連載小説
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猫村さんと俺の宵の口から夜更けにかけてB
 シャワーを浴びてから俺は、体を拭いて今度は雨水でなくお湯を拭きながら、リビングに行った。
 猫村さんは小さく鼻歌を歌いながら、壁際のコンロの上に置いた鍋で何かを温めていた。そこで俺は、部屋に満ちる匂いに気が付いた
「出ましたー」
「はーい」
「…カレーっすね、これ」
「嫌いだった?」
「いや、むしろ大好物っす。そんで猫村さん作のカレーとか、大興奮です」
「そりゃ良かった」
 やけに上機嫌で猫村さんは返事をすると、手に持っていたお玉を置き、すぐそばにあった冷蔵庫の中から、何かを取り出した。彼女の手にあったのは、切り分けられたイチゴや桃の乗った皿だった。それを居間の真ん中にあるテーブルに置くと、コンロの方の火も止め、側の大きな皿に平たく盛り付けてあったご飯の上にお玉ですくったカレーをかけた。 
 電子レンジが温め官僚の音声を告げたかと思うと猫村さんは、そこから豚カツを出してきて、手早くカレーの上にのせた。
「しかもカツカレー」
「チーズいる?」
「お願いします」
「飲み物何にしようか。私はビール飲むけど」
「俺お茶で大丈夫です。そこらへん用意しときますよ、お箸とかどこか教えてくれたら」
「ありがと。食器は全部そこの棚に入ってるから、とりあえずスプーンとコップ出して。あと、果物用のフォーク」
「はい」
「あ、ランチョンマット引いてね。うちいつもそうしてるんだ。それも食器棚にあるし」
「ういっす」
 俺は猫村さんの指示に従って食事の準備をした。俺が準備をしている間に、猫村さんは調理器具の洗い物をしていた。
 俺は戸棚の中の、白磁の皿やマグカップを手に取って、しげしげと眺めた。 猫村さんの家の食器はどれも清潔に保たれていて、白い陶器の器は室内の温かい光を反射した。その輝きは、カップ焼きそばの白いプラスチックの容器とは全然違った印象を料理に与えた。 
 食器もまた料理の一部であることを俺は初めて知った気がしたのだ。
 そうこうしているうちに、テーブルの上に食器と料理が並べられた。俺たちは向かい合って席に着き、頂きます、と言って食べ始めた。


「うめー」
「そう? 結構テキトーなもんだけど」
「美味いです。猫村さんて料理上手なんすね」
「自炊してればこれぐらい皆できるよ。新藤君だって、大学行ったら一人暮らし始めるんでしょ」
「一応そのつもりっす。いつまでも親のすね齧ってるわけにもいけないし」
「私学行っといて何を言うか。っていうか、一人暮らしのほうが、親元にお金かかるよ」
「そうなんすか」
「うん、私んとこも、最初は両親とも反対だったし」
「へー、猫村さんの大学時代」
「そう」
「そーいや、猫村さんって何大卒なんすか」
「K大」
「うわ」
「その反応やめてよ」
「いや、普通にすごいなーって」
「なんか、合コンとか行ってこれ言うと、変な空気になるんだよね。みんなが一歩引くっていうか、距離が出来るっていうか。敬遠? 男も女もちょっと話しかけなくなる」
「あー、まあ、そういうことってあるらしいっすね」
「結構むかつくのが男の方でさ。この前、俺より頭のいい女とか死んでも嫌、とか言ってるやつ居た」
「ひでーな」
「でしょー、てめぇなんかこっちの方から願い下げだバーカ」
「俺は自分より頭のいい人、好きっすよ。尊敬できるし」
「あ、そう。どう、猫村さん尊敬に値する?」
「しますします。結構上の方です。俺の中で」
「うそ」
「嘘じゃないです」
「ホント?」
「本当です」
「そっかー、上の方かー。えへへー」
「哲学やってたんすよね、大学で」
「え? ああ、うん、ざっとね」
「最初大陸合理論かなーって思ったけど、別にそんな感じもしなかったし、結構手広くやったんすね。サーセン、本棚ちょっと見ました」
「いいよ別に。そーね、そもそも哲学に触り始めたの大学入ってからだったし、別に専修ってわけでもなかったし。割と適当に勉強が出来る学部だったからなー。新藤君も詳しいね」
「学校でやったんです。ニーチェとかかっこいいこと言ってますよね」
「そうねえ」
「そーいや、話戻るんすけど、猫村さん高校とかどうしてたんすか」
「普通の公立だよ」
「じゃあ中学校」
「それも公立」
「小学校」
「あー、それは…」
「……」
「……」
「……」
「……外国行ってた」
「へー、ヨーロッパっすか」
「うん、まあ、あれに結構似てるね」
「ふーん」
「うん」
「……」
「……」
「実際どこなんすか」
「異世界レスカティエ公国」
「嘘つけ!」
「うっそー」
「もー」
「新藤君はどうなのよ、高校は私学のあそこでしょ、あの地下鉄の線の最後の駅にある」
「はい」
「中学は?」
「そこの付属校っす。エレベーターだったんで」
「あ、高校受験してないんだ」
「はい」
「学費すごくない?」
「すごいっすね。両親に頭が上がりません」
「あはは」
「実際、感謝はしてるんすけどねー、物凄く」
「してるんだけど?」
「んー、なんていうか」
「なんていうか」
「生殺しっていうか、飼い殺しっていうか。あんまやりたいこと出来ない感じ」
「バイトしろよ。家計を助けろ」
「親父が許してくれないんす。お前はそんな心配しなくていいから、そんな暇があれば勉強しろって。それか推薦に有利になるクラブか」
「あー、お父さんか」
「一応全部上手くやってたんすけどねー。部活も、テストも、模試も」
「医大行くんだっけ」
「医学部です」
「そっか」
「はい」
「お父さんの母校なんだよね。あ、お祖父さんだっけ」
「両方っす。二人ともそっから研修医やって、幾つかごちゃごちゃしてから医者っていう、まあほぼコピペみたいなテンプレっす」
「エリートコースじゃん」
「クソですよ。んで俺も今年からそのクソコピペロードっていう」
「そう言うなよ、頑張ったんだろ」
「塾の先生に言われたことやってただけっすよ」
「物覚えがいいんだよ」
「独創性が無いんです」
「優等生だ」
「陰で友達と一緒に先生の悪口言うくせに、その先生の前ではマジメ君になるセコい奴です」
「秀才だ」
「第一志望落ちてます。行くことになってんのは第二志望です」
「闇が深い系男子だね、新藤君は」
「面倒臭い性格ってだけですよ」
「そこまで自分でわかってんならこれ以上猫村さんに言わせんな」
「サーセン」
「……」
「……」
「……」
「まあでも、突然ですけど、俺本当に猫村さんには感謝してるんです。なんか、半年前出会ってなかったら、どうなってたか分かんないっていうか」
「……そう」
「絶対どっかで暴発してたと思うんすよ。一人で飯食ってる時とか、寝る前とか、そんなタイミングで」
「……まだ寂しくなることがあるの?」
「最近は誰かと食べる習慣付けたから大丈夫っすよ」
「寝る前は?」
「猫村さんのこと思い出してます」
「キモい! 乙女か!」
「サーセン」
「でも、なんかお礼したいって気持ちはあるんす」
「お礼って例えばどんなこと?」


 そこで俺はちょっと言葉を切って、十分に間を取った。猫村さんが不思議そうな顔をして俺を見た。俺はカレーを食べ終わったスプーンをお皿の横にコトリと置き、両手の指を絡ませ、それで口元を隠して、猫村さんから目を背けながら言った。
 
「………エロいこと、とか」

 俺がこれを言ったその瞬間、猫村さんが息を飲むのが分かった。ちらりと横目で彼女を盗み見ると、猫村さんは緊張した面持ちで俺を凝視していた。彼女が生唾を飲んだ。
「いや、その、そんな急な」
「…………」
 俺は斜め45度の角度を保ったまま、猫村さんの瞳を(なるべく)思いを込めて情熱的に見つめた。途端に猫村さんの目が泳ぎだした。
 俺はもう一つダメ押しとばかりに、小さく、しかしハッキリとした声で猫村さんに言った

「俺は、猫村さんなら、いいですよ」

 この言葉によって、興奮のためか猫村さんはブルリと身震いした。
「それ、は、ただ新藤君が、や、ヤりたいだけ、なんじゃないの?」
 猫村さんの声は震えていた。しかし、何か非常に興奮しながらも、また別に、こういった冷静なツッコミが出来るのは流石だと思った。俺は例の情熱的な熱視線を少し緩めて、へらりと笑った。
「ばれたかー」
「えー!? マジじゃなかったのー!?」
「いや、マジっすよ」
「でもヤりたいって言ったじゃん!」
「まあ、それもないって言ったら嘘ですけど、別にそっちはメインじゃないっす。俺は、本当に猫村さんに恩返しがしたいんすよ」
「えー、もー、えー」
 猫村さんは何かを葛藤していた。このまま勢いに任せて本当に俺の『恩返し』を受け取るのか、単に俺がヤりたいだけっていうことにして、社会人としての態度を示すのかについての葛藤だ。
 ここでひとつ言っておきたいのは、この時に俺が発した、恩返しをしたいという言葉は、俺の心に抱く猫村さんへの一切の思いを正直に、何一つ偽ることなく言い表したものだということだ。
 確かに俺は猫村さんとエロいことが出来るかもしれないという期待は持っていたものの、それでもやはりそれを凌駕する気持ちとして、彼女への深い感謝の念が存在していたこともまた、紛れもない事実なのだ。
 だから、たとえ猫村さんがここで、今までの対価として、肉体的な関係ではなく、何か金銭的な要求、あるいは肉体的労働を俺に強いたとしても、間違いなく俺は、その命令に喜んで従っただろう。
 俺の彼女への、そう言った気持ちは本物だったのだ。
 猫村さんはしばらく頭を抱えるようにして肘をつき、机を見つめていたかと思うと、やがておずおずと俺の方を見ないまま言った。

「じゃ、じゃあ、エロいこと、で」

 今度は俺の方が生唾を飲む方だった。さあ、いよいよ覚悟を決めなくてはならない。コンドームは持ってきてなかったから、猫村さんに昼間のあれを借りることにしよう。俺たちはどちらともなく立ち上がった。俺は寝室がどこにあるか知らなかったから、少し遅れて猫村さんの後をついていった。部屋の外では、少し勢いの収まった雨が、まだ降っていた。




19/08/03 10:43更新 / マモナクション
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■作者メッセージ
どうでもいいことですが、猫村さんは、ザルです。
8月3日修正 本文が長かったので分割しました。

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