連載小説
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第3部 (最終章)
――二兎を追うものは二兎を得ず
――でも。追わなきゃ二兎は手に入らない




 森に鳴り響く剣戟の音。それを鳴らすは、一振りの巨大な剣と、その他の数限り無き剣。
 アルは、左から突き出される曲刀を身をかがめて躱す。そのまま体重移動を利用して、自らよりも重い剣を振りぬいた。
 振りまわされた剣の刃ではなく、峰にぶち当たった相手――リザードマンは、そのまま森の梢に消えてゆく。とても片手で振ったとは思えない威力だ。
 相手は鎧を着こんでいたが、アルが与えたのは斬撃ではなく、打撃。鎧を着ていれば死ぬことはないだろうが、斬撃と違ってしばらく動けないくらいのダメージは入る。
 それを裏付けるように、すでに少し離れた場所では、気絶したリザードマンと、その武器が転がっている。持ち主を失った剣たちは、恨めしそうにその刀身に光を纏わせていた。
 しかし、今のアルに退場した者の行方を確かめる余裕などない。それが敵ならばなおさらだ。
 前方から打ち下ろされる剣を、アルは右に一歩ずれて避ける。それと同時に後ろからすくい上げるように振るわれた剣も避ける。

「――ッ!」

 前方の敵を剣の峰で。背後の敵を裏拳で。それぞれ打つ。重たい剣の峰と、鉄が仕込まれたガントレットでの一撃。トリッキーなその攻撃に、敵は咄嗟に反応できなかった。
 アルは、その感触を味わう頃には体を捌き、敵の攻撃を回避する。読み通り、一瞬前までアルが居た場所を槍が薙ぎ、魔法によって顕現した光の矢が突き刺さる。
 それに恐れも抱かず、アルは剣を振るう。その度、敵が戦闘不能になってゆく。

「全軍撤退!一度後ろに退き、私の指示を待て!!」

 アルが打ち倒した敵の数が20を数えた時、そんな声が森に響く。声からして女性だろう。
 同時に、アルを取り囲んでいた敵兵たちが、統率の取れた動きで後ろに下がる。動けなくなった者も回収し、瞬く間に辺りにはアルだけになった。
 しかし、それとは逆にアルの前に進み出てきた人影があった。全身を金属製の鎧で覆い、顔すらも鋼色の兜で覆った騎士。先ほどの声の主だろう。

「………指揮官自ら戦場へ……か」

「これ以上、部下に犠牲が出るのは好ましくないのでな」

 短い言葉のやり取り。
 お互いに相手の実力はわかっているのだろう。アルも大剣を背中に乗せるような独特のポーズで構え、それに対する女騎士も腰の剣を抜いて正眼に構える。
 膠着は一瞬、隙を探り合う無意味さを端から知っているものの動きで、2人は飛び出す。
 消えたような速度で動く女騎士に対し、アルは飛び出した速度のまま体を捻る。その交錯点で一瞬煌めいた銀光が互いにぶつかり、火花を散らした。
 しかし、2人はそこで動きを止めない。二度、三度と剣をぶつけ合い、四度目剣を交わした瞬間、互いにバックステップで距離を取った。
 敵との間に距離を開け、再び奇妙な構えを取るアルは、相手に話しかける。

「アンタ、いい指揮官だな」

 それに対し、細身の剣を片手で構える女騎士も、兜の奥からくぐもった声で返す。その声に怯えや恐怖は全く無く、あくまで平坦な声音だった。

「ふっ、褒めても何も出んぞ?」

 それは、戦場で交わされるべき会話ではなかった。だが、その話し手たちはまるで道で会った友人と話すような気軽さで言葉を紡ぐ。

「剣の方も大した腕だ。俺は、出来ればアンタを殺したくないね」

「奇遇だな、私もだ。出来ればお前のような腕の立つ男は殺したくない」

 今会ったばかりの、しかも敵味方に分かれた2人を結び付けるのは、剣の腕。それひとつだった。
 まるで旧知の間柄のような会話も、その絆と呼べるのかすらあやしい共通点によってのみ語られる。
 だが、それで十分。

「でも、俺たちはぶつかる」

「なぜなら我々には、守りたいものがあるから――」

 2人の剣士は、同じ想いで戦場に臨む。
 守りたいものを守る、ただその一心で。

「………フッ、守るために戦う。おかしな話だ」

「……全くだ。だが――」

 互いにとっくに気が付いている。これは、自らの全てを賭けた、信念の戦い――


「アンタ(お前)も、俺(私)と同じ。だから――」


 ――衝突する。




 広がるは蒼穹の空。行く手を阻むような雲も、抵抗の強い逆風もない。
 そんな空を切り裂くように飛ぶ、3つの影があった。

「………イリアさん」

 最後尾を飛ぶ、純白のワンピースを纏ったアリサが口を開く。漆黒の翼が彼女のワンピースの大きく開いた背中部分から飛び出し、白い肌とのコントラストを生みながら空気を叩く。
 本来なら、声など届かないような速度で飛んでいるのだが、その声は問題なくイリアの耳に届いた。

「…なぁに?アリサちゃん」

 ナターシアの住む山からしばらく飛んできた。大分アリサも慣れてきたとはいえ、長時間の飛行はやはり相当の負荷だ。しかし、イリアはそんな内心を押し殺し、平静を装って返答する。
 しかし、振り向いた際にちらりと目に入ったアリサの顔は、相応の疲労が刻まれていた。
 だが彼女も分かっているのだろう。今、どこへ向かっているのか。ならば、イリアに出来ることは少ない。
 その、彼女に出来る数少ないことの内のひとつが、アリサの話を聞くことだ。

「あの時の、問い………。まだ、答えてませんでしたけど………。私は……私は、アルを信じることにします」

 真っ白な少女が紡いだ言葉は、決して風圧で途切れたものではない。
 それは、彼女の真っ赤な双眸に浮かぶ明確な狂気の色が否定する。言葉を途切れさせたのは、堪え切れない、想い。

「………それは、あなたの中で、答えが出たということ?」

 そう問うイリアにしても、言葉にならない想いの存在は感じている。彼女が出した答えが、それに類するものであることも。
 だからこそ、問わずにはいられなかった。

「……アイツが負けるなど、有り得ん。この私を倒した男だぞ」

 イリアの横から、突如として憮然とした声が響く。傲慢ともとれるそのセリフは、しかし彼女からすれば当然なのだろう。
 なぜなら、彼女は地上の支配者、天空の女王。巨大な翼と天を貫く角を持つ、ドラゴンと呼ばれる種族なのだから。
 突如として発せられたナターシアの声に、思わずアリサはくすりと笑う。

「……ええ。ナターシアさん」

 アルは負けない。
 アリサは、その確信を心に刻んだ。




 ガキィイィィィン………

 激しくぶつかり合った二つの刃は、相応の反動をそれぞれの持ち主に返し、激しく火花を散らした。
 アルは相変わらず肩に剣を乗せる奇妙な構えで、変幻自在な動きで切りかかってくる女騎士の剣先を全て弾く。そのため、アルは殆ど動かずに防御に徹しているように見える。しかし、それは誤りだ。
 今もまた、下段から襲いかかってきた剣を右に一歩ずれることでかわしたアルは、肩に乗せた剣を落とすようにして斬撃を放つ。それは無造作で、まるで初めて剣を持った初心者のような攻撃だったが、その斬撃を避けるため、女騎士は次の攻撃を断念せざるを得なかった。
 彼らしくない、防御の剣。先ほどまでの苛烈なまでに攻撃に攻撃を上乗せするような剣技は鳴りをひそめ、相手の出方を窺うような剣を振るう。
 それが解っているがゆえ、女騎士も大技を繰り出せない。決定打の欠けた戦いが続く。
 その後も、アルは自らの立ち位置を殆ど変えず、打ち合いを繰り返す。
 そんな戦況に業を煮やしたのか、女騎士が今までよりも数段苛烈な、まるで魔法のように打ちだされる連撃を放った。その自慢の俊足を生かし、常にアルの死角に回るように移動しながらの連撃。
 しかしそれを、アルは背中に目が付いているかのような動きで、やすやすと回避してのける。そして今回も、女騎士の行く手を阻むように振るわれた大剣に、彼女は攻撃の中断を迫られる。

「――読めた」

 小さな呟き。それは彼のものか、彼女のものか。ガインと金属音を立てて、2人は距離を開ける。――いや、アルが相手を引き離す。
 その直後、アルの構えが変化した。肩に乗せていた剣を、地面に落とす。とがった剣先が、軽く地面を穿つ。
 剣を地面に投げ出したような構え。あまりに無防備なその構えには、元から防御など想定されていないように見える。
 瞬間、アルが消えた。剣を引きずり、恐ろしいまでのスピードで相手に向かって突進したのだ。今まで、あまり自分から攻撃を仕掛けなかったアルが、ついに重突進を開始する。
 音は、一度しか聞こえなかった。全ての足音が同時に聞こえるほどの速度。ダァン!! と空気を振動させた衝撃波は、それだけで草花をなぎ払う。

「       」

 驚異的な速度で迫る斬撃が、女騎士を襲う。
 咄嗟に初撃を剣で受け、そのあまりの重さに驚愕しながら後ろに跳ぶ。だが、その行動と完全に連動した動きでアルは追撃を行った。
 追撃は体重を乗せた上段切り。それを、再び剣で受ける。
 彼女が咄嗟に防御できたのは、ほぼ僥倖と言っていい。先ほど受けた攻撃の余韻で、たまたま腕が上がっていただけだ。

「降参しろ。軍を引けば追ったりしない」

「それは、出来ない相談だ………!!」

 そう叫びつつ、強いしびれの残る腕を振り上げる。元より、こんな状態で放った攻撃が当たるとは思っていない。これは、ただの悪あがきだ。
 案の定、よろよろと振るわれた剣は虚しく宙を切る。そして、その隙を見逃すほどアルは甘くはなかった。とっくに攻撃の準備を終わらせていたアルは、その大剣を横なぎに振るう。
 風すらも切り裂き、その驚異的な速度は剣腹を銀光と変える。

 ギィィン!!

 金属の断ち切られる音。その無情な響きと共に、断たれた半分が地面に落ちる。草むらに落ちたそれは、無念の光を湛えたまま、二度と動かない。
 女騎士は、半ばから断たれた自らの剣を呆然と見つめ、立ち尽くした。その首元に、剣が突き付けられる。
 彼女の目の前、片手で巨大な剣を支えるアルは、静かに口を開く。

「降参してくれ」

 自らの完敗。そう分かっているからこそ、彼女は動けない。後ろには大数の兵士が待機しているが、相手はこの戦士だ。勝てたとて、多数の犠牲が出るだろう。それこそ、次の攻城には耐えられぬほどには。
 そんな彼女の内心を知ってか知らずか、アルの構える剣はピクリとも揺れない。正確に首をとらえ続ける。
 そんな状態のまま、少しばかりの時間が流れた。
 と、そこに、高い音律の、歌うような声が聞こえてきた。
 聞く者の心を奪うような、美しい女声のしらべ。どこの言語でもない、魔力を乗せたそれは、紛れもなく魔術のスペル。

「――ッ!! これはっ!!」

 それに気が付いたアルは、瞬間的に後方に跳ぶ。驚異的な反応速度だが、魔術の発動の方が一歩、早かった。
 未だ宙に浮くアルの体を、青白い立体魔法陣が包み込む。次の瞬間、輝く光の柱のように突き立った光条が、何もかも飲み込む勢いで全てを白に染めていった。
 
 


 行く手に広がる森に、突如として激しい光を放つ極光の柱が上がった。
 その異常な光景に、アリサ達は一旦飛行をやめて空中でホバリングする。

「なっ…………」

 アリサは、あまりのエネルギーに遠く離れているというのに髪が後ろになびくのを感じた。見れば、隣に浮かぶイリアは、険しい顔でその光の柱を睨みつけている。
 意識しての言葉ではなかったのだろう。だが、森の中心にぽっかりと大穴を開け、直撃を受けなかった周囲すらごっそりとえぐり取った光の柱は、魔術に詳しくないアリサでも異常な威力だと分かる。その道の専門家であるイリアが思わず絶句するのも無理はない話といえた。
 それはナターシアも同じだったのか、鋭い目を見開いて爆心地を見つめている。
 やがて、苦虫をかみつぶしたような顔をしたイリアが、森から目を放さずに言う。

「どうやら、敵は思った以上に強力らしいわ。流石に禁呪をポンポン使ってくるようなことは無いでしょうけど」

 その言葉に、アリサはハッとする。
 今しがた吹き飛んだ森は、ナンブ砦のすぐ目の前。つまり、アル達の戦いの舞台なのだ。
 苦い顔をしながら、ナターシアが森の穴を見つめて言った。

「戦いの音が2人分………。どうやら、教会の腰ぬけ共はさっさと巣に逃げ帰ったらしいな」

「2人分………」

「このような戦いでは、金で雇った傭兵を最後尾に付け、自分たちはさっさと逃げるというのが教会のやり方だ。恐らくアルは、この戦いに傭兵として参加しているはず……
 それに、アイツの性格上、戦いから逃げ出すとは思えん。恐らく、今戦っているのがアルだ」

 ナターシアは、冷静に眼下の出来事を分析する。
 その分析が正しければ、アルは今、絶望的状況に置かれていることになる。一対多数。しかも、相手側には複数の魔術師。それは、想像以上に不利な状況だ。
 ひやりと、アリサの心に、冷たい死神の手が触れたような感触が広がる。

「――急ぐぞ!!」

 そう叫び、森へと急降下を開始したナターシアに続き、アリサとイリアはぽっかりと口を開けた森の中へ、全速力で突っ込んでいくのだった。




「………なんでここに来た。“死神”」

「……お前が危なっかしい目をしてたからな」

 全身傷だらけ、防具もボロボロになった状態でうずくまるアルを庇うように、既に抜かれた状態の刀身まで真っ黒なカタナを構えたエソラは答える。その隣には、エソラと同じコートを着た、小柄な少女も剣を構えて戦闘体勢に入っている。
 彼女の持つ剣は、エソラのものとは違いそこらで拾ったもので、しかしそれでも誰かを殺すには十分な武器だった。
 
「こいつら、全部切っちゃっていいの?」

「……殺さない方がいい。死に物狂いでかかってこられると厄介だ」

「了解ー」

 既に彼女らは囲まれており、先ほどまでアルと死闘を演じた指揮官の姿はもうない。先ほどの柱に飲まれたか、今エソラ達を追い詰める兵士たちに運ばれたか、どちらかだろう。恐らくは後者。
 アルも、エソラが咄嗟にシールドを張らなければ確実に死んでいたはずだ。むしろ、咄嗟に張っただけの魔盾であそこまで防げたのが意外なほどだ。
 そのアルは、無残にも刀身が木端微塵に砕け散ったかつての愛剣の柄を握り、傷をかばってうずくまっていた。その体のあちこちから煙が上がり、彼が受けたダメージの大きさを物語る。

「……逃げろ。“死神” 次アレが来たら、もう助からないぞ」

 アレ、とは先ほどの光の柱を指すのだろう。確かに、あの大規模魔法を防ぎきるシールドは、エソラでは張れない。だが。
 全身に立ち上がれないほどのダメージを貰い、なおもそんなことを言うアルに、エソラは後ろを向くことなく答える。

「嫌だね、“狂戦士”」

 それを合図にした訳ではないだろうが、エソラ達を囲んでいたゴブリンやオーク、リザードマンといった種族の兵士が、一斉に斬りかかってきた。それと同期するように、あちこちで詠唱の音語が紡がれる。
 エソラは避けない。刀で流し、受け、切り返す。
 手や武器といった、致命傷にならない位置を的確に斬りつける。ある英雄の持ち物だった魔剣は、やすやすと敵の剣を切り裂いた。
 隣では、黒いコートに茶色い短髪の小柄な少女――エイミが、力任せに敵に剣を叩きつける。何の変哲もない量産品では、敵の鎧は切り裂けない。が、剣の振られる速度が尋常ではないのだ。結果、叩きつけられた相手は遠くまで打ち飛ばされる。
 
「気合いが入ってないよー!」

 2人目の兵士をどこか遠くに打ち飛ばしながら、そう叫んだ声がエソラにも聞こえてきた。
 その声を聞きながら、私的な戦いに巻き込んでしまった彼女に、エソラは少し申し訳なくなる。
 彼女にそう言ったとて、別に気にしていないと言うだろうが。
 そう心の内で考えている最中も、正面から斬りかかってきたゴブリンの斧を根元から断ち切り、体を捻って横合いから突き出された槍をかわしつつゴブリンに回し蹴りを喰らわせる。不意に飛んできた火球をカタナで切り裂き、雷撃を素早くかわす。
 しかし、倒しても倒しても敵の数は減らない。そろそろ撤退すら危うくなるかもしれない。
 アルが回復し次第、即座に撤退するつもりだったが、敵は何をそんなに拘っているのか、撤退すら許してくれないらしい。
 
「進め進め!敵は2人だ!!奴らさえ倒せば獲物はこちらの物だぞ!!」

 敵の集団の中から、隊長クラスと思しき兵士の声が上がる。あいにく位置までは割り出せなかったが、敵の目的を推察するには十分だった。
 つまり、アルを手に入れたいわけである。敵の攻撃が苛烈になる理由もよくわかった。

 一方、エイミも劣勢に立たされていた。
 自らに振り下ろされる剣を、その細い腕から繰り出されたとは思えない剛剣によって砕き、それに驚いた敵を蹴り飛ばす。が、注意がおろそかになった左から、気合いと共に突き出された槍に、脇腹をザクリと突かれる。

「くっ………」

 敵の数が増している。必然的にエイミが受け持つ敵の数も多くなり、どうしても攻撃を受けてしまう。今も、どこかに隠れているのだろう敵の魔術師から放たれた火球が肩をかすめて飛んでゆき、エイミを焼いた。
 エイミは人間ではない。偽りの命を遺骸に宿す、動く死者だ。それでも、攻撃を受け続ければやがては果てる。しかも、もはや撤退すら不可能。
 その時。2人に、上空から福音が降り注いだ。




「どけぇぇえええぇぇえええええ!!!」

 飛行の速度に、自由落下による速度を上乗せした、ドロップキック。
 戦闘がおこなわれる地帯に、何のためらいもなく突貫したナターシアは、先制攻撃としてそれを放った。ナターシアの着陸(着弾)した所から、爆音と共に地面が吹き飛ぶ。それに敵の兵士もなすすべく巻き込まれ、吹き飛ばされる。
 先ほどの禁呪により吹き飛び、土色の肌を露わにしていた地面は、彼女の攻撃で再びかき混ぜられる。

「ああ、もう。ぐちゃぐちゃ」

 激しく砂埃が舞う戦闘地帯で腰に手を当て仁王立つナターシアの横に、今にもため息をつきそうな顔をしたイリアが翼をはためかせながらゆっくり下りてくる。その両手にはすでに魔力の光が満ちており、臨戦態勢が整っていることがうかがえる。
 アリサはイリア達とは少し離れた場所に、静かに降り立った。足が地面に着くと同時にアルに向かって駆け出す。角や翼を隠す余裕もなく、悪魔としての正体をさらけ出したまま。
 ナターシアの強襲によって、場は一瞬、膠着する。その隙を見逃さず、動きを止めた敵兵へと彼女らは猛然と攻撃を仕掛けた。
 イリアは両手に纏わせた魔光を操り、次々と魔法陣を展開してゆく。光り輝く円陣から放たれる暗い輝きを受け、森の奥、後方に待機していた敵の魔法使い達は次々と撃破されていった。
 その間、ナターシアは単騎敵に突っ込み、前衛を撹乱する。頭上を通り抜けるイリアの魔法を視界の端で捕えながら、左の腕で敵をなぎ払い、強靭な尾を叩きつける。そのあまりの猛攻に、ナターシアの居る空間だけぽっかりと穴を開けたように敵が近寄れない。
 突如現れた勢力。それに困惑しつつも、エソラとエイミも攻撃を再開する。2人だけでは圧され気味だった攻防も、ナターシアとイリアが参戦したことで形勢を逆転させた。

「アル!大丈夫ですか!?」

 戦闘からほんの少し、離れた場所。すぐ目の前ではエソラがカタナを振るい、斬りかかってきたオークを返り討ちにしている。もはや、敵の援護魔法は飛んでこない。動きの幅は、格段に広がった。
 戦闘など経験したことのないアリサは、傷ついたアルに駆け寄ることしかできない。膝をつき、傷を押さえるアルへと。

「……アリサ…か?」

 痛みに細められていたアルの瞳が、アリサの顔を捉えた瞬間、少しだけ見開かれる。その視線は、翼や角といった異形に向けられた後、アリサの顔へと戻る。
 そして、痛みをこらえて立ちあがる。ゆっくりと、ぎこちない動きで立ちあがるアルを、アリサは何も言えず見守った。
 アルは立ったまま黙って戦闘を見つめる。きつく食いしばられた口元は、言葉にならない激情を押し殺しているようにも見えた。




 その後、戦闘はすぐに終結した。
 どれだけ数が居ようと、ここは狭い森の中。一度に戦える人数はおのずと限られてくる。いたずらに被害を出すよりは、と撤退したのだろう。ここよりも砦の方がはるかに戦いやすい上、砦の防衛という当初の目的は達したのだから。
 エソラは戦闘終了後すぐにどこかへ去って行った。一緒にいた小柄な少女と共に。去り際にも何も言葉を残さず、彼女らしいといえば彼女らしい去り際なのかもしれない。
 よって、今戦闘跡地となった森に居るのは、アル、アリサ、イリア、ナターシアの4人だ。

「アル…………」

 イリアとナターシアが見守る中、アリサはアルに声をかけた。結局、戦闘を見つめるアルにあの後声をかけることができなかったアリサは、今改めて声をかけたのだ。
 
「………」

 声をかけられたアルは、緩慢な動作で足元の剣を拾い、アリサに向ける。戦塵にまみれた鈍色の剣は、光を反射することもなくアリサの喉元に突きつけられる。
 アリサは首に刃先を感じ、動きを止める。漆黒の翼が、アリサの感情を読んだかのようにばさりとはためいた。

「――!!」

 それを見たイリアとナターシアが一瞬身構えるが、行動を起こす前にアルが口を開いた。ボロボロになりつつ、決して軽くはない剣をピクリとも動かさずにアルは言う。

「……アリサ。君がもし、心まで魔物になったというのなら。俺は君をここで斬る」

 揺らがない剣先、揺らがない視線。彼は、それを問うためだけに、自らの責任を取るためだけにこんなところまで来たというのだろうか。
 アリサは息を飲む。が、アルの目を見て気が付いた。
 アルの灰色の瞳の奥には、狂気と呼べるほどの慕情がこもっている。この少年は、今でも自らの力でアリサを助けられなかったことを後悔しているのだろう。

「……俺は、君が誰かを傷つけるのなら。俺以外の誰かを狂わせるのなら。君を、斬る」

 その言葉は、アリサの心の一番脆いところを傷つける。

 ――君に助けてもらったら、いつか私は取り返しのつかないことをする。
 ――だから私は死ぬことにしたよ。

 彼女の、あの、言葉は。最後の言葉は。
 こういう、ことだったのか。
 だとしたら、あそこで死ぬべきは私だったのではないかと、そうアリサは思った。
 死ぬのは怖いと、そう言いながら、見知らぬ誰かのために自らの命を差し出した少女。彼女は、どこまでも気高い聖女だった。

「私は………。もうすでに、人では、ないのですね………」

「…………」

 これは、会話ではなく、独白。
 しかし、彼らは神にこれまでの行いを懺悔するのではない。自らの想い人に、自らの価値を、問う。
 気が狂うほどの愛情の中の、最後の一線。これまでの行いに、裁きを下す時間。
 自分は正しかったのか。そして、君は正しかったのか。
 それを測る物差しはないけれど。いままでの足跡が、ほら、くっきり残ってるよ。

「……いや。これはそんな崇高な行為じゃない…。
 君が、俺だけを見てくれるのか、それが、分からないだけだ………」

「…アル………」

 イリアやナターシアも、いざというときはもちろん止めに入るつもりだ。だが、今はこの緊迫した空気に飲まれ、身動き一つできない。
 アリサは、その赤い瞳に、透明なしずくを一粒、浮かべる。
 シリカ………。あなたの決断は、あまりにも正解で。私には、まぶしすぎるよ。

「もちろんです………」

 アリサは、アルに向かって飛び込むように抱きつく。危うく剣突がその細い首に突き刺さりそうになるが、アルもまた剣を手放し、アリサを迎えるように抱きしめる。
 アルの胸に顔をうずめ、アリサはしばらく泣き続けた。




「はぁ、ここが………」

「“自由の街”か………」

 街を覆う、巨大な石造りの城壁を抜けると、そこには活気に溢れる街だった。
 石畳というにはあまりにも平坦な、様々な色の石が敷き詰められた通りは、多くの人や魔物が集まり、買い物や雑談に興じている。
 街の奥の方には巨大な塔や山が見え、西側からはほんの少しだか磯の香りが漂ってくる。

「――ようこそ、“自由の街”へ」

 街の様子をぼーっと眺めていた2人に、後ろから声がかかる。
 はっと振り向いた2人の視界に入るのは、巨大な翼と強靭な尾、深い藍色の髪をかきわけるようにして天を向く角。その、見る者を畏怖させるに十分な容姿は、しかし、彼女の温和な表情を浮かべる顔によって威厳を失っている。
 ナターシアとは違い、無意識の殺気も感じられない優しげな瞳は、まっすぐ2人を見つめている。

「私はエリアス。この街に住みたいのなら、ひとつだけ覚えておくといいよ」

「ひとつだけ?心得みたいなものか?」

「うん。この街の法はひとつだけ。それは―――」
 
11/01/23 11:46更新 /
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■作者メッセージ
どうも、湖です。

カレイドスコープ、完結です。
ここまで来られたのは、読者の皆様のおかげです。ありがとうございました。
ひたすらに稚拙な文章ですが、この作品に付き合ってくださった方と、健康クロス様にはどれだけ感謝しても足りません。

さて。
「Lost」や「We can walk to tomorrow」、「リバティ」も読んでくださった方には正体が分かるキャラが出てきていますね。
特に一番最後の文である、エリアスのセリフ。
何が続くのか、「リバティ」を読んでくださった方にはばっちり分かると思います。なんなら紹介文だけでも分かります。

この作品はここでおしまいですが、おそらく別の小説でこのキャラたちが出てくることもあると思います。もしかしたら後日談を書いてしまうかもしれません。その時、縁がありましたらまたお会いしましょう。

では、この作品を読んでくださった皆様に、無限大の感謝を。

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