連載小説
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とある猫の気ままな放浪。そのなな。
 眼が覚めると、そこは見知らぬ光景が広がっていた。
 見慣れた古ぼけた天井ではなく、高く手が行き届いた造りの良い天井。
 どこからか、人の声が聞こえてくる。山小屋での生活に慣れたアレクにとって、それはとても新鮮に聞こえた。
 
「よう、起きたか」

 傍らから、声をかけられる。
 ぼんやりとそちらへ視線を向けると、そこにはヤンがいた。
 椅子に浅く腰かけ、行儀悪くも片足を机の上に乗っけている。
 しかしその表情は、どことなく申し訳なさそうだった。

「ワリぃな。少し遅れちまって。
 一応、できるだけ急いだつもりだったんだけどな」

 一瞬その言葉の意味がわからなかったが、すぐに理解する。
 アレクは、マルク達村人に助けられた。そして、彼らを呼んだのはヤンだったのだろう。
 だんだんと意識がはっきりしてきて、今自分がどこにいるかもわかってきた。
 此処は、マルクの家だ。村に数少ない、石造りの豪邸。

「…そっか。ヤンが助けてくれたのか」
「いや、俺は何もしてねぇよ。
 俺一人じゃどうしようもなかったから人呼んだ、それだけの話だ」

 それでも、助かったのは事実だ。
 アレクはゆっくりと身体を起こす。
 その途端、ずきりと右腕に痛みが走った。

「ああ、気ぃつけろ。
 一応マルクの奥さんが手当てしたらしいが、あまり動かさない方がいいってさ」
 
 右腕には、包帯が巻かれていた。
 頬の切り傷にも薬草が塗ってあるのか、かすかに青臭い匂いがする。

「奥さんに、お礼を言わなきゃね…ヤンも、ありがと」
「良いってことよ。ま、お前は運が良かった。
 半分はお前自身の実力もあるだろうけどな。よくあれだけ時間を稼げたな」
「まぐれ、だよ」
 
 思えば、どうしてあの時あれだけの立ち回りが出来たのか、自分でもわからない。
 マルクと商談を交わす事さえ苦手だったのに、よくあれだけ舌が回ったものだ。
 
 
「あれ。…そういえば、なんで僕は此処で寝てたんだっけ」
「村に帰る途中で突然気を失ったとか、マルクが言ってたな。
 大方、緊張の糸が切れたんだろ。傭兵相手に剣を交えたんだから、当たり前だ。
 ちなみに、馬車は外に置いてあるそうだ。お目当ての道具も、もう積んであるってさ」

 傍らにあった窓から外を眺めると、まだ日は高い位置にある。
 あれからまだ、それほどの時間は立っていない様子だ。

「…そう。マルクには、迷惑かけちゃったね」
「まあ、一言礼をいっときゃそれでいいさ。
 向こうから見りゃ、お前は大事な顧客だからな。純粋な善意ってわけじゃねぇだろうし」

 純粋な、善意ではない。
 その言葉を聞いて、アレクは嫌な事を思い出してしまった。
 かつて、アレクはそんなものが欠片もない、互いの利害が全ての世界にいた。
 利益の為に誰かが犠牲になる事を厭わない、そんな世界。

「そういや、一つ聞きたい事があるんだけど」

 唐突に、ヤンがそんな事を言った。
 視線を向けると、ヤンは何やら複雑な表情でアレクを見ていた。

「お前、なんかやったのか? 
 魔物を庇ったとかどうとか、村人の噂になってるんだが」

 未だぼんやりとしていたアレクの意識が、瞬時に覚醒する。
 魔物、それは彼女に――あのワーキャットの事に、間違いない。
 確かにアレクは、村人達から彼女を庇うように、身を投げ出した。
 ヤンも事情はある程度分かっているようで、微妙な顔をしながら話を続ける。

「知っての通り、あの猫はこの村じゃ厄介者だった。
 この国が反魔物ってのもあるが…あの猫を庇ったとなると、当然の如くお前に対する村人の心象は悪くなる。
 まあその、そういうわけだ」

 当然の帰結、ではある。
 魔物を庇えば、魔物の手先と思われるのは自明の理。
 この村は、それほど広くない。今頃、村人全員にその噂は広がっていることだろう。
 村人達の魔物に対する印象をアレクは改めて理解し、そして暗澹とした気持ちになる。

「…わりぃ。あの猫にお前の馬車に乗るよう助言したのは、俺なんだ。
 俺なりに、アイツの気持ちを考えて教えたつもりだったんだが…」
「いいよ、別に。そのおかげで、僕は助かったんだから」

 そう、自分は彼女に助けられた。
 だからこそ、彼女が村人達に良く思われていない事が納得できない。

 しかし、彼女が村人達の農作物に害を及ぼしたのは事実。
 かつて修道院で農作業を手伝ったことのあるアレクには、それの苦労が良く分かる。
 精魂込めて作った作物を彼女に荒らされて、彼女を憎む村人達の心理も、理解できる。
 
 そして、彼女は貴族に飼われていたという可能性。
 彼らに囲まれて育ったアレクは、貴族の傲慢さを一番良く知っている。
 アレに囚われていたというのならば、人間を嫌う彼女の心理も、痛いほどにわかる。
 
「ねぇ、ヤン」
「ん、なんだ?」
「やっぱり…彼女と僕達は、わかりあえないの、かな」

 心中の言葉を、アレクはそのまま吐露してしまった。
 何を言ってるんだと、アレクは言ってしまってから後悔した。
 こんな質問、相手を困らせてしまうだけだ。
 当然というべきか、ヤンは微妙な顔をしてこちらを見ている。

「あ、いやその。…ごめん、ヤン」
「…謝られても、困るんだけどな」
「それでも…ごめん。変なこと言って、困らせちゃったね」

 作るのに失敗した作り笑い。我ながらそう評するしかない笑みを、アレクは浮かべる
 それに対し、ヤンはなぜか妙に不満そうな表情になる。
 膝を組み、横にした足に肘をついて、むすっとした表情でアレクを睨む。
 …少し、怖い。

「とりあえず、あれだ。一言良いか?」
「え?」
「さっきお前の質問…すっげぇ萎える」
「は?」

 萎える。それは、全く予想外な言葉だった。
 ヤンはがしがしとボサボサの髪の毛を掻き乱しながら、言葉を続ける。

「お節介だとか、在り来たりだとか、興味が沸かない理由は色々とあるけどな。
 一番の理由は、お前の質問の先が見えねぇって事だ。
 お前よ。仮にその質問に俺が何か答えたとして、どうするつもりだったんだよ」
「どう、する?」

 どうするつもりだったかと言われれば…何も考えていなかったという他ない。
 言うなれば、先ほどの質問は単なるアレクの弱音だった。
 返答は期待していなかった。だからこそ、そんな質問を投げかけてしまった事をアレクは謝った。

「俺は一時の気休めとか言うの、大の苦手なんだよ。
 だから、そんなこと聞かれても俺は正直に知らねぇと答えるしかない。
 そういう愚痴は、包容力ありそうなあの嬢ちゃんとかそっちにしてくれ」

 どことなく、突き放した物言い。
 ヤンの苛立たしげな雰囲気に、アレクは少し気圧される。
 
「結局、お前はどうしたいんだよ。話は、それからだ」
「どうしたい、って…」
「マルク達がどうとか、あの猫がどうとか、そういうの無視して。
 お前はどうしたいのかってことだよ。俺ぁ頭悪いから、極力わかりやすく一言で頼む」 
「え」
 
 わかりやすく、一言で。
 アレクは、どうやって自身の思いを簡略化するべきか一瞬悩む。
 しかし、少し考えれば簡単なことだった。複雑なのは状況だけで、願望は明白だった。

「彼女を…自由にしてあげたい。そして、村の人達との関係を改善…いや。
 …仲直り、してほしい」
 
 彼女にも、村人達も、自ら歩み寄るつもりはないだろう。
 このままでは、村人達はまた彼女の事を捕まえようとするかもしれない。
 もしかしたら、彼女を逃がしてしまった貴族までも追っ手を仕向けてくるかもしれない。
 彼女に、いつまでたっても自由は訪れない。

「自由、ね…俺としては、このままでもあいつは自由っちゃ自由な気がするけどな。
 むしろ、あの猫に畑を荒らさないよう強いることになれば、それは自由じゃなくなる。
 成程な、こりゃ厄介だ」

 お手上げだ、と言わんばかりにヤンは諸手を挙げる。
 個人的な望みを他人に押し付ける。
 それは、あの女がアレクにしていたことであり、アレクが最も嫌う行為だった。
 そんなことは、したくない。俯くアレクに、しかしヤンはさして悩むようでも無く続ける。

「でも、やってみなきゃわかんねぇだろ。
 誰だって、無意識に何かを他人に押しつけちまってる事はあるし、その結果が悪い事になるとは限らねぇ。
 お前は、俺より頭良さそうだからな。何とか、うまくやれるんじゃねーの?」

 顔を上げると、いつの間にかヤンの表情は元に戻っていた。
 いつもの飄々とした無感情的な容貌で、拳を握り親指を立てるヤン。
 
「もし失敗したら…まあ、その時は多少フォローしてやるよ。っつーわけで、幸運を祈る」

 アレクの胸中を聞き出しておいて、結局何も提案してくれないらしい。
 その適当っぷりに、アレクは思わず苦笑を漏らしてしまった。
 何やら、心が軽くなったのを感じる。気休めを言うのが苦手と言っていたくせに、いつの間にか慰められていた。

「…ヤンってさ。見かけによらず、良い人だよね」
「あぁ?」

 また、ヤンの表情が険悪なモノになる。今度は、あまり怖くなかった。
 アレクは笑みを噛み殺しながら、ベッドの縁に腰かける。
 ぐらり、と頭が少しふらつく。まだ、少し疲れているのかもしれない。

「おい、大丈夫か?」
「うん。まあ、たぶんね。…ありがと、ヤン。
 早速だけど、マルクさんを呼んでくれる?」
「あ?」

 正直、かなりしんどい。それでも、アレクは立ちあがる。
 この行為は、村人達と彼女に、自分の望みを押し付ける形になる。
 しかしこれが成功すれば、全て丸く収まる。その、確信がある。

「これが、彼女が望むことなのか分からないけど…やるだけ、やってみる」

 にやり、とヤンが笑う。
 体調の悪さを隠しながら、アレクは何とか笑い返した。 

「…そっか。なら、やってみりゃいいさ。
 ちょうどマルクなら、そこの扉の裏に隠れてる」
 
 がたり、とヤンの指差した扉が大きく揺れる。
 少しの間の後、ゆっくりと扉が少しだけ開き、申し訳なさそうな顔をしたマルクが現れる。
 そんな彼に向けて、アレクはにこやかな笑みを浮かべる。

「こんにちは、マルクさん。先ほどは助かりました」
「あ、いや。私達はヤンの旦那に呼ばれただけですから…礼なら、そちらに」

 何やら、マルクの腰が妙に低い。元から小柄な身体が、より一層小さく見える。
 頭に片手をやりながら、マルクはぼそぼそと言葉を紡ぐ。

「…すみません、旦那。一応、私も少しは努力したのですが…他の連中はどうも頭が固くて」

 その言葉に、アレクは得心がいった。
 ワーキャットを庇った事で、村の中でのアレクの評価が下がっている事を言っているのだろう。
 マルクは他の村人達と比べて知見に富み、そして利益を重んじている。
 皮肉にも和よりも利を重視する彼だけは、一時の印象でアレクを嫌う事は無かったということか。
 大方、薬草の利益を生むアレクが排斥させる事がないよう、村人達に働き掛けたと言ったところだろう。
 
「いえ。こちらこそ、面倒事を増やしてしまって、申し訳ありません。
 お詫びにと言っては何ですが、私の荷馬車に積んである果物酒をお受け取りください。
 もちろん、村の方々にも。…あ、ヤンも一本くらいなら持っていっていいよ」

 マジで、とヤンが嬉しそうな声を挙げる。
 果物酒の数は残り少ないが、ヤンは命の恩人なのだからこれくらい必要だろう。
 それにアレクも、残りの果物酒だけで村人達との軋轢を解消できるとは思っていない。

「ところで、マルクさん。折り入って、お話したい事があるのですが」
「へ? …あ、はい。な、なんでしょう?」

 相変わらず腰が低い彼に向けて、アレクは静かに笑いかける。
 視界の端では、ヤンがわくらくしているような表情でこちらを見ている。
 不安そうにアレクを見上げるマルクに向けて、アレクは言った。

「取引を、しましょう」





 日が暮れ始めた、夕暮れ時。
 吾輩は、とぼとぼと森の中を歩いていた。
 嗚呼、と吾輩は胸中で嘆息する。どうして、こんな惨めな気持ちになってしまっているのかと。
 
 ――にぃ。

 理由は、はっきりしている。全て、あの男――アレクが、原因だ。
 吾輩は、人間が嫌いである。
 吾輩を飼い慣らそうとしたあの男を、吾輩を売り払おうとした村の連中を、心の底から憎んでいる。
 なのに、アレクは…どうしても、嫌いになれない。

 ――にゃおぅ…

 はっきりいって、最悪の別れ方だった。
 一瞬だけ垣間見えた、アレクのあの表情が忘れられない。
 村の連中のおかげで吾輩達が助かったのは理解できるが、それにしても吾輩は彼らを憎まずにはいられない。
 思えば、アレクと背中合わせに傭兵達と対峙したあの瞬間を、吾輩はひどく心地よく感じていた。
 アレクは、吾輩が生涯初めて仲間意識を持ってしまった存在なのかもしれない。
 
 その時、吾輩は唐突に強い孤独感に襲われた。
 それは、これまで吾輩が一度も感じた事のなかった感覚だった。孤独は更なる不安感を誘い込み、吾輩の心に満ちていく。
 嗚呼――本当に、腹が立つ。
 以前の吾輩は、こんなに弱くは無かった。これも全て、アレクのせいである。

 がさ。
 
 そう。吾輩はこの時、本当に弱くなっていた。
 自らのすぐ傍らから聞こえた音に、即座に反応する事も出来ないほどに。
 気づいた時には、吾輩は何者かに押し倒されていた。

 ――んにッ!?

 仰向けにひっくりかえされ、手足を封じられる。ぬるり、と不快な感覚が吾輩の身体に広がる。
 水――いや、それよりも粘度の高いモノ。ぞわり、と吾輩の背筋に怖気が走る。
 吾輩はその水気にではなく、もっと根源的な恐怖から震えあがった。

「捕まえ、た」

 夕暮れを背に、空と同じ茜色をしたあのスライムが、そこにいた。
 斜光を照らされて淡く光るその体はどこか神々しく、そしておぞましい。
 吾輩は、確信する。やはりコレは、ただのスライムではない。本能が、コレに歯向かってはいけないと告げている。

「アレクは、どこ?」

 焦燥感に満ちた鋭い視線で、スライムは吾輩を詰問する。
 その一言で、吾輩は状況を理解した。
 このスライムは、一向に帰ってこないアレクを心配して、家を飛び出した。
 そして、偶然にも吾輩を見つけ、勢いのままに吾輩を拘束した、といったところだろうか。
 とばっちりも良いところである。吾輩は苛立ちのあまり、返答を拒むようにふいと顔を背けてしまった。

「………」

 スライムの表情が、冷たく凍りつく。
 徐に、スライムの右手を上がる。そしてそれは、吾輩の額に押し付けられる。
 湿った感触が頭に触れるとともに、奇妙な悪寒が全身に走る。
 吾輩の本能が、スライムの意図を悟る。まさか――記憶を、読もうとしている?
 
「アレクは、どこ?」

 もう一度、スライムが言った。
 これ以上の隠し立ては、無意味のようだ。
 余計な記憶を読まれる前に、吾輩は白状する事した。

 ――あの男は、無事だ。傭兵に襲われたが、今は村にいるはずだ。

 簡潔に、吾輩は心の中で言い捨てる。
 そうした途端、スライムの頬が安堵に緩んだ――かのように見えた。
 やはり、心を読まれている。当たり前だが、そう気持ちの良い事ではない。

 ――わかったなら、さっさと放せ。いつまで伸しかかっているつもりだ。

 これ以上余計な事を悟られるのが嫌なのもあったが、何よりこの水っぽい感触がたまらなく気持ち悪い。
 何とかスライムの体を引きはがそうともがいたが、スライムは吾輩を解放する気配が全くない。
 吾輩の真意を探ろうとするように、じっと吾輩の額に手を当てている。

 ――良い加減にしろ。吾輩は、あの男には何もしていない。

 吾輩が胸中で放ったその言葉に、スライムはピクリと眉を動かした。
 スライムの小さな口が、小さく言葉を紡ぐ。

「――嘘」

 その言葉に、吾輩は軽く眼を見開く。
 一体、何が嘘だというのか――その答えは、すぐに帰ってきた。

「アレク、お前のせいで、傷ついた」

 冷たい瞳で、スライムはそう言い切った。
 吾輩はそれを聞いて――思わず、カッと頭に血が上った。
 お前に、何がわかる。
 確かに、アレクは吾輩の為に傷ついたと言えるかもしれない。だが、それはアレクが自分の意思で行った事。
 だから吾輩は、その意思に答えるためにアレクと戦った。アレクを、守った。
 あの場にいなかったお前に、そんな事を言われる筋合いはない。

「違う。身体の傷じゃ、ない」

 牙を剥く吾輩を見下しながら、スライムは淡々と言う。

「アレクの、心」
 
 ぎくり、と吾輩は心が揺れるのを感じた。
 スライムは、相変わらず吾輩の額に右手を押し付けたまま。 
 もしかしたら、今の動揺も悟られてしまったかもしれない。

「アレク、お前とあんな別れ方して、きっと…悲しんでる。
 お前も、アレクの事嫌いじゃない。だから、苦しんでる。
 そう、でしょ?」

 全て――見透かされている。
 しかし、それを認めるわけにはいかなかった。
 吾輩に残るワーキャットとしての矜持が、それを認める事を拒んでいた。
 顔を背ける吾輩を見て、スライムは何を思ったのか――突然、吾輩の首輪を引っ掴んだ。

 ――にゃ!?

 悲鳴を挙げる吾輩に構わず、スライムは吾輩の身体をずるずると引きずり始めた。
 いつの間にか吾輩に伸しかかっていたスライムの身体は吾輩の下に回り込んでおり、吾輩を引き摺るための潤滑油となっている。
 つまり吾輩は、スライムによってどこかに運ばれようとしていた。

 ――何をする。吾輩を、どこに連れていく気だ。

「アレクの、家。私、アレクが帰ってくるの、待つことにする。お前も、来る」

 吾輩は、仰天する。
 どうして、そんな事をしなければならないのか。

「お前が居ないと、アレクは悲しむ。私は、アレクが悲しむの…見たくない。
 だから、来る。反論は、許さない」

 どうやら、吾輩の意思を慮るつもりはないらしい。
 吾輩は逃げだそうともがいてみたが、やはりというべきかそれは叶わなかった。
 このスライムと吾輩には、実力の差がありすぎる。

「どうせ、お前に行く当てない。
 此処から逃げれないなら、いつかはアレクに会う」

 事実を突き付けられ、吾輩は言葉に詰まった。
 確かにアレクの荷馬車での脱出に失敗した今、事態は振り出しに戻ってしまった。
 吾輩は、どこにも逃げられない。あの方法以外の手段も、思いつかない。
 
 ――…お前は、私の事が嫌いではないのか。

 ぼそりと、吾輩は呟いてしまった。 
 あの夜の事もある。このスライムは、吾輩の事を心底嫌っているはずだ。
 本心からいえば、あの男と私を会わせたいと思うはずがない。
 スライムはちらりと一瞬だけこちらを見て、そして顔を背けながらぼそぼそと言う。

「お前と仲良くする、って…アレクと、約束した」

 何とも、単純な理由だ。
 主体性の無さに吾輩は呆れ果てる。このスライムは、どうしてあの男にそこまで従順になれるのか。
 身体能力、いや純粋な潜在能力ならば、遥かにあの男に勝るはずのこのスライムが。

「それは、お互いさま。お前だって、アレクの事が好きなんでしょ」

 ――!

 スライムのその言葉は、疑問形ではなかった。そうであるという、確信。
 吾輩は、思わず歯を食い縛ってしまった。
 スライムは、未だ吾輩に接触している。この動揺を読まれてしまった時点で、吾輩はすでに敗北している。

「でも、アレクは、私の。それだけは譲れない」

 毅然とした眼差しと態度で、スライムは堂々と言い放つ。
 その直向さに、吾輩は何というか…もう、どうでも良くなった。
 馬鹿馬鹿しい話だ。実力でも、言葉でも…このスライムに、勝てる気がしない。
 身体の力を抜き、されるがままに身を任せる。 
 最後に、吾輩はスライムに問うた。一体お前は――アレクの、何なのだと。
 スライムは、さも当然の事であるかのように、にこやかに答える。

「アレクの、お嫁さん」
10/06/26 23:14更新 / SMan
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■作者メッセージ
6000view突破に咽び泣く男ッ! S(ry
まず、申し訳ありませんorz
残り一話でまとめたかったのですが、文字数的に多くなりそうなのできりのいいところで分けました。何という説教回。
最終章は近日公開します。焦らしてしまって申し訳ありませぬ…

それでは。(出来れば)近い未来にまた。

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