連載小説
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後編

「あら、お帰りなさい」

家に帰ると、悪魔がいた。

「いっつもこの時間に帰ってくるの? 大学生って自分の時間がいっぱいあるとか聞いたことあるんだけど」

勝手に人のPCをいじって、ヘッドホンまで装着して。
特徴的な形の角を有しているせいか、ヘッドホンが幾分後ろにずれている。
随分と自分の部屋に適応している悪魔の姿を見るのは、また随分と異様な気分だった。

「いや、こっちの事より。朝、どこに行ってたんだ?」
「朝食の材料買いに行ってたのよ。何あの冷蔵庫の中身、空っぽじゃない。普段朝食ってどうしてるの?」
「食べてない」
「あら不健康。ちゃんと食べないとダメじゃない」

ひどく常識的なことを常識外の存在から言われてしまい、返す言葉も浮かばない。

「それに、挨拶ぐらい返してくれないと寂しいじゃない?」

ついでにもう一つ常識的な注意をされてしまい、長い一人暮らしゆえ久しぶりになるこの言葉を口にする。

「……ただいま」







「ほら、じゃあご飯にしましょ。お腹空いてるでしょ?」

何かの動画サイトを見ているらしい青肌悪魔の存在感が強烈なせいで気が付かなかったが、ウェズデイの事を除いても部屋の様子がいつもと違う。
雑多に詰め込まれていた本棚は整然と種別に並んでおり、隅に溜まっていたはずの埃は綺麗に消えている。
まだ洗濯していなかったはずの衣服は洗濯機の上から無くなり、畳まれた状態で箪笥の中に並んでいた。

そして、今まさに作られてたばかりだとでもいうように、テーブルの上で湯気を立てている二人分の料理。
長い一人暮らしの中ではありえなかった感覚に動揺し、状況を確認するための自問が頭に浮かぶ。

ウェズデイが作った?

誰のために?

「アナタの分よ、分かるでしょう?」

悪魔は、そんな思考をいとも容易く見破った。

「ああ……」

何を言うべきか、様々な言葉が喉の奥で絡まるが、

「……ありがとう、驚いた」
「どーいたしまして。ま、じっとしてるのも暇だったから」

ひとまず、真っ先に言うべき言葉を口から出せた事に安堵する。

これが悪魔のやり方とは随分と昔と変化したものだ。
それとも、昔から悪魔の話は間違った形で広まっていたのか。

全く、こうも簡単に心を揺さぶられてしまうとは、自分は思っていたほど芯の強い人間ではなかったようだ。



ウェズデイが言うには、メイン料理の名前は「ウェズデイ流 ポテトとチーズのミルフィーユ・ベーコン包み焼き」。
おおよそ普段の一人暮らしではありえない、明らかに技術的な調理が行われたメニューだ。

「あ、うま……」

一口食べて、ついそんな声が漏れる。
口の中でばらけて広がる溶けたチーズの独特の旨味やベーコンの焦げ目の食感など、表現したい味わいが山ほどあるのだが、語彙が貧困なせいか途切れた感想しか出てこないのが少し悲しい。

「随分凝ってるけど、料理得意なのか?」
「ま、練習はある程度ね。でもこっちの食材を使ったのは初めてよ」

サラッと返されたその言葉に目を見張る。

「マジか、初めてで……初めてなのにここまで凝れるものなのか……」
「さっきパソコンで色々見てたら、美味しそうなレシピがあったからちょっとね」
「美味しいけど……それ、『ウェズデイ流』って言う?」
「ワタシなりに隠し味を使ったから問題ないでしょ」

隠し味とは何だろうか、この世界に存在しない食材とか混ざってるのではないだろうか。
そんな疑問が一瞬脳裏にちらついたが、それは目の前の料理を味わうことで忘れることで忘れることにした。世の中、知らない方が都合がいい場合もある。
既に半分近く食べてしまったのだ、今さら妙なことを考えてもどうしようもない。

……それどころか。

もっと食べたい、と思ってしまっている自分に気が付いた。
無意識のうちに食は進み、その食欲は膨れ上がっている。胃袋を掴まれる、というのはこういう事を言うのだろうか。

しかし。その言葉を口にするには抵抗があった。
自分がもともとそういう性格なのか、あるいは悪魔に借りを作ってしまうのは危険という思いがあるからか。
何を馬鹿なことを考えているのだろう、借りは昨日からいくつも作ってしまっているというのに。

「悪いな、なんか」
「うん?」

ウェズデイも既に自分の分を食べ終え、頬杖をついてこちらを見ている。

「親切にしてもらって、な。でも、だからといって契約しようという気にはならないぞ」
「あらら、見返りを期待してると思わせちゃった?」
「……ここまでされると何か返したくはなるが、さすがにあの話は人生を大きく変えすぎる」
「だから、そんなつもりでやったんじゃないわよー、もう」

もしかしたら気を悪くさせただろうかと今さら気づくが、ウェズデイの微笑はそのままだった。
それが本心からのものなのかどうか分かれば楽なのだが、生憎そこまでの人生経験は積んでいない。

「でも、ワタシに何かしてくれることがあるのなら、是非おねだりしたい事があるんだけど」
「何?」

その前置きに少し身構えたが、続く言葉は極めて容易い物だった。

「昨日の画、完成するのが早く見たいのよ」







かなり手順を省略したとはいえ、既に作業は半分以上済んでいる。
デッサン、下描き、固有色の着色、そして次は細部の描き込み。今日中にほぼ完成の形にはなるだろう。
ウェズデイを見ながら、コバルトブルーを基調にしてその肌の色へと近づけてゆくが、どうにもしっかり纏まらない。
これまでに描いてきた肌とは、全く異なる質感だからなのだろうか。

「そういえばさあ、これまではどんな絵を描いてきたの?」

絵具と苦戦していることを知ってか知らずか、昨日と同じポーズながら幾分リラックスした様子のウェズデイが部屋を見回すと同時にそう言った。

「この部屋には過去作が見当たらないじゃない。大学の……サークル室とかに置いてるのかしら?」
「ああ、一応入ってるからそっちに保管してる。昔のは……印象画法で風景画とか。あとは、超現実表現の真似事も少しだけしてた」
「もっと分かりやすく話してくれない?」
「朝の林道とか川原とか、あとちょっと変わったのも色々。人がいる風景を描いた事は多いけど、人がメインってのは少なかったと思う」

ふうん、と悪魔が鼻を鳴らす。

「何か賞とかコンテストとかには出したの? 受賞した?」
「……少しだけ。大学に入ってからなら、一回だけギリギリ賞金のつく賞も貰った」
「あら、もう認められてるって事じゃない。その腕で描いて貰えるの嬉しいわぁ」

絵具を混ぜる手が止まる。
皮肉か、と一瞬考えてしまったが、それを口に出すのはさすがに思考が歪みすぎだろう。

「認められ、って……。大げさすぎ」
「しっかりした賞が貰えるってのは、実力を認められた証拠でしょ?」
「実力には運も含まれてる。それに、俺より上はいくらでもいるよ。俺のセンスは大したものじゃないし、評価を受けるほどのものじゃない」

少し声が大きくなってしまったか。
ウェズデイはまだ何かを言いたそうにしていたが、やがて肩をすくめて口を閉ざした。
そうだ。……俺の描く絵に、一体どれだけの価値があるというのだろう?

ここから先は、意識的に思考を止めた。
そうしないと、止まらない迷いが溢れて集中が遠くなってしまうから。
そんな器用な事ができるようになったのは、それが必要な状況に陥ってしまったからか。

強い目的意識は、人を前に進ませる。
それを達成しようと力を費やし、短時間でそれが可能になるまで成長するからだ。
しかし、迷いは人をその場に立ち止まらせる。
何をするべきかを見失った人間は、どちらが前かも分からなくなるからだ。
誰しも、この二つの状態を行き来していると思うし、前者の時間が長いほど優れた人間になるのだとも思っている。
皆が当たり前に知っている、当然の事だ。

これまでの自分の人生は、どちらの状態のほうが長かっただろう?









「ワタシ、もしかしたら探偵とかできるかも」


数分か、もしくは数十分の静寂の後、ウェズデイがまた唐突な事を言い出した。

「何? 誰かの素行調査でもしたいの? その目立つ見た目で?」
「目立つって、やーねぇ。姿くらい変えたり消したりもできるんだからそのくらい余裕よ」
「マジか……、ああ、そういえばコンビニ行ってきたって行ってたもんな。そのまま行ってるわけがないか」
「そう。だから素行調査ぐらいは……って、そういうリアルな探偵の話じゃないわよ」

長い尻尾が蛇のようにうねると、矢印のように本棚をピタリと指した。
その隅には、中途半端な巻数だけの探偵漫画。
部屋が一日で見違えるほどの家事をしておいて、漫画まで読む余裕があったのか。
「なに、殺人のトリックを暴きたいの? 現実じゃあんな凝った事件なんてまずないけど」
「そんな事分かってるわよ。パニック状態の素人が死体動かしたり凶器をごまかそうとするなんて浅知恵を成功させられるわけないもの」
「だろうな。深夜に現場の壁をバーナー溶接して密室を作った話とかは強引すぎて面白かった。で?」
「え、あ、そんな話あるの? 何それ気になる……まあそれは後で聞くわ。じゃなくてね。ワタシはトリックを暴くのがやりたいわけでもないのよ」

なかなか真意の見えないウェズデイの話。
どうもこの悪魔は、真意を口にするまでにいくらかの回り道を経るのを好む癖があるようだ。

「じゃあ何がやりたいって?」

ため息混じりに直接聞くと、ウェズデイは感情が読めない微笑と共に応えた。

「一つの結果に至るまでの人の願望の推移の推理よ。ホワイダニットってやつね」

"ホワイダニット(Why done it)/何故やったのか"。
作品によっては重視されないこともあるが、"ハウダニット/どうやってやったのか"、"フーダニット/誰がやったのか"、と並ぶミステリーの重要事項。
昨日人間界に来たと言っていたくせに、いつの間にそんな知識を仕入れたのだろう。

「……好きにしたら良いんじゃないか?」
「そう、じゃあ勝手に推理してみようかしら」

昨日のようなどうでもいい雑談。そう思って話半分に聞き流していた。

「何故アナタは――コーマは悪魔を呼び出そうとしたのか? その動機についてね」

今になって初めて自分の名前を口にした人外。
その視線が、自分の内側に染み込んできた気がして危うく絵筆を取り落としそうになった。



「願いが無い人間は、そもそも悪魔を呼び出そうとなんてしないのよ。信じてないなら儀式は行わないし、僅かに信じたとしても危険かもしれない異次元の存在を呼び出そうとしない。現状を改善するために人外を求めた人間だけしか、あの儀式は行わないわ」

「……それでも、別に俺は大した願いは思いつかない」

「それもワタシは否定しないわ。悪魔として、人の欲望からでる言葉の真偽を見抜く力ぐらいは持ってるつもりよ。願いが思いつかないっていうのは嘘じゃない。……ただ、現状を改善するために自分がどうすればいいのか分からない。金でも不老不死でも解決できない悩みを抱えて、明確な指針を持てずにいる。違う?」

答えられない。自分の内側を見抜かれ始めているのが分かり、怖くなったから。
しかしその沈黙を、ウェズデイは肯定と解釈した。

「そもそもサークルの部室があるってのに、ここに画材があるのが不自然に感じたのよね。部屋が汚れるかもしれないのにこの部屋で描くかしら? この部屋には絵具の汚れは無い、でも事実ここで描いてる。で、過去作は部室に置いてるって? それも不自然よね?」

甘く見ていた。
さりげない雑談のフリをしながら、ずっと内心を探られていたのだろうか。
こっちは何も考えずに喋っていただけだというのに。

「少し前までは部室で描いてたけど、何かの原因で場所を自室に移した。過去作を置いてるんだから、部室が壊れたとか物理的な問題じゃないわよね? じゃあ原因は、その人間関係とか? で、さっきワタシが絵を褒めた時も……謙遜じゃなく本気で否定したわね。自信が無かろうと、自分の作品に本気の否定はかなり不自然。それも関係あるんでしょう?」

撃ち抜くように次々と言い当ててくる悪魔の知性に、身が凍る思いだった。

「つまり結論としては」

矢継ぎ早に語ったウェズデイが、ここでようやく息を区切った。

「周囲の自分に対する評価が変化して自信を失い、これからどうすべきか分からなくなった。そうよね?」

凍った身体が、砕け散るような錯覚を覚えた。






「合ってる。……合ってるよ」

ここまで言い当てられてしまったなら、もう後は自分から話した方がまだ気が楽だ。
震えてうまく動かない口を開き、降参するかのように推理を認める。

別に、そこまで特別なことがあったわけじゃない。

もともと、自分の絵はサークル内では突出した評価を得ていた。
サークルのメンバーは殆どが自分の描く絵に賞賛の声を向けていた。
それが錯覚でない事はコンテストの結果も示していたし、間違いなく実力においては輪の頂点にいたはずだった。

しかし、そんなものは簡単に崩れてしまったのだ。
後から入った一つ下の後輩の実力が、その地位を全て持って行ってしまった。
頂点ではなくなった自分に湧き上がった感情は、焦りでもなく、悔しさでもなく。寂寥感というのが一番近かったかもしれない。

誰も悪くはない。
ただただ、人が自分の描いた絵を見る目が変わってしまった事に対する空虚な感情と、そんな感情を抱くということはまるで自分が人から評価されるために絵を描いていたのではないかという証明である気がして、自分の器の小ささを痛感しただけだ。

これからどうすればいいのか。
上達したいのか? 評価を得たいのか? 初心に帰りたいのか? 楽しさを確認したいのか?

全ての目的を見失い、部室で絵を描くのをやめたのだ。





「確かに、今の状態を何とかしたくて儀式はやった。……でも今の俺に言える願いはないよ。何を願えばいいかが分からない」

キャンバスを隔てて、ウェズデイに全ての経緯を吐露してしまった。
これが、これが今の自分の状態だ。

「ウェズデイ、なんでそこまで言い当てられたんだ?」
「たまにある事、って聞いてたのよ。そういった趣味の人間は、そういう挫折を経験する。表現したいものを表現する楽しみと、得られる評価による満足感の間で、どこかでバランスを失い崩壊する。絵を描くことに関して深く悩んでいるなら、そういう類なのかと思ってね」

急所を突かれ、もはや敗北感を隠す余力すらない。
自分が絵を描いてきたのはただ人から褒められたかっただけなのか。描きたい物があるから描いていたという当初の動機は、既に自分の中から欠けたのか?
自分は、どうするべきなのだろうか。

「解決したいの?」
「その方法が分からない。その、契約ってやつで技術を得ても、多分それじゃあ腑に落ちない」
「でしょうね。そういう事ならすぐに済んでる話だものね」
「自分が何をしたいのか、その方向も今は分からない」

たまにある事。ウェズデイはこの経緯をそう言った。
ならば、過去にこのような経験をした人間はどのようにそれを乗り越えたのか。
もしかしたら、そこで心が折れて諦めた人間もいたかもしれない。
二十年しか生きていない自分は、そんな知識を持ってはいなかった。

「悪魔は、人の欲望を何より好むわ。そして、それを叶える力を持っている」

ウェズデイが立ち上がり、風もないのにその髪がなびいた。

「でも、人々の願いは支配できない。願いが無いなら、叶える事はできないわ」

相変わらずその微笑からは真意が見えず、目を合わせることに躊躇いを感じた。

「じゃ、とりあえずワタシの個人的な意見を言うわ。コーマの悩みについて、ね」
「意見……?」
「そう。少し考え方が違う部分があるから、こういう価値観もあるって事を伝えておこうと思ってね。ワタシの価値観だから一般化はできないかもしれないけど」

何を言う気なのだろうか、そう思って顔を上げた時には、既にウェズデイは語り始めていた。

「評価されたいから描くのなら、別にそれで良かったんじゃない? 描きたい物を描くって動機……それが純粋で上等なものだって考え方はワタシとしては首を傾げるわねぇ、そこに上下は無いし、誰だって褒められたら嬉しいんだから。本当に危険なのは、自分の欲望を偽る事よ」

ぼんやりとした頭で今の言葉を反芻する。これは慰めの一種なのか、それとも。

「自分の欲望を偽ったから、結果として強い迷いの中に陥った。もっと素直であるべきだったわね」

ウェズデイの言葉が正しいのか、それは分からない。
そもそもウェズデイもこういう価値観もある、という前提で話をしているのだ。正しい言葉なんてないのかもしれない。
明確な答えを欲しがっている自分は、追い詰められているということなのか。

「じゃあ、次は現状の再確認ね。状況を整理すれば、これからの方針だって見えてくるわよ」
「状況を整理するって言っても。……起きたこと自体は整理するほどもなくシンプルだ」
「そうかしら? 実はまだ見えてない事もあるんじゃない?」

ウェズデイの口調は、自信満々であるように見えた。

「サークル内での評価は落ちた。まあ、それは事実みたいね」

言うまでもないことだ。より目立つ者が現れたのだから、こうなるのは必然だ。

「でも、ワタシはコーマの絵を誰よりも評価している。これもまた事実よ」

――また。
予想外の角度から発言を切り込まれた。

「……大した技術じゃない。俺より上のセンスを持つ人間はいくらでも――」
「悪魔が価値を見出す要素は、技術でもセンスでも無いわ。その裏に篭った欲望よ」

意味を理解できずにいる俺に、ウェズデイはさらなる言葉を投げかける。

「コーマ。アナタは動機と方針を見失ったと言いながら、それでも再び今絵を描いている。それは何故? 動機を見失っても、見えなくなっただけでコーマの中から消失したわけじゃないからよ。無意識のうちに、脳が絵を描こうという欲望に従ってその判断を下している。どちらが前か分からなくなったとしても、とにかく進もうとしている。その欲望に従って動く姿とそこから作り上げられた絵は、ワタシにはとても魅力的に見えるわね」

「…………?」

何故、この悪魔と出会った日。それを絵に残そうと思ったのだろう。
そして何故、今も絵筆を握っているのだろう。
癖なのか、自然にキャンバスに描こうと思っていた。

「これだけは忘れないで。ファンは一人、ワタシがここにいる」

「……それは、自分を描かれたからってだけの理由じゃないのか?」

「あは。それもあるかもね。でも、『だけ』じゃあないのは確実よ」

悪魔の価値観はよく分からない。
だが、ふと昨日絵の経過を見たウェズデイが浮かべた笑顔を思い出す。

「自分を見失ってもなお進もうとする強靭な欲望の持ち主。無欲なように振舞ってもそれが真実よ。だからアナタは成長するわ、欲望の強さは人間にとって何より大事な燃料だもの」

「俺が……?」

「そう。ワタシはとても幸運ね、これだけ頑丈な欲望を持つ人間に呼び出されたんだから」

その言葉が、嬉しかった。結局、自分は誰かに評価されたかったのだ。
今度はその事を素直に受け止められた気がした。
それと同時に、しばらく失っていたものが再び自分の中に積み上げられるのを感じた。
これから描きたい絵の構想。
まだまだこの世界には、自分が表現していない物で満ちている。
自分の絵に価値を見出してくれる存在がいるなら、これからも描き続けたい。

「俺も、儀式は適当だったけど。出てきたのがウェズデイだった事は、幸運だと今思ってる」

まだ震える口だったが、それだけははっきりと伝えることに成功した。









数十分後。


絵は完成した。

この世界の外にいる存在を描いたその絵は、そのモデルの迫力を半分も引き出せていない。
それでも、描き終えた後には心地よい満足感が残っていた。

完全に引き出せるような絵を、いつか自分の力で描いて見せよう。
何よりもはっきりとした目標と方針が、この絵をきっかけに自分の中に生まれたからかもしれない。

この絵は、別に公開する必要もないだろう。見せるべき相手には見せたのだから。
そして、十分な評価を得たのだから。
ウェズデイは、この絵を一度向こうの世界に持ち帰りたいと言い出した。なんでも、他の悪魔に自慢するのだという。
好きにしたらいい。そう言うと、ウェズデイは嬉しそうに笑った。




「アラ、ちょっと顔色変わったんじゃない?」
「……そう見えるか?」

数十分前と比べて、随分気持ちが落ち着いた。
心の拠り所の有るか無いかでは、気の持ちようも随分変わる。

「また、助けられたな、なんか」
「ワタシはただ、意見と状況整理をしただけじゃない。大した事はしてないわよ」

延々と絵を眺め続けるウェズデイが、こちらを振り向いてそう応えた。


大した事はしてない、か。よくそんな事が言えたものだ。
普通、会ったばかりの人間に対してここまで世話を焼くなんて、そうそうありえるものじゃない。
全ては、契約に引きずり込む為のものなのだろうか。そんな風にも思ったが、それならそれでも構わない。
既に、大きな借りができてしまったのだから。そう納得してしまっている。
――悪魔という存在は、人間の手に負えるものではない。どうやらそれだけは確かなようだ。


と、何かを思い出したようにウェズデイの表情が変わった。

「あ、そうだわ。大事なこと忘れてた。ちょっとこっち来なさい」

何だろう。
描いた絵に、何か気になることでもあったのだろうか。
そう思って絵の前のウェズデイに歩み寄ると、その何歩目かのところで右足が空中に浮いた。

「うんッ!?」

この感覚、覚えている。
昨日、ウェズデイの尻尾に足を引っ張られて、最終的に箪笥に頭をぶつけた時のものだ。

嫌な予感がした。

「今日はおとなしくしてなさいねぇ?」

ぐるん、と視界が一周し、背中に衝撃が走った時には既に動きが封じられていた。
見えているのは見慣れた天井と、そして蝙蝠状の翼と影がかかった悪魔の笑顔。
足と肩を支点にしっかり組み伏せられてしまい、咄嗟に体を起こすこともできなくなっていた。

「ちょっ、何……何だこれ!」
「言ったでしょ? これだけの強靭な欲望を持つ人間はとても魅力的。……なら、早めにツバつけて確保しておかないと、他の悪魔に横取りされるかもしれないじゃない?」

ウェズデイの青紫の唇が僅かに開き、その隙間から鮮やかに赫い舌が覗く。
まるでそれは、獲物を前にした捕食者のような迫力を纏っていた。

「ほんとは契約を結ぶのが正当なやり方なんだけど、願いが無いっていうんなら実力行使させてもらうわね?」
「な、おい……、何を……?」
「分かってるんでしょ? 昨日の夜にできなかったコトよ」

突然の事に慌て、どうにか体を離させようと反論を試みたが、それ以上の言葉は水音と同時に押し付けられた唇によって塞がれた。

「ん゛んー……っ!」

どうにか身体を捩ろうとするが、身体を押さえつける手と尻尾の力は一向に緩む様子が無い。
次いで、唇を開いて柔らかな何かが蠢きながら侵入。
その感触に驚いて口を開いてしまうと、決壊したようにその何かが口腔内に雪崩れ込んできた。

じゅっ....。

じゅるっ....、ちゅ、じゅるる....

部屋の電灯の明かりが悪魔の姿に逆光を落とし、視界はほぼ真っ暗に閉ざされた。
そしてその中で、粘り気を持つ湿った音が自分の口の内側から聞こえてくる。
距離を取ろうと頭の位置だけでもずらそうとするが、悪魔の舌はそれを余裕で追跡。
こちらの注文を聞く気はない。そう宣言しているようなものだった。

長くうねる舌が悪魔の唾液と匂いを全面に塗りこもうと強引に動き回り、早々に抵抗の意思も奪われて完全に支配されてしまう。

じゅる....。

んちゅ、れろ、じゅるっ...。

器用に伸びて口内を執拗に舐め回し続けた悪魔の舌が、最後に何度も舌同士を絡ませるように

巻きつき....ようやくその動きを止めて退却した。

傍から見れば、僅か十数秒の間の事だったかも知れない。
しかし、数分間ほどの長さに思えたその行為によって、すっかり力の入らない身体にされてしまっ

ていた。

「んふぅっ……♥」

ウェズデイの唇に残った、どちらの物とも知れぬ唾液。
それをその舌が綺麗に舐め取る様子が、ぼんやりとした視界の中で確認できた。

「さぁてと」

ウェズデイが挑発的な笑みを浮かべながら、おもむろに自身の乳房を持ち上げて寄せる。
重量が激しく主張するその物体が、柔らかそうに変形した。

「これ、好きなのよね? 見たわよ、ダンボールの中に隠してた本」
「ッ!?」

唐突に振られたその無視できないキーワードにいくらか意識が覚醒し、羞恥で顔から熱が上がる。

「何、そんなもの見てるんだよ……!」
「これでもワタシ、用意周到なタイプだから」
「あぁ、いつの間に秘密のスペースを……、あ、掃除した時か……」
「正解。で、どう? あの本と同じことされたいでしょ?」

されたい……と、ここで言えればどんなに楽だろう。

「…………」

つまらないプライドに縋り、膨れ上がる欲望に背いて目を逸らしてしまったのは悲しい意地か。
そうすべきじゃない事はよく分かっているのに。自分が今何をされたいかは、自分が一番分かっているのに。

「素直じゃないわねえ……。ま、いいわ」

ウェズデイの姿が後ろに下がり、視界の端へと消えてゆく。
組み伏せていた腕は解かれたが、もう起き上がる気力も残っていなかった。
そして次の瞬間、するりと、異様なほど抵抗無く下半身の衣が脱がされ、ひやりとした空気に包まれた。
当然、自分の今の態度とは裏腹に、先程からずっと期待に膨らんでいる股間のモノが露わになる。

「あはっ」

おそらく、また一層にんまりと笑っているのだろう。
何を見てそんな反応をしたのかは――確認しなくてもだいたい分かる。
その楽しそうな声だけでも、その表情がはっきり浮かぶようだった。

「ほら、自分でしっかり見ておきなさい。これからイイ事するんだから」
「うっ……」

意地を張って横を向いていた頭を掴まれ、身体を見下ろすような形に枕を使って固定される。
いつの間にか、ウェズデイが纏っていた装束は消え、逆光の影の中でその豊満な肢体を見せていた。
汗によりその全身が艶かしく濡れ、興奮によるものか、その青い肌――特に頬より上がより濃い青色に染まっている。
……肌だけじゃなく、血も青いのか。
期待に脳が加熱する中、頭の隅にいた冷静な自分の欠片がそんな分析を行った。

「ほらっ」

むにっ……と、根元から先までの全てが柔らかな圧力に包まれた。
その持ち主の手にすら余りある大きさの膨らみが、波打つような揺れとともに暖かな刺激を絡ませてくる。
自分のモノがその圧倒的な乳房に挟まれている姿は強烈で、瞬きするのも惜しい程の視覚的興奮を焼き付ける。
支配された五感全てが股間へと熱を送っているのがウェズデイにも分かったのだろう、何か言いたげな目線を向けてきた。

「ほら、どうなの? 声も出ないのかしら?」

むにっ、ずにっ、ずにっ...。

擦ったり、互い違いに圧力をかけたり、さらに舌を絡ませてきたり。
矢継ぎ早に異なる刺激が扇情的な光景と共に与えられ、堪えきれずに必死にベッドの端を握り締める。

「今、自分の顔がどうなってるか分かる? いーぃ表情してるわよ? 鏡見る?」

「……は、ふぅッ……!!」

いらない――という声は、絶え絶えの息として吐き出すのが精一杯。
それを伝えようとウェズデイの顔を見ようとすると、一瞬だけ視線が合い、その瞳が見えた。
闇の中に炎が渦巻くような人ではありえない色彩が、どろりと情欲に濁っている。
――美しかった。

「んふ、かなり熱くなってきてるじゃない。もう少しかしら?」

ぎゅっ...と、今までにない、暴力的な圧力がウェズデイの手から、両乳房を通じて挟み込まれる。
それを受け、反射的に身体が強張り、全身の血液が巡り出し、自分の鼓動音が高鳴りだす。
下半身が溶けて――炸裂してしまいそうだった。

「よし、そろそろオーケーね」

このまま放出してしまいたい。
そんな思いは、それが叶う直前で止められてしまった。

「――ぇ」

最高潮に達した体の熱が、出口を失い苦しんでいる。
それを宥めるように、ベッドの端を握り締めていたこちらの左手にウェズデイが右手を重ねてくる。
その自然な動作は、親が子供を安心させるために手を繋ぐ動きを思わせた。

「そんな顔しなくても。ちゃんと出させてあげるわよ」

ウェズデイが身を起こすと、その谷間から自分でも驚くほど張り詰めた怒張がずるりと姿を現した。
様々な液体が混ざったのであろう粘液が先から滴り、乳房との間に糸を引く。
そして先程組み伏せた時のように目の前まで身体を寄せて顔を近づけると、にやりと、今度は幾分やさしさを含んだような笑みを浮かべて身体全体を押し付けた。

「うっ……」
「ぁはぁっ……♥」



不思議なもので、自分の身体がこの上なく熱く滾っているというのに、押し付けられたウェズデイの肢体から伝わる体温も強烈に熱く感じる。
掌を組まされ、両脚は絡められ、その上から尻尾が巻きつき、さらに翼が全身を覆う。
ウェズデイが身体を揺らすたびに、その柔らかさが、熱が強制的に刷り込まれてゆく。

「じゃ、頂くわね?」

翼によって作られた暗がりの中、ウェズデイが後ろへと手を伸ばしているのが見えた。
すると、張り詰めて敏感になっていた男根がその長い指に捕らえられる。
しかし、それも束の間。

「んはぁあぁっ♪」
「――っっ!!」

ウェズデイが身体全体を降ろしたのと同時、ずちゅりと密に締め付け続ける膣内へと飲み込まれ

る。

「あぁ……、ふぅ、あ、イイわぁ……」

そして、耳元、おそらく数センチも離れていないであろう距離から吐息と共に囁かれる。

「ようこそ♪ ……悪魔の中へ♥」

その内部がこの瞬間をずっと待ちかねていたかのように、一斉に吸い付き、嘗め回す。
肌から感じていたよりも圧倒的に直接的な体温に、溶けてどこまでが自分の肉体でどこからが悪

魔の身体なのか分からなくなってしまいそうだった。
自身の脈動とウェズデイのものであろう脈動が重なり、完全に結合してしまったように錯覚した。

「はぁ……っ、うっ……!」
「ふふ、どう? 気持ち……いい? でしょ?」
「――うぅっ……!」
「んふ♥ ワタシ……最高に、いい気分よ」

ほんの僅かだけ許された余裕の中、腰を引けばそれに合わせてウェズデイの腰が角度を変えて裏側から締め付け、元に戻そうとすればそれを歓迎するかのように腰を押し付けてより結合を深くする。
どのように動こうとしても、激しい刺激の中で着実に身体が呑み込まれてゆく。

悪魔は責めの手を緩めない。
どこまでもただ、絞り尽くそうと身体全体を行使する。
この状態で、どんな抵抗ができるというのか。
人としての何もかもが、恐るべき勢いで削られてゆく。

「昨日、信じて……なかったわよねぇ……? はぁっ、契約者と悪魔が、最後に、結ばれて幸福を得た話……♥……あるはずがない、あったとしても、あァッ、自分には関係の無い話……。そんな風に考えてたんじゃないの……?」

うっすらとだけ残された脳の機能で、昨日の話を遡る。
あの時はおとぎ話のようだ、という返事をしてしまったが、今は。

「ふふ、悪く……ないでしょう……?」

なるほど、過去に契約した人間も、こんな風にして落とされたのだろうか。
滑らかに人の心に入り込み、信じさせて、最後に全てを呑み込んでしまう。
これに抗えるなら、それは人間ではないだろう。

そんな事を頭の隅で考えていると再び、今度はほんの短い間だけ唇を塞がれた。

今や、じゅぷっ、ぬちゅっ、という音が、どこから来ているのかも分からない。
擦りつけられた身体の間で塗りつけられた液体が、何なのかも分からない。

「ウェズデイ……!」

今、何を伝えようと、その名を呼んだのか。
ただ、名を呼ばれた悪魔は、その瞬間にさらに悦んだ様だった。

「██████♥」

挿れる前から限界寸前であった陰茎が、ここまで持ちこたえたのが不思議なほどだ。
――ウェズデイは、最後に何かの言葉を囁きながら。優しく舐めあげるように締め付けた。

「っ、うぁあ……」

小さな声を漏らし、溜まり切った精を叩きつけるように吐き出した。
どくん、どくんと強く脈打つその感覚は、今まで自分で処理していた時とは比べ物にならない位の量を出した証だろう。
しかし、それは全てウェズデイの身体の中へ、吸い込まれたように消えていった。一滴もこぼさず、無駄にせず。

「――――」

全てを吐き出し、そして全身が痺れるような余韻に浸っている間も、ウェズデイはずっと抱きしめ続けてくれていた。
偶然か、呼吸によって体が上下するタイミングは一致しており、それがさらに愛おしかった。

「ウェズデイ……」

「なあに……?」

今の一度で力を出し尽くし、身体から緊張感が抜けてゆく。
代わりに押し寄せてきたのは、眠気。
このままでは、繋がったまま眠りに落ちてしまいそうだ。
だが、その前にこれだけは伝えたい事がある。

「願い……、契約を……」

翼による暗闇の中、ウェズデイが顔の向きを変える音がした。

「ずっと、一緒に……」

ここまでが、今出せる言葉の限界だった。
只事ではない疲れに、身体が休みを求めている。やはり、悪魔の身体に合わせて人間の無理に触れてしまったのか。

「…………」

無言だったが、ウェズデイの抱きしめる腕の力がいくらか強くなったのが分かった。
そして、口元に押し付けられた柔らかな唇の感触。これで……たしか三回目か。

「ずっと、一緒よ♥」

最後にその囁きだけを聞き、願いが通じた事を確認した俺の脳は、安心感と共に眠りに堕ちていった。















悪魔の契約には、ルールがある。

細かい補足を省略すれば、重要なのは以下の二点。

契約者は、悪魔の力で三つの願いを叶えられる。

但し、契約者の魂は死後に悪魔の手に渡る。




願いが叶う、というルールと対になるように示された、魂が悪魔の手に渡るというルール。

その対比的な記述のせいで、これはデメリットを示す項目なのだと思い込んでいた。

しかし、違う。悪魔を知った人間なら、輪廻転生など望まない。ずっと悪魔と共にありたい。そう考える。

これは、はじめからデメリットなど無い契約ルールだったのだ。



都合の良すぎる話を恐れた人間の心が、その生物を悪魔と呼称したのだろうか。

自分の欲望に素直になれず、警戒心を持ったが故にそんな結果になったのだろうか。

人々の願いは支配できない。悪魔という種族にも、人間という種族にも。

欲望が身を破滅に追い込んだ例は、歴史上数え切れないほどあるのだろう。

しかし、欲望に素直になるのが幸福に至る道となることもあるはずだ。
15/10/13 01:02更新 / akitaka
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■作者メッセージ
しっかりプロットというか前もって展開を整理してなかったせいで途中で迷走しました、というより迷走してたのか迷走してなかったのかわからんです。
ちょっとなー、今回は余計な要素が濃くなったですかなあ。

ほんとは現代舞台はリビングドールちゃんで構想してたんですが、デーモンさんが更新されたのでうっかり切り替えちゃいました。リビドちゃんはまた今度・・・。

これからはゲーム開発を頑張ります。
挿絵のカラー版はあとでぴくしぶとかにうpります。

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