連載小説
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とある猫の気ままな放浪。そのはち。
 山小屋に着いた時には、辺りはすっかり暗くなっていた。
 夜の森は洒落にならないほど暗かったが、月の光だけを頼りに何とか戻ってくる事が出来た。
 すぐそこまで送ってくれたヤンに、感謝しなければならない。

「さて、と」

 荷馬車を納屋に戻し、アレクは山小屋の入口の前に立つ。
 多少無理をしてでも山小屋に帰ってきたのは、メディの事が心配だったからだ。
 見たところ、様子は今朝と変わらず、何事も起こった様子はない。
 しかし、灯り一つ点いておらず、窓から見える山小屋の中は真っ暗だった。
  
「………」

 かちゃり、とアレクは扉を開ける。
 暗闇に沈んだ、見慣れた光景が視界に広がる。
 一抹の不安が、脳裏をよぎった。その次の瞬間、

「アレク!」
「ぅわ――!?」

 どん、という衝撃と共に、アレクの体はふっ飛ばされた。
 メディが飛び込んできた、というのは辛うじてわかった。が、速過ぎて全く対応できなかった。
 アレクの体は一瞬宙に浮き、そして地面に叩きつけられる。
 しかし、痛みは無い。
 赤く柔らかいメディの体が、アレクの体を包み込んでクッションとなっている。

「メ、メディ…」
「アレク、無事? 怪我は、どこ?」
「ちょ、ま、待ってメディ。く、くすぐったいって…!」

 メディの手と軟体が、アレクの身体を這い回る。
 その冷たく優しい感触に、アレクは暫く悶絶する羽目になった。
 やがて、メディの動きが止まる。

「…あ」

 メディの透き通った柔らかな手が、アレクの頬の傷を撫でる。包帯が巻かれた右腕が、メディの身体に優しく包まれる。
 未だ表情は曇ったままだったが、大事ないということがわかったのだろうか。
 メディは、あからさまに安堵した様子で息を吐き出した。
 
「よかっ…た。アレク…無事、だった」

 その言葉に、アレクは胸が熱くなるのを感じた。
 誰かに心配されるというのは…これほどまでに、嬉しいものだったのか。
 アレクはとても久しぶりに、隣人の大切さを思い知る。

「どこか、他に怪我ない? 薬草、持ってくる?」
「あ、いや。怪我は、これだけだから…ちょ、ちょっと、そこは良いから…」

 メディの軟体が服の中にまで入り込んできたので、さすがにそれは押し留める。
 若干不満そうだったが、メディは大人しくするするとアレクの体から離れていく。
 アレクは、ほっと一息つく。そして、差し出されたメディの手を借りて立ち上がろうとして、

「――っ!」

 何者かの、視線を感じた。反射的にそちらへ目を向けると、闇の中に一対の緑色の光が浮かんでいるのが見えた。
 それが生き物の眼であるとわかり、アレクは目を見張る。
 しかし、それはアレクと眼が合うや否や、即座に闇の中に沈んでしまった。
 ちゃり、とかすかに鳴る金属音。アレクは、はっとして勢い良く腰を挙げる。
 傍らで、メディが驚いて眼をパチクリさせる。

「…アレク?」

 不思議そうに首を傾げるメディに軽く手で答え、アレクは眼が消えた方へ向かう。
 屋内は真っ暗で、幾度か何かにつまずいた。しかし、それほど広い山小屋でもない。
 眼の正体は、すぐに見つかった。普段アレクが使っているベッドの上で、ソレは身体を丸めて眠っていた。
 窓から洩れる月の光に照らされて、重々しい首輪が鈍色に光っている。

「…えっと」

 会いたいとは、思っていた。しかし、こんなに早く会えるとは思っていなかった。
 ワーキャットは、アレクから目を背けるようにして丸くなっている。
 ただ、時折耳がピクピクと動いている辺り、完全に眠っているわけではないように思える。

「私が、連れてきた」

 背後からの声に、アレクは振り向く。
 そこには、若干不満そうな顔をしたメディがいた。
 
「アレク、この猫に言いたいこと、ある。…よね。
 だから、連れてきた」

 そう言って、メディはアレクに横から抱きつく。
 おいてけぼりにされたのが、不満だったのだろうか。

「…ありがと。メディ」
「ん…♪」

 アレクは謝罪と感謝を込めて、メディの頭を優しく撫でる。
 すぐに機嫌は直った。気持よさ気に、メディは頭を擦り付けてくる。
 そんなメディとは対称に、ワーキャットは不満げに忙しく耳を動かし始める。

「…にゃおう」

 我慢できなかったのか、ワーキャットは小さく唸り声を上げた。
 無論、何と言っているのかはわからない。しかし、何となく察することができた。
 大方、早くその『言いたいこと』とやらを言え――そんなところだろう。

「村の人達に、聞いたよ。村の畑を、荒らしたんだってね」

 ぴくり、とワーキャットの耳が反応する。
 アレクはメディの頭に手を置いたまま、言葉を続ける。

「皆、怒ってたよ。今年は特に不作だったし、作物の良し悪しに関わらず税は納めないといけないから。
 …こんな話をしても、君には関係ないかもしれないけど」

 ワーキャットに、反応は無い。
 メディは不満そうに彼女を睨み、アレクは苦笑を洩らした。
 まあ、予想通りの反応だ。それでも、やらねばならない。
 
「――僕ね、村で仲裁人を務めることになったんだ。
 誰かと誰かが喧嘩した時、二人の間に入って仲を取り持つ人…って、ところかな」

 本来ならば、村で権威を持った村長、または神父や司祭が行うべき職務。
 しかし、この近辺の村々にはそもそも教会が少なく、仲裁ができる人間があまり居ないとのことだった。
 アレクは、少し前までまともに人と話した経験がなかった。
 しかし奇妙な事に、争いの仲裁に関与した経験は山ほどあった。

「それで、色々と仕事を任されちゃったんだけど…君の話も、任されたんだ」

 村人達の信用を得るのには、なかなか苦労した。
 アレクは自身の実力を村人達に見せるために、村で起こっていた諍い事を幾つか和解に導いて見せた。
 疑惑を功績で打ち消して、アレクは今日一日で、村長から仲裁人という地位を拝領した。
 堂々と、ワーキャットと村人達の問題に関与するために。

「…アレク。そのお仕事って、大変なの?」
「んー…まあ、多少は。結構な頻度で村に行かないといけないと思う。
 もしかしたら、時々帰りが遅くなるかも」
「えー…」

 とても悲しそうな顔をするメディ。
 アレクはそれに少しだけ心動かされてしまったが、今更撤回するわけにもいかなかった。
 人間同士のいざこざを嫌って人里離れた此処へやってきたアレクとしては、仲裁人という職は個人的にも望ましい事ではない。
 しかしそれでも、アレクはただ座して待つのはご免だった。彼女の為に、何かがしたかった。
 メディの頭を再び撫でながら、アレクはワーキャットの方へ振り向く。

「まあその、そういうわけだから。
 言いにくいんだけど…君に身柄は、僕に預けられてるってことになってる」

 ぴくり、とワーキャットの耳が大きく跳ね上がる。
 ついでに尻尾まで反応していた辺り、結構な驚き――または、怒りだったのかもしれない。

「気分が悪いとは思うけど、名目上そうするしかなかったんだ。…ごめんね。
 でも、僕は君を鎖で繋げたりするつもりはないから、その辺りは安心して」

 わずかの静寂の後、ワーキャットは初めてこちらの方を向いた。
 一対の緑眼が、ゆっくりと細められてアレクを射抜く。警戒と、疑惑の瞳。 
 その眼を見て、アレクは少し悲しくなった。やはり彼女は、まだ人間の事を嫌っている。

「僕は、君を縛るつもりはないよ。
 ただ…出来れば、村の人達には迷惑をかけて欲しくない、かな。
 僕にだったらいくら迷惑をかけてもいいけど、彼らには手を出さないで欲しい」

 調子の良い事を言っているのはわかっている。しかし、村人達とはそういう約束だ。
 彼女がもし今後何もしなければ、村人達も手を出さない。
 この当たり前の構図を作り出すために、アレクは今日村の中を駆け回った。
 
「どうするかは、君の自由だから。僕はただ、お願いするだけ。 
 君が嫌なら…守ってもらわなくても、良いよ」

 結局は、彼女次第。彼女の、自由。
 彼女がアレクの願いを拒絶して、今日一日の苦労が無駄になったとしても、それはそれだ。
 やるだけやった。だから、後は神に祈るのみ。 

「………」

 彼女は、無言だった。
 この上なく不機嫌そうな顔で、アレクを睨みつけている。
 そして、やおら彼女はふいとそっぽを向いた。
 アレクの表情が、凍りつく。

「にゃあ」
「…ぇ」

 しかし、ワーキャットは予想外の行動に出た。
 彼女はそっぽを向きながら、尻尾をアレクの眼前に差し出してきた。
 尻尾が、アレクの眼前――それも右手付近で、ゆらゆらと揺れている。

「えっと…」

 これはまさか、握れということだろうか。
 仲直りの握手のようなもの、と考えて良いものか。
 アレクはおずおずと、手を伸ばす。アレクの手が、彼女の尻尾に触れた。その瞬間、

「ッ!」

 唐突に、尻尾がアレクの手を叩いた。鋭く、ぴしりと。アレクを、拒絶するように。
 アレクはその痛みより、彼女の行動に衝撃を受けた。やはり駄目だったという現実に、心が叩きのめされる。
 歯を食いしばりそうになりながらも、アレクは何とか彼女の顔を見ようとして、

「――え?」

 唖然とした。思わず、間抜けな声を上げてしまった。
 彼女は――笑っていた。
 してやったり、と。まるで、悪戯が成功した子供のように。
 次の瞬間、アレクの右手に彼女の尻尾が巻き付いてきた。
 
「…にゃん♪」

 今さっき叩かれたばかりの手首を、彼女の尻尾が優しく撫でる。
 頭が追いつかない。えっと、これは…つまり。
 一本取られた、ということだろうか?

「…にゃおう」

 何やら不満げに、ワーキャットは巻きつけた尻尾で右手を引っ張ってくる。
 一瞬何が不満なのかアレクは分からなくて、すぐに気づく。
 アレクは、巻き付いていた彼女の尻尾を軽く握る。彼女は、にこりと嬉しそうに笑う。

「にゃー」

 用は済んだとばかりに、彼女の尻尾はするりとアレクの手から離れていった。
 そして彼女は、またベッドの上で丸くなる。何事もなかったかのように。
 アレクは呆然と、彼女が気持よさそうに眼を瞑るのを見つめる。

「…あ、えと」

 これで、良かったのだろうか。何だか、釈然としない。
 僕にだったらいくら迷惑をかけてもいい、そう言ってしまったが、
 もしかしたら、それを実践されてしまったのだろうか。
 
「無礼な、奴」

 アレクにしがみつきながら、メディが小さな声で呟く。
 うー、と唸り声を上げるメディを優しくなだめながら、アレクは大きく息を吐き出した。
 まあ、想定外のことは起こったが…一件落着、ということになるのだろうか?

「ねぇ、アレク」
「ん。何? メディ」
「この猫、此処で寝てる。アレク、何処で寝るの?」
「…あ」

 しまった。全く失念していた。
 眼前を見やれば、ワーキャットの小柄な体がベッドのど真ん中を占拠している。
 ふい、とそっぽを向く彼女に、メディの眼に険悪な光が宿る。

「蹴り落として、やろうか」
「こ、こらこらメディ。そんな事いっちゃ駄目」
「だって…」

 今にもワーキャットを突き落とさんとするメディを宥めていると、ワーキャットが小さく身じろいだ。
 器用に丸くなったままベッドの上を蠢き、隅の方に移動する。
 彼女の体は、それほど大きくない。少し狭いが、大人一人が寝ることができるスペースが出来上がった。

「えー…っと」

 アレクが逡巡していると、まるで急かすようにワーキャットの尻尾がポンポンとベッドを叩いてきた。
 好意を無下にすることもできず、結局アレクはベッドに腰掛ける。しかし目の前には、未だ機嫌の悪そうなメディ。
 このまま寝るべきかと迷っているうちに、アレクはワーキャットの尻尾によってベッドに引き倒された。

「わっ!」
「にゃあ」

 丸くなった彼女の体が、アレクに密着する。
 左腕を尻尾で拘束され、アレクは起き上がることができなくなった。
 彼女の顔は向こうを向いたままだが、おそらくニヤニヤと笑っているに違いない。
 アレクの目前には、より一層目の据わったメディの姿があった。

「あ、いや、その。これは…」
「…ずるい。私も、一緒に寝る」
「ええっ!?」

 言うや否や、メディはアレクの上にのしかかってきた。
 アレクの体に隈無くメディの軟体がまとわりつき、そしてメディの両手がアレクの首に巻かれる。
 さすがに、このベッドに三人は狭い。アレクの身動きはさらに制限された。

「…にゃおう」

 メディの水気を嫌ったのか、ワーキャットが不満げな鳴き声を上げる。
 しかし、左腕に巻きついた彼女の尻尾は離れない。
 当然、メディの両手もアレクの首から離れない。

「…はあ」
 
 ワーキャットの温かい体温と、彼女のひんやりとした体は、実を言うとひどく気持ちが良かった。
 寝心地が悪いわけではない。ただ、男として少々辛いものがある。
 しかし、今日のアレクはそれら諸々が全く気にならないほど疲れていたらしい。
 横になった途端、猛烈な眠気が襲ってきた。瞬く間に、瞼が重くなる。

「アレク、寝ちゃうの?」

 何やら残念そうな声が、微睡みに沈むアレクの耳に届いた。
 ほとんど無意識に、アレクは声の主に手を伸ばして頭を撫でる。
 アレクの首に絡まった両腕に、力が篭る。唇に、何かとても柔らかい感触を感じた――気がした。

「お疲れ様、アレク。おやすみ、なさい」

 心地良い感触に心を溶かされながら、アレクの意識はぷっつりと途切れた。





 アレクの家で一夜を明かした次の日の朝。
 吾輩は、人間達によって拘束されていた。

「わ、ちょっとちょっと。暴れちゃ駄目だって」
「おい、動くな猫。針金が入らねぇだろうが」

 そんなことを言われても、身体が無意識に逃げてしまうのだから仕方ない。
 身体を拘束されたままそんな尖ったモノを首に突き付けられたら、それが自然な行動ではあるまいか。
 昨日は縛るつもりはないと言っていたくせに、この仕打ちは一体どういう事なのか。

 まあ、その。拘束されているとはいっても、吾輩を縛るのは綱や枷ではなく、アレクの両腕なのだが。
 吾輩は今、椅子の上に座ったアレクの上に座り、後ろから抱かれているような状態にある。
 正直言って、この姿勢は非常に不服である。誇り高きワーキャットとして、情けなさすぎる。
 しかし、あの水っぽいスライムに拘束されるよりはマシなので、甘んじて受け入れる他ない。 

「ヤン、本当にうまくいくの?」
「待てって、もう少しなんだ…
 ん? なんだ、この猫意外と胸デカいんだな。全然気付かなかった」
 
 どこを見ているのだこの男は。
 猛烈に、この眼つきの悪い男に噛みつきたい衝動に駆られた。
 吾輩の心を代弁するように、アレクと傍らのスライムが軽蔑の眼差しを男へと向ける。

「…ヤン、セクハラだよ」
「ヤン、セクハラー」
「うっせえな。ちょっと見えちまっただけだろうが」

 悪態をつきながら、眼つきの悪い男はなおカチャカチャと針金を動かす。
 吾輩の視点からだと、男が何をしているかは良く見えない。 
 ただ、首輪を通じて金属を掻き回す不気味な音と振動だけが伝わってくる。
 本当に、この男を信用していいものか。吾輩の中には、未だ一抹の不安が残っていた。

「――よし。これで、どうだ」
 
 かちん、と小気味の良い音が聞こえた。それに続いて、がちゃりと重々しい金属音。
 重く固い感触の何かが、肩の上から滑り落ちた。ごとり、と音を立ててそれは地面に落ちる。

「わっ…と、危ないなぁ。もう少し丁寧に外してよ。足に当たるところだったじゃないか」
「贅沢言うな。外れたんだから良いだろ。
 んん、しかし久しぶりでも何とかなるもんだな。腕は鈍ってねぇみてぇだ」

 針金を懐に戻し、眼つきの悪い男はコキコキと肩を鳴らす。 
 吾輩も釣られるように肩を動かすと、とても久しぶりに動かしたかのように肩の骨が音を立てた。
 身体が、羽のように軽くなった。今の吾輩なら、どこまでも駆けて行けそうだった。

「ヤンってさ…本当に昔は何やってたの? 針金で錠の鍵を開けるなんて真似、普通の人はできないと思うんだけど」
「ん? そうだな…七つの海を股にかけるトレジャーハンター、ってところかね」
「…言ってて空しくならない? それ」
「うっせえな。いつになく厳しい突っ込みすんじゃねーよ」

 和気藹々と話すのは良いが、用が済んだなら早く吾輩を解放して欲しい。
 重苦しい首輪から解放してくれた事には感謝せざるを得ないが、この姿勢は勘弁願いたい。
 吾輩がその意を込めて軽く暴れると、何を思ったかアレクは吾輩の喉元に手を近づけてきた。
 むず痒い感覚が、吾輩の喉元を走り抜ける。

「そういえば猫って、喉を撫でられるの好きだったよね」
「そういやそうだな…ワーキャットもそうなのか?」

 心外である。
 吾輩は、ワーキャットである。吾輩をそこらの猫と同列に扱わないで貰いたい。
 喉元をさすられた程度で、この吾輩が動じるわけ――が。
 
 ――にゃふぅ…。

 ぬ。
 これは…なかなか。

「おお、効果抜群じゃねーか」
「あ、喉がゴロゴロ鳴ってる。初めて聞いた」

 いや、決して、気持ちいいわけでは…ぬぅ、力がでない。
 思えば、他人に喉に触れられたのは生涯初めての経験である。
 未知の快感に、吾輩の脳裏はものの見事に溶かされていた。
 アレクの手が優しく吾輩の喉をさすればさするほど、吾輩の抵抗力は奪われていく。
 …まずい。このままでは、本当に腑抜けにされてしまう。

「随分と反応が鈍くなってきたな。どれ、今のうちに…」

 徐に、眼つき悪い男の手が伸びる。
 その先にあるのは、すっかり垂れ下がった吾輩の耳。
 幾ら腑抜けていたとしても、それを見逃す吾輩ではない。

 ――ニャあッ!

「あぶねッ!」
 
 がちん、と吾輩の顎が空を切って噛み合わされる。
 ち、勘の良い奴だ。あと少し手を引くのが遅ければ、噛み付いてやったものを。
 
「…おい。やっぱ首輪付けたままの方が良かったんじゃねーの?」
「何を今さら。それに、今のはヤンの触り方が悪かったんじゃないのかな」

 言いながら、アレクの手が吾輩の頬を伝って耳へと至る。
 サワサワと、触れるか触れないかの微妙な接触。
 喉ほどではないが、やはりむず痒い。
  
「納得いかねー。首輪外したのは俺なのに、なんでお前にばっか懐いてんだよ」
「んー…ヤンは、大雑把すぎるんじゃないかな」
「ヤン、セクハラだから、駄目」
「うっせえお前ら。誰がセクハラだコラ」

 何とも、やかましいことだ。しかし、二人の言っていることは的を得ている。
 アレクの手使いに比べ、この男の触り方は雑すぎる。
 もう少し挙措と言葉遣いが丁寧になれば、触らせてやらんこともない。

「はあ…まあ、いいや。とりあえずあれだ。
 村長にあれだけ大言を吹いたんだから、しっかりと面倒見ろよ」
「うん…まあ、多少は気を付けるけど。基本的には、自由にさせるつもり」
「あ?」

 アレクは、吾輩の耳を撫でながら淡い笑みを向けてくる。
 
「やっぱり、猫は自由じゃないとね」

 ひどく、耳がむず痒い。我慢できず、吾輩はぴくぴくと耳を動かしてしまった。
 正直、吾輩はまだ人間の事をあまり信用していない。
 しかし、アレクの言う事には大人しく聞いてやっても良いか、という気持ちになってしまっている。
 嗚呼、と吾輩は胸中で嘆息する。どうして、吾輩はこんなにも腑抜けになってしまったのかと。

「――うん、決めた。ルイス、ってのはどうかな」
「は? なんだ突然」
「彼女の名前だよ。ルイって、良い響きじゃない?」

 ――にゃ?

 いきなり、何を言い出すのだこの男は。
 名を受けると言う事は、この男をあるじとして認めるようなモノ。
 そもそも、吾輩はこれまで名前が無くとも生きていけた。必要性は全く感じない。

「確かにまあ、良い響きだけどよ…なんか、似合わなくね?」
「そう、かな。どこかの言葉で、戦士って意味があったと思ったんだけど」
「戦士ぃ? そりゃ、なんでまた?」
「ほら、僕を助けてくれたでしょ。彼女、まるで騎士みたいだったから」

 ぬ。
 そう言われると、まんざらでもない。
 吾輩は人間の役職には詳しくないが、騎士と呼ばれる事が賞賛に値する事くらいはわかる。
 
「じゃ、そういうわけだから。――よろしくね、ルイ」

 そう言いながら、アレクはまた吾輩の喉元に手を伸ばしてきた。
 むぅ…何やら、府に落ちない。我輩を騎士と呼んでおいて、これが騎士に対する態度だろうか?
 まあ、だが、しかし。それほど気分は悪くないので、されるがままになっておく。

「…むー」

 傍らから、不機嫌そうな声が聞こえてきた。
 ちらりと片眼を開くと、スライムが不機嫌そうな顔でこちらを見ている。
 恨みがましいその眼は、いつまでアレクの膝の上にいるのだと、そう言っている。

 不本意ではあるが、アレクと我輩の仲を取り持ったのはこのスライムであり、一応感謝もしている。
 吾輩を騎士というのならば、さしずめこのスライムは姫君といったところか。
 これでも、吾輩は気が利くワーキャットである。姫君の恋路の邪魔をするつもりは毛頭ない。
 されども、元はと言えばアレクが我輩を解放しないからいけないのである。

 ――にゃふう…。

 吾輩が恍惚としたため息を漏らすと、スライムの目尻が軽く釣り上がるのが見えた。
 この後、アレクとこのスライムの間にどんな空気が生まれるのか、今から楽しみで仕方がない。
 嗚呼――喉をさすられているうちに、だんだんと瞼が重くなってきた。
 人間の膝の上で寝るなど、かつての吾輩では考えられないことだ。
 しかしもう、どうでも良くなってきた。

 まあ、その、あれだ。
 ルイスという名前もそれほど悪くないし、首輪を外してもらった恩もある。
 他の人間であるならまだしも、共に戦ったこの男なら十二分に信用できる。
 何より、この男の膝の上は、ひどく落ち着く。

 そういうわけで、吾輩は暫定的に、アレクをあるじと認めることにしたのだった。
10/07/01 00:26更新 / SMan
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■作者メッセージ
ぬぅ。少々時間がかかってしまいました。
大筋は決めていたのですが、どうにも書き方に納得できず。
スランプでしょうか…? ううむ、頑張らねば。

さて、これにてワーキャット編終了です。
次回は新章突入…と、その前にちょこっと番外編書く予定。
むさいオッサンばっかり書いてたから、そろそろ甘いの書きたい故。
昨日食べたよもぎ大福のような話を…

何はともあれ、此処まで読んで頂きありがとうございます。
それでは。

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