連載小説
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イイハナシダッタノニナー
小さな病室の窓際に、ふわりとカーテンがなびく。

「………………」

ぶかぶかの病衣の胸元をはだけて、少年はパラパラと週刊誌をめくる。
彼の名は有栖川 和歩。つい最近この病室で10歳を迎えた最年少の患者である。
そんな彼の脇のスタンドテーブルで、充電器に繋がれたスマートフォンがヴヴっと震えた。

『アァリスゥ……、起きてンだろォ?』

安っぽいスピーカーのせいでどうにもチープな禍々しい声が、病室に虚しく響いた。
その声に、和歩は微妙な面持ちになる。
会いたかったような会いたくなかったような、でもどちらかと言えば会いたかったような。
要するに自覚のないマゾい子が久しぶりに仲のいいイジメっ子に会うようなそんな心境。

「おはようチェシャ猫さん。今日は早いね」
『オイオイ、人を、いやさ猫を眠りネズミかにゃにかと勘違いしてにゃいかアリスゥ? 毎日毎日、昼夜問わずに性夜の如く盛る春の猫じゃあるめェし、オレサマだって早起きぐらいすらァにゃ♥』
「………………そ、そう。あはは」

相変わらずこの人なに言ってるのか分からないんだよなぁ、と和歩は小さな苦笑で誤魔化す。
その様子にこりた様子もなくちぇー、と液晶の彼女は相変わらずニヤニヤ笑いだ。
紫を基調としたドレスを身にまとい、いやらしく微笑むその娘の頭で猫耳が揺れる。
彼女の言を信ずれば、かの有名な不思議の国のアリスのチェシャ猫らしい。

「……というか、ぼくはカズホって名前があるって何回言えば……」
『きひひひひっ、細けェこと気にすンにゃ女々しいぞアリスゥ?』
「あぁ、うん。もうアリスでも何でもいいです、はい」

諦めたように週刊誌をパタンと閉じ、和歩はベッドにもたれたままスマートフォンに手を伸ばす。
爪が充電コードにかすりはするが、どうにもギリギリ届かない。
その様子に、液晶に映ったチェシャ猫はニヤニヤ笑いながら頑張れ頑張れと他人事だ。

「よっ、くっ……」
『フレー、フレー、ア・リ・ス♪ 頑張れ頑張れア・リ・ス♪』

イラッと来たのは内緒である。
が、そのエールが効いたかはさておいて指先がコードに引っかかった。

『を? お? にゃ?』

ぐらっ、と。
勢い余って、スマートフォンがスタンドテーブルから落ちたが。

ビィィィン……。

『にゃ……にゃンてことすンだコラァ!? めっちゃビビったじゃにゃいかァ!?』

慌ててコードを掴んだのが幸いしたか、なんとかスマートフォンは重力にそそのかされなかった。
液晶で冷や汗をかいたチェシャ猫が喚いているが、和歩も同じような心境である。
ライフラインとまでは言わないが、スマートフォンが壊れるのは勘弁願いたい。

「せ、セーフ」
『うおえええええ! 早く上げろアリス! プラプラ揺れて気持ち悪ィ!』
「はいはい……」

人の気も知らずに文句たらたらのチェシャ猫に、和歩はコードを手繰り寄せる。
手元まで持ってきたときには、液晶に映った彼女は息も絶え絶えに口元を押さえていた。
ノット、ゲロイン。

「大丈夫?」
『……トランプで遊んでくれたら大丈夫かもしれにゃい☆』
「余裕じゃん……」

猫を被っていたようで、きゃるんっとエフェクトを光らせるチェシャ猫。
和歩はどっと疲れたかのように苦笑いを零し、拙くスマートフォンを操作した。
起動しっぱなしのマモノタイムオンライン、その『遊ぶ』コマンドをタッチする。



こんな風に、さも当たり前のようにチェシャ猫が和歩に話しかけたのは四ヵ月前の事だった。
小学校の下校中にトラックにぶち当たり、まるまる一ヶ月の昏睡。
流れるように入院し、流れるように薄っぺらい見舞いがきて。
そして誰も来なくなったある日のことに、さっきみたいにへらっと話しかけてきたのだ。

『シケたツラしてンにゃァ、アァリスゥ? 病は気からってンだろォ、もっとアゲてこうぜェ?』

マモノタイムオンラインで、ちょうどパートナーに設定していたチェシャ猫が。
最初こそ、ヤンキーじみた口調に委縮していたが、今となっては慣れたものである。
ときどき国語辞典にも載っていない言葉を吐いたり、人の話を聞かないところもある。
でも、和歩にとっては自分を痛ましく思う両親よりも親しみやすい女の子だった。

「……あの、チェシャ猫さん」

そして、話は戻る。
液晶に浮かんだ二枚のカード。
その一枚を取るんじゃないと言わんばかりに放さないチェシャ猫に、和歩が抗議の声をあげる。

『こ、こっちはババじゃにゃいぜ? ホラホラ、あっち取れよ、あっち♪』
「いやーぼくは残念ながらこっちが欲しいなー(棒」
『うにゃあああ! と、取るにゃ取るにゃああ……!』

液晶を力強く押す和歩に、ギリギリと力の限りカードを押さえるチェシャ猫。
一見して年上の彼女も、こう見えて幼稚である。

「はいハートのエースでぼく上がり」
『うっわ、ドヤ顔うざっ!?』
「終始ドヤ顔のチェシャ猫さんに言われたくないです」

個人的にはチェシャ顔と言いたい。
バックにポップな大文字で「チェシャァァァアア」みたいな感じで使いたい。

『うぐぐ……にゃンで分かンだよテメェ……!』
「いや、チェシャ猫さん逆に正直すぎて分かりやすいというか……」

一連の流れとしては
『おやおやァ? こっちでいいのかよォアリスゥ?』(当たり)
『あァ〜、いいのっかにゃァ? ホントにこっちでいいのかにゃァ?』(当たり)
『あ、ちょ、そっち選ばれるとババ残っちゃ――』(当たり)
最後のあがきにようやく嘘をつくスタイルである。
ちなみに年相応に負けず嫌いな和歩に慈悲はない。
送るのは塩ではなく肝であり、譲るのは勝ちではなくガチである。

「こういうのって、思わせぶりなだけじゃ通らないというか……」
『いっそテメェみたいにずっと黙ってりゃ良かったにゃん……!』
「うん……まさにそれ」

呆れと言うか哀れみと言うか、微妙な面持ちにチャシャ猫はむがーっと奇声をあげる。

『ぐぐぐ……仮にも不思議の国の住民がトランプで負けるとか……!』
「まぁ、ババ抜きはテクニックとかないし……」

というかチェシャ猫よりアリスの方がトランプには縁が近いのではなかろうか。
BBA抜き的な意味ではなく、本筋的な意味で。
それはさて置いて、チェシャ猫は駄々っ子のようにぶわーっとトランプを液晶中にばら撒く。

『あーもうっ、やってられっかァ!』

拗ねたように止めだ止めだと騒ぐチェシャ猫に、和歩はクスクスと微笑ましい。
これじゃどっちが年上か分からんね。

「……そう言えば」
『あァ!?』
「……いや、不思議の国って本当にあるの?」

ふっと出た単語に、きょとんと首を傾げる和歩。
不思議の国のアリスとはさすがに聞いたことはあるも、そろそろ夢見るお年頃でもない。
そんな疑問に、チェシャ猫は不機嫌そうに鼻を鳴らす。

『はン! あるに決まってンだろ? でなきゃオレサマがいるわけねェじゃにゃい♪』
「それもそうだよねー……、不思議の国かぁ……」

ぽそっと呟き、和歩の視線が窓の外へと向かう。
どんなところかなぁ、面白そうなところかなぁ、と思いを馳せるような目は胡乱げだ。

「どんなところなの?」
『甘ァい紅茶やクッキーのある素晴らしいところだぜ♥ 興味あるにゃら招待してやろうかァ?』
「……何でだろうね、すっごく胡散臭く聞こえるんだけど」

嘘は言ってない。
ただそのクッキーを食べるとショタになったり、その紅茶を飲むと獣姦したくなるだけである。

『媚薬の雨にマーチヘアが盛って、どっちが犯してンだか分からにゃいジャバウォック♥ アリスならきっと気に入ってくれると思うんだがにゃあ……♥』
「ごめんなさい、ちょっと意味分かんないです」
『素敵な恋がいっぱいあるってことにゃん☆』

キラッ☆
あざといポージングとキラキラエフェクトに、和歩は反応に困り微妙な面持ちになる。
大抵、こういう言い方をするチェシャ猫は10倍胡散臭いのである。

「恋ねー……興味ないや」
『えェ〜? 目の前にオレサマがいるのにそういうこと言うのはポイント低いぜェ?』

口を尖らせてブーイングを上げるチャシャ猫。
そのふてぶて図々しいところは秘密結社的にポイント高い。
だが、そのアピールには苦笑いとジゴロめいた発言によるカウンターが炸裂した。

「チェシャ猫さんのことは大好きだよ?」
『ぶっ!?』

あっさり風味告白チップス。魔物娘にバカ売れします。

「いつもぼくと遊んでくれるし、気ままに見えて気を遣ってくれてるし、それにホラ、可愛いし」
『う、にゃ……取ってつけたように可愛いとか言うにゃバカ!!』

顔を真っ赤にしてガーっと怒鳴られ、和歩はプッと吹きだす。
そうそう、こういうところが可愛いのである。

『ちょ、ちょうど暇してるときに手頃なカモがいるから遊んでるだけにゃ!! 調子乗るにゃ!!』
「あれ? チェシャ猫さんぼくのこと嫌い?」
『…………………………………………………………………………………き、嫌いじゃにゃい』

不覚にもきゅんときた和歩であった。
素直じゃない飼い猫に甘噛みされた気分である。
無意識的に指先が動き、液晶のチェシャ猫の頭を撫でていた。

『わっ、ぷ……! あ、そこ……じゃにゃい!! いいい、いきにゃりにゃにすンにゃ!?』
「チェシャ猫さんチェシャ猫さん、顎とかどう?」
『ちょ、猫扱いすンにゃァ……ごろごろ♥』

悔しい……っ、でも感じちゃう……っ! の典型例である。
目を細めて心地よさげに喉を鳴らし、満更でもなさそうなその様はまさにメスネコ。

「猫じゃらしとかあったら良かったのにな」

生憎と病室にそんなものはない。
それがあったら猫じゃらしに猫の本能をくすぐられるチェシャ猫が見れたというに。

『おっ、いいじゃんそれ! オレサマの華麗にゃる手捌きを見せてやンよ、持ってこい!』
「いや、だから無いんだってば……」
『この時期にゃらエノコログサだっけか? が、あンだろ? 外でパッと取ってこいよ?』

シュッシュッ、とシャドーボクシングよろしくジャブジャブストレート。
よっぽど猫じゃらしをやりたいらしい。こいつ猫か。チェシャ猫だ。
だが彼女のやる気とは相対して、和歩はベッドから起き上がろうとしない。

『起きろよアリス〜、一緒に行こうぜェ? テメェの世界がどンなのかちょびっと見たいんだよォ』
「……なんにも面白いとこないんだけど」

露骨に嫌そうな顔になる和歩に、チェシャ猫はなおも行こう行こうとノリノリだ。
齢10歳にして出不精を自称する彼が折れる頃には、太陽が真上に昇っていた。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――

『おォ、絶好の日向ぼっこ日和ィ……zzz』

果たしてそれは画面越しでも分かるものなのか。
兎にも角にも膝の上でこっくりこっくりとわざとらしく船をこぐチェシャ猫。
これがスマートフォンじゃなかったら縁側のお爺ちゃんである。

「寝ないでよチェシャ猫さん。せっかく外出許可とったんだから」
『そうは言ってもよォアリスゥ? これじゃ眠りネズミじゃにゃくても眠くにゃっちゃうぜェ……zzz』
「そんなのいつでも出来るでしょ」

オカンかお前は。

「面倒くさいからぼくはあんまり出たくないの」

キィ……と車輪を回してみせ、和歩は大袈裟にため息を吐いて見せる。
車椅子は使い慣れているとはいえ、好きこのんでわざわざ外には出たくないのだ。

『にゃんだァそれ? 随分とちゃちィチャリオットだにゃ?』
「く・る・ま・い・す。ぼく下半身不随だから」
『……は?』

バッと通ったトラックが、まさしく当たりどころ悪かったらしく。
バツが悪そうに和歩はポリポリと頭を掻く。

「引きこもってるのも理由あるの。あんまり誰かの世話になるの好きじゃないし」
『………………』

むしろこの四ヵ月、なにも気付いていなかったことに驚きである。
ベッドでボーっと週刊誌を読み漁っては、介助のもとにリハビリに向かい。
思えば気付く要素は幾らでもあったはずだが……と和歩が思い返しているときだった。

『こ、骨折とかじゃにゃいの?』
「下半身不随です。うんともすんとも動きません」
『…………………………………』

――……なんか、嫌な予感が。
また、両親とか友達みたいな反応をされるのだろうか? と和歩の表情が消える。
可哀想とかテンプレートまんまの薄っぺらい同情は、彼にとっては気持ち悪いにもほどがあった。
そういう反応をしていったい誰が喜ぶのか? 放っておいてほしい。
思春期も前に恐ろしくスレた少年は、ふっと麗らかな日差しに手をかざす。
その重苦しい静寂は、意外にもあっさり破られた。



















『おいアリス、おちんちんは気持ちよくにゃンのか?』
「――――――――――――――――――――――」

――んん?

「え、なに? ごめん、なんて?」
『いやだから、テメェのゾウさんは感じるのかと』

――…………んん?

「え、いや……何も感じないけど……」
にゃンてこったァァああああああ!?

――………………んんん?

「あ、あの……チェシャ猫さん?」
『アリステメェえっちっちーにゃことに興味にゃいのか!?』
「いきなり何言ってんの!?」

画面から飛び出さんばかりにドアップになるチェシャ猫。
意味不明と言うには実に分かりやすい言葉に、和歩は思わず我を忘れて突っ込んでしまった。
彼には勇者の素質があるに違いない。ヴァルキリーさんこっちです。

『だァらおちんちんペロペロしたりおっぱい揉んだりとか興味にゃいのか!?』
「…………え? う、うん? な、ないかな?」

――おちんちんペロペロって汚くない……?
性知識など微塵も持ち合わせてないせいか、和歩としてはドン引かざるを得ない。
ちなみにおっぱいに関しては赤ちゃんじゃあるまいしと見当違いも甚だしい。

「あの、チェシャ猫さん、猫じゃらしあそこにあるよ?」
『オレサマをテメェの生クリームでベットベトにしたいとかにゃいの!?』
「ぼくの生クリームって何さ……」

露骨に話題を変えようとしてもすげなく戻される。
前代未聞のテンションは収まる様子もなく、チェシャ猫はやたらと騒がしい。
猥語の大半が和歩には理解できなかったが、数分を要してどうにか彼女は落ち着いた。

『通りでにゃンも反応しにゃいわけかァ……ハァ……』

というか落ち込んでた。

『あァもう……迷子弄りはオレサマの生き甲斐にゃのに……』
「???」

あまり意味が分からず、和歩は首を傾げる。
しかしいやいや待ちたまえチェシャ猫よ。
むしろ今から自分好みに育てられるという逆光源氏計画は思い浮かばんのかね?

「んー……チェシャ猫さんはえっちっちーなこと好きなの?」
3度のメシより大好きにゃん
「お、男らしいお返事ですね……」

これで男らしいなら魔物娘はみんな漢だろう。

「でも、えっちなことって良くないことじゃない?」
『……? 好きにゃヤツと気持ち良くにゃることのにゃにが良くにゃいんだ?』

その言葉に、和歩は言葉に詰まる。
何が良くないか、そんなの知らないし、そもそもそう返されると否定する理由も見当たらない。
ところで諸君、最近若い男女の性の乱れだ何だと言われていますが据え膳出されて食えない世代を作ってしまったのはいったいどこの誰なんでしょうねぇ?
さぁ、これからの日本をよりよくしていくために元気いっぱいにエロいことのできるジェネレーションを育てていこうではありませんかー(抜粋)。

「そう言えばおとぎ話でも、最後はお姫さまと王子さまがキスとかするもんね」
『そォだよにゃンだ分かってンじゃねェかよォ!』

安定のドアップ。
ところで今更だがキスはえっちっちーなのか?

「……んー」
『もっともオレサマはキスだけじゃ満足しにゃいがにゃ!! どうせなら(ズキューン)とか(バキューン)とか(ニャンニャン♥)みたいにゃもっと激しくあんにゃことやこんにゃことを――』
「だから分かんないってば……」

R-18Gなら通じるかもしれない(アカン)。
生憎と性知識なぞ欠片も持ち合わせていない和歩には魔物ジョークは通じない。
シックスナインって何ですか? キン肉バスター返しですか?

「チェシャ猫さんはそういう相手いないの?」
『…………それさァ、テメェが聞いちゃう?』
「?」

諦めたようにいないと言う彼女に、和歩はふぅんと気のない返事だ。

『…………あ、アリスはそういうのいねェの?』
「いたらシケたツラしてにゃいよ」

ニッと悪戯っぽく笑って返すと、チェシャ猫はプッと吹きだした。
らしくない言葉遣いは、以外にも様になっていた。

「まぁ寂しい話は置いといて、猫じゃらしの草とったし、戻っていい?」
『えェ〜……早すぎンだろォ、もっとデートしようぜェ?』
「デートって……」

まぁいっか。
仕方なさげに一つ頷いて、キィキィと車輪を回す。
穏やかな日差しは久しぶりで心地よく、なんだか和歩も眠くなってきそうだった。

『お、アリスアリス! あそこ! あそこが超絶イイと思うぜ!』
「んー?」

チェシャ猫の指差す先は、ちょうど木陰になっている静かな草っ原だった。
見れば、どうやら見晴台のようになっていて景色も良ければ風も心地いい。

「あぁ、眺め良さそうだね」
『だろ? さぁさぁレッツゴー!』

背中を押さんばかりの勢いに苦笑を零し、和歩は車輪を回す。

「……おぉ」

ぶわっ、と風が吹いた。
眼下に広がる町景色はまるでゴミのようだと言えるはずもなく、言いようもなく小綺麗だ。
ミニチュアシティのような景色は、今まで住んでいた筈なのに知らなくて、どこか大きく感じられる。

『……へへっ、にゃあンも面白いとこ、にゃいンじゃにゃかったか?』
「……参りました」

ドヤ顔全開、思わず肩をすくめる。
あぁでも仕方ないのではないか、とこの期に及んで和歩は心で言い訳を零す。
――だってね。
――たぶん一人じゃ。
――きっと詰まんなかったよ。

「ありがとね、チェシャ猫さん」
『道案内はお手の物にゃのさ☆』

茶目っ気たっぷりのウィンクは相変わらずで。
敵わないやと肩をすくめていつも通りに返す。

「ぼくのとこなのに、なんでチェシャ猫さんが案内するのさ」
『じゃあオレサマのとこではアリスが案内してくれよ』
「ムリムリ、そこもチェシャ猫さんにお願いします。ぼくすっごい方向音痴らしいし」

他愛のない軽口の応酬はだらだらと続き、彼らは二人してケラケラ笑っていた。
一人閉じこんで腐っていた世界は、きっとこうして鮮やかになっていく。

イイハナシダッタノニナー。
















ピピッ

『エラーが 発生 しました』

















「へ?」
『にゃ?』

スマートフォンの液晶に、そんな文字が浮かぶ。
途端にブブッと液晶がブレたかと思うと、エラーメッセージがハート型のドアに変わる。
あまりに脈絡のないアクシデントに、二人とも呆けるしかない。

「……え、なにこれ?」
『……お、オレサマに聞くにゃよ、こんにゃの姉御から聞いた憶えねェし……』

姉御? と首を傾げると、チェシャ猫の面持ちが何とも言えないものになる。
どうやらその顔が言う通り、何とも言えない人物らしい。

『ん、ンー……一言でいえば、変人、かにゃ?』

それはお前も大概だろう。

『ウチの女王とよくツルんでるヤツで……うぅん、言いづらい……』
「そ、そう……」

そもそもウチの女王と言うのもよく分からないが、とりあえず和歩は頷く。
でもないと話が長引きそうだ。具体的には文字数2231くらい。

「……それより、これってタッチしていいの? スマホ壊れたりしない?」
『そいつァ大丈夫だと思うぜ? アイツら悪戯心は見上げたモンで本当に嫌がることはしねェから』

おまけに結婚というアフターケアまでバッチリだ。
婚活業者か何か? しかも押し売りカッコ確定カッコ閉じの。
ある意味で売女だな、サノヴァビッチ。

「…………ホントに大丈夫?」
『…………にゃ、にゃンかあったらオレサマが責任取ってやンよ』

大丈夫とは言い切れない辺りタチが悪い。
だが、『戻る』ボタンは機能せず、ハートの門くらいしか反応しそうな場所はない。

「……じゃあ、てい」

ピッと、タッチ。
瞬間に、長方形の液晶から眩いエフェクトが放たれる。

「うわっ!?」

ガチャン、とまるで大きな門が開くような音。
目潰しせんばかりの光線にそれどころではない和歩は、兎にも角にも目を覆う。
そして、光は少年を覆った。



光が収まる頃には、車椅子だけがその場に残っていた。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――

「…………う、ん?」

瞼を閉じていても目が痛くなるような光が収まったことに、和歩は遅ればせて気付く。
やっぱり悪質な悪戯じゃん、と思った瞬間。瞼を開いた和歩は驚愕した。

「……え?」

視界はどうにもピンク一色で、いま気付いたがキノコ型……というよりキノコそのもののベンチ。
自分が座っていた車椅子はどこにも見当たらず、和歩は混乱させられる。
見たこともない毒々しい色つきの花に、まるで子供の落書きのように冗談みたいな街並み。
家が家にめり込み、尖がった煙突からはハートの形をした煙がポッポッと出ている。

「……こ、ここどこ?」

まるで絵本の世界のような景色に、諦観を装う和歩も驚きを隠せない。
キョロキョロと忙しなくあっちこっちを見やるが、その度に目を疑う。
全力で逃げる子供を追う変な兎に、スヤスヤと花のベッドの上で穏やかな寝息をたてる少年少女。
しかも少女にはネズミっぽい耳が生えていると来た。

「……あれって、チェシャ猫さんが言ってた眠りネズミ……?」

そこに気付けば、疑うべくもなく。
なんとなく、和歩はここが不思議の国なのだと確信した。

「その通りっ♪」

ガバッと、後ろからいきなり誰かに抱きつかれ和歩が、うわっと短い悲鳴をあげた。
主に後頭部に当てられる柔らかい感触にドギマギしつつ、しかし内心では満更でもなく。
振りかえるまでもなくその何者かは誰かすぐに分かった。

「よォこそ不思議の国へ♥ 歓迎するぜアリス♪」
「ちぇ、チェシャ猫さん……?」

電子音とはまた違った声と、生身の感触に和歩も戸惑わざるを得ない。
さっきのさっきまでスマートフォンの液晶越しに話していたのは夢ではない。
むしろ、こっちこそ夢なのではないかと思えるような状況なのだ。

「まさかテメェからこっちに来てくれるたァ思わにゃかったけど、にゃふふふふふ♥」
「え、あのチェシャ猫さん? そんな自分一人だけ分かったようなこと言わないで? ぼくホントに意味わかんなくてすっごい混乱してるんだけど……」
「おいおい頭かてェなアリスちゃんよォ? ここが不思議の国ってわかりゃ察しはつくだろォ?」

小馬鹿にするように肩をすくめる彼女に、和歩はいやいやいやと手を振る。
そりゃ、大よその察しはついている。
ただ、あまりにも荒唐無稽が過ぎてあり得ないだろうと幼い思考も否定せざるを得ないのだ。
不思議の国は即ち彼女、チェシャ猫の生まれた国だ。
スマートフォンの中にいた彼女が目の前に現れ、そしていま不思議の国の大地に立っている。

「……ぼくはゲームと現実の区別はついてるんだけど」
「ところがどっこいアリスちゃん? 『こっち』も現実にゃンだぜこれが♥」

ゲームの世界に引き込まれた、なんて売れない小説にありそうなチープな状況を、しかしチェシャ猫は現実だと嘯きニヤニヤと嫌らしく笑う。
でも、と反論を口に出そうとする和歩だが、不意に唇に指を当てられる。
ふわふわと柔らかい猫毛がくすぐったく、思わずクシャミが出そうになったが何とかこらえた。

「ほれ、現にオレサマがいるだろ?」
「そ、そうだけど……」

ニッ、と悪戯っぽく笑うチェシャ猫に毒気を抜かれ、和歩も反論に詰まる。
尚も言葉を探す彼にニヤニヤ笑いを隠そうともしないチェシャ猫は何故か喜色満面だ。

「どっちでもいいじゃにゃいか、ゲームでもリアルでも♥ オレサマはアリスとこうやってちゃンと会えて、スッゲェ嬉しいンだぜ? ずっと前から、こうやって抱きしめてやりたかったンだからよ……♪」
「チェシャ猫さん……」

無邪気にはにかむ言葉は、チープなだけに心に響く。
安い同情、気安い愛情。飾らない言葉ほど、和歩が求めたものだった。

「ふふん♥ 惚れた? どうどう、惚れた惚れた?」

そして決めのチェシャ顔。
さながらチャラいヤンキーの如く調子のいい発言に思わず苦笑いが零れる。
だが、その余裕は割と予想通りのカウンターが小気味よく打ち砕いた。

「はい、惚れました」
「は……にゃ!?」

途端にボッと顔が真っ赤になるチェシャ猫に、和歩はニコニコと微笑む。
無垢な笑顔にうっとたじろぎ、思わず彼女はぷいっと視線を逸らしてしまった。

「にゃ、にゃンだよこっち見ンにゃよ!? その間抜け面見てると笑っちまうだろォが!?」
「えっへっへー」

照れ隠し全開の彼女に、嫌らしくニヤニヤとチェシャ顔で返す。
分かってるよ、というアイコンタクトが実に彼女らしくウザい。

「アリスのくせに生意気にゃ……!」

キシャーと威嚇の如く全身の毛を逆立てるチェシャ猫。
だが、その言葉にも和歩はニヤニヤ笑いを止めずにだしぬけにへらりと言い返す。

「チェシャ猫さんチェシャ猫さん、名前まちがってるよ?」

またも華麗なカウンターに、チェシャ猫の反撃がうっと詰まる。

「ぼく名前で呼んでほしいなぁ……」

付き合い総計4ヵ月。チェシャ猫に毒された少年による上目遣いの追討ち。
それはそれは、なまじ同じようなことをする彼女にはたいそう効いたそうな。
ガシガシと艶やかな髪を掻き乱し、なんか変な唸り声まで出している。

「じゃ、じゃあじゃあ! オレサマのことも名前で呼べよ!」
「……え? なんて名前なの? たぶん、ぼく聞いてないんだけど」
「シュレディンガー! ほら、いっせーのでで呼べよ? いっせーのでにゃぜ?」

テンパっているのかやけに早口なシュレディンガーに、和歩は連れて焦ったのかよく聞き取れない。
どうにもいっぱいいっぱいな彼女は、急かすようにすでに大きく息を吸い込んでいる。

「ちょ、待っ「いっせーのーでっ!」」

「カズホ……っ!」「しゅ、シュレお姉ちゃん……?」



















このあと滅茶苦茶セックスした。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――

『う、うわヤッベ……セキュリティに穴が開いてる……。お姉さまにバレたらシメられるかも……』
『……ッハ!? きゃ、きゃる〜ん☆ ログインを確認しましたぁ♪』
『本日もマモノタイムオンラインを楽しんでいってくださいねぇ♥』
『……テメお姉さまにチクったらアカウント消すからな(ボソッ』
14/05/25 01:15更新 / 残骸
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■作者メッセージ
我が結社では「久しぶり」を暗号化して「おひたしー!」と言う。
というわけでおひたしー! 秘密結社です。
いやね? 何でこんな遅くなったかっていう言い訳があるんだけどね?
たぶん別にみんな興味ないと思うので割愛します、イエーイ!
え? 今回かきたかったもの?
余裕のチェシャ顔が崩れるチェシャ猫さんだよ(チェシャァァァアア)!

というわけでどうも、秘密結社です。
どうにも最近うまく書けなくてものっそい遅くなりました。
ロウソク書かないとーっていうのが地味に圧力になってます(笑)。
もちろんこっちもあっちもちゃんと納得のいく完結を目指しますので悪しからず。
それでは次回も気長にお待ちください。お粗末さまでした。

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まろやか投稿小説ぐれーと Ver2.33