連載小説
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激情、そして名前
「何が言いたいんだ?」

お前は、何だ。
その言葉に俺は反射的にそう言い返していた。
何だと聞かれても答えようがなかったからだ。
「言葉通りの意味だ、お前は何なんだ?」
しかし要領を得ない繰り返しは、そんな表向きの理由で済ませてはくれなかった。

「……意味が分からないな、哲学でも語りたいのか?」

裏向きの理由、怒りと謎の衝撃の元に言葉を吐く。
怒りは至極当然だ。
入るなりなんなり厳しい口調で存在を問われたのだから。
相手の顔を見るに酔っぱらっている訳でもなさそうなので、
本気でこれを聞かれているのが確かなのもそれに加わる。
となると案ずるべきは謎の衝撃の方だった。
正体の分からないその感情は、次第にいらつきへと変わるものだからだ。

「ふん、そうやってはぐらかすか?」

とワイバーンが口を開く。
それは返答するものではなく言葉への言いがかり。
まともに話をするつもりがあるとは思えなかった。
……このままやっていても話は平行線を辿りそうだな。
冷静な部分がそう言う。
ならば適当にあしらうのが定石であった。

「分からない奴だ、いきなりお前は何だと聞いておいて戸惑う体を見せればそれか?
普通の感性とは思えないな。」

が俺はそう返してしまう。
度を超していた苛つきがそうさせたのだ。
無論、感情論に感情論で返すのは悪手である。

「ならば答えればいい、お前は何なのだ。」

そうするとやはりワイバーンは最初に戻った。
というのも、分からなくて困っていると言えばとりあえず答えろとなるのは分かり切っていたからだ。
ともあれこれでは話題は堂々巡りか。

「何といわれても困る、強いて言うならば普通の騎士だというくらいだが。」

だから今度はぐっと抑えて自分なりの答えを探してみた。
何と聞かれたのだから所属する役職でも言えば納得するだろう。

「違う、お前は何も分かっていない。」

そう思っての発言だったのだが返ってきたのは怒っているような言葉だった。
所々呆れも入っているように見受けられる。

それは、ともかく。
これはあんまりじゃないか?
いきなり話しかけられて、問いを投げられたかと思えば不機嫌になられ。
礼儀作法がどうのと言うつもりは無かったが流石に腹に据えかねる。
時間ばかりか機嫌まで損ねていくとはどういう了見だろうか。
大体どうして俺だ、何か八つ当たりをしたいのであれば他を当たれば良かろうに。

 
「ハ……分かっていないのはどちらだろうかな。」


と一度思ってしまうともう抑えられないもので。
そう言う心は、繋がっている俺の体は何とも軽く言い捨てていた。
ハッと嘲笑うような笑みまで加えてだ。

「何だと?」

するとみるみるワイバーンの顔が赤くなっていく。
それを見るとまたやられた分の仕返しすらしたくなってきて。

「言葉通りだ、お前こそ何だ。
酒を飲んでいるようにも見えないのに顔を真っ赤にして。」

つるつると言葉達が口から滑り出ていった。
こうなってしまうと止まらない。

「っ……!」

眉間がピクピクと震えている。
どうやらあちらも本格的にご立腹のようだ。
だが正味。
ここまで言っておきながら俺は自分が分からなかった。
ただのいきなり話しかけられた怒りであるならばこうまでは言わないはず。
だのに度を過ぎた怒りで潤った口からは制御を失って罵倒が発射されていく。
その源泉となっているのは間違いなく。

「お前は!そうやって私の問いから逃げる!何なのだと聞いただろう!
それに答えさえすれば」


そう、お前は何なのだというそれ。


「答えたろう、だというのに細かい説明もなしに否定したのはどっちだ!
人の話を聞く気があるとは思えない態度でよくもまぁそんな口を!」

そのいらつく理由の改めての提示に、こちらももっと熱くなる。
こうなってくるともはやいらつきの理由などどうでも良かった。
こいつを言い負かしてやるという思いも加わり、過激にヒートアップしていく。


「もっと奥の方を聞いている!察せ無いのか!」
「察しろぉ?ほぉ!お前がか、ならまずこっちがどんな気分かを察して欲しいもんだが!」
「その気分の元は何かと聞けば、そもそも答えないからだ!」
「なら聞かなければ良かったろう!酔っぱらいの難癖にしてももっとマシなものを選ぶぞ!」
「何を」「あぁ、ったく」


言葉での決着はもう無理、そのように思って手が出かけたその時。


「そーこーまーでーでーすーっ」


そんな伸びきった声と共に、それとは全く裏腹の剛拳が俺達の目の前に突き出された。
大気を切り裂かんという勢いでグーが入り込んできたのだ。

「「な…」」

二人して絶句し拳の根の方を向く。
そこには体中に土を纏った女の姿。

「っ!」「…!」

それを目にして、固まる。
冷水をぶっかけられるという表現があるが、まさしくそれ。
どうやらワイバーンも同じようで呻いていた。
そこに居たのは……ノームの、メイヤ。
この酒場の店主だった。
見たことはないしこの店に入ったのも初めてだったが、隊長や周りから話を聞くことは多々あった。
その人は、曰く荒くれ者や酔っぱらい相手に無敗の強さを誇ると。
詰まるところ現状からすると戦慄の対象なのだ、そんな相手を怒らせてしまったかも知れない事は。
そのように思えば固まるのは当然のことと言えた。

「もぅ、喧嘩したらめっ、なんですからね!
どういうわけか知らないですけど、迷惑かけるのはいけないことですっ!」

が、当の本人は腰に手を当ててぷりぷりと怒りを表す。
先程の土の剛拳も、彼女の前で人差し指を横に振っていた。
土色の豊満な肢体とのギャップがどうにも、間抜けというか可愛らしい。
しかし…加熱していた喧嘩をまるで悪戯か何かのように叱ってくるか。

「……ふん、悪かったな。」

それを見て俺と同じように毒気を抜かれたのか、
ワイバーンはそう言って勘定を済ませて店から出てく。
言葉は謝っているものの、歩調や雰囲気は未だに怒っているようだったが。

「……い……っ……その、あの、すいません。
少し、熱くなり過ぎて…」

俺の方もまだ怒りは収まってはいなかったものの、ぶつける本人はいなくなってしまった。
なのでここはやるかたない気持ちを鎮め、店主に頭を下げる。

「んー、ちゃぁんと仲直りしなくちゃめっ、ですからね!
お詫びに明日もこの店にいらっしゃって下さいねっ?」

すると店主はやや不満そうに言いながらも、そう返してくれたのだった。
店の雰囲気は気に入っていたので、出入り禁止にならなかったのは良かったと言える。
ともかく後は、普通にジュースの残りをいただいてから普通に俺は家に帰ったのだった。



「っ」

自宅でベッドに寝転がりながら、あの長身黒短髪男の事を考える。
ふかふかのかけ布団が作り出す暖かい闇は冷静になるには十分だった。
思い返せば、酒場での出来事に関しては完全に私の落ち度である。
どうしてあんな言い方しかできなかったのだと後悔の念が押し寄せてすらくるくらいだ。
加えて場の雰囲気も完全に損ねてしまった、明日はメイヤに謝りにいかなければ。
それと、あの男にも。
……それはそうとしかし、お前は何だと聞いたあの質問は嘘ではなかった。
奇妙、実際奇妙な感覚を味わったのだ。
どこをどう取っても普通なのに何かが並みではないと。
凡人ではないとワイバーンの鋭い感覚が告げたのだ、あの時に。
感覚や機微に聡いのは魔物娘全般の特徴、うぬぼれではないだろう。
となると、もしかしたらそれは普段の生活には関係ないものなのかも知れない。
……うん?

「普段の、生活。」

何かが引っかかり、口に出してみる。
その言葉の蔓に繋がっていたのは、言い合いをしていた時の男の言葉だった。
酒を飲んでいるようにも見えないのに顔が赤いが。
察しろと言うのならばこちらを察して欲しいものだが。

「……」

思い返し、確信する。
あの男は怒りの中で洒落た返しをしてみせた。
ということはつまり自らのうちに冷静なものを秘めている。
顔が赤くなる程に頭を熱くしていても尚返せるくらいなのだ。
そうではないかも知れないが、確かに些か特殊とは言えるのではないだろうか……?





翌日ほぼ同じ時間。

「ん、ぅ。」

店主に言われた通りに酒場に来たはいいものの。
俺と同じくらいの背の、翼持つ灰色の髪を……
昨日のワイバーンを目の端に捉えてしまい俺は気まずい気分になっていた。
理由は言うまでもなく、また昨日のようになっては悪いからである。
煽られたとはいえこちらまであのように荒れる必要はなかった筈で、
またこれが彼女を刺激した一因でもあるだろう。
しかし何故俺はあそこまで怒ってしまったのか。
それはそのうち忘れるであろう考え事ではあるのだが、何故か忘れてはならないと思うのも確かで、
ますます不思議に思えてくるのだった。
そう言えば、言われた言葉は…

「ぁ」
「……」

と、あのワイバーンと目が合ってしまう。
店の中で座り所を探すにしては長過ぎる時間立っていたのだから、いつかそうなるのはほぼ確実であったのだが。
ともかく会った以上はもう知らぬふりなど出来る訳もない。
そして知らぬふりができないということはあの昨日の再来…

「ん。」

しかしその心配は無さそうであった。
ワイバーンが、こちらに手招きをしてきたからだ。
誘ってきたということは少なくとも敵意は無いと見ていいだろう。

「……」

向かって歩いていく。
ああは思ったが、警戒を未だに解く気がないのは俺の癖だ。

「その、とりあえず座ってくれ。」

程なくして辿り着くと、ワイバーンはそう言って自分の正面の席を示す。
断る理由もないので座る、すると。

「……すまなかったな、昨日のことは。」

開口一番に彼女は謝ってきた。
渋々という様子は伺えない。
目はうろうろと落ち着かない風で泳いでいるが、顔はこちらを見たままだ。

「…いや、こっちも熱くなって悪かった。」

そうされて罵詈雑言を吐けるほど俺も悪人ではない。
それにこっちにも非はあったので素直に謝ることにする。
敬語でないのは、罵り合った相手に今更でないかというのと、彼女もそうしていなかったからだ。

「だが、私が吹っかけただろう。」

と、彼女がそれに食い気味で続けてくる。
口喧嘩の時もそうだったが、意外と意地っ張りな性分があるらしい。
となると、ここで対抗するように謝っても建設的とは言えないな。
「なら、一つ教えて欲しいんだが。」
そう思ったので俺は謝罪の流れを打ち切ることにした。
ん、何だ……と彼女がこちらを向く。


「あのぅ、ご注文は如何されますかぁ?」


が、それに口を開こうとした瞬間俺達の横から声が割り込んできた。
見れば昨日の仲裁者、メイヤさんだった。
認識した一瞬意識が強ばるが、その伸び伸びとした声とふわついた雰囲気に、
そんなものは必要ないとすぐに考えを改める。
しかし注文か、確かに何も頼まずに居座るのは失礼というものだな。

「そうですね…それじゃ、水を。」

と大仰に思ってみても何も浮かばなかったのでとりあえず水を頼む事にする。

「はい〜、お水ですね。」

付け加えて注文は後からでも良いかと聞くと、これも承諾をもらえた。

「では、ラースさんは?」

そうしたメイヤさんは、今度はワイバーンに訊ねる。

「私も水をもらいたい……注文も同じ風で頼むよ。」

するとラースという名前らしい彼女はそのように答えた。
自分が言えた身ではないが、酒場に来て水とは珍しい。

「はいはぁい、ではごゆっくりぃ〜」

等とどうでも良いことを考えていると、メイヤさんは厨房の方へ引っ込んでいく。
小柄な彼女だが足下の土を蠢かして進むスピードは中々のものだった。
…何故店主自らが注文を聞きに来るのだと密かに思っていたが、
あの速さを見ると何となく理解と納得が出来るな。


「で、何なんだ?聞きたいこととは。」

視界の端から、彼女が話を戻してくる。
それに俺は流れを思い出しながらこう答えた。

「あぁ…昨日の事なんだが。
どうしてあんなに怒っていたのかと、それが気になってな。」

そう、思い出してもあの時俺に何らかの落ち度があったようには思えない。
そもそも入ってきたばかりでああなったのだ、中々の理不尽である。
しかしあの場では頭が熱くなっていたので、改まって聞いてみることにしたのだ。
今後ふとした拍子に怒りに現れてもらっても困るしな。

「あぁ、それは。」

と、返すのにラースが一旦置く。
一息ついたように見えたのは、こちらもそれを重要に思っているからだろうか。

「……」

置きの空白を無言で繋ぐ。
話を聞く気があるぞ、ゆっくりと考えてくれ…意味は、言葉にするとしたらそんなところ。

「すまない、その」

そのようにしていると彼女は申し訳なさそうに切り出した。
その言い方に、一抹の不安を覚えていると。

「巧く言い表せそうにないんだ…本当に、何と言ったらいいのか。」

ラースはそう続ける。
自分の感情がどういうものなのか言葉にするのが難しいといったところだろうか。
確かに、自分の感情を把握するというのは難しいものだ、俺自身も今そうなのだから。
しかし、あれだけ昨日言われておきながら結局分からずじまいというのも嫌なので。


「だったら言える分だけ、どんな風に思ったとか直接言葉にしてくれればいい。」

性悪とは思いつつも追撃を加えることにした。
すると彼女は、うっ、とでも言いたげに少しだけ顔を歪めた後、
今度は些か赤みがかってぽつぽつと口から紡ぎ出す。

「その、何となく気に入らなかったんだ、お前の、気配が。」
「気配?」

言い渡された言葉に困惑しつつ鸚鵡返しする。
存在自体が気に入らないだとか生理的に無理とかいう奴なのだろうかとも思ったが、
それならば何故今普通に会話出来ているかが説明がつかないので、続きを促すようにそうした。

「……分かりづらいのは百も承知だ。
そうだな、何というのだろう。」

彼女もそのくらいは分かっているようで難しい顔で腕を組む。
眉間に皺をがっつり寄せるその顔は、自分の中に逆巻く感情の渦に参っているようにも見える。
……どうしたものか。
正直困惑する。
俺の何かが気に入らないのは確かだろう、そしてそれが俺の存在や魂だとかに由来するものではないことも。
となると所作や性質や癖といった、ふとした部分になるのだろうか?

「あ……」

等と考えているとラースが突如声を上げた。
どうした、とそちらを向くと何とも言えない表情の彼女が目に入る。
目に悲しみと怒りが混ざった色を浮かべて、口はへの字だ。
昨日と同じ気分を味わったが冷静な部分が抑えている、といったところだろうか。

「どうしたんだ?」

思うだけでなく、疑問を言葉に出してみる。

「あぁいや、もしやまさしくそこかなと思ってな。」

すると今度の彼女は思いの外すらすらと言葉を並べた。
しかしまさしくとはどういう事なのだろうか?

「昨日もそうだった。
普通でない考え方が出来るのに、まるで自分は普通であるというような振る舞い方が気にくわなかったんだ。」

と、更に語られる。
その内容は何とも納得し難いものだった。

「はぁ…そうか。」

そしてまた返答に困るものでもあった。

そもそも俺は普通だし、そのように言われてもどうしようもない。
だがこれはそのように言えば再燃を招きかねないのでやめておく。
次に気にかかったのは普通でない考え方という部分であったが、
これもこれで話題に出すのは得策と言えそうにはなかった。
何せそう思った目の前のワイバーン本人ですらここに辿り着くのに時間がかかったのだ、
普通でない考え方とは何なのだと聞けばまた詰まってしまうだろうからだ。

……ん。
そのように考えていると、ふと気になる点が思い浮かんだ。

「そう言えば、何故お前はこれが気に入らなかったんだ?
俺には、いきなりあんな質問をする程怒らせるものには思えないんだが。」

これだ。
俺はそうでないが、普通でない奴が普通に振る舞っているというのは謙虚と言われ、
それこそ普通は尊敬こそされど疎まれる事はあまりないのではないか。
ひねくれ者ならば話は別だが、このワイバーンはそうは見えない。

「あー……」

だから聞いた、のだが反応は予想していたものとは大きく違った。
腕組みをしたまま彼女は、苦々しい表情をして考え込むように俯いてしまったのだ。
その構図に自らの失態を悟っているとラースはゆっくりと唇をこじ開ける。

「その、すまない、本当に無責任だとは思うんだ、思うんだが、言いたくないんだ……」
「……そうか、ならいい。」

そう返す、返さざるを得なかった。
踏み込んではいけない領域に、不用意に踏み込んでしまったような感覚。
言うなれば彼女の中の何か大きな問題というのだろうか楔というのだろうか。
それを彼女の意識の眼前に見せつけてしまったかのような感じである。
考えすぎかも知れなかったが、良い気がする訳のない話だった。

「……」
「……」

そして、悪いものは悪いものを招くらしく。
俺とこのワイバーンは長い、本当に長くなるのだろう事が直感できる沈黙に突入しようとしていた。
何を喋っていいのか分からないという奴。
またはこれを喋っていいのだろうか、とも表せるか。

「……」

視線が合わさりそうになるその刹那に咄嗟にずらし。

「……」

結局何も言えないまま喉元で言葉をすりつぶして飲み下す。
これ以上はどうしようもないか、と思われたその時。


「お水、お待たせしましたぁ〜」

幸いなことに、雰囲気を壊す剛腕が割って入ってきてくれた。
丸いテーブルの上に冷え切って水滴をつけている水入りのコップが差し出される。

「…ありがとう。」
「ありがとうございます。」

口から滑り出るのは感謝。
つい先程まで固く閉じられていたとは思えない程に滑らか過ぎた。

「んー、それじゃあご注文は…」

なんて思っているのは知らないメイヤさんが、朗らかな笑みと共に注文を取る。

「……では私はこの、魔界ステーキのじゅうじゅう肉コースを。」
「俺は…そうだな、パラパラ特製チャーハンを並盛りでお願いします。」

それは誇張表現でも何でもなく救世主の笑みだった。
先程の滑らかさは逃げ道に縋りついた……と思うがまさしくそれ。
重苦しい雰囲気に押しつぶされていた発言の意欲が、泉のように沸き立ってきたのだから。
考えすぎかも知れないが、注文を取るだけで雰囲気を和らげるとは流石と言いたい気分だった。

「はいはいー、じゅうじゅうにくとパラパラですね、少々お待ちをー!」

しかしやはりそんな事を考えているとはつゆ知らない彼女は、
変わらない明るさで厨房へと駆けていく。
その後ろ姿に密かに感謝しつつ俺は、水を一口飲んだ。
喉を通り抜けていく冷ややかな流れは何とも心地良いものである。

「……なぁ。」

それが通り過ぎた余韻を味わいつつ、俺は再び口を開く。
せっかくの雰囲気にやや重たいトーンで切り出してしまったかと後悔するが。

「ほゥ…ん、何だ?」

向かい側に座る彼女は両手でコップを置きつつ、明るい調子で応じてきた。
先程の事が過ぎてほっとしているのかそれとも単に関連していると思っていないのか、
はたまた俺と同じく和まされたのかは分からないが、そういう反応であった事に感謝しつつ俺は続ける。
感謝するのは、関連させない方が円滑に進むならそうするのが一番良いからだ。

「折角だ、名前くらいは言っておかないか?
喧嘩をしてそれなりに話せるくらいになったんだ、知り合いなっておくのも悪くないと思うんだが。」

ともかく、口にしたのはそんな言葉。
意図も全てその通りだった。
喧嘩をして仲直りをして、そのままじゃあさようならで済ますのは何だかもったいない。

「独特な考えだな……だが、ふむ、成る程悪くない。」

彼女もそのように思った、かは定かではないが同意してくれたようで頷いていた。

「んッ……では俺から。」

それを見、タイミングを計る咳払いをしてから始める。
言った以上こちらからするのが筋と思ってのことである。

「レーヴェ・ラッセル、昨日も言ったかもしれないが騎士だな。」

言葉が口から滞りなく出ていく。
自己紹介というものにしては少々淡々とした気がしないでもなかったが…

「ん、では今度はこちらの番か。」

そう言って彼女が続けたのを見るに、この場では気にすることでは無かったようだ。

「私はラース…ラース・グラネイ、見ての通りワイバーンだ。」

等と安心しているとラースが自己紹介を終える。
ラース、ラース・グラネイという名前らしい。

「やっぱりラースだったんだな…」

どうやら、メイヤさんの言っていた名前で合っていたようだ。

「やっぱり?どういう事だ、ラッセル?」

ラースが早速名字呼びで問いかけてくる。
どういう事とは?と口から出かけるが、もしかしたら口から出ていたのかと思いとどまる。

「ん…あぁ、いや。」

そしてちょっと考える、すると彼女が何を聞きたいかが分かった。
声に出ていたならば、このことだろう。

「メイヤさんがそう呼んでいたからな、ラースさんと。」
「…あぁ、そうか。」

そう思ってだったが合っていたようで、ラースは苦笑いと共に息を一つする。
穏やかな声音だ、とどこかで思っていると彼女の口がまた動くのが分かった。


「メイヤはな。」

少し続けた後、彼女がこちらを見てくる。
ん、あぁ、と促すとラースは再びその口を開く。

「お世話になっていてね…
今は主に運び屋をやっているが、それを主なものにしてくれたのも彼女なんだ。」
「へぇ……だから呼び捨てなんだな。」

素直に驚嘆する。
メイヤさんが接客中にも関わらず名前で呼んでいたのは不思議に思っていたが、そういうことか。
ラースも彼女を同じように呼ぶところを見るに仲はかなり良いらしい、ならば尚の事納得が行く。

「しかしラッセルは意外にそういうのが気になる方なのか?
呼び捨てにしていたことといい私の名前といい、良く気づく。」

そんな風に考えているとラースが問いかけてきた。
その言葉に、何か違和感を覚える。
それが一体何なのか気にかかったが、少し考えればそれは容易に出てきてくれた。

「……いや、そんなつもりはないな。」

ともかく一旦は質問に返事か。
少しの間黙ってしまっていた事に気づいてそう思いつつ、回答する。

「そうか?まぁ、私の考えすぎかも知れないか…」

彼女の方はというと顎に手、いや爪を当ててそれを吟味しているようだ。
…こちらにも質問はあるが今するのは少しタイミングが悪いか?
ラースの様子を見つつ考える。

「そうだろう、俺も言われて驚いたしな。
そんな感じに見えていたのかと。」

ならば時間を開けるか、と適当な会話を入れ込む。
これならば返事をしなくても大丈夫だし、するとしても軽い相槌でいいだろう。

「ん、なら本当に考え過ぎかな。」
「だと思うぞ…ところで。」

思い通りの返しに満足しつつ、今度はこちらの番と切り替える。
うん?と見てくる彼女の顎にもう爪はなかった。

「あぁ、そんなに構えなくていいぞ。
どうして俺のことはラッセルと呼ぶんだろうなと気になっただけだ。」

しかしその目は何やら気合いの入ったものに見えたので、最初に断りを入れてから聞くこととなった。
で、些かばかり目力を緩めたラースはというと。


「ん?まぁ、いきなり名前を呼ぶのは失礼だろう?」


そんなことを言う。

「お前、今更…」

少し、口元が歪になってしまった。
だが無理もないことだろう。
いきなり怒声を浴びせ翌日敬語も使わなかった彼女がまさか、こんなところに気を使うとは。

「な、そんな反応をされる謂われは」
「敬語も無しで喋ってるのに、か?」
「……」
「っふふ、だろう?」

絶句するラース。
少し悪いことをした気になる構図だったものの、流石に笑いを堪えられなかった。

「むぅ、しかし、だな…」

それでも何か譲れないらしく、渋るラース。
だがラッセル呼びのままでは何だか居心地が悪い。
そう思った俺は、少々意地が悪いなと思いつつもこう続けてみた。

「いや、そういう礼儀を大切にするのは良いことだ。
なんだろうが、その、こっちが名前呼びなのに名字で呼ばれるのは少し、と思ってな。」

それはこちらの評価基準を相手に押しつける、あまり良くない考え方。
彼女がどう呼ぼうと思おうが自由なはずのそれを、決めさせようとしている。
だからこそ、意地が悪いな、と思ったわけなのだが。

「…まぁ、そうか。」

ラースは意外にすんなりと納得した。
実際詭弁だなと思っていたが彼女に言わせれば筋は通っていたようだ。
あるいはこれもまた、彼女の自由を決めつけようとしていたか……

「では、レーヴェ。」

しかしそんな思考は俺を呼ぶその声に中断させられる。
見れば一振り、翼が差し出されていた。

「あ、あぁ…よろしくなラース。」

それを握手と受け取り手を差し出す。
そうしておきながら俺は、どうやってするのだろうと心配になる。

「うん、こちらこそだ。」

が、彼女は器用にも爪側の翼を少しだけ折り曲げて俺の手を巻き込んできた。
握られるではなく引っ張られるという形であるものの、確かに紛れもなくそれの感覚である。
まるで柱を掴んでいるようでもあったが、
鱗の細かいざらつきと人肌の暖かさが合わさりとても心地の良い感触だ。

と、そのようにしていたのだが。


「……しかし、料理が来ないな…?」


かなり時間が経ったにも関わらず、まだ来ない料理が気になりそんな言葉が口から出た。
言ってから、また自分の基準だけで考えたか?と思うが…

「確かに、ちょっと遅いな。」

今度は間違っていなかったらしくラースからも同意が返ってきた。

「ふむ?」

少し気になり、厨房の方を見ると……


「あ」「成る程な」
「あぁあぁああメリーダちゃん、手伝いますから急いで急いでっ!」
「んぅ〜?あぁはい〜」
「う、うん分かったから返事いいから手、手を動かしてくださぁい〜!」
「はみゃ…」
「あっ、あぁあ!うん、分かった、ちょっと休んでてっ、んもー誰か手伝って下さいぃ」


答えがそこにはあった。
厨房にてフライパンを握るはワーシープそしてホルスタウロス。
名前だけで何とも嫌な予感がする組み合わせ、事態が理解できるだろう。
そして起こっているのは大体予想通りの事だった。
調理場のワーシープ、そしてホルスタウロス。
ホルスタウロスの方はそれなりにてきぱきしているが、
ワーシープの方はすぐにでも眠りそうだ。
すると時間がかかってしまう…いや、もう既にかかっていた。
その収束に奔走というか苦労しているのはメイヤだ。
恐らく他の人も手伝いに来るだろうが、これでは配膳が出来なくなるな……


「…手伝いに行こうか。」
「私もそうしようと思っていたところだ。」

となると、そういう結論になるのは当たり前だった。
俺達以外も同じようで、席を続々と立っていく。
しかしその顔に浮かぶ笑顔は、
迷惑というよりはまるで恒例行事を見るような感じだ。

「……レーヴェ、実はな。
日替わりなんだよ、ここの調理役は。」

と、ラースが横からそう言ってくる。
その顔には、秘密を共有するような楽しげな笑みが浮かんでいた。



「じゃあな、レーヴェ。」
「あぁ、また今度。」

それから少しして。
配膳を手伝いチャーハンとステーキを食べた俺は、ラースと別れて家路についていた。
見上げれば夜空に星。
瞬くそれを見ていると、今日を何となく振り返りたくなってきて。

「ふ」

…悪くない。
そんな感想が思い浮かぶ日だった。
ラースと知り合いになり、昨日の喧嘩も解決。

「……」

したのだが。
気になるところまで全てとはいかなかった。
それはあの謎の衝撃だ。
怒りそのものは恐らく彼女の急襲によって成されたことだろう。
しかしこちらは…

お前は、何なのだ。

あの言葉を今更やっと思い出す…間違いなく、この言葉だった。
何故あのように衝撃を受けたのか、そしてそれがどうしてあんなにも強く感じたのかは、やはり分からなかったが…

「…ん。」

開いた掌を見つめて、握ってみる。
だからどうなるというものでも無い、のだけれども。

「明日も、行くか。」

とりあえず気分は切り替えられた。
そしてあの店を行きつけにでもしてみようかとそう思うことも出来たのだった。
ラースに関係も深いのなら、話せば退屈もしないだろうしな。
…それに、彼女と話している内に何か分かることもあるかもしれない。

「っふ。」

それからすぐに歩き出そうとしたのだが、ちょっとした気まぐれに、ちらと振り返ってみる。
そこでは店の明かりがうっすらと看板を映し出していた。
こんな時間に、と思うがあれは酒場、むしろ今からが一番の稼ぎ時なのだろう。



…しかし『ラグド・ユノシレ』か。
ただの名前、しかし知らなかった名前…覚えておいて損はない。
何となくそんなことを思いながら俺は、今度こそ歩きだしたのだった。
16/07/10 00:24更新 / GARU
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