読切小説
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白衣の天使
暗黒魔界ペルセンプレ グレイリア・サバト暗黒魔界ペルセンプレ支部前

ドキッ…ドキッ…ドキッ…。

「1」「2」「5」……

心臓がうるさいくらいに鳴っている。大丈夫…なはず……だってしっかり勉強したもん。魔法教養学・専門医療魔法学の筆記試験は今までで一番できたと思うし…。

「9」「13」「14」……

魔法の実技試験は……う、うん。実技試験はあんまりできなくてもサバトに入ってからしっかり訓練するから大丈夫らしいし、す、少し失敗しちゃったけど多めに見てくれるはず!

「20」「24」「25」……

面接は……あ、あれは仕方ないよ!「傷ついた男性の患者さんを救うためにその患者さんと長時間肌を重ね合わすことが出来ますか?」って…そ、想像しただけで恥ずかしくて頭の中真っ白になっちゃって…何て答えたのかすら覚えてないんだよなぁ……。うー、面接の前に「必勝!医療サバト面接100選」で対策はしっかりしてたのに……

「28」「35」「39」……

私は、手元に握りしめられた受験票を見る。「【グレイリア・サバト 暗黒魔界ペルセンプレ支部 加入試験票】【受験者名:ビアンコ】【受験番号:43】」私は、恐る恐る自分の受験番号が掲示されているであろう合格者発表掲示板を見る。

「41」「48」「51」 以上合格者15名

「今回も……だめだったかぁ……」

私は、泣きそうになるのをなんとか堪えながら合格者発表会場を後にする。何で私はこんなに出来が悪いんだろう……。私のお母さまは古式魔法の使い手でシロクトー・サバトに加盟している魔女である。なんでも暗黒魔界ペルセンプレ周辺国家の支部長を任されているそうだ。そしてお父様も強力な魔法を操る元主神教会の勇者である。トンビが鷹を産むって言うけど……竜が芋虫を産むこともあるのかな……。

「うっ……ぐすっ…だ、だめ、強い魔女は試験に落ちたくらいで泣かないもん」

自宅までの帰り道、その道のりの中で頭の中が自分を否定する言葉でいっぱいになる。その言葉はそのまま自分の目から今にも溢れ出そうとしていた。道行く魔物娘のお姉さんが心配そうな顔で私を見ている。もし、私がお姉さんやお兄さんに素直に頼ることができる魔女であればそういった心配の目は心強いものであったかもしれないが不器用な私には周囲の皆を心配させてしまている事に対する罪悪感を膨らませるだけであった。

「お嬢ちゃん大丈夫? お姉さん美味しいお菓子のお店知ってるから一緒に食べに行かない?」

遂に見かねたサキュバスのお姉さんが私に声をかけてきてくれた。「ありがとう。お願いします」私はそう伝えようと思った。でも、不器用な私の口から出てきた言葉は……

「っ、心配かけてごめんなさい。 1人で大丈夫ですっ!」

私は親切なお姉さんにそうとだけ伝えるとその場から逃げるように駆けだした。

――――――――――――――――――――
暗黒魔界ペルセンプレ 中央部 路地裏

「ひぐっ…ぐすっ……お姉さんにひどい事言っちゃった。勉強もできない、素直にもなれない、やっぱり私みたいなのが1人前の魔女になるのなんて無理なんだ」

親切なお姉さんから逃げた私は1人、人気のない路地裏でうずくまって泣いていた。
お母さまやお父様は、魔女でありながらいまだに特定のサバトに加入していない私に「焦らなくても自分のペースでいい」と言ってくれている。でも、私と同年代の魔女たちが様々なサバトに加入し、実績を残していたり……大切なお兄ちゃんを見つけていたりすることを知っている私は急がなくちゃいけないと焦りを感じているのだ。少なくともいいサバトに入らなくちゃいけない。そうすれば、こんな私でも認めて大切にしてくれるお兄ちゃんに出会えるはずだから…。

「頑張らなくちゃ……、いいサバトに入って……、いいお兄ちゃんを見つけて……、人並みの幸せを手に入れるんだ」

「勉強を頑張って、いい教育機関に入って、いい仕事先を見つけても必ずしも幸せになれるわけでははいぞ。そこんとこちゃんと理解しといた方がいいと思うぞ」

「えっ!?」

1人で悩みこんでいた私は、私の口から洩れた独り言に返答があったことに驚き顔を挙げるとうずくまっている私のことを興味深そうに眺めている全身黒ずくめのお兄さんと目が合った。

「だっ、だれですか?」

「俺は、……旅の薬師のネグロだ。お嬢さんは?」

「あっ、えっと、魔女のビアンコっていいます」

「そうか」

私は突然のことにかなり慌てた。なんたって1人で泣いていたらいつの間にか目の前にお兄さんがいたのだ。しかも、お兄さん、薬師のネグロさんから放たれている魔力やにおいで分かったけど、このお兄さん未婚者で特定のお相手もいないようだ。暗黒魔界ではかなり珍しいフリーの男性である。ちなみに私は初めてフリーの男性と会った。
初めての、フリーの男性とどう話していいか分からずもごもごしているとネグロさんから話を続けてきた。

「で、話は戻るけど自分の進む先はちゃんと考えておいた方がいいぞ。自分のやりたいことや適正を考えずにただいい教育機関、いい仕事先を選んでいると……後悔することがあるからな」

「?」

どういうことだろう。色々な選択肢の中で、一番いいものを選ぶのは当然なような気がするけど……でも、ネグロさんのどこか後悔しているような顔を見ているとそうとは言い出せずただ首をかしげることが精いっぱいの返答だった。

「うーん、お嬢さんにどういったら分かり易いかねぇ。そうだなぁー、お嬢さんが今入りたいサバトってどこなんだ?」

「えっと…グレイリア・サバト 暗黒魔界ペルセンプレ支部…です」

「ふむふむ、じゃぁなんでそのサバトに入りたいんだ」

「それはえっと…」

私は、「必勝!医療サバト面接100選」で覚えた正解文を思い出す。

「こ、困っている人や傷ついた方の助けになりたいからです」

「お嬢ちゃん目が泳ぎまくってんぞ。それ、嘘だろ。本当の理由はなんなんだ」

「なっ、バレちゃった!?」

ネグロさんは読心の魔法でも使えるのだろうか。そして、私の目をしっかりと見つめるネグロさんに別の嘘をつく気にもなれず私の本音を告げることにする。

「グレイリア・サバトなら、その、私みたいな出来の悪いうじうじした魔女でも受け入れてくれるお兄ちゃんが見つかるかなって……」

「そうか……」

「ううっ、やっぱりこんな不純な考えでグレイリア・サバトに加入しようとする私なんてどうしようもない悪いやつなんだ」

「まぁ、不誠実ではあるだろうなぁ…。でも幸運なことにグレイリア・サバトはお嬢ちゃんの加入を断ってんだろ。それじゃぁセーフ、セーフ」

「試験に落ちるのが幸福なことなんですか?」

「あぁ、俺の調査資料によるとグレイリア・サバトっていうのは患者を救う確固たる意志を持つ者や深い奉仕精神を宿した者が加入できるサバトだろ。それなら、当然そのサバトの構成員はそういった考え方の人や魔物娘ばっかりになるわけだ。お嬢ちゃんはそんななかで上手くやっていける自信があんのか?」

「そ、それは……」

私は想像する。グレイリア・サバトに加入し白き制服を纏った自分の姿を。そして、同じ制服に身を包んだサバトの仲間たちを。恥ずかしさなどをものともせず治療を必要とする方に献身的な治療を行う仲間たち。動くことが出来ずにその様子をただ見ている自分。これが私の望む未来なのだろうか…。

「ふぇ!?」

私は、頭に加えられた感触により哀しい未来予想図から引き戻される。なんとネグロさんが私の頭を撫でているのだ。

「あっ、その、えっと」

「あー悪い、悪い。あまりにも思いつめた顔してるから心配になってな。そこまで心配させる気はなかったんだが」

「いえ、その! 私も、自分の将来のことなのにしっかり考えていなかったっていうか。 えっと…」

すでにネグロさんは私を撫でるのを止めてしまったが、私の体は今までにないくらい熱くなっていた。きっと、私の顔は今トマトの様に真っ赤になっているのではないだろうか。

「うーん。何となく声をかけただけだったが、余計困らせてしまったみたいだな。そうだなぁ、お詫びに俺のとっておきでも教えてやるか」

「と、とっておき!?」

「あぁ、俺の職業や薬師だと言ったが実は多少魔法も使えてな。お嬢ちゃんの魔力の流れを見ていて分かったんだがお嬢ちゃんまだ実際には魔法ほとんど使えんだろ」

「それもバレてた!?」

「だから、お嬢ちゃんに少しでも魔法を発動させるコツ? みたいなのを感じてもらおうと思ってな。魔物娘、その中でも魔女なんて保有する魔力量的には桁外れに多いんだ。魔法を使うコツさせ掴めば後は楽にできるだろ。 じゃ、少し目を閉じててくれ。ゆっくり60秒数えたら目を開けてもいいぞ」

私は、目を閉じあまりの暑さにほとんど働いていない頭で考える。魔法の使いかたのコツってもしかして、そ、その男女のあれで、魔力を循環させる感じで、キ、キスとかされちゃったりして…

“シャリン”

ん?何か首にかけられたような気がした。そして、手に何かを握らされる。……な、なんだキスとかではなかったんだ。と、当然だよね、私みたいな魔女を気に掛けてくれるだけでとても親切なお兄さんなんだ。それ以上を勝手に期待しても駄目だよね。でもそれじゃぁいったい何なんだろう。……もう60秒たったかな。

私は目を開けた。目の前にはもうネグロさんはいなかった。
そして私の首には、小さな十字架があしらわれたネックレスがかけられている。
手の中の紙を開いてみる。簡素な手紙のようだ。

『回復の奇跡 聖なる主神様に祈ることで対象を癒すことができる魔法。
主神様の否定がルーツにある魔女のお嬢ちゃんが使えるかどうかは微妙だが、その聖別された十字架を使えばもしかしたら使えるかもしれないし役立ててくれ。



P.S.
3日以内に暗黒魔界ペルセンプレから、大切な家族とかを連れて逃げ出せ。』

そっか……暗黒魔界にフリーの男性がいる。それはとても珍しいことだ。だって、未婚の男性だと分かると伴侶が欲しくてたまらない積極的な魔物娘が襲って自分の物にしてしまうから。そもそも空気中にただよう魔物の魔力でインキュバスに変わってしまうし。じゃぁなんでネグロさんは私に合うまで無事でいれたんだろう。ねぇ、ネグロさん……あなたはその仕事を選んで今幸せなんでしょうか

――――――――――――――――――――
暗黒魔界ペルセンプレ サラン湖

暗黒魔界ペルセンプレの水瓶であるサラン湖は中心部から少し離れた高地に位置している。
昔は水生の魔物が多く生息していたが、都市が発展し多くの魔物娘がそちらに移住してからは人気もほとんどなくなっている。
魔界の赤き月が湖面を照らす中、黒ずくめの3人組が湖畔に集まっていた。

「ペルセンプレの都市内の上下水道、排水設備また緊急警報装置等の確認終了。計画実行に問題無しと推定」

はじめに3人の中で一番背の低い男が口を開く。その顔は無表情そのものであり一切の感情を読み取ることはできない。

「あー、こっちは魔物の生活の調査とイベント等の確認を行った。確かに班長の言う通り今日から4日後に町で収穫祭が行われるようだ。それも町中の魔物娘が参加するような大規模な…な」

2人目に口を開いたのは、どこか軽い感じのする男だ。報告も少しめんどくさそうである。

「うむ。ワシはサラン湖とその周辺の地質や地形の調査を行った。教会本部の調査と若干のズレはあるが計画に支障はなかろう」

最後に口を開いたのは、黒ずくめの衣装から洩れる白髭の目立つ老人である。どうやらこの一団のリーダーであるようだ。

「で、班長さんよ。問題ないなら4日後に計画実行でいいのか。1日真面目に働いたら疲れたんだが」

「そうじゃのぉ、チャルニ。下水や排水設備、それに警報器、使い物にならなくさせる工作は何日でいけそうかのぉ」

チャルニと呼ばれた無表情の男は答える。

「下水や河川は時限式の爆薬で直前に物理的に塞ぐ。魔法をエネルギーとしている魔導機である排水装置と警報器は、事前に高出力の魔力照射で動作を狂わせる。2日あれば1人ですべて完了する」

「ふむふむ。ネグロよ、4日後の収穫祭のメイン会場は突き止められたかの?」

ネグロと呼ばれためんどくさそうな男は班長の良いに答える。

「メイン会場はC-3地区だと。お誂え向きに町の中でも低くなってる場所だ。まぁ、メイン会場で実施していることを、周りの高台からでも皆が見えるようにするっていう配慮だろうねぇ」

「逃げ道となりえる高台への道は……」

「破壊工作する必要性もねぇだろ。会場から高台に行くにはメインストリートを通る遠回りのルートか道幅が狭く階段も急な小道しかない、とてもじゃないが混乱状態でまともに使えるもんじゃねぇよ。それどころか、わずかな逃げ道に人が密集して圧死するやつもでると思うぜ」

「僅かな救いの光をも、大量殺戮の道具に変えるか……さすがは高名な工作員様だ。このワシも安心して老後を迎えられそうじゃわい」

「ふん、殺しの聖典と呼ばれたヘイソォ様が言っても説得感がねぇな。まだ、殺したりねぇんだろ。……町一つ更地にするためにサラン湖を爆破して、洪水を人為的に起こし町人を殺すなんてまともな頭してたら考えつかねぇもんな」

ヘイソォと呼ばれた老人は、目を怪しく光らせ笑う。

「ふぉふぉふぉっ、さぁてどうじゃか。魔界では自然現象さえも魔物の有利に動く。上水道に猛毒を流そうが効果はなしさ。じゃが、高い位置にある水が勢いよく低い位置に流れるという基本的な物理現象までは捻じ曲げられまい。必要だから考え付いただけじゃよ。……では、各自準備を進めよ。4日後には聖典に期されたノアの洪水が悪しき者どもを洗い流し汚れたペルセンプレを浄化するであろう」

「御意」「りょーかい」

チャルニは、辺りの暗がりに溶けるように消えてしまう。ネグロもそれに続き消えようとするとヘイソォが呼び止める。

「ネグロ、火遊びはほどほどに…な」

「……分かってるよ」

それだけを言うと共に赤き月の夜の闇に書き消えた。

――――――――――――――――――――
暗黒魔界ペルセンプレ ルーニャ・ルーニャ・サバト暗黒魔界ペルセンプレ支部

「失礼しまーす」

私は、恐る恐る扉を開ける。ここは、ルーニャ・ルーニャ・サバト暗黒魔界ペルセンプレ支部、ペルセンプレ図書館の名称で町の皆から親しまれている。もっとも、私は初めて来たけど。

「いらっしゃい。調べものですか……あ、魔女さんですしサバトへの参加希望ですかね」

私に気が付いた、ラタトスクの司書さんが私に声をかける。ううぅ……やっぱりどこのサバトへも所属していない魔女がやってきたらそう思うよね。でも、ここに来たのは別の理由があって……えっと、早く伝えないと……

「えっと…その」

「? 緊張なさらなくても大丈夫ですよ。皆さんサバトに初めて入会されるときは緊張するものです。次回の黒ミサの日程をお調べしますね」

「あ、あのっ…」

「あっ、服のサイズとか分かりますか? 初回の黒ミサの時から制服で来ていただきたいのでー」

ううっ……やっぱり私は図書館で調べものすることさえできないんだ。……でも、ネグロさんの顔が思い出される。私に大切なことを伝えようとして…そしてどこか寂しげで危ういお兄さんのことを…勇気を…ださなくちゃ…

「そのっ! 指名手配犯の名簿を観覧させてくだしゃいっ!」

やった、ちゃんと伝えれた……いきなり大きな声を出したせいで図書館中から注目が集まってしまったけど…
ラタトスクの司書さんは目をぱちくりされると目の前の少女の目的がサバトへの参加ではないことにやっと気が付いたのだろう。

「あっ、ごめんなさい。図書館の利用者さんだったんですね」

「紛らわしくてすみません……」

「いえいえ、こちらこそ…」

さて、そんなこんなで第一関門をクリアした私は、勇者や指名手配犯の情報が集められている棚までラタトスクの司書さんの案内の元たどり着くことが出来た。

「それでは、存分に気になるお兄ちゃ……、ごほん、捕まえなきゃいけない方々のことを調べてくださいね」

「ありがとうございます」

私は、さっそく名簿を使って探し始める。……でもなんで、勇者や指名手配犯をまとめている書籍なのにその人の好きなタイプとか好きな食べ物が書いてあるんだろうか。近くの席では、フェアリーとリャナンシーの2人が指名手配犯のファイルを見ながら「この人かっこいいねー」「それに優しそー」などと言っているが…気にするのはやめよう。

ネグロさん……ネグロさん……

私は、名簿の文字を指で辿る……

「あ、あった」

そして私は探していたものを見つけた。
震える指でそれが記載されているページをめくる。

「指名手配犯 ネグロ・トランパ」
主神教団が秘密裏に組織している裏部隊の中でも破壊工作を専門としている分隊に属する勇者。主神教団が表立ってやることができないような、人間の反対勢力の排除やあまりに残虐で一般市民の理解が得にくい魔物の抹殺策戦の実行等に加担している。
現在では、『殺しの聖典』と呼ばれるヘイソォと、同じく工作員であるチャルニ・カニスムの3人組で行動していると推定される。表立って魔物娘と戦う勇者と違って自分たちの関与をほとんど残さない為、捕獲の糸口すらつかめていない状態である。非常に危険な人間であるので発見の際は一人で行動せずに、最寄りの魔王軍の詰め所に連絡をお願いします。


驚かなかった……と言えば嘘になる。私の頭を優しく撫でてくれた手は、多くの血を流す工作活動で使われた手だったのであろうか…。どこか抜けていて、それでいて私の事を心配してくれていたネグロさんが工作活動に加担している姿はとても想像することが出来なかった。

私はどうしたらいい?

「非常に危険な人間であるので発見の際は一人で行動せずに、最寄りの魔王軍の詰め所に連絡をお願いします。」
そうだ、プロの工作員がこの町を狙っているんだ、早く皆に伝えないといけない。
……わたしは胸元に手を当てる。服で隠れて見えないがそこには主神の十字架が輝いている。ネグロさんから貰ったネックレスだ。
でも、それって裏切り行為になるんじゃないかな……。

考える。

ネグロさんのことを魔王軍の詰め所に連絡した未来を。
街の皆に被害は出ない。そして、魔王軍の先鋭に捕まり冒されるネグロさんの姿。指名手配犯であれば多少の荒っぽい性行為も認められている(もっともそこに愛はちゃんとあるのだが)。きっと無事では済まないだろう。

このことを誰にも伝えなかった未来を。
町に住む多くの人がケガをするだろう。死んでしまう人だってでるかもしれない。大切な人のことで悲しむ人だってたくさんいるだろう。そしてその様子を遠くから眺める3人組。その中の1人であるネグロさんの顔は……

そうだ…悩む必要なんてないじゃないか。
私がやりたいようにやればいいんだ。
だって私は……悪い魔女だから。

――――――――――――――――――――
暗黒魔界ペルセンプレ 中央広場

 収穫祭当日、祭りのメイン会場である中央広間は様々な魔界産の収穫物で色とりどりに彩られている。所せましと並んだ屋台では、魔界産の収穫物やそれらで作った美味しい料理が売られていて、そのおいしさと料理の効果でその場で愛の営みを始めてしまっている夫婦もチラホラ見られた。

 「今年も何事もなく収穫祭が迎えられてよかったねぇー」
 「でも、なんか警報用のスピーカーとか大雨の時用の排水装置とかの魔導機器の調子が悪いみたいで保守を担当してるグレムリンさん達はお祭り返上で復旧作業にあたってるみたいだよー」
「大変だねー。明日にすればいいのにー」
「いやでも、『ここまでの異常動作見たことがねぇ、いいぜ燃えてきた、完璧に直してやんよ』みたいな感じで職人の心に火が付いたのか嬉々として作業に当たってるみたいですよー」
「魔物も色々だねー」

綿あめを食べながらフェアリーとリャナンシーの2人も話に花を咲かしている。
そしてそんな様子を屋根の上から確認する黒ずくめの男が3人いた。

「大方の魔導機器は、超高出力の魔力照射で動作不良を誘発済み。たとえ機械いじりの天才であるグレムリンでも修理に3日はかかる。修理できるものならしてみればいい」
「チャルニ…お前、案外自分の専門分野では熱くなるタイプなのな」

街に仕掛けた盗聴器からグレムリンが全力で魔導機器の復旧作業に臨んでいるという情報をつかみチャルニはほんの僅かに笑っていた。その様を珍しそうにネグロは見ている。

「さて、そろそろじゃなぁ。町の収穫祭も盛り上がってきたようじゃし、策戦のスタートといくかのう」

目を怪しく光らせたヘイソォは、自慢の白髭を撫でながら宙に魔法陣を描く。事前に仕込んだ魔法を発動するために使う魔法陣だ。

「こちらも準備完了」

チャルニは取り出したスイッチを用意する。

「これ使うのしんどいんだけどなぁ……」
ネグロは懐から聖別された十字架を取り出し、宙に印を描く。古式魔法のスペルブレイクとよく似た、しかし明確に違う複雑な印だ。

「さぁて、魔物ども。地獄の始まりじゃ。せいぜいあがいてこのワシを楽しませてくれよ」

3人それぞれが準備を完成させる。
その瞬間、暗黒魔界ペルセンプレに激しい爆音が轟いた。


――――――――――――――――――――
暗黒魔界ペルセンプレ サラン湖

サラン湖の土手に仕掛けられたヘイソォの遠隔式の爆発魔法が発動する。それにより、土手は消し飛び、サラン湖に蓄えられた大量の水が勢いよく放出される。土砂を含んだ濁流は意識を持った巨大な蛇のようにペルセンプレの町を目指す。『殺しの聖典』と呼ばれるヘイソォにとって地質や地形を把握することで濁流を意のままに操ることは造作もないことなのだ。

――――――――――――――――――――
暗黒魔界ペルセンプレ 地下下水道

突然響いた轟音に、バブルスライムやラージマウスが何事かと住処から慌てて出てくる。「これは……やばいなぁ」そこに集まった魔物娘たちはそうつぶやくしかなかった。暗黒魔界ペルセンプレの排水を担う最も大きな下水道が爆発し崩落した瓦礫でふさがれてしまったのだ。「雨…降らなきゃいいけど」そんなことを考える地下の住民に迫りくる濁流という絶望はまだ知られてはいない。

――――――――――――――――――――
暗黒魔界ペルセンプレ 安全対策本部

「緊急事態!緊急事態!」
ペルセンプレの町の高台に設置された安全対策本部に険しい声が響く。
塔の上で周囲の様子を見ていたサキュバスの職員がサラン湖の決壊と迫りくる濁流に気が付いたのだ。
「さきほどの爆発でサラン湖が決壊した模様!濁流が町に迫っています。ただちに住民に避難指示を!」

その声に、複雑な魔導機器をいじっているグレムリンの集団が答える。
「うっせぇ! まだ、警報用のアラームもスピーカーも治水装置も治ってねぇんだよ! あんたらサキュバスの羽は何のためにあんだよ。 とっとと自分の口で避難指示だしてこいやぁ!」

「そ、そうでした。昨日くらいから魔導機器の調子が良くないんでした。 で、ではひとっ走り、いやひっ飛び行ってきます!」

羽をはばたかせ飛んでいこうとしたサキュバス……彼女を更なる驚きが襲う。

「って……えっ?」

飛ぼうとした彼女はそのまま前のめりに床に倒れこんでしまったのだ。

「てめぇ、こんな時になに遊んでやがる!」

「い、いや、飛ぼうとしたのに飛べなかったんですよぉ。と、とにかく走って行ってきます!」

――――――――――――――――――――
暗黒魔界ペルセンプレ 中央広場

広場は混乱に包まれていた。
逃げ惑う人々、錯綜する情報、飛翔能力を失って困惑する魔物達……まさに地獄絵図だった。

そしてそれを屋根の上から高みの見物を決め込む3人。
「古式魔法のスペルブレイクと神聖魔法の魔を滅ぼす呪文を複雑に組み合わせることで、魔物の持つ魔力を雲散霧消させる効果を生み出したオリジナルの高度広域魔法のぉ……。いやはや最近の若者もやりおるわい」

「しかし疑問。なぜ、魔力が無くなっただけで飛翔能力を失うのか?」

広場の地獄絵図を見てほくそ笑むヘイソォ、現状に疑問を述べるチャルニに対して、つまらなそうな顔をしたネグロは答える。

「そもそもあんな大きな体をサキュバスやハーピー程度の小さな羽と純粋な筋力で飛翔させることなんて物理的に不可能だろ。魔物達は、無自覚に体や羽に魔力を纏わせることで空を飛び、態勢維持を行ってんだ。魔力をカラにしてやれば魔物の羽なんてただの飾りにすぎねぇさ」

「なるほど理解した」

「おっ、ついにフィナーレじゃのぉ……ふぉふぉふぉ」

3人が呑気に話をしている間にも町の状況は刻一刻と悪い方向に向かっていく。

ついに町を濁流が飲み込む。
町に入り込んだ濁流は、排水設備や下水といった本来の行き先を無くし広場を中心に渦を巻く。逃げ遅れた多くの魔物娘やインキュバスの男性がその渦に飲み込まれていく。そして、その強い水流は、町の街頭をなぎ倒し、広場の木を飲み込み、家の扉やガラスを押し破る。そこで暮らす人々だけでなく、ペルセンプレの町自体がどうしようもないほどに破壊されているのだ。

主神教団の聖書に記されたノアの大洪水。神の選んだ生き物以外をすべて押し流した伝説の大洪水を再現するならきっとこの光景が最適なのだろう。

「あぁ、なんと心躍る光景じゃろう……これだからこの仕事はやめられん……ん?」

伝説の大洪水を自らの手で引き起こし、その様に酔っていたヘイソォはそのニヤケ顔を正す。絶対の安全圏から弱者を嬲り殺すことを楽しむものの顔からどんな死地からも生きて帰る伝説の工作員の顔へと。そして、ヘイソォの変化に気が付いたネグロとチャルニもその顔を険しいものへと変えた。そして各自ポケットに入れてあるカードに手を伸ばす。そのカードには緊急脱出用の転異魔法が込められている。3人はプロの工作員である。だからこそ、引き際を見極め、策戦の失敗を悟れば即座に証拠を隠滅し姿をくらませる必要があることを理解しているのだ。

「無駄だ! 指名手配犯、ヘイソォ、ネグロ、チャルニの3名! 貴様らは包囲されている。」

どこからともなく表れた、デュラハンの衛兵が剣の切っ先を突きつけて告げる。

「ふーむ、かなり念入りに不可視化の術をかけていたみたいじゃが、わしの前では無意味なのじゃ。ついでにお前たちが緊急脱出用に転移魔法を仕込んだカードを所持していることも今までの調査で確認済み。無事に逃げられると思わぬことじゃの」

同じく現れたバフォメットが手に持った鎌を向けつつ告げる。
よく見ると、3人の周りを囲むようにたくさんの魔物が現れていた。

「ワシらは、不可視の術で魔物からは気づかれていないつもりでいたが、まさか同じく不可視の術をかけた魔物どもにいつの間にか囲まれているとはのぉ……してやられたわ」

「理解不能。現在ネグロの呪文で魔物達は魔力が無くなり魔法が使えないはず」

「ククク、確かにあの魔力を雲散させる魔法は非常に厄介であったがのぉ、あいにくわしらには減った魔力を簡単に補充する方法があるのでな。こういった効果を持つ魔法が使われることを事前に分かっていれば対策をとれるのじゃ」

若干顔を赤らめながらそう言うバフォメットに対して、ネグロは苦虫をかみつぶしたかのような顔をする。

「なるほど、ずいぶんおたのしみだったようで。しかし、まぁ、ずいぶんと俺ら3人のことをご理解されているようで……工作員にとって手の内がバレてるのは致命的なんだがなぁ…」

「あぁ、それなら……」

ネグロの問いに答えようとするデュラハンに割り込むように声が響く。

「ごめんなさい! 私が皆に伝えたんです!」

指名手配犯3人を囲む魔物娘たちの輪から出てきたのはまだ幼い少女。
どのサバトの制服も着ていない、半人前の魔女である。

「あぁ……あの時の嬢ちゃんか、たしかビアンコだったっけか。」

「はい! あの日ネグロさんに勇気づけてもらった見習い魔女のビアンコですっ」

「そうか……いやまぁ、当然か。魔物娘は同じ魔物や人間が傷つくのを良しとしないからなぁ…あんな情報伝えりゃだれでもそうするか」

ビアンコとネグロの間に沈黙が流れる。
そんな中、口を開いたのはヘイソォだった。

「ネグロ……だから“火遊びはほどほどに”といったじゃろうに。これで分かったじゃろ、お前がそのビアンコとやらに何をしてやったのかは知らんが、貴様は裏切られたのじゃ。魔物どもは恩を仇で返すような低俗な生き物……主神様が忌み嫌われるのも当然じゃのう」

「貴様っ! 我らを愚弄するかっ!」
「なにあのおじいさん!嫌な人っ!」
「これは調教しがいがありそうなじじいだなぁ」

ヘイソォの言葉にデュラハンや周りを取り囲んでいた魔物が反論する。ビアンコとネグロの2人が大切な話をしているからと遠慮をしていた魔物達もあまりのヘイソォの暴言に今にも指名手配者3名に対して(性的に)襲いかかろうとする。乱闘が始まると思われたその時……良く通るビアンコの声が響く。

「違うの! 確かに、ペルセンプレの町の皆がケガをすると嫌だと思ったけど…でも違うの!私はネグロさんに…ネグロお兄ちゃんに悲しそうな顔をしてほしくなかったの!だからっ、私はネグロお兄ちゃんやほかの工作員さんのことを衛兵さんに伝えたの!」

ネグロは静かにビアンコの声を聞く。

「私、ネグロお兄ちゃんから学んだんだよ。何か大切なことを決めるとき簡単に決めずによく考えなくちゃいけないって」

「私は、自分みたいな出来の悪いうじうじした魔女でも受け入れてくれるお兄ちゃんが見つかるかなって…グレイリア・サバト暗黒魔界ペルセンプレ支部に加入しようとしてました。でも、ダメだったんです。未来を想像してみた時、そこにいる私は少なくとも笑顔じゃありませんでした」

「ネグロお兄ちゃん達工作員の人がペルセンプレの町に入り込んでる事を衛兵さんに伝えるか、伝えないかとても悩みました。だから私は未来を想像してみました。」

「ネグロお兄ちゃんのことを魔王軍の詰め所に連絡した未来を。
町の皆に被害は出ない。でも、ネグロさんは魔王軍の先鋭に捕まって冒されちゃいます。指名手配犯の人に対しては多少の荒っぽい性行為も認められているから…きっと無事では済まない。」

「このことを誰にも伝えなかった未来を。
町に住む多くの人がケガをするし…死んでしまう人だってでるかもしれない。大切な人のことで悲しむ人だってたくさんいるはずです。そしてその様子を遠くから眺める3人組。その中の1人であるネグロさんの顔は……とてもつまらなさそうで、そしてどこか悲しそうでした」

「だから私は、決めました! 工作員さんのことは皆に伝える……そしてネグロお兄ちゃんは私が貰う! そうしたらきっとネグロお兄ちゃんは……どこか面倒くさそうで、でも嬉しそうな顔をしてくれる…私はそう思います」

自分の想いを出し切ったビアンコはネグロの事をじっと見つめる。
そんなビアンコのことをネグロは、どこか面倒くさそうで、でも嬉しそうな顔をして見つめ返した。

「あーなんだその、あれだな、こんなに大衆の目の前でダイナミックに告白されるのはなかなか困るもんだな。まぁ、あれだ、こんな魔物に囲まれた状態じゃ拒否権もあったもんじゃないしな。いいぜ、今日からネグロ・トランパはビアンコ…あんたのもんだ」

パチパチ……
パチパチパチ…
パチパチパチパチ!
取り囲んでいた魔物達から拍手が巻き起こる。
「おめでとー」
「末永く幸せになー」
見習い魔女と教団の工作員が確かな愛で結ばれたことに辺りの魔物達は祝福の言葉を投げかけた。
「じゃぁ、あの2人の幸せに続かせてもらうとするぜぇ」
「ひゃっはー、工作員の残り2人を(性的に)食べるのはおれだぁ!」
ついでに、目の前で男女の幸せな様子をみせられて我慢できなくなった未婚の魔物娘たちが工作員2人に群がっていた。

「お兄さんよぉ、『たとえ機械いじりの天才であるグレムリンでも修理に3日はかかる』だぁ。わりぃなぁ、あんたに壊されてから半日で治しちまったよ。今回の大捕物のために直せてない演技をしてやったんだよ。おー悔しいかほれほれ」

チャルニは、魔導機の破壊工作で目をつけられたのかグレムリンに襲われていた。

「笑止、あのレベルの魔力過剰によるバースト現象であれば私なら初見で6時間で修理可能」

「あ? 俺だって本気だせば4時間でいけるぜ」

「運がよければ3時間で修理可能」

「あ、じゃぁ俺は…」

チャルニとグレムリンの問答はもう少し続きそうである。

「『殺しの聖典』ヘイソォか、サラン湖を決壊させ町を破壊するとはよく考えついたものだな」

ヘイソォは、衛兵たちの中でもリーダー格であるデュラハンに詰め寄られていた。

「だが、事前に計画を知ることができればいくらでも対処することができる。数名のウンディーネに水に細工をしてもらった。生き物を傷つける能力を無くすようにな……、今頃濁流に飲まれた者たちはウンディーネの魔力が混じった水に揉まれていつもより少し過激な営みを楽しんでいるだろうさ。壊れた町は…後で皆で修理しよう」

「これだけ策を巡らせても殺せぬとはのぉ…面倒な時代になったもんじゃ」

「さぁ、工作員ヘイソォ、年貢の納め時だ!」

魔界銀で出来たその剣で切られようとするその時、ヘイソォは笑って告げる。

「この手は使いたくなかったが、お前ら魔物どもを止めるには一番効果的だろうさ」

ヘイソォは懐から水風船のようなものを取り出す。離れた対象に薬品の効果を与えることができる道具であるポーションボールだ。そしてそれを投げつける、ネグロめがけて。
パチィン!ネグロに命中したポーションボールは破裂し、中の液体がネグロの体にかかる。
その瞬間であった……

「ん…!? これはっ!……がはっ」 びちゃびちゃっ

ネグロは口から鮮血を吐き倒れる。

「え…ネグロお兄ちゃん? ネグロお兄ちゃん!」

突然のことに呆気に取られていたビアンコはすぐに事態の重大さに気が付く。

「どうしたのお兄ちゃん! しっかりして!」

ビアンコは、倒れたネグロを抱え起こそうとするが、ネグロは血を吐きながら体を痙攣させていた。液体がかかった場所は、浅黒く変色が進んでいる。
辺りは騒然となった。

「それはっ!……旧魔王時代のアンデッドハイイロナゲキタケと並び称される毒物、ボリヌス草の抽出液!」
「注意して、それに触れると私たち魔物でも半日は激痛に襲われることになるわ!」
「神官や白魔導士はいませんか!いたら早く治療を!」

倒れたネグロを治療しようと多くの魔物が集まる。

「……殺すのが面倒になった魔物だが、その分意識を逸らし時間を稼ぐのは楽になったのぉ。人間を愛するがゆえに、魔物より脆い人間が襲われれば大騒ぎ。だからこうしてわしは逃げる準備をすますことができたのじゃ」

ヘイソォは、この騒ぎの一瞬を逃さなかった。瞬時に転移魔法陣を完成させ、転移を行う。すでにヘイソォの体は消えかかっていた。

「貴様っ!貴様っ! お前は……どこまで下衆なのだっ!」

怒りに震えるデュラハンにヘイソォは笑う。
笑ったまま……ヘイソォの姿は消えてしまった。

――――――――――――――――――――
嘘だ…こんなのは嘘だ……
私は、血を吐き痙攣を繰り返すネグロお兄ちゃんを抱え起こす。

「ボリヌス草毒素の解毒薬を! この町に無いなら他の町に連絡を!」
「この毒…ただのボリヌス草の毒じゃない…医療魔法の利きが悪すぎるっ!」

私たちの周りでたくさんの魔物やその夫たちが、ネグロお兄ちゃんを助けようと必死に頑張ってくれている。でも、とても苦戦しているみたいだ。

「おい! お前なにか知らねぇのかよ! 仲間だろ!」
「あの毒は班長がボリヌス草の毒をベースに様々な猛毒を調合した代物だ。究極の人工毒素、解毒方法は俺も知らん」

グレムリンさんとチャルニさんの問答も耳に入る。
究極の人工毒素……お兄ちゃんは助からない?

「いやだよ……。ネグロお兄ちゃんとこれから楽しいことがいっぱいできると思ったのに…。一緒にお話しして、一緒にお買い物して……」

皆頑張ってる。ネグロお兄ちゃんを救うために。でも私は、お兄ちゃんに声を掛け続けることしかできない。私に力があれば……魔法の1つでも使えれば……。そうだ、魔法!

私は、胸元からあの日ネグロお兄ちゃんからもらった小さな十字架があしらわれたネックレスを取り出し片手で強く握る。そしてもう片方の手を、毒薬に冒され変色している患部に手を当てる。患部に残る毒薬が私の手をも冒し激痛が走るがそんなことは今はどうでもいい。

「聖なる主神様よ。その慈愛の心を持ってこの者を癒したまえ」

魔女である私が主神教団の十字架を持ち、主神に祈りを捧げる様子を周りの魔物達は驚いた顔で見る。

ネグロお兄ちゃんに変化は見えない。やはり、魔物であり魔女である私にはこの力は使えないのかもしれない…でも、諦めたくない。

「お願いします主神様。どうか、お兄ちゃんを助けてください。どうか…どうか…」

私は主神様に対して強く祈る。私のような魔物が祈りを捧げても主神様にとっては迷惑なだけかもしれない。でも、どうか、力を貸してください。大切な人を守るために…。


「あっ…」

私の持つ十字架が光り輝く。昼間でも常に薄暗い暗黒魔界には不釣り合いなその聖なる光、私たち魔物にとって旧魔王時代から天敵であるその光は今、とても優しいものに思えた。
光は、ネグロお兄ちゃんは包み込みみるみるうちに癒していく。吐血と痙攣が収まり穏やかな顔に戻ったお兄ちゃんの顔を見て安心した私はお兄ちゃんにかぶさるように倒れその意識を失った。

――――――――――――――――――――
とある小さな村

「ありがとうございます小さな聖女様。これで夫もまた漁に出ることが出来ます」

「いえいえ、これもあなたが旦那様を思う気持ちと、その思いに答えてくださった主神様によるものです。どうか2人でお幸せに」

私は今、聖職者の衣装を纏い各地でケガや病気で困っている人たちを神聖魔法で治療して回っている。もちろん、祈りを捧げる神様は、堕落神様や海神様などではなく主神様である。

「あ、あとこれお兄ちゃんが作ってる滋養強壮効果のある薬液なんでよかったらどうぞ」

「まぁ…何から何までありがとうございます。この御恩は一生忘れませんわ」

今日もまた1人、主神様の奇跡で救うことが出来た。世界に笑顔が増えて主神様も喜んでいるといいなぁ…。

「今日もお疲れさん。しかしまぁ…こんなことになるとはなぁ…。サバトからのオファー受けりゃよかったのに」

「あっ! ネグロお兄ちゃん!」

民家から出てきた私に、愛するお兄ちゃんが声をかけてきてくれた。私は、お兄ちゃんに抱き着く。……ふふ、お兄ちゃんの良い匂いだぁ。

「すんすん、くんかくんか」

「犬かお前は。あの騒動への対応が評価されてグレイリア・サバトの本部からも加入の勧誘が来てたんだろ。」

収穫祭で起こった教団の工作員3人による破壊策戦への対応。そして、死の淵をさ迷っていたネグロお兄ちゃんへの献身的な治療行為が認められて私、ビアンコは念願のグレイリア・サバトからのオファーをいただいたのだった。まぁ、丁重に断ってしまったのだが。

「お兄ちゃんのアドバイスに従ったまでですよぉ。色々な選択肢を選んだ未来を想像してみたら、サバトに入るよりこっちのほうがいいと思ったんです」

「へぇ、じゃぁこの薬師として働くことに決めた俺と主神様の神聖魔法が使える珍しい魔女の2人旅の未来はどんななんだ?」

「人間も魔物も……そして主神様も皆が笑顔でいれる世界です」

あの時、猛毒に冒されたネグロお兄ちゃんを救おうとしていた私になぜ主神様が力を貸してくれたのだろうか。難しいことは私には分からないけれど、少なくとも主神様は魔物を滅ぼすという自身の使命よりも目の前の救いを必要としている者を救うことを選ぶような……心根の優しい神様であることは分かった。そして私にはそれで十分だった。

「はぁ……皆が仲良くなんてまるで小さな子供が考えるような夢物語だな…、まぁでも悪くない」

「そりゃぁ、私は見た目も中身もわがままな子供ですからね」

医療現場で働く看護師さんのことを『白衣の天使』というそうだ。グレイリア・サバトに入らなかった私はそうはなれなかった。でも、聖職者の恰好で色々な人の治療をしている今の私も『白衣の天使』と呼べるんじゃないだろうか?

これから先も私とお兄ちゃんの旅は続いていく。
18/09/01 22:28更新 / みかん畑

■作者メッセージ
サバトグリモワールにあった、「加入に厳格な審査のあるサバト」「主神の神聖魔法が使える魔物もいる」という情報から闇鍋的に生まれた作品になります。

本当はもっと短くまとめるつもりだったのになぜこんなに長くなった(私にも分からない)

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