ナイトメアの世界
私は、魔物になっていました。
「うそ……。わ、私が……?」
それは真夜中の、何時なのかはわかりません。
遮るもののない風が、随分と――“長くなった”私の脚をなでていて、いいえ、どうやら長くなっただけでもなくて、増えている――ようです。
ちょうど近くにあった湖に姿を映すと、お父様の腕ほどもある太い、筋肉質な脚がうつっています。到底私のものではありません。
もはや人間のものですらなくて、お屋敷にいた黒馬の脚とよく似ていました。
ですが私の脚はその二本だけでなくて、更に少し後ろに二本。ともすれば忘れてしまいそうな、むしろこの後ろの脚のほうが違和感のない脚です。
細く長い下半身。ちょうど馬の首に乗って、背を仰げばこうなるでしょう。
人間の上半身に馬の下半身――――
「け、ケンタウロス……?」
がくりとその場に倒れると、器用に四本の脚が折りたたまれて、感覚からすると、“下の方にあるお腹”というような、新しくできた部位――馬の腹部を草地がなでていました。
まるで舞踏のときのクリノリンでもつけているような感覚。腰を折ることができなくて、ぐっと両手を伸ばしてようやく、目の前の湖の水に触れて波紋を作りました。
「ひゃっ」と声をあげてしまい、さっと口を塞ぎます。それは今の異質な姿の羞恥のせいなのかはわかりません。
「やっぱり……夢じゃない、ですね」
はぁーぁ、と大きくため息。体を重い下半身ごと横に倒して、ぐったりとその場に倒れこんでしまいました。
はしたないとは思います。ですが、私の纏っていた、ノイマン家の家紋が刻まれたドレスも失せていました。
紫紺色の、占星師のようなローブが、私の(馬のものを含めた)体を覆っていました。
「服があるだけ、まだ良いのでしょうか……」
頭をおさえると、何か帽子をかぶっていいました。柔らかい生地で作られた、まるで誰かに編まれたような帽子。どうしてこんな――呪術的な、不徳なものを、私がつけているのでしょう。
「はぁー……」
心を満たすのは大きな大きな虚無。
何をすれば。何をすればいいのでしょう。
訊いても誰も答えてくれません。お母様もお父様もどこなのか解りません。
そもそも私がどこにいるのかも解らないのです。
思いっきり叫びたかったのです。
何も解らない、何をすれば良いのかも、私という人間そのものもいなくなり、叫ぶ以外に何をすれば良いというのでしょうか。
しかし私の喉からは、生まれてこの方一度も上げたこともない醜い叫び声などはあがらず、ただ、湖の傍に体を横たえるだけでした。
私にそんな度胸はありません。
たとえ誰もいないであろう草原であろうと、どこだろうと私は、叫ぶなんて真似はできないのです。
「……エミリー。あなたなら、どうしますか?」
私の可愛い妹で、私の憧れの妹。
奔放で、怖いもの知らずで、無邪気で、男勝りで。
どれも私の持たないものばかりで、お父様もお母様も執事やメイドの皆さんも、ほとほと手を焼いていましたが……私にとっては、ただの可愛い妹でした。
私の後ろをついてきた頃もありましたが、私がお屋敷の仕事を任されるようになった頃から、エミリーは仕事を嫌がり……疎まれ、私にも近寄らなくなりました。
しかしそれでも、私はエミリーの部屋を訪ね――たわいもない話をしました。エミリーは気分屋で、私に本を読んでとねだるときもあれば、冷たくつき返すときもありました。
この子には私しかいない。
それとも、私自身、エミリーに助けられていたのでしょうか。
お屋敷の仕事は多忙を極め、街の治安もそう良いものではありませんでした。
ワーウルフやワーキャットの群れ、低級魔物の大群――魔物被害はとどまるところを知らず、自警団の皆さんをたびたびお屋敷に招き、ご機嫌をとりました。
エミリーはそんなことを知っていながら、何も口に出さず、私の話を聞いてくれることもありました。
ただ興味がないだけなのかもしれませんが、私にはそれを判別することはできませんでした。
「……エミリー。今、どこにいるのですか?」
だからこそ。エミリーが突然お屋敷からいなくなった時、私は自らの死すら感じました。
エミリーを疎んだお父様お母様よりも、私の受けた衝撃は大きかったと思っています。
血を分けた姉妹だからというものではなく、寧ろ――さびしかったのです。
気心の知れた友人のいない私にとってエミリーは妹であると同時に友人であり、相談役でもありました。
エミリーには逃走癖こそありましたが決してお屋敷の外を出ることもなかった。しかしどんな隠れ場所にもエミリーはいなかった……。
「……まさか。魔物にされたのでは……?」
私も現に今、何者かによって連れ去られ、魔力を注入されたことで魔物となっています。これが夢でない限り。
ならエミリーも何者かによって連れ去られ、魔力を受け、魔物になった……?
「……同じ魔物になっているかもしれません」
魔物同士は念話のようなものを使って、離れていても会話ができるとききます。
ならどこかにエミリーがいれば、見つかるかもしれない。
「……エミリー。待っていてください。必ず、見つけ出してあげます」
それは私が久しぶりに、自分で立てた行動目標です。
私の馬蹄が、かつかつと音を鳴らしていました。
※※※
ケンタウロスは、見た目通りとても俊足の種族です。
それはケンタウロスらしき魔物となった私にも受け継がれており、漆黒の闇に染まる草原をとてつもない速さで駆けることができました。
「ふふふ……」
笑みがこぼれてしまうのも無理ないことです。
私はよく――――少女趣味なことですが、草原で駆けることをよく夢想していました。
夢想など、文字通り夢であり何の意味もないことではありますが、多忙の中にある休憩といえば眠るときしかなく、その眠りに癒しを見出したのは自然の流れだったのでしょう。
エミリーが読んでとせがむ童話や幻想物語も、私の夢にたびたび登場しました。とらわれたエミリーを助けるため、自ら剣を取り巨大なドラゴンに挑む夢――荒唐無稽ですが、現実めいた現実から逃れるには十分なものでした。
そうやって闇を疾走していると、いつしか私の周りに、青く揺らめく炎のようなものがぽつぽつと現れていました。まるで夜の牧場に稀に現れる光精霊のようです。
「私に……共鳴しているのでしょうか?」
こんな思考ができるのも、日頃から読み続けた物語の賜物でしょうか。
私が布に覆われた手をそっと差し出すと、青い炎は掌にのり、落ち着いたのも一瞬、ごうっと音を上げて大きく膨れ上がり、視界を覆うほど巨大になってぼうっと破裂しました。
「ひゃあっ!!」
脚を急に止めてしまったせいで、バランスを崩し倒れてしまったのです。低い草を大きく巻き上げ、下半身が大きすぎるせいで上半身を回すこともできずに体の側面を大きく引き摺り、数メートルほど滑ってようやく止まりました。
「いったた……」
薄いローブ一枚しか纏っていないものですから、私の体の下敷きになった腕は腫れて、紫紺のローブに血が飛び散っています。肩や背にも強い痛みがはしり、ひりひりと焼け付くようです。
いや、これでも幸いと言うべきでしょう。落馬したようなものですから、骨が折れていてもおかしくはないです。
「お医者様は……」
ふわりと舞う青白い炎で、私は現実を思い知ります。
私は魔物で、人間に狩られる存在なのです。怪我をすればこれ幸いと狩られることも――
「…………あの。大丈夫ですか?」
背後からの声に、私の体は瞬くうちに石のように硬直します。この魔物にそんな機能があるのでしょうか。いや、まさか。
「怪我してるんですか? ええっと、これは『借り』とかそういうものではなく、善意だと思ってくれればいいんですが」
硬直する私の肩に、何か――いや、手――いや、“男性の”手――が触れました。
「――――っ!」
その刹那には私は起き上がり、両腕を振り上げていました。
金属質な冷たい感触。
ズン、と重い衝撃が手に伝わり、私は手に持った――金色に光る不気味な大鎌を振りかぶった姿勢で止まっていました。
旅装束の学者と見える男性が、見開いた目をゆっくりと閉じながら、崩れ落ちるように地面に倒れ伏しました。
「え……? あ、あの、え……」
手を離すと、不気味で禍々しい鎌は奇術のように青い炎になって霧散しました。しかし前にいる男性は動きません。
「お、起きてくださいっ!! ごめんなさいっ! ごめんなさいっ!」
私はしゃがみこんで必死で男性を揺すりました。するとわずかに眉が動いて、生きていることがわかります。
いや、生きているというよりこれは、寝ている――――
「うっ……」
どくん、と心臓が大きく跳ねたことがはっきりとわかります。
水の滴るような音が聞こえ始め、すぐにそれが目の前の『何か』から聞こえると理解します。
そして――私は目の前に、黒く開いた洞穴のようなモノを幻視しました。真夜中の草原、地平線すら見えるような場所で、何か闇を見間違えたのかもしれません。
私はまるでかけこむように、その洞穴へ大きく両脚をあげて飛び込んだのでした。
どくん、どくん、と鼓動の音が大きく響きます。
私はどこか暗い空間に立っているようです。それも、二本の脚で。
「え、あ…………」
よく通る声。まるでお母様のようです。いえ、そんなものではなく――伝説の戦乙女や、女神にすら匹敵するほどのものだと言っていいでしょう。
紫のローブにかかる金色の髪は、まるで金の糸をそのまま使ったような、作り物と人間の境の極限に立つ美しさです。
無数の禍々しい輝きが、くるぶしほどまで伸びたスカートを彩っていました。
「すごい……。これが、私……?」
なんだか体中から力が漲ってきます。どんな絶望もはねのけ、エミリーもたやすく見つけられる。いえ、この世界すべてを一瞬で見渡す千里眼の力すらあるでしょう。
今の私なら。魔物となり、絶大なる魔力を手にした私なら、何の不可能もないのです。
――目の前に横たわる、貧相な旅人の男をいかようにすることも。
「あ、あれ? ここは……なんだ? 幻術?」
「ふふふ。こんにちは。小さな旅人さん」
私の声を聞いただけで、その旅人の男は畏縮してしまい、私に畏怖の目を向けます。
それは当然です。私は全能なのですから。
「小さな小さな旅人さん。私は、美しいですか?」
「は、はい。とても……ま、魔物かと思うほどに」
「それは正解。私は魔物なのですから」
近寄って、その顎を掴み上げます。まるで人形のよう。こうやって言葉遊びに答えてくれる面白い人形です。
しかし、人形と違うもの、それは――――
「っ…………」
どくん、と一度心臓が跳ねました。
「……それじゃあ、精をだしてもらおうかしら?」
私が一睨みするだけで、旅人の男は嬉々として服を脱ぎ全裸になりました。
その褒美に男の手をとって、私の最高の形と大きさを持つ乳房に、服越しに当てます。
「は、はぁ、こ、これは」
男根が瞬くうちに勃起し、ぶるぶると男性の足腰が震え始めました。
私を想像の中で突いているのでしょうか。
「ふふ。愚かな。私を自らの意思で犯せるなどと思うなど!」
顎を持ち上げ、放り投げます。情けない声をあげて男は私を畏怖し、しかし男根だけはこちらへ向けています。それが正しい姿勢。
私はその上に跨り、その貧相な顔を見つめます。主導権は私にあることをこの男に教え込むためです。
すべての精は私のためにあるのです。
「ふふっ……」
私は最高の微笑を浮かべたまま、腰をおろし、男根を膣の中へ迎え入れます。
「っ……!」
どうしてか私の顔は苦痛にゆがんでいました。そんなはずはありません。こんな貧相な男根ごときで私が動揺するはずもないのです。
「う、あ…………」
――――私、今、男性とセックスを…………?
「あ、あの?」
まるで気遣うような声をかけられ、私は我に帰ります。なんと奇妙なことでしょう。私が、完璧な私が動揺してしまうなんて。
「喋るな。ただ、極上の精だけを出すのだ。私のこの完全な体を潤すために!」
私は男性を胸へと抱きしめ、胸を慰めながら腰を動かします。どうしてか酷く痛みますが、私は構わず腰とその内の膣を蠕動させます。
「はっ、はぁっ、ふうっ」
私の口から苦しさの混じった吐息が洩れるのも不思議なことです。胸のうちでふうふうと汚い息をする男はもう精を作ることに集中しているのに、私はどうして精を絞ることに集中できないのでしょうか。わかりません。
無上の快楽とはいきませんが、中程度の快楽なら得られてしかるべきですが、これではまるでセックスに慣れていない村娘ではないですか。
「あ、あの、もう」
「ふふふ。そうか。さあ出せ。精を出すのだ!」
最後に許した覚えのない突き上げがきて「ひゃっ!」と声をあげて、
熱い奔流が膣の先、子宮を満たします。それが瞬くうちに全身に広がり、精が魔力へと変換されていきます。
「あ、ああ……! 良いぞ……!」
思わず男の顔を私の胸へ押し付けると、あろうことか男は衣服越しに勃起した乳首へ食いつきました。「ひゃっ」とまたなれない村娘のような情けない声をあげてしまいます。
「そんな児戯をする暇があればさっさと次の精を出すのだ!」
私が女王の一喝をすると、男はひいっと縮こまり、私の淫靡な美しさを再認識してまた男根に精を送り始めました。
膣の中も湿ってきたため、今度の腰の動きはいつものように快楽を貪ることのできるものでした。
男は私の美しさと偉大さに、ただ性欲を漲らせるがままとなっています。
それこそがあるべき姿です。私は全能なのですから。
「あ、も、もう」
「そうか。なら出してみよ。精を私へ差し出すのだ!」
砕けた腰に一度力が入って、また乾かない子宮の中に精が送り込まれました。それは魔力となり、私の美貌に更なる磨きをかけていきます。
「ふ、ふふ。どうした。もう終わりか?」
「は、はえ。も、もう腰が……」
貧相な男らしく、くたりと力を失って、手を離すと無抵抗に寝そべりました。
しかしそれでも目だけは私を見て、その美しさを脳髄に焼き付けようとしています。
それはあるべき姿です。
「さあ。私はもう行くぞ。しかと覚えておけ。この偉大なる美貌を!」
膣から男の精液を少し零しながら、私は闇の中に再び身をおさめました。
そして、私の意識と肉体は、再び分解されていき――――
私は、寒々しい草原に立っていました。
四つの脚で地面を踏みしめ、目の前で眠る男性に顔を向けたまま。
「あ……ゆ、夢……?」
夢と気付き、さっきまで私がしていた――していたなど、と、到底信じられませんが――淫行を思い出し、そのまま燃えてしまうのではないかと思うほどに顔が赤くなります。
「わ、わわわわわわわわ私ったらななななにを!?」
だ、男性をああああんな酷い目に! わ、私はなんてはしたないんでしょうか!
私はとてつもなく恥ずかしくなって全速力でその場を立ち去りました。闇雲に無茶苦茶に走り回って、そのうち眩しい橙色の朝日が見えてきました。
「はぁっ……わ、私は、何をしていたんでしょう…………」
恐ろしく鮮明な夢でした。いやあれは夢なのかもわかりませ……いえ、夢です。夢に違いありません。あんな淫行をするふしだらな女ではありませんから!
胸に手を当てると、どくどくと異常に早く脈打っています。お父様に叱られた時よりも早いかもしれません。
その沈み込む手が、夢の中で押し付けた男性の顔と重なってしまい、「うきゃぁっ!」と奇声をあげてしまいました。
それが引き金となって、私の膣の中で荒れ狂う男性の…………や、振った腰の感触まで思い出してしまって、もうまともな思考もできずに近くの池に飛び込みました。
ぼこぼこっとローブの内から空気の泡が出て、あっという間に全身ずぶぬれになりました。「くしゅん」とくしゃみをして、寒さでようやく思考が落ち着いてきます。
「な、何の冗談でしょう……。魔物のせいでしょうか」
そう。そうです。魔性という言葉があるではないですか。魔物は人間と違い、魔性という倫理観をもつと聞いたことがあります。
それが私の心をおびやかし、あんな信じがたい淫行に走らせたのです。そうに違いありません。
「…………」
ゆっくりと体を陸にあげると、じっとりと濡れたローブが体のラインを鮮明にしています。
私はあまり……なんというか、女性的な体つきではなかったはずなのですが、胸部は大きく膨らみ、逆に腰はとても細く、人馬の境目は少し内側にへこんでいました。
「……いつの間にこんな体に……」
これも魔物の魔性なのでしょうか。なんと淫乱な体なのでしょう……。
「……別に、嬉しくなどはないです」
私はれっきとした魔物となってしまっているのですから。今更こんな、こんな体が手に入ったところで遅いんです。
不愉快です。はっきり言って。
「……ローブの内側は、人間のままということでしょうか……」
そっとローブをめくってみると、人間の頃よりはるかに白く、そして染みの一つもない、女性として理想的なウエストが見えました。
さらにめくると、下着をつけていない乳房が僅かに見えます。
「…………っ」
思わずつばを飲みました。
大きい。
もう少しめくると、わずかに赤い乳首が見えます。少し濡れていて、触ると電撃のような感触が頭の先まで伝わります。
「っ……ふうっ……」
左手を股に――膣口に這わせると、少なからず濡れていました。ぐっと押さえつけると、内側にある陰核が押し返し、「はぁっ」と声が洩れます。
右手はこりこりとした乳首を回すように愛撫することに使いました。
「やあっ……んんっ……」
ふらふらと体が揺れ、いきなり冷や水をかぶったように全身が冷たさに包まれます。そこでようやく私は、自分が再び池に落ちたことを知ります。
今自分がしていたことも。
「わ、わわわ私は何を!? な、なんてことを――――っ!」
そこからの走りはもうほとんど暴走に近いものでした。
何時間走ったのかも解りません。気がつくと低い草ばかりだった足元は落ち葉にあふれる道となり、空は背の高い木々の葉に遮られました。
「ああー…………」
私はぼろきれのように森の中に身を倒し、眠りの中へ落ちていきました。
「はあっ……だめぇっ……」
私は思う存分に喘いでいました。
「もっとっ! もっといれてぇっ!」
長い指をずぽずぽと膣に出し入れして、肥大化する陰核を少しでも慰めようとしています。
もう指はべとべとで、自分の膣液を精液とみなして慰めるしかないのです。
「んうっ……ちゅうっ……」
指を吸うと、ねっとりとした液が口の中を満たします。それは精液の甘美な味ではありません。自分の魔力に染まったぎとぎとの液でしかなかったのです。
「ああ……もっとっ。もっとセックスしたいっ……!」
潰れるほどに自らの巨乳を押すと、孕んだときの予行演習のように母乳が飛び出ました。それをなめてまた、私が子を孕んだときのことを妄想するのです。
「はぁっ……男……もっとっ……もっといれてぇっ……」
私は夢の中のような人の姿ではなく、半馬の体を横倒しにして、ひたすらに自慰に耽っていました。
もうとめられませんでした。
ここが現実であるとわかっているのに、私の動き出した精への執着はとどまらず、一度絶頂に達さないと終わらないものでした。
「あっ、いっ、いくっ…………っ……」
すうっと力が抜け、私の理性が戻ってきます。
「……はっ。あはっ……。も、もう。だめです……」
お父様お母様ごめんなさい。私、アンリ=ノイマンは穢れてしまいました。
このような森の中で、人目もはばからず自慰をするような、娼婦にも劣るけだものです。
「魔物……ええ……魔物とは、こういうもの、なんですね……」
私自身、納得しかけているのです。
魔物とは、淫乱で欲望に忠実で、そんな、主神様の教えと正反対の存在なのです。
私もやがて、そうなってしまうようです。
「き、希望を……捨てなければ……いつか、主神様の救いが……」
その言葉は空虚でした。
私の女の体は火照り、また手が無意識のうちにどろどろの膣内をかきまわしはじめます。
「はぁっ……」
もうとめることも億劫になってきて。
人間としての良識や、私――アンリとしての尊厳も、昼まで続いた貪欲な自慰でうせてきて。
「……精が。精が欲しいですね」
私は、男性を襲うことにしました。
私は今、男性の精液――そこに含まれる魔力の源、精の力で動いています。それがなくては死んでしまうのです。
私の――ナイトメアの鎌は、男性を深い眠りに落とす力があるのです。
なんとなくわかるのです。なぜなら私は魔物ナイトメアなのだから。
私が魔物として生れ落ちたこの草原の名前は結局わかりませんが、とてつもなく広く、私の脚で走り続けても人里は見えません。
一方で、草原を棲家とする他種の魔物の姿が見えないのも奇妙です。だからこそ、旅人が多いのでしょうか。
私は昼の間は身を潜め、夜になると活動を始めました。
青い魔力の炎と共に彷徨い、男性の旅人を見つけ、鎌の一撃で眠らせ夢へ入る。それを繰り返しました。
夢の中こそが私の居場所でした。
夢の中にいると力が湧いてきて、なんでもできる気がしてきます。いえ、実際何でもできるのです。ナイトメアの力から逃れられるものはいません。
そう。つまり……。
「どうした? もう終わりか? 使えぬ奴だ!」
完璧な脚線美を見せて足元の男の胸を踏みつけると、苦悶と歓喜の混じった顔で私を見上げている。
腰をかくかくと動かして、はるか上にある私の膣へと男根を挿入しようとしていた。
「おまえに主導権があると思うな。私の思うとき、私の望む時。それだけがすべてなのだ」
そう言い放って、いきり立つ男根へと腰を下ろす。電撃的な突き上げが快楽を突風のように巻き起こし、「あひぃ」と男が陶然とした呟きをあげる。
この瞬間が私には堪らない。
――――すべての男は私の手の上にある。
「……ご、ご馳走様でした」
現実に戻るとまた、ねっとりとしめった子宮の内側に喜びながら、耐え難い恐怖感に煽られてすぐさまその場を後にするのです。
現実の私は空ろで、おぼろげで、男性に見られただけで、羞恥と恐怖で動けなくなってしまうほどでした。
ここは、昔と――変わらないのです。
しかしそれも仕方ありません。私たちナイトメアは夢の中に生きる存在。魔力の塊のごときこの体でさえ、現実では幻のように揺らめいているのですから。
現実と夢を繋ぎ止めるモノこそ、すべての魔物が欲する精の力なのです。
夢の力を借りて、現実の肉体に精を供給することで、私は夢を駆ける力を得る。
まあ、そんな理屈より…………ただ男の精が欲しいという女の本能だけが、今の私の心を満たしているのです。
※※※
草原がついに終わりを迎えました。
道らしきものがあったのです。
石畳と、小さな看板があります。それは人間の言葉で書かれていて、私には読めません。
そもそも読むという行為すら億劫で、私の体はいつも男を求めて熱く火照っているのです。
日の出ている間姿を隠し、声を殺して自慰をしても何も変わらず、活きのいい男の精だけが私の体を癒すのです。
「はぁぁぁ……男は……どこでしょう……」
私の性欲に反応して、魔力の炎がバチバチと爆ぜて近くのゴブリンが逃げていきます。
並みの魔物を遥かに超える魔力は、他種の下級魔物を退けるためには十分すぎるのです。
「男……はやく、男を……。襲いたい……貪りたい……」
口から流れる欲望の言葉はもう止まりません。止めようとした時期があった気もしますが、よく覚えていません。
そんなものを覚えている暇があれば、男とのセックスの感触を少しでも鮮明に覚え、昼の間の自慰に使うほうがよほど有意義です。
ローブの内の私の秘所は、いつもどろどろと濡れて歩みのたびに液を垂れ流しています。昆虫種の魔物が使うフェロモンのようなものです。
性欲の強い男性がこれを見つけ、私を追いかけてくれるはずなのです。まあ追いかけてきたところで、主導権は私にあるのですが。
石畳の上を歩き続けると、やがて壊れた何かの建物がたくさん見えてきました。あれは、人間の街、でしょうか?
黒く変色し、強い悪臭が漂っています。不愉快です。これは、人間が――傷ついた時に出る臭いです。
「……ここにも誰か、男がいるのでしょうか……」
本来ならばこんな不愉快なところは立ち入らないでしょう。しかし壊れた街というのは、私が危害を加えられる危険性が少ないのです。他の魔物がいたとしても、低級な霊などぐらいですし。そんな魔物は私の魔力におびえて逃げていくでしょう。
瓦礫は四方どこを見渡しても散らばり、私がえっちなことを考えなくなるほど不愉快な死の臭いが漂っていました。
歩き続け、その瓦礫の中に、かろうじて形を保った小屋がありました。不思議なことにそこは、青白く輝いて見えるのです。
「……魔力、でしょうか?」
まさか魔物がいるのでは、と思い鎌を構えて中に入りましたが、そこにいたのはベッドに横たわる少年でした。
「…………だ、れ?」
「ひゃっ! あ、あああああの、えっと」
少年とはいえれっきとした男。もう精を作り出す能力は持っており、微弱ですが精のにおいをかんじます。
私はぐっと鎌を握って、一気に振り下ろしました。
きぃん、と硬質な音を立てて、鎌が私の手から離れて霧散しました。
「え……?」
なぜなのでしょう。わかりません。
少年も空ろな目で、私を見つめています。眠りそうで眠らない。いやむしろ今眠っていたのかもしれません。惜しいことをしました。
もう一度鎌を作り振り下ろしても、まるで何かに護られているように私の鎌は弾かれました。
青白い燐光がバチバチと爆ぜています。私の持つモノと近いようで違う何か。
「……あの」
「ひゃああっ! ご、ごごごごめんなさいおじゃましましたっ!」
私は全速力で走って逃げました。久しぶりに全力で走ったせいで、街を出た頃には強烈な疲労と性欲が湧いてきました。
よくわかりませんが分析することも億劫です。
ぱくぱくと開閉して精をくれと疼く己の秘所を手で慰めながら、またいつものように歩みを進めます。
「ふふふふ……ま、まあいいです。夢の中なら、誰も私にかないは――――」
「止まれ。王者の命だ」
「ひゃあっ!」
突然降ってきた恐ろしい声に私はこけてしまいました。その声は私たちではない魔物。男を奪うつもりですか!
大きなはばたきの音をひびかせ、目の前に長身の女性が舞い降りました。
茶色く長い髪をした、大きな翼を持つ凶悪な姿――これはまさか、ドラゴン、でしょうか?
「何者だ。私の知らない魔物か」
そのドラゴンは私を見つめそう問うてきました。私は精一杯涙をこらえて、でも顔を見るのが怖いのでぼそぼそと喋ります。
「ど、ドラゴンさんですか。あ、すいません。私……ナイトメアです。その、魔物の中でも結構珍しいので、知らない人も多いみたいで……」
恐ろしいほどの圧力でした。とてつもない魔力を統制し、その体中にめぐらせていることがありありとわかります。
しかし夢の中ならば私のほうが強いのです。
「何をそんなに怯えている。私は王者であるが、決して暴君ではない。臆せずに話せ」
べ、別に臆した覚えなどありません!
などと言えるわけもありません。現実の男は怖いですが、目の前にいるドラゴンはそれ以上に怖いのです。
しかし、何か――――逃げてはいけないという気持ちがわいていました。
「あ、あの、ありがとうございます。優しい、ですね」
だからでしょうか。このようなことを口走ったのも。
「ええと、私はナイトメアの……すいません、名前はないです。私たちナイトメアは、決して群れることもありませんし、その、現象の生命――精霊に近いんです。あ、もちろん、子を産むことは出来ますけど、だ、男性が、その、怖くて」
私はいまだナイトメアの仲間を見たことがないですし、これからも見ることはないでしょう。しかしそんなことに執着はありません。私が執着するのは男の精。ただそれだけなのです。
…………それだけ、ですよね?
「怖い? ば、馬鹿を言うな。何を恐れることがある」
気のせいか目の前のドラゴン……さんは、動揺したように見えました。一瞬だけですが親近感がわきました。
「何をといわれても、その、怖いものは怖いんです。も、もちろん大好きで、交わりたいと思うのは当たり前なんですけど……あ、わたしたちは人間の男性の精以外を食べないんです」
「怖がっていて何が変わるというのだ。信じろ。己の力を。おまえは私には及ばぬが、並の魔女を遥かに超える魔力がある。その魔力を信じて男を捕らえれば良いのだ」
私の肩に、初めて別の魔物――目の前のドラゴンさんが触れました。ひどく暖かく、どうしてかその感覚は、私の中の、使命感――とでもいうようなものを、揺らしていました。
「私たちは魔物……魔王の名の下に、人間と共に歩む存在だ」
共に、歩む…………。
ぽうっと心の中に光が灯った気がします。
「……ありがとうございます。ドラゴンさん。少し、自信がついたかも、しれないです。
別の、向こうの街で――がんばってみます。必ず」
まだ別の男がいるのかもしれませんし。
「別の……? 前どこか人里にいたのか」
「はい。この向こうの、壊れた街に。一人だけ男の子がいたんですけど、その、わたしががんばっても、喜んでくれなくて……」
まさか本当のことなど恥ずかしくて言えません。
しかし、ドラゴンさんはにやりと恐ろしげな笑みを浮かべました。
「そうか。なら私がその男を娶ってみせよう。王者の夫に相応しいならな」
私は――いつもの私とは思えないことをまたしていました。
大鎌を持つ両手を胸の下で並べ、小さく頭を下げていました。
「がんばってください。優しいドラゴンさん……ありがとう」
奇妙なことです。私が手に入れるつもりの男すべてを取られるかもしれないのに。本当に私はどうしたのでしょう。
このドラゴンさんを見ていると、どうにも、いつものようにはいかないのです。
「言われるまでもない。ああそれと覚えておけ。私の名はエミリー。偉大なる王者だ」
そう言ってドラゴンさんは、大きくはばたいて空へと飛び出していきました。私の後ろに広がる瓦礫の街へ飛んでいきます。
「……エミリー? エミリー……どこかで……」
エミリーとは明らかに男の名前ではありません。そもそも今まで襲った男の名前など誰も知りません。訊くこともできません。
なぜそんな名前を覚えているのでしょう。
「……あれ? どうして涙が……」
さっきのドラゴンさんの恐怖がまだ残っていたのでしょうか。
「…………いえ。こんなことをしている場合ではありません」
私も男を探しに行かないと。もう我慢はできないのです。
※※※
瓦礫の街の中には、もう男はいませんでした。
無駄骨です。魔力の枯渇までは遠いですが、体内の魔力が減ればそれだけ不安になります。
不安は私自身の繁殖欲の増大に繋がります。より淫らに。より男の性欲を煽るように。より孕みやすく。
そう。ナイトメアは個体数が少なく、ケンタウロスの一種のため、子を孕みづらいのです。また一度に産む子も一人のみで、育てる子も大抵一人なのです。
「…………そのためにこの胸があるのですね」
大きな乳房は、豊富な栄養源の証です。
「……そういえば」
先ほどのドラゴンさんに言われたことが気がかりなのです。
私は男性が怖い。目を見られるだけで腰が引けて、声をかけられようものなら一目散に逃げたくなります。触れられれば……動くこともおそらくままならないでしょう。
そんな私が、男性を娶ることなどできるのでしょうか……。
「……だめです。そんなことは」
魔物としては、ナイトメアは奇妙な存在でしょう。いいえ。単に私がそうであるだけかもしれません。
本来魔物とは、只一人の男性の夫を持ち、その夫から得られる極上の精によって心身ともに満たされ、淫らに暮らしていく存在です。なぜ私がそれを知るのかはわかりません。
ですが私は……男性が怖い。顔を見ることすら怖いのです。そんな私が男性と親交を深めることなどできないのです。
もちろん、夫と睦まじく淫らに暮らし安定した精の供給を得られるというのを、文字通り夢に描くことはあります。私だって女なんですから、当然です。
しかし、夢の中ではそんなことを考える間もなくただ精を得ることだけに執着し、現実ではそんなことはままらない。
どうしたものでしょうか……。
「……あっ」
いつの間にかかなり歩いていたようで、草原を貫く街道の端に小さなテントを見つけました。ぼうっと光るテントの内に一人の男性の姿が見えます。
座り込んで何かしているようです。自慰だといいのですが。
魔力を使って足音を消し、闇にまぎれてそっとテントの入り口へ近づきます。
まだ年端のいかない少年が、こちらに背を向けて本を読んでいるようでした。
(……寝ている?)
首がうつらうつらと船をこいでいます。眠っているように見えますが……。
念のためいつものように鎌を使おうとし、ドラゴンさんの言葉がよぎります。
――信じろ。己の力を。おまえは私には及ばぬが、並の魔女を遥かに超える魔力がある。その魔力を信じて男を捕らえれば良いのだ。
私は鎌をしまって、そっと近寄ります。足音などまったくありません。私の脚がかきわける草すらも音はしません。
身を屈めてテントに踏み入って、意識を集中します。目の前の少年の夢の中へ入るよう、魔力を展開し――
(……あれ? 夢に、入れない……?)
「それっ」
少年がくるりと振り返って、本――の隙間に挟んでいた網のようなものを私に投擲しました。真っ黒い目の細かい網が広がって、一瞬で私の心は混乱に満たされます。
「ひゃああああああっ!!」
すかさず逃げようとしたところで、少年がまっすぐ私へ抱きついてきました。むにゅん、と胸がたわむほど強く顔を押し付けられ、私の思考全てがフリーズしました。
「ひゃ、あ…………きゅぅ」
私はあっけなく、気絶したのでした。
目を覚ますと、私の手には縄が巻かれていました。その縄の先を、金髪の少年が掴んでいます。
掴まれていると理解しただけでまた意識を失いそうになります。
「やっぱりナイトメアは臆病な性格なんだ……。たまにはじぃの言うことも当たるものだね」
少年は好奇の目で私を見ています。青い瞳と目を合わせることなどできるはずもなく、しかし腰が抜けてたつこともできないのです。
少年は先ほど持っていた小さな本の中を見直し、ふんふんと頷いているようです。
「しかし、いきなり気絶するとは……。君、本当に魔物なの? かなり精に貪欲だって聞いたんだけどさ」
今すぐ襲いたいという気持ちはあります。若い男性の精は特に美味です。こんな強気な目を向けてくる相手を、夢の中で屈服させるのはとても気持ちがいいのです。
少年はふむと顎に手をあてて、ぱらぱらと手元の本をめくります。
「もしかして、何かきっかけでもあるのかな。ええとナイトメアは…………夢? 夢に悪戯する悪魔、なんだっけ」
錆付いた体を動かし、顎を少しだけ引きました。これは好機だと睨んだのです。
夢に入ればこちらのものです。
「ふぅん。じゃあためしに今から寝てみようかな」
少年は眼鏡を外し、ごろりと背を向けてすぅすぅと眠り始める。体の震えがおさまってきて、恐る恐る近寄る。
「ふーっ…………」
このままなめられっぱなしではナイトメアの名折れです。
魔力を集中すると、大きな洞穴のようなものが目の前に現れます。少年の夢への入り口。
私は迷わず飛び込みました。
少年の夢の中で、私は絶世の美女の姿で実体化します。
「ひれふすがいい。この最高の美しさに……!」
倒れている少年のもとへ近寄ると、少年は目を覚ます。
良家の子息という雰囲気の少年だ。金色の髪に青い瞳、そして銀縁の眼鏡。着ている服も旅支度とは程遠い燕尾服だ。
そして私を見て驚き、にやりと挑発的な笑顔を浮かべた。
「おおー。これがナイトメアの真の姿……。さすがだね。美しい。『聖都』でもそうそういないよ」
「なっ……。ふ、ふん。美しいのは当然だ。さあ、服を脱げ」
「服を? ははぁ。夢の中でセックスするってことだね」
その何もかもわかったような態度が癪に障る。普通の男は私を見ればその美しさと淫靡さに忘我するものなのに。少年だから効果が薄いのか? それとも、まさか、美女を見慣れている……?
「でもね。あいにくボクは、自分で決めた相手としか性行為はしたくないんだ」
「な、なっ……」
どこまで私を侮辱すれば……!
押さえ込もうとしたとき、少年は片手を頬にあてて、ぎゅっと頬をつねった。
闇が一瞬で吹き散らされ、パズルが組みなおされるように色彩に満ちた世界が再構成され、目の前でごろりと少年が起き上がって――
「きゃあっ!!」
「ふふん。やっぱり夢だけあって、これで目覚めるわけだね」
私はまた腰を抜かして、帽子を深くかぶって震えるだけでした。
少年は「なるほどなるほど」とか「これは興味深い」とかぶつぶつ呟いていましたが、その意味を考える余裕などありません。
私の自信は打ち砕かれ、もう不意打ちすることもできません。
「……決めた。明日から、ボクの家出に付き合ってもらえるかな」
その声が好意的――夢の中でほめられたときの様なものだったので少し顔を上げると、少年は挑発的な微笑を浮かべていました。
※※※
私と少年の旅はその夜から始まりました。
「よろしく」と腕を握られ失神してしまったので、まるで虜囚のごとき縄で先導される形です。不本意です。
「君はなかなか面白い。もっと聞かせてよ。魔物の世界の話」
目を向けられるたびに恐怖が湧いてきて、しかし目を逸らすと笑われるのできっと睨み返してみると「ほう」と少年は声を上げました。
「赤い瞳……なかなか綺麗だね。上位魔物は瞳が赤いって言われているみたいだけど、君も相当、上位の魔物なのかな」
「………………そ、そう、です」
少年はふふっと笑って「なんだ。現実でも話せるんだ」と意外そうに言うものですから、さすがに私もカチンときました。
気分は男を前にした無双のオーガです。
「ば……ば、ばかに、し、しないで、ください……わ、私、夢、では、強い……ん、ですよ……」
「ふぅん。夢では姿も違うみたいだし……そういう魔術を使えるのか。なるほどなるほど」
少年は小さなノートにペンを走らせています。
そこにはびっしりと、私に関することが書かれていました。
「…………そ、れ……なん、に、つ、つかうのでしょうか」
「ああ、これはボクの趣味。ボクはね、変質した魔物たちと会いたくて家を出てきたんだよ。異種族との交流だよ。街の経済発展より数倍、心躍るね」
この人、領主の子か何かなのでしょうか…………い、いえ。そんなことどうでもいいです! この侮辱的な扱いを脱出するのです!
「そういう意味でも、君を無傷で捕まえて、こう共に旅できるのは僥倖だよ。じぃが見れば卒倒するだろうな。ふふふ」
少年は私を見て、微笑を浮かべます。私は怖かったですが、笑い返してみました。
「君の名前を教えてくれよ。気に入った」
私には名前がありません。ナイトメアですから。そう呟くことはできず、「……ない、です」と言うだけでした。
「名前がない? なるほど、魔物にはそういう文化が……いやむしろ、群生しない魔物には…………。よし、じゃあボクの名前だけ教えておこう。ボクはフロンテ=ベンテック。フロンとでも呼んでくれ」
唐突にフロンと呼びたくなり、そう思った自分を叱責します。
どうにもおかしいのです。魔力の量は着実に減っているのに、危機感よりなぜか、安心感を覚えるのです。
こうして近くに男がいて、私に親しく接してくれる。
これでどうして、安心するのでしょうか。
「……!」
そ、そうです。精が安定して手に入るからです。
眠りに落ちればこちらのものです。不意打ちして精を絞ればいい。一度勃起した男根はそう簡単におさまりません。背後から全裸で飛びつけばすぐに射精するはずです。
「ふふふ…………」
「? どうしたんだい? 何か楽しいことでもあった?」
「いっ…………な、な、なんでも、ない、です……」
フロンは歩みを止めて、私の前に立って上目で見上げて問いました。
「教えてほしいものだね。ボクは興味があるんだよ。君に」
「…………じゃあ、ゆ、夢の中で、はな、はなし、たい、です」
そう言うとフロンは目を丸くして「なるほど。その手があったか」と言って嬉しそうに笑いました。
「ますます気に入ったよ。夢の中で話すかぁ、まるで童話のようだね。そういうところが、魔物のよさ、なんだろうな。うん」
うんうんと一人で納得していました。
よくわかりませんが、これで精を搾取し上下関係を逆転させる機会ができました。
夢の中で話すというきっかけさえ与えれば何度も食いついてきそうです。
決して、決して話したいわけではありません。この侮辱をなんとかしたいだけなのです。
「…………夫……?」
「ん? 何か言ったかい?」
「い、いいえっ。な、な、なんで、も、ない、です……」
ナイトメアの世界。それは、夢を見ることにあるのです。
私はこれから、どんな夢を見ていくのでしょうか。
「うそ……。わ、私が……?」
それは真夜中の、何時なのかはわかりません。
遮るもののない風が、随分と――“長くなった”私の脚をなでていて、いいえ、どうやら長くなっただけでもなくて、増えている――ようです。
ちょうど近くにあった湖に姿を映すと、お父様の腕ほどもある太い、筋肉質な脚がうつっています。到底私のものではありません。
もはや人間のものですらなくて、お屋敷にいた黒馬の脚とよく似ていました。
ですが私の脚はその二本だけでなくて、更に少し後ろに二本。ともすれば忘れてしまいそうな、むしろこの後ろの脚のほうが違和感のない脚です。
細く長い下半身。ちょうど馬の首に乗って、背を仰げばこうなるでしょう。
人間の上半身に馬の下半身――――
「け、ケンタウロス……?」
がくりとその場に倒れると、器用に四本の脚が折りたたまれて、感覚からすると、“下の方にあるお腹”というような、新しくできた部位――馬の腹部を草地がなでていました。
まるで舞踏のときのクリノリンでもつけているような感覚。腰を折ることができなくて、ぐっと両手を伸ばしてようやく、目の前の湖の水に触れて波紋を作りました。
「ひゃっ」と声をあげてしまい、さっと口を塞ぎます。それは今の異質な姿の羞恥のせいなのかはわかりません。
「やっぱり……夢じゃない、ですね」
はぁーぁ、と大きくため息。体を重い下半身ごと横に倒して、ぐったりとその場に倒れこんでしまいました。
はしたないとは思います。ですが、私の纏っていた、ノイマン家の家紋が刻まれたドレスも失せていました。
紫紺色の、占星師のようなローブが、私の(馬のものを含めた)体を覆っていました。
「服があるだけ、まだ良いのでしょうか……」
頭をおさえると、何か帽子をかぶっていいました。柔らかい生地で作られた、まるで誰かに編まれたような帽子。どうしてこんな――呪術的な、不徳なものを、私がつけているのでしょう。
「はぁー……」
心を満たすのは大きな大きな虚無。
何をすれば。何をすればいいのでしょう。
訊いても誰も答えてくれません。お母様もお父様もどこなのか解りません。
そもそも私がどこにいるのかも解らないのです。
思いっきり叫びたかったのです。
何も解らない、何をすれば良いのかも、私という人間そのものもいなくなり、叫ぶ以外に何をすれば良いというのでしょうか。
しかし私の喉からは、生まれてこの方一度も上げたこともない醜い叫び声などはあがらず、ただ、湖の傍に体を横たえるだけでした。
私にそんな度胸はありません。
たとえ誰もいないであろう草原であろうと、どこだろうと私は、叫ぶなんて真似はできないのです。
「……エミリー。あなたなら、どうしますか?」
私の可愛い妹で、私の憧れの妹。
奔放で、怖いもの知らずで、無邪気で、男勝りで。
どれも私の持たないものばかりで、お父様もお母様も執事やメイドの皆さんも、ほとほと手を焼いていましたが……私にとっては、ただの可愛い妹でした。
私の後ろをついてきた頃もありましたが、私がお屋敷の仕事を任されるようになった頃から、エミリーは仕事を嫌がり……疎まれ、私にも近寄らなくなりました。
しかしそれでも、私はエミリーの部屋を訪ね――たわいもない話をしました。エミリーは気分屋で、私に本を読んでとねだるときもあれば、冷たくつき返すときもありました。
この子には私しかいない。
それとも、私自身、エミリーに助けられていたのでしょうか。
お屋敷の仕事は多忙を極め、街の治安もそう良いものではありませんでした。
ワーウルフやワーキャットの群れ、低級魔物の大群――魔物被害はとどまるところを知らず、自警団の皆さんをたびたびお屋敷に招き、ご機嫌をとりました。
エミリーはそんなことを知っていながら、何も口に出さず、私の話を聞いてくれることもありました。
ただ興味がないだけなのかもしれませんが、私にはそれを判別することはできませんでした。
「……エミリー。今、どこにいるのですか?」
だからこそ。エミリーが突然お屋敷からいなくなった時、私は自らの死すら感じました。
エミリーを疎んだお父様お母様よりも、私の受けた衝撃は大きかったと思っています。
血を分けた姉妹だからというものではなく、寧ろ――さびしかったのです。
気心の知れた友人のいない私にとってエミリーは妹であると同時に友人であり、相談役でもありました。
エミリーには逃走癖こそありましたが決してお屋敷の外を出ることもなかった。しかしどんな隠れ場所にもエミリーはいなかった……。
「……まさか。魔物にされたのでは……?」
私も現に今、何者かによって連れ去られ、魔力を注入されたことで魔物となっています。これが夢でない限り。
ならエミリーも何者かによって連れ去られ、魔力を受け、魔物になった……?
「……同じ魔物になっているかもしれません」
魔物同士は念話のようなものを使って、離れていても会話ができるとききます。
ならどこかにエミリーがいれば、見つかるかもしれない。
「……エミリー。待っていてください。必ず、見つけ出してあげます」
それは私が久しぶりに、自分で立てた行動目標です。
私の馬蹄が、かつかつと音を鳴らしていました。
※※※
ケンタウロスは、見た目通りとても俊足の種族です。
それはケンタウロスらしき魔物となった私にも受け継がれており、漆黒の闇に染まる草原をとてつもない速さで駆けることができました。
「ふふふ……」
笑みがこぼれてしまうのも無理ないことです。
私はよく――――少女趣味なことですが、草原で駆けることをよく夢想していました。
夢想など、文字通り夢であり何の意味もないことではありますが、多忙の中にある休憩といえば眠るときしかなく、その眠りに癒しを見出したのは自然の流れだったのでしょう。
エミリーが読んでとせがむ童話や幻想物語も、私の夢にたびたび登場しました。とらわれたエミリーを助けるため、自ら剣を取り巨大なドラゴンに挑む夢――荒唐無稽ですが、現実めいた現実から逃れるには十分なものでした。
そうやって闇を疾走していると、いつしか私の周りに、青く揺らめく炎のようなものがぽつぽつと現れていました。まるで夜の牧場に稀に現れる光精霊のようです。
「私に……共鳴しているのでしょうか?」
こんな思考ができるのも、日頃から読み続けた物語の賜物でしょうか。
私が布に覆われた手をそっと差し出すと、青い炎は掌にのり、落ち着いたのも一瞬、ごうっと音を上げて大きく膨れ上がり、視界を覆うほど巨大になってぼうっと破裂しました。
「ひゃあっ!!」
脚を急に止めてしまったせいで、バランスを崩し倒れてしまったのです。低い草を大きく巻き上げ、下半身が大きすぎるせいで上半身を回すこともできずに体の側面を大きく引き摺り、数メートルほど滑ってようやく止まりました。
「いったた……」
薄いローブ一枚しか纏っていないものですから、私の体の下敷きになった腕は腫れて、紫紺のローブに血が飛び散っています。肩や背にも強い痛みがはしり、ひりひりと焼け付くようです。
いや、これでも幸いと言うべきでしょう。落馬したようなものですから、骨が折れていてもおかしくはないです。
「お医者様は……」
ふわりと舞う青白い炎で、私は現実を思い知ります。
私は魔物で、人間に狩られる存在なのです。怪我をすればこれ幸いと狩られることも――
「…………あの。大丈夫ですか?」
背後からの声に、私の体は瞬くうちに石のように硬直します。この魔物にそんな機能があるのでしょうか。いや、まさか。
「怪我してるんですか? ええっと、これは『借り』とかそういうものではなく、善意だと思ってくれればいいんですが」
硬直する私の肩に、何か――いや、手――いや、“男性の”手――が触れました。
「――――っ!」
その刹那には私は起き上がり、両腕を振り上げていました。
金属質な冷たい感触。
ズン、と重い衝撃が手に伝わり、私は手に持った――金色に光る不気味な大鎌を振りかぶった姿勢で止まっていました。
旅装束の学者と見える男性が、見開いた目をゆっくりと閉じながら、崩れ落ちるように地面に倒れ伏しました。
「え……? あ、あの、え……」
手を離すと、不気味で禍々しい鎌は奇術のように青い炎になって霧散しました。しかし前にいる男性は動きません。
「お、起きてくださいっ!! ごめんなさいっ! ごめんなさいっ!」
私はしゃがみこんで必死で男性を揺すりました。するとわずかに眉が動いて、生きていることがわかります。
いや、生きているというよりこれは、寝ている――――
「うっ……」
どくん、と心臓が大きく跳ねたことがはっきりとわかります。
水の滴るような音が聞こえ始め、すぐにそれが目の前の『何か』から聞こえると理解します。
そして――私は目の前に、黒く開いた洞穴のようなモノを幻視しました。真夜中の草原、地平線すら見えるような場所で、何か闇を見間違えたのかもしれません。
私はまるでかけこむように、その洞穴へ大きく両脚をあげて飛び込んだのでした。
どくん、どくん、と鼓動の音が大きく響きます。
私はどこか暗い空間に立っているようです。それも、二本の脚で。
「え、あ…………」
よく通る声。まるでお母様のようです。いえ、そんなものではなく――伝説の戦乙女や、女神にすら匹敵するほどのものだと言っていいでしょう。
紫のローブにかかる金色の髪は、まるで金の糸をそのまま使ったような、作り物と人間の境の極限に立つ美しさです。
無数の禍々しい輝きが、くるぶしほどまで伸びたスカートを彩っていました。
「すごい……。これが、私……?」
なんだか体中から力が漲ってきます。どんな絶望もはねのけ、エミリーもたやすく見つけられる。いえ、この世界すべてを一瞬で見渡す千里眼の力すらあるでしょう。
今の私なら。魔物となり、絶大なる魔力を手にした私なら、何の不可能もないのです。
――目の前に横たわる、貧相な旅人の男をいかようにすることも。
「あ、あれ? ここは……なんだ? 幻術?」
「ふふふ。こんにちは。小さな旅人さん」
私の声を聞いただけで、その旅人の男は畏縮してしまい、私に畏怖の目を向けます。
それは当然です。私は全能なのですから。
「小さな小さな旅人さん。私は、美しいですか?」
「は、はい。とても……ま、魔物かと思うほどに」
「それは正解。私は魔物なのですから」
近寄って、その顎を掴み上げます。まるで人形のよう。こうやって言葉遊びに答えてくれる面白い人形です。
しかし、人形と違うもの、それは――――
「っ…………」
どくん、と一度心臓が跳ねました。
「……それじゃあ、精をだしてもらおうかしら?」
私が一睨みするだけで、旅人の男は嬉々として服を脱ぎ全裸になりました。
その褒美に男の手をとって、私の最高の形と大きさを持つ乳房に、服越しに当てます。
「は、はぁ、こ、これは」
男根が瞬くうちに勃起し、ぶるぶると男性の足腰が震え始めました。
私を想像の中で突いているのでしょうか。
「ふふ。愚かな。私を自らの意思で犯せるなどと思うなど!」
顎を持ち上げ、放り投げます。情けない声をあげて男は私を畏怖し、しかし男根だけはこちらへ向けています。それが正しい姿勢。
私はその上に跨り、その貧相な顔を見つめます。主導権は私にあることをこの男に教え込むためです。
すべての精は私のためにあるのです。
「ふふっ……」
私は最高の微笑を浮かべたまま、腰をおろし、男根を膣の中へ迎え入れます。
「っ……!」
どうしてか私の顔は苦痛にゆがんでいました。そんなはずはありません。こんな貧相な男根ごときで私が動揺するはずもないのです。
「う、あ…………」
――――私、今、男性とセックスを…………?
「あ、あの?」
まるで気遣うような声をかけられ、私は我に帰ります。なんと奇妙なことでしょう。私が、完璧な私が動揺してしまうなんて。
「喋るな。ただ、極上の精だけを出すのだ。私のこの完全な体を潤すために!」
私は男性を胸へと抱きしめ、胸を慰めながら腰を動かします。どうしてか酷く痛みますが、私は構わず腰とその内の膣を蠕動させます。
「はっ、はぁっ、ふうっ」
私の口から苦しさの混じった吐息が洩れるのも不思議なことです。胸のうちでふうふうと汚い息をする男はもう精を作ることに集中しているのに、私はどうして精を絞ることに集中できないのでしょうか。わかりません。
無上の快楽とはいきませんが、中程度の快楽なら得られてしかるべきですが、これではまるでセックスに慣れていない村娘ではないですか。
「あ、あの、もう」
「ふふふ。そうか。さあ出せ。精を出すのだ!」
最後に許した覚えのない突き上げがきて「ひゃっ!」と声をあげて、
熱い奔流が膣の先、子宮を満たします。それが瞬くうちに全身に広がり、精が魔力へと変換されていきます。
「あ、ああ……! 良いぞ……!」
思わず男の顔を私の胸へ押し付けると、あろうことか男は衣服越しに勃起した乳首へ食いつきました。「ひゃっ」とまたなれない村娘のような情けない声をあげてしまいます。
「そんな児戯をする暇があればさっさと次の精を出すのだ!」
私が女王の一喝をすると、男はひいっと縮こまり、私の淫靡な美しさを再認識してまた男根に精を送り始めました。
膣の中も湿ってきたため、今度の腰の動きはいつものように快楽を貪ることのできるものでした。
男は私の美しさと偉大さに、ただ性欲を漲らせるがままとなっています。
それこそがあるべき姿です。私は全能なのですから。
「あ、も、もう」
「そうか。なら出してみよ。精を私へ差し出すのだ!」
砕けた腰に一度力が入って、また乾かない子宮の中に精が送り込まれました。それは魔力となり、私の美貌に更なる磨きをかけていきます。
「ふ、ふふ。どうした。もう終わりか?」
「は、はえ。も、もう腰が……」
貧相な男らしく、くたりと力を失って、手を離すと無抵抗に寝そべりました。
しかしそれでも目だけは私を見て、その美しさを脳髄に焼き付けようとしています。
それはあるべき姿です。
「さあ。私はもう行くぞ。しかと覚えておけ。この偉大なる美貌を!」
膣から男の精液を少し零しながら、私は闇の中に再び身をおさめました。
そして、私の意識と肉体は、再び分解されていき――――
私は、寒々しい草原に立っていました。
四つの脚で地面を踏みしめ、目の前で眠る男性に顔を向けたまま。
「あ……ゆ、夢……?」
夢と気付き、さっきまで私がしていた――していたなど、と、到底信じられませんが――淫行を思い出し、そのまま燃えてしまうのではないかと思うほどに顔が赤くなります。
「わ、わわわわわわわわ私ったらななななにを!?」
だ、男性をああああんな酷い目に! わ、私はなんてはしたないんでしょうか!
私はとてつもなく恥ずかしくなって全速力でその場を立ち去りました。闇雲に無茶苦茶に走り回って、そのうち眩しい橙色の朝日が見えてきました。
「はぁっ……わ、私は、何をしていたんでしょう…………」
恐ろしく鮮明な夢でした。いやあれは夢なのかもわかりませ……いえ、夢です。夢に違いありません。あんな淫行をするふしだらな女ではありませんから!
胸に手を当てると、どくどくと異常に早く脈打っています。お父様に叱られた時よりも早いかもしれません。
その沈み込む手が、夢の中で押し付けた男性の顔と重なってしまい、「うきゃぁっ!」と奇声をあげてしまいました。
それが引き金となって、私の膣の中で荒れ狂う男性の…………や、振った腰の感触まで思い出してしまって、もうまともな思考もできずに近くの池に飛び込みました。
ぼこぼこっとローブの内から空気の泡が出て、あっという間に全身ずぶぬれになりました。「くしゅん」とくしゃみをして、寒さでようやく思考が落ち着いてきます。
「な、何の冗談でしょう……。魔物のせいでしょうか」
そう。そうです。魔性という言葉があるではないですか。魔物は人間と違い、魔性という倫理観をもつと聞いたことがあります。
それが私の心をおびやかし、あんな信じがたい淫行に走らせたのです。そうに違いありません。
「…………」
ゆっくりと体を陸にあげると、じっとりと濡れたローブが体のラインを鮮明にしています。
私はあまり……なんというか、女性的な体つきではなかったはずなのですが、胸部は大きく膨らみ、逆に腰はとても細く、人馬の境目は少し内側にへこんでいました。
「……いつの間にこんな体に……」
これも魔物の魔性なのでしょうか。なんと淫乱な体なのでしょう……。
「……別に、嬉しくなどはないです」
私はれっきとした魔物となってしまっているのですから。今更こんな、こんな体が手に入ったところで遅いんです。
不愉快です。はっきり言って。
「……ローブの内側は、人間のままということでしょうか……」
そっとローブをめくってみると、人間の頃よりはるかに白く、そして染みの一つもない、女性として理想的なウエストが見えました。
さらにめくると、下着をつけていない乳房が僅かに見えます。
「…………っ」
思わずつばを飲みました。
大きい。
もう少しめくると、わずかに赤い乳首が見えます。少し濡れていて、触ると電撃のような感触が頭の先まで伝わります。
「っ……ふうっ……」
左手を股に――膣口に這わせると、少なからず濡れていました。ぐっと押さえつけると、内側にある陰核が押し返し、「はぁっ」と声が洩れます。
右手はこりこりとした乳首を回すように愛撫することに使いました。
「やあっ……んんっ……」
ふらふらと体が揺れ、いきなり冷や水をかぶったように全身が冷たさに包まれます。そこでようやく私は、自分が再び池に落ちたことを知ります。
今自分がしていたことも。
「わ、わわわ私は何を!? な、なんてことを――――っ!」
そこからの走りはもうほとんど暴走に近いものでした。
何時間走ったのかも解りません。気がつくと低い草ばかりだった足元は落ち葉にあふれる道となり、空は背の高い木々の葉に遮られました。
「ああー…………」
私はぼろきれのように森の中に身を倒し、眠りの中へ落ちていきました。
「はあっ……だめぇっ……」
私は思う存分に喘いでいました。
「もっとっ! もっといれてぇっ!」
長い指をずぽずぽと膣に出し入れして、肥大化する陰核を少しでも慰めようとしています。
もう指はべとべとで、自分の膣液を精液とみなして慰めるしかないのです。
「んうっ……ちゅうっ……」
指を吸うと、ねっとりとした液が口の中を満たします。それは精液の甘美な味ではありません。自分の魔力に染まったぎとぎとの液でしかなかったのです。
「ああ……もっとっ。もっとセックスしたいっ……!」
潰れるほどに自らの巨乳を押すと、孕んだときの予行演習のように母乳が飛び出ました。それをなめてまた、私が子を孕んだときのことを妄想するのです。
「はぁっ……男……もっとっ……もっといれてぇっ……」
私は夢の中のような人の姿ではなく、半馬の体を横倒しにして、ひたすらに自慰に耽っていました。
もうとめられませんでした。
ここが現実であるとわかっているのに、私の動き出した精への執着はとどまらず、一度絶頂に達さないと終わらないものでした。
「あっ、いっ、いくっ…………っ……」
すうっと力が抜け、私の理性が戻ってきます。
「……はっ。あはっ……。も、もう。だめです……」
お父様お母様ごめんなさい。私、アンリ=ノイマンは穢れてしまいました。
このような森の中で、人目もはばからず自慰をするような、娼婦にも劣るけだものです。
「魔物……ええ……魔物とは、こういうもの、なんですね……」
私自身、納得しかけているのです。
魔物とは、淫乱で欲望に忠実で、そんな、主神様の教えと正反対の存在なのです。
私もやがて、そうなってしまうようです。
「き、希望を……捨てなければ……いつか、主神様の救いが……」
その言葉は空虚でした。
私の女の体は火照り、また手が無意識のうちにどろどろの膣内をかきまわしはじめます。
「はぁっ……」
もうとめることも億劫になってきて。
人間としての良識や、私――アンリとしての尊厳も、昼まで続いた貪欲な自慰でうせてきて。
「……精が。精が欲しいですね」
私は、男性を襲うことにしました。
私は今、男性の精液――そこに含まれる魔力の源、精の力で動いています。それがなくては死んでしまうのです。
私の――ナイトメアの鎌は、男性を深い眠りに落とす力があるのです。
なんとなくわかるのです。なぜなら私は魔物ナイトメアなのだから。
私が魔物として生れ落ちたこの草原の名前は結局わかりませんが、とてつもなく広く、私の脚で走り続けても人里は見えません。
一方で、草原を棲家とする他種の魔物の姿が見えないのも奇妙です。だからこそ、旅人が多いのでしょうか。
私は昼の間は身を潜め、夜になると活動を始めました。
青い魔力の炎と共に彷徨い、男性の旅人を見つけ、鎌の一撃で眠らせ夢へ入る。それを繰り返しました。
夢の中こそが私の居場所でした。
夢の中にいると力が湧いてきて、なんでもできる気がしてきます。いえ、実際何でもできるのです。ナイトメアの力から逃れられるものはいません。
そう。つまり……。
「どうした? もう終わりか? 使えぬ奴だ!」
完璧な脚線美を見せて足元の男の胸を踏みつけると、苦悶と歓喜の混じった顔で私を見上げている。
腰をかくかくと動かして、はるか上にある私の膣へと男根を挿入しようとしていた。
「おまえに主導権があると思うな。私の思うとき、私の望む時。それだけがすべてなのだ」
そう言い放って、いきり立つ男根へと腰を下ろす。電撃的な突き上げが快楽を突風のように巻き起こし、「あひぃ」と男が陶然とした呟きをあげる。
この瞬間が私には堪らない。
――――すべての男は私の手の上にある。
「……ご、ご馳走様でした」
現実に戻るとまた、ねっとりとしめった子宮の内側に喜びながら、耐え難い恐怖感に煽られてすぐさまその場を後にするのです。
現実の私は空ろで、おぼろげで、男性に見られただけで、羞恥と恐怖で動けなくなってしまうほどでした。
ここは、昔と――変わらないのです。
しかしそれも仕方ありません。私たちナイトメアは夢の中に生きる存在。魔力の塊のごときこの体でさえ、現実では幻のように揺らめいているのですから。
現実と夢を繋ぎ止めるモノこそ、すべての魔物が欲する精の力なのです。
夢の力を借りて、現実の肉体に精を供給することで、私は夢を駆ける力を得る。
まあ、そんな理屈より…………ただ男の精が欲しいという女の本能だけが、今の私の心を満たしているのです。
※※※
草原がついに終わりを迎えました。
道らしきものがあったのです。
石畳と、小さな看板があります。それは人間の言葉で書かれていて、私には読めません。
そもそも読むという行為すら億劫で、私の体はいつも男を求めて熱く火照っているのです。
日の出ている間姿を隠し、声を殺して自慰をしても何も変わらず、活きのいい男の精だけが私の体を癒すのです。
「はぁぁぁ……男は……どこでしょう……」
私の性欲に反応して、魔力の炎がバチバチと爆ぜて近くのゴブリンが逃げていきます。
並みの魔物を遥かに超える魔力は、他種の下級魔物を退けるためには十分すぎるのです。
「男……はやく、男を……。襲いたい……貪りたい……」
口から流れる欲望の言葉はもう止まりません。止めようとした時期があった気もしますが、よく覚えていません。
そんなものを覚えている暇があれば、男とのセックスの感触を少しでも鮮明に覚え、昼の間の自慰に使うほうがよほど有意義です。
ローブの内の私の秘所は、いつもどろどろと濡れて歩みのたびに液を垂れ流しています。昆虫種の魔物が使うフェロモンのようなものです。
性欲の強い男性がこれを見つけ、私を追いかけてくれるはずなのです。まあ追いかけてきたところで、主導権は私にあるのですが。
石畳の上を歩き続けると、やがて壊れた何かの建物がたくさん見えてきました。あれは、人間の街、でしょうか?
黒く変色し、強い悪臭が漂っています。不愉快です。これは、人間が――傷ついた時に出る臭いです。
「……ここにも誰か、男がいるのでしょうか……」
本来ならばこんな不愉快なところは立ち入らないでしょう。しかし壊れた街というのは、私が危害を加えられる危険性が少ないのです。他の魔物がいたとしても、低級な霊などぐらいですし。そんな魔物は私の魔力におびえて逃げていくでしょう。
瓦礫は四方どこを見渡しても散らばり、私がえっちなことを考えなくなるほど不愉快な死の臭いが漂っていました。
歩き続け、その瓦礫の中に、かろうじて形を保った小屋がありました。不思議なことにそこは、青白く輝いて見えるのです。
「……魔力、でしょうか?」
まさか魔物がいるのでは、と思い鎌を構えて中に入りましたが、そこにいたのはベッドに横たわる少年でした。
「…………だ、れ?」
「ひゃっ! あ、あああああの、えっと」
少年とはいえれっきとした男。もう精を作り出す能力は持っており、微弱ですが精のにおいをかんじます。
私はぐっと鎌を握って、一気に振り下ろしました。
きぃん、と硬質な音を立てて、鎌が私の手から離れて霧散しました。
「え……?」
なぜなのでしょう。わかりません。
少年も空ろな目で、私を見つめています。眠りそうで眠らない。いやむしろ今眠っていたのかもしれません。惜しいことをしました。
もう一度鎌を作り振り下ろしても、まるで何かに護られているように私の鎌は弾かれました。
青白い燐光がバチバチと爆ぜています。私の持つモノと近いようで違う何か。
「……あの」
「ひゃああっ! ご、ごごごごめんなさいおじゃましましたっ!」
私は全速力で走って逃げました。久しぶりに全力で走ったせいで、街を出た頃には強烈な疲労と性欲が湧いてきました。
よくわかりませんが分析することも億劫です。
ぱくぱくと開閉して精をくれと疼く己の秘所を手で慰めながら、またいつものように歩みを進めます。
「ふふふふ……ま、まあいいです。夢の中なら、誰も私にかないは――――」
「止まれ。王者の命だ」
「ひゃあっ!」
突然降ってきた恐ろしい声に私はこけてしまいました。その声は私たちではない魔物。男を奪うつもりですか!
大きなはばたきの音をひびかせ、目の前に長身の女性が舞い降りました。
茶色く長い髪をした、大きな翼を持つ凶悪な姿――これはまさか、ドラゴン、でしょうか?
「何者だ。私の知らない魔物か」
そのドラゴンは私を見つめそう問うてきました。私は精一杯涙をこらえて、でも顔を見るのが怖いのでぼそぼそと喋ります。
「ど、ドラゴンさんですか。あ、すいません。私……ナイトメアです。その、魔物の中でも結構珍しいので、知らない人も多いみたいで……」
恐ろしいほどの圧力でした。とてつもない魔力を統制し、その体中にめぐらせていることがありありとわかります。
しかし夢の中ならば私のほうが強いのです。
「何をそんなに怯えている。私は王者であるが、決して暴君ではない。臆せずに話せ」
べ、別に臆した覚えなどありません!
などと言えるわけもありません。現実の男は怖いですが、目の前にいるドラゴンはそれ以上に怖いのです。
しかし、何か――――逃げてはいけないという気持ちがわいていました。
「あ、あの、ありがとうございます。優しい、ですね」
だからでしょうか。このようなことを口走ったのも。
「ええと、私はナイトメアの……すいません、名前はないです。私たちナイトメアは、決して群れることもありませんし、その、現象の生命――精霊に近いんです。あ、もちろん、子を産むことは出来ますけど、だ、男性が、その、怖くて」
私はいまだナイトメアの仲間を見たことがないですし、これからも見ることはないでしょう。しかしそんなことに執着はありません。私が執着するのは男の精。ただそれだけなのです。
…………それだけ、ですよね?
「怖い? ば、馬鹿を言うな。何を恐れることがある」
気のせいか目の前のドラゴン……さんは、動揺したように見えました。一瞬だけですが親近感がわきました。
「何をといわれても、その、怖いものは怖いんです。も、もちろん大好きで、交わりたいと思うのは当たり前なんですけど……あ、わたしたちは人間の男性の精以外を食べないんです」
「怖がっていて何が変わるというのだ。信じろ。己の力を。おまえは私には及ばぬが、並の魔女を遥かに超える魔力がある。その魔力を信じて男を捕らえれば良いのだ」
私の肩に、初めて別の魔物――目の前のドラゴンさんが触れました。ひどく暖かく、どうしてかその感覚は、私の中の、使命感――とでもいうようなものを、揺らしていました。
「私たちは魔物……魔王の名の下に、人間と共に歩む存在だ」
共に、歩む…………。
ぽうっと心の中に光が灯った気がします。
「……ありがとうございます。ドラゴンさん。少し、自信がついたかも、しれないです。
別の、向こうの街で――がんばってみます。必ず」
まだ別の男がいるのかもしれませんし。
「別の……? 前どこか人里にいたのか」
「はい。この向こうの、壊れた街に。一人だけ男の子がいたんですけど、その、わたしががんばっても、喜んでくれなくて……」
まさか本当のことなど恥ずかしくて言えません。
しかし、ドラゴンさんはにやりと恐ろしげな笑みを浮かべました。
「そうか。なら私がその男を娶ってみせよう。王者の夫に相応しいならな」
私は――いつもの私とは思えないことをまたしていました。
大鎌を持つ両手を胸の下で並べ、小さく頭を下げていました。
「がんばってください。優しいドラゴンさん……ありがとう」
奇妙なことです。私が手に入れるつもりの男すべてを取られるかもしれないのに。本当に私はどうしたのでしょう。
このドラゴンさんを見ていると、どうにも、いつものようにはいかないのです。
「言われるまでもない。ああそれと覚えておけ。私の名はエミリー。偉大なる王者だ」
そう言ってドラゴンさんは、大きくはばたいて空へと飛び出していきました。私の後ろに広がる瓦礫の街へ飛んでいきます。
「……エミリー? エミリー……どこかで……」
エミリーとは明らかに男の名前ではありません。そもそも今まで襲った男の名前など誰も知りません。訊くこともできません。
なぜそんな名前を覚えているのでしょう。
「……あれ? どうして涙が……」
さっきのドラゴンさんの恐怖がまだ残っていたのでしょうか。
「…………いえ。こんなことをしている場合ではありません」
私も男を探しに行かないと。もう我慢はできないのです。
※※※
瓦礫の街の中には、もう男はいませんでした。
無駄骨です。魔力の枯渇までは遠いですが、体内の魔力が減ればそれだけ不安になります。
不安は私自身の繁殖欲の増大に繋がります。より淫らに。より男の性欲を煽るように。より孕みやすく。
そう。ナイトメアは個体数が少なく、ケンタウロスの一種のため、子を孕みづらいのです。また一度に産む子も一人のみで、育てる子も大抵一人なのです。
「…………そのためにこの胸があるのですね」
大きな乳房は、豊富な栄養源の証です。
「……そういえば」
先ほどのドラゴンさんに言われたことが気がかりなのです。
私は男性が怖い。目を見られるだけで腰が引けて、声をかけられようものなら一目散に逃げたくなります。触れられれば……動くこともおそらくままならないでしょう。
そんな私が、男性を娶ることなどできるのでしょうか……。
「……だめです。そんなことは」
魔物としては、ナイトメアは奇妙な存在でしょう。いいえ。単に私がそうであるだけかもしれません。
本来魔物とは、只一人の男性の夫を持ち、その夫から得られる極上の精によって心身ともに満たされ、淫らに暮らしていく存在です。なぜ私がそれを知るのかはわかりません。
ですが私は……男性が怖い。顔を見ることすら怖いのです。そんな私が男性と親交を深めることなどできないのです。
もちろん、夫と睦まじく淫らに暮らし安定した精の供給を得られるというのを、文字通り夢に描くことはあります。私だって女なんですから、当然です。
しかし、夢の中ではそんなことを考える間もなくただ精を得ることだけに執着し、現実ではそんなことはままらない。
どうしたものでしょうか……。
「……あっ」
いつの間にかかなり歩いていたようで、草原を貫く街道の端に小さなテントを見つけました。ぼうっと光るテントの内に一人の男性の姿が見えます。
座り込んで何かしているようです。自慰だといいのですが。
魔力を使って足音を消し、闇にまぎれてそっとテントの入り口へ近づきます。
まだ年端のいかない少年が、こちらに背を向けて本を読んでいるようでした。
(……寝ている?)
首がうつらうつらと船をこいでいます。眠っているように見えますが……。
念のためいつものように鎌を使おうとし、ドラゴンさんの言葉がよぎります。
――信じろ。己の力を。おまえは私には及ばぬが、並の魔女を遥かに超える魔力がある。その魔力を信じて男を捕らえれば良いのだ。
私は鎌をしまって、そっと近寄ります。足音などまったくありません。私の脚がかきわける草すらも音はしません。
身を屈めてテントに踏み入って、意識を集中します。目の前の少年の夢の中へ入るよう、魔力を展開し――
(……あれ? 夢に、入れない……?)
「それっ」
少年がくるりと振り返って、本――の隙間に挟んでいた網のようなものを私に投擲しました。真っ黒い目の細かい網が広がって、一瞬で私の心は混乱に満たされます。
「ひゃああああああっ!!」
すかさず逃げようとしたところで、少年がまっすぐ私へ抱きついてきました。むにゅん、と胸がたわむほど強く顔を押し付けられ、私の思考全てがフリーズしました。
「ひゃ、あ…………きゅぅ」
私はあっけなく、気絶したのでした。
目を覚ますと、私の手には縄が巻かれていました。その縄の先を、金髪の少年が掴んでいます。
掴まれていると理解しただけでまた意識を失いそうになります。
「やっぱりナイトメアは臆病な性格なんだ……。たまにはじぃの言うことも当たるものだね」
少年は好奇の目で私を見ています。青い瞳と目を合わせることなどできるはずもなく、しかし腰が抜けてたつこともできないのです。
少年は先ほど持っていた小さな本の中を見直し、ふんふんと頷いているようです。
「しかし、いきなり気絶するとは……。君、本当に魔物なの? かなり精に貪欲だって聞いたんだけどさ」
今すぐ襲いたいという気持ちはあります。若い男性の精は特に美味です。こんな強気な目を向けてくる相手を、夢の中で屈服させるのはとても気持ちがいいのです。
少年はふむと顎に手をあてて、ぱらぱらと手元の本をめくります。
「もしかして、何かきっかけでもあるのかな。ええとナイトメアは…………夢? 夢に悪戯する悪魔、なんだっけ」
錆付いた体を動かし、顎を少しだけ引きました。これは好機だと睨んだのです。
夢に入ればこちらのものです。
「ふぅん。じゃあためしに今から寝てみようかな」
少年は眼鏡を外し、ごろりと背を向けてすぅすぅと眠り始める。体の震えがおさまってきて、恐る恐る近寄る。
「ふーっ…………」
このままなめられっぱなしではナイトメアの名折れです。
魔力を集中すると、大きな洞穴のようなものが目の前に現れます。少年の夢への入り口。
私は迷わず飛び込みました。
少年の夢の中で、私は絶世の美女の姿で実体化します。
「ひれふすがいい。この最高の美しさに……!」
倒れている少年のもとへ近寄ると、少年は目を覚ます。
良家の子息という雰囲気の少年だ。金色の髪に青い瞳、そして銀縁の眼鏡。着ている服も旅支度とは程遠い燕尾服だ。
そして私を見て驚き、にやりと挑発的な笑顔を浮かべた。
「おおー。これがナイトメアの真の姿……。さすがだね。美しい。『聖都』でもそうそういないよ」
「なっ……。ふ、ふん。美しいのは当然だ。さあ、服を脱げ」
「服を? ははぁ。夢の中でセックスするってことだね」
その何もかもわかったような態度が癪に障る。普通の男は私を見ればその美しさと淫靡さに忘我するものなのに。少年だから効果が薄いのか? それとも、まさか、美女を見慣れている……?
「でもね。あいにくボクは、自分で決めた相手としか性行為はしたくないんだ」
「な、なっ……」
どこまで私を侮辱すれば……!
押さえ込もうとしたとき、少年は片手を頬にあてて、ぎゅっと頬をつねった。
闇が一瞬で吹き散らされ、パズルが組みなおされるように色彩に満ちた世界が再構成され、目の前でごろりと少年が起き上がって――
「きゃあっ!!」
「ふふん。やっぱり夢だけあって、これで目覚めるわけだね」
私はまた腰を抜かして、帽子を深くかぶって震えるだけでした。
少年は「なるほどなるほど」とか「これは興味深い」とかぶつぶつ呟いていましたが、その意味を考える余裕などありません。
私の自信は打ち砕かれ、もう不意打ちすることもできません。
「……決めた。明日から、ボクの家出に付き合ってもらえるかな」
その声が好意的――夢の中でほめられたときの様なものだったので少し顔を上げると、少年は挑発的な微笑を浮かべていました。
※※※
私と少年の旅はその夜から始まりました。
「よろしく」と腕を握られ失神してしまったので、まるで虜囚のごとき縄で先導される形です。不本意です。
「君はなかなか面白い。もっと聞かせてよ。魔物の世界の話」
目を向けられるたびに恐怖が湧いてきて、しかし目を逸らすと笑われるのできっと睨み返してみると「ほう」と少年は声を上げました。
「赤い瞳……なかなか綺麗だね。上位魔物は瞳が赤いって言われているみたいだけど、君も相当、上位の魔物なのかな」
「………………そ、そう、です」
少年はふふっと笑って「なんだ。現実でも話せるんだ」と意外そうに言うものですから、さすがに私もカチンときました。
気分は男を前にした無双のオーガです。
「ば……ば、ばかに、し、しないで、ください……わ、私、夢、では、強い……ん、ですよ……」
「ふぅん。夢では姿も違うみたいだし……そういう魔術を使えるのか。なるほどなるほど」
少年は小さなノートにペンを走らせています。
そこにはびっしりと、私に関することが書かれていました。
「…………そ、れ……なん、に、つ、つかうのでしょうか」
「ああ、これはボクの趣味。ボクはね、変質した魔物たちと会いたくて家を出てきたんだよ。異種族との交流だよ。街の経済発展より数倍、心躍るね」
この人、領主の子か何かなのでしょうか…………い、いえ。そんなことどうでもいいです! この侮辱的な扱いを脱出するのです!
「そういう意味でも、君を無傷で捕まえて、こう共に旅できるのは僥倖だよ。じぃが見れば卒倒するだろうな。ふふふ」
少年は私を見て、微笑を浮かべます。私は怖かったですが、笑い返してみました。
「君の名前を教えてくれよ。気に入った」
私には名前がありません。ナイトメアですから。そう呟くことはできず、「……ない、です」と言うだけでした。
「名前がない? なるほど、魔物にはそういう文化が……いやむしろ、群生しない魔物には…………。よし、じゃあボクの名前だけ教えておこう。ボクはフロンテ=ベンテック。フロンとでも呼んでくれ」
唐突にフロンと呼びたくなり、そう思った自分を叱責します。
どうにもおかしいのです。魔力の量は着実に減っているのに、危機感よりなぜか、安心感を覚えるのです。
こうして近くに男がいて、私に親しく接してくれる。
これでどうして、安心するのでしょうか。
「……!」
そ、そうです。精が安定して手に入るからです。
眠りに落ちればこちらのものです。不意打ちして精を絞ればいい。一度勃起した男根はそう簡単におさまりません。背後から全裸で飛びつけばすぐに射精するはずです。
「ふふふ…………」
「? どうしたんだい? 何か楽しいことでもあった?」
「いっ…………な、な、なんでも、ない、です……」
フロンは歩みを止めて、私の前に立って上目で見上げて問いました。
「教えてほしいものだね。ボクは興味があるんだよ。君に」
「…………じゃあ、ゆ、夢の中で、はな、はなし、たい、です」
そう言うとフロンは目を丸くして「なるほど。その手があったか」と言って嬉しそうに笑いました。
「ますます気に入ったよ。夢の中で話すかぁ、まるで童話のようだね。そういうところが、魔物のよさ、なんだろうな。うん」
うんうんと一人で納得していました。
よくわかりませんが、これで精を搾取し上下関係を逆転させる機会ができました。
夢の中で話すというきっかけさえ与えれば何度も食いついてきそうです。
決して、決して話したいわけではありません。この侮辱をなんとかしたいだけなのです。
「…………夫……?」
「ん? 何か言ったかい?」
「い、いいえっ。な、な、なんで、も、ない、です……」
ナイトメアの世界。それは、夢を見ることにあるのです。
私はこれから、どんな夢を見ていくのでしょうか。
13/03/27 11:47更新 / 地味
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