連載小説
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兄になった日
 冷たい雨の降る夜だった。
 両親と外食の約束をしていた僕は、待ち合わせの時間に間に合うように家を出た。
 傘にバラバラと勢いよく当たる雨の音を聞きながら、水溜まりを避けて歩く。町に人通りは少なく、見かけるのは帰宅を急ぐ者たちばかりだった。
 共働きの両親は忙しく、あまり家にいる事がない。朝早く、夜遅い生活だった。
 それでも母親はちゃんと食事の用意をしてくれ、たまの休日には父親が遊んでくれる。少なくとも公私を両立させている――させようとしているという意味では、まともな親だろう。事実、彼らを知る者たちからは、賛美の声を聞く事も珍しくない。
 まともではないのは、僕の方だった。
 正直、そんな彼らの行いの意味が理解できないのだ。
 仕事が忙しいのなら、そちらへ注力すればいい。子供など作らなければ、負担が増加する事もなかった筈だ。少なくとも、忙しい合間を縫って子供の機嫌を取るように外食をしようなどと意識を割く必要は生じなかっただろう。
 彼らは一体、何が欲しかったのか。
 有能な仕事ぶりと愛情深い親としての顔をアピールして、名声でも求めていたのだろうか。
(……どうでもいいか)
 考えたところで、答えなど出ない。出たところで、何が変わる訳でもない。
 所詮この世に望んで生まれて来る者などおらず、誰もが誰かの都合で勝手に産み落とされるのだ。そして『育ててやった恩』とやらを押しつけられ、たかが血が繋がっているだけでしかない他人への恭順や老後の世話まで強制される。たとえ望まれた子供ですら、『生まれて来てやった恩』などという言葉を口にする権利は永遠に与えられる事はない。
 それでも一人で生きる力がないうちは、彼らから与えられる金銭の代償として服従するしかないのかも知れない。或いは、他人の都合で与えられたものでしかない命を、せめて死に様くらいは自分で決めて、それを絶つか。


 両親の仕事場には、まだ煌々と明かりが点っていた。時間よりも早く到着してしまったらしい。
 入って行ったところで怒られる事はないだろうが、わざわざ邪魔をする事もないだろう。良い親アピールに付き合わされるのも面倒だったし、巻き込まれる他の従業員も憐れだった。
 そう判断した僕は、傘を差したまま建物の入口の脇で待つ事にした。
 目の前は大通りになっていて、先程から時折、傘を差した人々が速足で通り過ぎて行く。中には、濡れるのも構わず走って行く者もいた。
 視界の端でゆっくりとランプの明かりが揺れ、見れば親子連れが歩いている。一つの傘の下で身を寄せ合って、何かを話しながら笑い合っていた。
 幸せな風景――なのだろう、おそらく。
 けれど、やはり僕には解らなかった。なぜ彼らは、そんなにも笑っていたのか。何が、そんなに嬉しいのか。
 傘を叩く音が大きくなる。雨足が強まったらしい。
 そんな中に立ち尽くしているのが虚しくなって、僕は溜息をついた。こんな事なら事前に、雨が降ったら中止という事にでもしておけばよかった。
 人通りも途切れ、雨音だけが辺りを包む。視線を巡らせてみても、動くものはない。
 と――ふと左隣を見たところで、僕は動きを止めた。いつの間にか現れていた小さな人影が、僕と同じように壁を背にして立っていた。髪の長さだけ見れば、女だろう。
 全身ズブ濡れで、たっぷりと水を吸った長い髪が額や頬、首筋に張りついている。服はボロボロで、もはや服というよりボロ布を身体に巻いていると言った方が正確だろう。顔は見えないが手足は薄汚れていて、よく見れば足元は裸足だった。
 ボタボタと大粒の雨が、まるで打ち据えるように少女の頭に降り注ぐ。あまりに大粒な事に違和感を覚えて見上げてみると、そこには窓があり、その上に申しわけ程度に張り出した庇(ひさし)があった。
 もしかしたら、雨宿りのつもりなのかも知れない。しかし庇の幅では後頭部ぐらいしかカバー出来ず、結果的に庇を流れ落ちるうちに集まった大きな雨粒が頭を直撃する形になっていた。
 それでも、彼女は微動だにしなかった。特に俯いている訳でもなく、大通りの方へ顔を向けている。
 けれど、そちらに何かがある訳でもない。というか、何かを見ている訳ではないのだろう、と何となく思った。
 バラバラと雨が傘に当たる。その音を暫く聞きながら、やがて僕は諦めたように小さく息を吐いた。
 驚かせないように、ゆっくりと移動する。彼女の隣へ。
 思い出したのは、先程の親子連れだった。思い出しただけで、だからどうという事でもないが。
 ただ、今の僕には傘と時間があって、その時間が尽きるまでなら傘を半分貸すくらいしてもいいかと思ったのだ。
 有り体に言うのなら、ただの気の迷い。僕の中に、彼女への憐れみの気持ちは皆無だった。
 ようやく自分の頭に雨が当たる感覚がない事に気づいたのか、少女はゆっくりと顔を上げ、自分に傘が差しかけられている事が解ると、その顔を僕の方へ向けて来た。視線を動かさず首だけで振り向いた事から、彼女は目が見えないのかと一瞬思ったが、そうではないらしかった。
 僕を――というか、隣にいるのが人間である事を認識してから、辿るように見上げて来る。
 感情のない顔と、光のない瞳で。
 焦点が合っているのか疑わしくなるような目を僕の顔に固定すること数秒、少女は無言で顔を大通りの方へと戻した。感謝されたかった訳ではないので、僕もその反応に不満はなかった。
 雨のなか二人、何をするでもなく雨の音だけを聴いていた。

 両親が仕事を終えて出て来たのは、それから十分ほどが経過してからだった。
 気配を感じた僕が建物の入口へ視線を向けると、両親は揃って驚いたような顔をしていた。勿論、僕の隣を見て。
「その子は、何処の子だい?」
 傘を開いて両親が近づいて来る。父親の問いに、僕は肩を竦めることで答えた。
「あらあら、大変」
 母親は、そう言って少女の前にしゃがみ込み、取り出したハンカチで彼女の顔を拭いてやっている。
「貴女、お名前は?」
 優しい声音で訊いても、少女は視線すら動かさなかった。言葉など望むべくもない。
「参ったな。身元も判らないとなると……」
「そうねぇ……」
 困ったように顔を見合わせる両親を、僕は相変わらず少女を自分の傘に入れたまま見上げる。
「探すなら急いだ方がいいし、とりあえず今、この子をどうするかだけ決めとけば?」
 探すにしても今すぐ動く事は不可能だし、明日以降探すとしても、なら、それまで彼女をどうするかだけは決めておくべきだろう。このまま放っておいて何も見なかった事にする、というのも含めて。
 正直、もう外食云々はどうでもよくなっていた。もともと僕がねだった訳でもないのだし。
 けれど、そうは受け取らなかったらしい父は、よく出来た息子を見るような視線を向けて来る。
「そうだな。今は、この子をどうにかしてあげるべきだな」
 可哀想な女の子を外食を我慢してまで助けてあげようとするなんて、よくぞ正しい判断を下した。そんな父の身勝手な価値観に根差した褒め言葉が、頭に置かれた手から伝わって来るようだった。


 少女の耳が尖っている事に気づいても、両親が驚く事はなかった。もちろん僕も。
 親魔物派であるこの国では、魔物の姿を目にする事も珍しくはない。雨の中、家路を急ぐ者たちの中にも魔物はいた。
『まだ子供のサキュバスなのね』
 母はそう言って微笑った。
 家に着くと、父は急いで書斎に入って行った。この町の孤児院は明日にでも訪れるとして、近隣の町の孤児院にもサキュバスの子供が行方不明になっていないか問い合わせの手紙を書くらしい。
 確かに少女の身なりを考えると、何処かの家の子というより孤児院などから抜け出して来たと考える方が妥当だった。服がもはや服とは呼べない程ボロボロになるまで、捜索願ひとつ出さない親は少ないだろうし。
 母は大きなバスタオルを持って来ると、雫を滴らせている服を脱がせた少女を、それで包み込んだ。別の小さなタオルで髪も拭いてやっている。
 その間、僕はお湯を沸かしていた。火傷する程の温度になる前に少しだけ洗面器に移し、フェイスタオルを絞る。残りは、お茶を淹れるために再び火にかけた。
 それを母のところへ持って行くと、礼を言って受け取った彼女はソファに座らせた少女の顔を優しく拭き始めた。次いで、手、足と続ける。
「お風呂を沸かしているから、沸いたらこの子を入れてあげてね」
 悪意のない表情で言って来る母に、少しだけ不満を覚えた。なぜ僕が、と思ったのだ。
 しかし母は、このあと夕食の用意をしなければならず、父は書き物で忙しい。消去法で考えれば、採れる選択肢など一つだった。
「分かった」
 表面だけ見れば従順な態度に映ったのだろう。母は満足げに微笑み、僕の頭を撫でた。

 少女を風呂場へ連れて行く。
 僕はシャツの袖とズボンの裾を捲り上げ、彼女を浴室へ促した。
 少女は相変わらずタオルを身体に巻いたままで、それを取るのは抵抗があるようだった。まあ、見ず知らずの人間の前で裸を晒すのは誰だって嫌だろう。
 洗面器にお湯を汲み、そこに水を足して、ぬるま湯を作る。冷えきった少女の身体が驚かないように、末端から少しずつ温めていくためだ。
 全身が冷えきった状態でいきなり熱いお湯に入ると、血流だけが促進されて、末端で冷えた血液が一気に心臓に流れ込み、心臓が停止する危険がある。そういう記述を本で読んだ事があった。まあ、あれは、とある冒険家の雪山での遭難体験を本にしたものだったので、この少女には当て嵌まらないかも知れないが。
 それでも、慎重に扱ったところで問題はないだろう。そう思いながら、少女の手と足を洗面器に浸けさせた。浴室用の椅子に腰掛けた少女の前にしゃがみ込んで、彼女の手を握っていると、ふと視線を感じた。
 顔を上げてみると、少女がいつの間にか僕の顔を覗き込んでいる。けれど目が合うと、すぐに俯いてしまった。
「……何?」
 何か言いたい事でもあるのだろうかと思って訊いてみたが、少女は無言で首を振るだけだった。
「そう」
 ようやく血色が戻って来たところで少女の手足を洗面器から出させ、もう一度、今度は湯船の熱いお湯を汲む。
「お湯かけるから、タオル取って。恥ずかしいなら、前は隠してていいから」
 少女の後ろに回りながら言うが、鏡に映る彼女は相変わらず俯いたまま首を振った。
「んじゃ、頭からお湯かける」
 そう言って僕が洗面器を彼女の頭上へ持ち上げると、慌てたようにタオルから手を離して、その手で耳を押さえた。次いで、ギュッっと目を瞑る。
 当然、タオルが落ちる。ハラリ、と。
 それに気づいた少女は再び慌ててタオルを引っ張り上げ、けれどお湯が耳に入るのが嫌なのか耳を押さえようとし、またタオルが落ち、それを引き上げようとして耳がガラ空きになり――
「めんどくさい」
 それに付き合う義理などない僕は、容赦なく少女の頭からお湯をかけた。
「ぅ〜……」
 やはり少し熱かったのか、少女は小さく呻いていた。初めて聞いた彼女の声は、外見相応に幼い。
 お湯の勢いに押されて、タオルは完全に落ちてしまっていた。何故か鏡越しに少女が恨みがましい視線を向けて来るので、僕はそれを拾って彼女の膝の上に置いてやる。
 すると少女は、むしり取るようにタオルを奪うと、胸と股間を隠した。意外と気の強い性格なのかも知れない。
「背中は僕が洗うから、手が届くところは自分で洗って」
 少女が手にしているのとは別のタオルで石鹸を泡立て、なるべく優しく少女の背中を擦った。小さな羽も丁寧に。
「痛くない?」
 視線を鏡に向けると、少女が小さく頷くのが見えた。
 そのまま腰まで泡まみれにしてから、タオルを手渡す。次いでシャンプーを手に取ると、彼女が自分の身体を洗っている間に髪を洗ってやった。
 洗面器にお湯を汲み、
「目を閉じて耳を塞いでタオルを押さえてて」
 と無理な注文をつけ、少女が慌てふためいている間に再び頭からお湯をかける。全身の泡が流れ落ちるまで、何度も。
 殆ど水攻めの様相を呈している中、少女は鏡越しに僕を睨んでいた。泣きそうな表情をしているが、彼女の心情まで気遣う義理は僕にはない。風呂に入れてやれ、としか言われていないのだから。
 僕は構わず、絞ったタオルを彼女の頭に巻き、その長い髪をまとめてやる。
「湯船に浸かって百数えたら出ておいで」
 そう言って浴室を出ようとすると、小さな手に服の裾を引かれた。ついでに足首に、先端が三角形になった尻尾が巻きついている。
 訝しく思って首だけ振り向かせると、少女が気まずげに、遠慮がちな視線を送って来ていた。
「……名前…………」
 消え入りそうな声で言う。
「名前? 君の?」
「ちが――」
 反射的に何かを言おうとして、それから少女は思案げに目を伏せた。暫くしてからフルフルと首を振り、視線を戻す。
「……リオ」
 リオ。つまり、それが少女の名前なのだろう。
「リク」
 名乗られたから、というだけの理由で僕も名乗り返す。偶然とはいえ似た響きの名前だったからか、リオは目を丸くしていた。
「肩まで浸かって百、ね。上がったら身体と髪をよく拭いて。着替えは置いてあるけど下着はないから、あした母さんと一緒に買いに行って」
 それだけを言い残して、僕は風呂場を後にした。

 湯気を上げるリオがフラフラした足取りでやって来た時には、もう夕食の準備は出来ていた。彼女が着ているのは僕の服だが、サイズが大きいので袖や裾を折り返している。
 現れたリオを見て、両親は揃って驚いたような声を上げて見せた。
「おお、見違えたな」
「さっぱりしたら、こんなに可愛い子だったのね」
 笑顔の二人を前に、彼女は視線を彷徨わせる。照れているという訳ではないらしい。
 反応に困っているのか、お世辞だと思っているのか、それとも単に気を許していないだけか。
(三番目かな)
 父親の酒のツマミとして食卓に置かれているチーズに手を伸ばしながら、僕は適当に当たりをつけた。
 並んだ温かい料理を前にリオは戸惑っているようだったが、母親に促されると、おそるおそる手をつけた。さぞ飢えていたのだろうから勢いよく貪るかと思ったが、意外とそんな事もなく、小さく千切ったパンをチマチマと食べ、スープも音を立てる事はなかった。サラダに入っていた生のタマネギが辛かったのか、涙目にはなっていたが。
 食事を終え歯を磨かされたリオは、母親に連れられて、彼女が整えた客室へと連れて行かれた。
「リ――……」
 ゆっくりお休み、という父親の言葉が聞こえていたのかいないのか、出て行く時に彼女が僕の方を振り向いて何かを言いかけたような気がしたが、きっと気のせいだろう。
 それから僕も風呂に入り、少し勉強してから眠りについた。


 夜中になって、雨は更に勢いを増したらしい。
 窓に叩きつけられる雨音と風の哭く声、それから雷の音で、僕の意識は浮上させられた。
(……煩い)
 薄く目を開けカーテンを捲ってみると、絶えず雨水が窓を流れ落ちて行くのが見えた。そして時折、空が光る。台風でも来ているのかも知れない。
 諦めて溜息をつきながら窓に背を向けるように寝返りを打つと、そこで、ベッドの脇に白い人影がある事に気づいた。いつの間に入って来たのだろう。
「……何?」
 完全に目覚めていないせいでショボつく視界に捉えたリオにそう訊くと、彼女は数回、口を開けたり閉めたりする。言いたい事を上手く言葉に出来ないらしい。
「寝つけない?」
 助け船を出してみると、コク、と不安そうな表情で頷いた。確かにこれだけ煩いと、ようやく寝入ったとしても直ぐに叩き起こされる事になるのだろう。
 とはいえ、だからといってその不満を僕に言われても困るのだ。あいにく僕は、雨や雷を止める事など出来ない。
 リオは、ギュッっと両腕に力を籠める。ようやく視界がハッキリして来ると、彼女が何かを抱えているのが判った。
「……枕?」
 コクリ、と頷く。
「もしかして、ここで寝たいとか?」
 コクコク、と先程よりも勢いよく頷く。
「……」
 どうすれば『寝つけないからここで寝たい』という理屈になるのかを暫く考えてみるが、直前まで寝ていたせいで頭が回らない。というか、まだ眠い。考えるのが面倒くさい。
「……好きにすればいい」
 そろそろ限界だったので、スペースを空けるようにして仰向けになり、僕は再び眠りについた。何となく嬉々とした雰囲気で隣に潜り込んで来る少女の体温を感じながら。


 翌朝。
 そんな事があったのをすっかり忘れて目覚めた僕は、身体が動かない事に違和感を覚える。金縛りだろうかとも思ったが、全く動けない訳ではなかったので、そうではないのだろう。
 何とか謎の戒めを解こうとしながら寝返りを打つと、目の前に少女の寝顔がある事に気づいた。鼻の頭同士が少しだけ触れ、彼女の寝息が頬をくすぐる。
(……何で、こいつがここに……ていうか、原因こいつか)
 どうやら僕は、彼女にしがみつかれているらしい。
 拘束を解いて起き上がり、カーテンを開ける。外はスッキリと晴れ渡り、台風だったのかも知れない雷雨は通過したようだった。
「んぅ……」
 射し込む光が眩しかったのか、リオが小さく呻く。眉間にシワを寄せ、毛布の中に潜って行った。
 買い物は朝食を食べた後だろうから、まだ彼女を起こす必要はない。そう判断し、僕は彼女を跨いで床に下りると着替えを始める。身支度を整え終えてから部屋を出る前に振り返ってみると、ベッドの上でリオが身を起こしていた。
「ぁ……」
 毛布を被ったまま、目が合うと俯く。
「部屋に戻って、着替えておいで」
 僕が言うと、リオは目を擦りながら頷いた。

「あら、おはよう。一緒に起きて来るなんて、仲良しね」
 朝食の準備をしながら相変わらず僕を面倒見のいい出来た息子だと勘違いしている母に、僕は愛想もなく返事をする。リオは隣でペコリと頭を下げたが、声を発する事はしなかった。
「もうすぐ出来るから、ちょっとだけ待っててね?」
 そう言って母は、ホットミルクのカップを二つ食卓に置く。僕はリオを椅子に座らせてから、自分も席に着いてカップを傾けた。
 新聞を広げる父は、まだ眠そうだった。昨夜は遅くまで問い合わせの手紙を書いていたらしい。おそらく今日も書くのだろう。
 と、そこで僕は、少女の名前をまだ両親に伝えていなかった事を思い出した。
「リオっていうんだって」
「ん?」
「その子の名前」
 両親は驚いたように僕の方を見た。リオも、呼ばれたと勘違いしたのか僕を見ている。
「凄いじゃないか。いつの間に訊き出したんだ?」
 父は称えるように言い、母も、まるで兄妹みたいな名前ね、などと気楽な事を言っていた。
(……冗談じゃない)
 心の中で吐き捨てる。昨日だけで面倒は充分に味わった。
 正直、さっさと彼女の引き取り先を決めてほしいものである。何なら今日、孤児院の人間と面談させた際、そのまま置いて来てしまえばいいのに。
 朝食を終えると、母は出かける準備を始めた。
 洗い物を手伝っていた僕は手を拭いて、そのまま母とリオを見送ろうとしたのだが、何故かリオは僕の服の裾を握って離さない。準備を終えて戻って来た母は、それを見て口元を弛めた。
「あらあら。どうやら貴方も一緒に行かないと駄目みたいね」
「……」
 今日ほど学校が休みな事を残念に思った事はなかった。


 差し当たって買うべきは下着、という事らしい。同じ女である母が言うのだから、そういうものなのだろう。
 服屋の子供服を扱う区画を母の後について回りながら、僕は気づかれないように溜息をついた。なぜ自分が着る訳でもない服を選ぶのに、付き合わなければならないのだろう。
 答えは簡単。リオが僕の服を離さないからだ。
「ずいぶん懐かれたわねぇ。何があったのかしら?」
 憮然とする僕を見て、母は楽しそうに笑った。他人の不幸が、よほど嬉しいらしい。
 いいかげん我慢の限界に達しそうになった頃、ようやく僕は解放された。下着を選び終えた母が、今度はリオの服を選び始めたのだ。つまり彼女は、試着をする必要があるという事だ。
 母が、選んだ服と一緒にリオを試着室に押し込んだのを見計らって、僕はその場を後にした。勿論、外で待ってる、と断ってだ。
「やれやれ……」
 何だか子供らしくないと思いながらも、思わずそんな言葉が洩れてしまう。リオと一緒にいると、ビックリするほど疲れるのだ。
 適当にブラつきながら見るともなしに商品を眺めていると、
「あらー、どうしたの? ボク」
 通りかかった女性店員が声をかけて来た。愛想よさげな微笑を崩さないのは、流石のプロ根性だった。
「母が買い物を済ませるのを待っているんです」
「そうなの〜。じゃあ、それまで退屈ねぇ。よかったら、お姉さんたちとお話してる?」
 女性店員は上体を屈めながら、上機嫌で提案して来る。
 おそらく善意なのだろう。が、完全に余計なお世話だった。
「いえ、大丈夫です。他にも用事があるので、今のうちに済ませて来ます」
 そう言って僕は店を出た。後ろの方で女性店員が、同僚と共に「やーん、逃げられちゃったぁ」などと笑い合っている声が聞こえて来た。

 店の外に置いてあったベンチで何気なく空を見上げていると、暫くして母とリオが出て来た。いつの間にか随分と打ち解けたようで、言葉は少ないものの会話をしている。
「そう……リクが一緒に寝てくれたの。よかったわね」
 頭を撫でる母に、少しだけ嬉しそうに頷き返すリオ。どうやら僕にとっては、あまり愉快ではない話題のようだった。というか、ニヤニヤしながら僕を見る母親が不愉快極まりない。
 リオは早速、買った服に着替えていた。白いノースリーブに、フリルのついた黒いスカートとニーソックス。胸元には可愛らしいネクタイがあり、モノトーンの色合いと合わせて少しだけ大人っぽい印象だった。
 選んだのは、間違いなく母だろう。小さい子が頑張って大人っぽく背伸びをしているみたいで微笑ましい、とか、そういう理由で選んだに違いない。小さい頃に着せ替え人形扱いされた悪夢が甦る。
「次は孤児院だっけ?」
 ベンチから立ち上がり、リオが持っている小さな紙袋を手に取った。
「ぁ……ありがとう」
 戸惑うように彼女は礼を言うが、そもそも礼を言われる筋合いではないと思う。彼女が買った服を着ているという事は、この袋に入っているのは彼女に貸していた僕の服の筈なのだから。
「女の子の荷物を持ってあげるのは感心だけど、それリオちゃんの下着よ?」
 即座に突き返した。


 孤児院を訪れた僕たちは、職員の男性に応接用の部屋に通された。粗茶ですが、と言って出されたのは、本当に粗茶だろう。資金繰りに困っていない孤児院などない筈だ。
 リオに関する話を聞いた男性職員は、渋い顔で暫く考え込む。
「少なくとも、うちの子たちは誰もいなくなっていないと思いますが……」
「そうですか……」
 大人二人が難しい顔で話し込んでいる間、リオは僕の隣で、いじり過ぎて解けてしまったネクタイと悪戦苦闘していた。終いにはコブ結びになってしまい、助けを求めるように僕に視線を向けて来る。
 僕は軽くイラつきながら、ソーサーに置かれていたティースプーンの柄の方を結び目に差し込んで解いてやる。
「ほら、じっとして」
 リオの服の襟を立てて、解けたネクタイを首に回す。シュルシュルと布地が擦れる音と共に結ぶと、苦しくないように気をつけながら長さを調節した。
「自分で結べないんだから解くな」
 そう言って軽く叩くように頭に手を乗せると、リオは反省したような顔で、けれど少しだけ嬉しそうに頷いた。
 どうやら、あまり反省していないらしい。
「仲良しですね。兄妹みたいだ」
 悪意なく微笑ましげに言う男性に、僕は、ほんのりバイオレンスな気分になる。未だ冷めていないお茶を顔面に叩きつけてやろうか。
「お宅で引き取る事は出来ないのでしょうか……」
「はあ……私は、それでもいいと思っているんですが、夫が何と言うか」
 やんわりと提案する男性に、母は渋るような事を言う。とはいえ実際は、全く渋ってなどいない筈である。彼女は随分とリオを気に入っているようだから。
 ちなみに僕は、リオを引き取るのは断固反対である。父が何と言おうとも。
 母がリオを引き取ってもいいと言うのは、心情的なものだけでなく、もう一人養う経済的な余裕があるという現実を見据えた上での意見でもあるのだろう。だが彼女は経済的な部分にばかり目を向けていて、実際に引き取った場合に誰が一番#゙女と接する時間が長いのかを全く考えていないように思えた。
 答えは、僕である。朝早く夜遅い生活である以上、幾ら学校があるとはいえ一番リオと接する――言い方を変えるなら面倒を見る破目になるのは僕なのだ。
「とりあえず、いなくなった子がいるかどうかに関しては、女の子を担当している者を呼んで確認してみましょう」
「あら、男の子と女の子で分かれているんですか?」
「ええ。やはり男である私では、色々と至らない部分が出て来てしまいますからね。子供たちが大きくなれば、なるほど」
「ああ、そうですね……」
 納得したように言う母親に会釈してから立ち上がった男性は、部屋を出て行こうとして、ふと椅子の上で足をブラブラさせているリオに気づいて苦笑する。
「リオちゃんは退屈かな? よければ話が終わるまで、他のみんなと遊んでるかい?」
 話しかけられたリオは相手を見上げ、不思議そうに小首を傾げていたが、やがて首を振って否定の意を表すと僕の服を握る。
「リク君も一緒にどうだい?」
 今度は僕に矛先が向いた。とはいえ、ここで拒否したところで退屈なのは事実だ。それに、これ以上ここにいても何も進展はないように思えた。
 おそらくリオは、ここにいた子ではない。それは彼女が、目の前の男性に対して親しむような態度を見せていない事でも断言できるだろう。これ以上話をするのは、彼女をこの孤児院に押しつけようとしているように取られてしまうのではないだろうか。
 とはいえ、それらは僕が考える事ではない。差し当たって僕は、上手く言えないが空気が悪いような若干の不快感を覚えるこの部屋から出たかった。
 無言で僕が立ち上がると、リオも当然のように立ち上がった。
「本当に仲がいいね」
 ドアを開けながら言う男性を殴り倒す口実はないだろうか、と僕はバイオレンスな気分を増大させながら、彼の後に続いた。

 孤児院内を歩く。子供の声も聞こえて来るが、それらは遠い。
 おそらく、こちらは職員が事務的な目的で使う区画なのだろう。
 二、三歩前を歩く男性は何くれと話しかけて来るが、僕はそれらを適当に流していた。いいかげん彼の、子供が大好きで子供のために活動しています臭が鬱陶しくなって来たところだった。あと、僕の服を掴んで離さないリオも。
 なので一時的とはいえ緊急避難として、
「すみません。手洗いをお借りしていいですか?」
 と訊いてみる。
「ああ、構わないよ。そこの角を曲がった所にあるから。左が男の子用だよ」
「ありがとうございます」
 僕は、必要以上に丁寧に礼を言って頭を下げた。彼は、これが皮肉だと気づいただろうか。
「……流石について来ないよな?」
 半眼でリオに目をやると、彼女は渋々といった感じで手を離した。僕は振り返る事もせず、トイレへ避難した。

 実際に用も足したが、僕は暫くトイレの窓から外を眺めてボーっとしていた。何だか、この二日で随分と老け込んだ気がする。
 そんな子供らしくない感想を抱いてしまうこと自体が、この二日が僕に与えた悪影響の証左だろう。もう、本当に勘弁してほしい。
 それでも、ずっとトイレに籠もっている訳にもいかないので、重い腰を上げて僕は廊下へ戻った。が、そこには男性の姿もなければ、リオの姿もない。
 まあ何処かで遊ばせておいてくれるらしいので、心配はないだろう。そう考えながら、僕はゆっくりと応接室へと戻った。
 一応ノックの返事を待ってから、ドアを開ける。中には母と、先程の男性より十歳ほど年上と思しき女性が話をしていた。
「あら、リク。どうしたの? リオちゃんは?」
「さっきの人が何処かで遊ばせてるんじゃない?」
 投げやりに言って、僕は椅子に腰かける。
 元々はこの応接室の空気が悪いように感じたから外へ出たが、どうも空気が悪いのは応接室だけではなかったらしい。廊下も大差はなかった。トイレでスッキリして多少は気分転換も出来たが、何処にいても同じならここで大人しくしていようと思って戻って来たのだ。
 そのあと再開された話し合いで、やはり孤児院からいなくなった子はいないらしい事が判った。病気で亡くなった女の子が何人かいたそうだが、そちらに関しても共同墓地に埋葬されるところまで確認されているらしい。
「やっぱり、この町の子じゃないのかしらね……」
 頬に手を当てて、母が溜息をつく。思案げな表情だが、おそらく考えているのは、どうやってリオを引き取る事を夫――つまり父――に伝えるかだろう。どうやら僕の願いは叶いそうにない。反魔物側の人間――とりわけ教会の連中が謳う神などというものは、やはり存在しないのだ。するとしても無能だろう。
 コンコン、とドアがノックされた。リオが戻って来たのかと思ったが、女性職員の返事に次いでドアを開けたのは、見知らぬ少女だった。
「お母さん先生……お兄さん先生は何処に行ったの?」
 用件を訊いた女性職員に、少女は不安げな表情でそう言った。
「どういう事?」
「さっき、お兄さん先生が知らない女の子を連れてたの。新しく来た子だと思って『一緒に遊ぼう』って言ったら、お兄さん先生は『用事があるから』って笑って、その子を何処かに連れて行ったの」
 少女の言葉に訝しげな表情になる大人たちを他所に、僕は不意に、先程の不快感と同じものを以前にも感じた事があるのを思い出していた。
 あれは数年前、母親に着せ替え人形扱いされていた最中の事だ。悪ノリした母に女の子の格好をさせられた僕は、流石に頭にきて彼女の部屋を飛び出したのだ。
 そのとき家には父を訪ねて来た客がおり、僕が応接間にいる筈の父に母を注意するように頼みに行った時、父が席を外していたそこには客の男性が座っていただけだった。
 そのあと何があったのかを、僕はハッキリとは憶えていない。ただ、いつの間にか僕はその男に組み敷かれ、首筋に顔をうずめられていたのだ。今にして思えば、ロリコンという奴だったのだろう。
 恐怖と憎悪で我を忘れた僕は、その男の首というか肩に喰らいつき、その肉を食い千切ったらしい。悲鳴を聞いて駆けつけた両親が見たのは、傷口を押さえて床をのたうち回る男と、口元を血に染めて、子供とは思えない程に冷酷な表情でそれを見下ろす僕だったそうだ。
 確か、あの時も同じような不快な空気を感じていたのだ。
 チッと舌打ちをして、僕は立ち上がる。
「何処だ!?」
「えっ?」
 怯えたように身をすくませる少女に苛立ちながら、もう一度訊く。
「その二人は、どっちへ行った!?」
「う、裏の方。倉庫があって……」
 そこまで聞いて、僕は応接室を飛び出した。別にリオの身柄はどうでもいい。ただ僕の中には、あの時の憎悪が未だに燻っていた。
 廊下を走りながら、途中で見かけた掃除用具入れからT字のモップを取り出す。建物の構造が分からないので、手近な窓を開けて外へ出た。目指すは建物の裏だった。

 少女が言っていた倉庫というのは、すぐに見つかった。どちらかといえば物置といった感じで、あまり使われているようには見えない。
 そう、見えないだけだ。
 扉にはスライドさせた跡がある。
「間に合え――!」
 小声で呟きながら、勢いよく扉を開ける。が、そこには誰もいなかった。
「何処に……!?」
 いつの間にか、僕は焦っていた。何に焦っていたのかは分からないが。
 周囲を見回すと、少し離れた所に靴が片方だけ落ちていた。慌てて拾い上げてみる。
 靴の中に手を入れてみると、まだ少し温かかった。つまり少し前まで誰かが履いていた――言い方を変えるならリオの物である可能性が高いという事だ。
 孤児院の建物、倉庫、靴が落ちていた場所。その延長線上には、孤児院の裏手に広がる小さな林があった。
 少しだけ迷いながらも、僕は林へ駆け込んだ。どのみち、この先にリオがいなければもう間に合わないのだから、悩んでいても仕方ないのだ。
 それを賭けと言うなら、僕は賭けに勝ったのだろう。駆ける先にはへたり込んだリオと、にじり寄る男性職員の姿があった。
 僕は咄嗟に足元にあった石を拾い上げ、走りながらも狙いをつけ、投げつける。リオと男性の間に距離があったのは幸いだった。これなら間違ってもリオには当たらない。
 石は男性の背中に当たり、呻き声と共に彼は振り返る。全力疾走で勢いがつきすぎてしまったせいで、モップを振り上げる事は出来なかった。
 だから僕は、代わりに地面を蹴った。本当なら飛び蹴りでもかましたかったところだが、あいにく大人の顔の高さまで跳び上がる事など出来はしない。せめて一番硬いところ、と考え、相手の顔面に思い切り肘を打ち込んだ。
「ガッ!!」
 呻き声と共に仰け反る男性に構わず、僕はリオの腕を取って立ち上がらせると、後ろへ退がらせた。そして即座にモップを構え、殴りかかる。
 大人の男を相手に、待ちの戦法など使える訳がない。相手が体勢を整える前に、畳みかけるしかないのだ。
 勢いよく鼻血を垂れ流す顔を押さえた男の肩口に、モップを叩きつける。僕の中に、相手への容赦の気持ちはなかった。もっと言うなら、その命にすら興味はなかった。
 崩れ落ちる男に対し、モップを薙ぐ。ちょうど金属の部分が当たったらしく、男は腕を押さえて呻いた。
「ま――待て」
 何か言おうとする男に構わず、更に追撃する。ひっ、と喉を引き攣らせて座り込んだせいで、その攻撃は空を切った。だから、そのままの勢いでモップを振りかぶり、
「……」
 全力で振り下ろす。
「ぅわあああああ!!」
 男は悲鳴を上げながら頭を庇う。僕は、その腕ごと叩き折るくらいの気持ちで――
「やめてっ!!」
 聞こえて来た制止の声で、目測がずれた。振り下ろされたモップは男の足の間――図らずも股間ギリギリの地面を叩いた。
 頭上に手をかざしたままで、カチカチと歯を鳴らしながらそれを見る男に舌打ちしながら、僕はその顔面にモップの先端を突き込んだ。仰け反った男は恐怖が飽和でもしたのか、そのまま気を失ったようだった。
「もぅ……やめてよ……」
 リオは泣いていた。新しく買ってもらった服をボロボロにして。
 無理やり引っ張られたのかシャツのボタンは千切れ飛び、スカートのフリルも無残に垂れ下がっている。母親に整えてもらった髪や僕が結んでやったネクタイは乱れ、ニーソックスには穴が開いていた。
「リクは……そんな事しない」
 初めて名前を呼ばれたけれど、僕には言葉の意味が解らなかった。
「リクは優しいの! そんな怖い目してないの!!」
 癇癪を起したように叫びながらも、リオは僕から目を逸らさなかった。そのまま近づいて来ると、僕の身体に腕を回した。僕に縋りつくのではなく、まるで僕を守るように。
「もういいよ。もう大丈夫……だから、そんなに怒らないで。アタシは平気だから」
 そのまま、あやすように僕の背中をポンポンと軽く叩く。何だか物凄い勘違いをされているような気がするのだが。
「……」
 けれど、差し当たってムカつく奴は殴り倒したので、色々どうでもよくなって来ていた。
「リク! リオちゃん!」
 ようやく大人たちが駆けつけて来た。母と女性職員、それから警察騎士が二人。遅くなったのは彼らの手配をしていたかららしい。
 警察騎士はボロボロのリオの姿に驚いたようだったが、倒れている男を見て事情を察したようだった。その後の取り調べでも、幾つかの質問をされただけで解放された。
 結局リオは、また僕の服を着て帰る事になった。心なしか嬉しそうに見えたのは何故だろう。実はスカートが嫌いだったのだろうか。


 一連の話を聞いた父は義憤に駆られたように顔を赤くし、リオは自分達が守らなければならない、みたいな決意を固めてしまったらしい。
 結局、彼女はうちに引き取られる事になり、僕の願いは叶わなかった。神を八つ裂きにしたい気分の僕を他所に、家の中には和やかな空気が漂っている。
「……助けてくれて、ありがと。その……これからよろしく、ね? ええと……お、お兄ちゃん……」
 リオが僕を名前で呼んだのは、あの時だけだった。うちで引き取る事を伝えると、彼女はぎこちない態度で僕の手を握り、赤い顔と上目遣いでそう言った。
「お前もお兄ちゃんになったんだから、しっかり守ってやるんだぞ?」
 蚊帳の外だった父は、そんな知った風な口を利きながら、僕の頭に手を置いた。それは僕にしてみれば、リオの面倒はお前が見ろ、という宣言に他ならない。

 それから一週間。リオも随分と、うちでの生活に慣れて来たようだった。
 父が出した手紙には全て、心当たりはない、という旨の返事が届いたが、彼女を引き取る事を決めていた両親にとっては最早どうでもいいようだった。
 結局リオが何処から来たのかは分からず終いだった。
 余談だが、実は孤児院の院長だったらしい男性職員は服役する事となり、代わりに院長の職に就いたのは、子や孫と離れて暮らす老夫婦らしい。孫が沢山できたようだと喜んでいるらしいが、僕にはどうでもいい事だった。
 朝食を食べ終えた僕は歯を磨き、学校へ行く準備を整える。
「行って来ます」
 そう言って玄関を出、門まで来たところで溜息をついた。
「いい加減、離せ」
 背後――相変わらず僕の服の裾を掴む癖が抜けないリオの手を、ゆっくりと外す。
「……早く帰って来てね?」
 まるで独りぼっちにされるかのような言葉だが、家には母もいる。年齢的には学校へ通えるリオだが知識が足りておらず、必要な事を彼女が覚えるまでは、母は家で仕事をする事にしたのだった。といっても、勉強を教えるのは僕なのだが。
「お兄ちゃん、アタシを捨てないで!!」
 歩き出して暫くすると、僕の背中にそんな声が投げかけられた。
「往来で妙な事を叫ぶな!」
 思わず振り返って叫び返すと、リオは悪戯に成功したような、達成感の滲む笑みを浮かべる。うちでの生活に慣れすぎて、少し調子に乗っているらしい。
(帰ったらシメる)
 そう決意して僕は歩みを再開した。清々しい朝なのに、洩れる溜息は重い。
 一週間の始まりに、いきなり疲れた気分で僕はトボトボと学校へ向かった。
10/12/22 19:08更新 / azure
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■作者メッセージ
 そんな訳で、誰得な続編(?)開始。
 何で一番人気のない作品の続編を書くのかと訊かれれば、思いついちゃったからとしか言えませんw 本当に行き当たりばったりです。
 細かい設定は考えず、書きながら色んな事を決めていったのですが、その結果、兄弟そろってロリコンさんの被害者にw すまん、二人共。特にリク。
 結果的に彼は男嫌い――というか年上の男性に無条件に警戒心が働くようになってしまった訳です。恐怖心も実は払拭できておらず、男性職員を滅多打ちにした時の憎悪も、その裏返しです。
 で、そう考えると、将来的に彼が百合っ娘しかいない村に住んでいる事に説明がついてしまったりして、私自身ビックリです。本当は別の理由を考えていたんですけど……まあ、理由が複数あっても別に困らないんで、いいんですけどね。

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