待たされた花は
大きな花がそこにはあった。
道がてら花を見つけた青年は、ただただそれを美しいと思った。
青年は平々凡々とした男であった。植物の知識には乏しかったが、考える葦に普遍する、ものを耽美し感動する心は持っている。花は、そこに直接訴えかけてくるようだった。
青年は街でギルドの手伝いをしていた。武器を運び、捺印し、都合の良い依頼が無いと声を荒げる大男を宥めながら、少しばかりの金を貰い、街の外れの番小屋に暮らしていた。
ギルドのある中心部と彼の小屋の間にはこんもりとした森があった。普通であれば、まだ薄暗い内に家を出て、日が暮れてから帰途につく青年は、暗々とした木々の隙間への根拠のない恐怖心から、カンテラを片手にその森を避けて通っていた。しかし荒れた大男がギルドのテーブルをいくつか薪同然にまで破壊してしまった今日は、幸か不幸か早めに終業を言い渡された。まだ日の高い内に帰れるのはありがたいことだが、その分の時給を貰えないのも事実である。そして、客が暴徒化する前に抑えられなかった責任も、また青年にはあった。
さて、怖いものもその要素が無くなればどうということもないものである。帰り際の森は、秋に色付いた葉々が梢から漏れる光と相俟って、やや芸術の雰囲気を醸し出していた。そこに獣道を見つけた彼は、近道と、ちょっとした探検心から、森の中へ足を進めた。
そして、大きな花を見つけた。
花は、美しく、馨しかった。
-----
……!足音だ!足音が来た!
ついについに人間さんです、このリーシュが引き抜かれる時ですよコンチキショー。
バフォ様のきまぐれ広範囲転移魔法に巻き込まれてはや1ヶ月。ってかあれ絶対テロでしょ。なにが「ワシも新天地で婿探しじゃー!」ですかそういうの自分チでやって下さいよホントもうお願いしますよー。だってあれ転移先の座標がランダムなやつでしょ。むー。バフォちゃん様なら教団の兵士の真ん前に飛んでもバフォバフォパワーでどうにかなるけど、こちとら植物ですからね、死にますよ。まあここはなんだかそう危険そうな土地じゃなさそうだから良かったけど。
けど、けど!何って人が来ない!誰も来なければ魔力もない。一応土からは養分は取れるけど、人間にとってのスナックとかあんな感じで、つまり肉が食いたい。おなかすいたおなかすいた!肉ゥ!肉ゥ!精!アァアア!
といったところで!やっとのとこさの人間さんですよ!あのしっかりとした足踏み、あの素晴らしい精の感覚!近づいてきた!抜かれる、私は抜かれる!あっ我慢できない濡れてきた
-----
青年が思わず花に近付くと、鼻をくすぐる香りはさらに強くなった。それはまるで青年の探訪を喜んでいるようでもあり、もっと近くへと誘惑しようとしているようでもあった。
「…綺麗だ」
無意識に言葉を出した彼は、花の中心が少し湿っているのに気が付く。蜜だろうか。湿っている部分に指を擦り付けてそれを舐めてみると、なんとも惹き込まれるような甘さが口の中に広がった。しかし、蜜らしからぬえぐみも、同時に味わった。よく見ると、花の一部分が少し萎れているようだった。
花と言っても生き物は生き物である。こんな人通りの少ない森の中で管理も行き届かなければ、この花もすぐ枯れてしまうだろう。
「待ってろ、ご飯持ってくるからな」
幸いそこから自宅まで遠くなかった彼は、そう花に話しかけると、急いで肥料となるものを取りにいった。暖炉に残していた灰なら、いい養分になるだろう。
花の周りの土に灰を混ぜてあげた翌日、青年は少し家を早く出た。いつもより増して日の光が浅く、森は深い陰を湛えていたが、あの花のきっと元気になっている姿を見れることに比べれば、闇の恐怖は何ともなくなっていた。
花は、そして期待通り水々しくなっていた。確認するように指を花の中心に触れさせると、そこには蜜がじわりと溜まっていた。その味には昨日のようなえぐみがなく、すっきりと突き抜けるような甘さになっていた。青年はそれが嬉しかった。
「今日も仕事頑張って来るからな」
青年にとって、大きな花が生活の彩りとなったのも、また事実であった。
-----
違う違うそうじゃなくて。
…なんで引き抜かないのさ?
や分かりますよ、お花を大切に思う気持ち。灰も嬉しかったですよ。でもね、そうじゃない。
ここ一週間くらい毎朝ずーっと話しかけて蜜舐めて、それでおしまーい。とんぴらしゃん。
んー、あのままだと引き抜かずに、埋まったままの私を愛でて終わりそうなんだよねー、どうにかして花をひっ掴んでもらわないと…。
……あっやってきた、さあ今日こそ私を引き抜きなさいよ、ほら匂いムンムンムンムン。ムンムン。おっ近づいて来た。
ってんんっ!違っ、そこ触らないでっ、んぁっ!ぁあっ!そ、そこの花の付け根触られるとなんかくすぐったくぅんんんっ!っはぁ、はぁ……
-----
花は、愛情をかけて育てると美しく成長するという。
毎朝街に行きがけにあの花に声をかけ、蜜を掬ってした青年は、なんだか本当にその花が生きてー意思を持ってーいる気がしてきて止まなかった。というのも、花から滲み出る蜜が、常に垂れ出しているのではなく、彼が花に近づく度に出していたようであったからである。彼が指に付ける蜜はいつも爽やかで、さっきまで空に出ていた星の金平糖を朝露に溶け込ませて濾した味をしていた。その真新しい味は、例のテーブル破壊事件のあと、修理代として少なくない額を賃金から天引きされている青年のやや憂鬱な通勤を、しゃっきりと整えさせていた。
その朝も彼は少し早く起きた。秋も半ばを越え、時計の上では同じ時間のはずも昨日より太陽は沈んでいた。
扉の隙間から入り込む冷たさに身を震わせながら、青年は上着を着込んで外に出た。まだ暗すぎる森の中ではカンテラは必至だったが、カンテラを持つ逆の手には、小瓶が握られていた。あの花の蜜を採るためだ。
温めた牛乳にあの蜜を混ぜて飲むと、未明の冷えた体が暖まるのに気付いたのは数日前。乳と蜜のブレンドのレシピ自体はいくらか前に耳に挟んではいたが、実際に試してみてからはそれに虜になってしまった。毎朝のささやかな幸せである。
しかし、蜜を出してくれる量はそう多くなく、またその蜜が新しいものでありたかった青年は、こうして毎日起きてはすぐ花の元に向かうようになっていた。
「おはよう、今日も美味しい蜜を出してくれるかい?」
挨拶をしつつ花に寄った彼は、しかし違和感を覚えた。いつものような香りがしないことに気づく。
慌てて駆け寄ってみると、花弁が若干垂れている。肝心の蜜も、今日はなぜか出ていない。
「よう、どうした、元気ないな、また灰か?」
その言葉を否定するように、途端北風が青年と花にぶつかる。この上着を脱がせはしまいと青年は身を縮こませる。
「あぁ、もう冬か…」
どこかの星に住む王子様は、愛おしい薔薇をガラスの覆いで守ったらしいが、さてどうしたものか。幸せの蜜がなくなってしまうのは、とてつも無く困るのだ。
-----
お久しぶりですリーシュです、皆様如何お過ごしでしょうか。こちらはめっちゃ寒い。なにこここんな冷える土地だったの?バフォ様ちゃん絶対こんど会ったら氷水にぶち込んでやりますよーーー。
でも私が蜜を出してないのは寒くて死にそうだからじゃない。いやまあこのまま日にちが過ぎてもっと冷え込んで来たら、冬将軍に生命線ぶった斬られますけど。そういや冬将軍の隣にいたあの子はリビドコスしたグラキエスちゃんなのかな?
さておき!私はこの寒さでは死にましぇん。まだ。しかし早くに手を打つに越したことはない!そこで!作戦「受動的突撃!隣のオトコさん!」
寒さでよぼよぼ、かわいそうなリーシュ、それを見た心優しい人間さんは家の植木鉢に植えようと私を引き抜く!見事リーシュは孤独の土の中から脱出、そして結婚!うーん我ながら名案。
さあ人間さんよ、私は蜜が出ないまで弱ってしまっている、どうする?
「んーしゃーない、明日は運良くお休みだから、その時家の中に植え替えするからな、悪いけど今日はここで我慢できるか?日が出れば少しは暖かくなるだろうし。じゃあ待ってろよ」
ほおぉ!よーしよーしよく言った。今すぐじゃなくて明日なのがちょっと不満だけど、でもこれはもう勝ち確ですよ。ついに明日私達は結ばれる!いろんな意味で!あぁもう楽しみで遠足前の幼稚園児みたいになってるどうしよどうしよ…
…花の中いじくり回して何度も悶えさせた男を私は逃さない!ウオオ!
-----
その日店主に頼んで早めにギルドから抜けてきた青年は、花屋に行って植木鉢を買った。大きさを説明した時に少なからず訝しげな顔をされたが、鉢はあるにはあった。その大きさ故に低くない金額を払うことになったが、むしろ彼の顔には喜びがあった。
これで明日からもハニーミルクを飲むことができる。
そして何より、あの花は枯れずに済む。
ついでに植え替えるための大きめのシャベルを買っていたら、もう日は暮れてしまっていたため、帰る時は森を迂回するようにした。何だって夜は怖い、魔物がいるかしらん。その闇の中に閉じ込められたあの花のことを思うと、胸が痛んだ。しかし、明日には花もそこから抜け出せるんだ。待ってろよ、俺が救い出してやる。いつの間にか湧き出たヒーロー臭い気分が恥ずかしく、青年は頬を切る寒さに顔を赤らめながら、帰りの道を急いだ。
翌日は晴れた。外で作業をする日和とも言えよう。
日も大分上がった森の中、大きな花のそばには大きな植木鉢と、そこまで大きくはない青年がいた。
花を植え替えるには周りの土も一緒に変えた方がいい。無理に花を引き抜いても、根が傷付いては花が死んでしまう。花屋からそう教えてもらった彼は、周りの土にシャベルを差し込んだ。
-----
引き抜けえええぇぇ!!
周りの土ザクザクしないで引き抜けええええぇぇぇ!!!
私そんなにヤワじゃない!引き抜いても根ェちぎれないから!優しくしてくれるの本当すんごく好きになっちゃうけど今は違う!!
うおぉめっちゃ寒くなってきた、土ってなんだかんだ保温性あるから、周りの土が無くなるってのは上着を追い剥ぎされるのと同んなじな訳ですよ、やんエッチ。
じゃなくて!!いいぃほんとに寒くなってきた、足先からも寒気が来るってことはこれ下まで掘り終わったのかな、うぅ寒い寒い足寒いブルブル
…ブルブル?
そっか下の方の土は踏み固められてなくて柔らかいから足を動かせるんだ!足をバタバタさせると…うおぉ土が落ちていく感覚が!自由だ!私の足は自由を手に入れた!イェス!
まだ腰から上の土は固くて落とせないけど、これは人間さんに擦り付けて落とせばいいや。
ウオオォ待ってろ未来の旦那さん!あなたが逃げても私の足で逃がさない!目が見えなくても精の匂いであなたを逃がさない!!待てー!!!
-----
森の中には魔物がいる。
昔に誰から聞いたか定かではないが、そんなことを聞いたような気がしないでもない。しかしそれが誰かも、聞いたか否かも今の青年にはどうでもよかった。
何故なら現に魔物に追いかけられてるからだ。
先刻、根の先であろうところまで掘り終えた青年が一息付いていると、突然下の方の根が動き出したのだ。一旦腰を抜かすも慌てて逃げ出した彼だったが、家に逃げ込む間際に後ろを確認すると、土の塊から大きな花と根のような二本の足がでたナニモノカが追ってくるのが見えた。自宅に逃げるのが大きな間違いだったと気付くも後の祭り、どう足掻いてもあと少しの生命を守るように青年はベッドに包まった。
足音が近付き、ドアの前で止まった。
するとソレは今度はドアを叩き始めた。
布団に閉じこもる彼の耳に、大きく鈍い音と、バラバラと何か湿ったものが落ちていく音が響く。きっとドアが壊されているのだろう。
運命の音は耐えず彼の耳と心を脅かす。
ふと、音が止まった。
魔物が布団を引き剥がすのを待っていた彼は、しかしそれがいつまでも起きないことに気づくと、そっと布団に隙間を作り、ドアの方を確認した。
ドアは何の変哲もなくそこにあった。
シンとした部屋の中で、遠くのカラスの声だけが聴こえる。
小窓からは日の落ちかけた空が見える。
このまま夜になれば、空気も冷えて、あの花の形をした魔物も枯れてくれるだろう。明日になればもう大丈夫なはずだ。蜜のことを思うと変に寂しくなったが、得体も知れない魔物を目にするのはもうまっぴらだった。少し気を緩めると、そのまま青年は眠りに落ちた。
-----
私は死にましぇぇええん!
完全キャストオフして準備万端な私をもう誰にも止められない!夜の寒さは植木鉢クンに守ってもらいましたけど。
それにしても頭って振り続けると痛くなるんですねー、多分私は世界で初めてドアにヘドバンしたマンドラゴラですよ。おかげで土は全部バイバイ!生まれたての体に冷気が染みるゥ、あっ寒さに対してマゾくなってきちゃったかも。
いま私は人間さんの家の扉の前で仁王立ちしてます。もう絶対逃がさない!
-----
身震いがして起きた。
布団の僅かな隙間から寒気が入り込む。窓を見ると、薄い氷の膜を何十枚にも重ねたような空の色をしていた。
そのまま視線がドアにいった瞬間、昨日を思い出した。身震いがきた。いや、この寒さでヤツもどこかで死んでるだろう、それよりショベルなどを回収しないと。
カンテラを持つ手と同時に、もう一方の手が小瓶に伸び、止まった。
習慣になっていたささやかな幸いが、懐かしかった。それと共に、恐怖心に満ちた心の中に、申し訳なさのようなものが少しだけ芽生えた。いつか鼻をくすぐった香りがふとした気がした。
いや。
青年は寒さに気を引き締めると、ドアを開けた。
-----
さァさァ皆さんご一緒に。
「きゃああぁ"あ"っガハッゲホッゲッホッ
ああぁあぁぁ!!
ノド乾燥して声が死んだァ!!
魔力がちょっとだけ通ったせいか人間さんなんとも言えない目で私見てるし!逆になんか恥ずかしいやめて!
「水いる?」じゃないよ!どこからどう見ても水が必要、ですね。はい。あっコップ持ってきてくれた。ありがとうございます。はぁ〜生き返るわ〜。
…それでは改めまして。
「キャアアアアアアアア!!!」
「うるせえええええええ!!!」
…そうだ二回目からは魔力込められないんだった。あーもうじれったい押し切っちゃえ!
「私と結婚してええええええええ!!!」
そのまま人間さんに華麗にダイブ!あなたも布切れキャストオフ!
レッツ!夫婦性活!
道がてら花を見つけた青年は、ただただそれを美しいと思った。
青年は平々凡々とした男であった。植物の知識には乏しかったが、考える葦に普遍する、ものを耽美し感動する心は持っている。花は、そこに直接訴えかけてくるようだった。
青年は街でギルドの手伝いをしていた。武器を運び、捺印し、都合の良い依頼が無いと声を荒げる大男を宥めながら、少しばかりの金を貰い、街の外れの番小屋に暮らしていた。
ギルドのある中心部と彼の小屋の間にはこんもりとした森があった。普通であれば、まだ薄暗い内に家を出て、日が暮れてから帰途につく青年は、暗々とした木々の隙間への根拠のない恐怖心から、カンテラを片手にその森を避けて通っていた。しかし荒れた大男がギルドのテーブルをいくつか薪同然にまで破壊してしまった今日は、幸か不幸か早めに終業を言い渡された。まだ日の高い内に帰れるのはありがたいことだが、その分の時給を貰えないのも事実である。そして、客が暴徒化する前に抑えられなかった責任も、また青年にはあった。
さて、怖いものもその要素が無くなればどうということもないものである。帰り際の森は、秋に色付いた葉々が梢から漏れる光と相俟って、やや芸術の雰囲気を醸し出していた。そこに獣道を見つけた彼は、近道と、ちょっとした探検心から、森の中へ足を進めた。
そして、大きな花を見つけた。
花は、美しく、馨しかった。
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……!足音だ!足音が来た!
ついについに人間さんです、このリーシュが引き抜かれる時ですよコンチキショー。
バフォ様のきまぐれ広範囲転移魔法に巻き込まれてはや1ヶ月。ってかあれ絶対テロでしょ。なにが「ワシも新天地で婿探しじゃー!」ですかそういうの自分チでやって下さいよホントもうお願いしますよー。だってあれ転移先の座標がランダムなやつでしょ。むー。バフォちゃん様なら教団の兵士の真ん前に飛んでもバフォバフォパワーでどうにかなるけど、こちとら植物ですからね、死にますよ。まあここはなんだかそう危険そうな土地じゃなさそうだから良かったけど。
けど、けど!何って人が来ない!誰も来なければ魔力もない。一応土からは養分は取れるけど、人間にとってのスナックとかあんな感じで、つまり肉が食いたい。おなかすいたおなかすいた!肉ゥ!肉ゥ!精!アァアア!
といったところで!やっとのとこさの人間さんですよ!あのしっかりとした足踏み、あの素晴らしい精の感覚!近づいてきた!抜かれる、私は抜かれる!あっ我慢できない濡れてきた
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青年が思わず花に近付くと、鼻をくすぐる香りはさらに強くなった。それはまるで青年の探訪を喜んでいるようでもあり、もっと近くへと誘惑しようとしているようでもあった。
「…綺麗だ」
無意識に言葉を出した彼は、花の中心が少し湿っているのに気が付く。蜜だろうか。湿っている部分に指を擦り付けてそれを舐めてみると、なんとも惹き込まれるような甘さが口の中に広がった。しかし、蜜らしからぬえぐみも、同時に味わった。よく見ると、花の一部分が少し萎れているようだった。
花と言っても生き物は生き物である。こんな人通りの少ない森の中で管理も行き届かなければ、この花もすぐ枯れてしまうだろう。
「待ってろ、ご飯持ってくるからな」
幸いそこから自宅まで遠くなかった彼は、そう花に話しかけると、急いで肥料となるものを取りにいった。暖炉に残していた灰なら、いい養分になるだろう。
花の周りの土に灰を混ぜてあげた翌日、青年は少し家を早く出た。いつもより増して日の光が浅く、森は深い陰を湛えていたが、あの花のきっと元気になっている姿を見れることに比べれば、闇の恐怖は何ともなくなっていた。
花は、そして期待通り水々しくなっていた。確認するように指を花の中心に触れさせると、そこには蜜がじわりと溜まっていた。その味には昨日のようなえぐみがなく、すっきりと突き抜けるような甘さになっていた。青年はそれが嬉しかった。
「今日も仕事頑張って来るからな」
青年にとって、大きな花が生活の彩りとなったのも、また事実であった。
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違う違うそうじゃなくて。
…なんで引き抜かないのさ?
や分かりますよ、お花を大切に思う気持ち。灰も嬉しかったですよ。でもね、そうじゃない。
ここ一週間くらい毎朝ずーっと話しかけて蜜舐めて、それでおしまーい。とんぴらしゃん。
んー、あのままだと引き抜かずに、埋まったままの私を愛でて終わりそうなんだよねー、どうにかして花をひっ掴んでもらわないと…。
……あっやってきた、さあ今日こそ私を引き抜きなさいよ、ほら匂いムンムンムンムン。ムンムン。おっ近づいて来た。
ってんんっ!違っ、そこ触らないでっ、んぁっ!ぁあっ!そ、そこの花の付け根触られるとなんかくすぐったくぅんんんっ!っはぁ、はぁ……
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花は、愛情をかけて育てると美しく成長するという。
毎朝街に行きがけにあの花に声をかけ、蜜を掬ってした青年は、なんだか本当にその花が生きてー意思を持ってーいる気がしてきて止まなかった。というのも、花から滲み出る蜜が、常に垂れ出しているのではなく、彼が花に近づく度に出していたようであったからである。彼が指に付ける蜜はいつも爽やかで、さっきまで空に出ていた星の金平糖を朝露に溶け込ませて濾した味をしていた。その真新しい味は、例のテーブル破壊事件のあと、修理代として少なくない額を賃金から天引きされている青年のやや憂鬱な通勤を、しゃっきりと整えさせていた。
その朝も彼は少し早く起きた。秋も半ばを越え、時計の上では同じ時間のはずも昨日より太陽は沈んでいた。
扉の隙間から入り込む冷たさに身を震わせながら、青年は上着を着込んで外に出た。まだ暗すぎる森の中ではカンテラは必至だったが、カンテラを持つ逆の手には、小瓶が握られていた。あの花の蜜を採るためだ。
温めた牛乳にあの蜜を混ぜて飲むと、未明の冷えた体が暖まるのに気付いたのは数日前。乳と蜜のブレンドのレシピ自体はいくらか前に耳に挟んではいたが、実際に試してみてからはそれに虜になってしまった。毎朝のささやかな幸せである。
しかし、蜜を出してくれる量はそう多くなく、またその蜜が新しいものでありたかった青年は、こうして毎日起きてはすぐ花の元に向かうようになっていた。
「おはよう、今日も美味しい蜜を出してくれるかい?」
挨拶をしつつ花に寄った彼は、しかし違和感を覚えた。いつものような香りがしないことに気づく。
慌てて駆け寄ってみると、花弁が若干垂れている。肝心の蜜も、今日はなぜか出ていない。
「よう、どうした、元気ないな、また灰か?」
その言葉を否定するように、途端北風が青年と花にぶつかる。この上着を脱がせはしまいと青年は身を縮こませる。
「あぁ、もう冬か…」
どこかの星に住む王子様は、愛おしい薔薇をガラスの覆いで守ったらしいが、さてどうしたものか。幸せの蜜がなくなってしまうのは、とてつも無く困るのだ。
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お久しぶりですリーシュです、皆様如何お過ごしでしょうか。こちらはめっちゃ寒い。なにこここんな冷える土地だったの?バフォ様ちゃん絶対こんど会ったら氷水にぶち込んでやりますよーーー。
でも私が蜜を出してないのは寒くて死にそうだからじゃない。いやまあこのまま日にちが過ぎてもっと冷え込んで来たら、冬将軍に生命線ぶった斬られますけど。そういや冬将軍の隣にいたあの子はリビドコスしたグラキエスちゃんなのかな?
さておき!私はこの寒さでは死にましぇん。まだ。しかし早くに手を打つに越したことはない!そこで!作戦「受動的突撃!隣のオトコさん!」
寒さでよぼよぼ、かわいそうなリーシュ、それを見た心優しい人間さんは家の植木鉢に植えようと私を引き抜く!見事リーシュは孤独の土の中から脱出、そして結婚!うーん我ながら名案。
さあ人間さんよ、私は蜜が出ないまで弱ってしまっている、どうする?
「んーしゃーない、明日は運良くお休みだから、その時家の中に植え替えするからな、悪いけど今日はここで我慢できるか?日が出れば少しは暖かくなるだろうし。じゃあ待ってろよ」
ほおぉ!よーしよーしよく言った。今すぐじゃなくて明日なのがちょっと不満だけど、でもこれはもう勝ち確ですよ。ついに明日私達は結ばれる!いろんな意味で!あぁもう楽しみで遠足前の幼稚園児みたいになってるどうしよどうしよ…
…花の中いじくり回して何度も悶えさせた男を私は逃さない!ウオオ!
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その日店主に頼んで早めにギルドから抜けてきた青年は、花屋に行って植木鉢を買った。大きさを説明した時に少なからず訝しげな顔をされたが、鉢はあるにはあった。その大きさ故に低くない金額を払うことになったが、むしろ彼の顔には喜びがあった。
これで明日からもハニーミルクを飲むことができる。
そして何より、あの花は枯れずに済む。
ついでに植え替えるための大きめのシャベルを買っていたら、もう日は暮れてしまっていたため、帰る時は森を迂回するようにした。何だって夜は怖い、魔物がいるかしらん。その闇の中に閉じ込められたあの花のことを思うと、胸が痛んだ。しかし、明日には花もそこから抜け出せるんだ。待ってろよ、俺が救い出してやる。いつの間にか湧き出たヒーロー臭い気分が恥ずかしく、青年は頬を切る寒さに顔を赤らめながら、帰りの道を急いだ。
翌日は晴れた。外で作業をする日和とも言えよう。
日も大分上がった森の中、大きな花のそばには大きな植木鉢と、そこまで大きくはない青年がいた。
花を植え替えるには周りの土も一緒に変えた方がいい。無理に花を引き抜いても、根が傷付いては花が死んでしまう。花屋からそう教えてもらった彼は、周りの土にシャベルを差し込んだ。
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引き抜けえええぇぇ!!
周りの土ザクザクしないで引き抜けええええぇぇぇ!!!
私そんなにヤワじゃない!引き抜いても根ェちぎれないから!優しくしてくれるの本当すんごく好きになっちゃうけど今は違う!!
うおぉめっちゃ寒くなってきた、土ってなんだかんだ保温性あるから、周りの土が無くなるってのは上着を追い剥ぎされるのと同んなじな訳ですよ、やんエッチ。
じゃなくて!!いいぃほんとに寒くなってきた、足先からも寒気が来るってことはこれ下まで掘り終わったのかな、うぅ寒い寒い足寒いブルブル
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そっか下の方の土は踏み固められてなくて柔らかいから足を動かせるんだ!足をバタバタさせると…うおぉ土が落ちていく感覚が!自由だ!私の足は自由を手に入れた!イェス!
まだ腰から上の土は固くて落とせないけど、これは人間さんに擦り付けて落とせばいいや。
ウオオォ待ってろ未来の旦那さん!あなたが逃げても私の足で逃がさない!目が見えなくても精の匂いであなたを逃がさない!!待てー!!!
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森の中には魔物がいる。
昔に誰から聞いたか定かではないが、そんなことを聞いたような気がしないでもない。しかしそれが誰かも、聞いたか否かも今の青年にはどうでもよかった。
何故なら現に魔物に追いかけられてるからだ。
先刻、根の先であろうところまで掘り終えた青年が一息付いていると、突然下の方の根が動き出したのだ。一旦腰を抜かすも慌てて逃げ出した彼だったが、家に逃げ込む間際に後ろを確認すると、土の塊から大きな花と根のような二本の足がでたナニモノカが追ってくるのが見えた。自宅に逃げるのが大きな間違いだったと気付くも後の祭り、どう足掻いてもあと少しの生命を守るように青年はベッドに包まった。
足音が近付き、ドアの前で止まった。
するとソレは今度はドアを叩き始めた。
布団に閉じこもる彼の耳に、大きく鈍い音と、バラバラと何か湿ったものが落ちていく音が響く。きっとドアが壊されているのだろう。
運命の音は耐えず彼の耳と心を脅かす。
ふと、音が止まった。
魔物が布団を引き剥がすのを待っていた彼は、しかしそれがいつまでも起きないことに気づくと、そっと布団に隙間を作り、ドアの方を確認した。
ドアは何の変哲もなくそこにあった。
シンとした部屋の中で、遠くのカラスの声だけが聴こえる。
小窓からは日の落ちかけた空が見える。
このまま夜になれば、空気も冷えて、あの花の形をした魔物も枯れてくれるだろう。明日になればもう大丈夫なはずだ。蜜のことを思うと変に寂しくなったが、得体も知れない魔物を目にするのはもうまっぴらだった。少し気を緩めると、そのまま青年は眠りに落ちた。
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私は死にましぇぇええん!
完全キャストオフして準備万端な私をもう誰にも止められない!夜の寒さは植木鉢クンに守ってもらいましたけど。
それにしても頭って振り続けると痛くなるんですねー、多分私は世界で初めてドアにヘドバンしたマンドラゴラですよ。おかげで土は全部バイバイ!生まれたての体に冷気が染みるゥ、あっ寒さに対してマゾくなってきちゃったかも。
いま私は人間さんの家の扉の前で仁王立ちしてます。もう絶対逃がさない!
-----
身震いがして起きた。
布団の僅かな隙間から寒気が入り込む。窓を見ると、薄い氷の膜を何十枚にも重ねたような空の色をしていた。
そのまま視線がドアにいった瞬間、昨日を思い出した。身震いがきた。いや、この寒さでヤツもどこかで死んでるだろう、それよりショベルなどを回収しないと。
カンテラを持つ手と同時に、もう一方の手が小瓶に伸び、止まった。
習慣になっていたささやかな幸いが、懐かしかった。それと共に、恐怖心に満ちた心の中に、申し訳なさのようなものが少しだけ芽生えた。いつか鼻をくすぐった香りがふとした気がした。
いや。
青年は寒さに気を引き締めると、ドアを開けた。
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さァさァ皆さんご一緒に。
「きゃああぁ"あ"っガハッゲホッゲッホッ
ああぁあぁぁ!!
ノド乾燥して声が死んだァ!!
魔力がちょっとだけ通ったせいか人間さんなんとも言えない目で私見てるし!逆になんか恥ずかしいやめて!
「水いる?」じゃないよ!どこからどう見ても水が必要、ですね。はい。あっコップ持ってきてくれた。ありがとうございます。はぁ〜生き返るわ〜。
…それでは改めまして。
「キャアアアアアアアア!!!」
「うるせえええええええ!!!」
…そうだ二回目からは魔力込められないんだった。あーもうじれったい押し切っちゃえ!
「私と結婚してええええええええ!!!」
そのまま人間さんに華麗にダイブ!あなたも布切れキャストオフ!
レッツ!夫婦性活!
16/01/11 22:37更新 / ピュノン