読切小説
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すけべあるじさま
「ん〜」

欠伸をしながら体の覚める、朝。
それはこの俺、レイザ・ベスケンにとって至福の一時。
心地よいまどろみに浸るもよしとか射し込む光が恐ろしく心地良いとか、そういうあれ。
とかいうのもあんだけどやっぱ決め手は…
と手を伸ばすその先は、リャナンシー先生様がお描きになった超絶男子欲決戦宝具。

「あーるじーさーまー?」「あ、おぃ」

詰まるところにて言えばエロ本って奴なんだが、
残念ながらそれは俺が掴む前にもふもふの毛肉球に取り上げられてしまう。
エメラルドを溶かし込んで薄くしたような綺麗な緑色の長髪をゆらゆらと漂わせて、手足や腰に白い布を巻くもこもこ…っつうと何か違うかもしれんそいつは、こちらを呆れたような目で見ながら苦笑いしていた。
まぁ、言いたいことは何となく分かるさ。

「相も変わらぬ助平様、朝からお元気なことでございますね。」

てか言いやがったし分かるも何もねえよ、このモフモフめ。
しかし犬みてえな顔して随分と洒落た言い回しをなさるんだよなぁ。
すました所のある表情で穏やかに言い切るのが更にムカつくぜ。
…いやそんなことより。

「おぅおぅお元気だから、それ返してくれよ。」

今はこっちが優先だと腕を伸ばして要求する。
それは至福の最高潮に一番の重要物、流石にここは譲れねえ。
だからこっちによこせェ!とまでは言わないまでも、片腕で体を起こして欲しがってみせていく。
だらしない感じもするがこちとら男のロマン、当然の反応だ。

「そうですよね。」

しかし、あっさり本は返ってきた。
おっほう、と喜ぶが同時にちょっと気になってこいつ…シャルナ・クーシに目を向ける。
怒るだとか溜息を吐くだとかを予想していたんだが意外だな?と煽り気味にこいつを見るが

「…どうぞ?わたくしはクー・シーですのでお構いなく。」

しかしシャルナは、にこりと笑って自然体で立ったままそう言う…
というかその笑いからどことなく背筋を冷たくする何かを感じられて怖いんですが。
とは思ったが流石に、怒ってんのォ?と訊くほどの度胸もないしからかうとそれこそ怖いので。

「クー・シーなのでって、何か関係あるのかそれ?」

話の着弾点をずらして発射してみた。

「えぇクー・シー、あるじさまを欲情させるには力不足でしょう?」

すると何か不機嫌そうな口調で分からないことをシャルナは言う。
顔は変わらぬ笑みだが、ちょっとばかり言葉が速いような。

「力不足って」「えぇ、私は単なる従者ですから。」

というかシャルナ、やっぱり怒ってねえか?

「従者は尽くすのみ、えぇ尽くすのみです、例えあるじさまがどのように欲情なされようと、私は撫でられるだけで満足で御座いますですから。」
「や、ちょ」

やっぱり怒ってるよな?言葉走りまくってるよな?表情変わらないのがなおさら怖いぞ!?尻尾がゆっくりゆらぁ…って床を掃いたの見えたからな!?

「それにあるじさまの意向を尊重するのも従者、無理に止めるのもおかしいですものねええ、ですから…」
「……」

しかしながら止まらないシャルナに絶句する。
これは絶対怒ってる、だって今ちょっと横向きになってもしかしたら舌打ちするんじゃねえかって感じに顔に影かかったもん。
…ま、確かにちょっと朝からこれは酷かったとは思う、ので。

「悪かったよ、俺にはお前が居る、ちょっとばかり昔の癖が抜けきらなかっただけだって…」

布団の上で気持ち丁寧に座って、素直に謝る。
シーツがちょっとぐしゃってなるとか布団の上だと行儀悪いとかはこの際無視だ。

「っふ……言葉が違いますよ、あるじさま。」

と、少し必死になった俺だがシャルナは対照的にスッと落ち着いて言った。
冷えるにしては急速すぎるが、努めて冷静にとか怒りを抑えてとかそういう感じでも無い。
さっきまでキレてたろうにどういうこった…

「あるじさま?私は起こしに来たんですよ?」

考える俺をよそにシャルナは穏やかな笑みで見つめながら続ける。
その顔にはやはり、険だとか眉間の皺だとかの負の感情はちっとも見られない。
しかし起こしに来たとはどういう事だ?

「起こしに?」「えぇ。」

おい、どう言ったらいいんだ教えてくれよ…
遠回しにそう訊いてみたつもりだったがその意図を知ってか知らずか、シャルナは穏やかな微笑みを返すのみ。
いや多分コイツのことだし分かってそうな気もするけどよ。

「んー…?」「ふふ。」

しかしどうにも分からんので、首の辺りを掻きながらちらちらと見るのも試してみる。
が、彼女はバランスの良い棒立ちでこちらをじっとにこにこと見つめてくるだけ。
こうなるともうヒントに期待出来そうもないので、こっちで考えるしかなくなる訳だが…
ふむ、起こしに、ねぇ…おぅ?
そういえば、とまだ言ってない言葉に気づく。
流石に今これはどうなんだと思わんでもなかったが…

「もしかして、おはよう、か?」

とりあえず言ってみる。
シャルナの性格を考えればもしかしたら正解かも知れないし、考えてみればこいつは俺の事なら何でも知ってるから怒ってないのも事実だろうしな。

「えぇ、おはようございますあるじさま。」

そのようにちょっとばかり自信のある賭けだったが、しかしてそれは当たりだったようでシャルナは笑みを更に深くしてそう言った。
相当嬉しかったようでぶんぶんと尻尾を左右に振りまくりつつだ。
朝からこいつにからかわれたような気もするが、こうも嬉しさを表現されちゃあ勝ち目はない。

「…おぅ、おはよう、シャルナ。」

だから諸々を抱えてもう一度挨拶をする。
文句の一つも言いたくないかと言えば嘘になるが、所詮俺は足し引きでプラスになるなら頬が緩んじまう単純野郎だ。

「はい、いえ…えぇ、レイザ。」

それに、こいつもこう言ってくれてる事だし、な。









「ふぅ、今日は良いお日柄ですが…」

お昼時はちょっとだけ熱いわ…と口から出そうになるのを抑えつつ、洗濯物を干していく。
爪と肉球だと掴めなくて少し洗いにくいのに水魔法の応用にかかるとすぐ綺麗になるから、魔法とはやはり便利なものね。
まぁ、偶には自分で洗わなきゃ何となく満足できないけれど…

「…ん、これでよし。」

等々考えながら、私は洗濯物を全て干し終わる。
洗うことさえ出来てしまえば後は楽、元々あるじさま…レイザが干すのを見ていたのでこの程度は造作なかった。
加えて洗い物の量自体もいつも少なく、身に纏うこの巻布の色違いとレイザのものくらいなので気苦労も無いし。
そのレイザも時々干したりする、一人で余裕なのは知っているのだから本当に時々だけど。
…それにしても。

「ふ、ぅ。」

ジパングの建築方式の確か、縁側というらしいここでの干し作業は風も通って暖かい、でもやっぱり熱いわ…
物干し台の無い所で一息つきつつ先程から感じていた額の汗を指で拭う。
私が手の側面でこうするのに対して、甲でそうするのがあの人のやり方だったか。
今はもうあまり見ていないけれど。

「……」

そのように思うと、何だか空を見上げて思いを馳せてしまう。
遠く遠くどこまでも続く青はどんなことを考えても許してくれそうな、綺麗な色。
でも…今はあまりの意味、か。


「はぁ。」

一息つき、ぺたんと座り込む。
右肩の方を見れば掠ったような傷があった。
傷といっても血が出るようなものではなく、何筋かの細い線だけれど。
それにしても、まだ治ってなかったのね…

「ふふ。」

少々愛おしくもあるその傷に我知らず尻尾がはためく。
当然だろう、この傷はわたしとレイザの過去が立派にあった証拠なのだから。
…そう、黒孤狼レイザと呼ばれた凄腕の元傭兵のいつも傍にいた、一匹の優秀な飼い犬の。

「カァゥ…」

喉の奥から懐かしむような声が出て、その気分が目をゆっくりと閉じさせる。
見え見えなスケベ心といつも一人で戦果を出す狼の如き短く黒い髪とが合わさった、黒孤狼の二つ名の傍に居られたことは、少し前と言えてしまう程のことなのにまだ随分と近い出来事のように思い出せる。
まぁ、その本人さんは平和になった国の元で私のあるじさまに転職してぶらぶらとしているけども。

「……」

胸に肉球を当てて見る、とくんとくんと暖かい鐘の波が聞こえた。
シャルナ・クーシという名前と共にレイザに貰ったこの体の、生きている証拠が指を伝ってくる。

『クー・シーだから…クーシで良いだろ、ちょっと不満かもしれねえがそこは勘弁な』

「ふふ…」

つくづく不思議なお人。
スケベなのに、孤狼なんてものになるくらい人と深く関わる事は無く、それでいてわたしから私になった時にはまるでその寂しさを埋めるように愛してくださって。
スケベなのに、身勝手な言葉なのに、芯はわたし一人を見てくれていて。
でも結局の所スケベで…

「…んーぅ…」

ここさえなければ、と唸るもののそれでいて意外に純情なのがまた愛らしいところといいますか。
等とじっとそのまま考えていたかったのだけれど。

「ん…ぅ、ん…すぁー…」

結局、私に手間をかけさせてくれるお方ということですね、あるじさまは。
角度の加減で丁度良くなっている日当たりの場所にて、微睡みどころかどっぷり寝転がるその姿に苦笑いしつつ、内心嬉しくそう思う。
彫りの深い顔がだらしなく緩んでいるのは安堵の印、その信頼は私のものなのだから。

「もう…風邪を引きますよ、あるじさま。」

けれどしかし風邪を引くのを見過ごすのもいただけません、と考えて私はあるじさまの元へ向かってしゃがみ込み、声をかける。
起こすのには体をゆらゆらと動かしてみるのが一番なのだけどしなかったのは、そのまま穏やかに眠っていて欲しいと思わないでもなかったから。

「んぉ…すー…」

そんな風にやや悪い知恵を働かせての行動はどうやら功を奏したらしく、あるじさまはただ寝息で私に応えた。
本当に応じたかどうかと考えると少し怪しいですが…
事実は起きていらっしゃらない、それで良いとしておきましょう。
しかし、まぁ。

「ふふ。」

無防備な寝顔でいらっしゃいます、喉笛食いちぎる狼と呼ばれていたとは思えませんね。
風にさわさわと髪を撫でられても目を閉じて寝入る左向きの姿は、まぁ狼と呼べないこともないでしょうが…

「ん…んぇへへ…」

…むぅ。
にやけながらちょっと嬉しそうな顔をしてらっしゃい、いや、している。
どうせレイザの事えっちな夢でも見ているんだろう。
そう思った途端私は、わたしへと切り替わる。
二重人格だとかそれほど大げさなものじゃないけれど、ずっと一緒にいて気心も知れているんだしこれはこれで良い。
それに。

『あー…悪い、ご主人様とかいうのはダメってな出来ねえか?どうもそう言われると体がむずがゆくってなぁ…』

思い返して胸に手を当てると、自然と笑みが出てきた。
レイザが、あるじさまがそう言ってくれたからこういうやり方を私は許せる。
それにきっとそう言ってくれなければ、どうすればいいのだろうかとまだ関係は互いにギクシャクしていた気さえしてくるわね。
そのように考えレイザを見ると。

「ぅ、へぇ…へへ…」

にやけながらちょっと下品な笑みを浮かべていた。
はっきり言って、台無し。
いくら夢の中にいるとはいえそこはせめて、ちょっとで良いから耐えて欲しかった。
……いや耐えられたらレイザらしくないのは確かだけれど。

「ぅー…ん。」

しかしこう、想っている間にも下心満載の夢を見られているというのはちょっと悔しいのでこちらも下心ありありの行動に出ることにする。
そのものであるわたしが犬のようにというとおかしいけれど、そんな感じで四つん這いのままレイザの横まで這っていき。

「っしょ、と。」

そのまま真横…
丁度、レイザの腕に触れるかどうかという距離にまで近づきそこで右に横たわり向かい合うように寝てみた。
それ自体はどうということもないのだけれど、以前もこんな風に隣り合って眠っていたからか意外と体は自然に受け入れてくれて、何だか嬉しく思ってもぞりと震えてしまう。
同時に体中を巡る寒気じみた感覚に欲情したかしらと思うが、匂いはしてこない所をみるとどうやらまだ抑えられそうだった。
うん、そう…これでいいの、今はこうしてレイザの傍に。

「はら?」

と考えていると、背中に暖かな細長の感触を感じて妙な声を出してしまう。
しかしそのようにしておきながら、何が起こっているのかは大体の予想はついていた。

「…ん、ふ…」

顔だけで背に振り向くとまさしくその通りで、穏やかな顔でレイザが私に左腕を乗せてくれていた。
レイザのパートナーとしての自分と今の状況を考えればむしろ分からない方がおかしいくらいだったものの、自惚れではなくて良かったと安心する。
少しだけ目が覚めてそうしてくれたのか偶々私を感じてそうしてくれたのか、どうしてそれが起こったか自体は分からなかった、けれど。

「…わぅ。」

つい、甘えた声を出し両手を顔の前に持ってくる姿勢を取ってしまう。
この暖かさなら、あるじさまに撫でられているこの感覚に浸りながらなら、もう少しの間わたしで居ていいだろうという甘えがそうさせた。
というか。

「んなぅ〜」

尻尾がレイザの腕を勝手に捕らえて逃さなくて……
あるじさまに仕える私としては褒められたものではないが黒孤狼と共にあったわたしとしては誇るべき行動を、体が勝手にしてしまっているのだし。
それに…

「かぅ〜」

持ち上がったレイザの左脇に鼻先を押しつけ、目を閉じる。
こうしていると撫でられているというよりまるで抱きしめられているようで…

「…ぅ」

そう思うとまたちょっと、むらりとする。
それでもまだ匂いは出ていないようだから心配はいらないけれど。

「ん、ふふ…」

考える間に、レイザがまたすけべな笑いをする。
…まぁこんなあるじさまだから、無自覚の誘いになんてすぐ乗ってきてくれるというのもあったか。
というよりそうでないと私はあのスケベ本以下ですから、どう考えても抱いてもらえるに決まってる。

「〜〜〜ぁわう」

となると焦る必要もなければあるじさまの眠りを妨げる理由もないらしいので、ここは大人しく眠る事としましょうか。
そのように思いつつ欠伸を一つかみ殺す、口からは暢気な息が吐き出されていった。
起きていようとする気持ちが乗ったような生暖かい息に力が抜けるが、しかし何だかちょっと物足りなくもあったので。

「…ぅう〜」

鼻をあるじさまの、レイザの脇腹に押しつける。
感覚の要たるそこを信頼している無二の者に預ける感覚は、欠伸よりも更に私を安心させた。
ご主人様と呼ぶような者には悉くあるまじき行為ではあるが、
しかし肝心の主がそれを望んでいないのだからこれもまた奉仕や従順に入ろうというもの。

「ん、んへへ……」

そのように考えながら願わくば、と目を閉じる。
睡魔はすぐそこまで迫ってきているのが分かっているので後は幸せな気持ちで眠るだけなのだが、直前にまた笑いを聞いてしまうとそうせざるを得なかった。
すなわち、願わくばこのすけべなあるじさまが私の夢を見て抱いて下さいますことを、と。

「ン…アゥ…」

まぁ願うまでもなくやられてしまう気もわたしにはするのだけれども…
それはそれで幸せなことなので結局良いこととする。
占いを信じるなら良い方だし都合よく考えるのが一番に決まってらあな、嘗てレイザもそう言っていたし。

「…ん…」

ならば従者も同じように考えるのは当然のことと、そのように思考を打ち切り意識を落ち着け、本格的に眠りにいく。
陽気と風通しもさることながら、やはり落ち着くのは隣のお陰。

「んふぅ」

そんなことを思いながら意識を落とす、どうという事のないお昼時。
緩やかな空気の流れが撫で暖かな光が包んでくる光の心地よさに、ついつい鼻から息が一つ。
どう足掻こうとレイザには勝てないこの感触だけれど、あるじさまと一緒に味わうのならば私の中で二番目の幸せにしても良いかもしれないわね……

「ふ……ぅ……」

さて、では夢の中までもお供いたすとしましょうか。
わたしでも私でも、レイザの、あるじさまの望むとおりに。
それが一番の幸せであるのですから……
16/07/14 19:42更新 / GARU

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