連載小説
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09.蟻さんと襲撃
 部屋の外から、一つの足音が響く。金属や硬革ではない柔らかい靴底の音だ。
 靴音は扉のすぐ向こうまで迫り、今最も出会いたくない存在が部屋へと入ってきた。
「やあアルディエイド君、気分はどうかな」
今にも引きちぎれそうなほどみちみちに中身の詰まった高級な教団の制服に、高い地位の
人間しか被ることを許されない白に金色のラインが入った神官帽。表情はまるで僕を心配
しているかのような物憂げな顔だが、声色は明らかに笑いを堪えている。
 ボルソン・ヴィル・エーレ・ラウデリウム。この町の教会の大司教の息子で、僕のこと
を蛇蝎の如く嫌う一人だ。
「……これはラウデリウム様、貴方自らこのような場所まで赴かれるとは」
内心の嫌悪を何とか押し殺し、意識して平坦な声になるよう努めた。いくら嫌いでもいく
ら僕より年下でも、僕よりもずっと高い地位の人間である。表だって不敬を働けばどうな
るか分かったものではない。言葉だけでも、上役を敬う姿勢を示さなければ。
 とはいえこの町を去る時には、文句の一つも言い捨ててやりたい所だ。
 僕の態度が気に入らなかったのか、ボルソンは不快そうに鼻を鳴らしてベッドに座る僕
を見下ろした。
「いやあ私は残念だよ。君のような、正義感の強い、前途有望な若者がこのような扱いを
受けるとは」
正義感の強い、のあたりをやけに強調して喋るボルソン。思わず鼻で笑いそうになった。
 よく言うものだ。僕が教会の書類仕事を押し付けられた時、教団のお偉いさんたちによ
る予算周りの不正を見つけ証拠まで揃えて提出した事を、未だに根に持っている癖に。
 それまでなあなあでやり過ごしていた事を公にして、一番ダメージを受けたのはラウデ
リウム家だ。それ以来、僕は彼らの一派に強く憎まれている。とはいえ今までは実害の出
るような報復は無く、たちの悪い普通の嫌がらせばかりだったが。
 僕が何も言わなかったことで気をよくしたのか、ボルソンは得意げな顔で腕を組んだ。
「しかしいくら善良な人間とはいえ、魔物と取引を行ったというのであれば容赦する訳に
は」
「僕は魔物との関係なんて持っておりません」
焦って否定しようとして、返事が早くなりすぎた。冷や汗が背中を一滴滑り落ちたが、ボ
ルソンは意外そうな顔で一瞬目を見開いただけだった。
「ま、それを調べるのは私の役目ではない。……そういえばなあ」
にやにや笑いを崩さずこちらへ視線を向けたまま、突然話題を変えるボルソン。
「明後日辺りに、教団本部からの使者が訪問する予定になっている。その内の一人が面白
い魔法を使うことが出来るそうだ。……アルディエイド君、何だか分かるかね?」
「……さあ、僕には何も」
「そうかそうか。それがなあ、なんと」
そこで区切って、ボルソンはまるで僕をじらすように笑顔で言葉を止めた。その勿体ぶっ
た素振りが、非常に鬱陶しい。
「人の心を読む魔法だそうだ。それを展開して対象の人間の頭に触れば、その人間の記憶
が全て手に取るように分かるらしいぞ」
僕は黙ったまま、その言葉を反芻する。
 簡単な話だ。そいつが来れば、僕は死ぬ。
 その事に関しては、不思議と動揺一つなかった。ただそうかと思ったきりだ。
「今回その方にお願いして、特別に拘留中の容疑者にその魔法を使って貰えることになっ
た。よかったなあアルディエイド君」
その瞬間今までの化けの皮を剥がし、悪意に満ちた醜悪な豚の笑顔に変わるボルソン。
「今回の件が無実でも、お前の弱味を握れる。内容次第だが、どうしてやろうか? そし
て……もし本当に魔物との取引を行っていれば」
火炙りは、さぞ苦しいだろうなあ?
 満面の笑顔でそう言い残して、ボルソンは部屋を去っていった。
 扉の閉まる音と共に、緊張の糸が切れてベッドの上に仰向けに倒れた。
 あとはもう、蟻の皆に祈るだけだ。
   :   :
 ボルソンに実質の死刑宣告を受けてから二日。運が悪ければ最後になるかもしれない夜
は、あっさりと過ぎ去っていった。目を覚まして天井を見上げると、小さな窓から青い空
が見える。
 蟻の皆は今頃どうしているだろうか。僕を助ける為奮闘しているのか、それとも僕を助
けるのは諦めて自らの巣へと撤収しただろうか。前者ならば嬉しいが、後者でも文句は言
うまい。
 窓の向こうを眺めてぼんやりしていると、担当の人間によって朝食が運ばれてきた。昨
日の夜と同じ、黴の生えかけた堅パンとごく少量の具が入った薄いスープだ。パンをスー
プに漬け、ふやかしてから口へ運んでいく。
 意外なことに、これが結構美味しい。というか、生の芋を必死にかじっていたことと比
べれば人の食事のていを成しているだけで何でも美味しく感じられる。
 もし蟻たちに無事助けて貰えたら、まず最初に食事の事情を改善しよう。僕はあんまり
料理が得意な方じゃないけれど、頑張って調理をしよう。せめて芋は蒸かそう。絶対蒸か
そう。
 半ば現実逃避気味にそんなことを考えていると、外から一昨日と同じ柔らかい靴底によ
る足音が聞こえてきた。それと同時に、硬いブーツか何かによる足音も聞こえる。
「やあやあアルディエイド君、お待たせ」
ボルソンと、その横に一人。穏やかな微笑みを湛えた、眼鏡の男だ。背が高く、艶のある
灰色の外套を羽織っている。
「せめて昼食くらいはゆっくり食べさせて欲しかったね」
僕の精一杯の強がりは、ボルソンの顔を喜悦に歪ませるだけに終わる。
「いやあそれは失敬! アルディエイド君もさぞかし会いたかっただろうと思ってね。紹
介するよ、教団本部の異端審問員のヴェールズ殿だ。彼が君の隠し事を全て白日の元に晒
してくれるだろう」
紹介を受けたヴェールズは、笑顔を崩さず僕に向けて手を振った。それから、真剣な顔で
ボルソンに向き直る。
「ラウデリウム殿、この男が例の魔物と取引を行った疑いのある者ですね?」
「ああ、そうだ。このレイスゥ・アルディエイドという男、魔法の類も使えぬひ弱な平民
のなりで単身迷いの森へ赴き、そのおよそ一週間後に怪我一つせず豊緑の薬草を手に入れ
て帰って来たのだ」
「……なるほど、それは異常だ。魔物に魂を売っていないか調べる価値は十分にある」
「アルディエイド本人は何でも森に住んでいる隠遁者に出会って助けられたと語っていた
が、そのような話は到底信じられない。……ではヴェールズ殿、頼みますぞ」
ヴェールズが目を閉じて何やら呪文を詠唱すると、彼の右手に円形の魔法陣が浮かび上が
る。そしてそれを僕の額に押し当てたその時。扉を叩きつけるように開けて、一人の兵士
が飛び込んできた。忌々しげに入ってきた兵士を睨むボルソン。
「何だ騒々しい、今は大事な所なのだ。邪魔をするな」
「申し訳ありませんラウデリウム様! しかし大変なのです!」
「もしこれで大変でも何でもなければお前を罰する所だ。それで、一体何が起きた?」
「魔物です! 迷いの森から魔物の群れが現れました!」
「なんだとっ!」
「ラウデリウム殿の読みは当たりですね。この男、魔物と穢れた関係を持っ」
記憶を読み終えたであろうヴェールズが言い掛けた所で、扉の正反対の位置にある壁が突
然の轟音と共に吹き飛んだ。突然の衝撃に身体を庇うことも出来ず、一瞬激しく震えてか
ら後ろを振り向いた。
 轟音が収まり、土煙の中に見慣れたシルエットが二つ。
「いえーい……ココノちゃん参上」
「がおー! レイ君はここかーっ!」
いつものようにローテンションのまま両手でピースを作るココノと、両手を強く握り渾身
の力を込めて吼え猛るトーコ。トーコ自身は真剣なのだろうが、その表情には格好よさや
凛々しさはまるで無い。ただ微笑ましい。
 二人は建物の外からよじ登り、壁をぶち抜いて入ってきたのだろう。瓦礫が部屋の内側
に散乱し、二人はその上に三対の甲殻の足で立っている。
 蟻の皆は僕を見捨てず、助けに来てくれた。それだけで、心は救われた気分だ。
「な、ど、どうしてこんな所まで魔物が……へ、兵士、おい兵士……早く増援を呼べ……」
二人の姿を見て、顔を青くして一歩後ずさりするボルソン。教会の教えに染まっている人
間には、魔物はさぞ恐ろしい存在に見えるのだろう。兵士も、恐怖に慄き足をもつれさせ
ながらあ
っという間に部屋を出て行った。
 もう一人の男も同じかと思いきや、ヴェールズは即座に呪文を詠唱し真っ赤に燃える光
弾を蟻めがけて撃ち出していた。その対応は極めて迅速で、ココノもトーコもまだ気づい
ていない。
「避けて!」
僕が叫ぶと二人はヴェールズの魔法に気づき、慌てて左右に飛び退いた。人の頭ほどの火
球が、二人のすぐ横を通過する。二人が無事回避出来たことに、安堵のため息が洩れた。
「うわ、危な」
ココノに続きトーコが何か言おうとした間に、ヴェールズは音もなくナイフを取り出して
僕の首筋に押しつけた。冷たい刃物の腹が僕の首に密着し、言い掛けたトーコは言葉を失
う。僕自身も、全身が緊張で粟立った。
「この男の命が惜しければ動かないことです。……まさか土中を掘り進んで町の中へ侵入
してくるとは。よくも教会の壁を破壊してくれたものですね、薄汚い魔物の分際で」
僕の記憶を読んでいる以上、蟻の二人にとって僕が人質として十分な価値があることはお
見通しだろう。僕の首にナイフを当てたまま、ヴェールズは得意げに蟻の二人を罵倒して
いる。
 しかし彼女たちは、その場に棒立ちになったまま一切の反応を見せない。無言のまま、
じっと僕の顔を見つめている。僕に何かしろとアイコンタクトをしているつもりなのだろ
うか。
 彼女たちの反応の真意を測りかねているのか、ヴェールズは警戒心を剥き出しにしてナ
イフを当てる右手に力を込めた。ナイフの腹が首にめり込み、僅かな痛みが走る。
「ぐっ」
痛みに顔をしかめ、僕はナイフを持つヴェールズの右腕に視線を向けた。そこにあったの
はローブから伸びた意外に筋肉質な右腕。
 そして、その腕に貼り付いた真っ白な何かの塊。
「……えっ?」
僕が気づいたのとほぼ同時にヴェールズ自身も気づいたようだった。しかしヴェールズが
行動を起こすより早く、右腕が引っ張られるように跳ね上がる。
「なん、がごもっ」
ナイフが離された僕はすぐにヴェールズから距離を取り、後ろを振り向いた。そこには既
に、ヴェールズの姿は存在しない。鼻だけが露出した人型の大きな糸玉と、上品に高笑い
をする大きな蜘蛛が一人。
 数日前に森で出会った、アラクネのシンシアだ。
「一緒に登ってこないから何をするかと思えば、全く粗野で救い難いアリンコですこと」
「レイ君、大丈夫、です?」
続いて、アントアラクネのアリスが上から糸をたらして音も無く降りて来た。立ちすくん
で逃げ遅れたボルソンをあっという間にボンレスハムにして床へ転がすと、はにかんで微
笑む。
 上を見上げると、窓の鉄格子が外され天井から二本白い蜘蛛の糸が垂れ下がっていた。
シンシアの発言から察するに、本来は蟻の二人も窓から降りてくる予定だったのだろう。
 しかし、蟻だけではなく蜘蛛の二人まで助けに来てくれたのは意外だ。
「二人とも、どうして?」
アリスに視線を向けると、彼女は顔を赤くしてシンシアの後ろへトコトコ歩いて隠れた。
シンシアがため息をついて、アリスの頭を乱暴に撫でる。
「一昨日の昼アリスが森で偶然そこのアリンコに会ったのよ。それで事情を聞いたこの子
が、アラクネットワークを総動員してアリンコの作戦に乗っかったって訳。あたし、って
いうかあたしたちは正直アリンコなんかどうでもいいんだけど、あんたを殺させるのは忍
びないし、それに何より役得あるし?」
「レイ君には、助けられ、ました。だから、私も、助けます」
シンシアの陰から顔を出し、前髪の隙間から八つの目を細めてアリスはにっこりと笑った。
彼女の言葉に、思わず目頭が熱くなりかける。助け合いの精神。なんて素晴らしいんだろ
う。
 アリスの心意気に感動していると、背中に大きな衝撃が走った。振り向くと、すぐ近く
に見慣れたココノのじと目。甲殻の足を総動員して、僕の背中にしがみついている。
「せっかく助けにきたのに、レイ君蜘蛛とばっかり喋ってる……浮気、許さない」
「あーあ、わたしも感動の再会を期待してたのになー? トーコちゃん傷ついちゃう」
不満げに呟いてから僕の足の鎖を無造作に引き千切るトーコ。ココノ共々、その顔は納得
がいかず拗ねる子供の表情だ。
「ごめん二人とも……それから、ありがとう助けに来てくれて。本当に感謝してる」
ココノの頬を撫で、トーコのうなじに正面から手を回して小さな尻尾髪を指先で優しく弾
くと二人の機嫌もいくらか収まりを見せた。
「トーコちゃんの寂しさはこれっぽっちじゃ埋まりません。……でも、今はまず帰ろ。こ
の真下に森までの地下道掘ってあるよ」
「二日かけて掘り抜いた珠玉の一品……ぽろりもあるよ」
「ぽろりって何……いや、説明はいい。じゃあ森に戻ろう。アラクネの二人も、あり……」
言い掛けて絶句した。ボルソンの命を受けていた兵士が十数名の完全武装した増援を連れ、
部屋へと乗り込んできたから。
 ……ではなく、蟻の二人が開けた壁の穴から、何十人ものアラクネがわらわらと乗り込
んできたからだ。あっという間に部屋は蜘蛛と兵士ですし詰めになって、身動きが取りづ
らくなる。
 数の差による絶対的優位を確信していた兵士たちの顔が、一瞬で余裕の表情から恐怖で
凍り付いた表情へと変化した。その間三秒もない。彼らが少々哀れだ。
「さ、あんたたちは今の内に戻ってなさい。あとはあたしたちが何とかするから」
「後は、手筈通り、です……皆さん」
シンシアが手を振って合図すると、アラクネの群れが一斉に兵士たちに飛びかかる。
「ヒャッハーオスだー!」
「殿方が! 殿方がこんなに! ここは天国ですわー!」
ある兵士は恐怖して武器を捨て逃げ出し、またある兵士は怖じずに武器を構えてアラクネ
に立ち向かっていく。僕はそんな兵士の絶叫とアラクネの歓喜の叫びを聞きながら、トー
コに抱えられて部屋を飛び出した。
14/01/19 22:18更新 / nmn
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