第21章:海の絆ここに在り BACK NEXT


季節は天馬の月(7月の中頃〜8月の終わりごろまで)、夏真っ盛り。
赤道直下の炎天下の中、新領地となった地域を駆け回っていたファーリルが、
お付の天使マリエルを連れてようやく十字軍の陣地に戻ってきた。
実に2か月ぶりの帰還だ。

「いやー、あついあつい。カンパネルラもアネットもビブラクスも
毎日よく晴れて暑かったけど、やっぱここが一番きついなぁ。
こんなところに何か月もいたら人間の干物が出来ちゃうね。」
「あの、ファーリルさん……間違ってもお姉さま方の前で、
そんなこと言っちゃいけませんよっ!怒られちゃいますからっ!」
「あはは〜、そうだね。気をつけなきゃ。」

マリエルの言う通り、ここカナウスの海岸沿いには
何万人と言う兵士たちが陣地を築いて何か月も緊張状態を保っているのだ。
そんなところにこの失言が零れればたちまち総スカンだろう。

…でもやはり暑いものは暑い。

しょっちゅう仕事に追われる軍団長はだらしない格好をするわけにもいかないので、
ファーリルは暑くても長袖のローブを着こみ、あまつさえ型布を着用しているのだ。
暑くないわけがない。その上、隣を歩くマリエルが涼しそうな薄いワンピースだけなのが、
これまた恨めしい。しかしそこはプロ、汗をかきながらも笑顔は絶やさない。

「じゃあマリエルは先に休んでなよ。僕はエルにいろいろ話すことがあるから。」
「いいんですか?ではお先に失礼します。」

先にマリエルを仲間の元に送ると、ファーリルはエルがいる司令部に足を運ぶ。

「ファーリル軍団長。」
「お仕事お疲れ様ですわ。」
「うん、みんなも暑いなかよく頑張ってるね。」

歩きながらすれ違う将兵とあいさつしながら歩いていると、
彼ら彼女らの纏ってる雰囲気がいつもより明るいことに気が付いた。
そろそろ十字軍が滞在も半年になる。誰もが肌の色を小麦色に染めて、
すっかりこの地の生活に適応しているようだった。
一応ファーリルの元にも十字軍海軍がカナウス海賊団に勝ったという報は
届いているのだが、彼らの余裕のある表情を見て初めて実感がわいてきたように思える。

「おや?ねえちょっと。」
「あ、軍団長。何か?」
「あそこに見える大きな石垣の囲い、僕が出かける前には見なかったけど。」

ここでファーリルは見慣れない施設を見て、近くを歩いていた百人隊長に声をかける。

「ああ、あれは捕虜収容所ですよ。先の海戦で1000人以上の捕虜が出ましたから、
脱走しないように囲ってあるのですよ。なんなら夜中あたりに詰所を訪ねてみてはどうでしょう、
毎日のように脱走を試みる海賊たちと衛兵たちとのバトルが熱いみたいですから。」
「…絶対カーターあたりがあえて楽しんでるよね、それ。
教えてくれてありがとう、暇を見て見に行ってみるよ。」

前回の大海戦で出た大勢の捕虜は処刑されずにそのまま収容所に入れてある。
これは処刑して海賊たちの復讐を食らうよりも、人質として閉じ込めておけば
何かと役に立つだろうという判断だ。まあ、当然褒められた戦術ではないし、
血気盛んな海賊たちは隙を見ては何度も脱走を試みているため管理が面倒だ。
ファーリルは若干呆れつつ、再び司令部に向けて歩みを進める。


「エル〜、ただいま〜。」

ファーリルが司令部に入ると、ちょうどエルがユリアと昼食をとっているところだった。
今日の献立は魚介スープがメインのようだ。総司令官と言えども、食べ物は
一般兵士とそう変わらない。強いて言うならいつも甘いものを携行しているくらいか。

「おかえりなさいませ、ファーリルさん。」
「ファーリルか。ようやく帰ったか。暑い中あちこち巡って大変だっただろう。」
「うん、とっても大変だったよ。何しろ占領地の権利関係は面倒だからね、
一応魔物が住んでる村とかは税金だけ徴収してあとは長たちに任せるとして、
やれ反乱だやれ盗賊だ、いっそ爆撃して根絶やしにしたいくらいだよ。」
「ああ、俺がお前の立場だったら真っ先に爆撃してるな。」
「あらあらエルさん、物騒ですね。ダメですよ、何でも力任せに解決していては。」
「それは分かっているのですが……」
「あはは、まったくっこれだからエルは困ったものだよ。」

ファーリルがこれだけ苦労してるのはひとえに、エルのせいでもある。
何しろエルは戦争は得意でも政治手腕はあまり持ち合わせてはいないので、
結局尻拭いは全部ファーリルに任せてしまっているのだ。
もっとも、ファーリル自身は内政に関する手腕が抜群にうまく、
大変だと言いつつもこまごまとした調整を嬉々としてやってのける。
エルとファーリルはまさにお互いがお互いを補う理想的な関係と言える。

「じゃあ僕もお昼ご飯貰おうかな。何か適当に持ってきてよ。」
「はっ、ただいまお持ちします。」
書記官がファーリルの昼食を用意しに駆け出していく。
「どう、エル?何とか2か月以内に落とせそう?」
「相手の出方次第ってところだな。海賊どもが打って出てくれば早めに決着がつくだろうよ。」
「ははあ、なるほど。それで捕虜たちをわざわざあんなところに閉じ込めてるわけか。」
「ところがそれだけじゃない。少々卑劣で悪逆やり方だが……昼飯食べ終わったら付き合えるか?」
「?…別にかまわないけど。」
「私も少々胸が痛むのですが、この地に長くとどまって皆さんを無暗に疲れさせるわけにはいきません。」
ユリアも少々残念そうな表情をしてはいるのだが、かといって反対しているわけでもなさそうだ。
「ヒント、カーター。」
「ああ…ちょっとまって、それだけでなんとなくわかっていた気がするよ。うん。
実際暇なんだろうな〜あいつも。」
 
 
 
さて、遡ること一週間と数日前に、十字軍海軍はカナウス海賊団相手に大勝利をおさめ、
彼らが持っていた船を大量に鹵獲すると同時に捕虜も大勢獲得した。
捕虜の中にはマゴやアルクトスといった大物海賊頭も含まれていたため、
カナウス海賊団は戦闘能力が一気に激減したと見てよい。
カナウス要塞内部では海賊団結成初となる大敗北に全員が動揺した。

「マゴの旦那…アルクトスの旦那…それにロロノアの旦那がつかまっちまった!」
「それどころか出撃してった奴らはほとんど戻ってこなかったって話だぜ。」
「いやぁ…私の旦那様が……旦那様がぁっ…」
「泣かないで、きっと首領が旦那様を助け出してくれると思うわ!」
「陸酔いしてなければいいんだけど…」

敗北にショックを受ける者、親友あるいは愛する人の消息が知れない者、
彼らの悲しみが焦りに変わっていくのにそう時間は要さなかった。

「かしらっ!水兵やその奥さんたちが捕まった奴らをどうしても取り戻したいって言ってるさっ!」
「ちっ、まいったな〜…今出てっちまうと本格的にまずい。
まず部下たちがどこに捕まってるかはっきりしないうちは手が出せねぇ。
あ〜〜っ、くっそ〜〜!!なんかいい手はねぇものかなぁ!」
「……かしらっ、気持ちは痛いほどわかるさね。」

それから数日間はアロンが何とかリーダーシップをとって、
血気にはやっていまにも十字軍陣地に殴り込みをかけていきそうな海賊たちを抑えていたが、
それでも何人かの仲間思いで無鉄砲な海賊や、今すぐにでも夫を取り戻したい
魔物娘たちが独断で陣地に侵入して自力で救出をしに行ったのだが、
誰一人として帰ってくることはなかった。
籠城側はいくら不利な状況に置かれても、耐え忍ばなければならない。
古来から攻城戦は攻撃側は物理的に不利であり守備側は精神的に不利である。
アロンや頭目たちもそれを分かってはいるのだが、何よりも仲間との絆を大切にする
海賊たちにとって、仲間を助けられないのは非常につらかった。

そしてそれから三日後…まだファーリルが帰ってくる前のことだった。



「ええっ!?引き上げですって!?」
「ああそうだ。今駐留している部隊の半数を明日から少しずつハルモニアに向かわせる。」
「お言葉ですが司令官、海上要塞がまだ陥落していないのに戦力の引き上げとは
解せませんな。我々帝国軍としては一日でも早く攻略してしまいたいのですが……。」

定例会議で、エルは突然軍の引き上げを命じたのだ。
エルが予想もつかないことを思いつき、将軍たちを困惑させるのは何度目だろうか。
毎度のことながらその意図が読めない彼ら彼女らはその命令に納得しかねる。
特に第3軍団副軍団長ゼクトをはじめとした帝国出身の将軍たちは、
自分たちの利権がかかわってくるのであからさまに不満そうだ。

「諸君、俺が攻略目標を途中であきらめると思うか?
本国で何かあったならともかく、せっかく有利になった状況を簡単に放棄する
なんてことは当然あってはならない。だがな、無理に要塞を攻撃せずとも
敵を要塞から引きずり出せれば攻略はもっと楽になる。」
「…なるほど、今回の引き上げは策略でしたか。」
「しかし、果たして引き上げただけで敵は出てきますかね?」
「仮に俺が相手の立場であったとするなら、戦力を消耗している今
うかつに追撃のために出撃するということは考えられません。」
「いいや、奴らは出て来ざるを得ないはずだ。」
どうもこの作戦を考えたのはカーターのようだった。
「へ〜…てっきりカーター様のことですから、浜辺に晒して鞭打ちして
『悔しかったら助けに来てみろ、あっはっは』ってやるものかと思ってましたよ。」
「おいルーシェント、俺はそんなみみっちいことで満足する小悪党じゃない。
せっかくだから、奴らの方から頭下げさせるようにしないとな。」

この後カーターが小声で今後の策を将軍たちに知らせると、
途端にみな納得した表情を見せた。
 
 
 
 

「ねえねえあなた達、聞きまして?」
「何がですか隊長?」
「それって面白い話っスか!聞きたい聞きたいっス!」

人間の軍隊であるにもかかわらず女性比率が高い十字軍では、
ひとたび噂がもれると、軍全体に広まるのに一日もかからないという。
いつの時代も女性は話好き噂好き。こうして捕虜を見張っている間にも、
彼女たちは隙を見て世間話に没頭するのだった。
これは時として情報漏えいを招く恐れもあるため、
最後の最後まで十字軍の問題点としてエルが頭を痛めたらしい。

「……撤退ですって!?」
「本当(マジ)っスか!?」
「何でも、故郷で大規模な反乱が起きたそうですわ。
そのせいで留守の国々が援軍を求めているのだとか。」
「うわっちゃ〜、こんな時にやってくれましたねぇ…」

一応捕虜収容所からそこそこはなれたところで、
ヒソヒソと話してはいるのだが、魔物とインキュバス達を甘く見ないほうがいい。
彼女彼らの身体能力は人間など比べ物にならない。当然、聴覚も
普通の人間の倍以上はあると見るべきだろう。

「どうしたんですかいロロノワの旦那、壁に耳当てて…」
「しっ……今、外の会話を聞いているところなんだ。
しかも、何か撤退とか反乱とか……ひょっとすると…」

話を盗み聞きしているうちに、どうやら十字軍は本国で内乱が起こって
ここにいる戦力を戻さなければならなくなっているようだ。
劣勢のカナウス軍にとって、思いにもよらぬ朗報である。

(まさか…奇跡が起きたのか!俺達は耐え切ったんだ!)

十字軍が去ればこの海は再び平和を取り戻すことが出来る。
鹵獲された船はまた作ればいいし、再び攻めてくるまでに
海賊の勢力を強めておくことだってできる。
聞いたところだと、内乱はかなり大規模な物らしい。
おそらく2年以上はここに戻ってくることはないだろう。
だが…

「しかし隊長!ここにいる捕虜はどうするのですか?リリース?」
「まさか。あの人たちにはユリスまで付いて来てもらうつもりでしてよ。
きっと帝国領内で労働力として有効活用されますわ。」
(なっ、なにいいぃぃっ!?)

そう、肝心の自分たちの身柄がどうなるのかの心配をしていなかった。

「…やばい。もしかしたら俺たちは奴らの住む地まで連れてかれるかもしれない…」
「う、うそだろ?ロロノワの旦那…」
「俺たちが連れて行かれたらあいつや娘たちはどうなるっ!」
「畜生!ユリスの連中め!なんてひでぇことしやがる!」
自分たちが遠い地に連れて行かれるかもしれない。
カナウスに生まれカナウスに育ち、海の魔物たちと春を謳歌する
海賊たちにとって、この上なく最悪な結末だ。
「脱出だ!今すぐにこの牢屋を突き破って愛する家族の元に帰るぞ!」
「そうだ…!もうかれこれ一週間ハメてないんだ!もう我慢出来ねぇ!」
『おおおぉぉぉっ!!』

ワーワー

「捕虜たちが暴れだしたわ!衛兵、戦闘配置!」
「叩き伏せろ!抵抗をやめなければ殺しても構わん!」
「一人たりとも逃がすな!」

この日、暴走したイル・カナウス海賊の捕虜たちはその強靭な腕力にものを言わせて、
収容所の脆い部分を素手で破壊して脱走を試みた。
対する衛兵たちも素早く反応し、あっという間に蟻一匹逃さない構えを形成、
射手を屋根の上に配置して遠慮なく攻撃を開始した。
インキュバスが大半を占めるカナウス海賊たちは武器を持っていなくとも
その戦闘力は脅威であり、人間の一般兵士一人ではまず勝ち目はない。
しかしながら、普段から警戒が厳しい中無策のまま突破しようとしたせいで、
あっという間に近くの区画から兵士たちが駆けつけてくる。その上…

「うっ…!」
「アルクトス先輩!顔色が…!まさか敵の毒攻撃!」
「い…いや……陸酔いが……」

彼らの持病(?)の陸酔いが徐々に戦闘力を奪う。
普段の生活なら単なる笑い話ですむだろうが、陸上戦で酔いは致命的だ。

「もう少し手こずると思いましたが、何やら急に嘔吐感にさいなまれているようす。
海賊たちの体はよくわかりませんね。さて、おそらくそろそろ最後の突破を
試みてくるでしょう。いいですか…"わざと"一人逃がしてあげてください。
ユニース軍団長からの命令です。」
「しっかし、こんなあからさまな罠に奴らがかかるかなぁ?」
「カーター軍団長の言葉を借りるのであれば"かからざるを得ない"でしょう。
海賊は何よりも仲間との絆を大切にします。それが彼らの急所でもあるのです。」
「それに漬け込むんだから俺たちは全く持ってひどい奴らだな。
よし、あのデカ物は俺がとめる。そっちは足の速い奴を頼んだ。」
「了解。」

駆けつけてきた第四軍団参軍の二人…エルウィンとセグメトは、
あらかじめユニースから指示されたとおり、最後の抵抗を試みる海賊たちを
片っ端から無力化させる。彼らは多少傷つけたところですぐに回復するとわかっているため、
手加減の必要はない。関節を外し、骨を砕き、激しく動き回らせて嘔吐させ…

30分後には、脱走を試みた海賊たち全員が気を失ってその場に倒れ伏した。
マゴもロロノアもアルクトスも、数の暴力の前にはなすすべがなかった。

「か…かしら……妻よ…、すま…ねぇ……」

最後に、ひときわ異常な耐久力で奮闘していたマゴも、
バタンキューと顔から地面に突っ伏す。

「お疲れ様でしたみなさん。では彼らを牢屋に戻しましょう。
うち半数は彼らの吐瀉物の掃除です。疫病に感染すると困りますから念入りに。」
「おう、エルウィン。言われたとおり"わざと"一人逃がしてやったぜ。
後は沿岸警備の奴らがどれだけ空気読めるかだな。」
「セグメトさんも、お見事な手際でした。つきましては、掃除の方も手際よくお願いします。」
「ちぇっ」

祭りの後は後片付けをしなければならない。
幸い味方兵士たちは殴られただけで死者は出なかったが、
それでも怪我人がそこそこいる。吐瀉物の掃除も念入りに。
集団生活を行う場所で一番の敵は病気なのだ。
かつてユリス地方では疫病が大流行していた時期もあり、
それ以来衛生に関しては徹底的な対策をとってきた。
そのためこういった作業はみんな真剣かつ素早い。

「この軍も随分といい動きをするようになってきたわね。
きっとエルの野望をかなえる日もそう遠くないかしら。」

灯台から高みの見物をしていたユニースも、
彼らの統率のとれた手際のいい鎮圧を一部始終見守って満足そうに笑っていた。

「さあ、海賊たちは自分たちの仲間を見捨ててまで抵抗できるかしら?
こっちから乗り込んで叩き潰してあげたいんだけど、
私も味方が死ぬのは嫌なの。早くエルの言いなりになればいいのに。」
 
 
 
 
… 
 
 
「野郎ども!喧嘩だ!兄弟どもを助けるぞ!」
『うおおおおおおおおおおおおっ!!』


我慢の限界なのは要塞内の海賊たちも同様だったようだ。
仲間を人質にとられてから、イル・カナウス軍の士気は日々低下していた。
特に、夫をとらえられた魔物娘たちの悲しみは深刻で、
中には夫が帰ってくるなら降伏してもいいという魔物もいる。

そこに、転がり込むように捕虜の一人が要塞まで逃げてきた。
彼が言うには、十字軍はユリス本国への撤退を始めていて、
残りの捕虜たちは全員遠い地に連れ去られるというのだ。
戦略的には、ここで何もせずに撤退していく十字軍を見守っていれば
勝利確定なのだが、仲間の命がかかっているとなれば話は別、
彼らが仲間を連れ去る前に何が何でも取り戻さなくてはならない。

「仲間のためなら命も惜しまない、それが俺たち海賊団の絆だ。そうだろう?」
「当然さねっ!私の友達も愛する夫を捕えられてものごっつい悲しんでるさ!」

スクワイアとライチェ、二人の頭目もやる気満々でもはやだれも止める者はいない。
カナウス軍で戦えるものはすべて武器を持ち、捕虜救出に向かうつもりだ。
ただ、忘れてはならないのは、ここにはカナウス軍だけではなく、
ここに避難してきた人々もいるということだ。

「アロンさん!この騒ぎはいったいなんです!?」
「ま、まさか出撃するとか…!」
「おうよ!仲間が助けを求めてんだ…見殺しになんてできねぇ!」

遅れて駆けつけてきたのはサンメルテ領主のフランツィスカと、その弟ラウル。
さらにはベルカ傭兵団の面々もいる。

「落ち着け、アロン!これは奴らの罠だ…迂闊に出撃したら危ないぞ!」
「止めるなベルカ!たとえ罠だったとしても、男にはやらなきゃならねぇことがある!」
「だったら具体的にどうやって助け出すつもりなんだ!
この人数では上陸することだって難しいんだぞ!」
「ああ、こうなったら手段はえらばねぇ。タイダルアクアマリンで大波を起こして、
奴らの陣地を浸水させる!そこへ波に乗って俺たちが襲撃すれば、
奴らは何もできんだろうよ…!だから………!」
「馬鹿かあんた!もう少し落ち着いて考えてみな!
切り札の津波は一度使っちまったんだ!あのエルに同じことが二度通用するとは思えない!
今のままだったら波ごと凍らせられるか、雷打ち込まれるか……!」
「ちっ…確かにお前の言うことももっともだなぁ…」

ベルカの言葉を聞いてようやく冷静になったアロン。
このまま突っ込んでも返り討ちだというのは分かってはいるのだが、
残念なことに人数の少ないカナウス海賊団に取れる作戦は非常に少ない。
カナウス大海戦前編において何人か有力な人間を捕まえていれば、
捕虜交換で仲間たちを取り戻せたかもしれないが、
あいにくジークニヒトをはじめとした提督たちは一人残らず
海の魔物娘たちが持ち去ってしまったせいで、今手元にはない。

「ほんじゃあベルカっ、あたし達は一体どうすればいいんかいな?」
「……もはやこれ以上の籠城は無理だというのは分かっている。
かといって奴らの罠にみすみすかかるのも面白くないだろう。
どうだ、ここは一つ、奴らに一騎打ちを申し込んでみないか?」
『一騎打ち!!』
アロン、ライチェ、それにスクワイアが顔を見合わせる。
「いいか、敵の総大将エルクハルトは私たち親魔物国とちがって、
とにかく合理性を優先している。が、私にはわかるんだ。
あいつは合理性というものを超えた突拍子がないことが好きな冒険家気質だ。
そこでだな……こそこそするよりも正々堂々と…」
「面白そうだ。もう少し詳しく話せ。」

ベルカの話を聞いたアロンは、イル・カナウスの棟梁として
一世一代の賭けに出ることを決意した。
 
 
 
 
 
 
 
 
翌日の朝のことである。
この日もイル・カナウスの空は雲一つない快晴であり、
万物を徹底的に灼かんとする太陽の熱さえなければ過ごしやすい日になりそうだ。
朝早くから炊煙が各所で立ち込め、眠って英気を養った兵士たちの
活気で満ちてくる。そんないつもの日常が、突然の来訪者によって破られる。

「警報!要塞からこちらに向かってくる人影あり!」
見張り塔の上で監視の任に当たる兵士が、要塞へと続く砂浜を
歩いてくる者を発見した。
「人数は!?」
「それが……魔物を含めて10名ほどです!それと、交渉旗(いわゆる白旗)を
持っているところを見ると、どうやら話し合いに来たようですね!」
「すぐに上官と連絡を!」

見張りからの報告は数分もしないうちに沿岸警備を任されている
マントイフェル将軍に齎され、彼の伝令を経由してエルの元に知らせが届く。
その間に将軍が代わりの窓口となる。

「大将はいるか!カナウス海賊団頭領アロンが来てやったぞ!」
「うるせぇよ!そんなにバカでかい声で言わなくても聞こえる!」
マントイフェルはアロンのデカい声に辟易しながらも、
交渉に来た用件を聞くことにする。
「で、海賊の大将がわざわざ何しに来た?」
「決まってるじゃねーか。捕まった俺たちの兄弟を返してもらいに来たんだ。」
「だろうと思った。お宅の坊主たちは本当にヤンチャでなぁ。
隙を見ればすぐにサルの群れのように暴れやがる。こちとら飼育員じゃないぞ。」
「……てめえ、まあいい。すぐにそっちの大将を出せ。話はそれからだ。」
仲間を侮辱されて一瞬切れそうになったアロンだったが、
そこはぐっとこらえて、裸一貫で交渉に来た男の態度を崩さないのは立派だった。
すでに三十歳後半になるベテラン軍人であるマントイフェルは、
この大男がそこらの賊の頭目と違い、立派なリーダーの素質を持つ
ことを身に染みて感じた。それと同時に、この男には自分では武力では
到底かなわないなとも思った。
(なんて野郎だ。牢屋に捕まえておいた連中も手練ればかりだったが、
こいつは本気でヤバイ…。おそらく強さだけなら軍団長クラスだ。)
内心若干気圧されながらも、彼はエルが来るまでこの場でアロンの相手をすることになる。


「待たせたな。自ら陣地に乗り込んでくる大将がいると聞いて飛んできた。」
伝令を飛ばしてすぐもしないうちに、エルは正門に姿を現した。
「あ、司令官!ずいぶんお早い到着で!」
「あんな馬鹿でかい声聞かされたら何事かと思うだろうが。」
どうやらさっきの声はエルにまで聞こえたようで、
何事かと急いで駆け付けてきたらしかった。
「いよう、また会ったな金髪の大将。」
「ふん、何の用だ。」
巨体のアロンに対して、エルは身長でかなり差をつけられているため、
わざわざ門の上に乗って見下ろすような態勢をとっている。
さながらバットマンのようだ。
「単刀直入に言う。俺と勝負しろ!」
「勝負?」
「おうよ、大将と大将で一騎打ちだ!お前が勝てば、俺たち海賊団は
あの要塞をお前たちに明け渡してやろう。だが、もし俺たちが勝ったら
とらえられている俺たちの仲間を返してもらう。どうだ?」
「ずいぶんと高飛車な条件だな。ふふ、どうやら包囲が相当堪えているようだな。違うか?」
「うるせぇ、やるのかやらないのかどっちだ!女のお前に言っても分からないと思うが、
男ってのはすっぱり決めるもんだぜ!大将なんだからそれくらいの粋は見せてもらいてぇ!」
「………(ピシッ)」
((エル司令官がお怒りだ))

アロンがエルのことを女と言った直後、周囲の空気が一瞬で冷え固ったのを、
周囲にいる将兵はその身で感じた。一方のイル・カナウス海賊の同行者たち9人…
スクワイア・ライチェ・リューシエ・ベルカ・アリア・フェオル、あと
とらえられている三人の頭目の、妻の魔物娘(サハギン、カリュプディス、スキュラ)は
十字軍側がなぜ気まずい沈黙に支配されているのかわからなかった。

そこで、エルの代わりに口を開いたのはユニースだった。
「いいんじゃないかしら、それで決着が早まるのならね。
私たちも暇じゃないの。むしろさっさと出てきてくれてありがたいことだわ。」
「…へぇ、やっぱり噂は本当だったんだな。」
「噂?なんのことかしら?」
「なんでもねぇよ。」
この一言でユニースは内心グッとガッツポーズをする。
アロンは見事に噂に載せられ出てきたということがここで確信できた。

「いいだろう、今回は特別だ。お前らの決闘を受けてやろう。
ただし海の男ならちゃんと約束は守りたまえ。」
「ああ、男に二言はねぇ。そっちこそ土壇場で約束破んじゃねぇぞ。」

こうして、はからずしも長きにわたる攻城戦の終止符は
大将の一騎打ちによって決することになった。
陣地を築いて既に五か月が経過している……どうやら、
エルが予想していたよりも早く決着がつきそうだった。

アロンを陣地の中央へ案内している間に、エルは自分の部屋で
よりよく動きやすい装備に着替えることにした。
とはいっても裾丈や上着の材質が異なるだけで、外見はそれほど変わらない。

「やりましたねエルさん。カーターさんの作戦が成功しましたよ。」
「それはいいのですが、まさか大将が直々に一騎打ちを申し込んでくるとは
俺の想定外でした。これだから戦いは一筋縄ではいきません。」
「私たちは若干相手を甘く見ていた、ということでしょうか…」
「ええ、そういうことになるでしょうね。」

ユリアの言う通り、エルはイル・カナウスの実力を無意識のうちに
若干低く見積もっていた。エルの予想では、籠城に耐えられなくなった
海賊たちは津波を起こすかして陣地を壊滅させ無理やり襲ってくる魂胆だろうと
思っていた。もちろんそれに備えて、あらかじめ陣地には防壁になる
魔方陣をいくつも配備し、何かあれば一瞬で起動できるようにすることで
全力で攻めてくる海賊たちを一網打尽にしようと思っていたのだ。
ところが海賊の首領アロンはこともあろうか、自ら十字軍の陣地に
直接赴き、決闘を申し込んできたのだ。ある意味一番面倒のない
パターンであることは確かだが、アロンにそれほどまでの胆力があるとは
思っていなかっただけに、エルにとってやや驚くべきことだった。

「気を引き締めなければ……負けるかもしれませんね。」
「大丈夫です、エルさんはいつも通り戦えば負けませんから。
負けるなんて言葉はエルさんには似合いませんよ♪」
「おっと、そうでしたね。」

ユリアの言葉に後押しされて、エルは武器を手に取った。








さて、決闘の場所に選ばれたのは陣地内で最も広い訓練広場だ。
1万人の兵士が使用できる非常に広い敷地、手入れされた平坦な地面。
まさに決闘を行う場所にふさわしい。

「かっ……かしらーーーっ!」
「助けに来てくれたんっすね!かしら!」
「俺たち信じてました!」

「おう、お前ら!もう少しの辛抱だ、すぐに助けてやっからな!」

周囲には大勢の十字軍兵士が広場を取り囲む中、
エルの計らいで捕虜の海賊たちも特別に見物させてやることにした。
完全なアウェーの中で味方の声援はどれだけ頼もしいことだろう。

「あいつらも痛い目に合わされてなくてよかったさね。」
「すぐ手が届きそうなところなのに、助けられないのが悔しいな。」
「妙なまねはするなよライチェ、スクワイア。奴らに口実を与えたら
何されるかわからんからな。ここが我慢のしどころだ。」
「わかってるっさ……」
「こんなに我慢したのは生まれて初めてだなぁ。そうだろ?」

海賊たちは、アロンの活躍にすべてをかけるしかない。



ここで、本格的な戦いの前にベルカからエルに一つの要請があった。

「おい、エル!私のことを覚えているか!」
「貴様はレーメイアで戦ったオーガの傭兵だったか。」
「あたりだ。実は前々からお前と手合せしたいと思っていたんだ。
アロンと戦う前に私と一戦交えてもらえないか?」
「ほう…」
ベルカは獲物の二本のハルベルトを構え、アロンより先にエルの前に出た。
彼女は前々からエルの実力を見てみたかったという気持ちがあったのは確かだが、
実はもう一つ彼女なりの作戦がある。
「エル様、こんなやつ相手に無駄に消耗することもないと思いますが。
なんなら私が相手してもいいんですよ。」
それに対してマティルダが反対をする。ほかの将軍も同様に、
大将同士の決闘で万が一のことがあっては困ると思っているのだろう。
しかし当のエル本人は…
「面白い。ちょっとだけなら受けて立とう。」
「さすがエル、そうこなくっちゃな!」
「いいのですか司令官?」
「なに、傷を受けたらすぐに回復すればいいこと。むしろいいウォーミングアップだ。」
将軍たちの心配をよそに、エルはまんざらでもない顔でベルカの挑戦を受けるエル。
いつものように方天画戟を軽く振り回し、余裕の笑みをもって迎え撃った。

その一方で困った顔をしているのはアロンの方だった。

「おいおいベルカ。俺の見せ場を取る気か?」
「いや……私じゃたぶんアレには勝てない……勝てる気が全くしないよ。」
「だったらなおさらだ!お前まだ独身だろ!こんなところで命を落とすことは……」
「いいから、アロンは黙って私の戦いぶりを見てな!」
アロンはベルカの思惑がいまいちよくわからなかった。
彼女は自分が勝てないとわかっていても、あえて試合を臨んだ。
確かに運が良ければ殺されないで済むかもしれないし、必ず負けるとは限らない。
しかし…それ以上に何か秘策が……と、思っていると
位置に向かって歩くベルカが一瞬振り向いてアロンにウィンクをしてきた。
「なっ…!私の旦那様にウィンクですって…!いいところ見せても
私の愛の巣には指一本も………あっ!」
「ん、どうしたリューシエ?」
「もしかしてベルカさんは…あなたに敵の動きをあらかじめ見せておくためにわざと…!」
「な、なにっ!?」

そう、ベルカがエルに挑んだもう一つの理由は、
あらかじめアロンにエルがどういう動きをするのかを見せるためだったのだ。

(アロン…私の命と引き換えにしてでも勝利をつかんでくれ。お前ならきっとできるはずだ。)

『エルさまー!ふぁいとー!』
『きゃー!司令官ー!』

兵士たちの間からまっ黄色の声援が聞こえる中、
両者は20歩離れた位置で対峙する。

「人気者なんだねあんた。」
「そうだな……逆にお前があの声援を一身に受けたらどう思う?」
「それはお断り願いたいね。」
「ふん…貴様とは友にはなれんが、いい酒が飲めそうだ。」

瞬間、先に動いたのはエルだった。

「!!」

ギッギンッ!ガガガガガッ!

(え、何!?まてまて、ちょっと待て…!くそっ!?)

ほんの一瞬で距離を一気に詰めたエルは、小手調べとばかりに穂先から連撃を叩き込む。
歴戦の勇者であるベルカは、ほぼ脊髄反射的に両手のハルベルトで攻撃を受け止めたが、
同時に彼女の脳に得体の知れぬ違和感を覚えさせた。

普通の相手だったら、彼女の鉄壁の守備で相手の攻撃を受けての反撃が主な手段である。
ハルベルトという熟練を要するが非常に多彩な技を可能とする武器を二本持ち、
自在に操る彼女は攻防に隙がなく、そのうえどのような状況にあっても冷静
かつ決してあきらめない精神力…たとえ彼女よりも格上が相手でも、油断ならない。

が、そんな彼女だからこそ、感じた違和感。

「ウオッ!」

ベルベはその場から勢いよく後ろに跳躍し、逃げるようにエルから距離をとった。

「なんだ、初撃から怖気づいたのか?」
「……エル、お前よくもこの私をだましたな。」
「は?」

一方のエルはエルで、ベルカのなぞの行動に首をかしげていた。
先ほどの攻撃は特に小細工もしていない、ただ相手の技量を測るための
いわば『観測』である。確かに反応が遅ければあっという間に蜂の巣だが、
エルはべるかがこの攻撃をすべて受け止めるだろうことは予測済みであり、
むしろ今の攻撃によってベルカの『癖』を計っていたのだった。
しかし、彼女は全力逃走というエルの予想外の行動をとった。
しかもそれはほぼ本能的な動きでまるで隙だらけ、やろうとおもえば
とっとと追撃して勝負を決めることもできたのだ。


「アロン!よく聞け!こいつは男だ!」
『!!!!』
「―――――っ…!?」

理由なんて所詮そんなものだった。


「なにぃ!?こいつが男ぉ!?」
「ああ、打ち合ってはじめて気がついた!こいつ、筋肉の動き方が男の動き方なんだ!」
「あーあ、エル様が男だなんていまさらでしょーが。」
「くすくす、何かと思えばそんなこと。」
「エルさん……あの、落ち込まないでください。ね?」
「…いいんですもう。」

そんなわけでもう一度仕切りなおし。
お互い二十歩離れて、いざ勝負!

「せぇっ!!」

キンッ!カーン!ガキンッ!

両者は力の限り武器を振るう。
エルの方天画戟が変幻自在の軌道を描き、ベルカのハルベルトが
受け止めることで火花と衝撃波が当たりに撒き散らされた。

(くそっ…!攻撃なんてしている余裕は無い!)

しかしながら、ベルカは一方的に押されていた。
一瞬でも反応が遅れたら最後、エルの武器が体に深々と突き刺さるだろう。
ベルカは改めて自分が勝負を挑んだ相手の強大さを思い知らされる。

一方のエルも、その表情は真剣そのもの。
彼は戦いにおいて、常に主導権を自分が握ることを意識し、
確実に、確実に自分の有利な状況を作り出す。
すでに先ほどの初撃でベルカの戦い方の癖を見抜いたエルは、
完全な主導権を手にしたのである。

キーン!カッ!キーン!ガッキィン!

(なるほど、こいつはなかなか腕が立つ奴だ。戦い方は我流で迷いも無く、
魔物ならではの腕力を駆使した豪快な技…うちの軍の将軍でも
なかなか勝てる相手ではないな。しかし、後もう一歩か。)

思考の間にも攻撃の手は緩めることなく続く。

「いいぞ!司令官が押している!」
「と言うよりも一方的ですわ!楽勝ですね!」
「ファイトーッ!おーっ!」

「ベルカ!ここが踏ん張りどころだ!お前の力を見せてやれ!」
「頑張ってください!私も応援しています!」
「ベルカの姐御!危ない!」

双方の声援にも力が入り、訓練場はさながら闘技場と化していた。
圧倒的なアウェー間の中で、プレッシャーにもまけず
ベルカは淡々と反撃の機会をうかがう。
人間だれしも完璧には出来ていない、いつかはちょっとした隙が出来る。
そして、長柄ものの武器はその傾向がほかの武器に比べて大きいのだ、
鉄壁の守備で攻撃を受け流しつつ、チャンスを待ち、そして……

(そこだっ!)

その時は来た!一瞬力が過剰に掛かり、穂先を戻すのに若干ラグがあった。
左で受け流す間に、右手の武器に渾身の力を込める!
これは入った!ベルカは確信した!

が、ハルベルトの刃が届く寸前、エルのからだが目の前から消える。

「しまっ―」

カアァァン!!

二本のハルベルトが、持ち主の手を離れてクルクルと空中に舞った。

自分が相手の術中に嵌ったと分かったベルカは、
賞賛すべき反応速度で、無理やり武器の軌道を変えて
直感でエルの攻撃がくる斜め後ろ方向に防御姿勢を転換した。
外野から一連の動きを捉えていたユニースやカーター、それにアロンは
良くぞ見切ったと思わず手をぐっと握った。
これもひとえに今までの彼女の経験が発揮されたからにほかならない。

しかし、エルはベルカが技を見切って反射的に受けに来ることまで読み、
結果的に彼女の武器を弾き飛ばすことが出来た。
始まってから決着に要した時間は2分程度であった…


「ふうっ、どうだ、参ったか?」
「あー…参った参った。まさかわざと隙を作るなんて思いにもよらなかったわ。
こんなにあっさり決着がつくなんて、私もまだまだ弱いな。」

第一試合が終わり、両者の健闘をたたえる拍手が敵味方関係なく鳴り響く。
「エル司令官、さすがです。あのオーガをいともたやすく!」
「相手もなかなかだったぞリッツ将軍。あれに負けないくらいお前たちも頑張れよ。」
「お疲れさんベルカ。後はアロンに任せておけ、な。」
「ありがとうスクワイア。今回も何とか生き残ることが出来たよ。」
エルは第二軍団第一師団長リッツから水分と栄養補給のための砂糖水を受け取り、
ベルかはスクワイアから受け取ったタオルで吹き出た汗を拭く。
双方ともなかなかいい戦いをしただけあって、場も大盛り上がりだ。


3分ほど間を挟んで、いよいよエルとアロンによる大将同士の決闘に移る。

「あなた…いつものように笑顔で勝ってきて下さいね♪」
「ああ、負けられねぇな。あいつらの命だけじゃねぇ。ここいらに住む
奴らのためにも、骨の一本になっても戦い抜いてやらぁ。」
「かしらっ!私たちの分まで頼むっさ!」
「大丈夫、お前にはこんな美しい勝利の女神がついてるんだからな、そうだろ?」
「はっはっは、スクワイア、俺のかみさんに手だすなよ?」

こんなときにも緊張せず、軽口をたたく余裕を見せるアロン。
全長2メートル、重さが60kgにもなる巨大な斧『ドランボルレグ』を担ぐと、
悠々とした足取りで訓練場の中央に向かった。

両者が向き合ったとき、改めて両者の身長の違いが目立つ。
エルから見上げると、客観的に見たときよりも大きく見えるだろう。

「さっき……ベルカがお前のことを男だって言ってたよな。
魔物にとって、男を男として見抜けねぇのはとんでもない恥なんだが、
なるほど、良くみねぇとわからねぇわけだ。」
「…あんまりじろじろ見られるのは気分がいいものではないな。
俺が男だろうが女だろうが、戦いの腕に違いはあるまい。」
「ところが、そうでもねぇのさ。いくぜっ、おらぁっ!」

ドゴォッ!!

アロンの振るった斧がたった今エルがいた場所に打付けられると、
まるで雷が落ちたかのような轟音を立てて地面を粉砕。
海岸特有の細かな土が大量に舞い上がり、土煙となった。

「すげーーーっ!さっすがはかしら!」
「どんな奴も一撃で粉砕だぜ!」

「うっわあぁ…なんじゃありゃぁ…」
「し、司令官大丈夫かな…?」

この一撃を見て、イル・カナウスの人々は大いに盛り上がり、
十字軍の兵士たちはその威力に戦慄した。

「あらあら、先日も見ましたがものすごい威力ですね。
海を割ったんですもの、当然と言えば当然ですが。」
「…ずいぶんと余裕がおありですねユリアさん。
私なんかあれを喰らったらと思うとぞっとするんですけど。」
「でも司令官だったら、罠張ったり隠れて狙撃とかやっても不思議じゃないですよね。」
「うんうん、いつも戦いでは手段を選んでる暇は無いっていってますもんね。」
「ふふふ、レミィさんサンさん、それは違いますよ。
これはあくまで外交交渉の一端に過ぎません。そこで卑劣な手段を用いれば、
以後相手から信用されません。それが人であろうと魔物であろうと関係ありません。
それに…今回の相手、アロンさんにはきっとそのような小細工は通用しないと思いますよ。」

その中で、ユリアは何てこと無いかのようにエルを見守り続ける。
ユニースさえ恐怖せずにはいられない一撃を見て平然としているユリアは、
よほどエルの腕を信頼しているのだろう。

エルが戦いに赴く前に、ユリアは決して手出ししないように頼まれた。
たとえ負けそうになっても、最悪からだの一部を失うことになろうとも、
それは自分の力不足であって、ここで躓く様ではアルトリア奪還など
夢のまた夢だというのである。


「おうらっ!」

ブンッ!!ドカンッ!!

巨大な斧が振るわれるたびに、空気が切り裂かれ悲鳴を上げる。
それは打ち合うことすら許さない圧倒的なまでの暴力の塊、
死にたくなければ、避けることに徹するほかないだろう。
エルはアロンの攻撃を何度もぎりぎりの動作で躱し、
しばらくの間は攻撃の構えを見せないようだった。

「どうした!攻撃する余裕なんてねぇか?さっきの戦いを見てわかったんだよ、
お前には戦いの主導権を渡しちゃいけねぇ。攻撃される前に叩き潰す!」
「ふっふっふ、お前一度自分の体をちらっとでも見たらどうだ。」
「は?何言ってやがるんだ!その手にはのらねぇぜ!」

ところが、アロンは気が付いていないようだが、その体にはいつの間にか
いくつかの傷がついており、わずかに出血が見られる。
いつの間にダメージを負ったのだろうか?これはノンパラダイムタッチという
暗殺者がよく用いる技術で、所々に気付かれない様に小さな傷をつけて
相手が動き回ることで徐々に傷口を開かせて、体力を削っていくというものである。

(クソッタレ、傷口がすぐに塞がっちまう。こいつは相当骨だな。)

本来はこういった脳筋相手に相性のいい技術ではあるのだが、
人魚の血肉を摂取したインキュバスである彼には痛みも感じないし、
傷つけた端から細胞がすぐ再生してしまってほとんど効果がない。
おそらく心臓を貫いたくらいでは死にはしないだろう、そのくらい理不尽な相手だ。

「遅い。」

ザシュシュシュシュッ!

攻撃をかいくぐり、死角からの百烈突き。エルから見ればアロンの攻撃はほぼ隙だらけで、
攻撃を見切って側面攻撃を叩き込むことくらいはわけない。しかし…

「それがどうしたああぁぁぁっ!!」
「…!」

驚くべきことにアロンはダメージなどなかったようにまったく硬直を見せず、
凄まじい速度で反撃を加えてくる。ここで一瞬でも"やった"と気を抜いていたら最後、
斧のリーチから逃れられずホームランされるところだった。
格闘ゲームでいうのなら、彼は常に体力が回復する状態でなおかつ
その体力は常人の10倍以上、スーパーアーマー付き。
細かいダメージなんか気にせずにガンガン攻撃するのが彼の戦い方である。
男らしいというかなんというか…

炎天下の下、武器同士がぶつかる音が一向に聞こえない戦いはすでに5分が経過した。
しかしまだお互い汗一つかかず、息も乱れていない。

「ちょろちょろとめんどくせぇ奴だな。男ならドンとかかってこいや!」
「お断りだ。貴様とまともにぶつかっては命がいくつあっても足りん。」
「へっ…やっぱりそうかよ。ベルカがお前の戦い方を見て男の戦い方だとか言ってたが、
そんなんじゃねえな。女々しい奴だよお前は。」
「…安い挑発だな。」

確かにエルは女っぽいといわれると傷つくことは確かではあるが、
こればかりは生まれつきでありどうにもならないと諦めるしかない。
なので、挑発する意図で女っぽいと言われても彼はびくともしないだろう。
が、実は一つだけNGワードが存在する。

「あいにく、うちの海賊団にはお前のような逃げ腰な喧嘩するような野郎は
一人もいないぜ。ま、女を差別するわけじゃねぇが、そんななよなよした
攻撃じゃいつまでたっても俺に勝てっこねぇ。素直に負けを認めて
降参したらどうだ?このオカマ野郎め!」
「…………おい、貴様。今何て言った?」
「あ、なんだ?聞こえてなかったのか、だったら何度でも言ってやるぜ。
そんななよなよした攻撃じゃいつまでたっても俺に勝てっこねぇからよ
負けを認めて降参しやがれ、このオカマ野郎め!はっはっは!」
「いいぞかしら!もっと言ってやれ!」
「いくら美人でも、俺は男なんてお断りだ、そうだろ?」
「あっはっはっはっはっはっはっは!」

『………………………』

アロンの挑発に乗っかるように、海賊たちがエルに野次を飛ばす。
一方の十字軍兵士たちは急に声援が静まり返り、その代り
誰もが額やのど元にいく筋もの冷や汗が流れていた。


ここでちょっとした小話。
まだ十字軍が遠征に出発する前、十字軍がこれからの戦闘を想定して訓練に明け暮れる
日々を過ごしていたころに、帝国出身の一般兵が「実は総司令官はオカマなんだって」
と同僚とたわいもない話で盛り上がっていたところ、背後から異常な殺気を感じた。
ゆっくりと振り返ってみると、そこには今までになく黒い笑みを浮かべたエルの姿が…
エル曰く「俺は確かに女のような外見だが、好きでやってるわけじゃない♪」
殴りもせず給料減俸処分にもならなかったが、その場にいた兵士たちは
あまりの恐ろしさに全員失禁してしまったという。



「あのな、貴様が俺のことどう見ようと知ったことじゃないが、
俺は好きでこんな容姿に生まれたわけじゃない。むしろ貴様のような
堂々たる偉丈夫に生まれたかったものだ。」
「ふーん、でもよ、やっぱお前武器を振り回すの向いてねえんじゃねぇの?
悪いことはいわねぇ、アルプにでもなって、かっこいい男にでも抱いてもらえばいい。」
「ほーほー、言ってくれるじゃないか。……………後悔するなよ?」


「ど、どうしましょう…エルさんがお怒りに。」
「エルが本気で怒るの久々に見た気がするわ…。」

ユリアとユニースはこの後起こるであろう惨劇に恐怖した。



今度はエルの方からアロンに向かって一直線に走る。

ガッキーン!

そして、この時漸く武器と武器がぶつかる音がした。予想外の積極性を発揮したエルに
アロンは一瞬驚いたが、その直後に身体の各所に熱を帯びた痛みが走った。

「ぐっ…!?」

先ほどまでの傷とは違って、穂先によって突かれたのではなく、
側面についている刃の斬撃が各所に走っていたのだ。
どうやらエルは今まで武器の消耗を抑えるために長期戦を挑んでいたようだが、
ここで急に短期決戦に持ち込んできたのだった。

(ようやくその気になったかよ…!上等だ!)

アロンにとって、この傾向はかなり有利になると見られた。
エルが積極的に攻勢に出ればその分エルを捕えやすくなる。
リーチ内に収めてしまえばアロンの優位は明らかだ。
―もっとも、エルが何の小細工もしなければという前提だが。

斧を三連続で高速で振り、エルがそれを武器で受け止めたところに
アロンは待っていたとばかり、左足を軸に強烈なキックを繰り出す。
普通の人間ならまず反応しきれない一撃、それをエルはあり得ない動きで回避
すると同時に左足を薙ぎ払う。バランスを崩したところをさらに追撃、
アロンの一連の動作はエルに完全に読まれてしまっていたのだ。

「まだまだあぁっ!」

雪だるま式に蓄積していくダメージに、さすがのアロンも苦しみ始めたが
彼の闘志は全く衰えていない。渾身の力を込めて、斧を振るう。

(リューシエ…兄弟たち!お前たちは俺が守るっ!)

ガッ!バキィッ!

物凄い衝撃と甲高い音と共に、何かが砕けるような音が響いた。
その直後、再びアロンの体に激痛が走る。
今度はしっかりと見えた。体中に何かが無数に刺さっている。
それは渾身の一撃を受けて砕かれたエルの武器の破片だった。
なぜ自分の体に武器の破片が刺さっているのか、そんなことを考える暇もなく
今度は視界が急に傾き、足元から地面の感覚が消える。

そしてとどめに、胸に深々と剣が一本突き刺さった。


「ぐあああぁぁぁっ!?」

「あなたっ!?」
「か、かしらーーっ!!」

アロンの巨体が轟音を立てて訓練場の地面にあおむけに倒れる。
その体には、巨大斧の攻撃に耐えられず瓦解したエルの長年の相棒が
所々にくぎのように打ちつけられており、そこから大量の血が流れ出していた。
身体を動かそうと思ってもほとんど動かない。いくらインキュバスとはいえ、
一度にこれだけのダメージをもらってしまうと、再生しきれない。

「本当はここまでやりたくはなかったんだが…。どうだ、降参するか?」
「…………っ、だ…誰がてめぇに、降参なんか…」
「お前、その体で本当に戦えると思っているのか?」

これだけの傷を負っているにもかかわらず、アロンは全く諦めようとしない。

「俺には……命に代えても、守らなきゃ…ならねぇものが……あるんだ!
こんなところでくたばって…たまるかよ!俺が負けたら…海賊団だけじゃねぇ、
俺の妻たちも…海で平和に暮らす、魔物娘たちも……海の向こうに住んでいる
戦とは無縁な民たちも……、みんなお前らに壊されちまうんだ!」
「そうかそうか。だったら今すぐ立ち上がって、パンチの一つでも繰り出してみたまえ。
口だけなら何とでもいえるが、実現する力がなければ無意味だ。」
「…くしょう!俺は…負けん!」

何ということだろう、満身創痍のアロンは再び立ち上がった。
これには十字軍の兵士や将軍たちも感嘆の声を上げた。
「すごい…本当に立つなんて……」
「とてつもない根性ですわ…。」

ふらふらになりながら、アロンはエルに向かって拳を突き出す。
しかし、その拳に今までの力も精度もなく、エルの斬撃をもろに受けてしまう。
再びその場に倒れ伏した彼には、もはや立ち上がる力すら残ってはいなかった。

「ま……まだだ、まだ…まだ…」
「諦め悪すぎるだろお前。」

あまりのしつこさにエルは困ってしまった。
この場でとどめを刺すことはいつでもできるのだが、ここでアロンを殺せば
イル・カナウス全軍が弔い合戦とばかりに最後の一兵まで抵抗するだろう。
そうなってしまうと要塞攻略に非常に時間がかかるし、無用な被害も増えてしまう。
彼の口から負けを認めてもらわないと困るのだ。

「エル、この際もう少し痛めつけてやれ。そうすれば少しは………」
「待って!」

しびれをきらしたカーターが、エルに容赦しないよう言おうとしたとき
アロンをかばうように彼の妻リューシエが立ちはだかった。

「リュー…シエ、きけんだ…下がれ……」
「もう…見てられません。あなたがやられていくのを黙ってみていることなんてできない!
元気出して…ね?いたいのいたいのとんでけー…」

リューシエがアロンの体に、タイダルアクアマリンからあふれる水をかけてあげると
たちどころに彼の傷が回復し、刺さっていた武器が地面に落ちて行った。

「かしらっ!」
「おかしら!しっかりしてくだせえ!」
「あっしらもいますぜ!」
「俺たちは例え血がつながってなくても、俺たちは一心同体だ。そうだろ?」
「お前ら……」

呆然とする十字軍兵士たちを尻目に、捕虜のカナウス兵たちはアロンの元に駆け寄ると
その場でアロンを守るように円陣を組み、徹底抗戦の構えを見せた。

「いいか、ユリスの野蛮人ども!俺たち海賊の絆は何物にも勝る!
俺たちカナウス海賊団はまだ負けちゃいないぜ!」
『おおおおぉぉぉぉぉっ!!』

団結し、士気を取り戻すイル・カナウスの海賊団たち。
この熱い展開に、エルは………

「はああぁぁぁ………」

深く深く、徹底的に深くため息をついた。
いくらなんでもここまでやりたい放題されると、さすがのエルも
怒りを通り越して呆れるしかなかった。

「あの、エルさん。もしよろしければここは私にお任せ願えませんか?」
「ユリアさん…。」
今までエルの戦いを見守っていたユリアが、いつの間にかエルの傍により
カナウス海賊団たちの説得を志願した。それも自信満々の笑顔で。
「頑張って説得して見せます♪」
「わかりました、お願いしますね。」
このままではらちが明かないと思ったエルは、ユリアに説得を頼んだ。
どうしても高圧的な態度をとってしまうエルよりは、
心優しいユリアの話の方が効くだろう。

エルをはじめ、十字軍の将兵が万が一のために武器に手をかけ、見守る中
ユリアは血気立つカナウス海賊団の前に歩みを進めた。
13/01/20 11:37 up
御機嫌よう読者のみんな。久しぶりに僕ファーリルの出番だ。
もう何か月ぶりか覚えてないなぁ、あっはっは。

さてさて、そろそろカナウス海上要塞編も佳境に入ってきたけど、
真夏の赤道直下の気候を炬燵に入りながら書くのはなかなか厳しいね。
いっそのこと夏の間に書いておけばよかったと思ってるよ。
別の新しい連載が始まって、ますます更新が遅れそうだけど大丈夫なのかな…
とはいっても最近の風潮から敬遠されがちな作品であることは確かだから
このくらいのペースがちょうどいいのかもね。

じゃ、みんな続きをお楽しみにね。

バーソロミュ
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