「友達」

 ファック…またやってしまった。流されたんだ、またもやな。そういうわけで彼の気分はあまり良くなく、かと言ってあまり大声で悪態をつくのも躊躇われた。どうしたのカート。いや、まあそうだなレイア、実は、やっぱ言えない。はぁ?
 昨日と今日は仕事もオフで、昨日は昼頃起床した後は2人で自然科学博物館に出かけた。19番街駅までは順調ではあったが、そこから博物館までの道のりは蒸し暑く酷いものだった。カートは昔からここの気候、特にムカつくぐらい湿度の高い夏が嫌いで幼い頃は夏になるとよく泣いたものである。
 昔の思い出に浸りながら博物館まで辿り付き、先程から変わらず涼しげなレイアの隣でタオルを広げては、顔や首を拭った。時々レイアの特性が羨ましくなる。そう、特に夏は。暑すぎだろクソ。でもレイアが可愛いし耐えるか。正直に言えばカートはさほど地元の地史やそれに関連する建物・施設には興味もなかったが、レイアがいれば少しはそれもマシには感じられる。よくある話なのだ、地元の者よりも部外者の方がその街に詳しいという事は。
 幸運な事も一応あった。博物館デートが終わってまだまだ日没まで時間があったため、適当にウロつく事にしたが、上手くタクシーが捕まり―どこの会社だったか、カートは必死だったので覚えていなかったが―もしかしたら涼しいかもという事で、公園の噴水まで運んでもらった。これは正解で、スポーツジムにいるような気分も多少和らいだのである。
 少しオレンジに染まり始めた空が木々と建物を染め、レイアの銀髪をきらきらと輝かせる。「来て正解だったよ」と口から自然に言葉が漏れる。あなた、歴史とかにはキョーミないんじゃなかったかしら?とレイアがくすくすと笑った。そうじゃないんだ、そうじゃ。
「ここまで来たお陰で、一層美しいお前の姿を見られた。だから言ったんだ。来て正解だったってな。今度は街の海岸側にも連れてってやるよ、独立宣言なんとか公園や旧市庁舎の辺りにさ」まあ、そういう建物や施設に一度も立ち入った事はないけどなと心の中で付け足す。
「何それ、変なの」と微笑むレイアを見ていると、カートの心が昂ぶってきた。いかん、危ない危ない危ない…帰宅後、実際に危なかった事が証明されてしまって誠に遺憾である。



 帰宅して夕飯を食べ終わるとカートは上気したレイア―発汗はないが―に押し倒される事となった。2人のうち、結局どちらがどう危なかったのかはうやむやになったものの、起床した今現在に毎度のごとくカートは後悔に身を蝕まれている。
 ああ主よ、また私は愚かにも過ちを繰り返しました。クラップ…結局のところ、欲望には勝てなかったよ、と。レイアに求められるままに、それに応じただけではあるもののそれでも納得はいかなかった。友達以上恋人未満の分際で、彼女の美しい肢体を穢すこの愚行をいつまで続けるつもりだろう。ハッ、笑わせんな。
「あなた変よ」とレイアは不安そうな表情でそう告げた。「どうしたの?」
 余談だが、レイア曰く汗だくになりながらもデートに付き合ってくれた事、及び午後の斜陽に照らされた自分を美しいと言ってくれた事。この2つの事項が引き金になってずっとムラムラとしていたらしいが、それを聞いても彼はうーん…と納得のいかぬ態度を取っている。いやいや結局悪いの俺だよね。



 地元に帰って来た頃のカートは部屋を借りてそこで暮らし始めたが、両親が送ってきた諸々の荷物に1つ妙なものが混じっていた。それはおよそ今までの彼が知る世界とは一線を画した代物であった。1体の大きな人形。何と大きさは5フィート近くあり、色々と大きいこの国の価値観で見ても―少なくとも彼にとっては―大きく見えたものである。それはまるで生きている人間のごとき精巧さと明らさまな作り物っぽさが同居している不思議な一品でもあった。フリフリとした服は長袖でロングスカート、一見わかりにくいが球体の関節が指に見られた。ワットザヘック何とやら、このデカい人形は何だと尋ね、両親からは名前はレイアだという答えを聞かされた。いや、そうじゃなくてな。
 結局のところこのEP5だか6に出てきそうなレイア姫の謎はさっぱり解けず、人形のお姫様を物置にしまう事を決めたが何故か次の日もその次の日も、物置の中から彼の枕元まで移動していた。これはヤバいなと思った彼は―学生の頃何かの授業を適当に聞き流したせいで人形の正体を早急に把握できなかった―eBayで適当なビデオカメラを落とし、部屋の目立たぬ場所に設置してみた。確か自宅で見知らぬ女が生活している映像を撮ってしまった俳優がいるとかなんとか。
 映像を見た後カートは早速グーグル先生に尋ねてみた。せんせー、動くフリフリ服の人形って何なのー? リビングドールだよ、デュード。
 要はそのなんとかかんとかの授業を聞き流していたカートに問題があったのだろう。系統発生学? 遺伝学?



「もーはっきりしなさいよー」
 申し訳なさそうにベッドに寝っ転がってそっぽを向いたカートをゆさゆさと揺すったレイアだったが、あまり効果はなかった。何をさっきから気まずそうにしているのかしら。
 一方カートは割とどうでもいい事を考えていた。向こうに「襲われた」のか、それともそれは自分の都合の良い言い訳なのか。しかしレイアは現にああ言っているのであって…カートは割と繊細だった。OK、そろそろやめよう、それよりも打開策、そうだいい方法があった。彼にしてはいい案かも知れない。
「なあレイア、なよなよして悪かったよ」しかし未だ振り返らないのはなよなよが続いている証拠でもあったが。「今度のゲームのチケットが2枚あるんだが…あー、えーと」
「聞こえないわ、静かにして」とレイア。
 カートが振り返ると可愛らしくベッドに座り込んだレイアがいつの間にかテレビを点けて何か―多分彼女が好きなマイアミのシーズン4辺りの録画―を見ていた。彼があーでもないこーでもないと考えた末に出した解決策は脆くも崩れ去ったようだ、今のところは。せっかく事情を聞いてくれようとしてくれた彼女の好意を無碍にしてしまったのであった。



 さて試合観戦後、1つの出来事が起きた。カートは羨ましいよなぁと声をかけてきた警備員達をからかってやろうかと思ったのだが、結局レイアを自分の彼女だと言えなかった。
 ほんの少し勇気が足りなかったのだ。エマーソンの言う5分長く勇気を振り絞れる者には残念ながらなれなかった。畜生…そういえば戦前は俺がレイアみたいなちっちゃい子と一緒に歩いてると異常者扱いか即任意同行だったらしいな。カートは何の慰めにもならない無駄知識に幾分の称賛を送って心の中で己の不甲斐なさを呪った。



「なあ、聞いてくれないか」とカート。「何?」
「レイアの好きなバンドの…ライフハウスだったっけ?」
「スリー・デイズ・グレイス。間違えないで」即答だった。厳冬に行う蟹漁のごとき冷たさがあった。今年の冬になればカートは今日の出来事を思い出して身震いする事だろう。
「そうだった、悪い…」一息ついて続ける。「で、その3・ドアーズ・ダウンの…」
 むにむに、と嫌な擬音が聴こえそうな光景が広がる。種族によってはそれを聞き取れるか感じ取れる感覚を持っているかも知れないが、視覚的な効果だけで十分だった。ところどころそれはむにゅーやぐにーにその形態を変化させているようだ。
「わざと言ってるの? ねぇ、どうなの?」無慈悲な尋問者が訪ねた。
 や、やめてくれ。そんなつもりはなかったんだ。ふーん、からかってる?
 10分程度そうして意味もなく時間を浪費してから、やっとカートは本題を切り出した。あるいは切り出せた、この際どちらでも構わないが。
「ライブのチケットが2枚あるんだが、見に行かないか?」
 おや、とレイアは思った。随分気前がいいのね。「2週連続でお誘いは嬉しいけど、どういう意図?」



 会場は熱気に包まれ、野郎臭さとそれをやや上回る陰鬱な曲調が観客達の心を打った。レイアはもとよりカートも例外ではなく、特別ファンでもない割には謎の一体感を感じていたのであった。帰りにブラジル料理店に寄って腹を満たしつつ、2人は今日の体験について語り合った。
「お前にも結構熱い部分があるんだな」
「なぁに、それ?」
「いやさ、全部そらで歌ってたもんだから」と答えた。「まあね、リリースされた曲は全部歌えるもの」
そう答えてから、レイアは何となく少し恥ずかしくなって目を逸した。
 レイアは可愛いな。も、もう、よしてよ…。
 帰宅した時はまだ21時30分で、どうせ次の日が休みな事もあり、急いで眠る必要性はなかった。カートは寝室の冷房を点けた後、ふと立ち止まって考えた。今こそ言うべきではないのか? 勇気を出さなければ、と。
「レイア」
 呼びかけに対して返答はなかったが、当然の結果でもあった。レイアは足早にシャワーを浴びに行っていた。カートは緊張のあまり、彼女がバスルームに向かった事に気づいていなかった。
「シャワー好きだもんな」と彼は呟く。発汗しないにせよ、彼女は外出時に付着した雑多な砂埃をシャワーで洗い流すのが好きだった。カートに言わせればそれは彼女の美点の1つである。カートはベッドに座り息を整えて待つ事にした。
 15分後、可愛らしいパジャマに着替えたレイアが寝室に入ってきた。神は彼にもう1度チャンスを与えたようだ。
「レイア」
「どうしたの?」なんであんな固い顔してるのかしら。
「俺達はいいルームメイトで…」
「そうね」
「いい友達だ」
「ええ」
 違う、そうじゃない。言いたいのはそういう事ではなかろう。意図せず口から出た言葉と裏腹に2人して笑った。心からの笑いとは言い難いが。
 ぐっと全身に力を込めてカートは吐き出すように、辛く苦しみに満ちた心境を吐き出した。「もう耐えられない、嘘を付くのは」
「関係の崩壊が怖かったんだ。早く正式にお前と付き合いたかった。けどそれを言っちまうと終わる気がしたんだ。でももう耐えられない」余程堪えたのか彼は発言後俯いてしまった。それを引き継ぐように、レイアが返答する。「私も同じよ」
「私だって早く壁を壊したかった。でも言えなかったわ…だから今どれだけ嬉しいかわかる?」どれだけ友達に彼氏ができたと自慢したかった事か!
「わからねぇけど自分が今どれだけ嬉しいかはわかるよ」
 カートの言葉がきっかけとなった。レイアはカートの元へと走り寄り、ベッドに座っていた彼の胸へ飛び込む。見事なタッチダウンが決まり彼をベッドへと押し倒した。
「もうバカ! 愛してるわ!」
「俺もだ!」と答えながら彼は彼女を強く抱きしめた。
 言うまでもないが、その日は随分と激しかったようであり、次の日は昨晩の焔を思い出して互いに気恥かしそうにしていた。まだしばらくペンシルバニアは暑い日が続くだろう。

某焼きそばバンドの曲を聞いてSSの案が閃いた。SSの終盤は展開が少々強引ですが。
リビングドールの発汗云々は独自設定です多分。

14/12/25 20:01 しすてむずあらいあんす

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