読切小説
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盗掘屋と鋼の美女

 鏃が唸る。雪山を飛翔する太い弓矢は林から迷い出た鹿を射抜く。悲しげな悲鳴を最後に、鹿は命を終えた。
口の中で故郷の言葉を呟く。それは短い祈りの文句であり、自分の中の罪悪感を僅かながら薄める行為でもあった。
 太い木の枝から跳び降り、薄く積もった雪へ着地する。東方装束に分厚い獣皮の外套。一見すると褐色の獣にしか見えない男は、まだ二十歳を過ぎたばかりの黒髪黒眼、暗い瞳が記憶に残るような矮躯の青年。僅かな距離を移動したのを最後に、雪を染める赤い跡が消えていた。そこには大陸の中央でのみ見られる種類、カイザースピアと呼ばれる巨躯の鹿が横たわっていた。矮躯が盛り上がるほど筋肉を膨らました男が鹿を抱え上げた時、何かの気配に首を巡らせる。
 雪の下に盛り上がり。それを片手で引っ張り出すと、目の前にぶら下げた相手を前に自問した。
「確か・・・そうだな・・・思い出した」
石版を身に纏った半裸で隻腕の女。
「ゴーレム」
削れた石版からは、『生命』を意味する一文が失われていた。


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 大陸の北東、名も無き山脈の中。青年の目の前、眠る少女は呼吸をしていない。女性型ゴーレムについて彼の知る知識は多くない。古い墳墓の中、絶世の美女らを模倣して埋蔵されたものや、それを元に、錬金術師によって制作されたものが存在するという事。後者は人体複製技術を使っている為、老いもせず頑健な以外、人間と寸分変わらないなどが薄い知識だ。
「深き場所、暗き場所、闇の内、生命の原初」
古書片手に硬化した化石の爪で石版が彫られる。石版の硬度といい、間違いなく古きゴーレムだろう。呪文じみた言葉と共にルーンの刻印が刻まれる。一字に込められた意味が、文字列となって力を増す。真理を意味し、生命を意味する文字列に、最後の線が刻まれると、心臓である胸のエンジンが大きく跳ね、呼吸が始まった。
「いと愛しき者、よ」
翻訳した一文を最後に読み上げた。孤独から人に飢えていた事もあるし、過去に学んだ技術を試したかった事もある。そして、彼女に少なからず好意を感じていた事もあった。
 銀の長い髪、過去に見たゴーレムと違う陶磁器を思わす白い肌、切れ長の眼を覆う瞼、端整な顔立ち、女性的で豊満な身体。そんな胸当てが歪むほどの豊かさの下、肋骨が動く。肺が伸縮したのだろう。見る間に血液に頬が染まり、その瞳、金色の瞳が瞳孔を小さくする。庵の炎が、金の輝きに混じる。
 腕が動いた。首を狙って突き出された一撃が壁を砕き、厚い塗り壁を抉り取る。
「・・・ツンデレ?」
何年か前に訪れた、魔術師とその連れが呟いた言葉を思い出した時、額を重たい衝撃が貫いた。
 死ぬのかと思ったものの、悲しみも、畏れも存在していない自分が嫌だった。美女の手で死ぬなら構わないと
 一瞬でも思ったのだから、男は馬鹿だったのかもしれない。それでも、打撃の間際、本能的に鉄の棍棒を握る
 動きは、過去に積み重ねた研鑽の成果だろう。


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 発音の難しい本来の名前ではなく、シェロウと名乗ったのは15の頃。東方移民だった少年は、魔物に対しての嫌悪もなく、街の外で交流を持っていた。ケンタウロスにハーピー、時にはスキュラやアラクネなどとも。
 礼儀と対応を知り、対話するのであれば、彼女達の多くは話の通じる相手であった。それから冒険者というより研究者を志し、故郷となった街を飛び出したのは16。自らの国で習った鉄棍を背負い、未知に胸躍らせたのはほんの数年前だった。
 楽しかっただけではない。余所者としての差別に泣き、凍えながら眠った夜もある。襲われたキャラバンが性欲に溺れたデビルバグに襲われ、自分だけが嫌忌剤を使って逃れた事もある。そんな日々の中で旅を続けたのは、寂寥や孤独に勝る矜持、のようなものがあったからかもしれない。
 無論、悪い事ばかりではなかった。初めて女と寝たのは祭りに沸く辺境の都で、相手は褐色の肌と長い耳を持つ女とだった。商売女ではなく、祭りの熱気に酔った夜に起きた情事と言ってしまうと相手に悪いだろう。翌朝、酔いの醒めた頭でも、隣に眠る女が綺麗に思えた。それから二ヶ月、その街を拠点にギルドからの依頼を行っていた。ほんの数年であれ、生きたまま冒険者紛いの生活を続けていたおかげで、鉄棍を使った棒術と、小太刀を用いた剣術も様になっていた。剣術に関しては、古代の書物の解体などにも使ったおかげだ。
 街を離れる切っ掛けとなったのは雨の夜。寝床にしていた彼女の部屋は空で、宿の主人に聞けば旅に戻ったのだという。その時も寂しいと思い、自分に悩んだが、同時に納得もしていた。彼女は、自分より旅を選び、そしてそれが「さよなら」でもあったのだと。嫌い合っていたわけではなかったが、唐突な別れが青年を研究者へ戻した。その時には、今までの生活で貯まった資金もあった。
 古書を買い、読み耽り、売り払い、背中に荷物を担いだ。彼女の顔は忘れないだろうが、広い世界で、また出会う事はないだろうと一度だけ泣いた。
 その後、噂を頼りに、古代の遺跡を探り当てた。引退を決めた狩人の家を譲ってもらい、そこを拠点にして長期の探索を狙って。
 そしてまた一年。歳は21から22になろうとしていた。のだが。
 つい先程、寿命が終わった気がした。


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 頭を割られて人生が終わったのかと、諦めていたシェロウだが、走馬灯から目覚めた時、全ては終わっていなかった。衝撃を寸前で防いだ鉄棍の前、追撃に振り上げられた拳が停止している。おそらく、意識を失ったのは余波による短い意識混濁の間だけだろう。
「緊急防衛機構解除。思考キャパシティ確保LoadingLoadingLoadingLoading」
歌うような言葉と共に、腕が下ろされた。
「状況認識。私、ワタシ、僕、俺、某、わたくし。生体回路設定クリア。再起動に成功しました」
眼と眼が合う。かたや黒く暗い瞳。かたや金色の艶かしい瞳。棍を手にしたまま重心を下げていたシェロウの耳に、澄んだ女性の声が届いた。
「おにいちゃん!おきてー!」
オタクでない一般の人間、もとい、少なくともシェロウにはまったく判らないアピールだった。
「・・・ウケませんね。少なくとも眼を覚ましたのはお前だろうという返しを期待していたのですが。修正します。デフラグからディスククリーニングを推奨・・・・・・・・・・・・・・・・・・同時に、敵対行動をとっていない相手への攻撃が記憶野から確認されました。謝罪します」
深く下げられた頭。少なくとも正気に戻ったのかとシェロウが鉄棍を下ろした。
「わたくしの名前はアレシアと申します。初見の無作法、まことに申し訳ありませんでした」
「あ、あぁ」
上がる顔。
「つきましては、股の間にある粗末なものを挿入していただけませんか?」
「・・・修理が必要だな」
シェロウは新たな同居人を前に、思わず嘆息した。


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 欠けた右腕に魔術的な処置を用い、盗掘を続けている遺跡からの出土品、古代の機械腕をシェロウが取り付けた。魔術師でも錬金術師でもないシェロウだが、生業を研究者と定めてきた今までで、盗掘と研究に関する技術を幾つか会得している。魔術であれば、自身の属性と合致する地属性の呪文と生命の文、あとは彼女にも使用したルーンの秘術が一部で、錬金術であれば、幾つかの練成と構築技術。東方の秘術すら使えるとも。
 そんな彼の生活に、アレシアは新たな存在となった。治癒呪文の一種で全身を検査した結果、彼女の頭脳にあたる生体構造に破損があった。行動に支障はなかったものの、先日の会話における言葉の攻撃力は、これが原因と推測できる。生体構造は人間に近い為、食事は人間とも合致する。しかし、機械構造部位や、消化器官を除いたブラックボックス、つまりは未知の領域については、別の燃料が必要であるらしい。
 知識としてはある。山に篭る前、知り合いである錬金術師が酒の席で話していた。
「あぁ、タンパク質だよ。もっと露骨に言えば、男の下半身にある反り返ったビッグアームの先端から発射される白いあれかな」
聞いた時には、彼を病院で検査してもらうか真剣に悩んだ。しかし、変人で変態ではあっても、錬金術師として一流の彼に嘘はなかった。元々は人工受精の一種だったらしいが、現在では自己再生能力の代用で自身の子宮と精液をエネルギーにする分解酵素の両方を生成しているらしい。
 シェロウはどちらかと言えば身持ちの硬い、別の言葉で表現すればチキンな男である。魅力的な女とはいえ、腰を軽々しく前後させる事を良しとしない。経験といえば、愛すべき長耳の彼女が居た頃だけ。ここ数年は山に篭っていた所為もあり、禁欲生活にも慣れてしまっている。
 しかし、アレシアにとっては死活問題なので、そこはまぁ。
「我慢できないと言っているでしょう。こっちは貴方のものが欲しくてウズウズしてんのが解っているはずです」
などと強引にシェロウが押し倒された。でかい胸やら細い腰やらが目の前を蠢き、長い足が腰に絡まり離さなくなる頃には朝となっていた。
「俺で足りるか?」
つい、そう尋ねてしまったシェロウだが。
「・・・殺しますよ」
真っ赤になったアレシアは、シーツに顔を隠した。シェロウも僅かに顔を赤らめると、寝返りをして二度寝を決め込む。
 起きた彼に待っていたのは、シェロウの東方衣装をリメイクしたスカートとシャツ格好で、片時も離れようとしないアレシアとのイチャ×2タイムであった。ツンデレ云々ではなく、もう何かが原因で死ねばいいのにと、錬金術師が居れば怨嗟の呪いを吐きかけたであろう光景。
 楽しい日々の中、季節は冬の深まる年の終わりとなる頃。
 シェロウとアレシアは、ついに地下遺跡最深部へ到着しようとしていた。


 ――――――――――――――――――――――――


 アレシアは探索者としても有能だった。普段ならばシェロウが道具や魔術を使って探査や調査を行うべき状況でも、彼女のセンサ類がカバーしてくれる。内部に封印されていた墓荒らし用の魔物も、彼の鉄棍と攻撃特化魔術に加え、彼女の豪腕と機械腕の砲撃支援や、短距離飛行能力があれば自在に戦えた。
 進行速度は加速する。
 三日に一回、1エリアずつだった探索は、連携の完璧となった冬の終わりには、一回で一層を探索し尽す。
 調査の結果、この遺跡は過去の栄華、太古に等しき時代に存在した王朝初代の王墓であったと判明したが、王の名がアルタイレフと判明して以後、これといった成果はなくなっていた。
 偉大な王として名の刻まれたアルタイレフは、腹心に魔術妃ザードと呼ばれる魔術師が居たらしい。この女が、古き王の偉業を常に支えてあった事が、アレシアによる壁画の解読から読み取れた。今までの成果として得られたもの、銘に『離れぬ声』と彫られた機械腕、片刃の儀礼魔術剣である『ファルターの儀剣』、さらは銀糸で織られたタペストリーである『英王の偉業』、これら全てが、かのザート妃による作品である。その技術の凄まじさは、これまでに相対したガーゴイルや罠からも見てとれる。時の劣化に苛まれぬ強靭な設計と精緻な技術、どちらも発想と努力の賜物だろう。
 それも目の前の扉を最後に終わりだろう。シェロウは開錠呪文と解呪呪文を唱え、アレシアは喉の奥に内蔵された魔石、魔力の蓄積端末から『讃えの響き《オラトリオリフレイン》』を歌う。魔術効果を数倍に引き上げる古代呪文によって、ついには重々しい扉を左右へ押し開いた。
 冷却、封印、不可侵、反射、静寂、絶え間ない旋律。
 どれもが、この場を守る為だけに設置された強大な魔術式によるもの。ただ、平穏を望む願いに、踏み込もうとしたシェロウが足を止めた。
「アレシア」
シェロウの言葉に、アリシアは答えなかった。
「・・・アレシア?」
背後へ振り返るアレシアの動きに、遅れてシェロウも追随した。幾つもの魔術式で気付かなかったが、何かの気配が接近している。
「来ます」
鉄棍を構えるシェロウ。スカートの裾を払い、膝に力を溜めるアレシア。彼等の目の前では、ここまで歩いてきた回廊が、突然の変質を始めている。
 古代魔法『脚本編成《キャスト・リファイン》』の効果。建物や地形を、設計に応じた形へ変形させる失われた魔術。棍を構えたまま、深遠から近付く何かを警戒するシェロウは、震える唇を噛み締めた。
「アレシア、扉を閉じろ。『入れてはいけない何か』かもしれない」
「・・・はい」
盗掘慣れしたシェロウの直感。アレシアは迷いなく従い、持ち前の豪腕で扉を閉じる。重い石英の門が徐々に閉じていき、冷えた空気が消えていく。
 その間にも目の前の変質は続いている。今まで延々と続いていたはずの回廊は、祭壇を奉った神殿を思わすものに変わっていた。
「警告。祭壇付近から魔力反応」
祭事を司る神官は絶世の美女。その微笑みは、生前であれば多くの男を虜としただろう。
「ザードではないな」
「該当情報にヒット。今までに収集したデータから結果から推測、目の前の相手は聖殿婦シャガクジャと思われます」
その言葉に、シェロウが僅かに身体を緊張させる。
「伝説の悪女か」
聖殿婦シャガクジャ。悪名高きその名は、古代宗教に退廃をもたらし、悪魔を殺す女とさえ言われる者である。
古代を収めた聖なる約定に、神官全てを皆殺しにした後、「欲望とシャガクジャこそ全て」と付け加えた日、一夜にして敵国を滅ぼしたと記録されている。彼女もまた、名も無き名君によって滅ぼされてと伝えられていたのだが。
 その名君こそアルタイレフであるらしい。
「封印術式に欠損。おそらく、暴走したガーゴイルのものと推測。現在、彼女は安置された遺体を寄り代に、魔力を行使しているとも推測されます」
「墓にまで王の仕事を持ち帰ったか。頭の下がる思いだ」
シャガクジャの手に、儀礼杖が出現する。生首に蛇の蠢く意匠が禍々しい儀礼杖は、呼吸するより自然に、蓄積した魔術を放出した。
 詠唱もなく飛来する氷の刃。立ち並ぶ柱の影に跳んだシェロウとアレシアは、柱に殺到する衝撃に耐えた。
 出口は無い。おそらくは、シャガクジャを倒さねば『脚本編成』は解けない。倒したとしても、それは、地下遺跡の崩壊を促すだけかもしれない。
 シェロウは鉄棍を背に戻すと、腰の得物を抜く。それはこの遺跡で手に入れた『ファルターの儀剣』であった。
「シェロウ、何をするおつもりで?」
「封印術式の効果そのものは持続している。この場から離れないのがその証拠だ。こちらを襲うのは、精神を殺し、封印術式を壊す人形にしたいからだろう。つまり、多少の無茶をしても殺される事はない」
「ですが」
続く言葉をシェロウの視線が留める。その眼が、今までに見た事のない優しさに細められた時、状況も忘れてアレシアは胸を押さえた。ハートをぶち抜かれた。惚れ直した。
「俺はお前のものだったらしい」
まるで告白のように、否、告白としてシェロウは呟く。
普段と違わぬ自然体。それでも、膝と背中の震えは消えず、強張った掌に『ファルターの儀剣』を握り締めた。
「援護、頼む」
「はい」
ひときわ巨大な氷塊が柱そのものを砕いた瞬間、シェロウは飛び出していた。シャガクジャの目標が彼に定まった
瞬間、砕けた柱の一部が、アレシアによって投擲される。
 呪文による魔術障壁が柱を防ぐ。しかし、超重量による圧力を受け流す一瞬に、間違いなく隙が生まれた。駆けるシェロウは、全身を弾丸としてシャガクジャへ接近する。
 詠唱の無い魔術の行使。シェロウの頭上に氷の雨が降り注いだ。砕けた氷柱から飛び散る飛沫一滴で、周囲は凍り付いていく。シェロウを守るのは隣の石柱を破壊し、それを投擲するアレシア。石柱が盾の役目も果たし、シェロウの頭上で氷を砕いていく。
「木気、火気、以って水気を遮る」
シェロウが唯一持つ奥の手、神通力を用いた仙術。魔術ほど直接的な変化はないが、周囲に漂う水分が減少、相手の気付かぬうち、氷結呪文の効果は減退していく。氷の効果範囲が次第に狭まり、ついには氷が空中で消えた。
 環境によって効果の変動する仙術は、限定された空間に良い方向で作用し、強く働いた。水気はここよりもっと強い場所、背後の王墓が最奥に去っている。
 距離が詰まる。シェロウの殺気と、シャガクジャの恐怖が相対する。掌から放出された風の魔術が、カマイタチを生み出すも、浅く肩を切り裂いただけで終わる。しかし、彼女の目的はもっと別の場所に向けられていた。
 咄嗟にシェロウが振り向く。放たれたカマイタチを媒体に、今度は小規模な竜巻が発生しようとしていた。強化による激化は、柱ごとアリシアへ向かっていた。
「シェロウ、帰ったら抱きしめます」
それはアリシアによる「貴様は終わり」という宣告に等しかった。
 空中へ向け、アリシアの機械腕が展開、外れた肘の奥より、生体ミサイルが発射された。カルシウムで覆われた弾頭の中身は、二種混合式の液化爆薬。
 風の衝撃に反応。巨大な爆発を引き起こす。その爆風がシャガクジャへ届くより早く、シェロウは跳んでいた。
 シャガクジャの引きつった横顔に、『ファルターの儀剣」が突き刺さる。短い詠唱と共に膨れ上がる魔力の奔流が、シャガクジャの全身へ殺到する。
「消えろ」
鹿とは違い、祈りの文句はなかった。指先で剣印を形作り、最後の一滴まで殺意と魔力を注ぎ込む。
その顔が、まったく別の容貌に見えたのは錯覚だろうか。
再び怨嗟のシャガクジャへ貌が戻ると、彼女は二度目の生を燃えつける瞬間まで後悔して果てた。

 ――――――――――――――――――――――――

 全身の弛緩したシェロウを、アレシアが背負っている。周囲では、今にも崩れんばかりに全てが鳴動している。
「置いていけ」
「嫌です。愛してますから」
真っ赤な顔で言い切り、疾走するアレシアは、儀剣の制御に力を使い果たしたシェロウを離さない。青い顔のまま呼吸を荒げるシェロウは、喋る力すら磨耗していく。
 もし、これがシャガクジャの呪いなら、どこまでも執念深い。
 彼らの目の前に落下した岩塊は、さながら丘のように巨大だった。
「邪魔、です」
アレシアが蹴り砕こうとと踵を打ち込む。しかし崩れた場所へ、土砂が流れ込んでいく。
「アレシア」
「嫌です。私は幸せでした。初めての人が、最後まで一緒の人です」
「浮気をするかもしれない」
「貴方を殺します。私も死にます」
「いつかは老いて先に死ぬぞ」
「それまで一緒に居ましょう。それからだってあるかもしれません」
「アレシア」
「嫌です。置いていきません」
「唇借りる」
残った力で顎を動かし、振り向かせたアレシアにシェロウがキスする。血と泥が混じり、それでも口付けは甘いもの
だった。
「嫌です。嫌です。嫌です。嫌です」
降り注ぐ土砂の中、動かなくなったシェロウを背に、アレシアは初めての涙を流していた。
全ては降り注ぐ大地に呑まれ、土煙の中に消えていった。


 ――――――――――――――――――――――――


 大規模な地盤沈下。山から注いだ土砂は、麓にまで及んだ。人はおらず、魔物ですら近付かぬ僻地であれ、近隣の国々から調査団が派遣された。その中に居た老騎士フォンゼン・フォマルハウト団長は、一帯が落ち窪んだ土地を前に、思わず溜め息を吐いた。
「古代の遺跡か」
ウッドロウと呼ばれる樹木の化身である稀少民族の老人は、硬い樹皮に覆われた頬を歪める。崩れた地面から覗く石柱の残骸といい、ここに何かがあったのは事実だろう。しかし、これほど崩れてしまっては、何も掘り出す事はでき
ない。
 盗掘者の失敗か、内部の劣化か。
 専門のギルドに委託すべきと判断したフォンゼンは、その場を立ち去ろうとする。その視界の端に、黒い棒が突き立っていた。
 長く頑健な鉄の棍と思わしきものは、東方の鍛鉄技術が見てとれ、これだけの衝撃の中でも曲がっていなかった。
 
 その棒が動く。

「金気もって木気を砕す」
土砂が爆砕した。咄嗟にフォンゼンは腰の大剣へ手を伸ばしたが、出現した相手に唖然とした。
 泥と岩にまみれた黒髪黒眼の男。おそらく東方の出身だろう。その男が、矮躯に女を担ぎ、平然と土砂から這い出していた。
「故郷で修行して以来だったからな。参った」
どうやら、土に埋まっていたらしい。どんな技によってか、土中からここまで堀り進んできたようだ。
「・・・小屋も潰れたか。惜しい事をした」
背中に固定された鞄の上、動かない女を下ろす。頬どころか、服を脱げば肋骨すら透けて見えるであろう様子ながら、
手足をしっかりと動かし、矮躯の男は再び女を背負った。
 フォンゼンは後に、東方の神秘とこの件を語った。彼等が再会するのは、シェロウが旅を再開して数ヶ月を経てとなる。


 ――――――――――――――――――――――――


 白く清潔な宿屋の一室。座るシェロウは、石版の刻印を修復する。
「いと愛しき者、よ」
初めての出会いと同じく、その言葉と共に眼を覚ましたアレシアは、傷だらけで痩せたシェロウの顔を呆然と見る。
「生きて、る?」
「偶然な」
正確には、脱出直前、落下してきた岩によって救われたのだ。あの岩と柱が組み合い、二人の身を守った。
 それすらも違うのかもしれない。
 彼の横顔に刻まれた細かな傷に、アレシアは古代文字を読み取った。
「王墓の聖域に踏み入らなかった褒美をとらす、そうです」
横顔をアレシアの指先がなぞる。言葉の意味をシェロウが理解するのは、指が離れるより早かった。
「ザード妃か」
「救われたようです」
その時になって思い出す。シャガクジャの使っていた遺体とは、誰の亡骸であったのかと。
短い沈黙。
 躊躇うように空中を泳いだアレシアの手が、シェロウへ伸ばされた。綺麗な顔立ちが真っ赤になる様子に、シェロウは穏やかな気持ちとなった。
 ベッドに座るアレシアをシェロウが抱き締めると、豪腕に似合わぬ繊細な手つきで、シェロウの背をアレシアが抱き返す。
「約束、通りですね」
「あぁ」
しかし、照れに負けたアレシアが離れる。
 気恥ずかしさにベッドに丸くなる彼女の頭を撫で、シェロウは窓から空を見上げた。
 白い空には、珍しく太陽が覗いていた。小屋もなくなった今、南の空もいいだろう。
 これから旅に出た二人は、とある事件を切っ掛けに盗掘屋として勇名を馳せる。しかしそれは別の話である。 
 彼らが幸せになるかは、神すらまだ知らない。


                                                          ――― fin? ―――

09/10/18 11:35更新 / ザイトウ

■作者メッセージ
初投稿作品でした。
まだ文章に誤字脱字が多かったのを覚えています。
もし、面白いと感じた方は、感想を是非にも。
次の作品に反映させていただきやすので。

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