花に誘われて
「ふんふふん、ふんふん」
生き物の気配が全くしない銀世界の中、リズムをとりながらジョウロを傾ける青年。
青年の前には彼の背丈はあるであろう巨大な蕾が鎮座しており、どうやら彼はこの花を育てているらしいことが伺える。
「本当に大きな花だなぁ」
ジョウロの中身を全て使い切り、最後の一滴までしっかりと花の根本へしみこませるように注いだ彼は、長時間腰を曲げていたせいで痛む腰を叩きながら背を伸ばし、そのまま身の丈を超える大きさの蕾を見上げた。
硬質な金属音が断続的に響く。彼が身に纏っているのは鋼の鎧、彼は今年からこの森のすぐ近くにある村の教会に配属されることとなった一兵卒だった。
最初の頃はこんな辺鄙な土地に配属になることを嫌がっていたのだが、自分を暖かく迎え入れてくれた村の人々――森の奥に小さな牧草地を持つという爆乳美女、無口だが良く獲物を分けてくれる狩りの上手な美女、よく一緒に酒を飲みかわす男っぽい美少女と、その姉と言う巨乳美女、剣の稽古に良く付き合ってもらう元騎士と言う美女、そして何かと世話をしてもらっている配属先の教会の美人シスターと爆乳美女である村長。但し全員既婚者――や時折やってくる行商人の売ってくれる便利な道具類など、慣れてくれば村の人々はこれ以上ないほど親身に自分と接してくれるこの村を、今では胸を張ってここが自分の職場だ! と語れるほどに好きになっているのであった。
そんな彼がこの蕾を見つけたのは、ちょっとした偶然からだった。
その日、彼は森に木材を探しに来ていた。北にある大きな山が原因で、冬場になると良く雪が降り気温が低下しやすいらしく、ソリや雪で屋根が潰れないようにする道具などを作るために木材が必要だ、ということだった。
村の傍の森にはよく魔物が出没するという話もある。どうか森から木を持ってきてくれないだろうか? 村長にそう頼まれた彼は、日ごろの恩を返せるならと二つ返事でその依頼を了承した。
無論、魔物がいかに危険かということは彼も重々承知である。だが、この辺りで危険な魔物――ドラゴン等の勇者級の人間でしか倒せないような魔物――が出没したという話は聞かないし、何より訓練されていない村人を護衛するより、多少なりと魔物に抵抗する手段を持つ自分が森に入った方が良いだろう、そう判断してのことだった。
森の中は入り組んでおり、落ち葉による腐葉土などのせいで足元も悪かったものの彼が思っていた以上に森は平和そのものであり、何の障害も無く森の中にある備蓄小屋から丸太を運び出すことに成功するのであった。
そんな丸太運びを行うこと数回、三回目に備蓄小屋から丸太を取り、ソリを引いている時にソレが視界に入った。
ソレは白い景色の中に在りながら周囲に溶け込むような淡い赤い色をしていた。新手の魔物か? ソリを引くのを止めて腰の長剣に手を伸ばした彼は、木々の影をゆっくりと進んでいき、その赤いモノがある場所へと近づき、そっとその場所を覗き込んだ。
それは巨大な花であった。だが、咲いているわけではなく蕾の状態だった。
南の方で身の丈ある花がある、と言う話を聞いたことはあるが、それはとても酷い悪臭を放ち、とてもおぞましい見た目をしていると聞く。
だが、目の前の花はどうだろうか。大きさこそ話に聞く花と同じようなものだが、悪臭などは一切なく、むしろホンの少しであるがまるで蜂蜜のような甘い香りが漂っている。また、その淡い赤色の蕾は花開いたらとても美しいことが容易に想像できる色合いと、瑞々しい花弁が――警戒しながら近づいて彼は違和感に気づいた。
「…もしかして、元気無い?」
パッと見とても美しい花なのだが、こうして近づいてみると少し色褪せてしまっているところや、皺が出来てしまっている部分など細かいところで何やら不具合が起こっているようだ。
花弁の根本の葉っぱたちも力なくグッタリと地面に落ち込んでいるように見えるのは、決して葉っぱの表面にのしかかる雪の重みのせいだけではないだろう。
そして、その日丸太を運び終えた彼は、村長に森の外れの広場にひっそりとある巨大な花のことを伝え、知識が無いなりに考えて肥料や水を持って巨大な花の元に通う生活が始まったのである。
あの日から二週間が経った。
最初は巨大花の存在に驚いていた村長も、数日たつ頃には「彼女の事を大切にしてあげてくださいね?」と町から取り寄せたと言う植物に良い液体などを渡してくれ、村に住む人々も何やらあの巨大花に色々としてくれているらしく、巨大花のある広場に行こうとする度に「彼女に優しくな」とか「孫の顔を早く見せてくれよ」などと茶化すようになった。
まあ、あれだけ美しい花なのだ、自分も女性的な印象を受けていたのだから村の人々が彼女、と言っても特に違和感は感じないものの、孫の顔とは一体どういうことなのか、もしあの花の種のことを言っているのであれば気が早すぎるぞと首を傾げつつ、今日も今日とてあの花の元に向かう。
「おはよう、元気にしてた?」
彼はまず花に声をかけて、連日の雪で降り積もった雪を花からどかせてやることから花の世話を始める。
花に降り積もった雪を全部払えば、今度はソリからジョウロと肥料を持ってきて、それを花の根元に撒いてやる。
そんな間も彼は話すことを途切れさせない。なんとなく、この花がこちらの様子を伺っているような気配が良くするからだ。
きっとこの花は魔物なのだろう、彼はそう確信していた。巨大な花の時点で察せていたのだが、最近では元気が出てきたらしく時折自分の足元に蔓が絡みついてくるのだ。
教団の兵士として、魔物を見逃す訳にはいかない。ならばこんな花なんて焼いてしまえばいい。だが、彼は決してそういうことをするどころか、寧ろ魔物を匿うようにして花の世話をしていた。
だが、彼には別に親魔派のように魔物を守る! と言った情熱があるわけでもなかった。ただ、この一人寂しく広場に居る巨大な花を見て、村の人々のようにこの花に暖かさを分けてやりたいと、何よりもこの見事な花が開花したらどれだけ綺麗なことだろうと考えただけなのだ。
恐らく、この巨大花は話にきくアルラウネと言う花の魔物なのだろう。それなら、この花が開花する時とは即ち、自分が食べられる時。でも彼は自分が死ぬという恐怖など全く感じず、ただこの花がどれだけ綺麗なのかと想像を膨らませるだけであった。
「さて、今日の分はこれで終わりだね」
一旦ソリに道具を片付けてきた彼は、再度花の元に戻ってくると、その表面を優しく撫でる。
二週間前、初めて見つけた時に色褪せていたのが嘘のように、温もりを感じさせてくれるような淡い赤色が花全体を染め、そして所々水気が無く皺があった花や葉っぱも、今では瑞々しく健康的な張りを持ち、どこを撫でても絹を思わせる優しい手触り、突いても揉んでもプルンと優しく押し返してくる。
ああ、開花するのが待ち遠しい、花の至る所を愛撫するように撫でまわしていた彼であったが、ふと冷静になると自分で一体何をしているんだと頭を振って立ち上がる。愛着があるとは言え、幾らなんでも自分のした行動は恥ずかしく、何よりそんなことをしながら股間を膨らませているのはどうなんだろうか。自分にそういう趣味は無かったはずなのにと顔を赤くしながら、無意識のうちに呟いていた。
「早く開花してくれないかな。もっと愛でて――うわ!?」
変化は劇的であった。彼が愛でると言った時点で、任せろ!! と言わんばかりに花全体が力強く躍動する。
思わず尻餅をついてしまうが、流石は訓練された兵士と言ったところか、混乱状態にありながらも即座に立ち上がると長剣を抜き放とうとして、そのまま身体を硬直させた。
花が、開く。歓喜するように身体を震わせていた花がピタリと動きを止めると、結び目が解けていくように少しずつ蕾が花開いていく。
彼は全神経を花の一挙一動に集中する。
開花。その時の光景を彼は忘れることは無いだろう、そしてその光景を思いだすたびに彼は自分の語彙の無さを恨んでしまうのだ。
美しかった。ただ漠然とそう感じた。恐らくどれだけ高名な芸術家の作品を見てもこれほどの衝撃は無いだろう、そう確信できるほどの衝撃だった。
赤子の肌のような淡い赤色の花弁は、真っ白な雪景色の中で良く映えた。そしてその花弁の中央、丁度普通の花であれば雄蕊や雌蕊のある場所に彼女はいた。
妖艶に微笑む美女。ほんの少し赤く染まった新緑色の肌に、肉付きは良く、きっと抱き心地は素晴らしいだろう身体。特に甘い蜜がたっぷり詰まっていることが伺える巨大な乳房、ぴったりと閉じていることが伺える、子供のように毛の生えていないツルツルした陰唇、大人びた色気を放つくびれ、安産型の尻。見ているだけでも生唾を飲み込んでしまうほどだ。
花のような芸術的な美しさではなく、肉感的な、抱き犯すと気持ちが良いだろう、そう思わせる情欲的な美しさ。
「あ、あ…」
彼女の濡れる瞳と目があった。
言葉が出ない。金縛りにあったように身体全体が動かない。が、彼女と目があった瞬間、彼の足が動き出す。
まるで花の香りに誘われる蝶のように、いや、ようにではない。彼女から香る噎せ返るほど甘い香りに、誘われているのだ。
フラフラと覚束ない足取りであるが、一歩一歩彼女に近づいていく。そこに彼の意志は無く、気付けば抜きかけた剣は何処かに落としていた。
自分の意志とは違う動きを行う身体を、彼は妙にクリアな頭の中で他人事のように見つめていた。きっとこのままいけば自分は食われてしまうのだろう、そう思えるのだが、不思議と恐怖は感じなかった。相手が稀に見る美女だったこともあるだろう、だが、それよりも彼がこの花の世話をしていたというのが大きいかもしれない。
足が縺れて花弁の上に倒れこむ。こんなフラフラした状態では受け身すらとることは出来ない。来る衝撃に備えるが、そんな彼を柔らかいモノが受け止めた。
花弁は高級なベッドでもありえない柔らかさで彼を優しく受け止めた。表面にある毛が頬を擽る。嗚呼、このまま寝てしまうのも悪くないかもしれない。
彼がそう考えた瞬間、彼の身体が宙へと持ち上がった。蔓が彼の身体を持ち上げたのだ。
ふと気づくと彼は何も身につけていなかった。一体今の一瞬に何があったのだろうか? そう考えるが、すぐに思考に靄がかかりだす。
そっと誰かに抱きしめられる。陽だまりのように暖かく、母性を感じさせる柔らかさに下半身が疼き、全身が震えた。自分は一体何をしているのか、一体何が起こっているのか、それすらも考えられなくなってくる。
ふと、彼は顔を上げた。目の前にはアルラウネの本体と思われる女性の顔。
最初と同じように目があった。彼女が笑う。初めて会ったときの妖艶な娼婦のような笑みではない、何処か子供のような無邪気さを感じさせるような可愛らしい笑顔。
ゆっくりと花弁が閉じていく。暗くなっていく花の中だが、彼はそんなことは頭に無かった。
ああ、やっぱり綺麗だな…。
花弁が閉じ、広場はいつものような風景が戻ってくる。新しく、肥料とジョウロの乗ったソリを残して。
それから暫く経ち、今も彼はアルラウネの元を行き来する生活を繰り返している。
あの後、見事にアルラウネに食べられる――ことは無く、むしろ人間なのに魔物であるアルラウネを隅から隅まで食べつくすと言う勇者でもできないことをやってのけた彼は、彼女に頼み込んで彼女と出会う前と同じように教会の兵士として町に駐屯している。
そして、アルラウネの彼女と出会って変わったことが沢山あった。例えば、彼の居る村の九割の人が魔物だったことが分かったり、彼女は実はこの森の守り神のような存在だったりすることが分かったり。ちなみに、彼女がなぜ元気をなくしていたのかと言うと、彼女の居る場所はあまり土が良くないせいだとか。でも愛着があるせいで移動できずに飢えていたとか何とか。
でも、最も変わったことがあるとすれば、彼の住んでいる場所が村の貸家から森の中にある一軒家に変わったところだろうか。
一軒家、と言っても彼が過ごす場所がアルラウネの花の中なのだから実際は倉庫でしかないのだが、まあそれはそれであろう。
あれ以来、彼女が開花したのは数回だけで、どんな季節でも基本的に蕾の状態で過ごしている。なぜかと言うと、どうやら花と彼女は感覚が繋がっているらしく、あの時花を撫でたりしていたのはそのまま彼女の性感帯への愛撫として伝わっていたらしい。そして、その感覚をいたく気に入ってしまったらしく、ある種の焦らしプレイの一環として楽しんでいるらしい。
また、彼が開花するのを嫌ったこともある。いや、嫌ったと言うより、開花した姿を誰にも見せたくない、などの独占欲からの言葉だったのだが、それを察した彼女がこれまた自発的な焦らしプレイと言う名目で行っている。
「おはよ、調子はどう?」
そんなこんな、色々なことがあるものの、今日も今日とて彼はせっせとソリを引いて彼女の元へと帰るのだった。
生き物の気配が全くしない銀世界の中、リズムをとりながらジョウロを傾ける青年。
青年の前には彼の背丈はあるであろう巨大な蕾が鎮座しており、どうやら彼はこの花を育てているらしいことが伺える。
「本当に大きな花だなぁ」
ジョウロの中身を全て使い切り、最後の一滴までしっかりと花の根本へしみこませるように注いだ彼は、長時間腰を曲げていたせいで痛む腰を叩きながら背を伸ばし、そのまま身の丈を超える大きさの蕾を見上げた。
硬質な金属音が断続的に響く。彼が身に纏っているのは鋼の鎧、彼は今年からこの森のすぐ近くにある村の教会に配属されることとなった一兵卒だった。
最初の頃はこんな辺鄙な土地に配属になることを嫌がっていたのだが、自分を暖かく迎え入れてくれた村の人々――森の奥に小さな牧草地を持つという爆乳美女、無口だが良く獲物を分けてくれる狩りの上手な美女、よく一緒に酒を飲みかわす男っぽい美少女と、その姉と言う巨乳美女、剣の稽古に良く付き合ってもらう元騎士と言う美女、そして何かと世話をしてもらっている配属先の教会の美人シスターと爆乳美女である村長。但し全員既婚者――や時折やってくる行商人の売ってくれる便利な道具類など、慣れてくれば村の人々はこれ以上ないほど親身に自分と接してくれるこの村を、今では胸を張ってここが自分の職場だ! と語れるほどに好きになっているのであった。
そんな彼がこの蕾を見つけたのは、ちょっとした偶然からだった。
その日、彼は森に木材を探しに来ていた。北にある大きな山が原因で、冬場になると良く雪が降り気温が低下しやすいらしく、ソリや雪で屋根が潰れないようにする道具などを作るために木材が必要だ、ということだった。
村の傍の森にはよく魔物が出没するという話もある。どうか森から木を持ってきてくれないだろうか? 村長にそう頼まれた彼は、日ごろの恩を返せるならと二つ返事でその依頼を了承した。
無論、魔物がいかに危険かということは彼も重々承知である。だが、この辺りで危険な魔物――ドラゴン等の勇者級の人間でしか倒せないような魔物――が出没したという話は聞かないし、何より訓練されていない村人を護衛するより、多少なりと魔物に抵抗する手段を持つ自分が森に入った方が良いだろう、そう判断してのことだった。
森の中は入り組んでおり、落ち葉による腐葉土などのせいで足元も悪かったものの彼が思っていた以上に森は平和そのものであり、何の障害も無く森の中にある備蓄小屋から丸太を運び出すことに成功するのであった。
そんな丸太運びを行うこと数回、三回目に備蓄小屋から丸太を取り、ソリを引いている時にソレが視界に入った。
ソレは白い景色の中に在りながら周囲に溶け込むような淡い赤い色をしていた。新手の魔物か? ソリを引くのを止めて腰の長剣に手を伸ばした彼は、木々の影をゆっくりと進んでいき、その赤いモノがある場所へと近づき、そっとその場所を覗き込んだ。
それは巨大な花であった。だが、咲いているわけではなく蕾の状態だった。
南の方で身の丈ある花がある、と言う話を聞いたことはあるが、それはとても酷い悪臭を放ち、とてもおぞましい見た目をしていると聞く。
だが、目の前の花はどうだろうか。大きさこそ話に聞く花と同じようなものだが、悪臭などは一切なく、むしろホンの少しであるがまるで蜂蜜のような甘い香りが漂っている。また、その淡い赤色の蕾は花開いたらとても美しいことが容易に想像できる色合いと、瑞々しい花弁が――警戒しながら近づいて彼は違和感に気づいた。
「…もしかして、元気無い?」
パッと見とても美しい花なのだが、こうして近づいてみると少し色褪せてしまっているところや、皺が出来てしまっている部分など細かいところで何やら不具合が起こっているようだ。
花弁の根本の葉っぱたちも力なくグッタリと地面に落ち込んでいるように見えるのは、決して葉っぱの表面にのしかかる雪の重みのせいだけではないだろう。
そして、その日丸太を運び終えた彼は、村長に森の外れの広場にひっそりとある巨大な花のことを伝え、知識が無いなりに考えて肥料や水を持って巨大な花の元に通う生活が始まったのである。
あの日から二週間が経った。
最初は巨大花の存在に驚いていた村長も、数日たつ頃には「彼女の事を大切にしてあげてくださいね?」と町から取り寄せたと言う植物に良い液体などを渡してくれ、村に住む人々も何やらあの巨大花に色々としてくれているらしく、巨大花のある広場に行こうとする度に「彼女に優しくな」とか「孫の顔を早く見せてくれよ」などと茶化すようになった。
まあ、あれだけ美しい花なのだ、自分も女性的な印象を受けていたのだから村の人々が彼女、と言っても特に違和感は感じないものの、孫の顔とは一体どういうことなのか、もしあの花の種のことを言っているのであれば気が早すぎるぞと首を傾げつつ、今日も今日とてあの花の元に向かう。
「おはよう、元気にしてた?」
彼はまず花に声をかけて、連日の雪で降り積もった雪を花からどかせてやることから花の世話を始める。
花に降り積もった雪を全部払えば、今度はソリからジョウロと肥料を持ってきて、それを花の根元に撒いてやる。
そんな間も彼は話すことを途切れさせない。なんとなく、この花がこちらの様子を伺っているような気配が良くするからだ。
きっとこの花は魔物なのだろう、彼はそう確信していた。巨大な花の時点で察せていたのだが、最近では元気が出てきたらしく時折自分の足元に蔓が絡みついてくるのだ。
教団の兵士として、魔物を見逃す訳にはいかない。ならばこんな花なんて焼いてしまえばいい。だが、彼は決してそういうことをするどころか、寧ろ魔物を匿うようにして花の世話をしていた。
だが、彼には別に親魔派のように魔物を守る! と言った情熱があるわけでもなかった。ただ、この一人寂しく広場に居る巨大な花を見て、村の人々のようにこの花に暖かさを分けてやりたいと、何よりもこの見事な花が開花したらどれだけ綺麗なことだろうと考えただけなのだ。
恐らく、この巨大花は話にきくアルラウネと言う花の魔物なのだろう。それなら、この花が開花する時とは即ち、自分が食べられる時。でも彼は自分が死ぬという恐怖など全く感じず、ただこの花がどれだけ綺麗なのかと想像を膨らませるだけであった。
「さて、今日の分はこれで終わりだね」
一旦ソリに道具を片付けてきた彼は、再度花の元に戻ってくると、その表面を優しく撫でる。
二週間前、初めて見つけた時に色褪せていたのが嘘のように、温もりを感じさせてくれるような淡い赤色が花全体を染め、そして所々水気が無く皺があった花や葉っぱも、今では瑞々しく健康的な張りを持ち、どこを撫でても絹を思わせる優しい手触り、突いても揉んでもプルンと優しく押し返してくる。
ああ、開花するのが待ち遠しい、花の至る所を愛撫するように撫でまわしていた彼であったが、ふと冷静になると自分で一体何をしているんだと頭を振って立ち上がる。愛着があるとは言え、幾らなんでも自分のした行動は恥ずかしく、何よりそんなことをしながら股間を膨らませているのはどうなんだろうか。自分にそういう趣味は無かったはずなのにと顔を赤くしながら、無意識のうちに呟いていた。
「早く開花してくれないかな。もっと愛でて――うわ!?」
変化は劇的であった。彼が愛でると言った時点で、任せろ!! と言わんばかりに花全体が力強く躍動する。
思わず尻餅をついてしまうが、流石は訓練された兵士と言ったところか、混乱状態にありながらも即座に立ち上がると長剣を抜き放とうとして、そのまま身体を硬直させた。
花が、開く。歓喜するように身体を震わせていた花がピタリと動きを止めると、結び目が解けていくように少しずつ蕾が花開いていく。
彼は全神経を花の一挙一動に集中する。
開花。その時の光景を彼は忘れることは無いだろう、そしてその光景を思いだすたびに彼は自分の語彙の無さを恨んでしまうのだ。
美しかった。ただ漠然とそう感じた。恐らくどれだけ高名な芸術家の作品を見てもこれほどの衝撃は無いだろう、そう確信できるほどの衝撃だった。
赤子の肌のような淡い赤色の花弁は、真っ白な雪景色の中で良く映えた。そしてその花弁の中央、丁度普通の花であれば雄蕊や雌蕊のある場所に彼女はいた。
妖艶に微笑む美女。ほんの少し赤く染まった新緑色の肌に、肉付きは良く、きっと抱き心地は素晴らしいだろう身体。特に甘い蜜がたっぷり詰まっていることが伺える巨大な乳房、ぴったりと閉じていることが伺える、子供のように毛の生えていないツルツルした陰唇、大人びた色気を放つくびれ、安産型の尻。見ているだけでも生唾を飲み込んでしまうほどだ。
花のような芸術的な美しさではなく、肉感的な、抱き犯すと気持ちが良いだろう、そう思わせる情欲的な美しさ。
「あ、あ…」
彼女の濡れる瞳と目があった。
言葉が出ない。金縛りにあったように身体全体が動かない。が、彼女と目があった瞬間、彼の足が動き出す。
まるで花の香りに誘われる蝶のように、いや、ようにではない。彼女から香る噎せ返るほど甘い香りに、誘われているのだ。
フラフラと覚束ない足取りであるが、一歩一歩彼女に近づいていく。そこに彼の意志は無く、気付けば抜きかけた剣は何処かに落としていた。
自分の意志とは違う動きを行う身体を、彼は妙にクリアな頭の中で他人事のように見つめていた。きっとこのままいけば自分は食われてしまうのだろう、そう思えるのだが、不思議と恐怖は感じなかった。相手が稀に見る美女だったこともあるだろう、だが、それよりも彼がこの花の世話をしていたというのが大きいかもしれない。
足が縺れて花弁の上に倒れこむ。こんなフラフラした状態では受け身すらとることは出来ない。来る衝撃に備えるが、そんな彼を柔らかいモノが受け止めた。
花弁は高級なベッドでもありえない柔らかさで彼を優しく受け止めた。表面にある毛が頬を擽る。嗚呼、このまま寝てしまうのも悪くないかもしれない。
彼がそう考えた瞬間、彼の身体が宙へと持ち上がった。蔓が彼の身体を持ち上げたのだ。
ふと気づくと彼は何も身につけていなかった。一体今の一瞬に何があったのだろうか? そう考えるが、すぐに思考に靄がかかりだす。
そっと誰かに抱きしめられる。陽だまりのように暖かく、母性を感じさせる柔らかさに下半身が疼き、全身が震えた。自分は一体何をしているのか、一体何が起こっているのか、それすらも考えられなくなってくる。
ふと、彼は顔を上げた。目の前にはアルラウネの本体と思われる女性の顔。
最初と同じように目があった。彼女が笑う。初めて会ったときの妖艶な娼婦のような笑みではない、何処か子供のような無邪気さを感じさせるような可愛らしい笑顔。
ゆっくりと花弁が閉じていく。暗くなっていく花の中だが、彼はそんなことは頭に無かった。
ああ、やっぱり綺麗だな…。
花弁が閉じ、広場はいつものような風景が戻ってくる。新しく、肥料とジョウロの乗ったソリを残して。
それから暫く経ち、今も彼はアルラウネの元を行き来する生活を繰り返している。
あの後、見事にアルラウネに食べられる――ことは無く、むしろ人間なのに魔物であるアルラウネを隅から隅まで食べつくすと言う勇者でもできないことをやってのけた彼は、彼女に頼み込んで彼女と出会う前と同じように教会の兵士として町に駐屯している。
そして、アルラウネの彼女と出会って変わったことが沢山あった。例えば、彼の居る村の九割の人が魔物だったことが分かったり、彼女は実はこの森の守り神のような存在だったりすることが分かったり。ちなみに、彼女がなぜ元気をなくしていたのかと言うと、彼女の居る場所はあまり土が良くないせいだとか。でも愛着があるせいで移動できずに飢えていたとか何とか。
でも、最も変わったことがあるとすれば、彼の住んでいる場所が村の貸家から森の中にある一軒家に変わったところだろうか。
一軒家、と言っても彼が過ごす場所がアルラウネの花の中なのだから実際は倉庫でしかないのだが、まあそれはそれであろう。
あれ以来、彼女が開花したのは数回だけで、どんな季節でも基本的に蕾の状態で過ごしている。なぜかと言うと、どうやら花と彼女は感覚が繋がっているらしく、あの時花を撫でたりしていたのはそのまま彼女の性感帯への愛撫として伝わっていたらしい。そして、その感覚をいたく気に入ってしまったらしく、ある種の焦らしプレイの一環として楽しんでいるらしい。
また、彼が開花するのを嫌ったこともある。いや、嫌ったと言うより、開花した姿を誰にも見せたくない、などの独占欲からの言葉だったのだが、それを察した彼女がこれまた自発的な焦らしプレイと言う名目で行っている。
「おはよ、調子はどう?」
そんなこんな、色々なことがあるものの、今日も今日とて彼はせっせとソリを引いて彼女の元へと帰るのだった。
16/04/27 18:12更新 / ソルティ