読切小説
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冬の国の記念日
 勤務予定表の不自然な空白で、俺は来月が何月だったのかを思い出した。
 雪山の連なる場所にある、一年中雪と氷に覆われたこの国には、季節感や毎月の違いなど有って無いようなものだったが、しかしそんなこの国にも一月だけ別格の月がある。正確には、特別な一日が。
 来月には、国を挙げての大事な記念日があるのだ。
 この国の、この雪と氷の世界の守護者である氷の女王様の、結婚記念日。
 国中のそこらじゅうで催し物が行われ、外の国からの観光客も増え、皆が思い思いの方法で女王様の記念日をお祝いする。一年で一番特別な一日。
 祝福するのは人間だけに限らない。雪と氷の世界のすべてがその日を祝福するかのように、その日は不思議と空は晴れ渡り、けれど細やかな雪が穏やかに降り注ぎ、あらゆるものが柔らかな輝きに包まれる。
 そして、その日だけは不思議と寒さが消えて、凍える心配をせずに国のどこにでも行くことが出来るのだ。
 ただし気をつけなければいけないことが無いわけではない。その日は冷気は弱まるが、その代わりに孤独感や寂寥感は強く感じるようになってしまう。それ故に、独りで過ごすには苦痛が伴う一日でもある。
 けれど、それにはちゃんとした理由があるのだと言われている。
 愛し合うことの尊さを知った女王様は、他の皆にも誰かと愛し合うことの大切さを実感して欲しいと願うようになった。
 そこで彼女は、自分自身が愛を知ったこの日を、自分以外の者にとっても愛を育む為の特別な一日にしたのだという話だ。
 独り者は愛する人を見つけるための、既に愛する人が居る者は相手と共に過ごすための、一番の日になるようにという女王様の願いが込められている日なのだという噂だった。
 この国最大の、お祝いとお祭り。そして愛情を確かめ合う為の日。
 雪国の救助部隊である俺達の仕事も、この日ばかりはお役御免となる。
 実際にこの日だけは、この世界そのものが、孤独で弱い生き物を、寄り添い合って生きるしか無い生き物を守ろうとするように、不思議と事故や事件といったものが起こらないのだ。
 本来はどんなときでも何かあったときの為にと一人くらいは詰め所に待機していた方が良いのだが、この一日だけは総隊長も目をつむっている。
 そしてこの日が過ぎると、あっという間に新しい年の始まりになる。
「今年ももうすぐ終わるんだな」
 誰にも聞こえないくらいの小声で呟きながら、俺は自分の机の前で頭をかく。
 特に予定は無かった。一緒に過ごす相手は居ないし、実家に帰ろうにも弟の嫁が産気づいているらしいので帰っても居場所がない。
 連れ合いが居ればしっとりと愛し合うことが推奨される日だ。隊員同士で集まって宴会という事もない。
 俺のような隊員も居ないではないが、どう過ごすかはそれぞれだろう。思い切って意中の相手にアプローチする者も居れば、人の多そうなところで出会いを求める者も居るだろう。そして何も無しにいつも通りに過ごそうとする者も。
 他にやる事も見つからなかった俺は、冬の記念日の勤務に丸を付けた。


 何事もなく日々は過ぎ去り、国の中では記念日に向けた準備が進められていった。
 人里には建物と言わず街路樹と言わず、きらびやかな飾り付けが施され、道行く住人たちもどこか浮ついていて、楽しげでそわそわとした雰囲気だ。
 この雪と氷の国には人間以外の生き物、女性によく似た姿を持つ魔物娘と呼ばれる人外の異種族や精霊達も暮らしていたが、特に彼女達にその傾向が強かった。
 その一方で俺は、特にいつもと変わることも無かった。
 もともと俺は故郷の山で減ることのなかった雪と寒さの犠牲者を何とかしたくて、故郷や山を守りたくてこの仕事を志した人間だ。周りがどうあれ、山で危機に陥る者が少なくなればそれだけで十分だった。
 もっとも、仕事に追われて記念日どころでは無かったという事もあったが。
 周りが浮足立っているときこそ着実に仕事をする人間が必要だ。今年はたまたまその役が自分だっただけ。そう思っていた。
 ……そのつもりだった。だが、その日が近づいてゆくにつれ、俺は少しずつ仕事に身が入らなくなっていった。
 ぼんやりと考え事をすることが増え、すぐに身体が疲れてだるさを覚えるようになった。周りが生き生きしてゆくのと反比例するように、俺の身体と心は鉛のように重く鈍くなっていった。
 このままではいけないと思いつつも、あらゆることにやる気が見出だせないまま、とうとうその日を迎えることになってしまった。


 早朝。前日預かっていた鍵で扉を開けて、俺は救助部隊の詰め所に出勤した。
 いつもは肌が切れるかと思うほどの鋭い冷気も今日はなりを潜めていた。だからといって温かいわけではないが、薄着でも過ごせるくらいには寒さが抑えられていた。
 けれども寒さの代わりに、今日は何だかひどく心細かった。
 暖炉に薪をくべて火をつける。別に防寒のために暖を取る必要は無かったが、いつもの慣れた行動を取ることで乱れかかった心を鎮めたかった。
 暖炉の火が温かく明るく揺れ始めると、心もほんの少しだけ落ち着いた。
「さて、今日は何をするか……」
 誰もいない静かな仕事場だ。今のうちに書類仕事を片付けるもの良いし、新しい見回り方法を検討してみるのも良いかもしれない。やらなければならないこと、やったほうがいいことは、探せばいくらでも出てくる。
 しかし思いつきはしても、それを実行に移すまでの気力がどうしても湧いてこなかった。
 お尻が椅子にくっついてしまったかのように、立ち上がる気になれない。
 とりあえず溜まり始めた報告書から片付けようかと、ようやく腰をあげかけたその時だった。
 詰め所の扉がいきなり開いて、見慣れた顔が入ってきた。
「おはようございますシャモアさん。今日も早いですね」
 毛皮の帽子を被り、コートを纏った銀髪の女。上半身に続いて、柔らかそうな長い獣毛で覆われた、カモシカやトナカイのような偶蹄目を思わせる四本足の下半身が床をカツカツと鳴らしながら入ってくる。
 この国で人間とともに暮らす異種族、ホワイトホーンという種族の魔物娘の女性。人間でこそ無いが、彼女もまた救助部隊の隊員だった。
「お、おはようございますレインディアさん。今日はどうしたんですか。忘れ物でも?」
「ふふ。何を言っているんですか。今日は私も勤務ですよ」
 一瞬あっけにとられたあと、俺は掲示板に張られていた勤務表を確認する。
 よくよく見てみると、確かに彼女の予定も通常勤務になっていた。
 彼女の欄が一番端にあるせいで見逃していたらしい。いや、それともこんな日に仕事場に来るような物好きは俺くらいだと勝手に思い込んでいたのかもしれない。
「今日は私達だけですね。よろしくお願いします」
 頭に生えた鹿のような角に気をつけながら、彼女は毛皮の帽子を外す。まとめられていた艶やかな長い銀髪がこぼれ出て、朝日が差した雪原のように輝いて見えた。
 新雪が降ったばかりのような、傷も汚れもない真っ白な肌。クレバスから見下ろした氷河のような深い青の瞳。
 人形のように美しく、整った顔立ち。けれどもその頬は上気したように赤みが差していて、生き物特有のみずみずしさも感じさせる。
 銀髪からぴょこんと顔を覗かせる耳は獣のそれだが、動物的なそれがあることで近づきがたいほどの美しさの中にも親近感を抱かせる。何よりその耳は感情に合わせて揺れ動いて非常に可愛らしいのだ。
 魔物娘は美人揃いだが、彼女もその例に漏れず美しい。
 それに、時に男性の方が及び腰になってしまうほどに性欲の強い魔物娘達の中でも、彼女はいつも穏やかで、気さくに話が出来る気立ての良さがあった。
 だからこそ俺は疑問だった。こんなに美しい彼女が、何故こんな日に仕事場になんて来ているのだろう。
 彼女が誰かに誘われていないなんてことは無いだろうに。
「シャモアさん?」
「あ、いや。よろしくお願いします」
「今日は二人だけですし、あまりかしこまらずにやりましょう」
「そうですね」
 彼女はそう言って、コートを脱いで薄手のセーター姿になる。普段コートの下に隠されていた身体のラインが浮かび上がり、その女性的な曲線美に、一瞬どぎまぎしてしまう。
 彼女と目が合い、俺は慌てて報告用紙を取りに立ち上がる。
「じゃあ、今日は昔みたいに話してくださいね。私に対して敬語もなし。いいですよね。シャモア先輩」
 振り返ると、彼女はにこにこと笑っていた。ちょっといたずらっぽく、楽しそうに。
「いや、レインディアさん、今更それは、ちょっと恥ずかしいんですが。それに先輩って、一年しか違わないでしょう」
「一年でも先輩は先輩です。シャモア先輩、私が入隊したばかりのときはレインって呼んでくれて、あんなに親しげに話して可愛がってくれたのに。何だか最近じゃ他人行儀で、私ちょっと寂しいんですよ?」
「それは……。今は人も増えたり、お互い立場ってものも」
「だから、今日は二人きりじゃないですか」
 俺は頭を掻き、報告用紙を数枚まとめて掴む。
 この笑顔にやられる感じ。昔に戻ったみたいだ。
「……わかったよ、レインディア。ただし先輩はやめてくれ」


 レインディアは俺の一つ下の後輩で、数年来の付き合いだった。
 当時は雪山の救助隊員は少なく、一年だけでも経験があるということで俺が彼女の指導に回ることが多かった。
 もっとも彼女達魔物娘は人間に比べて屈強で、特に彼女は寒冷地の種族でもあったため、実際には俺のほうが助けられることばかりだったが。
 パトロールに回るバディも一緒で、一緒にいる時間も長かった。と言うか、ほとんどいつも一緒にいると言っても過言では無かった。
 もし、あのまま何も起こらなければ良い仲になっていたと思う。
 けれども急に環境が変わって、俺も彼女もそのままではいられなくなってしまった。
 あるとき、急に氷の女王様が子を宿したという事実が発覚したのだ。
 それまでは氷の精霊グラキエス達も共に行方不明者や遭難者の対応に当たってくれていたのだが、氷の女王様の状態が不安定になるということで皆不測の事態に備えてこの国の管理の方に回ることになってしまった。
 このままでは雪山で犠牲者が出かねないということで、救助隊は種族を問わずに大量の新人を雇い入れた。
 その結果、俺も彼女も新人の指導や部隊の管理を任されるようになり、それまでのように二人で仕事をするという時間も無くなってしまった。
 氷の女王様の出産は無事に済み、一時は未曾有の冷気がこの世界を覆うのでは無いかと恐れられてもいたものの、蓋を開けてみればそんなこともなく、そのまま元の生活が戻ってくるかとも思われた。
 しかし予想以上に雪国の救助活動に生きがいを見出した者が多く、また隊員同士で夫婦になり居座る者も多かったため、結局俺も彼女も元の仕事に戻れるあてが無くなってしまったのだった。
 もしもあの時ああしていれば。そんな事を思わないことはなかった。けれどもそれが許される時間も無かったのだ。……けれどそれは、言い訳なのかもしれない。
 ……などということを悶々と思い返してしまうばかりで、報告書は未だに真っ白なままだった。
 雪原は足跡一つ無い真っ白なものが美しいが、報告書が真っ白では上司は許してくれない。
 俺はため息を吐いて、向かいのレインディアを見やる。
 彼女もデスクワークに励んでいたが、あちらは順調に進んでいるらしく、鼻歌まで歌っている。
 増えた隊員の中には、レインディアを慕う者も多い。若い男だっていくらでもいる。
 きっと誘いだっていくつも受けていたに違いない。
 それなのに、本当に彼女はどうしてここに来たのだろうか。
 人間の俺一人では何か起きても対応しきれないと思ったのだろうか。確かに、雪山に対して人間が出来ることなど無に等しい。
 だとすれば、俺は自分の妙な意地で彼女の時間を奪ってしまっていることになる。
 本当はデートの約束があっても、仕事仲間が困っていればそれを押してでも助けに来る。彼女ならそれくらいのことはやる。
 あるいは、仕事が終わったあとに約束があるとか。
 俺はもともと何の予定も無かったのだから、何も無いなりに部屋で寝てでも居れば良かったのかもしれない。そうしたら、彼女に迷惑を掛けることも無かったのに。
 俺は頭を振って後ろ向きな考えを追い払おうとする。だが、考えまいとするほどに頭のなかには雑念がわき続け、わけもなくいらいらがつのってしまう。
 鉛筆が折れそうになるほど力んでいるのに気がついて、ため息を吐いて力を抜いた。
「シャモアさん。息抜きでもしませんか」
 顔を上げると、レインディアが穏やかな顔でこちらを見ていた。
「じっと机の前で仕事してたら息が詰まっちゃいますよ。一緒にパトロールに行きましょ?」
「けど、詰め所には誰かが居たほうが」
「遠見の水晶玉を使いましょう。一つは持っていって、もう一つは玄関に置いておいて、用がある人が来たらそれに話しかけてもらえば連絡は受けられます」
 俺は唸って、少し考える。
 苛立っているのか、刺々しいことばかりが思い浮かんでしまう。彼女は、やっぱり本当は遊びに行きたかったのではないか、等と。
 誰かと約束があるなら仕事よりそっちを優先してくれて構わない。俺のことは気にしなくていいから。
 喉まで出かかったそんな言葉を飲み込んで、俺は立ち上がった。
「行こう。とりあえず、一周りしてみようか」
 こんなことを考えてしまうくらいには俺も行き詰まっているのだろう。外に出て気分転換をしたほうがいい。
「やった。すぐに準備しますね」
 手を叩いて喜び机の上を片付け始める彼女を見ていると、それでも少し心が和らいだ。


 今日は記念日で普段より人の増えている場所も多い。どうせならばそういう場所でトラブルが起きていないか確認して回ろう。という彼女の提案で、俺達はいわゆる観光地と呼ばれるような場所を回ることにした。
 詰め所を出るなり、レインディアは自分の四足の背中を叩いた。
「シャモアさん。背中、乗ってもいいですよ」
 俺は彼女の背中をひっぱたいて答える。
「俺は要救護者でも無ければ、まだそんなに衰えてもいねーよ」
 こんな軽口の叩き合いも、何だか久しぶりな気がした。
 やっぱり、パトロールに出てきて良かった。
「うふふ。じゃあ行きましょうか」
 雪道を往くのは簡単な事ではない。けれど救助隊員として普段から鍛え、そして歩き慣れている俺達にとっては、移動はそんなに苦では無かった。
 細やかな雪はゆっくりと降り続けているが、今日は一日快晴が約束されており、風もほとんど吹いていないため障害も無いに等しい。
 青空に伸びる黒々とした木々。そこに冠のように、白い雪が被さる。日差しも温かく、ただ歩いているだけでも今日が特別な日であるように実感できた。
 道すがら、所々で景色に見入っているカップルをよく見かけた。観光客なのか、それとも麓の里の者なのか。人間同士の男女も居れば、片方が獣や爬虫類のような特徴を持つ魔物娘の場合もあった。
 皆、身を寄せ合っていた。
「何だか、みんな幸せそうですね」
「……そうだな」
 寒くないはずなのに、身体が震えた。
 俺はそれを誤魔化すように、足を早めた。
 氷で作られた花園や、凍てついた大瀑布を巡回した。途中で飲食店にもなっている氷の鍾乳洞に立ち寄って、暖を取るために少々酒を飲んで休憩しながら、色々なところを見て回った。
 流石に並の人間や魔物娘では立ち入れない氷の宮殿までは行かなかったが、不凍の青い大河や氷の柱が林立する湖など、人の集まりそうなところは大体回った。
 普段は人気の無いような場所でも今日はわんさかと人が居たが、しかしトラブルが起きている様子はなかった。加えて言えば、どこにでも救助隊員のカップルや夫婦が遊びに来ていたので、何が起きたとしてもすぐに対応が出来そうだった。
 安心すべきところではあったのだが、俺はなんともスッキリしない気持ちだった。
 そろそろ詰め所に戻ろうかという時間になったが、レインディアがもう一箇所だけ見て行きたいという場所があったので、最後にそこに寄ることにした。
 歩みを進めるうちに、見たこともないような人だかりが見えてくる。
 その向こうにそびえるのは、青白い氷で出来た城塞。きらびやかな装飾が施されており、建物自体も大きいため一見そうとは分からないが、その正体はエロス神を祀っている教会だ。
 氷の女王様が結婚式を挙げられた、この国で一番大きな教会兼結婚式場。今日という日を象徴する場所でもあるため、ここを見に来る者も多いのだろう。
 夫婦、カップルだけでなく、子どもを連れた親子連れも多かった。
「うわぁ。記念日だけあって、流石にすごい人ですね」
「あぁ、何だか人酔いしそうだよ」
 目の前を褐色の肌をした白髪の女の子が走っていく。その先に、同じ肌の色をした女性と、女性に抱きかかえられた赤ん坊。そして父親らしい男性が居た。
 考えてみれば、弟に子どもが出来たのだから、俺にだってあのくらいの子どもが居てもおかしくは無いんだよな。
「……迷子とか、大丈夫なんだろうか」
「特に、そんな声は聞こえませんね。子どもの泣き声も、親が子を呼ぶ声も」
 辺りを見回していると、レインディアがするりと腕を絡めてくる。
「その、はぐれると大変なので」
「そうだな。俺達が迷子になったら本末転倒だ」
 レインディアと二人で人混みの中を歩き回ったが、人数の割にはここでも特に問題は起きていないようだった。
 さて、どうするべきだろうかと考えていると、レインディアは絡めた腕を引いて、俺を見つめてきた。
「今日は特別に教会の中も公開しているみたいなんです。入っちゃダメ、ですか?」
「そうだな。それなら中も見ておいたほうがいい。入ってみよう」
 俺達は腕を組んだまま、大きく開かれた扉から教会の中に入る。
 その途端に、俺は世界が変わったように感じた。
 規則正しく並んだ、様々な意匠が施された柱。奥に鎮座する祭壇や、荘厳なパイプオルガン。高い天井から吊り下げられた大きなシャンデリア。しかし圧倒されるのはそこでは無かった。氷で出来ているはずの建物にも関わらず、そこには様々な色が散りばめられていて、何処かで誰かが演奏をしているのか、心地よい音楽が流れているのだ。
 当たり前だが、そんじょそこらの教会とは比べ物にならない。まるでおとぎ話か神話の世界にでも紛れ込んでしまったかのような、夢のような空間だった。
「凄いですよね。これ全部、女王様の旦那様が考案されたそうですよ」
「旦那さんは設計士か何かなのか」
「いえ、魔法使いだそうですよ。この教会自体が強力な魔力が込められた氷で出来ているらしいんです。
 建物自体にも様々な魔法陣的な設計があるそうなんですが、他にも壁や窓に差し込む陽の光を分解して様々な色を作り出す魔法が掛けられていたり、壁面や構造にも細工があって吹いてくる風の勢いと向きを変えて音楽が奏でられているようにしているとか。
 だからその日によって建物の色も、流れている音楽も違うらしいんです」
 俺は改めて屋内を見渡す。
 確かに絢爛豪華な建物だが、それだけだと思っていた。しかし明日来た時に別の光景が見られるとすれば、それは何とも凄まじい仕組みだ。
 類稀な才能と、想像することも出来ない程の研鑚の上に築き上げられたに違いない。
「だから、同じ建物で挙げた結婚式でも、全く同じというものは一つも無いんですって。自分達だけの結婚式って、ロマンチックですよね」
「あぁ、そうだなぁ」
 レインディアも早く結婚できるといいな。そう言いかけて、止めた。彼女の幸せは望むところだが、隣に男が居るというのは考えたくなかった。
 かと言って彼女の器量の良さを考えると、自分が隣に立つのもおこがましいのだが。それでも……。
 駄目だな俺は。久しぶりに一緒にパトロールしただけで、昔のような気持ちになってしまった。
「さて、そろそろ……。ん」
 帰ろうかというところで、周りが急にざわめき出した。皆一様に二階の方を見ているが、何かと思えば。
「あ、女王様ですよ」
 この国の象徴でもある氷の女王様本人が、二階の回廊を歩いていた。隣にもう一人、小さな精霊のような女の子を連れている。
 まだ小さいが、姿形は女王様によく似ていた。初めて見るが、恐らくあれが女王様の娘だろう。
 騒ぎが聞こえたのか、女王様が振り向いた。
 ゾッと背筋が冷たくなるような、異質な美しさだった。文字通り、見るものの心を凍て付かせて奪い取ってしまうような、生き物の温かさを感じさせない完全で完璧で完成された美。
 そこにいるだけで目が離せなくなってしまう。けれども見ているうちに、自分が誰でも無く何でも無くなってゆくような、そんな心許無い気持ちになってゆく。
 女王様は感情の無い冷たい表情でこちらを見下ろしていたが、すぐに興味を失ったのか、歩いていってしまった。
「相変わらずお綺麗ですよねぇ。お子さんも可愛いし」
「そうだな」
 レインディアに話しかけられて、俺はなぜだかホッとしている自分に気がつく。
 自分としては、美しくても冷たい表情しか浮かべられない女王様よりは、すぐに笑ったり泣いたり怒ったりするレインディアのほうがずっと魅力的に思えた。もちろん、レインディアも美しいことには変わりないのだが。
「女王様、昔に比べて表情が柔らかくなりましたよね」
「え、そうか?」
「そうですよ。娘さんを見て、ちょっと笑ってましたよ」
 俺にはよく分からなかったが、女性、と言うか魔物娘同士、そういう細かな違いが分かるのだろうか。
「あ、旦那様」
 再度見上げると、二階の部屋の中に女王様を招き入れようとしている男が居た。
 この土地では珍しい黒髪。顔つきはまだ若い。多分、俺よりは年下だろう。
 遠目ではっきりとは分からなかったが、夫に触れられた途端、女王様の表情が柔らかくなったようにも見えた。娘も飛び跳ねながら、父親に抱きつく。
「親子かぁ、いいですねぇ」
「……そうだな。ちょっと冷えてきたな。そろそろ出よう」
「え? あ、はい」
 俺はレインディアの腕を引いて教会を後にした。
 寒くもないのに寒気がした。身体が凍えそうだった。


 教会を出るなり、俺は詰め所に足を向けた。
「シャモアさん。シャモアさんってば、そんなに急がなくても」
「いや、ちょっと詰め所を長く開けすぎたよ。早めに戻ろう」
 気分が悪かった。頭がぐらぐらして、どうして自分がこんな事をしているのか、こんなところに居るのか分からなかった。
 傾きかけた太陽が雪の世界を黄金色に染め上げている。
 夕暮れ時。今日が終わり、新しい明日に向けての準備が始まる時間。けれど新しい明日なんて来たことがあっただろうか。
 いつも昨日と同じことが繰り返されるばかりだ。俺は……。
 俺は、雪国の人々を守りたいと思って、人助けをしてきたつもりだ。その事に後悔はないし、正しい選択をしてきたと思っている。
 けれどもたどり着いた場所はここだ。隣には連れ合いも子どもも居ない。孤独で何も無い雪原。
 俺は本当に、したいと思ったことを、やってきたのだろうか。
 目に見えているのは美しい光景のはずなのに、胸の中に広がるのは虚しさばかりだった。
 急に、レインディアに謝らなければいけない気がした。
「今日は俺に付き合わせて悪かった」
「いえ、私の方こそわがままを言ってすみませんでした」
「そうじゃなくて。俺が勤務だったから、お前も出てきたんだろう。一人じゃまずいって」
 身体が重たい。足を踏み出すのが、凄く億劫だ。
 どこに向かって歩いているんだろう。
 どこまで歩いて行かなければならないんだろう。
「え……。た、確かに、シャモアさんが居なかったら、来なかったとは思いますけど。……独りでもつまらないし」
「年に一度の日なのに、仕事に付き合わせてしまって、俺なんかが一緒で、つまらなかっただろ」
「……シャモアさん? どうしたんですか」
「レインディア。お前は、もっと、他人の事より、自分の事を……」
 足がもつれる。
 目の前が真っ白になる。
 何だ、これは。転びそうなのか。
 手を、つかなければ。
 けれど、あれ、身体が言うことを……。
「先輩! シャモア先輩!」
 レインディアの声が、
 遠い……。


 揺れている。世界が揺れている。
 けれど、心地よい揺れだ。それに暖かくて、柔らかい。
「ここは……」
 雪の上だ。
 自分で歩いているわけではない。何かに乗せられている。
「気が付きましたか?」
「レイン、か」
「急に倒れるんだからびっくりしましたよ。熱があるなら、ちゃんと休まなきゃ駄目じゃないですか。と言うか、しばらく前から顔色悪いように見えてましたけど、体調悪かったんじゃないんですか」
「いや、俺は、別に、元気で」
「診療所には行ったんですか? 熱はちゃんと測りましたか?」
 俺は即答出来なかった。
 最近は仕事も忙しくて、仕事場から帰れば時間もなくあとは寝るだけの生活だった。けれど一人で暇になれば嫌な事ばかり考えてしまっていたから、それくらいでちょうどいいと思っていた。
「心配したんですから」
「すまん」
「もっとちゃんと謝ってください」
「本当に悪かったよ。迷惑かけて、ごめんな。……レイン、お前泣いてるのか」
 四足の身体の上に乗せられ、その背に負ぶさった状態では、彼女の顔はよく見えなかった。
「だ、だって、私が無理を言ったせいで、シャモア先輩の体調を更に悪くさせちゃったから。だから謝らなきゃいけないのは私の方なんです。久しぶりに二人きりになれるって、嬉しくって、独りで舞い上がっちゃって、その、デートくらいしたいなって欲張って……」
「デート……」
 俺は内心で頭を抱える。
 そうだよ。名目としてはパトロールとは言え、男女が二人で色々な観光地を見て回っていたらデートみたいなもんじゃないか。しかも今日という日の意味を考えればなおさらだ。
 なのに俺は自分のことだけでいっぱいいっぱいになっていた。
 隣にずっとレインディアが、こんなにいい子が居てくれたのに、俺はただ仕事をしているだけのつもりで居たのだ。
 彼女に勝手に相手がいると想像して、独りぼっちなのは自分だけだなんて思い込んで。
「レイン。本当に悪かったよ。許してくれ」
「ですから、謝らなきゃいけないのは私の方で」
「違うんだ、そうじゃなくて。俺は、その……」
 なんて言えばいいだろう。考えようにも頭がぼんやりして、結局口から出てきたものは気持ちそのままの言葉だった。
「……せっかくの機会を台無しにしてしまって悪かった。俺ももう一度ちゃんとレインとのデートを楽しみたいんだ。だから、みっともないけどもう一回やり直させてくれないかな」
 レインディアはしばらく黙ったまま、答えてくれなかった。
 こんな後ろ向きな俺には、本当にもったいない女性だ。今回のことで身をもってそれが分かった。
 けれどだからこそ、これを最後に一回くらい勇気を振り絞ろうと思った。
 多分断られるだろう。こんなにどうしようもなく鈍かったのだから。けれど駄目元でもいいから、ちゃんと彼女に気持ちを伝えなければと思った。
 それにはっきり断られれば、今まで引きずり続けた気持ちもきっぱり諦められる。
 しかし返ってきた答えは、思いもよらないものだった。
「私は先輩と一緒に居られただけでも楽しかったですけど、でも、先輩がもう一度付き合ってくれるのなら私は……、私は嬉しいです。
 けど、どうやって?」
 具体案までは考えていなかった俺は、一瞬口ごもる。
「ええと、そりゃ、非番を合わせるとか」
「休みは合わせられますけど、今日じゃないと見られないようなものもありますよ。記念日は年に一日だけですし」
「あー……。一年待つのは、長いよな」
「まぁ、あと一年くらいなら待ちますけど……」
 あと少し。もう少し。今更何をと自分を情けなく思いつつも、俺は無様でもいいからと手を伸ばす。今この時ほど、こんなにも強く彼女が欲しいと思ったことが無かったから。
「じゃあ、来年の今日までに予行演習として色んな所に二人で行ってみないか。その、レインが良ければ、だけど」
「あ、それいいですね! 行きます! 行きましょう! 何度も予行演習して準備もしっかり整えてから、来年の今日もう一回デートしましょう!」
「じゃあ、約束な」
「楽しみがです。あ、でもちゃんと無理せず身体を休めて下さいね、先輩」
「分かってるよ。……まずは来週末なんて、どうだ。第一回目の予行演習」
「開けておきますね。先輩こそ、それまでに元気になってて下さいよ?」
 俺は大仕事を終えたような心持ちで、大きく息を吐いた。
「あぁ、任せとけ」
 俺達はそれきり喋るのを止めた。
 彼女の歩く揺れに身体を任せ、彼女の体温に身を委ねた。
 やがて遠くに、詰め所の屋根が見えてくる。
「レイン」
「はい」
「好きだ」
「……私も、先輩のこと、好きです」


 詰め所にたどり着くなり、俺は宿直室に運び込まれた。
 レインはすぐに暖炉に火を入れてくれたが、身体の震えはなかなか収まらなかった。
「具合はどうですか」
「頭痛や吐き気は無いが、身体がひどくだるい。動かせないというほどでは無いが……。あとは、震えが止まらない。寒くは無いはずなんだが」
「ここの風土病みたいなものかもしれませんね」
 病気と聞いて、俺は途端に不安になる。ただの風邪では無いのだとすれば、どれだけ長引くのか、そもそも治るのか、知らない病気ではどうしようもない。
「そんなの初めて聞くぞ」
「魔物娘達の間でそう呼ばれているだけですので」
「ち、治療法はあるのか?」
 レインディアは黙って俺から顔を逸らした。
「そ、そうなのか……」
「いえ、すぐに直せる治療法もあるのですが、その、誰にでもそう簡単に出来るというわけでは無くて……。
 あの、先輩は、私の事を好きって言って、くれましたよね」
「え、ああ」
「異性として、ということでいいですよね」
 年甲斐もなく顔が熱くなり、心臓が跳ねる。しばらく口ごもったあと、俺はようやく言葉を絞り出した。
「好きだ。本当は、ずっと前から魅力的だと思っていた。けど、その、機会が……。いや、度胸が無かった」
 レインディアはようやく振り返ってくれた。恥じらうように顔を赤くしていたが、俺の言葉を喜んでくれたのだろうか。
 けれどそれだけにしては、妙にそわそわしているような気もするが。
「私も好きです。男性としても、人間としても尊敬しています。……ずっと想い続けていられるくらいに。
 だから、別にこれは、その気のない相手に、無理矢理ということでは無いんですからね」
 レインディアは自分に言い聞かせるかのように言いながら、こちらに近づいて来る。
 そして息のかかるほどの近くにまで来ると、俺の服の結び目に手をかけた。
「ちょ、急に何を」
「何も言わず、私に任せてください」
「任せるも何も」
 抵抗しようとするも、手足にはほとんど力が入らない。
 思考力もいつもより落ちているようで、俺はもうどうとでもなれという気持ちでレインディアのされるがままになった。そして、あっという間に下着まで脱がされ裸に剥かれて、寝台の上に横たえられた。
 俺の方が終わると、今度はレインディア本人が自分の服を脱ぎ始める。厚いコートを脱ぎ、巻きスカートを外し、薄手のセーターをたくし上げる。
 あとは下着だけという姿になって、彼女は胸元と足の付け根を手で隠す。
 暖炉の火のゆらめきの中、白い肌が浮かび上がる。暖かな揺らめきを照り返すその姿は、女神かなにかのようにも見えた。単純に、綺麗だと思った。
「そ、それでは、治療を始めますね」
 消え入るような小さな声で言ってから、彼女は俺と同じ寝台の中にするりと忍び込んできた。
「出来るのか? というか、治療って、何を」
 衣擦れの音が聞こえたあと、身体が温かいものに包み込まれた。
 上半身をすべすべとした感触に、下半身をもふもふとした感触に。
 何かと問うまでもない。一糸まとわぬ姿になったレインディアが、俺を抱きしめたのだ。
 俺はこみ上げる欲望に抵抗できず、その背に腕を回して抱きしめ返した。
 耳元を、彼女の艶っぽい吐息がくすぐる。
 見た目以上に大きかったらしい彼女の乳房が胸に押し付けられる。その温かさが、柔らかさが、圧力が何とも言えず心地よかった。
「俺のあそこはしっかり見たくせに、自分はベッドの中で脱ぐなんてずるいんじゃないか?」
「だって、恥ずかしくて……。次は、ちゃんと見せますから」
 それならば、せいぜいその次の機会とやらを楽しみにさせてもらおう。
「それで、治療法っていうのはどういうものなんだ」
「はい。先輩は冷気の魔力に当たりすぎて、心が凍え始めてしまっていたんです。この国にいる限り冷気の魔力の影響からは逃れられませんからね。
 心も身体も万全なら、こんな風になることはまず無いんですが、ちょっと体調を崩していたり、落ち込んでいたりすると、そこから魔力の影響を強く受けることがあるんです。
 そして心が凍えてしまえば、影響が出るのは精神だけではありません。心と体は別のものだと思われがちですが、強く繋がっているんです。病気になると気が弱くなったりしますよね。あれと同じことです。心の影響が身体にも出てしまっていたんです」
「つまり、寂しすぎて調子を崩していた、と」
 レインディアはためらいがちに視線を彷徨わせたあと、頷いた。
「そう、か」
「あの、シャモア先輩」
「レイン。治療、お願いできるか」
 彼女は俺の目を真っ直ぐに見返して微笑んだ。
「もちろんです。私が元気にしてみせます」
 俺は彼女の背中をまさぐり、その胸元に顔を埋める。
 寒さは匂いを殺してしまうが、今日はその寒さは弱く、部屋の中は暖炉の火で温められている。
 その肌から、彼女の香りが匂い立つ。
 甘く優しい匂い。獣のような匂いの少し交じった、強い生命力を感じさせる彼女の匂い。その匂いを嗅いでいるうちに、気持ちが落ち着いてくるのとともに、俺の生きたいという欲望も高まってきている気がした。
 生きたい。生きていたい。彼女と、一緒に。
「仕事に没頭して、忘れようとしていたのかもしれない」
「はい」
「寂しいこととか、焦りとか」
 彼女の指が、俺の髪を撫でる。優しい青い瞳が、温かい眼差しを向けてくる。
「俺より後に入ってきた連中が仕事が出来たり。いや、そんなことより、周りのみんながすぐに相手を見つけて結ばれていって、最後に俺一人残るんじゃないかって」
「私も居たじゃないですか」
「だってお前は、すごく綺麗だし、性格もいい。お前だったら、誰とだって」
 そんなことを言うと、首筋を引っかかれた。
「その言葉、そっくりお返しします」
 レインディアはちょっと怒っているかのように頬を膨らませていた。
「仕事も出来るし、面倒見もいいし、いつも一生懸命だし、優しくて紳士的。先輩だって人気なんですよ。私がどれだけハラハラしていたか。知らなかったんですか」
「知らなかった」
「にぶちん」
 顔に思いっきりおっぱいを押し付けられて締め付けられた。息が苦しくなるほどに。
「ご、ごめんって」
 開放されて息を思い切り吸い込むと、レインディアの強い匂いで頭がクラクラしそうになった。
「今度、弟に子どもが出来るんだ。あいつ、俺よりもずっと早くに結婚してさ。
 情けなくて頼りないやつだと思っていたけど、そんなあいつがもうすぐ父親になるんだ。何だか置いて行かれたような気持ちになっちまってさ。
 今日もみんなが浮かれている中、俺だけ何にも無くて、何だか世界中のどこにももう俺の居場所なんか無いんじゃないかって気になってしまって。
 隣に、ずっとお前が居てくれてたのにな。
 確かににぶくて、ダメな奴さ。
 おまけに、今日付き合ってくれたお前の気持ちにも気が付かなくて。もっと一緒に楽しめばよかったって、今更思っている」
 レインディアは、ただただ俺の話を笑って聞いてくれた。
「悪いな。情けない愚痴聞かせてしまって」
「そのちょっと情けないところにも、惹かれているんですよ? 私。
 いつだって真面目で一生懸命な先輩が、私にだけは気を許してくれてるようなそんな気がして。私が支えて、お役に立てるかなぁって。
 だから、苦しいときはこんな風に全部話して下さいね。それで嫌いになったりなんて、絶対しませんから」
「実際、支えられて来たんだと思うよ。ありがとう。これからもよろしくな」
 俺は彼女の目を見つめて、小さく笑う。
「今度生まれてくる赤ちゃん、一緒に見に行ってもいいですか」
「もちろん。お前のことを、家族に紹介させてくれ」
 手を伸ばして、彼女の髪に、その頬に触れる。
 目を閉じ、微笑む彼女を引き寄せて、俺はその唇に口づけした。


 柔らかくて、ちょっと湿っていて、温かい。
 唇から感じる心地よさが、さざなみのように全身に甘く広がってゆく。
 唇が離れ、レインディアと目が合った。
 潤んだ瞳。上気した頬。今度は彼女の方から唇を押し付けてきて、そして熱い舌が入ってきた。
「んっ。んっ」
 唾液を求めるように舌が絡みついてくる。俺も彼女をもっと味わいたくて、舌を伸ばしてそれに応える。
 レインディアの味がする。
 舌同士が擦れあってぞくぞくするほど気持ちいいのに、体の芯はかっと熱を持ち始める。
 唇が糸を引きながら離れる。
 レインディアが俺を見ていた。俺だけを見ていた。
「せんぱい。大好き」
 彼女が覆いかぶさってくる。
 ついばむように何度も唇を押し付けては、時折深く舌を絡ませるように口づけしながら、俺の髪を、頬を撫でてくる。
「せんぱい。シャモアせんぱい」
 何度も俺の名を呼んで、彼女はきつく抱き締めてくる。雪国の魔物特有の高い体温が身体に染み込んでくるようだった。
 強張っていた身体が、心が綻んでゆく。
 俺はもっと彼女の体温を感じたくて、その背に腕を回して彼女の背中や、獣毛で覆われた下半身に触れる。
 救助隊員だけあって、彼女の身体は見た目よりも筋肉質だ。けれど女性らしい丸みは失われずに、少し汗ばんだ肌はしっとりとして触り心地が良かった。
 長い獣毛で覆われた下半身も、ケンタウロス属特有の逞しさと熱さがあった。しかしホワイトホーン特有の柔らかな獣毛が、逞しさの中にも優しい温かさと安心感を与えてくれていた。
 凍えるような孤独感を和らげて温め、膨れ上がり固くなる欲望さえもまるごと、彼女は俺の全て受け入れてくれた。
「いい匂い……。触ってみても、いいですか?」
 うっとりとした表情で視線を下に向けるレインディア。何を見ようとしているのかは、言わずとも知れた。
 俺は身体をずらして、彼女の眼前にそれを持ってくる。
「これがシャモアせんぱいの……。思い描いていたとおり。ううん、それ以上かもしれません」
 彼女のたおやかな指が、いびつにそそり勃ったそれに触れる。愛おしげに撫でながら、発情したような赤い顔で目を細める。
 ところが、レインディアは急に不安気な顔になり、俺を見上げてきた。
「先輩、あの。性に積極的な女は、お嫌いですか」
「レインがしてくれるなら、俺は嬉しいよ」
「あ、あの、当たり前ですけど、こんなこと誰にでもしているわけじゃ無いですからね。裸の男の人を見たのも、裸を見せたのも初めてで」
「俺、まだそんなにちゃんと裸を見せてもらってないんだけど」
「う……。と、ともかくですね、その、私、先輩とこんな風にしていると、嬉しくて、自分が抑えられなくなってしまいそうで。治療のため、なのに、それ以上を求めてしまいそうで」
 魔物娘は本質的に人間に比べて本能的で、性欲が旺盛だと聞いている。
 子が出来にくいために繁殖欲が強いのだとも、彼女らを統括している魔王が人間を愛している影響だとも、単純に彼女達自身の愛情表現がこのような形なのだとも言われている。
 けれど、理由なんて大した問題ではない。
 レインディアが俺を好む気持ちがそうさせるのなら、一人の男としてはとても嬉しくて喜ぶべきことだ。
 愛ゆえに傷つけたいというわけでは無いのだから。
 少し過激で淫らだとしても、愛する人を求めて交わりたいというのならば、その全てだって受け入れることは容易い。
「好きにしていいよ。俺も、レインディアの事をもっと知りたい。色々知ってる事は多いけど、知らないこともいっぱいあるだろうし」
 隠す気もなく喜色を浮かべて、彼女は俺自身に頬ずりしてくれる。髪の毛がふわりと触れて、くすぐったかった。
 彼女は目を閉じて、俺の匂いを嗅ぐ。大きく深呼吸を繰り返して、満足そうに息を吐く。
「この病気は、誰かが傍に居て一緒に話していたり、お世話をしたりと、誰かが一緒に居ることで少しずつ良くなっていくんです。でも、一晩で治してしまえる特効薬もある。
 それは、想い合っている相手とまぐわうこと。愛し合うことです。
 まぐわえれば誰でもいいというわけではありません。もちろん、そこから愛が生じれば病気は快癒しますが、一番はやっぱり想いの通じ合った相手と身体を重ねて愛を確かめ合うことなんです」
 レインディアは目を開き、上目遣いで俺を見上げる。
「私に身を任せてください。孤独や寂しい気持ちなんて全部忘れるくらいに、気持ちよくして、温めますから」
「分かった」
 俺は彼女の髪を撫でて頷いた。
 本当はもう寂しさなんて感じていない。レインディアが隣で、俺の弱音を聞いて、それでもなお俺のことを好きだと言ってくれたときから、胸の奥に温かい気持ちが生まれて、身体にも少しずつ力が戻ってきていた。
 けど俺は受け止めたかった。レインディアのその優しさを、俺を思ってくれている気持ちを、形として、この身体で。
 彼女はずい、と身を乗り出して、上半身を俺の股ぐらの上に乗せる。形の良いまん丸の豊満な二つの乳房。ほんのり色づいた乳首は大人しめだったが、そこがまた色っぽい。
 見ているだけでも興奮してしまうそれが、いきり立った俺の一物を挟み込む。
 赤黒いその先端を除いて、俺の全ては雪のように白く柔らかな彼女の肌の下に埋まってしまう。
 そして彼女は、左右から手で抑えて圧力を加え始める。
 滑らかで柔らかな肉に包み込まれるその心地よさに、一物がびくんと跳ねて腰が動いてしまう。
「気持ちいい、ですか?」
「あぁ、凄くいい」
「よかったぁ。先輩がもっと元気になれるように、私もっと頑張りますね」
 彼女らしい健気さが愛しくて何かしてやりたかったが、この体制では髪を撫でてやることしか出来なかった。
 いや、もう一つ。角にも手が届く。
 喜んでもらえるかは分からなかったが、俺は彼女の立派な角も撫でてやることにした。
 優しく撫でて、時にカリカリと爪を立てる。白くなった角先を指で転がしていると、レインディアの様子がおかしいことに気がついた。
 頬をさらに上気させて、のぼせたような目でこちらを見ていた。半開きの口からはよだれがこぼれて、谷間に滴っていた。
「角、そんな風にされたの初めてです……。優しくされるのが頭に響くみたいで、気持ちいぃ」
「そっか。ふふ、レインが気持ちよくなってくれると、俺も嬉しいよ」
「えへへ。似た者同士ですね、私達」
 少し昂揚してきたのか、真っ白だった乳房がほんのり赤みを帯びてきていた。さらにはよだれで濡れた肌が暖炉の灯りを照り返して、彼女の手の動きに合わせて艶かしく形を変えて揺れ動いていて、あまりの色気に俺はあてられてしまいそうだった。
 薪の弾けるだけだった静寂な部屋の中に、くちゅくちゅという淫らな水音が混じり始める。
 彼女の唾液と、俺の先走りが混ざり合い、擦れて乾く。その匂いが漂い始める。
「せんぱいには、私が居ますからね。せんぱいのためなら、私……」
 うわ言のように呟いて、彼女は俺自身にその赤い唇を押し付ける。そしてそのまま咥えこんできた。
 亀頭部まで、彼女の熱に包まれる。舌先が舐め回してくる。唇がくびれの部分をこすり付けてくる。
 俺もまた彼女の角に口づけした。舌で舐めて、甘噛してやる。すると彼女も身体を跳ねさせて、更に奥まで俺を咥え込み吸い付いてきた。
 理性は溶け落ち、本能が煮えたぎる。
 俺は彼女の角に噛み付きながら、その喉奥に向かって感情をぶちまけた。
「んんんっ」
 レインディアは一瞬驚いたように目を見開いたが、すぐにとろけたように目を細めて、俺から溢れ出たものを飲み込んでくれた。
 脈動は長く続いた。
 それが落ち着いたあとも、レインディアは名残惜しむように俺を咥えたまま、舌先での愛撫を続けてくれた。
 そして、全てが落ち着いた後でようやく俺は彼女から開放された。
「いっはいへはひはよ」
 彼女は嬉しそうに口を開いて、己が受け止めた白く濁った欲情の証を見せつけてきた。
 それから口を閉じて音を立てて飲み込んで、ぺろりと唇を舐める。
 これまで見たことがないほどに淫らで、そして美しい顔だった。


 彼女は全身を桜色に染めながら、俺にしなだれかかってくる。
 俺は彼女を抱きとめながら、ずっと気になっていた彼女の乳房に手を伸ばす。
 片手では収まりきらない。両手でも包み込めるかと言うほどの立派なそれを、下から支えるように撫で回し、優しく鷲掴みにする。
 指が沈み込むほどの柔らかさと、押し返してくる確かな弾力。触っているだけで身体が火照ってくる。
 その先端のほのかに色づいた果実を摘むと、レインディアは甘い声を上げて俺の首筋に噛み付いてきた。
「もう、敏感なんですよ、そこ」
「ごめん」
「ううん。謝らなくていいです。私のおっぱい、好きですか? 元気出そうですか?」
「そりゃもう、いくらでも頑張れそうだよ」
 俺達は微笑みを交わしあって、唇を重ねる。
 一度、二度。繰り返すうち、彼女の手が俺の顔を包み込む。そして昂りのままに、更に深く舌を絡める。
 俺は乳房を弄んでいた手を滑らせてゆく。くびれた腰に、ほのかに脂の乗った筋肉質なお腹に、チャーミングなおへそに。そして柔らかな獣毛の森の中に指を忍び込ませて、その場所を探す。
「ん、ちゅっ。そこじゃないです。探しているのは、ここ」
 彼女の手に導かれて、俺の指先が湿り気を帯びた洞穴を見つける。寒さや孤独さから逃れるための、温かな場所を。
「後ろでも出来ますけど……。今日は、初めてはここに欲しいです」
 彼女の手は俺の手を離れて、そのまま俺の股ぐらへ。
 情熱を失わないそこを包み込んで、確かめるように上下に扱く。
「まだ固いですね。良かった」
「こんなに綺麗で魅力的な女を抱いてるんだから、そりゃあな」
 レインディアはかぁっと真っ赤になるが、すぐに抗議するように俺のそれをギュッと握った。
「だったら、なんでずっと声かけてくれなかったんですか」
「そりゃ、お前はいい女過ぎて、俺にはもったいないって。きっと俺よりもっと若くて魅力的な男の方が……。いや、言い訳だな、すまん」
「悪いと思っているんだったら、その分もしっかり愛して下さいね。私を待たせた罪はとっても重いんですよ」
「償うよ。お前が許してくれるまで」
 レインはくすくす笑って、俺の耳元に口を寄せる。
「だぁめ。死ぬまで絶対許してあげませんから」
 俺は大仰に肩をすくめてため息を吐いてみせる。
「それじゃあ、死ぬまで許しをこい続けるしかないな」
「えぇ、死ぬまでずっと私のそばから離れちゃダメですからね。でも、とりあえず今は」
 彼女は仰向けに横になって、俺を誘う。潤んだ瞳で俺を見つめて、指先で自らの入り口を広げて、優しく微笑む。
「せんぱい。抱いて下さい。……来て?」
 俺は彼女を上から抱きすくめながら、その濡れた柔肉に固くそそり勃った自身をあてがう。
「行くぞ」
「はい」
 ゆっくり腰を落としてゆく。
 レインディアの、誰も受け入れたことの無いであろう、蜜の滴る淫らな膣肉を押し広げながら、俺は彼女の奥を目指す。
「シャモア、せんぱぁいっ。ふあぁああぁっ」
 彼女は柔らかく俺を包み込み、そして情熱的に締め付けてくる。
 そして切なげに眉を寄せながら、熱い呼吸を繰り返して俺の名を呼ぶ。その指が求めるままに、俺は彼女と指を絡めて手をつなぐ。
 その姿を、声を、匂いを嗅いでいるだけで達しそうになる。
 けれどまだ嫌だった。まだ彼女の中心に届いていない。それにもっと彼女の身体を感じたかった。彼女と温めあっていたかった。
 胸元に顔を埋め、ツンと立った乳首を唇で咥え、舐めしゃぶる。甘い声をもっと聞きたくて、甘噛して吸い上げる。
 弓なりにのけぞる白い喉、振り乱れる白銀の髪。まるで月の女神のように、彼女の肢体は白く浮かび上がっていた。
 そして俺は、とうとう彼女の一番深いところにたどり着く。俺の一番敏感な部分が、彼女の一番繊細な部分に。
 そこが触れ合うなり、彼女は身体を震わせて全身で俺に抱きついてきた。
 両腕を背中に回して、蹄の付いた四本の足も器用に腰や足に絡み付けてきて。
「好きな、ように、してください。せんぱいの、好きなように」
 俺は頷いて、ゆっくりと腰を上下に動かした。
 深呼吸をするように、お互いの形を確かめ合うように、時間を掛けて引き抜いては、ゆったりと潜り込んでゆく。
 水音は深く、重なる声は色濃く、大きくなっていった。
 青い瞳には、俺が映っていた。
 俺の瞳にも、レインディアが映っているのだろう。美しいレインディアの顔が。
 俺は、俺達は見つめ合ったまま唇を重ねた。お互いを覗き込んだまま舌を絡めて、その身体をまさぐり合う。
 レインディアと一緒に、穏やかな官能の海にたゆたっているようだった。時に激しく大きな快楽の波に翻弄されながらも、温かな多幸感に満たされてゆく。
 気がつけば、俺は何度も何度も彼女の中に精を放っていた。
 けれども俺の身体はまだ収まりがつかず、彼女を求め続けた。彼女の方もまた、俺を離さず、抱き締め続けてくれた。
 俺達は漂い続けた。お互いの優しい体温に包まれて、快楽という波に揺られながら、ただお互いを愛したいという欲望のままに。


 目が覚めたときには、窓の外が明るくなり始めていた。
 肌に突き刺す冷気も戻ってきている。記念日が終わってしまったのだ。
「シャモア、せんぱい?」
 俺が目を覚まして身を起こしていることに気がついて、彼女も寝台の上で上半身を起こした。それから俺を見て柔らかな笑みを浮かべて、腕を絡めて肩に頭を預けてくる。
「えへへ。もう遠慮しなくていいんですよね」
「あぁ、俺も遠慮しない」
 照れているのか、恥ずかしいのか、いつもより顔が赤い気がしたが、喜んでくれているのは間違い無さそうだった。
「元気になって、良かったぁ」
「全部レインのおかげだ。ありがとう」
 俺はその角に口づけして、窓の外を見る。雪原が朝日を照り返して、眩しいくらいに明るく、けれどもどこか寒々しい外の世界を。
 いつもの寒く厳しい山が帰ってくる。吹雪で行き先を見失った遭難者や、立ち往生した救助者もチラホラと出てくることだろう。
「今日からまた頑張らないとな」
「はい。怪我したり困った人達を助けるために、私達が頑張らないと、ですね」
 彼女は俺を見上げたまま、にこにこと微笑み続ける。
「な、何だよ」
「何って、やっぱり先輩は格好いいなぁって。えへへ」
 俺はどんな顔をしていいかわからなくなり、顔をそらして窓の外に目線を送る。
「きょ、今日は一段と冷え込みそうだな」
「はい。でも、もう寒くも寂しくもありませんよ」
 腕に、身体に押し付けられる、柔らかい体温。見下ろすと、彼女ははにかむように笑った。
「だって、温め合う相手が居るんですから」
 あぁ、そうだ。
 いつだろうと、どこだろうと、もう寒くはない。
 一緒に居てくれる。同じ場所を目指して歩める。家族になりたい相手が出来たのだから。
16/12/24 14:58更新 / 玉虫色

■作者メッセージ
ちょっとこの時期っぽい話を思いついたので、何とかそれらしい日に合わせて投稿してみました。
前のお話を知らなくても分かるようにはしたつもりですが、どうだったでしょうか。
楽しんでいただけていたら幸いです。

これを読んでくださった方。特に投稿日にここまで読んでくださった方には特別大きな幸あれと祈りを込めて。

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