トーマはステンライナの外壁沿いを西の門に向けて進んでいた。夕暮れではあったが林の中であるため、周りは薄暗かった。

「ねぇ、そこのお兄さん？」

　呼びかけられたトーマは足を止め、声のした方を見やった。
　男を誘うような、ねっとりとした口調の声の主が林の木々の間から姿を覗かせる。
　大きな角と腰から伸びる翼と尾、下着のような格好に艷めく素肌。どこから見てもサキュバスである。

「行方不明者を探してるのはあなたかしら？」

　艶やかな長い髪を耳に掛けながら彼女は言う。

「そうだ。君は？」
「良かった。行方不明になったサキュバスは私の友人なの。手がかりになりそうなものを見つけたから、ぜひ見てもらいたいのよ」

　その手がかりは痕跡の類いで動かすことは出来ないというので、トーマは彼女に連れられて、ステンライナから離れていくこととなった。

「どういうものなんだ？」
「んふふ、そう慌てないで。見れば分かるわよ」

　彼女は男を焦らしているかの様に言う。ある意味ではそうなのだが、いわずもがな口調と声色は別のシーンが似つかわしい。
　男なら欲情を抱きそうなものであるが、トーマはそれよりも歩き出してから彼女の後ろ姿に感じる違和感が気になっていた。

（なんだ…？なにか引っかかる…）

　怪訝に感じつつもその正体が分からない。
　そして５分程歩いた所で彼女は止まった。そこは林の中の池のほとりで、少し開けた場所となっていた。

「ここにあるのか？」
「そうよ…でもその前に…」

　彼女は月光を跳ね返す池をバックに振り向きながら、右手をトーマに向けてかざした。

「トゥルビディード」

　魔法の詠唱。その意味は分からなかったが、反射的にトーマは左へ飛び退いた。
　飛び込み前転をする形で回避行動をしたトーマが立ち上がると、サキュバスは驚いた顔を見せた。

「…どうして動けるの…？」

　その言葉からして行動を封じる類の魔法だと思い至るが、意識は直ぐに後方へ向く。
　後ろから数人の足音が起こり、振り向いたトーマの目には３人の人影が写った。
　見た目からして男、目の箇所だけ丸くくり抜かれた仮面を着けていて、頭から足の先まで黒一色。唯一、月光が手にしている得物の細い刃に輝いていた。
　サキュバスを一瞥すると、彼女もどこからか取り出した同じナイフを手にしている。

（魔界銀…じゃなさそうだな。…そもそも魔物は基本非殺を貫くはずだが…）

　自分が今感じているのは紛れもない殺気。本当に殺す気かどうかはまた別として、少なくとも手傷を追わせても構わないという腹積もりなのは確信できた。
　状況は言うまでもなく不利。４対１というだけでなく逃げ道は男３人に塞がれている。
　だがトーマは落ち着いて逃げの一択をとることにした。寧ろそれ以外にまともな選択肢などない。ただし、ただ闇雲に逃げようとしてもダメだろうことも分かっている。
　トーマは静かに懐からナイフを抜いた。

「…さすがに無手ということはないか」

　だれかは分からないが１人の男がそう言った。仮面のせいか声はくぐもっている。

「気をつけて。なぜかは知らないけど、昏睡魔法が効かないわ」

　続けてサキュバスもそう言うが、口調は先程までと打って変わって冷たいものだった。
　誰が応じるでもなく、この場の全員が動く。
　３人の男の内２人が飛び出し、同時に後ろのサキュバスもトーマに肉迫する。
　トーマはサキュバスにターゲットを絞り、彼女の突き放ったナイフ、もといその手首を左手で掴み取った。そのまま懐に踏み込み右腕の側面を彼女の首に押し付けて、男２人との間に彼女を引き回すと空いた横腹を蹴飛ばした。

「ぐぅっ―！」

　呻き声を上げて転がった彼女を飛び越え、男２人が迫る。
　仮にこの２人をＡとＢとする。
　２人は代わる代わる突きを繰り出した。相方を体を利用し、死角から攻撃を仕掛けてくる連携の取れた動きであった。
　１人彼らの後方で佇む男、仮にＣとするが、彼は徐に手を前方にかざした。しかし、特に何もないまま彼は手を下ろした。

「ふむ…本当に効かないようだ」

　そう、彼はサキュバスの情報を確かめるため、無詠唱での昏睡魔法を施行したのだ。結果は見た通りなにもなく終わっていた。

「ならば…ボランデ」

　Ｃの上と左右に１つずつ拳大の火球が現れ、それぞれが弧を緩やかに描く軌道で飛んでいく。
　ＡとＢの背後から迫る火球に気づいたトーマと２人はバックステップで回避した。

（避けたということは魔法無効の結界ではないな。魔道具の類だろうが、妙だな…）

　Ｃが妙だと思う理由として、魔道具だとすれば魔法無効の可能性がまず上がるのだが、今のトーマの行動からはそうでないことが伺える。ならば限定的な効力のもの、例えば状態異常無効などだ。
　だがそれでは無いということをＣはすでに分かっていた。なぜならサキュバスと彼の使った昏睡魔法トゥルビディードは、通常の状態異常魔法とはアプローチの仕方が異なり、状態異常無効の結界や魔道具をすり抜ける魔法なのだから。
　
　トーマは火球を回避した後、再びＡＢ両人からの攻撃に晒された。
　Ｃは火球を放ってからは後方で待機を決め込んでいて、サキュバスはトーマの逃走を警戒し、常にトーマの後方を位置取るように動いていた。
　彼女が攻撃に加わらないのは同士討ちを警戒してのことだろうとトーマは考えている。
　上下左右から迫る切っ先を躱しながらトーマは退っていくが、唐突に身を翻して走り出した。
　ＡとＢからすれば反撃の可能性が低くなったために追い込みをかけたい所である。２人はトーマを追った。
　トーマの向かう先にはサキュバスが立ち塞がっている。

（女相手なら抜けられるとでも思ったのかっ…！）
「フェルサ・レフォル」

　彼女の胸元の装飾に付けられた石が、紫色に淡く光った。
　詠唱の意味は筋力強化。先程は遅れをとったが２度もさせてなるものか、という意思表示でもあった。
　しかし、その魔法は意味をなさないこととなる。
　音と気配で背後の2人との距離を測り、トーマは半身で振り返った。立ち止まったトーマに走り込んできた２人の攻撃が目前まで迫る。
　途端、トーマは２人の足元目掛けて身を低く屈めた。とすれば当然勢いのまま、２人は躓いて転倒することになる。
　彼は素早く立ち上がり、サキュバスに背を向けて走り出した。

「このッ―！」

　後を追うサキュバス。
　そしてトーマを正面から見据えるC。

「ボランデ！」

　再び３つの火球が迫るが、トーマはスライディングでその火球の軌道の下をすり抜けた。
　サキュバスはその火球に当たらぬようサイドステップを踏む。
　トーマは跳ねるように立ち上がり、ナイフを抜いたＣが臨戦態勢で立ち塞がっていた。

「易々と逃がしはしない…」
「安心しろよ、逃げる気は無い」

　トーマの返しを怪訝に思う暇もなく、Ｃは彼がいつの間にか手にしていた物に警戒を向けた。
　それは次の瞬間にはトーマによって空中へと放り投げられる。

（魔道具かっ―?!）

　攻撃用なら回避しなければ、そう思ったのは彼ら全員。そしてＣだけが攻撃用のものでは無い可能性に思い至ったが、時すでに遅し。
　全員の目がそれに集まっている最中、激しい光と爆音がその場を支配した。

「ぐうぅ…！目が…！」

　時限式の閃光弾から逃れたのは、目を塞いでいたトーマただ１人。他４人の目は風景を捉えられず、その耳に届く音は酷く遠い。
　トーマはまず目の前のＣへと近付き、仮面越しの顎に目掛けて上段蹴りを叩き込む。

「ぐァッ―」

　Ｃが昏倒すると相手を変え、サキュバスへ。鳩尾に放たれた拳は容易く意識を狩った。
　続けてＡ、Ｂも容赦ない一撃によって無力化し、戦闘は終了したかに思われた。

「…アルツァルス」

　例えるなら青白い光の針のようなもの。それが気絶していたはずのＣから他の３人へ向けて放たれていた。
　光の針を受けた３人は各々呻きながら立ち上がり、攻撃を受けた腹や首を擦りながらトーマを睨みつける。

（気付けの魔法なんてのもあるのかよ…）

　トーマは苦々しげな表情でナイフを構えた。
　
「…ヴィフェール」

　Ｃの詠唱により広場が濃い霧に包まれる。トーマは身構えるが、攻撃してくる様子はない。
　１分もしない間に霧は晴れ、直ぐに足音が聞こえてきた。

「「トーマっ！」」

　トレアとミラは揃って叫んでいた。
　トーマはふぅ…と息をつくとナイフを懐へ収めるのだった。

＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿

　場面は少し戻り、宿の一室。
　トレア、ミラ、ノルヴィの３人はトーマの帰還を待っていた。時刻は19時を回ろうとしている。

「…遅いわね、何かあったのかしら…？」
「ああ、心配だな。様子を見てくる」
「私も行くわ。ノルヴィはここにいてちょうだい、入れ違いになるかもしれないし」
「おっけーよ」

　宿を出た２人はまず道を右へ向かう。宿から出て左手はは街の中心へ続いているので、トーマが来るとすれば門側である右側からのはず。
　とりあえず真っ直ぐに歩いていくが、トーマとは鉢合わせることなく西の門へと来てしまった。

「どうする？」
「警備に確認してみましょう」
「そうだな」

　トーマが街から出たのか、出たならば戻っているのかを警備兵に確認する。
　ちなみに、すでに交代していた夜勤担当は日勤担当からトーマの特徴は一応聞いていたが、念の為と帳簿を見ての確認となった。

「…まだ戻られていないですね」
「なに…？」
「彼はどこへ行ったとは聞いていないかしら？」
「えっと…壁沿いに南へ向かった、と」
「…ということはハンソンカンパニーの裏手ね」

　ミラはトレアから聞いていた成り行きを思い出す。ならば当然にその答えがまず浮かぶわけだ。
　２人はトーマの後を追い街の外壁沿いを南下し始める。

「トレア、林の中にもよく気を配っておいて」
「どういうことだ？」
「いい？この暗い中で何かを探すのは、灯りを持っていない彼には不可能に近いわ。それこそ、どんな形や物かも分からないなら尚更ね」
「それはそうだな」
「彼もそれはわかっているはず。ならすでに帰路についていておかしくないわ。ハンソンカンパニーの裏手まではこの壁沿いを行けば五キロもないから、せいぜい歩いても一時間」
「…日暮れが十八時だったとして、着いていてもおかしくない時間帯だ。それでも帰らないということは…」
「十中八九、なにかあったはずよ」
「林の中…嫌な想像をさせてくれる…」
「…そうね」

　顔を顰めたまま、２人は駆け足で進み続ける。
　悪い考えを振り払うように、トレアは左右に首を降って前を向いた。
　その時、爆音が僅かに2人の耳に届く。

「なんだ…？」

　２人が音のした方向を見ると、木々の合間と頭上から青白い光が覗いており、木々のシルエットの向こうに今消えていく様が目に映った。

「あれは…」
「トーマだな…そんな気がする」
「私もよ。行ってみましょう」

　トレアとミラはそれまでは比にならない速さで、林を一直線に駆け抜けた。
　５分もかからず光の出ていた辺りに着くと、不自然な霧。見えない壁でもあるように霧はある一線から出ることは無かった。
　魔法による霧だと断定した２人は敵襲を警戒した。だが辺りに気配はなく、攻撃される様子もない。
　数十秒すると霧は消えていき、２人はその先に佇む人影が誰か分かると、駆け寄って声を上げた。

「「トーマっ！」」

＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿

　宿の一室で、ミラが難しい顔をして話し出した。

「恐らくだけど、その魔法は相手の魔力を強制的に操って昏睡させるものかもしれないわね…」
「そんな事が出来るのか？」

　魔法に疎いトレアも怪訝な顔だ。
　何の話かといえば、サキュバスと仮面の男の１人がトーマにかけようとしていた魔法のこと。

「習得難易度はかなり高レベルよ。でも普通の耐状態異常系魔導具は効かないっていう利点と、発動までの間隔が極短いという利点があるわ」
「なるほどな…。それで、魔力を持っていないトーマには無意味だったわけか」
「そういうことね。気になるのはそんな高難度魔法を習得している奴らの正体だけど…」

　紅茶を一口飲んで、トーマは口を開いた。

「俺の見る限り、奴らはある程度訓練された工作員だな…」
「そうすると…密偵、破壊工作、暗殺。その辺を目的に動く奴らということね…」
「ああ。あと奴らの仲間にサキュバスがいたが、あれは変装だ」
「サキュバスが、いえ、魔物がそんなことをするとは思えないしね」
「それに今思えば、羽も尾も生物的な動き方をしてなかったんだよ」
「じゃあお前を誘い出すための罠ってことか」
「あとは油断させるためかもな。魔物が危害を加えることはしないだろうって」
「魔物を騙るとは許せんやつだ」

　さもありなん、トレアは不快そうに顔を顰めた。

「…あと、黒ずくめの仮面か…」

　顎に手をやり眉間に皺を寄せるのは、意外にもノルヴィだった。

「知ってるのか？」
「え？ああ…多分だけどね、そいつら教団の連中かもよ」
「なんだって？」

　トレアは驚きの声を上げた。

「トレアとミラっちは、ユーゼンリオンて教団の都市、聞いた事あるでしょ？」
「ああ、リールセンの東端にある要塞都市だな」
「そ。そこに本部があるかもしれないって噂なのが、その隠密暗殺集団なわけよ」
「穏やかな響きではないわね」
「まぁ俺っちも噂くらいにしか聞いてないからなんだけど、さっきトーマの言ってた武器、あれもそいつらの特徴として上がるわけよ」

　刺突特化の短剣。戦闘の最中でトーマが気付いたのはその形状である。
　形容するなら柄と鍔を着けた杭、刃はなく、先端は鋭利な円柱状の刀身であった。

「だが、なんでまたそんなヤツらがここで出しゃばってきたのか…」
「単純に考えればヤツら…もとい、教団が絡んでいる、ということかしら」
「そうすると一気にきな臭くなってきたな。けど、今回の襲われたことから察するに、多分俺たちのやり方は間違ってないみたいだ」
「そうね。きっと有力な手がかりを得られた、もしくは得られるところまで来ている」
「なるほど、それで妨害しようと襲ってきたわけか」
「そういうことなら、早速今日仕入れたもんまとめちゃおうぜ」

　そう言うと、ノルヴィはまとめて合った資料を持ってきてテーブルに並べた。

「なら俺から始めさせてくれ」

　トーマは１枚の資料を取り中央へ置いた。

■作者メッセージ
お楽しみいただければ幸いです