連載小説
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初戦
先手・後手を選ぶ権利はソフィリアに与えられた。
チェスというゲームにおいて一手の差というのは非常に大きい。
何故ならば、チェスには運という要素は一切絡まないからである。
一手において動かせる駒は一つのみ。その駒の動きも厳密に決められている。
そのためたった一手であろうと先に自分が状況を作ることが可能な先手が有利と言われている。
だが、ソフィリアはあえて後手を選択した。
これは余裕や傲慢からくるものでは無く、観察を目的とした選択である。
どのような戦略を選択するか、どのような流れを作るか、どのような手を好むか。
そう、彼がどのような人物か、というものを見極める為であった。

マクシミリアン王子の先手で対局が始まる。
初手は白のポーンをE4へ。美しい一手だ。ならば此方はE5へポーンを進める。
対照的な形を取り、まるで教科書どおりと言わんばかりの定跡中の定跡の展開を行った。
お互いに中央を取り合う前の睨み合い。その背後で攻撃前の陣形を整える。
マクシミリアン王子の手には淀みはなく、駒の配置も理知的で力強い。表情も温和な笑みままだ。
なるほど、チェスによる決闘を挑んできただけはある。中々に手強い相手であると確信した。
基礎の段階で練り上げられた戦略。それは厳格な教育の賜だと言えるだろう。
彼の評価を見なおさねばならない。確かに私と戦える剣を持った人物であったと。


だが相手が悪い。
彼が対局している相手は魔王の娘リリム。しかも軍略に長ける「無血の賢将」ソフィリア。
幼い頃から高等教育を叩きこまれた私には生半可な戦略は通じない。
マクシミリアン王子が外側に動かしたビショップ。それは僅かな隙となった。

中央から突き破る。ソフィリアは怒涛の攻勢を開始した。

ここから先は一手毎に致命打を狙い、狙いすました一撃を繰り出していく。
ナイトが突破口を開き、ポーンが押し寄せる最中、ビショップが隙間を貫き、ルークが蹂躙する。
しかしマクシミリアン王子は笑みを崩さず、一手一手丁寧な防御で此方の攻撃を捌く。
陣形を崩さず、欠けた穴は直ぐ様塞ぎ、空いた突破口から逆に進軍し、囲み敵を打ち取る。
たった一手がそのまま敗北に繋がるような壮絶な殴り合い。集中力を切らさぬ緊張の連続。
先ほどのビショップの悪手を感じさせぬような長い中盤戦はお互い被害甚大なれど互角。

「 ・・・素晴らしい腕だわマクシミリアン王子。 」
対局中だというのにソフィリアは王子を賞賛せざるを得なかった。
事前に斥候に情報を収集させていた内容からはチェスに明るいという話は現れなかった。
戦争に必要なのは情報。例え無意味なことであろうとも調べておく価値は有る。
そのことを部下に徹底させていたにも関わらず、王子とチェスを結びつけるものは無かった。
いや、王子の嗜みとして少しは戦うことができるだろう。むしろ全く出来ないとは思わない。
しかしソフィリアと渡り合うまでの腕を兼ね備えているとは考えもつかなかったのだ。

「 お褒めに預かり光栄で御座います。
  しかしながら、ソフィリア様の猛攻についていくのが精一杯。
  このマクシミリアン。緊張の連続で気が動転してしまいそうです。 」
微笑みを崩さず、王子としての気品を損なわずに歌でも歌うような良く透る声で返答した。
その仕草は芝居でも見ているような印象だ、芸術に長ける彼はさぞや舞台映えするであろう。
だけどその芝居口調はとても自然体だ。彼は元より芸術家肌の人物なのだ。

「 それは謙遜よ。貴方ほどの実力者はそう居ないわ。
  でもわからないことがあるの。なぜ貴方はそこまでのチェスの腕前を隠していたの? 」
本音だ。いったいマクシミリアン王子はどうやって、どうしてここまでの研鑽を積んだのか。
しかし王子はそれは秘密、とばかりに人差し指を口に当て教えてくれなかった。

「 少なくとも、私に勝てたら教えて差し上げますよ。 」
なるほど、勝てば彼の秘密も教えてもらえる。となればいずれ確実に知ることが出来る。

「 ただ、残念です。 」
しかし、今日はその秘密を知ることは出来なかった。


「 楽しい時はこれで終わってしまった。 」
その手の動作は滑らかで、その一瞬にはまるで絵画の如き美しさがあった。


たった一手で状況が一変した。


ビショップを中央に戻したのだ。二手損。此れほど早い展開の中では致命的な差に繋がる。
だが殴り合いで崩れていたお互いの陣形の隙間を縫うかの如き絶妙な配置。
ビショップそのものがキングを詰めてくるわけでも無く、クイーンを縫い付けるわけでもない。
ただ、一つ一つ歯車を狂わすように王子の他の駒が別の意味を持ち出していた。
互角、むしろ優勢だった戦いが完全な敗戦の道を辿っていた事を告げられていた。

このビショップを動かしたのはソフィリアが攻勢に出る前。完全な悪手だと思わせていた。
ここまで王子が読んでいたとしたのであれば、あの殴り合いの戦いは王子の罠だった。
ソフィリアは、戦況を完全に支配していたつもりだったが、真に操っていたのは王子の手腕。
王子は常にソフィリアの心臓をビショップという細剣で狙い続けていたのである。

駒の潰し合いは前提になる。だがここから潰しあったとしても戦況は絶望的である。
しかしいくら知恵を絞ろうとも、此処から先、勝利するためには王子のミスを願わねばならない。
だが王子がミスを与えてくれるような生易しい相手では無いことはこの対局で理解していた。

敗北である。

「 ・・・ まさか ・・・ この私が敗北するなんて ・・・ 」
ソフィリアは驚愕していた。まさか「無血の賢将」とすら呼ばれた私が知略で敗北するなどと。
完全に優勢だと思っていた戦いから、まさかの奇襲。いや、これは言い訳に過ぎない。
チェスに偶然は存在しないのである。故にビショップを軽視したのはソフィリア自身であった。
戦略の意図を最後まで見ぬくことが出来なかった。彼の方が一枚上手であったということだ。


つまり今回の決闘の勝者はマクシミリアン王子ということになる。


「 ・・・ 見事だったわ。 私の負けよ。 良い試合でした。 」
素直に負けを認める。いっそ清々しい気持ちになれた。

「 ええ、素晴らしい試合でした。 」
勝者のマクシミリアン王子はそれでも涼し気な顔を崩さなかった。恐るべき胆力である。
もしかすると、今まで出会った相手の中で最大の敵なのかもしれない。ソフィリアは感じた。
だが、このままマクシミリアン王子が勝ち続ける未来は存在しない。
今回の戦いでマクシミリアン王子の戦略戦術、人物像、指し方好みも把握できたのだ。
そもそも今回の勝利も薄氷の上での勝利。次の対局ではどう転ぶかわからない。
実力は同等、そうソフィリアは判断できた。

「 では魔王軍は決闘の内容通り停戦協定を結びました。ではまた明日お会いしましょう。 」

そう、ソフィリアは今回の敗北は教訓が多かった貴重なものではあったが、通過点に過ぎない。
ソフィリアは一度だけマクシミリアンに勝利するだけでよいのである。
そのため部下とマクシミリアン対策の研究を徹夜で行うことにしたのである。
魔力を用い、睡眠時間を短縮し万全の状態でマクシミリアンに再戦を挑む方針であった。



だが、ソフィリアは後悔することになる。
最初の戦いに全力を尽くし、魂を賭してでも勝っておかねばならなかったことを。
そして王子の言葉を思い出すことになってしまったことを。


楽しい時はこれで終わってしまった。


15/06/18 21:16更新 / うぃすきー
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■作者メッセージ
こまめに上げていく方針に切り替えました。
なるたけ専門用語は廃していますが、E4というのはチェス盤の位置です。
ノリで読んでもなんとなくはわかると思います。

サブタイトルを二文字で揃えた方がカッコイイので替えました(キリッ)

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