読切小説
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ドラゴンさんの宝物庫
彼女のマンションに遊びに行った時のこと。
俺には、以前から気になっていた部屋があった。
普段彼女はその部屋に鍵をかけている。しかし、先ほど、彼女は鍵をかけることを忘れていた。
彼女と付き合い始めてしばらく経った。そろそろ、気持ちがゆるんできたこともあったのだろう。

何の変哲も無い、ただの扉。俺は、そのドアノブに手をかけた。
別に、彼女の秘密を暴いてやろうと思っていたわけではない。
ましてや、秘密を握ってやろうと思っていたわけでも無い。
それは、魔がさした、という好奇心。
彼女について、何かを疑っていたわけでは無い。
悪いとは思っていたが、あからさまに隠されると気になってしまう。

彼女は今、シャワーを浴びている。
ーーガチャリ。
ドアノブを回すと、その部屋の中の空気が漏れ出してきた。
俺は違和感を感じて、怪訝そうな表情を浮かべる。これは何だろう。その違和感を俺はもっと考えるべきだった。だが、彼女がシャワーから戻ってくる前に、というはやる気持ち。人の秘密基地にこっそりお邪魔するような、童心にかえったような好奇心。
そうでなくとも、今日は特に落ち着かない気持ちでいた俺には、自分の心を抑えておくことが出来なかった。
俺はそこで気がつけばよかったのだ。
それは、その臭いは……。

好奇心、猫を殺す。
ペローの童話にある青ヒゲ。
つるの恩返し。
見てはならないものを見てしまう話は、どこにでも転がっている。

綺麗に整理整頓され、ほこり一つ落ちていない、清潔な彼女のすまい。
その中で、ただ一つ閉ざされた部屋……。
俺はそのドアをそろーっと開けて見た。
俺は立ち尽くす。
鼻につく異臭。目に飛び込んできた光景。
信じられない。
信じられない。

彼女が、まさか、彼女が……。

「どうして開けてしまったんだ」
底冷えするような声に、俺は体が硬直してしまう。
軋むように後ろを振り向けば、彼女がいた。
動物的な勘が働いたのか、それとも何かしらドアに細工がされていたのだろうか。
シャワーを浴びていたはずの彼女は、一糸まとわぬ姿で、水を滴らせた、濡れた姿でそこに立っていた。

筋肉質に引き締まっていながらも、肉惑的な見事な肢体。ツンと立った桜色の乳首に引っ張られるようにして、形の良い、豊満な胸が、彼女の浅い呼吸で波打っている。彼女の肌を、官能的な雫が伝う。限界まで絞られたような腰のくびれから、三角地帯に流れる雫は、整えられた陰毛をさらに湿らせている。むっちりと張った太もも。スラリと伸びていく滑らかな足。
普段であれば、むしゃぶりつきたくなるほどに見事な肢体は、今の俺には、違ったものとして見えてしまう。

彼女の尾が、鞭のように床を叩く。
鱗の生えた、凶悪なフォルム。
手も、足も、暴力を象徴するかのような鱗に覆われている。
俺は、何も言えず、ただ唾を飲み込む。

彼女は俯いて、その顔は見えない。
その肌が上気しているのは、シャワーを浴びたからだけではないのは間違いがない。
小刻みに震えるその体はーー固く握り締めれたその拳はーー。
背中から漂ってくる臭気が、生臭い。
巨大な肉食獣の口の中にいるようだ。
彼女の角は、それこそ獣の牙のように思えてしまう。

彼女は魔物娘。
かつては人間の敵として生きていた魔物が、魔王の代がわりによって、人間の姿になった存在だ。彼女たちは人間の良き伴侶。人を傷つけることなんてない。
だが、見てはいけないものを見てしまった時にはどうだろう?
俺は、何をされてしまうのだろう。

彼女はドラゴンだ。
比喩でもなんでもなく、ドラゴンという種族である。
空をかけ、火を吹き、財宝をためこむ。恐怖の象徴であり、羨望のまとである存在。
その彼女の秘密を、俺は見てしまった。

彼女の濡れた髪から、一つ、また一つ、と。雫が落ちる。
無感動な音は、カウントダウンじみている。
時が止まったかのように、俺たちは動けずにいた。

世界というものから切り離されてしまったようなこの時間は、永遠にも思えた。

彼女の顔は見えない。その体は小刻みに震えている。
俺は、何とか息を吸い込む。
そして意を決して、彼女に向かって口を開く。



「主任、お疲れ様です」
彼女は会社の部署の主任だった。
知的でクールな女主任。いつもはキリリと顔を引き締めて、冷たい感じもある美人だ。そして抜群のプローション。書類を確認してもらっている最中、俺は彼女の顔や体を何度も確認してしまうこともザラだった。
彼女もこちらの視線に気がついていたに違いない。

いいさ。俺が彼女に気があることは事実なのだから。
俺は彼女に惹かれていた。
「今日、飲みに行きませんか?」
俺の申し出に彼女はすんなりと応えてくれ、デートにも誘い、俺は彼女と付き合えた。
普段クールな彼女が笑うと、とたん、子供のような無邪気な表情になって、俺は天国にむかってホームランを打たれたような気持ちになってしまう。もちろん、俺がボールだ。

ベッドを共にすれば、今度は敵う気がしない大人の女性になった。
俺にはもったいないくらいの女性。
それが彼女だった。

「映画面白かったですね」
「そうだな。だがーー」
彼女はあの場面への構成の持っていきかたは、もっと上手いものがあるはずだ。
私ならこうする。と、俺に講義をしてくれた。
正直なところ、俺にはどうでもいいことだったが、真剣に話す彼女の瞳はキラキラと輝いて、俺はそれを見ているのが好きだった。

「ん? どうした」
それを伝えると、彼女は
「当たり前だろう。好きな人と一緒にいるのだから」
と、こちらが恥ずかしくなるようなことを言ってくる。
俺が黙れば、彼女は口端を歪めて得意そうな瞳をする。
ああ、好きだな。と、俺は心が滲むのを感じる。

「あ、ゴミ捨ててきますよ」
俺はゴミ箱を見つけ、ポップコーンの空箱を捨てる。
ついでに、もう用済みになったあれも。
「あ……」
「どうかしましたか?」
呻くような声に、俺が尋ねれば「なんでもない」と彼女は言った。
俺は首をかしげたが、彼女の瞳に、何かしら妙な光が浮かんでいた気はした。



「ふ、くっくっく」
閉ざされた空間。
洞窟のように狭く、暗く、ここにうごめく物は、一人しかいない。
まるで胃袋のような臭いがする。
その中心で、その者は悦に入る。

「これは私のものだ……誰にも渡さん」
その者はその空間いっぱいに詰め込まれた財宝をウットリと眺める。
その中に、新しく手に入れたそれを並べ、順番に見ていく。
「これは「ーー」、これは「ーー」」
偏執的に手にとっては、よだれを垂らしそうなほどに顔を歪める。
そうして財宝の山に身を投げ出し、ゴロゴロと転がる。

「ふ、うふふふふー」
歌うように笑い、財宝の香りを自らにこすりつけるように、財宝に自らの香りをこすりつけるように。その者は何度も何度も身をくねらせる。
目に止まったものを手にとっては、その強靭な尾を、その激情をうちすえるために、壁に打ち付ける。
「ふ、ふははははー」
子供じみた声には様々な色が乗っている。

ビタン、ビタン。
打たれた壁が軋む。

そのうち、
ーードンッ!
という音。

彼女の財宝を狙いに来た襲撃者、
ではない。

「ご、ごめんなひゃい!」
思わずビックリして噛んだ自分に、彼女は頬を赤らめる。
それは、隣の部屋の人。
彼女の嬌態の音が、腹にすえかねたのだ。

いけない、いけない。
彼女は気を取り直して、幸せそうな表情で、財宝の上でとぐろを巻く。



「汚ったねぇーー!」
俺は叫んでしまった。ここがマンションであることも忘れて、あまりの部屋の散らかり具合に。
扉を開ければ、そこはゴミの山だった。
何のものかわからない、謎の異臭がしている。彼女の種族はベルゼバブではないだろうか、とまで思ってしまう。

「掃除するぞ! 捨てるぞ!」
「だ、だめだぁーッ! これは皆私の宝物なのだ!」
「何言ってるんですか。すごい臭いですし。さすがにこれは皆看過できません」
「だぁめー!」
その部屋に足を踏み入れようとした俺は彼女に羽交い締めにされた。
濡れままの彼女の肉体は、俺のシャツを濡らし、彼女の柔らかい感触を、これでもか、と伝えてくる。
欲情をダイレクトに刺激してくる、暴力的な官能は、それでも俺の衝撃を吹き飛ばすことは出来ない。性欲を抑制できるくらいに、汚い。

「主任、さすがにこれは汚すぎます」
「やだー、やだやだ」
ここは彼女の本当の部屋のなのだろう。見てはいけないものであり、知りたくはないものだったが、俺の掃除魂の方が完全に燃え上がってしまった。
ドラゴンの膂力によって羽交い締めにされ、俺は全く動けないのではあるが、この、ゴミ(悪)を滅ぼせと、俺の正義の心は張り裂けんばかりに叫んでいる。
しかし、振りほどけない。
俺はため息をつきつつ、首だけで彼女を振り向く。

「じゃあ、いるものといらないものを分けて、綺麗にしましょう」
羞恥と動揺で真っ赤になっている彼女の瞳に、俺は訴える。
目を揺らしたり、頬を膨らませたり、まるっきし子供のような表情。彼女の中で、葛藤の嵐が吹き荒れていたに違いない。
しばらくして(長い、長い時間だった)、彼女はコクリと頷いた。

俺はゴミ袋を広げて、
「これいります?」
「いる!」
「いいえ! いりません。なんでアイスの棒なんてとってあるんですか」
「だって、その木の棒のささくれ具合が芸術じゃないか?」
「ぽい」
「ああーっ! なんという酷いことを! 君はあれだな、君の暴虐非道っぷりは、伝えきく主神の行いとそっくりだな!」
「やっすい主神ですね……ポイ」
「ああっ! それはいつかは使うかもしれない、紙袋」
「いりません!」
「うぅ……鬼畜部下」
「これは?」
「爪が刺さって割れたバランスボール」
「いりません」
「その感触が好きだったのにー!」
「これは?」
「知らない」
「なん……、だと? ぎゃああああ! 干からびたトカゲ!?
これは!?」
「ビー玉、キラキラしていて綺麗だったから」
「ドラゴンって、カラスと一緒だったのかよ!?」

俺は呆れながらも、ゴミの山の開拓者となって、どんどんと掘り進んだ。
もう律儀に彼女に確認せずに、まとめて捨ててしまってもいいと思うのだが……
「これは」
「◯月×日に君と一緒にった映画の半券」
「……。これは?」
「君にもらったプレゼントの包装紙」
「…………。この穴のあいた服は捨てていいですよね?」
「ダメだ、君に褒めてもらえた服だ」
「……………」
捨ててはいけないものが出てくるので油断が出来ない。
というか、よく覚えているな。
そして、顔を赤らめてモジモジしないで欲しい……。

「なんで、俺のパンツがここにあるんだ……。下着が減っていると思ったら犯人はお前か」
「魔が差して、つい」
「魔が差したにしては数が多い。あ、だからプレゼントに下着が多かったのか」
「君に預けて、臭いが十分についたところで引き取っていたのだ」
「俺は下着の育て屋さんじゃねぇぞ! なんでそこでビックリした顔をするんだ!」
「げ、これなんかカピカピしてるし。あ……あの時のか……捨てます」
「それを捨てるだなんてとんでもない!」
ひっついてくる彼女を俺は引っぺがした。

ダメだ……。あまりにも敵は強大だ。
今日一日では片付きそうもない。
「もう泊まって片付けるしかないのか……」
俺がボソッと言うと、彼女は瞳をキラキラさせて、
「なんと、自分から宝物庫に収まりに来てくれるとは」
「ここは宝物庫じゃねぇ! ゴミ溜めだ!」
「ひ、ひどい」
よよよ、と崩れ落ちる彼女。
というか、思わず忘れていたが、
「服、着てください」
「ああ、忘れていた」
「俺のパンツに手を伸ばすんじゃない!」



ようやく片付けが終わった。
思ったよりも部屋は広く、見違えた部屋を見て、奇妙な顔をしていた。

「君がそんな人だとは知らなかった」
「俺もお前がそんなやつだとは知らなかったよ」
彼女は俺を見て、ふふ、と微笑む。
あのゴミの山の王者だとは思えない、柔らかく、優しい微笑み。
「ようやく普通に話すようになってくれたな」
「あ……すいません」
彼女の指摘に、俺はハッとして口を押さえた。
交際していても、彼女の方が上だとして憧れる気持ちの強かった俺は、未だに仕事上の口調が抜けなかったのだが、あの惨状をみて、いつの間にやら、彼女と対等に立っていたようだ。

「いい、そっちの方が嬉しい」
しなだれかかってくる彼女からは、シャンプーの甘い香りがする。
その彼女に、俺は当初の目的をようやく思い出す。
「ちょっと、待っていてくれ」
俺はソファーから立ち上がり、カバンから小さな箱を取り出す。
「君の大切なものを捨ててしまったからな。これを君の宝物庫に収めたい」

箱の中身を見せれば、
「ふふ。それは違うだろ。それは、俺の宝物庫に収まってくれ、だろ?」
「そうだ。俺の宝物になってください」
俺は彼女の瞳を見ていった。
「喜んで」
微笑む彼女は子供のようで、大人の女性のようで、やっぱり俺の敵わないドラゴンだった。

彼女はその指輪を左手の薬指にはめて、目をしばたいている。
彼女でも気恥ずかしいのか、時折、身をよじらせて。

俺も微笑んで彼女を見ていると、彼女は俺の手を引いてソファーに倒れこむ。
「私は君の宝物になってしまったから、今度は、私たちの宝物を作ろう」
そんな、魅力的すぎる唇(ていあん)に、俺は唇を重ねた。
17/05/14 12:27更新 / ルピナス

■作者メッセージ
汚物は消毒じゃー!

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