ロビン=ミンシュタイン2
日が暮れてきたので、僕は外に出ることにした。沿岸の村というのは夕日が映える。村が親魔物領となる前は、観光客がよく来ていたらしい。
だが、教団にこの村が親魔物領であると知られてからはぱったり来なくなった。最近父が家に帰らないのもそれが原因なのだろう。などと陰鬱な思考をしていると、村の入り口から痩身の男性が帰ってきた。
「おお、ロビンくん。勉強の休憩かい?」
「ええ。まあ。おじさんもお疲れ様です」
靴墨にまみれた手で鼻の下をこすり、疲れたように笑うおじさん。僕はおじさんのこういう顔以外見たことがない気がする。
日中はテッセ川の向こうの街まで、靴磨きの仕事に行っているらしい。街中に立っていると自然と情報通になるものさと得意げに語っていたことは記憶に新しい。
僕はこの村を出られない身であるので、そんなおじさんの話は楽しみであった。
「いやぁ、隣町にも教会ができて、だいぶ教団の人たちが増えたね。近いうち山の向こうの遺跡を調べるらしくて傭兵募集もやってて気が立ってたし、ぼく自身もこの村の出だとばれないかヒヤヒヤしていたよ……あっ。すまないね、先生のことを悪く言うつもりはないんだ」
「ええ。わかってますよ」
魔物ですらないのに魔物と近しい扱いを受けるのは、反教団の宿命か。別に僕たちは教団のやり方が気に食わないわけではないんだが、親魔物=反教団なのだ。
そんなことを考えると、昼に出会った傷つけられたサハギンのことがどうしても頭に浮かぶ。隣町からの荷物ではなかったが、テッセ川を下るならあの街の近くを通るはず。
「……おじさん、隣町で昼ごろ、魔物が出たっていう話はなかったですか?」
おじさんが一瞬驚いた顔をする。
「おっ? どうして知ってるんだい? 昼ごろに教団の正規軍……ほんの数人だけどね、その人たちが魔物が出たと街の鐘を鳴らしたんだ。大パニックだったよ。鍛冶屋のおじさんなんかフレイルまで持ち出して、戦争でも始めそうな感じだった。いやぁ怖いね」
フレイルと言えば、棘付の鉄球を振り回す武器だ。あんなもので殴られれば魔物でも死ぬ。あの少女に刺さっていたのは教団の剣だが、あのぼんやりとした態度は殴られた痛みを隠すためだったのかもしれない。
少女の笑わない顔が、頭から離れない。
「ロビンくん、君も学者の顔をするようになったね。先生に似てきたよ」
僕の苦悩する顔をどう受け取ったのか、おじさんはうんうんと頷いて僕の頭をなでた。そういえば父が笑うところなど見たことがない。
「君もそろそろフィールドワークをしたっていいとぼくは思うんだけどね、先生は頑固だね。まあ確かに、野生の魔物なんて危険すぎて近寄れないけどね。たとえ今の魔物でも、いやむしろ、今だからこそ、かな?」
遠い目をしながらおじさんが呟く。おじさんは父とよく酒を飲むらしく、村の集会場で夜を明かすことも多いようだ。だから父はあまり家に帰らない。
「おじさん。父は何か、僕に隠しているのではないですか?」
「えっ? いやぁ、ロビンくんは鋭いね。先生は確かに君に色々なことを教えていない。でもそれは、まだ知るべきではないからだよ。意地悪で教えないからじゃあない。学者には危険がいっぱいだからね。勇気だって要る。おっと、こういうこと言うと、ロビンくんには良くなかったかな?」
「いえ。そんなことないですよ」
なるほど得心した。僕はこんな事実を知り父をとがめることなどしない。つい数時間前、自分の勉強不足は痛感したばかりだ。
あのサハギンの少女は、大丈夫なのか……?
「それじゃあロビンくん、ぼくは明日も早いからここで失礼するよ」
おじさんは手を振って、少し曲がった背筋で歩いていく。
僕の中に違和感が生まれる。僕はこの機会を逃すと何か良くない気がして、口を開いていた。
「……おじさんは、元学者とかなんですか?」
おじさんが歩を止めて、疲れたような笑顔を見せた。
「ふふっ。ロビンくん、よくわかったね。ぼくは数年前まで学者だった、というか先生の弟子の一人だったんだけど、やめてしまってね。ロビンくん、気をつけなよ」
僕は会釈した。
そして家に帰ると、シー・ビショップの少女が顔を出していた。
次の文章もまた似たような出来であった。それどころか明らかに酷くなっていた。全部描写すると頭が痛くなるので抜粋でご容赦願いたいが、『体の中をあの人で満たしたい方募集』とか『繁殖しようぜ☆』とか本当にこれまともな精神のやつが書いてるのかと本気で頭を捻りたくなる。
「どうですかロビンさん! とっても素晴らしい文章ですよね!?」
そして相変わらずこいつの目はどうなっているんだろう。ちょっと気になったので訊いてみた。
「どこがどうすごいんだ?」
「リアリティがあるところです! 欲望をありのままにさらけ出すことは決して簡単じゃない。でもそれでもっ、ありのままの姿を見せる若い感性が素晴らしいと思いませんか!? これで男性も虜になりますよ!」
どこかに論理の飛躍がある気がする。僕は咳払いして、その紙を突き返した。
「論外だ。これじゃ教団の目に入ったとたんに布教者が罰を受ける。魔物関連の以前に文章が問題だ」
僕は少し考え、
「何度も言うが、理性的に書いてくれ。そうだな……魔物だから、もっと素朴に、素直に書いてみるといいかもしれない」
「……また教団ですか」
ぼそりと呟く。だがすぐににこりと笑って、鞄に布教文書を入れた。
「わかりましたっ。それじゃあ伝えときますね!」
ミンテリアースは水路の中へ沈んだ。僕はため息をついて水路の蓋を施錠し、机につく。あいつも大変だな。依頼主とやらはもしかしたら言葉が通じないのかもしれない。
いやそれとも、端からやる気などないのかもしれない。だとしたら僕もミンテリアースも哀れだ。一番哀れなのはミンテリアースだろうが。契約していない、本来村へ入れない魔物であるのに、この村へ何度も出入りして……。
「……そうだ。教団の軍隊が」
伝えるのを忘れていた。あの軍隊がこっちの村まで来るのも時間の問題。テッセ川周りの河岸警備を固めようとしているんだろう。
まずい。
「おい待て!」
慌てて蓋を開け、水路へと叫ぶが、返事はない。少し濁っているため水中は見えない。外はもう夜だ。
今更ながら、ミンテリアースにせよ昨日のサハギンの少女にせよ、水の中で生きているのだという自覚が沸いた。
僕は蓋を開けたまま、何を思ったか足先だけを水に浸した。僕は泳げない。だが、昼から放置されたままの教団の剣が目に入ると、そうせずにはいられなかった。何の意味もありはしないというのに。
冷たさが足先から足の根まで到達しようとした、その時。
「うわぁっ!?」
目の前にサハギンが現れた。水の滴る黒髪が僕の膝をくすぐり、笑いそうになるがこらえた。すぐに足を引っ込めると、昼と変わらない動作で小さな手紙を差し出してきた。
「……テセ町から。アレフ=ミンシュタインへ」
「ど、どうも」
小包の次は手紙か。差出人はわからないが、ただの個人的なものではない。封の上に紋章が入っている。親書の類か。どこかで見たことがある気がする。
父の机にそれを置き、水路の前に立って少女が水路へ沈むのを待つと、
「わっ……?」
ぴとっ、とヒレの手が僕の腕に触れた。ひやりと冷たい。慌てて振りほどこうという気は起きなかった。サハギンの少女はまっすぐ僕を見つめていたからだ。
もう片方の手が、今度は僕の胸に触れ、離し、片方の腕に触れた。水がわずかに揺らめく音を立てる。少女が身を乗り出している。顔のつくりがはっきりとわかる。僕たちと同色の肌には細かい染み一つない。
魔物だということを忘れるほど。
綺麗だ、と思った。
「お、おい……なんだよ?」
このままだと額がぶつかりそうだ。紺碧の目の内にうずまく奇妙な形をした虹彩すらわかる。僕が首だけを後ろに傾けると、肩にあごを乗せてきた。
彼女の首の契約の証が、チャリンと音を立てる。
「……人の肌は、暖かい」
「は?」
冷たいヒレが僕の背中に回る。抱きついているのか? 魔物が? どういうことだ。サハギンはそんなに人間に対して友好的でもないはず。
この少女の意図が読めない。だが動けない。小さな体だが存外重い。
鼓動が早まる。むせ返る水の匂い。
「……」
思考の中で、微かな吐息と、くちゅり、と何か濡れたものが動く音がした気がする。
少女が僅かに肩の上で頭を動かす。契約の証が冷たい音を立て僕の肩を叩く。痛い。
「……してはいけない。わかってる。でも」
「な、何の話だ?」
ずるずると、まるで水の中へ引きずられるように離れていく。ヒレはべったりと僕の体をなぞっている。
まるで一瞬でも多く触れていたいとでも言うように。
少女が水に沈み、また顔だけを出す。教団の舞踏仮面のような無表情だ。
「……あなたの、名前は?」
「ろ、ロビン=ミンシュタインだ」
「……わかった」
サハギンの少女は水に沈んだ。奇妙な冷たさと、首筋に残る暖かさが、鼓動を早めさせた。暑い。
僕は首筋をなでた。濡れている。いや当たり前だろう。サハギンだ。水の中で生きているのだから。服まで濡れている。着替えたほうがいいか。いやなぜ着替える。何を隠す。なぜ隠す。
「ああっ……」
ぐるぐると思考が回りどうにも安定しない。僕は机につき、頭を抱えた。
おかしい。何かがおかしい。理論がわからない。
異常に早い鼓動が胸郭を打ち破りそうだ。苦しい。
誰かわからないのか。なんとかしてくれ。
僕がロクに信じてもいない主神にすら祈ろうとすると、
「……帰ったぞ」
猟銃を抱えた父が、帰ってきていた。
だが、教団にこの村が親魔物領であると知られてからはぱったり来なくなった。最近父が家に帰らないのもそれが原因なのだろう。などと陰鬱な思考をしていると、村の入り口から痩身の男性が帰ってきた。
「おお、ロビンくん。勉強の休憩かい?」
「ええ。まあ。おじさんもお疲れ様です」
靴墨にまみれた手で鼻の下をこすり、疲れたように笑うおじさん。僕はおじさんのこういう顔以外見たことがない気がする。
日中はテッセ川の向こうの街まで、靴磨きの仕事に行っているらしい。街中に立っていると自然と情報通になるものさと得意げに語っていたことは記憶に新しい。
僕はこの村を出られない身であるので、そんなおじさんの話は楽しみであった。
「いやぁ、隣町にも教会ができて、だいぶ教団の人たちが増えたね。近いうち山の向こうの遺跡を調べるらしくて傭兵募集もやってて気が立ってたし、ぼく自身もこの村の出だとばれないかヒヤヒヤしていたよ……あっ。すまないね、先生のことを悪く言うつもりはないんだ」
「ええ。わかってますよ」
魔物ですらないのに魔物と近しい扱いを受けるのは、反教団の宿命か。別に僕たちは教団のやり方が気に食わないわけではないんだが、親魔物=反教団なのだ。
そんなことを考えると、昼に出会った傷つけられたサハギンのことがどうしても頭に浮かぶ。隣町からの荷物ではなかったが、テッセ川を下るならあの街の近くを通るはず。
「……おじさん、隣町で昼ごろ、魔物が出たっていう話はなかったですか?」
おじさんが一瞬驚いた顔をする。
「おっ? どうして知ってるんだい? 昼ごろに教団の正規軍……ほんの数人だけどね、その人たちが魔物が出たと街の鐘を鳴らしたんだ。大パニックだったよ。鍛冶屋のおじさんなんかフレイルまで持ち出して、戦争でも始めそうな感じだった。いやぁ怖いね」
フレイルと言えば、棘付の鉄球を振り回す武器だ。あんなもので殴られれば魔物でも死ぬ。あの少女に刺さっていたのは教団の剣だが、あのぼんやりとした態度は殴られた痛みを隠すためだったのかもしれない。
少女の笑わない顔が、頭から離れない。
「ロビンくん、君も学者の顔をするようになったね。先生に似てきたよ」
僕の苦悩する顔をどう受け取ったのか、おじさんはうんうんと頷いて僕の頭をなでた。そういえば父が笑うところなど見たことがない。
「君もそろそろフィールドワークをしたっていいとぼくは思うんだけどね、先生は頑固だね。まあ確かに、野生の魔物なんて危険すぎて近寄れないけどね。たとえ今の魔物でも、いやむしろ、今だからこそ、かな?」
遠い目をしながらおじさんが呟く。おじさんは父とよく酒を飲むらしく、村の集会場で夜を明かすことも多いようだ。だから父はあまり家に帰らない。
「おじさん。父は何か、僕に隠しているのではないですか?」
「えっ? いやぁ、ロビンくんは鋭いね。先生は確かに君に色々なことを教えていない。でもそれは、まだ知るべきではないからだよ。意地悪で教えないからじゃあない。学者には危険がいっぱいだからね。勇気だって要る。おっと、こういうこと言うと、ロビンくんには良くなかったかな?」
「いえ。そんなことないですよ」
なるほど得心した。僕はこんな事実を知り父をとがめることなどしない。つい数時間前、自分の勉強不足は痛感したばかりだ。
あのサハギンの少女は、大丈夫なのか……?
「それじゃあロビンくん、ぼくは明日も早いからここで失礼するよ」
おじさんは手を振って、少し曲がった背筋で歩いていく。
僕の中に違和感が生まれる。僕はこの機会を逃すと何か良くない気がして、口を開いていた。
「……おじさんは、元学者とかなんですか?」
おじさんが歩を止めて、疲れたような笑顔を見せた。
「ふふっ。ロビンくん、よくわかったね。ぼくは数年前まで学者だった、というか先生の弟子の一人だったんだけど、やめてしまってね。ロビンくん、気をつけなよ」
僕は会釈した。
そして家に帰ると、シー・ビショップの少女が顔を出していた。
次の文章もまた似たような出来であった。それどころか明らかに酷くなっていた。全部描写すると頭が痛くなるので抜粋でご容赦願いたいが、『体の中をあの人で満たしたい方募集』とか『繁殖しようぜ☆』とか本当にこれまともな精神のやつが書いてるのかと本気で頭を捻りたくなる。
「どうですかロビンさん! とっても素晴らしい文章ですよね!?」
そして相変わらずこいつの目はどうなっているんだろう。ちょっと気になったので訊いてみた。
「どこがどうすごいんだ?」
「リアリティがあるところです! 欲望をありのままにさらけ出すことは決して簡単じゃない。でもそれでもっ、ありのままの姿を見せる若い感性が素晴らしいと思いませんか!? これで男性も虜になりますよ!」
どこかに論理の飛躍がある気がする。僕は咳払いして、その紙を突き返した。
「論外だ。これじゃ教団の目に入ったとたんに布教者が罰を受ける。魔物関連の以前に文章が問題だ」
僕は少し考え、
「何度も言うが、理性的に書いてくれ。そうだな……魔物だから、もっと素朴に、素直に書いてみるといいかもしれない」
「……また教団ですか」
ぼそりと呟く。だがすぐににこりと笑って、鞄に布教文書を入れた。
「わかりましたっ。それじゃあ伝えときますね!」
ミンテリアースは水路の中へ沈んだ。僕はため息をついて水路の蓋を施錠し、机につく。あいつも大変だな。依頼主とやらはもしかしたら言葉が通じないのかもしれない。
いやそれとも、端からやる気などないのかもしれない。だとしたら僕もミンテリアースも哀れだ。一番哀れなのはミンテリアースだろうが。契約していない、本来村へ入れない魔物であるのに、この村へ何度も出入りして……。
「……そうだ。教団の軍隊が」
伝えるのを忘れていた。あの軍隊がこっちの村まで来るのも時間の問題。テッセ川周りの河岸警備を固めようとしているんだろう。
まずい。
「おい待て!」
慌てて蓋を開け、水路へと叫ぶが、返事はない。少し濁っているため水中は見えない。外はもう夜だ。
今更ながら、ミンテリアースにせよ昨日のサハギンの少女にせよ、水の中で生きているのだという自覚が沸いた。
僕は蓋を開けたまま、何を思ったか足先だけを水に浸した。僕は泳げない。だが、昼から放置されたままの教団の剣が目に入ると、そうせずにはいられなかった。何の意味もありはしないというのに。
冷たさが足先から足の根まで到達しようとした、その時。
「うわぁっ!?」
目の前にサハギンが現れた。水の滴る黒髪が僕の膝をくすぐり、笑いそうになるがこらえた。すぐに足を引っ込めると、昼と変わらない動作で小さな手紙を差し出してきた。
「……テセ町から。アレフ=ミンシュタインへ」
「ど、どうも」
小包の次は手紙か。差出人はわからないが、ただの個人的なものではない。封の上に紋章が入っている。親書の類か。どこかで見たことがある気がする。
父の机にそれを置き、水路の前に立って少女が水路へ沈むのを待つと、
「わっ……?」
ぴとっ、とヒレの手が僕の腕に触れた。ひやりと冷たい。慌てて振りほどこうという気は起きなかった。サハギンの少女はまっすぐ僕を見つめていたからだ。
もう片方の手が、今度は僕の胸に触れ、離し、片方の腕に触れた。水がわずかに揺らめく音を立てる。少女が身を乗り出している。顔のつくりがはっきりとわかる。僕たちと同色の肌には細かい染み一つない。
魔物だということを忘れるほど。
綺麗だ、と思った。
「お、おい……なんだよ?」
このままだと額がぶつかりそうだ。紺碧の目の内にうずまく奇妙な形をした虹彩すらわかる。僕が首だけを後ろに傾けると、肩にあごを乗せてきた。
彼女の首の契約の証が、チャリンと音を立てる。
「……人の肌は、暖かい」
「は?」
冷たいヒレが僕の背中に回る。抱きついているのか? 魔物が? どういうことだ。サハギンはそんなに人間に対して友好的でもないはず。
この少女の意図が読めない。だが動けない。小さな体だが存外重い。
鼓動が早まる。むせ返る水の匂い。
「……」
思考の中で、微かな吐息と、くちゅり、と何か濡れたものが動く音がした気がする。
少女が僅かに肩の上で頭を動かす。契約の証が冷たい音を立て僕の肩を叩く。痛い。
「……してはいけない。わかってる。でも」
「な、何の話だ?」
ずるずると、まるで水の中へ引きずられるように離れていく。ヒレはべったりと僕の体をなぞっている。
まるで一瞬でも多く触れていたいとでも言うように。
少女が水に沈み、また顔だけを出す。教団の舞踏仮面のような無表情だ。
「……あなたの、名前は?」
「ろ、ロビン=ミンシュタインだ」
「……わかった」
サハギンの少女は水に沈んだ。奇妙な冷たさと、首筋に残る暖かさが、鼓動を早めさせた。暑い。
僕は首筋をなでた。濡れている。いや当たり前だろう。サハギンだ。水の中で生きているのだから。服まで濡れている。着替えたほうがいいか。いやなぜ着替える。何を隠す。なぜ隠す。
「ああっ……」
ぐるぐると思考が回りどうにも安定しない。僕は机につき、頭を抱えた。
おかしい。何かがおかしい。理論がわからない。
異常に早い鼓動が胸郭を打ち破りそうだ。苦しい。
誰かわからないのか。なんとかしてくれ。
僕がロクに信じてもいない主神にすら祈ろうとすると、
「……帰ったぞ」
猟銃を抱えた父が、帰ってきていた。
12/04/03 17:43更新 / 地味
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