔をしなくてもいいのだから尚更どうでもいい。
 会場は近代的な様式ではなく古風な建物だったと思う。建築様式については大学の退屈な授業をほとんど聞き流していたので知らないが。メインホールに入ると中は煌びやかな装飾と多くの客、自信を持って送り出されたであろう様々な料理がテーブルに並んでいて、下品な話早速腹が減ってきたのを覚えている。とはいえ一緒に来る事になっていた友達が急遽キャンセルしたので、僕としては会場の空気に圧された事もあって少々不安だった。
 幸い社交性は高かったから、近くのテーブルに向かい、そこで飲んでいた40代の男性と話し始めた。だが彼が酔っているせいか、それとも僕が酔っているせいか、それともその両方なのかはわからないが、彼の話すドイツ語は訛りが強くて――もちろんバーゼル暮らしの僕も人の事は言えない――よく聞き取れなかった。レマン湖がどうとか言っていたから、恐らくローザンヌの人だと思うのだが、あそこはあまりドイツ語話者がいないそうだし、どこかで習ったのだろうか。彼の方も僕の話すドイツ語はあまり聞き取れていないようだった。もちろん酔っていた事も大きいと思う。仕方なく彼は英語・フランス語と試したが、僕は万年外国語の成績が悪かったため、悪夢のような授業の日々が一瞬蘇った気がして立ちくらみを覚えた。仕方なくドイツ風なドイツ語のアクセントをお互い意識しながら話す事で納得して会話を続けた。僕は親戚がドイツにいたのでドイツ風な発音にも慣れていたが、彼も似たような境遇だったのだろうか。
 しかし話が進むに連れて別の問題が浮上した事を覚えている。男性は自分の奥さんがいかに素晴らしいかの話になると、時々例のどこかの方言に戻りつつ全く語る勢いが衰える事もなかったので、ある程度微笑ましく思いながらも内心舌打ちしたくなる気分だった。僕はというと、男性相手の社交性は問題ないが、こと女性相手となれば話が別で、女性と会話するとどうしても事務的な、味気のない必要最低限の会話になってしまう。そんなこんなで独身の僕には、彼の話す奥さんの話がニュースキャスターの話す別世界の出来事に思えて、「おう、そうかそうか」と辛くなってきたのだった。
 彼の奥さんは人間の女性ではなく、種族は酔っていたのでよく聞き取れなかったが、尖った耳と角を持ち、蝙蝠じみた翼を備え、それらと不釣り合いな事に肉体そのものはかなり小柄で無垢な感じなのだという。一瞬何かの犯罪なのかと思ったが、話の中で出た特徴と全く同じ特徴を持つ少女が男性に近づいてきて、親しげに腕を組んだ。笑顔で挨拶しながら、僕は無性にこの充実した者達の楽園から逃げ出したくなる自分と戦わなければならなくなってしまった。

 男性と別れ、僕はベランダで夜風を浴びていた。冬も近く本当は凍えるような寒さだったが、酒や会場の熱気のせいで涼しく感じた。すると何やら聴こえてきた気がしたので、ホールに戻って見学してみようと思い立った。
 中に入るとまたあの熱気に包まれて、体が一安心している感じがしたが、目の前では少々空気が張り詰めていたので、本当に戻ってくるべきだったのかとその時少し迷った。
「冗談のつもりか」
 ドイツ人のようなアクセントで喋る女性が、何の卑屈さも見せず立ちはだかっていた――そんな気がしてしまうぐらいだったのだ――風に見え、その対面にはビクッとした感じの少女がおり、こちらはよく見ればさっきの訛り男性の奥さんだった。
「神なる身でありながら、どうして私が己に劣等感を持とうというのだ」
 全くその通りで、暖色のパーティードレスを着てこうも堂々と佇む女性が、己に劣等感を抱く理由などないだろう。そのため僕には、しばらく話の流れが掴めなかった。しばらく状況を観察し、第三者的な視点で見て初めて、彼女が単眼である事に気づいた。青い肌と一本の角もまた、目を引いた。隻眼ではなく、初めから中央の目しかないようで、その大きな瞳は日没時にバーゼルを覆う夕闇のような赤で、一瞬そこに自分が吸い込まれるような錯覚――ポーやビアスの読みすぎだ――を覚えた程だった。確かギリシャ神話に出てくるサイクロプスがああして今は女性の姿をとっているはずだ。学生の頃、ちょうどサイクロプスに言及する授業を話半分で聞いていたからあまり覚えていないが。
 見ると訛り男性が慌てて謝りに来て一緒に謝っていた。まあ、あの奥さんは悪気があったわけではないと思うし、ちょっと口が滑った、好奇心を見せたという程度の事だろう。会場の一角が彼らに注目していたが、しかし文明人らしい平和的解決が図られたとあって、再び各々の関心事に意識を戻しているのが見えた。堂々としていて巌のような表情や抑揚の乏しさはそのままだったが、サイクロプスの方も謝っているようだった。
 そのちょっとした騒ぎが収まっても僕は彼女を凝視していた。もしかして彼女に惚れたのだろうかと考えた時に、彼女がこちらに気づいた。
「何か御用でも?」

 あの会場を充実した者達の楽園と罵った僕だったが、結局気がつけばあのサイクロプスと仲良くなっていた。
「どうかしたのか、人の子よ」
 彼女、フランツィスカは僕の事を名前で呼んでくれない。人の子という表現は恐らく本来かなり横柄なニュアンスが含まれているはずだが、別段僕を見下しているわけではないと、少ししてから気がついた。
「何でもないよ、フランツィ。君と出会った夜の事を思い出してたんだ」
「そうか」
 戦後、戦う相手がいなくなった事で彼女のような優れた職人は実用性のない装飾された武器――刀剣の場合折れやすいので鈍器にも使えないし銃器も発砲機能がオミットされている――を作ってコレクター達の目を楽しませ始めた。SIG 550を改造したものだと言って彼女が見せてくれた元軍用のライフルは、どうやったのか銃身の途中まで模様が掘られているのが見えた。実用性はないが、客受けはそれなりにいいらしい。狩猟用の銃にこうした装飾を施す事もあるという。
「まだ言ってなかったけど」
「どうした?」
「僕は、君の堂々としたところに惹かれたんだと思う。君自身が、その…芸術品みたいで上手く言えないけど」
 彼女はふっと笑ってくれた。表情の変化には僕も少しずつ慣れてきたので、彼女が多彩な表情を持っている事がわかるようになってきた。
「芸術品か。それはさておき、私は神であるが故に、失態を除けば己を恥じるような点は見当たらない。さりとて単眼である事に劣等感を抱く同族もいるらしいが」
 わざとらしくフランツィは言葉を切った。
「私はそう思わぬ」
 そう言ってのけた彼女には、全く卑屈さや劣等感がなく、自身のある笑みが浮かぶだけだった。だからこそ僕は素直な感想を述べる。
「フランツィ…可愛い」
 まだ夕方なのに滾ってきた。
「そうか?」
 対する彼女は変わらずの様子で微笑を浮かべ、そこがまた愛おしかったのだ。

 日は沈み、僕の上で激しく乱れた彼女――もちろん僕も――は、事が終わると僕の上に倒れ込んできた。神様にもある程度虚脱感があるのだろうか。しかし彼女を乱れさせる要因が消えた今となっては、すっかりいつものフランツィに戻っていて、先程までの喘ぎや体の反応は嘘のように思えた。そうして何食わぬ顔で僕に覆いかぶさる彼女を見て胸がときめき、腕を回して髪を撫でてあげた。撫でられている事に疑問符を浮かべているようだったから、事情を説明してあげた。
「セックスしてる時のフランツィは凄く可愛いよ」もちろんいつもも可愛いけどと付け加えた。
「そこまで言われると照れるな」
 彼女の表情を伺ったが、困惑こそすれど彼女が自分で思っている以上に羞恥は薄いようだった。ただ、僕はあまりギャップの愛らしさを求めないタイプだから、そういう彼女がやはり可愛かった。
「ご飯どうする?」
 少し彼女は考え込んだ。
「我が愛しき人の子よ。君がよければもう少しこのままでいたいな」
「…りょーかい♪」
 もちろん彼女は全く恥じらいを見せず、僕の胸に顔をうずめて表情を隠そうともしない――そもそも恥じらっていないのだから隠す必要性がない――が、それでよかった。
「やっぱりフランツィは可愛い」
 僕がこう言ったら、恥ずかしがる代わりに笑い、そして堂々と僕を見ながら言い放った。
「そして君は、私にとって最高の男性だ。それを忘れる事なく生きるがよい、誇りを胸にな」
 ああ、可愛いなぁ。

なんとなく工業都市ってサイクロプスのイメージがあります。どういう工業やってるのか知りませんが。
クーデレもいいけど素直クールもいいと思う。

一生素直にならないツンツンツンデレヴァンパイアとイチャイチャするSSはそのうち続き書きます…

14/12/25 19:53 しすてむずあらいあんす

top / 感想 / 投票 / RSS / DL

まろやか投稿小説ぐれーと Ver2.33