連載小説
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1.Kiss me
人は清く正しくあれ。
教会が掲げて唱えるこの言葉は、シュプレヒコールとなって広く浸透している。
人は清く正しくあれ。勤勉で誠実な、正しい行いを。
正しきものには慈悲を、悪しき者には制裁を。
魔物娘と隔絶された教会では、鉄の教えとなって信者たちに教えられている。

「あー。もっと先かな?」

広い草原を、一人の男が歩いている。
地図を見ながらゆっくりと進み、緑に茂った草に覆われた道に影が射し、煉瓦の壁に背を預け、歩いていた男は空を仰ぎながら地平線を眺める。

「いや、反対だったかな?」

優柔不断を思わせる言葉をしり目に、楽しそうな表情を作りながら地図を見つめている。
水筒を取りだし、水を頭から掛ける。
服が濡れるのもお構いなしで、小さく唸っている。

「んー、そろそろ町か村でもあっていいんだがなぁ」

水筒をカバンにしまい、一枚の紙を取りだす。

『これを見る頃は一休みが出来る頃だろう。
なに、手紙でもややこしく言うつもりはない。
私の伝えたいことは一つだけだから許してほしい。

       結婚します。          

君も早く腰を落ち着けたらどうだ?
               リンドより』

手紙を読み終えた男はしばし固まっている。
草原に吹く風は心地よく、男の服をなびかせて。

「いや、その、うん。まぁいいか」

手紙をくしゃくしゃと丸めてカバンに放り込むと、身体の骨を鳴らし始めた。
ストレッチをするように四肢を伸ばし、筋肉の緊張を落としている。

最寄りの町まで徒歩で半日。
親魔物領ではあるが、男の独り歩きは危険極まりない。嫁を探している、ということであれば別の話ではあるが、男の匂いに敏感な未婚の彼女たちであればすぐに見つけ出してしまう。

「ちょっと走りますか」

そう一言つぶやいた男は、風を切るように走りだした。
突然走りだしたためか荷物のいくつかはこぼれてしまっているが、男は気にしていないようだ。

               *

━━鍛えよ筋肉 筋肉とは流した汗に比例するのだ。

額から汗を落としながら、男はふいにこの言葉を思い出した。

(いや、絶対違うような……)

たどり着いた町のベンチに座り、一人考え込む。
正しい言葉を思い出そうとしているがうまく思い出せず、あれこれと考え込んでいる。
黒い外套とズボンを脱ぎ、シャツ一枚となって座っている。
近くを通る通行人は、見てはいけないもの、と言わんばかりに距離を取り歩いている。

「あら、変わった旅人さんね?」

「ん?」

シャツ一枚で座る男の前に、一人の女性が声を掛けてきた。
髪は金、特徴的な角を生やし、羽や尻尾まで見えている。サキュバスだ。
サキュバス特有の挑発的な服装はしておらず、ローブを羽織っている。

「変わったサキュバスだな」

「ふふ、御挨拶をどうも」

隣に?と指を刺す彼女に、男は疲れたようにうなずく。
するりと座る彼女には意も介さず、男はシャツをぱたぱたと仰いで風を取りこんでいる。

「あなた、ここは親魔物領よ?そんな格好しちゃたくさん釣られちゃうわ」

サキュバスにそう言われた男は首をかしげ、意味がわかっていない様子だ。

「だから恰好よ。ここは嫁入り前の娘がそこらじゅうにいるわ」

そう言われた男は当たりを見まわした。
確かに近辺にたくさんの魔物娘がいた。到着したころはそこまでいなかったが今では視界に入るだけで十を超えている。

「わかったかしら?襲われても文句は言えないわ」

「あぁ、すまない。でもなんで君は襲わないんだ?」

襲わないと踏んでの発言。
ひらひらと手を振りながら、隣にいるサキュバスを見る。

「私には心に決めた人がいるの。その人の前でしか肌を晒さないわ」

「へぇ、貞操観念の強いサキュバスさんだ」

「でも、彼がまだ帰ってこない。彼が帰ってきて初めての……」

男は返事を返さなかった。正確に言えば返せないのではなく、返す言葉が見つからなかったからだ。
戦争、暗殺、襲われる、今の世の中では行方不明の理由などありすぎるからだ。

「なぁ、その彼はどこに何しに行ったんだ?」

唐突に、聞いた。

「……戦争よ。彼は戦争とは呼べないと言っていたけど、私からしたら十分な戦争。人間同士で争いあうなんて……」

その言葉を聞いて、男の体の内に冷たいものを感じた。

「大丈夫?すごい顔してるけど」

「あ、あぁ、なんでもないさ。帰ってくるといいな」

「えぇ、ありがとう。恋人をこれだけ待たせるんだもの、帰ってきたら承知しないわ」

ははは、と渇いた笑いをする。

「私はエリ、あなた、名前は?」

「カーマイン、カインとでも呼んでくれ」

「よろしくね、カイン」

こちらこそ、と小さく礼をとるカイン。
サキュバスのエリは呆れたように笑う。

「はぁ、久しぶりに話のタネができたわ」

「人をなんだと思っているんだ」

「いいじゃないの、宿はあそこよ」

エリが指を刺す方向を見て見ると、宿があった。
幾つもの馬車が止まり、魚や肉、食料品だけでなく雑貨などのいくつもの荷物が荷止めされている。

「あぁ、すまない。恩に着るよ」

「別にいいわ。それよりも」

止められた言葉に疑問を感じ、立ち上がったエリを見上げる。

「あなた、格好をちゃんとしなさい。宿に着くまでに5回は襲われるわよ?」


               *
14/08/27 00:17更新 / つくね
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