連載小説
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ロビン=ミンシュタイン1
 最初は私もありえないと思ったんです。そんなことあるわけないって。そんなうまい話にはゼッタイ罠があるって。
 でも、なってみてわかりました! コンプレックスだったニキビも取れないおなかの肉もすっかりなくなって、もう最高です! 胸だって大きくなったし、キレイな羽と尻尾までついて、今流行りの小悪魔ファッション? みたいな!
 私ぶっちゃけ結構内気な子だったんですけど、今なら男の人にも話しかけられる気がします! ううん、話しかけるだけじゃなくてキスしたり抱きついたりその先も……きゃっ☆
 男の人のことを考えるだけで体が熱くなって、こう、尻尾のあたりがうずくんです。もう毎日ドキドキして最高です! 恋する乙女です! 女の子は恋する姿が一番美しいです! 私が保証します!
 さあ、あなたも一緒に私たちの仲間になりましょう! サキュバスの世界は最高です!




 ……水の中を通ってきたはずなのに文字が消えることもなく、羊皮紙特有のごわごわとした感触を失わないんだな。不思議だ。こいつらにはどんな能力があるんだろう?
 「あの、どうでしょうか? 今回の文はとってもいいと思うんですよ! とても具体的に長所を述べていますし、若々しい感性がとてもすばらしいと思いませんか!?」
 こいつらには水を遮断する能力があるのかもしれない。ウンディーネたちは水を操る力があり、彼ら、いや彼女たちと契約した者は水を操ることが出来ると聞いたことがある。それと近似した力を持っているのかもしれないな。
 「……聞いてます?」
 「聞いてないな」
 僕はそう答えた。
 「もう! じゃあせめて読んでくださいよ! ロビンさんだけが頼りなんですから!」
 眼前の先ほどから喋り続ける少女――青い髪のシー・ビショップが怒ったように言う。大して怖くもない。
 「ああ読んだよ。ただ理解したくなくて。それよりおまえたちの能力が気になると思ったらとまらなくて。どうやって羊皮紙を水に濡らさずに持ってきたんだ?」
 「私たちのことはどうでもいいですから! 今回の文章はどうなんですか? ロビンさんだけが頼りなんです!」
 何度も繰り返さなくてもわかっているんだが。
 僕は仕方なく、手に握った羊皮紙に目を落としもう一度読む。ああ、何度見ても――
 「すごいな」
 「でしょう!? これで彼女の願いもきっと――」
 「ここまで怪しい勧誘できる奴も珍しい。こいつ前世は安いペテン師じゃないか? 羊の皮一枚売れない程度の」
 眼前のシー・ビショップの彼女がとても驚いた顔をする。
 「ど、どこが怪しいんですか!? すごく具体的で、サキュバスの魅力がたくさんあるじゃないですか」
 僕はため息をついて、羊皮紙を彼女に見えるよう眼前――水路の蓋の前に叩きつける。
 「いいか? まず目的が最後なのが論外だ。チラシやパンフレットっていうのは、まず何が目的なのかを文頭に入れる。そこで興味を持った人が目を下へ移すと詳細な内容が書かれていて、最後に具体的な購買の手段、例えば伝書の方角だとか商店の所在地だとか……というのが基本だろ。まあ確かに扇情的な広告が必要なのは認めるが、これは煽っているだけだ。しかも人間には裏づけの取れない理論ばかりで、これは強いて言えば同族向けだろう」
 「で、でも、人間にはわからない世界だからこそ惹かれるんじゃないですか? 恋することだって同じですよ!」
 時々こいつはどうしてこんなに他人に対して一生懸命になるんだろうと本気で考えることがある。
 「あのな、この村は違うが、外はみーんな教団の信仰なんだよ。魔物とは悪であり化け物だと言われてるんだよ。そんな奴に化け物生活楽しいですよなんかストレートに言って少しでもなびくと思うか? 説得の材料が違う」
 正論のはずなのだが、眼前のシー・ビショップの少女は目を伏せて黙り込んでしまった。どうしてかはよくわからないが、僕は結論を言う。
 「書き直しだ。もう少し冷静になって理性的に書けと伝えてくれ」
 「……はい」
 羊皮紙を腰に巻きつけた鞄に入れると、ちゃぷんとシー・ビショップの彼女は水に消えた。僕は水路の蓋を閉じ、すっかり冷めた紅茶を飲む。妙な味がするが、どこか異国の茶葉なのだろうか。
 「やれやれ……」
 まだまだ先は長そうだ。



 この世界の住人はあまり知らないが、草原に、森に、洞窟に、魔術隆盛以前時代の古代遺跡(冒険家用語で言うダンジョン)にいる人間に仇なす化け物『魔物』たちは、過去の姿から変化している。
 魔物たちに魔界と言う別の世界で魔力という力を供給し続ける『魔王』が変わったのだ。彼らに代変わりをするという思考があったこと自体が驚きなのだが、彼らのトップがすげ替わった。
 その新たな魔王は、生物的な食物連鎖の最上位に位置する恐怖の存在としての魔物のあり方が気に入らなかった。新魔王は、人間と共生する存在としての魔物こそ正しい姿と考えたのだ。具体的に言えば、魔物たちを雌、人間の男を雄とした(魔王談らしい)新たな秩序を生み出そうとした。要するに人間と共生しようとしたのだ。平和的に。
 そのためにありあまる魔力を放ち、魔物の姿を変えた。さっき眼前にいたような、半分は人間(と酷似した)の女性、半分は古の魔物という姿に。新魔王の秩序の通り彼女たちには女性型のものしかいない。どうしてだろうな。
 平和的な共生を目指すため、魔物たちはもう人間を襲うことはなくなった。人間――教団を信仰する大多数の人間たちは魔物を滅ぼそうとしているが、魔物たちはむしろ人間と仲良くしようと歩み寄っている。自分たちの姿を変えてまで。


 ……それが僕の知る、世界の真実だ。この村の村長である父から聞かされた。
 父はそんな魔物たちの不器用ながら健気な姿に心打たれ、この村をいわゆる「親魔物領」とすることを決めた。それ自体はとても素晴らしいことであると思うし、僕も仲良くなりましょうと差し出してくる手を斬りおとすなどそれこそ化け物の所業であると思っている。
 村から出て行った信仰深い大人もいたが、ほとんどの人はここに残っている。川や海から来る魔物たちと海産資源を取引しながら、静かに暮らしている。魔物の定住こそ認めないが、魔物たちが腹をすかせると食料や寝床を与えているらしい。まあ、すべての魔物に、というわけではないのだが、そこは追々説明しよう。
 先ほどシー・ビショップの彼女が使っていた水路とは、魔物たちが伝書や配達を行うための魔物用の入り口だ。村の動脈、テッセ川に通じている。
 さて、ここで僕自身のことにも触れておこう。僕はロビン=ミンシュタイン。村長、アレフ=ミンシュタインの息子だ。歳は十八。父不在の家を守るのが主な役目だ。
 ダークエルフに作らせたというわりに粗末な一戸建てログハウスの我が家だが、魔法調度品の類はだいたい揃い(ランプはもちろん、最新鋭の冷凍食料保存器もある)、専ら父の私物だが部屋の一面を埋める本棚には書物が詰まっている。父が大陸を回り記録した新魔物の生態が書かれているらしいのだが、僕には触ることの出来ない施錠された本も結構ある。それ以外はすべて読み、僕は遠い『ジパング』とかいう、親魔物領が当たり前という夢の土地に思いを馳せたものだ。
 僕は魔物学者としての道を歩もうと心に決めており、いつか父に認められればすべての書物を読めるだろうと確信している。学者に必要なのは知識ではなく経験であり、経験こそが新たな知や発見を生む。父の言葉だ。
 だからこそその一歩として、あのシー・ビショップの依頼とやらを受けてやったのだが。
 「『魔物の素晴らしさの布教』ねぇ」
 困難な依頼の対価として受け取った掌ほどの無骨な石版を眇め、僕は呟く。
 しばし、回想してみようか。





 ――二週間前、あのシー・ビショップは白昼に水路から顔を出したのだ。
 「ふうっ、えーっと誰か、あ、いました! どうも、こんにちは! シー・ビショップのミンテリアースといいます。ええっとあなたは、私たちのこと知ってますか?」
 僕は書きかけの術式を置いて、まじまじと水路から出たその姿を見つめた。
 青く長い髪は濡れているはずなのに肌に貼りつかず、しかしブラックハーピーの濡れ羽のような艶を持っている。教団のシスターと類似しているが違う形状の純白の法衣を纏い、その内側は扇情的な体つきを申し訳程度に隠す布(?)ときたものだ。片手には分厚い石版を抱えている。とまあ、上半身はややエルフ寄りの人間。
 だが下半身は青い鱗に覆われた魚だった。巨大なヒレが法衣の隙間や腰から突き出ている。淡い虹色の粘液に包まれており、通常の魚とは違うようだ。
 シー・ビショップ。マーメイドの中でも、海神ポセイドンに仕える神官。僕はその名前とおおまかな姿を知っていた。だから頷いた。
 「よかったです! ええっと、あなたの名前は?」
 ぱっと花開くような、顔に似合わない幼い笑顔を浮かべる。その声はなるほど確かに澄んでおり、資料にあった通りだ。マーメイドの一種だけある。
 僕はしばし躊躇した。その首に何もついていないからだ。この村に入る魔物たちは事前に父と契約を結んでおり、契約の証として首に村の証をつけているのである。
 とは言え僕はそういった『壁作り』に懐疑的であるため、普通に名乗ることにした。
 「ロビン=ミンシュタインだ。ロビンでいい」
 「ロビンさんですね? あ、私も呼びにくかったらミリアでいいです。それで、その、念のため言っておきますがロビンさんを海に連れ込もうとは思っていませんからね?」
 「当たり前だ。海に連れ込まれたら死んでしまうだろ」
 シー・ビショップは穏やかな性格で人間にも極めて友好的であるとあったが、もしかして違うのか?
 「あ、あーはい。そうですね。それでですね、これはお姉様……じゃなくて海神ポセイドンとは何の関係もない、私個人のお仕事、いえ、個人的な依頼なんですけど……」
 シー・ビショップのミンテリアースは、ヒレの隙間の光沢ある鞄から小さな石版を取り出し、僕へ差し出した。椅子を立って受け取る。奇怪な文字が彫りこまれていた。
 「これは?」
 「今回の依頼の対価です」
 「まだするとは言っていないが?」
 「あっ! ご、ごごごめんなさいっ。でもそれ、一度渡したらその人のものなので、持っておいてください。その代わり私の依頼を聞いてください。お願いしますっ」
 バタバタとヒレを振りながらも、器用に上半身だけ床に乗り上げ頭を下げる。
 「内容は?」
 「あ、興味を持ってくれたんですね! それが――」





 依頼の内容については説明した通りなので割愛させていただく。ともかく、そういうわけで僕とミンテリアース――断固としてミリアとは呼ばない――は出会い、以来こうやって添削をしている。とは言え今のところ通ったものは一つもない。
 一、パンフレット作成。 二、布教手段の確立。 三、布教者の募集。大まかにこういう作戦を立ててはいるが、第一段階の時点で難航だ。どうしようもない。
 依頼者はサキュバスらしい。サキュバスと言えば新魔物の中核を成す存在のようで、父に気をつけろと厳命された存在だ。気をつけろと言っても何に気をつけるのかはよくわからない。危害を加えることはないはずなんだが。
 具体的にどれほど親魔物派が増えれば依頼達成なのか、そもそもサキュバス自身に布教する気はあるのかも怪しい。
 サキュバス――どんな姿なのかも僕は知らないが、ロクな外見じゃないだろう。あの頭の悪そうな文章なら。
 と、そこでコンコンと蓋つき水路から音が鳴る。魔物が到着した合図だ。
 蓋の施錠を外すと、黒髪の少女が出てきた。
 「……テセ町から。アレフ=ミンシュタインへ」
 ぼそぼそと話すたびに、耳の横についたヒレが動く。サハギンと言われる魔物だ。体の大部分を覆う奇妙な衣服(?)を纏っており、水かきのような手で小包を差し出してくる。首に証があるので、契約した魔物のようだ。
 「どうも」
 やはり、全く濡れていない。代金の類は既に払われているようなので僕は水上の飛脚扱いである彼女を見送ろうとすると、
 「…………」
 紺碧の目で、じっと僕を見つめてくる。感情が見えない。何か言いたげなようで、何か我慢しているようにも見える。どことなく僕に背を向けたくないような、頑なな目をしている――気がした。
 どうして? と問う前に、僕は彼女の背から伸びる鋭利な刃物に気づいた。
 剣だ。
 ぬめりのある赤い血が、銀の刀身と柄に散っていた。
 「おまえ、これが刺さったまま届けに来たのか!?」
 サハギンの少女は少しだけ目を細め、べたりと倒れこんだ。まるで勇者募集広告のような、魔物の屍に突き立った剣の構図が出来た。
 僕の脳の奥でさあっと何かが引く音がする。僕は剣の柄を握った。柄にこびりついた血が余りに生暖かく、思わず手を離してしまう。掌を見る。血が掌に染み込み、錆びた臭いが僕を侵食するような錯覚を覚えた。
 「クソッ!」
 僕は柄を握りなおし、滑らないように両手で引き抜く。ずぶり、と柔らかい肉を裂く嫌な音がする。
 柄に刻まれた、教団の聖なる紋章が僕の目に焼きついた。
 「ひいっ!」
 僕にはそれがとても邪悪なものに思えて、僕は重い剣を部屋の隅に投げ捨てた。僕は思いつく限りの止血剤を使った。曲がりなりにも村一番の富豪の家だ。数分後には切り口から噴き出る血は止まっていた。
 少女に息はある。サハギンだから水から出すのはまずいのだろうか。いやどうだったか覚えていない。ああもう少し勉強しておけば良かった。
 そうだ。シー・ビショップには治療の力もあるかもしれない。あいつも我が家からサハギンの半身が出ていればすぐに寄ってくるはず。僕は手当てが出来ない己の無力さをそうやって正当化しようとした。
 「……死ぬことはない」
 すると、ぼそぼそと倒れたままの蒼い体から声がした。ヒレが小刻みに動いている。
 かと思えば、ばしゃんと一度水路に飛び込み、顔だけを出した。もう痛みを感じている様子はない。
 「だ、大丈夫なのか?」
 少女は顎を軽く引いた。僕から目を逸らさずに。
 「どうして言わなかったんだ?」
 「……人間だから」
 どういうことだ。と訊ねても答えようとしない。
 「サハギンは川の中なら無敵なんじゃないのか?」
 「……人間は魚じゃない」
 こいつらの主食は魚らしい。要するに、人間を傷つけることはしないと?
 僕が資料を探そうと立ち上がろうとすると、足を掴まれた。
 「……川は、好き?」
 「川? ま、まあ嫌いじゃないけど」
 「そう」
 サハギンの少女は水路に沈み、再び上がってくることはなかった。
 なんだったんだ? 今のは。サハギン特有の挨拶だろうか。一部の親教団国では天気の話をすることが挨拶だと聞く。まだ勉強不足ということか。
 静けさが戻り、僕の心にも冷静さが戻ってくる。部屋の隅に捨てられた大きな剣を見た。
 配達の途中で襲われたのか、それとも父の荷物を送った相手の村が信仰深い使徒の村だったのか。あの少女は武器らしいものを持っていなかった。
 彼女が言うように、反撃する気などなかったのだろう。今の魔物は人間を傷つけることはない。
 じっと手を見る。サハギンの少女の血は赤く、僕たちの血と変わらない。魔物の血は魔力によって黒色をしていると聞いたことがあるが、違うのか?
 人間が一方的に彼らを嫌っているだけなのか。
 「……こんなことで魔物の素晴らしさの布教なんて出来るのかね」
 前途は、どこまでも多難だ。


12/04/03 17:43更新 / 地味
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■作者メッセージ
 ここまで読んでいただきありがとうございます。ストーリーよりも世界観を重視しました。
 私事で恐縮ですが、普段長編ばかり書いているためこのようなSSとは思えないほど長く展開の遅い作品となりました。2,3話で終わります。

 改行やデザインなど見にくいというご意見がありましたら仰ってください。

 本家クロビネガ様の「親魔物領」とは意味が異なっていますが、それはまた後ほど。
※誤字を指摘してくださった方、ありがとうございます。こんなに連呼しているのに素でスルーしてしまうとは、まこと汗顔の至りです。

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