連載小説
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『オーガなキミに恋をして―――』
 昔々、ある所に小さな国がございました。
 その国は強大な軍事力も、他国を圧倒する化学も、ましてや世界を覆すような魔法すら持っていません。
 あるのは農業に適した栄養豊富な大地と温暖な気候。南は海に面しており漁業も大盛況。また豚や牛を飼う畜産業も漁業に負けず劣らず盛んです。

 そう、ここは人間が絶対に必要とする衣・食・住の“食”が集結していると言っても過言ではない素晴らしい国なのです。

 また国を納める国王様はとてもとても優しいお方でした。飢えに困った国には無償で自国の農産物を送り届けたり、災害で被害を被った国の援助を真っ先に行ったり、紛争や迫害で住む場所を追われた者達を受け入れたりと……正に王様の鑑であり、理想の王様と呼べる存在でございました。

 しかし、そんな王様の存在を疎ましく思う者が居りました。それは王様の実の弟でした。

 王様の弟は兄とは正反対の性格……心が狭く自己中心的、人望も少ない上に他人を見下すお方でした。更には自分よりも優れている他人を見ると逆恨みとも呼べる感情を剥き出しにしてしまう困った人……いいえ、恐ろしい人でございます。

 そんな彼にとって国民に慕われている王様であり、実の兄の存在はとっても面白くありません。故に毎度毎度国民に慕われる王様に憎悪とも呼べる感情を腹の奥底で抱えながら、王様をジッと据わった目で睨むのです。

 どうして皆はあんなつまらない男を慕うんだ。俺がこの国の王になれば絶対に良くなるんだ。そうだ、そうに違いない。この世で最も優れた人間……即ち自分が王になればこの国はもっと清く正しい国になれるのに……。

 そんな邪な呟きを囁いている時でした。悪魔の一計が弟の脳裏に舞い降りたいのです。

 そうだ、邪魔な兄者が死ねば良い。兄者が死ねば、この国の王座は自然と俺のものとなる。兄者が居るから悪いんだ。あいつさえ居なければ最初から俺がこの国を……。

 この時、王様はまさか実の弟が自分を殺そうとしているなど……知る由もありませんでした。

 それから僅か一ヶ月後の事でした。何の前触れも無く王様が倒れました。それはもう驚愕としか言いようがありません。何せついこの間まで元気にしていた王様が突然倒れるなど……家臣や城に働いていた者達にとっては信じられない出来事なのですから。
 王様が倒れてから数日が経過しましたが、一向に王様の体調は良くなりません。寧ろ健康体とも呼べるバランスの取れた肉体はみるみると痩せ細り、まだまだ若さを感じさせる黄金色に輝く頭髪は瞬く間にほぼ全てが生気を失ったかのような白髪へと変わり果ててしまいました。

 王様の体調は良くなるどころか悪くなる一方です。王様の城に勤めていた医師達も懸命に王様が倒れた原因を追究しましたが、結局最後まで分からず仕舞いのままでした。

 そして王様が倒れて二週間後、王様は息を引き取りました。早過ぎる小国の王の死去は瞬く間に国中に広まりました。そして誰もが心優しき王の死を心の底から悲しみ、悼みました……。

 只一人を除いて……。

 王様が亡くなってから三日後、当然のように国の民達の間では王様の後継者は誰だろうかという話題で持ち切りになりました。
 この国の伝統に則って正当なる後継者を選ぶとするならば、王と血縁が近い者が後継者となります。とすれば当然の如く王の弟が後継者になるのですが……先程も言ったように弟は人望が無く、人々は余りそれを歓迎したくありません。

 寧ろ国民が次の王様にと期待したのは王様の遺児……アレス王子でございました。弱冠17歳という若さですが誰もが羨む美貌と優れた政治手腕を持っており、国民的アイドルと言っても過言ではございませんでした。
 何より王様譲りの心優しさと博愛精神の持ち主であり、もし王様が御存命であれば何れ彼が次の王様になっていたでしょう。当然国民もそれを望んでいました。

 しかし、現実はそう行きませんでした。国中の民達が次期国王は誰かと興味と期待を示す中、伝統を重視した結果王の弟が次期国王として選ばれました。
 次期国王の話題で国中が盛り上がっている最中の発表だっただけに国民達の耳に逸早くその情報は届き、ある者は『やはりな』と薄々分かっていたがそれでも諦めに近い呟きを、ある者は残念そうに項垂れました。

 こうして王の弟にとっては念願だった王座に就いたわけですが、民達は然程期待していませんでした。そしてそれからが民達にとって過酷な日々の始まりだったのです。

 王になった次の日から弟の独裁政治が始まったのです。亡き国王が苦労して築き上げた素晴らしい法律やルールは全て廃棄され、代わりに弟中心の法律……いわば弟にとって都合の良い法案が次々と作られました。

 徴収税の引き上げ、貧困国や自然災害を被った国への援助打ち切り、軍事力の強化……嘗ての人道的な救済などで他国から感謝された国は一転し、他国の痛みをどうとも思わず自国の利益だけを求める身勝手な国となってしまったのです。

 こんな無茶苦茶な国作りを推し進める弟に国民は怒り心頭です。ですが、自己中心的な弟は民の反応に見向きもしないどころか、声すら聞こうとしません。それどころか逆に自分の進める政策に批判的な者が居たら即座に捕まえるという横暴っぷりを国民達に見せ付けました。

 弟が指揮する国作りを目の当たりにした民達は失望と怒りを隠しきれません。そして大半が今は亡き国王が築き上げた平和な時代を目尻に涙を浮かべながら懐かしむのでした。

 ですが、弟はそんな民の心を察するどころか、自分の推し進めている政策が着々と実行に移される現実に大満足するばかりです。そして全てが自分の力で行われているのだと自画自賛し、天狗のように鼻を長くして威張るのでした。

 しかし、その矢先に高々と伸びた天狗鼻を圧し折るどころか顔色さえも真っ青にさせる大事件が起こるのです。そしてそれがこの物語の本当の始まりでございます……。


『オーガなキミに恋をして―――』
 

 農業や漁業、牧畜業などで世界最高を誇ると言われたバラント王国。今は亡き国王が現役だった頃はバラント王国は全世界の国々の憧れでもあり、目指すべき手本のような国だった。
 だが、その国も今は亡き国王の弟……ボロスの圧政によって嘗ての明るい姿を失いつつあった。ボロスの政治手腕は無能以外の何物でもなく、自分の思いのままに政策を進める度に王国の民達は悲鳴をあげるばかり。
 しかし、ボロスはそんな民達を気にもせずに、まるで政治を自分の遊びの為に用意されたゲームの如く好き放題に進めていく。

 そんな日々が半年ぐらい経過した頃だった……。バラント王国と交流のある近隣国から届いた封書が王国に激震を齎した。


 その内容とは――――魔物の軍勢による侵略に遭ったという内容であった。


 魔物――それは人間達にとって天敵であり、人類最大の敵だと言われる恐ろしい生物達……だと世間、特に魔物を敵視する教団と呼ばれる宗教団体には恐れられ同時に嫌われている。

 その魔物の軍勢が王国の近隣国を侵略して、更にこの王国に向かっているという一報がバラント王国に入ってきたのだ。
 流石に無能のボロスもこの一報には顔を真っ青にさせて肝を震え上がらせた。魔物という存在に関しては教団と同じ認識を抱いており、彼もまた魔物を忌み嫌っていた。

 だが、それ以上に恐いのは魔物の侵略によって得た地位が全て失う事だ。そうなれば汚い手で得た王座も、自分が新たに築き上げようとしているこの国も何もかもが水の泡に帰してしまう。

 近隣国と自国との距離は普通に歩いてでも三日か四日あれば辿り着けると言う大して離れた距離ではない。つまり魔物達は早ければ三日後にはバラント王国に足を踏み入れる訳だ。また王国を守る為には三日間の内に何らかの策を講じなければならないという制限時間もある。

 ボロスは必死に考えた。当然真っ先に考え付いたのは教団に救援を請うという策だ。魔物を敵視しているだけに、魔物対策も当時では最先端を行くと噂に聞いている。しかし、今から球団へ救援をお願いしても僅か三日の内にバラント王国に救援が来るのは考え難い。恐らく来たとしても既に魔物達の侵略を受けた後か、早くても受けている最中か……。

 もし間に合わなければ彼は誰よりも真っ先に逃げようと心に決めていた。魔物に命を奪われるなぞ真っ平御免だ。死ぬぐらいならば国や地位を捨ててまでも生き延びてやろうと……。

 だが、狡賢さだけが取り柄とも言える彼の知恵はそこだけで終わらなかった。教団の救援が何れ来るにしろ、自分が逃げる準備をするにしろ先ずは時間稼ぎ……魔物達を足止めする必要があると判断した。
 今自国にある軍事力を全て魔物達に当てようか。しかし、バラント王国は先代の国王が治めていた頃までは反戦争主義を貫いていたので軍事力を一切持っていなかった。
 その後王座に就いたボロスが軍事拡張を推し進めたが、現時点では装備も軍備も当時の一国が持つ軍事力としては最低ランクのものであった。言わば軍事力は皆無に等しい。

 それを考えるとボロスは自分の軍がアテにならないと判断して軍を送り込むのを諦めた。仮に自国の軍を送ったりすれば魔物の怒りを買うだけで一銭の得にもならない。怒りを買うぐらいなら和平を送った方が遥かにマシだ―――そう考えた瞬間、彼は閃いた。

 そうだ、いっそ怒りを買うぐらいならば少しはご機嫌取りをしといた方がまだマシではないだろうか。魔物の中には人間の言葉が理解出来る上に対等に会話出来る頭の良い奴も居ると噂で聞く。
 もし進撃してくる魔物の中にそういった頭の良い奴が居たら、和平をしに来たなどと戯言を抜かす人間に興味を示して話を聞くか、或いは鼻で笑った挙句にそいつを食らうかのどちらかだろう。しかし、ボロスにしてみればどちらの反応を示そうが答えは決まっていた。

 和平の話を聞こうが聞かなかろうが、魔物達は教団達に潰してもらうつもりだ。魔物達が万が一に和平に応じたとしても、彼は最初から聞くつもりなどない。
 要は足止めさえ成功すれば良いのだ。後はどうなろうとも教団さえ来ればどうにでもなるとボロスは完全に教団の力に狂信に近い信頼を寄せていた。無論、当人の勝手な思い込みの部分が強いが。

 そして彼の卑しい頭脳は真っ先に時間稼ぎとなるであろう人間を選び出すのであった。



 ボロスの考えが纏まってから一時間足らずの後、王城の中に設けられた謁見の間にボロスと彼の家臣達は集まっていた。
 ボロスが無能とはいえ、代々受け継がれてきた王城は豪華絢爛だ。此処―――謁見の間もその一つだ。
 天井を見上げれば職人技で作られた幾つものシャンデリアが豪華な輝きを放ち、百人は入りそうな奥行きの深い部屋を隅々に至るまで照らしてくれる。また足の床と床と天井を繋げている大木のような支柱は大理石と贅沢の極み此処にありだ。

 そして謁見の間の最奥に設けられた黄金の装飾が施された王座には当然のように偉そうな態度で踏ん反り返るボロスがワインと思しき物が入ったグラスを片手にまだかまだかとある人物の登場を待つ。

 待つこと五分後……謁見の間と廊下を唯一繋ぐ扉がガチャリと開かれ、そこから鎧姿の護衛兵が現れて、ボロスや家臣に向かって敬礼するや一言。

「アレス王子が参りました」

 それだけ言うとサッと扉の前を横に退き、護衛兵の背後に立っていた可愛らしい黄金色の天然パーマをした美男子――アレスの為に道を開けた。アレスは護衛兵に対して『有難う』とやんわりとお礼を言って微笑み掛けると、兵士も釣られて笑顔を表情に出しそうになる。
 だが、すぐにここがボロスの前だと思い出し、出掛かった笑顔を無理矢理引っ込めてすぐさま謁見の間から退散してしまった。もしここで釣られて笑顔なんて見せたら、心の狭いボロスにどんな嫌がらせをされるか分かったものではない。

 兵士が謁見の間から出て行った後、アレスは扉から王座へと直進するように続いている赤絨毯の上を歩いてボロスの元へと歩み寄る。そして彼との距離が10m以下を切った所で足を止め、軽くお辞儀をした。

「伯父上、この国の現状について話は聞きました」
 
ガシャンッ

 突然の音にボロスとアレスの会話耳を傾けていた家臣も、そうでない者も思わず目を見開いて音のする方を見てしまっただろう。見ればアレスの足元にはガラスの破片が飛び散り、彼のズボンの裾は赤い液体に塗れていた。
 そして今度はボロスの方へ目を向ければ、座ったままだと言うのに軽く息を切らし、腕も何やら“たった今投げ終えましたよ”的な形を作っている。これらの状況を組み合わせて察するにボロスは自分が飲んでいたワインの入ったグラスをアレスへ投げ付けたようだ。
 
 これには家臣達も目を丸くした。今のやり取りの何処にボロスが憤慨する部分があっただろうかと。アレスの口調も態度も礼儀正しい筈だ。だが、すぐにその理由はボロス自身の口から明らかとなった

「遅いぞ! 私をどれだけ待たせたか分かっているのか!? それと今の私はこの国の国王だ! 馴れ馴れしく伯父上なんて呼ぶな!」
「……申し訳ありません、陛下」

 どうやらボロスが怒った理由は自分を待たせた事、そしてアレスが『伯父上』と昔の呼び方で呼んだ事が彼の怒りに触れたらしい。ボロスにしてみれば許し難い事であるが、周りの者達にしてみれば『そんな些細な事で…』と取るに足らないつまらぬ内容だ。
 この国の未来が危ぶまれる一大事が目前にまで迫っているにも関わらず、自分の事になると一々敏感に反応する器の小さな王を見て家臣の何人が心の中で溜息を吐いたやら。

 それに対してアレスの大人びた態度に誰もが心の中で同情したり、感心したりした。彼は今この国の危機が分かっている。分かっているからこそボロスに反論せず、彼の暴言に近い怒声を一身に受けて耐え抜いている。ここで反論しては事態は一向に進まないのだから。

 全ては国や民を守る為……そんなアレスの姿に家臣の何人が、いやこの場に居る全員が彼を国王にすべきではないだろうかと考えたに違いない。

 しかし、伝統に則って選ばれたのはボロスなのだ。伝統を重んじる国の一員として易々とボロスのやり方を非難したり、アレスを国王にしたいなんて口に出せる筈がなかった。

 そしてボロスも一通りの暴言をアレスにぶつけてスッキリした所でいよいよ肝心の用件について話し始めた。

「アレスよ、貴様はこの国が今どのようなピンチにあるかは知っているな?」
「はい、側近の者から聞きました。魔物がこの国に向かって進んでいると……」
「そう、今の我がバラント王国には魔物に抵抗する力などない。全く、バカ兄貴が少しでも軍事力の増強に力を入れていればこんな事には……」

 死人に口なしと言わんばかりに実の兄であり国民に慕われていた国王をバカ呼ばわりするボロス。そのバカにされた国王の息子アレスもこれには体の中身全てが沸騰しそうな怒りを抱かずにはいられなかった。
 だが、彼は耐えた。ここで怒っても民を救う事など出来ないと自分に言い聞かし、ギリッと奥歯を噛み締め、怒りを只管に体の奥底に押し込めながらボロスの愚痴が終わるのを待った。幸いにも愚痴は一分も掛からず、すぐにボロスは用件を再開させた。

「それでだ。我が国は唯一魔物に抵抗出来得る組織……教団に救援を求めようと思う。しかし、今から救援を請う手紙を速達で出したとしても、教団からの救援部隊が来るのは最低でも四日以上は掛かる。つまり、魔物がこの国に足を踏み入れた後から救援が来ては遅いのだ。そうなれば我が国が戦場となるのは明白だ」
「では、如何なさるおつもりですか? 国民を国外へ避難させる手筈は整っておいでで?」
「国民を避難させるだと? バカを言うな! まるで我が国が滅亡するかのような言い草をしおって……。我が国は滅びぬ、教団の力と貴様の頑張りがあればな」
「……どういう意味ですか?」

 明晰として知られるアレスもボロスが言わんとしている事をイマイチ理解出来ずにいた。魔物が目の前まで迫っているというのに国民達を国外へ逃がすどころか、寧ろ魔物を倒せるという絶対の自信に満ち溢れている。
 もう一つアレスが気になったのはボロスが口にした自分の頑張りという条件だ。魔物に対抗する教団という組織の存在がボロスの自信の一つであろう事は理解出来るが、それにプラスして自分の頑張りが関係してくるのは何故なのかが分からなかった。

 その答えは――――すぐにボロスが教えてくれた。汚らしい面に満面の笑みを浮かべて……。

「アレスよ、今から魔物達と和平しに向かえ。無論、我が国に兵力はない。寄って魔物達へと向かうのは貴様一人だけだ」
「!?」

 ボロスの言葉にアレスは面を食らわされたように目を見開き、暫くの間ボロスの顔を見入った。彼だけじゃない、周りの家臣達もボロスの言葉にざわめきが生じ、謁見の間に誰がどの言葉を発したか分からないぐらいに右往左往に言葉が充満する。
 
「国王様、アレス王子一人に向かわせるのは危険です! せめて護衛を!」
「いや、そもそも魔物相手に和平などと無茶があります!」
「仮に和平が成功した後に教団の援軍が来たら……矛盾に陥って、我が国の立場は危機的状況になりますぞ!」

流石にこのボロスの提案を認められぬ者は多数おり、誰もが口を揃えて反対したが―――

「黙れ! これはもう決定したのだ! 異論のある者はこの場から去れ!!」

 傲慢で自己中心的なボロスの耳に家臣達の言葉は届かず。かと言って家臣達も今までボロスの独裁に対して積もった不信感や憤怒があったので、そう簡単には引かず。
 結局平行線を辿るような睨み合いのままで互いの動きは止まり、このまま続くかと思われたが―――アレスの言葉によって静止していた時間は再び動き出した。

「分かりました、魔物達の和平に向かいましょう」
「王子!?」
「アレス王子!」

 家臣達が振り返ってみれば既にそこには全てを受け入れる覚悟の表情を浮かべた凛々しいアレスの姿があった。ボロスの無理難題の和平交渉に戸惑い、今度は魔物との和平交渉を了解したアレスに戸惑い、此処に居る家臣達の殆どは今日のこれだけで精神的に参ってしまいそうになる。

「うむ、そうか。理解が早くて助かる。では、今からすぐに行け。この国を救えるかどうかは貴様に掛かっているのだからな!」

 ボロスの言葉は死地へ向かうアレスを激励すると言うよりも、単にさっさとこの国を出て魔物達の所へ向かえと命令するように聞こえる。そして言うだけ言うとボロスはすぐさま立ち上がると、王座の後ろに作られた王族専用の通路を通って謁見の間を後にした。

 こうして残されたのはアレスと家臣達のみ。当然家臣達はボロスの提案を断固として認めていないし、またアレスの了承もまた納得していない。故にボロスが去った後、続けてこの場を去ろうとしたアレスを呼び止めた。

「王子! 一体何を考えているのですか! ボロス殿は王子を―――!」
「分かっています。伯父上は僕を魔物達に始末させるつもりだと」

 ボロスの提案を聞いた瞬間、アレスは冷静にボロスが何を望むのか手に取るように理解出来た。魔物を利用して自分をこの世から亡き者にしようと目論んでいる事を……。

「恐らく伯父上の事です。父の息子を消して魔物も撃退出来れば一石二鳥だと考えているのでしょう」
「そこまで分かっていながら……何故反論なさらぬのです!」
「今回の一件で我々とボロスの不仲は明らかとなりました。こうなったら我々は貴方様に一生お仕え致します!」
「私もです! 徹底的にボロスと対峙して奴を退陣へ追い込んで―――!」

 家臣達は我も我もとアレスに従う事を表明するが、当のアレスは首を左右に振って何時もの微笑みを浮かべながら家臣に諭した。

「有難うございます。けれど、今は国を……民を守るのが最優先です」

 それを聞いてハッとなった家臣も少なくない。そう、今こうやって会話している間も魔物達は此処へ向かっている最中なのだ。アレスに従うだの、ボロスと徹底的に戦うだのと言っている場合ではない。

「僕は伯父上の命令で行くんではありません。国と民を守る為に行くんです。それだけは分かって下さい」
「ならばせめて私達をお連れ下さい。少しでも王子のお力になりたいのです!」
「お気持ちは有難いですけど、魔物達との和平交渉は前代未聞の試みです。何が起こるのかは未知数です。最悪、僕は殺されてしまうかもしれません。それほど危険な任務に貴方達を同行させる訳にはいきません」

 アレスの言葉は正に的確であった。魔物との和平交渉だなんて聞く人が聞けば真っ先に無謀だと答えが返ってくるだろう。それに昔から魔物との遭遇は死を意味するものと考えられていた。魔物に関する知識が少ないアレスもこれと同じ考えを抱いており、家臣達もまたアレスが魔物に殺されてしまうと恐れていた。

 傍から見ればアレスはボロスから極刑を言い渡されたに等しい。普通の人間がアレスと同じ状況に陥れば誰もが絶望し、恐怖のあまり逃げ出してしまうかもしれない。
 だが、このような絶望の中でもアレスは自我を見失わず、それどころか純粋な優しさや想いを国や民に注ぎ続けていた。いや、守るべきものがあるからこそ彼は自我を保てたのかもしれない。

 そんな王子の姿に感動する者もいれば、王と自分とを見比べてどれだけ自分が情けなく惨めかを痛感する者も居た。そして家臣達はどう言おうとも決して折れぬアレスに根負けし、遂に彼が一人で魔物達の元へ向かう事を認めた。
 勿論、完全に納得した上で認めた訳ではない。多くの者は自分達の不甲斐なさに遣る瀬無い怒りと虚しさを感じていた。

「王子、申し訳ありません……。我々が力不足なばかりに……ボロスの暴走を止められず……!」
「そんな事ありません、貴方達はよく頑張ってくれました。それと最後に一つだけお願いがありますが、宜しいでしょうか?」
「何なりと、王子が命を捨てる覚悟で挑むのです。我々も王子の願いに命を張って応えましょうぞ」

 恐らくそれが王子に言い渡される最初で最後のお願いかもしれない……そう思うと年老いた家臣や、まだ若い家臣の目からも涙が溢れ出てきてしまう。

「……僕が戻らなかったらこの国をお願いします。伯父上のあの様子だと国外への避難の手筈は出来ていないようなので、代わりに貴方達が準備をして民達を導いて下さい。僕からのお願いはそれだけです」

 最後の最後まで民を案じるアレスに感動しない家臣などこの場には居なかった。彼の最後の願いを聞いて涙する家臣は何故だと心の中で問うた。

 何故、彼がこの国の王にならなかったのだろうか。何故、彼がこのような最期を迎えなければならないのだろうか……。

 しかし、幾ら尋ねても所詮は己の心の中でしか言えぬ声。答える者など居よう筈がない。

 そして家臣と最期の握手や抱擁を交わした後、アレスは魔物達の元へと向かう準備を始めるべく謁見の間を後にした。




 アレスがバラント王国を経ったのはボロスの命を受けてから数時間後の夕方頃。魔物達が進んでいると思われる隣国へ通じる道を馬に乗って歩いている最中に太陽は西の山の向こうへ沈み、空を見上げれば小さい輝きを放つ星達が鏤められている。
 そんな星々を見上げながら進んでいるとアレスの右隣から不意に男性の声がやってきた。

「夜空に何かありますか、アレス様?」
「あ、ヨハネさん。いいえ、何もありませんけれど……もしかしたら見納めになるかもしれないと思いまして」

 アレスが声に気付いて右隣を見れば、そこには自分と同じく馬に乗った男性の姿があった。凛々しい顔立ちと少し釣り上がった目、そしてオールバックに整えた銀髪は宛らクールなイケ面と呼ぶに相応しい顔立ちだ。
 彼―――ヨハネはアレスの従者であり、彼のサポートから手助けに至るまで何から何までこなす執事みたいな存在だ。しかし、アレスが赤ん坊の頃から一緒だった為にその関係は主従関係というよりも仲の良い兄弟と呼ぶ方がお似合いかもしれない。因みに年はアレスよりも五つ上である。

 アレスが夜空を見上げていた理由を聞いて少し困ったような顔をして、すぐに『申し訳ありません』と謝罪を入れた。謝罪を受けた方はどうしてと不思議な顔をしてヨハネを見遣る。

「アレス様の心境を考えずに軽率な事を聞いてしまいましたので……」
「気にしなくても良いですよ。それに僕の方こそごめんなさい。こんな恐い思いに付き合わせてしまって……」
「いいえ、ボロスの治める国に興味などありません。あちらに居続けるぐらいなら、長年実の兄弟のように接してくれた貴方と一緒に最期を迎える方が遥かに良いです」
「そうですか……。でも、もし恐かったら無理せず逃げてください。ヨハネさんの人生なんですから、無理して僕に付き合う必要も―――」
「お言葉は有難いですが……残念ながらアレス様、もう遅かったようです」
「え……」

 それはどういう意味なのか聞こうとするよりも先に、道の脇にある茂みがガサガサと音を立てて揺れ出した。音にビクリと体を震わせアレスがそっちへ目を向けると、茂みの中から現れたのは桃色の髪の毛をした女性だった。
 それだけならば安心出来ただろうが、アレスの表情は緊張のせいか未だに引き攣っており、ヨハネもまた警戒を解いていない。寧ろ警戒は強まるばかりだ。

 何故ならアレス達の前に現れた二人の女性の頭には天辺が軽く折れた豚の耳が生えており、尾骨辺りからはくるんと巻かれた糸のように細く短い尻尾が生えている。そして手には石を削って造られたと思われる石斧が握り締められている。
 
 それを見て二人は確信した。この桃色の髪の女性達は―――魔物であると。

 そして彼女達もまた自分達の目の前に人間の男が二人現れたと理解したらしく、可愛らしい表情とは裏腹に意地汚い笑みを浮かべて二人に近付いて行く。

「にししし、姉ちゃん姉ちゃん。男が二人も来たよー」
「それぐらい見りゃ分かるわよ。それに丁度良く男が二人……あたし達で分け合いっこ出来るね」
「分け合いっこ分け合いっこー♪ お姉ちゃん、あたしあっちの銀髪のオールバックが良いー♪」
「こら! そっちはお姉ちゃんに譲りなさいよ!」
「えー。だって銀髪の方が体格も逞しいし……“アレ”も美味しそうだしー」
「あたしだって欲しいのよ! だからあんたは金髪で我慢しなさい!」
「お姉ちゃん横暴だー!」

 今の会話を聞く限り、どうやら二匹の魔物……もとい二匹のオークはアレス達を自分達の獲物として見ているらしい。その証拠かどうかは定かではないが、どちらも目が欲望の光でギラついており、口元はだらしなく涎が出ている。
 しかし、仲睦まじい姉妹喧嘩のおかげで恐怖感はイマイチ欠けているような気がするが。

 だが、幾ら可愛くても彼女達が魔物である事に違いはない。現に彼女達の姿を見たアレスは背筋に冷たいものを感じ、ゴクリと唾を飲んだ。そして彼の脳内は既に彼女達に食べられる―――捕食的なイメージで埋め尽くされていた。

 ああ、自分は此処で彼女達に食われてしまうのだろうか。体を八つ裂きにされて煮込むなり焼くなりとして食べられてしまうのだろうか……。

 そう考えていたら隣に居たヨハネがコソリと彼の耳元で囁いた。

「アレス様、気を確かに。我々が此処に来た目的が何だったのかを思い出して下さい。それに向こうは我々と同じ言葉を話せるのですから……もしかしたら話し合いに持ち込めるかもしれません」
「! そ、そうだったね……」

 今の言葉がきっかけとなり、アレスは自分の目的を改めて思い出し、気をしっかりと保たせる事が出来た。そもそも自分達が此処に来たのは何の為か。それは他ならぬ自国を守る為だ。
 自分の意思で敢えて危険を犯しながらも此処まで来たのだ。目の前に魔物が現れたからと言って、今更慌てふためいてもどうにもならない。

 何より……アレスはこれから魔物達のボスと会って和平交渉をするという大役もある。恐らく下っ端であろう二匹の魔物如きにたじろいでいては、魔物相手に和平交渉だなんて夢のまた夢で終わってしまう。

 自分の本来の目的を思い出して心を落ち着かせてから、アレスは静かにオーク達に自分達が此処まで来た目的を伝えた。

「待って下さい、僕達は単なる通りすがりではありません。貴方達と話し合いがしたいのです」
「「話し合いー?」」

 アレスの台詞が余程珍しかったのだろう。オーク姉妹は口を揃えて『話し合い』という単語を発した後、姉妹共に顔を暫し見合わせた後―――

「「だーっはっはっはっは!!!」」

 ――笑った。腹の底から、心の底から笑い出したのだ。まるでそれは理由は分からぬが、只面白いから笑う無邪気な子供のような明るい笑い声であった。大声且つ大胆で喧しいのが難点であるが……。
 だが、一方で真剣に話し合いを希望するアレスにとっては姉妹の態度は如何せん失礼極まりないものだ。温厚な彼も流石にこの反応には軽く眉を顰めている。

「な、何が可笑しいんですか?」
「可笑しいよ!! 可笑し過ぎるよ! 話し合いって何を話すのさ! そもそもあたし達魔族に話し合いが通じると思っているの!?」
「そうそう! 話し合いするぐらいなら襲ってヤっちゃうよーだ!」

 オーク姉妹の意見は最もだ。話し合いだの和平だのなんてのは人間達が編み出した争いを避ける手段の一つ。それを魔物相手に通用するかと言えば先ず無理だ。人間を襲うのが習慣となっている種族に対して、襲うのを止めてくれと懇願するようなものだ。
 アレスも『恐らく無理だろう』と思っていた節もあったから然程ショックは大きくなかったが、それでも和平交渉がいきなり頓挫してしまうのは断じて避けたかった。

 せめて……せめて魔物達のボス的存在に会えたら―――そう考えた時、隣のヨハネがスッと動き、魔物達に対し提案を一つ出した。

「では、話し合いではなくお互いに利益がある条件を交換し合いましょう」
「条件を交換? どういう事?」
「簡単です。私達の望む事を聞いてくれれば良いんです」
「人間の言いなりになるってこと!? はんたーい!」

 話の途中で早とちりした妹オークが大声で反対の意思表明をしたが、ヨハネは冷静に『まだ話の途中ですよ』と軽く注意してから再び話を進めた。

「その代わり私達も貴方達の望む事を聞く。つまり互いの要望を満足させるという事です。如何でしょうか?」

 イケ面の表情に知的な笑みが添えられた瞬間、二匹のオークの頬が朱色に染まる。そしてアレス達から背を向け、二匹の間でヒソヒソと何やら小声で話を始めた。
 その間にアレスは少し青ざめた表情でヨハネの方を見た。何故にその表情なのかと言うと、原因はヨハネが出した『貴方の望む事を聞く』という台詞だ。

 仮に彼の言う通りに話が進んだとしたら、自分が魔物もボスと話し合いが出来ても、彼女達は間違いなくお気に入りと睨んでいる彼……ヨハネを食べるに違いない。
 それを考えるとアレスは本当にこれで良かったのだろうかと言う不安に駆られてしまう。誰かを……それも身近な友であり、兄のような存在である彼を犠牲にしてでも国を守るのは正しい事なのだろうかと。
 その答えは人それぞれに寄って肯定する者、否定する者と分かれるだろう。そしてアレスは否定する考えに寄っているものの、国を守る者としての義務が完全にそちらへ移行させる事を拒んでいた。

 良く言えば中立的立場……悪く言えばどっち付かずの優柔不断な立場であった。

 結局ヨハネに対してどんな言葉を掛ければ良いか分からず悩んでいた時だ。ヨハネが人の良さそうな笑みを浮かべてアレスに『大丈夫ですよ』と話し掛けてくれたのは。

「私の予想ですが……アレス様が想像しているような恐ろしい事態にはならないと思いますよ」
「え……それってどういう意味ですか?」
「まぁ、それは何れ分かるでしょう。兎に角、私は絶対に死なないと信じて下さい」

 絶対に死なない……そう言ってはみせるが、二匹のオークが言っていた『美味しそう』や『襲う』などの危険な匂いを漂わせる台詞がアレスの頭からこびり付いて離れない。
 しかし、自分が絶大な信用を寄せるヨハネが死なないと言っているのだから、もしかしたら大丈夫と言えるだけの凄い策があるのだろうか……と彼の言葉を信じる、いや信じたい気持ちもあった。

 その直後だ。ヨハネの話が彼女達にとって魅力的だったのか、それとも彼の笑顔の魅力に虜にされたのかは不明だが、二匹だけで話し合っていた彼女達は漸く決断を下した。

「よし分かった! あたし達の姐御を紹介してやる! 有難く付いて来い!」
「付いてこーい!」

 どうやら二匹の間で話し合った結果、ヨハネの提案に乗る事で決定したらしい。彼女達が了承してくれた事にアレスはホッとし、ヨハネはアレスの安堵する横顔を見てニコリと微笑んだ。




 二匹のオークの後に付いて行くこと30分後、隣国へ続く道を歩き続けていたオーク姉妹は人間が作った道から逸れて何の手入れも施されていない鬱蒼とした森の中へと入って行く。
 勿論、彼女達は魔物達のボスが居る場所へ案内してくれているのだから追わない訳にはいかない。只、森の中を歩くには道無き道を通るに等しいので馬に乗ったまま移動する事は出来ない。仕方なく二人は馬から降り、先を進むオーク達の後を歩いて追い掛ける。

 真夜中の森は極めて暗い。何処となく人間の恐怖心を煽り、ちょっとした物音でもアレスの心臓がビクンと跳ね上がる。それでも目を凝らして少し前を歩くオーク達の後ろ姿を確認しつつ続いて歩くこと数分、彼女達が進む方向に松明や焚き木の明かりが見えて来た。それも一つではなく無数にだ。
 彼女達が堂々とそこへ向かって歩いていくのを察するに、どうやらその松明の集まりが彼女達の……魔物達の集まりであるのに間違いないようだ。

 アレス達も松明の光に誘われるかのように近付くと……そこに居たのは無数の魔物達と、魔物に囚われたと思われる若い男達だった。

 手足が毛に覆われ狼のような爪と耳を生やしたワーウルフが年端もいかない少年の頬を美味しそうに舐めていたり、頭に短い角を生やした小柄な女の子をイメージさせるゴブリンと、ゴブリンによく似ているが胸が異常に巨乳化しているボブゴブリンが自分達よりも大きな筋骨隆々の巨漢を押し倒して満足そうな笑顔を浮かべていたりした。
 それだけじゃない、二人の少年の体を透明な体で包み込んでいるスライムや、背の高い優男の体を下半身の蛇腹で巻き付くラミア……などなどアレス達も見た事がない数多くの魔物達がそこに集結していた。

 そして当然そこへ足を踏み入れた人間であるアレス達の存在は魔物達にとって格好の標的であった。

「何だ? 人間をまた捕まえたのか?」
「おー、イケ面と可愛い面した男とは……やるじゃないか!」
「あたしに食べさせろ! 特に金髪の奴をだ!」
「いいや、あたいが先だ!」

 案の定、アレス達=自分達の餌だという認識が成り立ってしまい、魔物達は口々に『自分が食べたい』『獲物を寄越せ』と凶暴な言葉を吐き出してくる。それを聞いただけで肝が萎縮しそうだが、自分が心に誓っていた『国を守る』という使命がアレスの心を支えてくれた。

「待って下さい! 僕達は貴方達のリーダーに会いに来たのです!」

 話し合いでは笑われるだろうと先程の経験で味わったので、今度はストレートにリーダーに会いたいと言うと魔物達の間にどよめきに近い会話が所々に発生した。

「リーダー……って何だ?」
「要するに我々の中で一番偉い奴。首領やボスって事だ」
「それに会いたいって……一体どういうつもりだ、あいつ?」
「さてね、けどウチらのリーダーって事は……姐御の事かな?」
「ああ、多分姐御だね」
「姐御は何処だっけ?」

 アレスの目的を詮索する者も居れば、魔物達にとってリーダー的存在である姐御を探そうとする者。この二つが入り乱れ、どよめきはざわめきへと変わって辺り全体に響き渡りそうになった時だ。


「誰だぁ? あたしを指名しているって奴はよぉ?」


 ざわめきの中でありながらもハッキリと聞こえたガサツでドスが利いている女性の声。声色もオーク達のような若い声ではなく、やや年上のような年季の入った声だ。
 その一言にざわめいていた魔物達は一瞬で静まり返り、次の瞬間にはほぼ全員が声のする方を向いていた。そして振り向くや魔物達は口々に叫んだ。

「姐さん!」
「オーガ姐さん!」
「姐御!!」

 魔物達の動きに付いて行く形でアレスが同じ方向へ顔を向ければ、そこに居たのは美しい緑色の肌をした巨漢……ではなく巨女。

 2mを軽く越している図体と銀色のように輝いて見えるボサボサの髪は腰辺りにまで伸びている。ツンと尖った耳、そして額には二本の角を生やしており、片方はボロボロになったシミだらけの包帯が巻かれていた。

 人間離れした姿恰好は誰がどう見ても魔物であるのは確かだ。確かなのに――――

(綺麗な……魔物さんだ……)

 アレスはその魔物―――オーガに暫く見惚れてしまい、時間を忘れたかのように彼女を見続けていた。
 すると、アレスに見つめられていたオーガも彼の視線に気付いたのか、先程自分から投げ掛けた問いの答えを聞くのを待たずして彼の元へ大股で歩いて近付いて行く。そして彼の前に立ち、巨体を持つ者の特権と言わんばかりにアレスを見下ろした。

 アレスも170センチ半ばとそこそこの身長を持っているが、2mを超えるオーガを前にしてはその差は歴然だった。
 しかも、アレスにとって今日ほど自分の身長がそこそこある事に困った日は無いだろう。何故なら巨大なオーガがアレスの前に立つと、彼の目線のすぐ先にはスイカのように丸々とした豊満な胸があるのだから。
 更にその巨乳(と下半身の腰回り)、ズタボロな布切れ一枚でしか隠されていないので余計に色気が増して妖しく感じられる。

 女性の色気やほぼ露わとなっている胸などの免疫がない初心な彼はすぐに赤面し、目のやり場に困ってオーガから顔を背けようとしたが―――

ガシッ グイッ

「うぐっ!?」
「おっ、見た事も無い人間がいるじゃねーか。こいつどうした?」

 折角顔を背けたと言うのに、オーガに頭を掴まれてそのまま前へと向き直されてしまった。成るべく胸を見ないように視線を上げれば、そこにあるのは興味津々にこちらを見詰める彼女の瞳。
 魔物だと言うのに透き通ったその瞳は人間の女性と全く同じ…否、人間の女性以上に美しくアレスの顔は益々赤く染まるばかりだ。しかし、そんな彼の心境など気付く気配も無くジロジロとアレスの顔を舐め回すように見ていると、突如アレスを連れて来たオークの姉妹が声を張り上げた。

「はいはいはいはい! あたし達が連れて来たんですよー!」
「何かそいつ、姐御に話があるそうですよー!」
「ああん? あたしに話しだぁ?」

 どうやら先程のオーガの問いに対し答えるのと同時に、自分達の功績である事をリーダー格であるオーガに認めて貰いたかったようだ。しかし、当のオーガはオーク姉妹を褒めようともせず目の前の人間を興味深げに見詰めるばかり。

「おい、お前。あたしに話があるって本当か?」
「……あ、はい。僕はこの先にある―――」
「よし、あたしと話したいって言うんならば二人っきりで話そうぜ」
「へ? 二人?……わっ!?」

 自分の事を聞かれたので素直にここに来た目的などを話そうとしたが、そうするよりも先にオーガがアレスを抱え上げてしまった。それもお姫様抱っこという恥ずかしい格好でだ。
 男が女にやるのであればまだしも、逆にアレスがオーガにお姫様抱っこされているのでその恥ずかしさは無限大だ。勿論、彼女の胸の中に収まった彼は混乱しつつも下ろすようにとお願いしようとしたが……。

「あ、あの! お、下ろして―――!」
「じゃ、そういう事であたしはこいつと二人っきりになるからお前等は適当に男共と遊んでて良いぞー。あと絶対にあたしん所に来るなよ、重要な事が起こった以外はな」
「はーい、行ってらっしゃーい」
「ごゆっくりどうぞー」
「あ、あのー……下ろして下さいー……」

 この場に居る部下達にそれだけ言い残すと、アレスのお願いに耳を傾けずにその場を後にしてドンドンと森の奥深くへと入って行く。
 
 そしてオーガを見送り、やがて彼女の後ろ姿が見えなくなったのを確認すると……魔物達は『うふふふ』とか『くすくす』と一斉に笑みを零し始める。どれもが欲望に塗れた笑みであり、それを間近で見ている男達は蒼褪めたり頬を赤く染めたりと様々だ。
 当然その笑みはアレス達を道案内してくれたオーク姉妹も同じであった。姉妹はすぐさまヨハネに近付くと、彼の両腕をそれぞれ姉妹がガッチリとロックして身動きを取れないようにする。と言ってもヨハネ自身は最初から逃げる気など毛頭も無い様子だが。

「にしししし、お兄さーん。さっきの約束忘れちゃいないよねー?」
「ちゃーんとあたし達を満足させてよねー?」

 期待の籠った眼差しと欲望の光を宿る瞳をギラ付かせながら自分を見上げるオーク姉妹を見て、彼は『骨が折れそうだな』と心の中で呟いた。しかし、二人の要求に応えると言い出したのは自分なのだ。目的の為とは言え、今更になって自分が出した約束は破りたくはなかった。

 そしてオークの姉妹に向けて女性受けの良い笑顔を浮かべ、紳士らしく振る舞い彼女達の期待に応えるのだった。

「ええ、誠意を以て貴女達に尽くしましょう」

 ヨハネの笑みと言葉に彼女達は嬉しそうに笑い、また頬を赤く染めながら彼の服を一枚ずつ脱がしていった……。
『オーガなキミに恋をして―――続』11/08/14 00:03

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