読切小説
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月が綺麗ですね
吾輩はケットシーである。
名前(にゃまえ)は……。
「おい、聞いてんのかミケ三郎」
「はい、聞いておりますにゃ、ご主人」
吾輩は猫だというのに箱座りも許されず、正座をさせられている。ご主人は吾輩をお叱り中である。ご主人は吾輩を叱るが、あれは仕方のないものではないか。これは虐待に他ならない。
「トイレットペーパーで遊ぶなといつも言っているだろ」
「ごめんにゃさい……」
そう。吾輩はトイレットペーパーの誘惑に抗えず、一ロール丸々弄んだ。言葉が通じる分、言えばわかると思っている。しかし、勘違い甚だしい。猫の本能がそんな簡単に抑えられるはずがないではないか……いや、吾輩はケットシーである。いつもなら抑えている。だが、今回は吾輩にも言い分があるのである。
「しかしご主人」
「なんだよ?」
「トイレットペーパーで遊んだのは吾輩が悪かったのであるが、ご主人も約束を破りませんでしたかにゃ?」
吾輩がジッと猫の瞳で見つめると、ご主人はウッと息を詰まらせて目を逸らす。吾輩も言いたいことがあるので、きっと感情の高ぶりで、瞳孔が縦に針のようにキュッと細まっていることであろう。
さて、と。
吾輩は立ち上がる。
「おい、まだ立っていいなんて……」
「ご主人、正座」
「…………はい」
ご主人は大人しく正座をいたした。吾輩はもう十分にご主人のお叱りを受けたはずだ。それに、これは吾輩からすれば、原因はご主人にあるのであって、吾輩が叱られるいわれはない。そもそもあのトイレットペーパーはまだ、ちょっとしたところを拭くのにだって使えるのである。
トイレットペーパーも無駄にしていないのに、ご主人のお叱りを受けたのは、ご主人の顔を立てるためと、ただなんとなくの猫の気まぐれである。
そしてむしろ、最初にトイレットペーパーを無駄にしたのはご主人の方である。吾輩は、吾輩の役目を奪った憎き恋敵(トイレットペーパー)に、誅罰を与えただけなのである。
「ご主人」
「はい」
ケットシーによる猫なで声に、ご主人はビクリと身をすくめられた。
「吾輩も約束したのであるにゃ」
「…………」
「吾輩の鼻を舐めないでもらいたいのにゃ」
「…………」
「ご主人?」
「…………」
「トイレで一人でナニをやっていたのかにゃ?」
「…………」
「おい、しらばっくれるにゃ」
吾輩の底冷えする声に、ご主人は目をそらしたまま貧乏ゆすりをするように震えだした。自らの非を認めて謝まれば、まだ仕置も軽くしようと思っていたのだが、この男、あくまでもしらばっくれるらしい。
吾輩は歯をむき出しにして吠える。
「ネタは上がってんにゃ! シモいネタがにゃ! ご主人、無駄撃ちはしないと吾輩と約束したのではなかったのかにゃ!」
吾輩の怒鳴り声に、ご主人は土下座をするかと思えば、歯向いだした。
「だ、だって仕方がないだろ。男はたまに一人でしたくなるもんなんだ」
「ほう、吾輩の盟友のタマをオカズにしたと」
「違ぇよ!」
窮鼠猫を噛むで歯向ったご主人に、吾輩は少しばかりならぬときめきを覚えた。
読者の方々よ、想像してみてもらいたい。
クロスさまの可愛らしいケットシーのイラストであるが、実際にリアルにケットシーがいたらどうなるか。ふさふさした毛の猫が服を着て二本足で立っているのである。その巨大リアル猫に間近で歯を剥かれたら、あなたはご主人のように歯向かえるだろうか。しかもそこには男女の情愛までも含まれているのである。
……できまい。
だから、この時のご主人に対する吾輩のときめきが、尋常ならざるものである事をお察しされたい。
しかし、だからと言ってこれとそれとは話は別である。
この男は吾輩という恋仲の猫がいるというのに、あろうことか大切な精を無駄撃ちしたのである。吾輩の憤慨がオスどもにわかろうものか。
魔物娘であり、この男の番(つがい)である吾輩にとって、この男の行為は甚大なる裏切りであり侮辱である。その罪に対する罰は、吾輩に駅弁スタイルで精を注ぎ込みつつ、市中お散歩連れ回しの上に、三日三晩抜かずでも、足りないくらいである。
「誰が正座を崩していいと言ったにゃ」
「…………」
「おい」
「…………はい」
吾輩は腕を組んで、約束を破ったご主人(おとこ)を見据える。
吾輩に、ミケ三郎というふざけた名をつけたこの男を……。
このような名前でも、ご主人と恋仲であるという吾輩は、れっきとしたメスである。乙女である。ご主人に拾われて、まだただの子猫だった頃にご主人は吾輩にこの名前をつけた。
三毛猫には通常メスしかいない。
遺伝子の関係上、オスが生まれる確率は甚だ低い。彼らはその珍しさから、幸運の三毛猫扱いされることもあるのである。
ご主人は、子猫である吾輩を拾い、吾輩を幸運の三毛猫にするため、名だけをオスのようにつけた。子猫でのたれていた吾輩を甲斐甲斐しく育ててくれたご主人に報いるため、吾輩は20の年を経る前にーー猫又にならずに、ケットシーになったのである。
なんと健気な吾輩であることか。
吾輩はご主人に幸運をもたらすため、今度はご主人を甲斐甲斐しくお世話をし、我々は自然と結ばれ……。
「いや、俺は有無を言わさず押し倒されたと記憶しているが……」
「誰が喋っていいと言ったにゃ」
「…………ごめんなさい」
「それに、最後の方は吾輩はもうダメと言っていたのに、ご主人の方から腰を振ってきたにゃ」
「いや、だってお前が本当に可愛かったから」
「ご主人……」
「ミケ三郎……」
我々はしばし見つめ合う。
「そんなこと言ったって許さないにゃ」
「チッ……」
ご主人はあからさまに舌打ちをした。
その態度に、吾輩はついにこの男に罰を与えることにした。
「おい、やめろ」
「やめないにゃ。それに口ではそう言っているけど、体の方は正直にゃ」
「く、くそ……」
吾輩は、この男の顎を足でこそぐっていた。
猫のふわふわの足で顎をなで、爪でカリカリと弄んでやる。
この男がいつも吾輩にしてくることと逆である。ご主人にとって、なかなかに屈辱的らしい。そして、この男、それで感じるらしい。
十分に弄んでから吾輩は、ご主人に作ってもらった服を、丁寧に脱いでたたむ。傷つけでもしたら一大事である。
そうして吾輩はご主人を押し倒す。
この男、吾輩にされるがままである。
もしや吾輩にこうされるためにワザと一人で致しているのではと思わなくもないが、まあ、罰は罰である。
吾輩はたらふく搾り取ってやるのであった。

「ふぅ」吾輩はマタタビ煙草の紫煙を吐いた。情事の余韻にマタタビの煙(けむ)が巻き、鈍痛のような心地よさに包まれる。
窓の外からは蟋蟀の声がよく聞こえる。食欲が刺激される声である。
「もうお嫁にいけない」
ご主人は丸くなって、枕に顔を押し付けている。
「心配しなくていいにゃ。もう吾輩がもらってるにゃ」
「うう……」
ちょっと、やり過ぎたらしい。
吾輩はご主人の背を撫でてやる。
と、
「……アハハ。子供もお前みたいだったら恐ろしいな」
おや、泣いているかと思えば、ご主人は起き上がってこちらをにやにやと見た。それはまだ気の早い話である。と、ご主人は、
「別に赤くならないか」
「当たり前にゃ」
ご主人は吾輩を辱めたかったらしい。この程度で吾輩が恥ずかしがるなどと、思い違い甚だしい。舐(にゃ)めんにゃよ。と言うところである。
ああ、それにしても……。
吾輩は紫煙に陰る満月を見やる。
煌々と輝くそれは、まるで天にある、猫の瞳のようである。
「「月が綺麗ですね」」
吾輩とご主人の声が重なった。
ふふん、とご主人が得意そうな顔をする。吾輩は、ハン、と鼻を鳴らす。するとご主人は、残念そうな顔をして、再び月を見上げる。吾輩もつられて月を見る。
煌々と。
さやかな月の光が降りている。
我々は一人と一匹であるが、隣に座って同じ月の光を浴びている。心地の良い時間である。そうして吾輩がご主人との時間に浸っていると、
ご主人はポツリ、と
「まるでお前の瞳のようだ」
そう言った。
吾輩は、プイとご主人からそっぽを向いた。
「ん、どうした?」
「なんでもないにゃ」
「…………」
「こっちを見るにゃ!」
吾輩の隣でご主人がニヤついている気配がして、吾輩の心はさらに動転する。
……こんな顔、この男には見せられぬ。
どうやら吾輩の夫は、やはり油断ならぬ男のようである。
17/09/24 13:43更新 / ルピナス

■作者メッセージ
ええ、かぶれておりますとも。
漆か金時かと言うくらいにはガッサガサに。

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