花畑のドラゴンのはなし
わたしは、瓦礫の中で目を覚ました。
「……おかあさん?」
だれもいない。ごうごうと酷い耳鳴りのような音がする。
部屋の壁がない。
隣のおばさんが持ってきてくれたお見舞いの花も、それをのせていたラックもない。
粒の粗い砂が散っている。
「げほっ……なに、が、あったの?」
わたしは、病気。
どうして病気かはわからない。この街――モルテガには、正式な教団認可医師はいないから。
ただ、医術の旅をしていたフェニアさんは、なんだかわたしが生まれた時からわるくする病気だって言ってた。
わたしの背負った十字架だって。
だから体を起こすこともできないはず。背中が固まってしまっているから。
でもわたしの体はあっさりと起き上がって、ぼろぼろになった街をわたしに見せた。
赤い、暖炉のよりずっと大きな火が、あちこちで燃えている。
とげとげの真黒い木のかけらが、天へと伸びている。壊れた家。なくなった街並み。
暗い暗い空。
変わってしまった街。
「みんな? おかあさん?」
ぱちぱちっと火が近くで爆ぜて、わたしは驚いてベッドから転げ落ちてしまった。
わたしは気付く。
わたしもまた変わっていた。
絵本の中のドラゴンのような緑の鱗が、体の色んなところを覆っていて。両手も鋭い爪のある硬そうな手。
ただ、胸だけは薄い緑の皮膜で覆われていた。
顔も、そのまま。ぺたぺたと触ると、わたしの顔のままのかたち。
床板に打ち付ける、長い尻尾もあった。
「……ドラゴン? これは?」
ドラゴンのようで、ドラゴンじゃない。
頭が痛い。がんがんと叩くような音がずっと響いている。
立ち上がろうと思うと、わたしの体は立ち上がってくれた。
炎が何重にも重なって揺れる、わたしの周り。
ベッドのすぐ近くで燃える、人のようなものが目にはいって。
「っ……ううっ」
きゅうっと心臓を締め付けられるような、おかあさんのいない夜のような感覚。
死んでる……人間が、人間が死んでる……。
やだ……やだ!
「ああああっ!」
わたしは飛び上がっていた。大きな翼を広げて、あっという間に燃える街の上に。
街の中央に建つ『誓いの塔』の、ベンチに降り立つ。ベンチがみしりとゆがんで壊れた。
「……ここは、無事だったの……?」
壊れた像。この街の友達の、魔物の人の像だっておかあさんからきいた。
長く細い尻尾と翼のある女の人。ただ、頭のところが壊れている。
「……知ってる。この人、知ってる……」
白い髪。赤い瞳。すべての魔物を統べる魔王の娘。
リリム。リリムの――
「……たすけて。リリムさん。わたし、どうなっちゃったの……」
像の土台によりかかると、なんだか安心した。わたしの体の奥底に、すっと手を差し伸べてくれる。
とくん、とくんと緑の皮膜の内が鼓動する。ふにゃりと柔らかい胸と、心臓。
淫魔の導き。
「……探さなくちゃ。人間を」
人と共に歩む魔物として。
おかあさんが死んだと気付いたのは、『誓いの塔』を出た後のこと。
なんとなくわかった。悲しいけれど、わたしは泣かなかった。
ドラゴンだから。
荒天の下をただ、飛び続ける。何も考えずに。
わたしの意識はただ凪のまま。
やがて降り立ったのは、小さな山の麓の村。夕暮れの頃だった。
そこに人がいることはわかった。どうしてか、心臓が暖かい。わたしの中を流れる何かが疼いている。
砂漠が近いせいで、砂に汚れた黄土色の村。砂避けのケープがあちこちに張られ、人はあんまり外にいない。ただ、人間がいることはわかる。
「あなたは、だあれ?」
ぼろをまとった小さな女の子が、わたしを見上げてきた。褐色の肌。モルテガからどれだけ離れているのかわからないけど、わたしたちと少し違う、外の人だとわかる。
「わたしはドラゴンだよ」
「ドラゴン? 魔物?」
わたしは自信たっぷりに頷いた。わたしはドラゴン。人間と共に歩む魔物。
女の子は村の真ん中の鐘をからんからんと鳴らして、ドラゴンさんがきたの、と言う。小さな家の扉が空いて、大人が出てくる。
「……男の人もいる……」
なぜか両手が小さく動く。
わたしは村の人に歓迎された。
村長さんの家に通されて、ほんの少しだけど干した木の実をもらった。
「そうですかそうですか。人間と共に歩む魔物……。最近、魔物の被害が減ったと思ったら、そういうことでしたか。魔物も、変わられたのですね」
お母さんよりもずっと歳を取った村長さんは、うんうんと頷いてわたしの手を握ってくれた。
「何もないところですが、ゆっくりしていってくださいな。魔物の方」
わたしは笑顔で「ありがとうございます」と言った。いつの間にか澄んだ綺麗な声になった。
村の子どもたちは、わたしの姿をかっこいいと言ってくれた。
「そっちいったよ!」
魔法で固めた砂のボールを空中でキャッチして、軽い力で投げ返す。体格のいい男の子が受け止めて、わたしに投げ返す。
しっかりの自分の脚でステップを踏んで、それをかわす。後ろにいた味方の男の子が、相手のコートに投げ返す。
相手にボールをあてる遊び。こんな遊び、初めて知った。
もしかしたらあったのかもしれないけど、わたしには知るすべがなかった。
病気をわるくするかもしれないから、外に出ることもほとんどできなかったから。
翼は使わずに、思いっきり体をひねってボールを投げ返す。男の子が一人当たって出て行く。
「楽しそうな遊びをしてるね」
わたしと同年代ぐらいの青年がいた。砂に汚れているけれど、綺麗な黒髪に褐色の肌。
「っ……」
どくん、と鼓動が早まる。
わたしの全力で投げたボールも受け止めて、楽しそうに投げ返してくれる。体全体で受け止めると、「はぁっ」となんだか高い声がでてしまう。
とても楽しくて、日が沈むまで遊んだ。
夜の砂漠は寒いから、わたしは子どもたちを翼で包んで眠った。
「ありがとう。ドラゴンさん」
あの青年、エルンくんはわたしの肩を軽く叩いて言った。
綺麗な瞳をしていた。そこに映る光はとても美しかった。
ぎゅうっと胸が締め付けられる。
わたしはこくりと頷いて、エルンくんの胸によりかかった。
それからわたしは話をした。
滅びた街のこと。わたしの病気のこと。
変わってしまった体のこと。
「ふふっ。不思議なこともあるもんだね……僕も、そうなれたらいいな」
「ドラゴンに、なりたいの?」
エルンくんは頷いた。
「翼が欲しいんだ。あの山を越えたい。緑を見てみたい」
エルンくんは、ぼろぼろになった絵本を取り出す。わたしも持っていた、教団の人が売っている絵本だ。緑豊かな国の勇者さまのお話。
「わたし、飛べるよ」
エルンくんは「そうだね」と言って、動かそうとした翼をそっと押さえた。「みんなが寒いって言っちゃうよ」とたしなめられて、わたしは翼で暖まる子どもたちを思い出す。
「僕は、ここを離れちゃいけないから。大事な働き手だしね。あの枯れ山から食べ物をとってこないと」
「わたしも手伝う」
「……ありがとう。ドラゴンさん」
その抱きしめてくれた暖かみを、わたしは忘れない。
村に旅のシスターさんが来たのは、その二日後の朝早く。
村の鐘をからんからんと鳴らして、村長さんとお話している。わたしも出たかったけど、昨日夜までエルンくんのお手伝いをして眠かったし……エルンくんが近くにいると思うと、ずっとずっとドキドキして眠れなかった。
「村長さん。何か物にお困りではありませんか?」
「ええ……。大変心苦しい話ではありますが、なにせこんな土地ですから」
シスターさんは悲しそうに砂漠を見る。
「主神であろうとも、力及ばぬ場所はあります。凶悪な魔物が潜む魔界、あらゆる生物を拒む砂漠……。ですから、私たちはここまで足を運んだのです」
「ええ。ええ。ありがとうございます」
村長さんは手をあわせ、シスターさんも手を合わせる。わたしも手をあわせてお祈りした。
いつも病気が治りますようにって祈っていたから。
「先日、とても悲しい事件がありました。モルテガ……とてもたくさんの敬虔な人が暮らす街が、魔物によって焼き払われてしまったのです。ドラゴンやバフォメットといった、とても強大で残忍な魔物のせいでしょう」
「それはまあ……。とても、痛ましいことで」
ええ……。とシスターさんは目を伏せる。シスターさんの乗っていた教団の行商馬車が、近くに寄ってきて、乗っている神父さんが会釈した。
「私たちはその魔物を倒すために、その魔物が飛び去ったというこちらの方へ参りました。何か、ご存知ないでしょうか?」
ドラゴン……? わたし、ドラゴンだよね。
「エルンくん……」
「わかってるよ。ドラゴンさんのことじゃない。だって、姿がぜんぜん違うじゃない。それに優しいから」
わたしはエルンくんに抱きつきたくなった。
すっ、とシスターさんの目がこっちに向いた。
「……このあたりに、濃厚な魔力の気配がするんです。……そう。何か、魔物が立ち寄ったり、働いたりしていませんか?」
村長さんは「ああ」と笑顔で言う。
「ええ。いらっしゃいますよ。優しいドラゴンの方です」
シスターさんは一瞬目を見開いて、にっこりと笑う。
「そうですか。それでは、そのモルテガを滅ぼした魔物ではなさそうですね。天を覆うほどの巨大な翼、炎を吐き人間を焼き尽くす暴虐な魔物……それが私たちの追うドラゴンですから」
「ええ。ええ。あの方はわたしたちと変わらぬ姿で、とても謙虚な方ですよ。村のために働いてくださって……。魔物にも、優しい方はいらっしゃるのだと、この歳になって感動しましたよ。ええ」
シスターさんは「そうですね」と笑って言って。
「撃て」
ババババン、と何かが弾ける音がした。村長さんがびくんと震えて、ばたっと倒れた。真赤な血が、流れていて。
「えっ……」
何が、起こっているの?
「皆さん。大変残念なことですが。この村は魔物の魔力に汚染されてしまいました。このお方も、じきに魔物と変わってしまうところだったでしょう」
シスターさんが長い棒のようなものを持って言う。キラキラ光る白銀の、剣と槍を合わせたような形の棒。
馬車の幌から白銀の鎧を着た人たちが出てきて、同じ棒を色んな方向に構える。棒の先から薄い煙が立っている。
「魔物の魔力は、女性を魔物と変え、男性を本能のままに女性を貪る獣に変えてしまいます。主神の力をもってしても、それは防げないことなのです」
村の色んなところから大人たちが出てきて、村長さんの遺体を見て悲鳴を上げる。シスターさんが「撃て」と号令すると、ババババン、と音が響いて、何人かの女性が胸から血を噴出して倒れる。
「ですから。この村は再生されなければなりません。そのためには、魔物の魔力に侵されてしまった方々を……天へ送るしかないのです」
ババババン、とまた音がして、残りの女の人が全員倒れる。男の人たちが「盗賊か!」と言うと、シスターさんが懐からナイフを抜いて首を切り落とした。
「わたしたちは教団です。盗賊などではありませんよ」
エルンくんが外に飛び出す。外にいたエルンくんのお父さんに体当たりして、棒から飛びだした小さなものを避ける。チッと舌打ちしてシスターさんはまた棒を構える。
「エルンくん!」
「来ないで! 君は逃げて!」
ババババン、とまた音がして、エルンくんをかばったエルンくんのお父さんが吹き飛んだ。
わたしの体が、恐怖に縮こまる。
ババババン、と音がして、エルンくんが血を噴出す。「エルンくん!」と叫ぶと、「逃げて」の口の形で、目をつぶった。
「あ…………!」
記憶が、頭をかけめぐる。
燃え盛る街。
吹き飛ぶ家。
せまり来る炎の壁。
体の動かないわたしは、逃げられない。だから。
ベッドの傍にあった燃えた遺体。
「守って。お願い……この子だけでも!」
お母さんはわたしに覆いかぶさるように燃えて、ばたりと倒れた。
思い出した。
こんなに近くにいるのに、何も出来なかった。
ただ、大切な人が死ぬのを見ているだけで。
「動くのに……今は、今は! 動くのに……!」
バサッと大きく翼が開いて、家の屋根が崩れ落ちる。教団の人が一斉にこちらを向く。
「見つけましたよ。汚らわしい魔物。さあ、殺しなさい。ドラゴンの首よ。八つ裂きにして殺して、凱旋パレードよ!」
向かってくる小さな、殺意をこめた無数の何かを翼で弾き飛ばす。
「ああ……あああ……!」
どくん、どくん、と体が鼓動する。
「っああああああああああああああああああああ!!」
体が強い熱を帯びて、巨大化する。
大地を切り裂く爪、すべてを砕く牙。巨大なドラゴン。
「殺せ! ブチ殺しなさい!」
幌が外れて、大砲が現れる。わたしはぐっと体を縮めて、足元の子どもたちを庇う。
たくさん撃たれて、鱗が爆ぜる。大砲が頭に当たって、意識がなくなりそうになる。
「まだよ! まだ生きてる! 絶対に殺しなさい! 目を狙うのよ! みんなみんな殺して殺しつくすのよ!」
鋭い槍が飛んできて首に突き刺さる。翼を大きく広げて、子どもたちを庇う。
「やめて……。この子たちは関係ない……!」
シスターさんはキャハハッと笑った。
「もうそんなもんどうでもいいのよ。魔力の影響も強そうだし、サンプルとして研究部にでも送ってやるわ」
また棒の先で光が爆ぜて、眉間に当たってとてつもない痛みがはしる。翼に穴が開かないようにそこへ魔力を集中させるから、わたしの鱗が剥がれ落ちていく。
人間は傷つけたくない。傷つけちゃだめ。
魔物は人間と共に歩むもの。
だから。
でも…………。
わたしはぎゅっと目をつぶって。
「ごめんなさいっ!!」
最大の力でもって、炎を放った。
ごうごうと燃え盛る村と、嫌な耳鳴り。
わたしは元の姿に戻って、足元で怯える子どもたちを撫でる。
「大丈夫。げほっ……もう、大丈夫だから」
体のあちこちがぼろぼろで、わたしの姿でも怖がらせてしまう。
「逃げよう。山の向こうに草原とか、あるかもしれない」
「うん……」
でも、みんなわたしの手を握ってくれた。
振り返ると、燃える教団の人たちの遺体がある。
シスターさんは目を見開いて、わたしを睨みつけたまま死んでいる。悪魔のような、憎しみのこもった顔。
それを見ると、わたしの魔物としての根底を揺さぶられたみたいで、本当に苦しい。
「……ごめんなさい。本当に、ごめんなさい……」
わたしは、エルンくんの遺体に近寄る。ぎゅうっと抱きしめて、そのまま翼を開く。
体に魔力を集中させて、原身に還る。
「みんな乗って! 早く!」
わたしはエルンくんのなきがらと子どもたちと共に飛んだ。
山の向こうへ。
わたしは、小さな花畑に体をよこたえた。
山の向こうにあった、綺麗な花の咲く花畑。
「エルンくん。緑だよ。花畑が、あるよ」
もう動かないエルンくんに抱きついて、わたしは泣いた。
その花畑でわたしは、子どもたちをずっとずっと守ることにした。
傷が深すぎてもう治らない。翼で飛ぶこともできない。遠くには行けないだろう。
「ドラゴンさん、ぼくたち、傷薬とかを探して……」
「いいの。わたしのことは気にせずに思いっきり遊んで。みんなも見たかったでしょ? 緑」
ちょっとためらいながらも頷くみんなは、少し成長したみたいだ。
この子たちを育てよう。この花畑で。
わたしの身が朽ちて、エルンくんと共に眠るまで。
「これが私の見つけた、花畑のドラゴンのお話です」
「悲しくて。悲しくて……! とても、後悔したものでした」
「……おかあさん?」
だれもいない。ごうごうと酷い耳鳴りのような音がする。
部屋の壁がない。
隣のおばさんが持ってきてくれたお見舞いの花も、それをのせていたラックもない。
粒の粗い砂が散っている。
「げほっ……なに、が、あったの?」
わたしは、病気。
どうして病気かはわからない。この街――モルテガには、正式な教団認可医師はいないから。
ただ、医術の旅をしていたフェニアさんは、なんだかわたしが生まれた時からわるくする病気だって言ってた。
わたしの背負った十字架だって。
だから体を起こすこともできないはず。背中が固まってしまっているから。
でもわたしの体はあっさりと起き上がって、ぼろぼろになった街をわたしに見せた。
赤い、暖炉のよりずっと大きな火が、あちこちで燃えている。
とげとげの真黒い木のかけらが、天へと伸びている。壊れた家。なくなった街並み。
暗い暗い空。
変わってしまった街。
「みんな? おかあさん?」
ぱちぱちっと火が近くで爆ぜて、わたしは驚いてベッドから転げ落ちてしまった。
わたしは気付く。
わたしもまた変わっていた。
絵本の中のドラゴンのような緑の鱗が、体の色んなところを覆っていて。両手も鋭い爪のある硬そうな手。
ただ、胸だけは薄い緑の皮膜で覆われていた。
顔も、そのまま。ぺたぺたと触ると、わたしの顔のままのかたち。
床板に打ち付ける、長い尻尾もあった。
「……ドラゴン? これは?」
ドラゴンのようで、ドラゴンじゃない。
頭が痛い。がんがんと叩くような音がずっと響いている。
立ち上がろうと思うと、わたしの体は立ち上がってくれた。
炎が何重にも重なって揺れる、わたしの周り。
ベッドのすぐ近くで燃える、人のようなものが目にはいって。
「っ……ううっ」
きゅうっと心臓を締め付けられるような、おかあさんのいない夜のような感覚。
死んでる……人間が、人間が死んでる……。
やだ……やだ!
「ああああっ!」
わたしは飛び上がっていた。大きな翼を広げて、あっという間に燃える街の上に。
街の中央に建つ『誓いの塔』の、ベンチに降り立つ。ベンチがみしりとゆがんで壊れた。
「……ここは、無事だったの……?」
壊れた像。この街の友達の、魔物の人の像だっておかあさんからきいた。
長く細い尻尾と翼のある女の人。ただ、頭のところが壊れている。
「……知ってる。この人、知ってる……」
白い髪。赤い瞳。すべての魔物を統べる魔王の娘。
リリム。リリムの――
「……たすけて。リリムさん。わたし、どうなっちゃったの……」
像の土台によりかかると、なんだか安心した。わたしの体の奥底に、すっと手を差し伸べてくれる。
とくん、とくんと緑の皮膜の内が鼓動する。ふにゃりと柔らかい胸と、心臓。
淫魔の導き。
「……探さなくちゃ。人間を」
人と共に歩む魔物として。
おかあさんが死んだと気付いたのは、『誓いの塔』を出た後のこと。
なんとなくわかった。悲しいけれど、わたしは泣かなかった。
ドラゴンだから。
荒天の下をただ、飛び続ける。何も考えずに。
わたしの意識はただ凪のまま。
やがて降り立ったのは、小さな山の麓の村。夕暮れの頃だった。
そこに人がいることはわかった。どうしてか、心臓が暖かい。わたしの中を流れる何かが疼いている。
砂漠が近いせいで、砂に汚れた黄土色の村。砂避けのケープがあちこちに張られ、人はあんまり外にいない。ただ、人間がいることはわかる。
「あなたは、だあれ?」
ぼろをまとった小さな女の子が、わたしを見上げてきた。褐色の肌。モルテガからどれだけ離れているのかわからないけど、わたしたちと少し違う、外の人だとわかる。
「わたしはドラゴンだよ」
「ドラゴン? 魔物?」
わたしは自信たっぷりに頷いた。わたしはドラゴン。人間と共に歩む魔物。
女の子は村の真ん中の鐘をからんからんと鳴らして、ドラゴンさんがきたの、と言う。小さな家の扉が空いて、大人が出てくる。
「……男の人もいる……」
なぜか両手が小さく動く。
わたしは村の人に歓迎された。
村長さんの家に通されて、ほんの少しだけど干した木の実をもらった。
「そうですかそうですか。人間と共に歩む魔物……。最近、魔物の被害が減ったと思ったら、そういうことでしたか。魔物も、変わられたのですね」
お母さんよりもずっと歳を取った村長さんは、うんうんと頷いてわたしの手を握ってくれた。
「何もないところですが、ゆっくりしていってくださいな。魔物の方」
わたしは笑顔で「ありがとうございます」と言った。いつの間にか澄んだ綺麗な声になった。
村の子どもたちは、わたしの姿をかっこいいと言ってくれた。
「そっちいったよ!」
魔法で固めた砂のボールを空中でキャッチして、軽い力で投げ返す。体格のいい男の子が受け止めて、わたしに投げ返す。
しっかりの自分の脚でステップを踏んで、それをかわす。後ろにいた味方の男の子が、相手のコートに投げ返す。
相手にボールをあてる遊び。こんな遊び、初めて知った。
もしかしたらあったのかもしれないけど、わたしには知るすべがなかった。
病気をわるくするかもしれないから、外に出ることもほとんどできなかったから。
翼は使わずに、思いっきり体をひねってボールを投げ返す。男の子が一人当たって出て行く。
「楽しそうな遊びをしてるね」
わたしと同年代ぐらいの青年がいた。砂に汚れているけれど、綺麗な黒髪に褐色の肌。
「っ……」
どくん、と鼓動が早まる。
わたしの全力で投げたボールも受け止めて、楽しそうに投げ返してくれる。体全体で受け止めると、「はぁっ」となんだか高い声がでてしまう。
とても楽しくて、日が沈むまで遊んだ。
夜の砂漠は寒いから、わたしは子どもたちを翼で包んで眠った。
「ありがとう。ドラゴンさん」
あの青年、エルンくんはわたしの肩を軽く叩いて言った。
綺麗な瞳をしていた。そこに映る光はとても美しかった。
ぎゅうっと胸が締め付けられる。
わたしはこくりと頷いて、エルンくんの胸によりかかった。
それからわたしは話をした。
滅びた街のこと。わたしの病気のこと。
変わってしまった体のこと。
「ふふっ。不思議なこともあるもんだね……僕も、そうなれたらいいな」
「ドラゴンに、なりたいの?」
エルンくんは頷いた。
「翼が欲しいんだ。あの山を越えたい。緑を見てみたい」
エルンくんは、ぼろぼろになった絵本を取り出す。わたしも持っていた、教団の人が売っている絵本だ。緑豊かな国の勇者さまのお話。
「わたし、飛べるよ」
エルンくんは「そうだね」と言って、動かそうとした翼をそっと押さえた。「みんなが寒いって言っちゃうよ」とたしなめられて、わたしは翼で暖まる子どもたちを思い出す。
「僕は、ここを離れちゃいけないから。大事な働き手だしね。あの枯れ山から食べ物をとってこないと」
「わたしも手伝う」
「……ありがとう。ドラゴンさん」
その抱きしめてくれた暖かみを、わたしは忘れない。
村に旅のシスターさんが来たのは、その二日後の朝早く。
村の鐘をからんからんと鳴らして、村長さんとお話している。わたしも出たかったけど、昨日夜までエルンくんのお手伝いをして眠かったし……エルンくんが近くにいると思うと、ずっとずっとドキドキして眠れなかった。
「村長さん。何か物にお困りではありませんか?」
「ええ……。大変心苦しい話ではありますが、なにせこんな土地ですから」
シスターさんは悲しそうに砂漠を見る。
「主神であろうとも、力及ばぬ場所はあります。凶悪な魔物が潜む魔界、あらゆる生物を拒む砂漠……。ですから、私たちはここまで足を運んだのです」
「ええ。ええ。ありがとうございます」
村長さんは手をあわせ、シスターさんも手を合わせる。わたしも手をあわせてお祈りした。
いつも病気が治りますようにって祈っていたから。
「先日、とても悲しい事件がありました。モルテガ……とてもたくさんの敬虔な人が暮らす街が、魔物によって焼き払われてしまったのです。ドラゴンやバフォメットといった、とても強大で残忍な魔物のせいでしょう」
「それはまあ……。とても、痛ましいことで」
ええ……。とシスターさんは目を伏せる。シスターさんの乗っていた教団の行商馬車が、近くに寄ってきて、乗っている神父さんが会釈した。
「私たちはその魔物を倒すために、その魔物が飛び去ったというこちらの方へ参りました。何か、ご存知ないでしょうか?」
ドラゴン……? わたし、ドラゴンだよね。
「エルンくん……」
「わかってるよ。ドラゴンさんのことじゃない。だって、姿がぜんぜん違うじゃない。それに優しいから」
わたしはエルンくんに抱きつきたくなった。
すっ、とシスターさんの目がこっちに向いた。
「……このあたりに、濃厚な魔力の気配がするんです。……そう。何か、魔物が立ち寄ったり、働いたりしていませんか?」
村長さんは「ああ」と笑顔で言う。
「ええ。いらっしゃいますよ。優しいドラゴンの方です」
シスターさんは一瞬目を見開いて、にっこりと笑う。
「そうですか。それでは、そのモルテガを滅ぼした魔物ではなさそうですね。天を覆うほどの巨大な翼、炎を吐き人間を焼き尽くす暴虐な魔物……それが私たちの追うドラゴンですから」
「ええ。ええ。あの方はわたしたちと変わらぬ姿で、とても謙虚な方ですよ。村のために働いてくださって……。魔物にも、優しい方はいらっしゃるのだと、この歳になって感動しましたよ。ええ」
シスターさんは「そうですね」と笑って言って。
「撃て」
ババババン、と何かが弾ける音がした。村長さんがびくんと震えて、ばたっと倒れた。真赤な血が、流れていて。
「えっ……」
何が、起こっているの?
「皆さん。大変残念なことですが。この村は魔物の魔力に汚染されてしまいました。このお方も、じきに魔物と変わってしまうところだったでしょう」
シスターさんが長い棒のようなものを持って言う。キラキラ光る白銀の、剣と槍を合わせたような形の棒。
馬車の幌から白銀の鎧を着た人たちが出てきて、同じ棒を色んな方向に構える。棒の先から薄い煙が立っている。
「魔物の魔力は、女性を魔物と変え、男性を本能のままに女性を貪る獣に変えてしまいます。主神の力をもってしても、それは防げないことなのです」
村の色んなところから大人たちが出てきて、村長さんの遺体を見て悲鳴を上げる。シスターさんが「撃て」と号令すると、ババババン、と音が響いて、何人かの女性が胸から血を噴出して倒れる。
「ですから。この村は再生されなければなりません。そのためには、魔物の魔力に侵されてしまった方々を……天へ送るしかないのです」
ババババン、とまた音がして、残りの女の人が全員倒れる。男の人たちが「盗賊か!」と言うと、シスターさんが懐からナイフを抜いて首を切り落とした。
「わたしたちは教団です。盗賊などではありませんよ」
エルンくんが外に飛び出す。外にいたエルンくんのお父さんに体当たりして、棒から飛びだした小さなものを避ける。チッと舌打ちしてシスターさんはまた棒を構える。
「エルンくん!」
「来ないで! 君は逃げて!」
ババババン、とまた音がして、エルンくんをかばったエルンくんのお父さんが吹き飛んだ。
わたしの体が、恐怖に縮こまる。
ババババン、と音がして、エルンくんが血を噴出す。「エルンくん!」と叫ぶと、「逃げて」の口の形で、目をつぶった。
「あ…………!」
記憶が、頭をかけめぐる。
燃え盛る街。
吹き飛ぶ家。
せまり来る炎の壁。
体の動かないわたしは、逃げられない。だから。
ベッドの傍にあった燃えた遺体。
「守って。お願い……この子だけでも!」
お母さんはわたしに覆いかぶさるように燃えて、ばたりと倒れた。
思い出した。
こんなに近くにいるのに、何も出来なかった。
ただ、大切な人が死ぬのを見ているだけで。
「動くのに……今は、今は! 動くのに……!」
バサッと大きく翼が開いて、家の屋根が崩れ落ちる。教団の人が一斉にこちらを向く。
「見つけましたよ。汚らわしい魔物。さあ、殺しなさい。ドラゴンの首よ。八つ裂きにして殺して、凱旋パレードよ!」
向かってくる小さな、殺意をこめた無数の何かを翼で弾き飛ばす。
「ああ……あああ……!」
どくん、どくん、と体が鼓動する。
「っああああああああああああああああああああ!!」
体が強い熱を帯びて、巨大化する。
大地を切り裂く爪、すべてを砕く牙。巨大なドラゴン。
「殺せ! ブチ殺しなさい!」
幌が外れて、大砲が現れる。わたしはぐっと体を縮めて、足元の子どもたちを庇う。
たくさん撃たれて、鱗が爆ぜる。大砲が頭に当たって、意識がなくなりそうになる。
「まだよ! まだ生きてる! 絶対に殺しなさい! 目を狙うのよ! みんなみんな殺して殺しつくすのよ!」
鋭い槍が飛んできて首に突き刺さる。翼を大きく広げて、子どもたちを庇う。
「やめて……。この子たちは関係ない……!」
シスターさんはキャハハッと笑った。
「もうそんなもんどうでもいいのよ。魔力の影響も強そうだし、サンプルとして研究部にでも送ってやるわ」
また棒の先で光が爆ぜて、眉間に当たってとてつもない痛みがはしる。翼に穴が開かないようにそこへ魔力を集中させるから、わたしの鱗が剥がれ落ちていく。
人間は傷つけたくない。傷つけちゃだめ。
魔物は人間と共に歩むもの。
だから。
でも…………。
わたしはぎゅっと目をつぶって。
「ごめんなさいっ!!」
最大の力でもって、炎を放った。
ごうごうと燃え盛る村と、嫌な耳鳴り。
わたしは元の姿に戻って、足元で怯える子どもたちを撫でる。
「大丈夫。げほっ……もう、大丈夫だから」
体のあちこちがぼろぼろで、わたしの姿でも怖がらせてしまう。
「逃げよう。山の向こうに草原とか、あるかもしれない」
「うん……」
でも、みんなわたしの手を握ってくれた。
振り返ると、燃える教団の人たちの遺体がある。
シスターさんは目を見開いて、わたしを睨みつけたまま死んでいる。悪魔のような、憎しみのこもった顔。
それを見ると、わたしの魔物としての根底を揺さぶられたみたいで、本当に苦しい。
「……ごめんなさい。本当に、ごめんなさい……」
わたしは、エルンくんの遺体に近寄る。ぎゅうっと抱きしめて、そのまま翼を開く。
体に魔力を集中させて、原身に還る。
「みんな乗って! 早く!」
わたしはエルンくんのなきがらと子どもたちと共に飛んだ。
山の向こうへ。
わたしは、小さな花畑に体をよこたえた。
山の向こうにあった、綺麗な花の咲く花畑。
「エルンくん。緑だよ。花畑が、あるよ」
もう動かないエルンくんに抱きついて、わたしは泣いた。
その花畑でわたしは、子どもたちをずっとずっと守ることにした。
傷が深すぎてもう治らない。翼で飛ぶこともできない。遠くには行けないだろう。
「ドラゴンさん、ぼくたち、傷薬とかを探して……」
「いいの。わたしのことは気にせずに思いっきり遊んで。みんなも見たかったでしょ? 緑」
ちょっとためらいながらも頷くみんなは、少し成長したみたいだ。
この子たちを育てよう。この花畑で。
わたしの身が朽ちて、エルンくんと共に眠るまで。
「これが私の見つけた、花畑のドラゴンのお話です」
「悲しくて。悲しくて……! とても、後悔したものでした」
12/10/08 22:52更新 / 地味
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