読切小説
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薬師の誤解
極東の日出づる国ジパング。そのさらに辺境の山地に一つの小さな村があった。
お上も奉行所の目も届かない山奥で、一つの社会を形成しているその村はしかし、周りに囲まれた山に住む魔物(主に天狗と呼ばれている者)を慕い、その魔物達も村の人間にやや高圧的な態度をとるという。

そんな世界の果てにある村のさらに果てに一件の薬屋があった。
中は薄暗く、様々な薬品が入った瓶とそれを並べる大きな棚があり、奥へと通じる扉、そして最後に
椅子に座り隈の出来た目で本を睨む青年の姿があった。
「・・・これも読み飽きた」
青年が何十回と読んだ本に対する不満を口にすると同時に
「おい薬屋!急ぎの用事だ!」
店の扉が大きく開き、大柄な男が飛び込んできた。
「なんだ、切開の最中に麻酔でも切れたか」
青年は座ったまま受け答える、急ぎだというのにひどく落ち着いていた。
だが当たり前、どんな薬が注文かすら聞いていないのだから。
「ふざけんな!そんなヤブ医者いたとしても、とうに天狗が連れ去るだろうよ。俺が欲しいのは風邪薬だ、作り置きでいいから急いでくれ!」
ふと、男の言葉に違和感を感じた青年はすぐに男に問う。
「ほう。急ぎの風邪薬とはな、一体どれほど放っておいた?」
「嫁がずっと隠してて今倒れたんだ、さっさと言えば倒れずにすんだだろうに―」
よくある話だ、迷惑を掛けまいと思った挙句、一番相手を慌てさせる結末になる。さらに困ったことにその性格はちょっとやそっとでは直らないのだ。
そんなことを思いながら青年は作り置いた風邪薬を取り男に渡し、値段を告げる。金額を聞いて男はやや渋い顔をしたもののその通りに支払った。
「ありがてえ・・・だがお前さんも感謝するんだな。こんな値でやっていけるのも他に薬屋がないからだぞ」
男が不満の混じった言葉を並べた
「感謝、薬屋を開かない村人全員にか?いや、みな薬では俺に敵わぬと知っているだけだ。ならば俺に知識をくれた師と書物に例を言うほうが合理的だろう」
男は言葉に詰まってしまった。
確かに、薬の知識と技術に関してこの青年の右に出るものはいまい、だからこそ、それを真正面から言われると実に腹立たしいのだった。
「お前さん、いつか痛い目みるぜ」
それだけ言って男は店を出た、青年は扉が閉まる直前に、お大事に、とだけ付け加えた。

数日後
いつものように薬屋の扉が開かれる、だが今回は珍客だった。
「いらっしゃ・・・」
流石の青年も言葉に詰まった。
その客の両腕は黒い翼で、鳥のような足を持ち、頭には見慣れぬ帽子を被った少女だった。
青年は面食らうも、すぐにそれが村人の慕う天狗、つまりは魔物だと理解した。
そして懐から1本の瓶を取り出し、その中身を飲み干した。
「待て、今何を飲んだ」
華奢な体躯に似合わぬ凛々しい声で問う。
「・・・魔物には用のない代物だ。それより俺は魔物の薬については一切首を突っ込んでいない、悪いが帰ってくれないか、効き目の分からん物を売るわけにはいかないんでね。」
青年はキッパリと販売を断った
「人間の作る薬の世話になったことなど1度もない、それより法外な値で商売をする輩がいると聞いたものでな、場所を聞く限りはこの辺なんだが・・・心当たりはないか?」
ジロリと、またも似つかわしくない眼光で青年を睨む。
こんな村の端っこにある店など一件しかないのだから、目的地など明確なのだが。
「知らんな、そもそも法外な値というのは事実なのか?高い値がつくのはそれなりの質を持っているからだろうに。」
青年が答えた、これに対しさらに天狗が問う
「だから少々高くても売れると。なるほど、相当な自信を持っているようだな。だがその質を証明できるか?」
これには青年は即答した、以前男に答えたのと同じ持論で
「店が淘汰されないのがなによりの証明だ。値段に見合ったものがないなら、すぐに安い競争店が現れそちらに客が流れる、だがそんなものは出来た試しがない、誰も超えるどころか並ぶことすら出来ないからだ」
この答えに天狗はやや青年を軽蔑した。
これほどの自信家は見たことがない、きっと評価されるのは薬だけで決して性格は褒められてはいないだろう。
だが青年の持論を覆すことはできず、今は保留にしておくことにした
「いいだろう、今はその値で続けるといい。だがこれからは私が見ているぞ、
薬屋がここ以外にない今、少しでも村人が苦しめばすぐに駆けつけるからな」
天狗はそう言い残して店を出た
「この値を変える気はない。少なくとも今はこれが相場だと思っている」

天狗の忠告からさらに数週間後
青年は山にいた。今年はやけに病人が多く、材料となる薬草の多くを使い果たしてしまったのだ。
無論、自力で栽培できるものは全て栽培しているが、その供給量を上回る需要、さらにはジパングの山特有の環境の中でしか育たない植物が存在するのもまた事実だった。
そんな貴重な植物を取りにくる青年を魔物が見逃すはずがない、すぐさま一人の天狗が青年の目の前に降り立った
「何をしている、人間の立ち入りが許された区画はとうにすぎたぞ!」
黒い腕翼、力強さを感じさせる鉤爪、青年の店に現れたあの天狗の少女だった。
「お前さん、本当に俺を見張っていたのか。」
怪訝な顔して青年が聞く
「そう言ったはずだ、最もあれから値段は変えていないようだがな。だが山に入るとなれば話は別だ、この辺りで採ったものは返してもらおうか」
天狗は強い口調で青年に返還を要求した。
「仕方がない、入り込んだのはこちらだからな。素直に従うとするよ」
青年は籠につめた薬草の一部を渡した、天狗の対応が早いためか、その量は微々たるものだったが。
ふと、思い出したように青年が懐から瓶を取り出し、天狗が店に現れたときと同じように、その中身を飲み干す
それを見た天狗はいよいよ気になってきた。
「やはり気になるな、その瓶の中身なんだ」
私的な好奇心を多分に含めて青年に聞いた。
「言ったはずだ、魔物には関係ない・・・」
「答えろ」
強い口調で青年に言い放つ。
その瞬間この辺りの雰囲気ががらりと変貌した。
風、木々、果ては大地に至るまで緊張し、その矛先が青年に向いている。
答えなければ、どうなるか。その威圧は青年にも簡単に感じられた。
魔物が相手では勝ち目はない、諦めがついた青年は渋々口を開いた
「・・・抗精の薬、人間の体内にある精を極限まで減らすものだ、飲めば三日は性欲が消える」
天狗は驚愕した、確かに魔物からすればこれ以上無価値なものはない。
何よりそんなものを軽々しく飲める青年に異常さを感じた
「それだけじゃない、魔物にも全く狙われなくなる。これにどれほど助けられたことか」
その答えを聞いて天狗は一つの結論に達した。
「・・・西の国には魔物を敵とする組織があると聞く。そんな薬を持ち歩いているということはその組織に属する者か?」
天狗は青年を強く警戒した。
この山は魔物の城といっても過言ではない、もし青年がそのような人間なら、この上ない危険人物だ。
「ああ、教団ね。別にそんなものに入っちゃいないが、まあ、連中の考えも理解できなくはないな。俺もお前さんみたいなのは大嫌いでね」
天狗が警戒心を高める。やや青年と距離を置き半ば臨戦態勢に入っている。
その様子を見た青年は口の端を歪めて言った
「・・・一つ、面白い話をしようか」

その静かな城下町に、普段は鳴らされない濃い赤色の鐘の音が響き渡った
どの家からも大荷物を抱えた人が飛び出し、我先にと町の入り口の門を目指し走っていく。
「お母さんどうしたの、あの鐘いつもならないのに」
その中に紛れた幼子が、その手を引く母親に尋ねる
「魔物が攻めてきたのよ!早くここを離れないと魔物の兵に食べられてしまうわ!あなた忘れ物はないわよね!」
母親が荷物を担ぐ夫に聞いた
「持ち出せる者は全て持ち出した!極論を言えばこの三人の命だけでいいんだがな・・・っ!まずい、サキュバスだ!!」
大通りを抜ける家族の目の前に羽と尻尾を生やした女性の魔物が現れた。
その悪魔は家族を一通り見定めると夫婦の前に着地した。
「あら、家族水入らずのところごめんなさいね、でも人間の妻なんて時代遅れねえ」
言い終わるや否や悪魔は母親の唇を奪った
「ぐっ・・・うう・・・うあああ!」
母親が苦悶の声を上げた、それを聞いた夫はすぐさま悪魔に掴みかかろうとする。
「てめえ何を!」
しかし悪魔が飛び立ちその両腕はむなしく空を切った
「あらあら浮気はダメよ。そんな美人の奥さんがいるじゃないの、たっぷりお相手してあげてね」
そのまま悪魔は城の方へと飛び去ってしまった
「お母さん大丈夫!?」
「そうだ!おい、どこだ、どこが苦しい!?」
夫と子供は母親を見て安否を確かめる。
母親のうめき声が収まったかと思えば、その顔は淫靡さに満ちていた。
さらに小さな羽と尻尾も見受けられ、あの悪魔と瓜二つであった
「どこも苦しくないわ。でもね、すごく物足りないの・・・」
あろうことか母親は戦火の中で服を脱ぎ始めた。
自分が脱ぎ終わると、今度は夫を押し倒し夫の服を破り捨てる。
しかもその力は夫では払いのけられない程に強かった
「あの悪魔のせいか・・・!離せ!目を覚ませ!!」
「お・・・お母さん?何をしてるの?早く逃げようよ!食べられちゃうんでしょ!!」
母親はわが子の声に振り向いた、しかしその答えは幼子の予想とはかけ離れていた。
「いいえ、もう逃げる必要はないわ。食べられてしまったんですもの、ねえあなた・・・?」
母親は夫を見つめなおして問いかける。
すると夫の威勢は跡形もなく消え去り、あとに残ったのは美しい女性に見惚れる純粋な男の表情だった。
いつの間にか母親と夫の体が重なり、夫が母親に答える。
「そう・・・だな・・・。食べられたんだ、もう逃げなくていい、お前とここにいることにしよう、永遠に」
夫の回答までもが幼子の期待を裏切った、まだ逃げ出さんとする自分を助ける存在は、もうどこにもいなくなってしまった。
途方に暮れる幼子に、魔物と化した母親が助け舟を出す。
「あなたも逃げなくていいのよ、私はお父さんとずっとここにいるわ。あなたもいい人を見つけなさい。」
しかし罠だらけの船に乗るほど、幼子は愚かではなかった
「や、やだ・・・逃げようよ、お父さん!お母さん!周りの人はみんな・・・」
そう言って周りを見渡すと、さらに異常な光景が広がっていた。
どこもかしこも、桃色の悪魔が男を押し倒して悦んでいる。
それが何を意味するのか、魔物が攻めてきたというのに、なぜそんなに嬉しそうなのか、魔物の知識を一切持たぬ幼子は何一つ理解できなかった。
「どうして、みんな逃げてないの?戦争なのに、なんでみんな笑ってるの・・・?」
未知は最大の恐怖、その恐怖から逃れるため、幼子は逃げた。
逃げて逃げて、逃げ続けて・・・

「世界の一番端っこまで逃げ続けましたとさ」
その言葉を最後に青年は語りをやめた。
天狗は青年の話を顔を強張らせながら聞いていた。
「そんな・・・町を乗っ取るなんて、魔物の中にそんな奴らが・・・」
自らの仲間のあまりに品のない行いに、天狗はやや絶望しかけた。
「魔物ってのはそんなもんだ。無理矢理襲い掛かって、相手が自分を気に入らなければ、心を改竄してまで・・・」
手に持った瓶を握り締め、歯を食いしばる。
「魔物が存在する限り!人間は永遠にそいつに虐げられて・・・」
「違う!」
天狗が一際大きな声を上げる、青年はその声で山そのものが震えた気がした。
「あの村に住んでいながら、何も知らないのか?あの村の男はほとんど・・・」
「魔物を妻にしているとでも言うのか。バカバカしい、あいつらはみな幸せそうにしている。俺の親父のように堕落に満ちた目はしていない!」
流石の天狗も怒りが湧いてきた、どうやらこの青年は未だに何も知らぬらしい。
もはや放ってはおけない。
このままあの村にいたら、村に魔物がいると知ったときにどんな行動を起こすか分からない。
「一緒に来い薬屋」
天狗は飛翔し、薬屋の方を強く掴み村の方へ飛んで行った
「この・・・離せハーピー!何を企んでる!」
「真実を見せてやる、その捻じ曲がった知識を叩きなおしに行くんだ」
素晴らしい飛行能力、青年を掴んでいるというのにあっという間に村の上空へ場所が移る
そこから村を見渡すと、一件の民家の前に着地した。
天狗は翼で民家の扉を叩く、中から女性の声が聞こえた
「なんだ?どこに連れてきた」
青年が問いただす。天狗は案の定といった感じに答えた。
「狭い村だというのに、客の家も知らんのか。」
扉が開かれると、そこには白蛇が立っていた。
白髪に白い巫女服、なにからなにまで白一色であった
「あら、天狗様ではないですか。今日は何か御用ですか?」
静かな落ち着いた声で来客を迎えるその姿は、かつて青年が目にした魔物とは程遠いものだった。
しかし青年は天狗を睨みつけながら文句を言った
「ふざけるな、俺は魔物の薬など作っていないと言っただろう」
その青年の言葉に今度は白蛇が反応した。
「薬・・・まあ、薬屋さんでしたの?それはそれは、あのときは助かりました。私が隠したりしたばっかりに・・・そういえば、お目にかかるのは初めてですね」
心からの感謝をその美しい顔に惜しむことなく表し、青年にお礼を言う。
その白蛇の言葉に青年はひどく驚いた。
「隠した・・・じゃあ前に風邪薬を買いに来たのは・・・」
「ええ、私の夫です。ああ、今お呼びしますね」
そう言って白蛇は家の中に入っていった。しばらくすると見覚えのある大柄な男が青年の前に現れた。
「なんだ薬屋じゃねえか、あのときは助かったぜ。だが金は払ったはずだ、それに今見たとおり嫁は元気そのものだよ、悪いが当分お前さんに用はねえな」
青年は自分の住む村に魔物がいたことに驚くばかりで、男の言うことはまるで耳に入っていなかった。
そんな青年の横に目を向けると隣にいる天狗に気がついた。
「うわっ、天狗様!?おいおい、俺らなんにもやらかしちゃいねえぜ!夫婦二人で仲良く元気に暮らしてるだけだ」
男が言うとおり妻の白蛇だけでなく、この男も実に健康そのものに見える。
その言葉を聞いて天狗は邪魔をしすぎたと気付く。
「すまない、この薬屋にどうしても見せたいものがあってな。だがこいつも思い知ったようだ、邪魔をして悪かった。失礼する。」
天狗は青年の肩を掴み飛翔する、そして青年の薬屋までくるとその店の前に着地し、青年と共に店の中に入った。
青年はというと、先ほどからほぼ放心状態である。
自分のいた場所とこことで、あまりに違いすぎる魔物と人間の関係。
魔物の侵攻に故郷を追われた青年にとっては理解しがたい現状だった。
「分かっただろう、この村の妻はほとんどが魔物だ。それも全てが幸せに暮らしている。こんな治安のいい村もそうそうあるまい。」
「だが、現に俺は魔物に故郷を追われた!あの悪魔が母さんを魔物に変えていなければ、父さんも堕落することなくどこかで家族と共に暮らせていたのに!」
青年の言葉に天狗は俯いた。
彼の言うことは紛れもない事実なのだろう、しかし魔物に対する恨みだけは彼から取り除かなければない・・・自分のためにも
しばしの沈黙が流れ、ようやく天狗が言葉を発した
「・・・確かにそうかもしれない、でもこれだけは理解して欲しい。魔物は絶対に人間を嫌ったり見下してるわけじゃない。むしろその逆だ。人間を愛しているからこそ、少し強引な手段に出るだけなんだ。それにあの夫婦だけじゃない、この村に住む者は皆堕落などしていない。貴方の父親のようなことには誰一人なってないんだ!」
今度は青年が口を噤んだ。
現にあの夫婦は幸せそうだった。どちらか一方だけが元気ということは一切なかった。二人とも生き生きとしていた。
「間違ってたのか・・・?俺の知識は・・・なにもかもが」
西の国からどれだけ逃れても、過去からは逃げられなかった。
過去の知識に従い魔物を避け、人すらも避け続けた結果、青年は多くの時間を一人で過ごしてしまった。
だが一人の天狗が、その過ちを正してくれた。
「礼を言う・・・これからは魔物の薬も考えてみることにしよう」
青年は1冊の本を手に薬棚へ向かう。だがその前に青年の顔は天狗によって固定された。
「いや、今日はもう店じまいだ」
「おいなにする・・・っ!」
その先は続けられなかった、天狗が自らの唇で青年の口を塞いだからだ。
二人はそのままの状態を維持し、数十秒後にようやく天狗が離れた。
魔物の口付けをまともに受けた青年の身体からは、その耐性のなさも相俟って飲んだはずの薬が瞬く間に抜けてしまった。
赤い顔をした天狗が、青年の顔を覗き込む。
「よかった・・・受け入れてくれた・・・」
小声で少女が呟く。目は若干に潤んでいるも、顔は笑みで満たされていた。
初めて見たこの笑顔、青年は少女にやさしく囁いた。
「分かった、札をかけてくる」
青年は立ち上がると店先に閉店と書かれた札を出した。それから戻って少女の黒い翼を手に取る。
青年と少女は共に奥に通じる扉をくぐると、お互いの服に手をかけあった。


「そういえば、貴方の名を聞いていなかった」
「・・・俺の名は―」

終幕
13/06/08 18:01更新 / fvo

■作者メッセージ
かんがえてなかった

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