連載小説
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10.蟻さんと収穫
 建物の壁には粘性の無いアラクネの白い糸がぴったりと貼り付いていて、それが梯子の
代わりになっていた。ココノが先行し、続いてトーコが僕を抱えたまま器用に甲殻の足で
壁を降りていく。
「他の皆は?」
「出口で待ってるよ」
「そっか。……わっ」
不意にアラクネの一人と梯子ですれ違い、驚きの声が洩れた。下を見ると、地面に開いた
穴から次々とアラクネが出て来ているのが見える。四人、五人、六人、七人。上には先ほ
どの時点で十五人はいた筈だが、未だにアラクネは穴から現れ続けている。
 ……え、数多くない? あと帰るだけでしょ?
「ね、ねえ二人とも、何でこんなにアラクネの人多いの……?」
僕の恐る恐るの一言にトーコは不満で唇を尖らせ、ココノは得意げににやりと笑う。
「本当はレイ君救出作戦のつもりだったんだけど、予定が変わっちゃったの」
「今は、秘密」
「あ、そ、そう」
何とかそれだけ返事を返している間に、地面へと着地した。続いて横に開いている穴へ飛
び込もうとしたが、聞き慣れた声で呼び止められた。
「レイ先輩っ!」
「あ、ルジェリオ君」
ルジェリオ・エルスナード。僕よりずっと年下の、騎士見習いをしている少年だ。僕のこ
とを先輩と呼んで、よく慕ってくれていたのを覚えている。
 そんなルジェリオ君が、剣を突きつけて僕のことを真正面から睨みつけていた。理由は
特に考えるまでもなく分かる。
「レイ先輩、見損ないました。まさか先輩が魔物の仲間だったなんて」
「いやルジェリオ君、違うんだ。話すと長くなるんだけど……」
「問答無用! せめて僕の手で先輩を断罪します! うおおおお」
剣を両手で構え、雄叫びと共に突撃するルジェリオ君。ココノがすっと前に進み出て彼を
迎え打とうとしたがそれより早く横合いから飛び込んできたアラクネにルジェリオ君はあ
っさりと押さえ込まれた。彼は所詮見習いである。
「おああああレイせんぱぁぁぁぁぃ……」
糸でぐるぐる巻きにされたルジェリオ君は、ほくほく顔のアラクネに引きずられて僕の前
から消えた。僕を呼ぶ叫び声が遠くなり、やがて聞こえなくなる。
 改めて耳を澄ますと、遠くから聞こえてくる誰かの絶叫や叫び声は未だ途絶えることな
く聞こえ続けている。無性に心配になってきた。
「さ、いこっかレイ君」
「あのさ、もう一回聞くけど、本当に魔物は人を食べたりしないんだよね? こうやって
戦ってる最中に殺しちゃったりしないんだよね? ルジェリオ君のことは本当に心配しな
くていいんだよね?」
「大丈夫、問題ない」
そう言って親指を中指と薬指の間に握り込んで、ガッツポーズと共にココノは自信満々に
笑った。いつものどや顔だ。若干むかつく。
「信じるよ、信じるからね? あとその手は下品だから止めなさい」
とりあえずはココノの言葉を信じることにして、僕は蟻たちと共に穴へと飛び込んだ。穴
の横幅は結構広く、アラクネと余裕を持ってすれ違えるほど。
 穴は広さだけでなく深さも相当のもので、体感では五メートル以上はありそうだ。僕を
抱えたトーコが地面に着地し、僕は周囲を見渡す。……そして、目を見開いて息を飲んだ。
 何これ超広い。
 教会の礼拝堂や騎士団の練習場よりも遙かに広大な空間が、地下に広がっていた。間隔
を開けまばらに置かれた光る花の薄暗さが、一層その広さを際立たせている。端が見えな
い。
「ちょっ、え、な、何これ」
「凄いでしょ、十九人かけて二日でやったんだよ。もうすっごく頑張ったんだから」
僕を地面に降ろし、薄い胸を自慢げに張るトーコ。その胸元は、やはり滑らかなラインを
形成したままだ。
「い、いやそうじゃなくて、何でこんなに広く掘ったの?」
「それは、後のお楽しみ。レイ君、乗り換え。次は私に乗って」
言われるままにココノの背中に乗ると、彼女はいつもの半眼のまま顔を赤く染めてにやつ
く。
「ナナの言ってた通り。これ、当たるね……。興奮してきた」
「あっ、ココノずるい。わたしもレイ君の膨らみ堪能したかったのに」
「降りる時は抱えないといけないから、しょうがない。留守番よりは、まし」
「まあそうだけど……ぷう、どうせなら抱えてた時もうちょっといろんな所触ったり触ら
せたりしてあげるべきだったかな。レイ君はどう思う?」
「そこでそれ僕に聞くの……? もう下ネタはいいから行くなら行こうよ」
「イくならイこうよだって……ひゃわわ」
「だからそういうのいいから!」
この子たちの緊張感の無さは酷すぎる。一応これでも教団に喧嘩を売っている真っ最中で、
捕まれば殺される状況なのに。余裕の表れなのか、それとも何も考えていないだけなのか。
 僕の心配をよそにひとしきりココノとトーコは笑い合い、それから二人は走り始めた。
地下の大広間から先、続いているのはずっと一本道だ。点々と置いてある光る花が、まる
で点線の道のようになっている。
 かたたたたっ、かたたたっ。蟻の背に乗って走っていると、だんだん距離感が曖昧にな
っていく。ただでさえ全く同じ一本道だ。今の時点でどれだけ走ったかも分からない。
「あとどれくらいで出口に着く?」
「すぐ着くよ……ほら」
同じ景色が続いていた一本道の先に、違う物が見えた。天井から差し込む陽の光だ。光は
じきに僕たちの目の前まで近づき、蟻の二人は勢いを付けて甲殻の足で五メートルほど壁
を登り地上へと飛び出した。
「ひゃっほーい! みんな戻ったよ!」
勢いよく地面から飛び出して、トーコは叫ぶ。一方の僕は僅かな間とはいえ地中にいたの
が突然上に飛び出て、太陽の光で目が眩んでいた。思わず目を瞑って、太陽から顔を逸ら
す。
 しかし、その一瞬の隙が命取りになることを僕は思い知ることになった。
「うわあああレイ君だあああっ!」
「レーイーくぅぅぅんっっ!」
「レイくーん! おかえりーっ!」
「レイ君レイ君レイ君ーっ!」
視界を塞がれた僕の身体に、聞き慣れた少女の叫び声と共に次々と衝撃が走る。蟻たちが
飛びついてきて、下半身で僕にしがみついてきたのだ。顔面に蟻の胴体の意外にも柔らか
いお腹が押しつけられ、次に右のわき腹に甲殻の足でしがみつかれ更に左腰、よろけてコ
コノから滑り落ちてもがいている最中に右足に一人。計四人の蟻が飛びついたのが感覚で
分かった。
 眩しさには既に慣れていただろうが、顔面を蟻の胴体に覆われているので結局視界は戻
らない。全身を蟻に覆われたまま、根性で立ち上がった。四人分の重みで、ふらふらとよ
ろめく。
「むご、むごーふ」
何か言おうにも、口元も蟻のお腹に覆われていてくぐもった声しか出すことが出来ない。
結局彼女たちが満足するまでの一分間、僕は諦めてしがみつかれ続けた。
 満足した蟻が一人ずつ順番に離れ、最後に顔面にしがみついていた蟻が離れる。周囲を
見渡すと、ここは最後に蟻たちと分かれた森の側の平野地帯だということが分かった。
 僕の周りには、目をきらきらと輝かせてこちらを見つめる蟻たち。……そして、その後
ろで手足と口元を拘束されて親の敵か何かのように僕を睨む騎士団の面々。総勢五十名ほ
どだろうか。
「あ、こっちにも来てたんだ……」
全員装備はそのままに、両手首を後ろ手に、それと足首と口元をアラクネの糸らしき白い
物で縛られていた。全員目を血走らせて、殺意の漲った眼差しで僕を睨んでいる。かなり
怖い。
 戦々恐々としながら騎士団の人たちを見回していると、見慣れた顔を一つ見つけた。金
髪のポニーテールが印象的な、女性騎士。モモカだ。
 彼女の前まで歩み寄り、口元の糸をずらして外す。
「っ、この、裏切り者め! 貴様やはり魔物に洗脳されていたんだな! 殺してやる!」
「え、えーと、いや、その」
「さぞ心地いいだろうな! 友人を裏切り善良な人間を魔物の生贄に捧げるのは!」
手足を拘束された状態で全身を激しくゆすり、肩を怒らせて僕を睨むモモカ。
 否定したい気持ちは山々だったのだが、この状況では何を言っても無駄な気がして二の
足を踏んでしまう。僕のことを気にも留めることなく、モモカは口汚い言葉で僕を罵り続
けている。ちょっとショックだ。
「レイ君、そいつ誰? 何?」
僕がモモカの対応に困っていると、トーコが僕の後ろからひょこりと顔を出した。不審な
顔で僕とモモカと交互に見つめている。そうこうしている内に、他の蟻たちも皆僕の元へ
集まってきた。全員モモカに興味津々だ。
「えーと、この人はモモカって言って、僕の友達なんだけど……」
「く、この、おぞましい虫けらどもめ! 貴様らどんな邪悪な術でレイを洗脳した! 言
ってみろ!」
「なにこいつ、むかつく」
「あ、この人知ってるよ。何だっけ、ヤブメ? ヤブミ? の」
「おぞましいだって、ひどーい。レイ君にも大人気のこのアリアリボディーの魅力が分か
らないなんてねー」
「はっ、なにが魅力だ! 虫けらの体など不快なだけだ……ひっ、そ、その脚を近付ける
な!」
「……わしゃっ」
「ひいいっ」
「……ほーれわしゃわしゃー」
「わしゃわしゃー」
「や、やめ、嫌ああっ!」
さっきの僕のように全身に蟻の胴体とわしゃわしゃ動く足が纏わり付き、モモカは泡を噴
いて気絶した。そういえば彼女は昔から虫が苦手だった記憶がある。若干申し訳ない。
「……レイ君。今の、わざとですよね」
モモカが気絶する一部始終を見ていた僕の横に、ナナが静かに並び立つ。そして小声で囁
きかけてきた。
「あの人、レイ君の協力者でしょう? その事がばれたら、町での立場が悪くなっちゃい
ますものね。だから、互いにわざと一芝居打って協力関係じゃないことをアピールした」
当たりでしょうと言わんばかりに自信満々に微笑むナナ。しかし当の僕は。
「ごめん、そんなこと何にも考えてなかった。彼女が怒ってたのはここまでするとは思っ
てなかったから……だと思う」
そして僕はただ彼女と少し話がしたかったからだけだった。ナナの唖然とした顔を横目に、
僕は顔を伏せて縮こまった。
   :   :
 僕が蟻たちと合流してから、一時間ほど経った頃だろうか。地下道の出入り口から、ア
ラクネのシンシアが戻ってきた。
「あー疲れた。ちょっとアリンコ、一通り終わったわよ」
シンシアが蟻を呼びつけると、ナナが対応に向かった。続いて、ぞろぞろとアラクネが地
下道を通じて町から戻ってくる。
「ねえ皆。それで結局予定変更って一体何がどうなったの?」
「うふふ、もうすぐ分かりますよ」
ナナとシンシアが置き場所がどうの、綱がどうのと話し合い、その最中にも彼女たちの横
の穴からどんどん出てくるアラクネたち。僕はそれを膝を畳んで座ったまま眺め、横では
フィーが楽しそうに微笑んでいた。
 その数二十人を越えた辺りで、アラクネの列は一旦途切れた。少しの間を開けて、再び
出てくるアラクネ。後ろには、大きな糸玉が引きずられている。
 よく見ると、その糸玉にはよく見慣れた後輩の顔がついていた。
「……ルジェリオ君だ」
顔をくしゃくしゃに歪めてべそをかいているルジェリオ君と、他数名の捕縛者の糸玉がま
るで数珠繋ぎのように繋がってアラクネに引きずられている。後続のアラクネも同じよう
に数名の糸玉を引きずっており、捕虜と思わしき糸玉の数は見る見る内に増えていった。
 最終的に四十数人のアラクネが戻り、百人以上の捕虜の糸玉が平野に並ぶことになった。
その中には、ヴェールズやボルソンの姿もある。
 こんなに集めて、一体何をする気なのか。
「仕分け終わったよー」
アイの声がした方向へ振り向くと、元々地上で捕まっていた捕虜の騎士たちが二つのグル
ープに分けられているのが目に入った。その意味は分からなかったが、グループの片方は
全員男、もう片方のグループは女と数人の男で構成されている。更に改めて捕虜の糸玉を
見返せば、連行されているのは皆男だ。
 嫌な予感がしてきた。というか嫌な予感しかしない。
「はーい、いいですかー」
作業が一段落付いた所で、ナナが声を張り上げた。その場にいる誰もが、喋るのを止める。
「それでは今からお持ち帰りツアーを始めまーす。人間の皆さん、これから男の皆には魔
物のお婿さんになってもらいます。拒否権はありません。魔物に愛されて、魔物に対する
考えを改めて貰います。二度とこんなことが起きないように」
何となく分かってた。そうだろうとは思ってた。……でも、ため息が出ちゃう。
「最初はちょっと怖いかもしれませんが、慣れればなんてことありません。皆旦那さんの
ことを一生懸命愛してくれるでしょう。それを受け入れてください。ちなみに、女の皆さ
んと、深く愛し合っている伴侶のいる、人間のメスの匂いが完全に染み着いちゃってる男
の皆さん。貴方たちは適当なタイミングで解放しますので、適当なタイミングで帰ってく
ださい。……では、これから開始の狼煙を上げて森の皆さんにツアーの開始を知らせます。
皆さんは町の方を見ながら待っていてください」
ナナが言い終えると、ノリのいいアラクネが指笛を吹いて歓喜の野次を飛ばした。一方の
人間たちは、口元を縛られながらも絶望のうめき声をあげている。
 蟻たちはナナも含め、全員が同じ箇所に集まった。その場所は、僕たちやアラクネが地
上へ戻ってきた時に使った穴の側だ。……穴を使って焚き火でもするのだろうか?
 蟻たち全員が穴の中へと入ったのを見てから、一人残された僕は手持ち無沙汰に町の方
角へ目を向けた。遠くに町の外壁と、背の高い教会の屋根が見える。
「おーえす! おーえす!」
町を眺めていた僕の耳に、地面から蟻たちの大きな掛け声が聞こえてきた。まるで綱引き
でもしているかのような掛け声だ。地下で綱引きなんて出来る筈がないのに。ハハハ。
「……」
今すっごい嫌な予感がする! 何これどうしよう! 狼煙って何なの!
「おーえす! おーえす! おーえす! おー!」
蟻たちの掛け声は、中途半端な所で突然中断した、その直後、鈍い振動が地面を振るわせ
る。
 騒がしかった捕虜のうめき声が、一瞬にして静まった。人々は皆、目を見開いて町の方
角を凝視している。釣られて僕もそちらへ視線を戻し、全く同じように目を見開くことに
なった。
 町の中でも一際高い教会の屋根が震えている。屋根だけではない。教会全体が激しく振
動しながら、始めはゆっくり、しかし次第に速度を上げて真下へ「下がって」いた。
 大地を振るわせる振動と共に、瓦礫の崩れる乾いた重い音が町からここまで響いている。
 速度を上げ始めた教会の建物は、あっという間に真下へ吸い込まれて見えなくなった。
あまりの衝撃に、喉が詰まって息一つすることが出来ない。
「いやーやりとげたねー」
「どうだった? ねえねえレイ君どうだった?」
穴から戻ってきたであろう蟻たちの得意げな声が、僕の横から聞こえる。しかし僕は衝撃
から覚めることが出来ずに、町の方角から目を離せないままだ。頭の片隅には蟻たちに何
か言おうという思いがあったものの、口元だけがぱくぱくと虚しく開閉するだけに終わっ
た。
「レイ君超びっくりしてる。ドッキリ大成功、いえい」
「教会の崩れ具合をこの目で見れなかったことだけ残念でしたね。ちゃんと計算通り崩れ
ていればいいんですけど……」
「大丈夫だよほら、隣の建物崩れてないし」
「……レイ君? 大丈夫?」
「せ、せつ……説明……して……」
動揺で町に視線が釘付けになったまま何とかそれだけ搾り出したが、そんな僕とは対照的
に蟻たちの雰囲気はあくまで軽い。
「えー、そんなに難しいことじゃないでしょ?」
「おほん、それでは僭越ながらこのフィーちゃんが。……とはいえ実際の所、話は単純で
す。戻る途中、地下の大きな空洞は見ていたでしょう? 支柱一本残して教会の地下をす
かすかになるように掘って、支柱を折るだけで教会の建物を綺麗にあの空洞に落とし込め
るようにしていただけですよ。どれくらい掘れば教会だけが綺麗に収まるか、どこまで掘
れば勝手に崩落しないで済むか、その辺の計算はナナちゃんが得意なのであの子が計算し
た通りに掘り進めました。あとはクモが戻って来る時にその支柱に太い糸の縄を繋いで、
それを引っ張って支柱を折ればあの通り、ぼっしゅーとです! えへん」
「そうそう、教会の人たちは心配しなくていいよ? クモたちがみーんな捕まえてるから。
女の人とかお年寄りみたいなお婿さんになれない人は、隣の建物に適当に巻きつけてある
筈だよ。その後教会の周りに糸で非常線兼バリケード張って、後から人が入ってこれない
ようにして」
「ぽろり、あったでしょ?」
「……や、や、や」
説明を聞く内に、動揺が収まって来た。ただ一言の為に、僕はひたすら息を吸い込む。
「や?」
「やって何?」
「やったじゃん蟻さん超サイコー、のや?」
「やり過ぎだよぉぉぉぉぉぉっ!」

拝啓。父様、母様。僕は名実共に、教会の破壊者にして魔物側の工作員になってしまいま
した。
14/01/19 22:19更新 / nmn
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