かっぱの川流れ

 河童は川を流れない。
 なぜなら川を流れるのは人形だから。
 今日も川上から役目を終えた人形が流れてくる。
「もう。たまには人間が流れてきたって良いじゃない。」
 河童の河童はいつもと同じ不満を漏らす。

 雪が解けて川に水が戻り始める頃になると、1年の厄を背負った人形を川へと還す。
 川に住む河童にしてみれば、春の訪れは川を流れる雪解け水と人形でわかる。
「人間人間〜っと、あれ?」
 久々に水へ入ろうとすると、何か大きな物が流れてきた。
「いよっと、ん〜、気持ち良い〜。」
 大きな物を拾おうと川に飛び込む。
 盛大に水しぶきを上げて水中に一度潜り、ざぱぁと頭を出す。
 身も凍るほどの冷水も河童にしてみれば気持ちのいい水浴びに過ぎない。
 手足の水かきを使い川を流れる物に近付く。
「あれ、これってもしかして。」
 流れる物の正体に気づいた河童が目を丸くする。
「ま、いいや。拾っちゃお。」
 久々の水浴びに機嫌のいい彼女は、自分と同じほどの大きなその物体を担いで岸へと上がって行った。


 小さく身じろぎをする影。
 声を漏らし、時折体を動かす。
「う、うわあああああ!!」
 勢い良く体を起こして周囲を見回す。
「ど、どこ、どこだ、え?」
「あー、やっと起きた? というか君、煩いよ。」
「あたっ。」
 河童が頭を叩き、少年が目を白黒とさせる。
「え、あ、え?」
「おはよう。一体何にうなされていたの?」
「う、うわ、あおいろ? おまえ、妖怪か!?」
「そうだよ。河童。知らない? というかさ、命の恩人に指差すってどういうこと?」
「え、あ、え?」
 当惑する少年に鼻が当たるほど顔を近づけると、河童は目を細める。
「雪解けと一緒に人形が流れるのは良くあるけどさ。人が流れてくるのは生まれて初めてだったよ。」
 不満を口にする河童に対し、顔を赤くして慌てて離れていく少年。
 離れてから、流れて、の件であっと声を出す。
「そうだ。僕は妖怪を探していて、それから……あれ?」
「君の疑問は良いから、応えなさい。なんでまた妖怪なんて探してたのさ。」
「え、えっと、それは。」
「んん〜?」
 遠慮なく顔を近づけてくる河童に対し、少年は照れ恥ずかしさに顔を赤くして距離をとろうとする。
「村の、豊作祈願だよ。」
「なにそれ。妖怪に豊作祈願だなんて変なの。」
「あのさ。マナナカ様って知らない?」
「まななか?」
「うん。難しい字を書くから僕も覚えて無いんだけどさ。」
 少年が記憶を頼りに、地面に枝を走らせて行く。
「ん〜、わからないね。」
「そっか。」
「で、そのまなななか様ってのと妖怪がどう関係するの?」
「いや、マナナカ様。」
「いいでしょどっちでも!」
「え、う、うん。」
 河童の妙な勢いに押され、思わず小作は頷いてしまう。
「実はさ……。」


 小作の説明を聞き終わると、河童は暫く目を閉じて黙り込んでしまう。
 何かを思い出しているように見えた少年は、期待を胸にじっと河童の言葉を待つ。
「だーめだ。マナナカってのはよくわからないよ。」
「うー、そっか。」
 残念そうに肩を落とす少年に、河童は顔を寄せる。
「でもさ。一緒に探してあげるくらいは出来るよ。」
「え、でも。」
「でもも案山子も無いの。一人で探せる? それとも、手伝って欲しい?」
 戸惑う少年の逃げ道をなくすように河童は立て続けに問いかける。
 暫くの間、少年は考え込んで答えを出す。
「うん。河童さえよかったら。」
「じゃあ決まりだね。」
 水かきのついた柔らかい両手で少年の手を包み込む。
 しっとりとした河童の手に少年が顔を真っ赤にするのも気づかず、河童は顔をぐっと近づける。
「よろしくね、少年。」
 こうして少年と河童の奇妙な関係が生まれた。

 少年が山を探せば、河童は川。
 少年が平地を探せば、河童は池や湖を探す。
 時には一緒になって探した。
 河童は人に化けるのが上手く、おかっぱの少女となって少年の村へと遊びに来たこともあった。
 山では山の遊びをし、川では川の遊びをする。
 二人は良く一緒に遊んだし、良く一緒に笑った。
 少しずつ少年が何を探していたのかを忘れてしまって、日々遊びまわるようになっても。
 毎日が楽しかった少年は気にもしなかった。
「今日は川泳ぎだよ!」
「今日こそは負けないぞ!」
「ふふーん。せいぜい頑張りなよ。」
「くそー!」
 同じ年頃の子供が少年の村には居なくて、物心ついた時から大人と一緒に仕事をしてきた少年は、遊ぶという事が楽しい事なんだと初めて知った。
「よいしょっと。」
「うわっ、またやられたー。」
「相撲で河童に勝とうだなんて10年早いよ。」
「うぅー、もう一本勝負だ!」
「幾らでもきな。」


 少年は日が昇っては川へ走り、日が沈んでは村へと帰る。
 雪解けが終わり、花が咲き、緑色の葉が生い茂り。
 やっぱり少年は朝も早くから村を出かけ、日が暮れてから帰ってくる。
 村の大人達も不思議がったが、少年に構ってはいられないので放っておいた。
 季節は巡り、木々が赤く色付き始めても。
 少年はやはり村を出かけては夜に帰ってきた。
 今日もまた、少年は楽しさに浮かれて村へ帰ってきた。
「やれやれ。今年も不作か。」
「ワシらももう終わりかの。」
 村の大人達のぼやく声、聞いて少年は思い出す。
 少年は真冬の水を被ったように、身の凍る思いがした。
 少年は今の今までずっと、村の事なんて忘れていた。
 村の一大事を忘れて、暢気に遊び呆けていた。
 少年は駆けた。
 いつもの河童の待ち合わせ場所を越えて、河童の寝床へと駆けた。

 絵物語は読んでいる間は楽しく、読み終えるとどこか寂しい。
 河童と少年の物語もまた同様に楽しさに満ちたものだった。
 そして二人を描く奇妙な物語は、着々と終わりへと近付いていく。


「どうして、どうしていままでずっと騙してたんだよ!」
 眠気眼を擦る河童は、日が沈んで帰ったはずの少年にたたき起こされ不満気に目を細める。
「一体何の話? 明日にして欲しいよ。」
「僕は、村のために豊作祈願をしなきゃいけなかったんだ! でも、どうして一緒に探してくれるって言ったのに、どうして一緒に探してくれなかったんだよ!」
「んー、そんなことか。」
「そんなことって。」
 状況を理解した河童は、やはり不機嫌そうながらも気楽に返す。
 逆に少年の方が動揺した、気が動転した。
 裏切られたと、友達だと思っていた河童に裏切られたのだと、少年は無力感に浸りながら思った。
「私は君の協力をするって言ったよ。でもさ、君は毎日遊ぶのが楽しいって言った。今日も遊ぼうって言った。だから私は君と一緒に遊んだ。それだけだよ。」
「そんな。そんなぁ。」
 自分が悪かったんだと知って、なおのこと落ち込んだ。
 河童は嘘をついていない。
 単に少年が忘れただけだった。
 村がどれほど危険な状態にあるのかを知っていて、そのことを忘れていた。
 秋ごろの肌寒い風が少年を冷やす。
 これからは川が流れるように、どんどんと寒くなっていく。
 今年も作物の実りが悪かった。
 食べ物が無い村人達は今年の冬をどう乗り越えるのだろう。
 一体何人の村人達が冬を越せるのだろう。
 去年は体の弱かったお爺さんやお婆さんが倒れた。
 今年は誰が倒れるのだろう。
 考えが悪い方へ悪い方へと流れる。
「お願いだよ、今からでも、村の皆のためにマナナカ様を探してよぉ!」
「豊作祈願、ねぇ。」
 まだはっきりと目を覚ましていないかのように、河童の声には力が無い。
「豊作を祈っている内はまだ大丈夫だよ。」
「どうして!? みんな、すごく困っているんだよ!」
「誰だって困るさ。問題は困ってさぁ何をするかってこと。」
「何をって、どうしてそんなに暢気なのさ!」
「私は困ってないからね。」
「でも村の皆は困ってるんだよ!」
「それは大変だね。」
「どうして、どうして手伝ってくれないの!?」
「落ち着きなって。」
 大粒の涙を流しながら訴え続ける少年に根負けした河童は、秋風で冷えた少年の体を抱き寄せる。
 ふわりと柔らかい体。
 その温もりに包まれて、少年は次第に落ち着きを取り戻す。
「でも。村の皆が頑張ってるから、僕だって頑張らないといけないんだ。でも僕、力が無いから、全然役に立てなくって。」
「わかったわかった。とにかく、今日は帰んなさい。」
 どうしてと少年が問うより早く河童は少年を離し、いつもの様に顔を近づける。
「明日、沢においで。いいね?」
 河童の笑顔に少年は思わず頷く。
 優しい顔をしているのに、なぜか少年の胸が落ち着かなかった。
 嬉しいのに寂しい。
 少年は胸の内に騒ぐ何かを知らないまま、村へと帰った。

 翌日。河童は沢の岩場で少年を待っていた。
 大きな岩に腰掛けて、なぜか山の方ばかり眺めていた。
「どうしたの?」
「ん、ああ、なんでもないよ。」
 返事も曖昧で、少し元気が無い。
 少年はすごく気になったが、村の一大事を思い出す。
「それで、今日はどうするの?」
「んー、そうだね。何をしようかな。」
「え、決めてないの?」
「きめてるけど決まって無いって言うか、ん、何だろうね。」
 いつも真っ直ぐ思ったままを口にして、やりたいようにしていた河童。
 その河童が今日は様子がおかしい。
 少年は胸の奥がざわざわしてならなかった。
「どうしたんだよ。今日は様子がおかしいよ。」
「そう? うん、そうかもね。」
 河童は意味のある返事をせず、ずっと山ばかり眺めていた。
「山に何かあるの?」
「うん。あるよ。」
 河童は山から少年に視線を移す。
「村が不作になる理由って、わかる?」
「え、えっと、たしか。種を植えても水をやっても、全然作物が育たなくなったんだよ。」
 村の人たちが口々に言っていた。
 なぜ作物が育たないのか、よくわからない。
「地脈が悪いんだよ。元々ここらは深い池を無理やり乾かして土地を作ったような場所だからね。」
「え、ここが池だったって?」
 唐突に、意味の判らないことを口にした河童。
 自分達が住んでいた場所が池だったなんて嘘としか思えない。
 けど、河童は表情一つ変えずにその理由を教える。
「私は河童だからね、わかるんだよ。ここは昔、河童達が住んでいた池だったんだ。」
 河童は湖には住まず、池に棲む。
 河童が棲む池には様々な生命が育まれる。
 池底の泥は多くの藻を生やし、それを餌にする虫が繁殖し、それを餌にする魚が育つ。
 多くの生命の欠片が底へと沈み、天然の肥やしとなって泥を豊かにする。
 河童はその循環の手助けをし、時には積極的に力を与えた。
「私も色々と見て回った。君のおじいさんのおじいさんが子供だった頃に、ここの池は乾いて平地になった。河童が君の祖先に土地を譲ったんだ。」
 河童の話はどれもこれも難しく、途方も無い話ばかりで理解が出来なかった。
 ただ、河童が嘘をついていないという事だけは伝わった。
「乾かし方が悪かったのか、村の人たちの手入れが悪かったかは敢えて言わないけど。地脈を整理すれば作物は育つようになるよ。」
「それってどうするのっ?」
「ちょっと、落ち着きなって。」
 ぐぃと詰め寄ってきた少年の肩を河童が抑える。
「君が一つ、約束をしてくれれば良いだけ。」
「約束? うん、するよ。何でもする!」
「そう? じゃ、今から言う事を守るんだよ。」
 言って、河童は顔を近づける。
「えっ?」
 少年は目を丸くする。
 いつも以上に河童の顔が近い。
 これ以上近くには寄れないって位近い。
 胸が、どきりと騒いだ。
 柔らかい感触が唇に伝わる。
「私の事を忘れる。いいね? 誰かに話すのも、会いに来ようとするの、全部駄目だから。」
 言って河童は笑った。
 嬉しそうで、寂しそうな笑顔。
 胸が騒いで騒いで仕方の無い少年は、何かを言おうとして、言おうとする気持ちが強すぎて何も言えないでいた。

「それじゃ。さよなら。」

 少年が何も言えないまま、言い出せないまま、河童は沢へと飛び込んでそれきり。
 水面を見下ろしても、河童は姿を現さなかった。


 少年は村に帰って、長老に問いかけた。
 この村は昔は池だったのかと。
 長老は驚いた。
 長老が子供の頃、確かにそういう話を聞いた事があったという。
 どうしてそんな事がわかったのかと長老が聞いても、少年は何も言わなかった。
 ただ、一つだけ質問した。
 マナナカ様って、何なのかと。
 長老は黙したまま目を閉じ、やがてうっすらと目を開く。
 マナナカ様とは、真ん中様。
 昔々この村が池だった頃に棲んでいた者達がいた。
 その者達に少年達の祖先が話をした。
 私たちは住む場所を追われて、このままでは全員倒れてしまう。
 それなら、とその者達は池の中央に集まり、沈んだ。
 暫くすると池は見る見るうちに水かさを減らし、やがて水気を含んだ泥が現れてきた。
 池が消え、泥ばかりになった土地の中央に一人だけ残っていた者が語る。
 この土地は暫くの間は作物が育つだろう。
 家を建てるもよし、作物を植えるもよし。
 我々は去る。後の事は自分達でするといい。
 言って、土の中へと沈んで行った。
 村の中心に残っていた事から、そのものに敬意を表して「真ん中様」と呼ぶ様になった。
 それが伝え伝わるにつれ言葉が変化し、「マナナカ様」となったのだという。
 少年は問いかけた。
 その「真ん中様」は、緑色をしていたのかと。
 背中に甲羅を背負って、頭に皿があって、手と足には水かきはあったのかと。
 長老は、静かに頷いた。

 そして村に冬が訪れ、多くの者たちが倒れた。
 倒れに倒れ、やがて春が訪れた。
 春が過ぎ、夏が巡り、秋を迎えた。

 村の作物はこれ以上無いほど、豊かに実った。

「今日もせいが出るな。」
「そうか?」
「しかし、地脈ってのがあるなんて知らなかったな。」
「地脈は石を置くだけで変わるんだ。山の岩の位置が変わっても同じなんだ。気をつけていないと、また作物が育たなくなっちゃうんだよ。」
「詳しいよなぁ。10年前の大豊作もおめぇの手柄なんだってな。」
「僕の手柄じゃないよ。」
「ん? 長老はおめぇのお陰だって言ってたぞ。」
「いいや、違うんだ。」
「じゃあ誰の手柄だ?」
「……川の手柄だよ。」




----作者より
エロでもなんでもないのを書こうとしたら、こうなった(’’
エジプト系、中世ヨーロッパ系と来て、日本系と
いきたかったけど、こうなった(。。

……かっとなってやった。今は反省している(。。




10/04/23 00:28 るーじ

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