閉鎖システムの街
【閉鎖システムの街】
18歳。煙草と酒はまだだが、幾つかの規制が緩くなる歳。
「彼女欲しいなぁ」
心底な、そして疲れ切った声で行われた心情の吐露。
「それ、女に跨った格好で言う台詞?」
無線機越しのような篭った声。しかし、それが女性の声なのは確か。
「女、つっても」
手元の手綱を引く。繋がる先は首輪。
「お前、爬虫類じゃん」
「ドラゴンだっつーの!」
銀の竜鱗が美しい全長3m、四肢が達し、前傾の二足歩行を行う龍が話し相手。
一人と一体。
逃避行どころか、今まさに。
殺し合いの最中に居た。
高校最後の夏休み。仲間内の集まりでゲーム談義などを長々とやった帰り道。
高架線下、電柱に寄りかかるように倒れた人間の破れたもの。
モツが地面を汚す。
汚れ、穢れ、そういった忌避を抱かせるのは、赤黒く広がる液体と鉄の臭い。生々しく温かく、そして機能を失った臓器。
生々しく、そして冷夏の夜に湯気すら発した光景を前に、初めに連想したのは精肉店であり、額に滲む汗は本能的な忌避感を伴ってのものだった。
恐怖。
原始的であり、最も強い嫌悪感。どうしようもない震えと共に、手にしていた携帯を通話モードに切り替える。
1と0の繰り返しすら二度間違いながらも、警察へ電話しようとして反応を待つ。
接続音すらせず、呼び出し音すらしない。
圏外の文字に舌打ちすると、慌てて踵を返す。
鼻先に何かが掠めた。
痛みと共に仰け反った瞬間、頭上から何かが振り下ろされる。
死ぬのだと。
頭蓋を突き抜けた衝撃と共に、自分の最期を悔いていた。
眼が覚めた途端に怖気と寒気。
巨大な存在、何かに全身を注視されたかの絶大な恐怖感を打ち払いながら跳び起きる。
「・・・なんでか生きてるな」
安堵と共に息を吐き出す。
頭痛に顔をしかめ、それが打撲によるものだと思い出した。
全身を確かめる。記憶を思い出す。
まだ生きているのかと嘆いたが、まだ生きていられるのだと苦く笑う。
腕時計を確認するも、何故か針は動いていなかった。メタルバンドの重たい腕時計は、まるで枷のように重い。
頭の中身があまりに渾然としていると、ぼんやりと反芻するよう思考を繰り返す。
眠っていたベッドから身体を起こす。
名前、日付、時間。
それぞれを一つずつ確認していく。
「名前・・・」
「カンジナバル」
「歳は・・・」
「180歳」
「今日は・・・」
「月齢だと小望月と呼ぶ時節らしい」
答える言葉が何処から発されているのか。
それを考える暇もなく、何か大きな存在が身体を起こしていた。
銀鱗が蛍光灯の明かりに反射する。
発達した四肢。
蜥蜴とは次元の違う容貌。鋭く、それでいて美しい爬虫類の鼻先が、目の前まで迫ってくる。
全長2m〜3mという巨躯をした相手は、さも退屈そうにこちらを睥睨していた。
「で、お前なんて生き物?」
「え、魔物だけど?」
嫌そうな顔と、心底疲れた様子の顔。
同時に溜め息を吐き出すと、互いに双方の顔と向かい合った。
一人は青年。
そう大柄ではない、中肉中背。顔立ちは凡庸。鼻の付け根に傷があり、細い眼をしていることを除けば外見的特徴すらない。格好もジーンズに黒のTシャツをした短髪。
一体は爬虫類。
大柄。長く肉厚な手足、指は物を掴めるほどの自由度を有し、2m以上、下手をすれば3mはある体格に皮膜による翼を備え、顎には牙が並ぶ。
どう見ても架空の生物としか思えなかった。
「なぁ、あんた、いやあなたは男、女?」
「女よ。それもとびきりの。どこ見て判断・・・」
空白。間隙。
「あれ!?私ってば龍だ!人の形してない!?」
脱力してベッドの上に崩れ落ちた青年の傍から、何か紙が落ちてくる。
元々はベッドの上に置いてあったのだろうが、その紙には一文のみをタイトルとして記されていた。
『契約書』と。
ドラゴン。
異世界と呼ばれる場所において、最上位に位置する種族、らしい。時には魔物を統べる魔王と同格とされることすらあり、その多大なる魔力と肉体的素養は多種族を大きく凌駕する。
しかし、その強さが脅威として人間に捉えられて以降、対龍装備や魔術式の開発により、龍の天敵は人とも評されているという。龍と人が対立した歴史は古代の更に古代まで遡り、遺跡から強力な龍殺しの武器が発掘されることも。
「じゃあ弱いのか? 龍」
「普通は負けないけど、龍にだって逃れられないものはあるし」
「例えば?」
「ギャザ、つまり禁忌」
「近畿?」
要約すると、禁忌(ギャザ)とは、カンジナバルのような種族や文化のものが持つ制約や契約の類と説明。
魔術式の代償や能力、種族自体の持ちえた力の代価であり、時に文化の根幹たるものと密接に関係している。
宗教における中央教義に近いものであると。
「過去には人間の英雄も使ってたけど。あれは元々の能力に起因する結果しかもたらさないから、凡人が使っても破滅するのがオチだった」
「よくわからないけど、才能の余白を延長するようなものだと?」
「もしくは才能の枠を一つ付け加えるようなもの」
「・・・それって、こんな形で身体に記されるもの?」
「・・・こんな形で身体に記されるものね」
互いの右胸と尾の付け根に隠れた部位を見せ合う。
Tシャツをまくった青年の右胸には鍔のない諸刃の剣を象形化した刺青。
尾を持ち上げた龍の鱗には天秤をモチーフにされた刺青。
「ちょ、龍に刺青が刺せるのか?」
「禁忌とはそういうもので、根本的に刺青とかとは性質が違うのよ。というか、ここに来る前の記憶が酒場の酒を飲みつくしたところまでしか覚えてないような。いつ刻まれたんだか」
「ダメだこの龍」
呆れ混じりに溜め息を吐いた青年が手にしていた『契約書』という便箋を見つめる。
「そういえば、アンタ、名乗ってなかったけど」
「杵島 法一(きしま ほういち)。杵島が家名で法一が名前」
「じゃあホウイチ。その便箋開けなさいよ。なるべくとっとと」
「・・・嫌な予感しかしない」
不器用に、それでいて用心した様子で法一が便箋を確かめる。
中に炭疽菌でも入っているのではないかという彼の警戒と怯えっぷりに嫌気がさしたのか、カンジナバルが奪い、器用に爪の先だけで便箋を開けた。
「一枚は共有語で書いてあるけど、これはそちらの国の言葉?」
二枚入っていたうち、一枚が法一へ渡される。中身を眺めた法一は、嫌そうに内容が同じものかをカンジナバルと確認した。
二人の手紙の概要を同じだった。
『ようこそ。貴方はバザールの商品として選ばれました。ここではボードと呼ばれるこの空間において、勝ち残る事を求められています。すすすす』
これが主文であり、さも親しげに何かのルールを押しつけてきた。語尾の数文字はタイプミスだろうか? 奇妙な威圧感を醸しており、妙に気持ち悪い。
『勝ち残るとは生きることです。負けは死に直結します。敵は8組です。設定期間を生き残った場合に解放されます』
「つまり殺し合いやれって?馬鹿馬鹿しい話だこと」
「殺し合いは主目的でないらしいが」
話し合う二人はそれぞれ続きも確認する。
『敵を倒した場合には武器を譲渡いたします。同盟、協定、共闘は自由ですが、その場合は宣言してください。同盟は互いへの攻撃が相手の死亡時まで禁止されます。協定は破棄までの間の攻撃が禁止され、互いの位置を知ることができます。共闘は互いの能力をシェア出来ます。しかし、互いから10m以上離れることができなくなります』
「よく解らん」
「というより、この文面、どこまで信用できると思う?」
「共闘の宣言やってみるか?誓約文を読み上げればいいらしいが」
「なるほど。じゃあやってみるか」
さほどの考えもなく読み上げる。否、明らかに法一は誘導する意図があったように思う。
「誓約に依って共闘を宣言する」
「誓約に依って共闘を宣言する」
同時、互いの右胸と尾の付け根で淡い発光。蛍が散ったような残光と共に、互いには新たな禁忌が刻まれていた。
指輪を思わす図形が互いに刻まれたのを確認し、カンジナバルが禁忌を解除しようとする。しかし、書面には共闘の解除に用いる文面は記されていなかった。
「はっはっは。そういや破棄の文面が記されてるのは協定のみだった」
「謀られた!?」
こういった経緯でパートナーを獲得した法一は、愉快な相方と行動を開始した。
誰もいない街。
マンションの屋上から周囲を睥睨した法一は、一種の感嘆と共に目の前の光景を眺める。
「誰もいない街か。すごいもんだ」
「あんたんとこって建物は全部こんな感じなの?」
山を背に並ぶマンションの鼻先、背の低いビル、繁華街、停車した車の並ぶ道路。
どれもが現実感のない箱庭のように見えるのは、そこに生きる人の音、人の気配が一切ないからだろう。
「この国では珍しくもない光景ではあるな。とりあえず、飯はどうするか」
「料理屋より食材探す方がいいわね。乗んなさい。適当なとこ案内して」
「コンビニとか電気は通ってるのかね」
男物のベルトで首輪、作業用ロープで手綱。
「男に繋がれるとか初体験」
「人聞きの悪い」
屋上から飛び降りる。
巨躯が巨大な翼の揚力によって滑空。
風を裂く爽快感と共に、驚きに鼻水を噴き出した法一だが、どうやら洩らさずには済んだようだ。
「ちょ、さすがに放尿プレイとかは勘弁してね」
「・・・なんだろうこのドラゴンの威厳のなさは」
「まだ180歳よ。人間年齢に換算したら約2歳くらいだし」
「その異世界あるあるみたいなノリでイメージとか憧れとかを打ち砕くなよ。もう少しカッコいい生き物がよかった」
ぐだぐだと喋っている間に地面へ着地する。
幸いにも機能をしていたコンビニを物色する一人と一体。
彼等が食事をしていると、外が爆発した。
「何?」
三個目のおにぎりで既に満腹気味だった法一が驚く。
「魔術式じゃない?」
ケースごと弁当を噛み砕いていたカンジナバルが鼻先を上げる。
「つまり魔法?」
「まぁ、なんかそんなもの」
「それ、狙われたらどうなる?」
「まぁ、それは」
何か。
焦げ臭い塊を掴み、ひきずっていた女は笑っていた。
「あれみたいになるんじゃない?」
ねじくれた金の杖。黒いコートの下には白いトーガと金の飾り。
黒髪に褐色の肌をしたジプシーを思わす女の握るものが人だと気付いた瞬間、怖気が背筋を突き抜けた。
頭髪に隠れていた一対の耳が揺れる。黒い毛並みに包まれた三角形。
「アヌビスね。遺跡の主、死を奉じる裁きの眷族」
「博学だな。それで、彼女が空中に描いている光の軌跡は?」
「魔術式っぽいけど」
「そうか」
法一が棚を掴む。カンジナバルが深呼吸をした。
莫大な熱量の収束した龍の息(ドラゴンブレス)を吐き出すと同時、薙ぎ倒した棚でコンビニの窓を割った一人と一体が逃げ出した。
「しょっぱなから殺すつもりだったぞあれ!」
ブレスを防いだ彼女の右手には籠手。黒光りする金属のそれが余波すら薙ぎ払うと、再び詠唱が再開された。
「あれがアイテムか。人を殺して有利になるってのも最悪なシステムだな」
「パワー不足ね。やっぱ禁忌の所為っぽいけど」
「ゲームバランスの調整とか最悪」
その間に逃げる。彼女の首筋、何かの紋様が赤く輝いた瞬間に背後の路面が爆裂した。
「おわぁ!?あれか!ドラゴンとタイマン張れるくらいにあの犬耳の女が強くなってんのか!」
「しかし禁忌を使いこなす相手なんてどこの神官かしらねぇ」
「知るかそんなもん!」
全力ダッシュ。
カンジナバルの尾によって自販機を薙ぎ倒し、視界を遮っている隙に逃亡。
逃げ切った二人の背後では、燻ぶる炎が地面を焦がしていた。
オフィスの一室に逃げ込んだ一人と一体が顔を突き合わせる。
「おぉ」
法一が手を開くと、握る前より消しゴムが小さくなっていた。大きな圧力によるものか、それとも物理法則に反した過程と結果か。
「超能力だ。超能力」
「違うって」
法一の掌を龍の爪先が触る。途端、手首までの皮膚が奇妙な質感の黒い何かとなっていた。
「あの模様は剣じゃなくて楔ね」
「これがぁ?」
右胸の紋様を見る。そこには柄にない諸刃、ではなく楔の紋様。
「それで、効果は?」
「取り換えっ子(チェンジリング)がモチーフね。わりとポピュラーよ?元々は洗礼前の子供が妖精に浚われないように鋏やナイフ、釘やロザリオといった鉄を枕元に置く習慣だけれど、この伝承を元に、違うものと取り換えるといった術式を禁忌としたものね」
「術式と禁忌って違うの?」
「まぁ、似てるものだけどねぇ。禁忌は術式の媒介になるし、術式を以て禁忌を生み出す事もできるし。けど、禁忌とは儀礼や意識的なものも含めてのことだから、あんまり明確な区分がないんだけどね」
「よくわからん」
「なんつーかね、もっと端的には禁忌の本質は誓いそのもの。こうありたいから、こんなふうなことができるようになりたい、みたいな」
「わからん。それじゃ強く願ったら新しい力が生まれるのか?」
「さぁ?空より高い位置に居る人次第じゃない?」
「嫌な話だ。運命とか神様とかあんまり好きじゃないんだが」
デスクから降りると、床で頬杖をついていたカンジナバルへ顔を寄せる。
「で、どうすれば使える?」
「んー、とりあえず練習してみる?じゃあ、自分の禁忌の印の上に掌を当てて」
教えられた通りに構える。
掌から伝わる振動。呼応する身体の中の異質な気配。
鼓動と共に血脈を巡る物理的ではない血液。血より深く、遺伝子より不確かな原初の力。
それが魂と呼ばれる根幹から溢れ出る何かの源泉だと気付いたのは、禁忌と呼ばれる掌の下にあるものこそが、魂に繋がっているからだろう。
仮想の臓器みたいなものかと、頭の冷静な場所が考える。
魂から禁忌、そして掌、更に脳。
伝わってくる情報の本流、そしてそれに続く何かに触れることに怯える。
しかし、躊躇いを押し潰し、何かが溢れていく。
わけのわからないものは溢れだす。名前のないもの、名前の知らないものが濁流のように零れていく。
禁忌のエネルギー源、本質に直結したものが一気に脳内に広がった。
現実の器官を通ることで名前のないものに名前が与えられる。
これは罪業だ。過去の残滓が目の前を別の光景に染め上げる。
夜。タオルの巻かれた鉄パイプ。肉を殴り骨を叩く感触。
悲鳴は漏れ出ない。口にはガムテープ。
殴る。襲う。狙う。
それを行ってきたのが自分だ。惰性で続けていたのが自分だ。
一人、私怨に動いてしまったのが自分だった。
「・・・・・・ぁ」
声を洩らした瞬間、意識が掌の奥から引き剥がされた。
目の前に現実が戻ってくる。
今までとは違う、誰かによって放り出された世界。
全身を濡らす汗に気付いた瞬間、震えていた膝を着き、ほっと呼吸を吐く。
「ちょ、大丈夫?」
心配そうに鼻先を左右に動かし、こちらを観察するカンジナバル。その姿に心が安らぐのを感じた。
「ここ最近の悪行が、全部、出てきた」
「そう。まぁ発狂しなかったなら、そこそこの悪行ね」
「・・・頭おかしくなることがあるんかい」
脱力した法一と、その様子を見て熱い呼吸を洩らすカンジナバル。どうやら安堵したらしい。
「心配したのか?」
「別に。たまたま戦力が減る事になるのは惜しいと思っただけだから」
あまりにわざとらしくそっぽを向いたカンジナバルに笑みを向け、法一は強引に首を抱き寄せた。
「むすくれんなって。本当に、お前はいい女だよ」
「あ!信じてないっしょ!マジよ!マジで美女だからね!」
遠く、爆音をBGMに、別の隠れ家を探すべく二人はオフィスビルを後にした。
このイベントの企画者は一体誰なのか。
それを考え、僅かな怒りが灯った時、法一の掌は、漆黒の皮膚に覆われていた。能力の発露であることは理解できたが、一体どんな能力かは掴みきれていないまま動き出す。
「何?急げってば」
「解っている」
拳を握り、開く。
それだけの動きで黒い皮膚は消えていた。
恐怖と疑問。そして行き場のない憤り。
騒ぐ楽しげなカンジナバルの上に飛び乗った法一は、呆れ顔の裏で様々な事を考える。
「あ」
「あ」
「んぉ?」
マンションの自販機前で新たな人物と遭遇した。
相手も龍に乗った人間を見た瞬間に思考がフリーズしてしまったらしく、咄嗟の反撃はなかった。
「確保!」
「ってぎゃぁ!?」
「女の子にはやさしくねー」
一瞬の隙をついて跳躍した法一が抱きつく。じたばたと逃げようとした法一と同年代同の少女は、男の腕力に全力で抗っていた。
「ぎゃー! きゃー! おーかーさーれーるー!」
「童貞に無茶を言われても困る。だが、ご期待には答えねば」
「ぬがないでー! ごめんなさいごめんなさい話し合えばわかってくれると信じますから!」
「そっちの子ってば涙目よー。そろそろ解放したげてー」
「ぎゃー! ドラゴンまでオネェ系だー! もういやー!」
「ちょ!?私は女よ!とりあえず法一押さえてなさい!なんか大根とか人参とか突っ込めそうなもの持ってくるから!」
「どこに!? いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
閑話休題。
お寿司屋さんでトロを頼む場合は注意しましょう。実は大トロより中トロが美味な場合があります。季節によって脂のノリが違うことも。
それはともかく。
落ち着いた二人と一体は、他の相手に見つからないようマンションの一室へ侵入した。
「はい、お茶」
「あ、ありがとう」
「ちょっと。これって熱過ぎない?」
「・・・口から高温のレーザー出すような生き物がなにをほざくのやら」
急須と湯呑み、茶っぱを探し出した法一が茶を煎れ、床へ直に座ったカンジナバルと少女が顔を見合わせる。
「さらっとお茶煎れたわよ。なにこの無駄な家事スキルとか」
「やー、最近は弁当男子とかいるし。そこまで珍しいわけじゃないけど。なんか意外?」
カンジナバルが同じ女性である事に加え、最初の出会いでの騒ぎが効を奏したのか、比較的に友好的なまま会話の場が成立した。
釘宮春子(くぎみや はるこ)と名乗った女は、眼鏡に青白い顔、不健康的な様子で、半眼のような細目は、やぶ睨みしているようにも見える。
そして、左右に伸びた耳は人間の倍以上の長さがあった。
「まさかエルフまでねー。その服は?」
袖なしのパーカーにホットパンツ姿には、ところどころに擦り傷。
「私はハーフだもの。生まれも日本で最近も日本に住んでるし、普段着はこっち。まぁ、ちょっとした騒ぎで破れたから、上着は服屋から借りたんだけどね」
「そっちも?やーねー、殺し合いばっかそこかしこで」
そんな会話を皮切りに、二人と一体が情報を交換する。
まずはカンジナバル。
目覚めてしばらく徘徊していたが、法一発見後、彼から情報を聞き出そうとするも彼自身も現状に対しては無知に等しく失敗。共闘関係となり以後は共に行動。
次に法一。
目覚めてすぐにカンジナバルに遭遇。共闘関係後は共に行動。
最後は春子。
目覚めて以後、単独で行動。しかし、人間とは二度の接触があったものの、共に戦闘開始と共に逃亡し、僅かな傷を負ったのみ。
「つーか殺された?あの、本当に?」
彼女も同じ参加者の立場であることを確認し、先程の戦闘を話す。
人間意外の存在である彼女達が参加していることを加味しても、人の形をした存在が焼き殺されていたのは事実だろう。
「とはいえ、そっちも二度は狙われたらしいが」
「さすがに殺し合いにはならなかったわよ。一人は変な魔術式のようなものでこっちの服を剥ぎにかかったし、一人は禁忌を試していただけみたいだった」
「禁忌って概念は、そちらじゃメジャーなのか?」
「出身地次第じゃない?」
二人と一体の話を突き合わせても何の進展もなかった。
春子を狙った二人も、声だけを聞き、姿を隠したまま攻撃したらしい。
「それで、どうする?殺し合いなら勝てんぞ。こっちには龍がいるからな」
「まてまて。いきなり人のことアテにすんじゃない」
「人じゃないし。まぁ、無理矢理押し倒してなんかするのはやめておいてやろう。Eカップ以下は相手にしない主義でな」
「今考えたでしょーがそれ」
「・・・じゃあ射程範囲になっちゃうけど」
「E以上だ!?」
「E以上とかマジなの!?」
「あ、あんまり反応しないでよ!」
驚愕する二人に、折り畳まれた紙を開いた春子が読むフリをして赤い顔を隠す。
「と、とにかく、殺し合いする気がないなら、同盟とかにしない?」
「俺はいいが、カンジナバルは?」
「別にいいわよ。殺し合いをせずに済むならなんでも」
「じゃあはい」
文言と掌による誓約によって同盟が成される。二度の同盟の宣誓と共に、ほっと春子が息を吐く。
「けど、他に襲われたら今のも意味ないし、殺されるから気をつけてな。じゃあ」
「頑張れー。負けんなー。力の限り生きといてねー」
立ち去ろうとした法一とカンジナバルに、春子の顔が青ざめる。
「一緒に行動しよう。お願いだから」
カンジナバルは春子にしがみつかれた。
「・・・そっちは、相棒とかいないの?」
「いないわよ知らないわよ会ってないわよ話したでしょ。た、す、け、てー」
めそめそめそめそ。
結論。
三人パーティになりました。
ドアノブを破壊した三人とあるマンションをビバーク地点に。
パーティー構成。
自称女、戦闘力は折り紙つきの存在である龍。
凡人で変人、単なる人間の男子高校生。
夜行性でエルフの女子高校生。
ろくでもないことこのうえなし。
説明書、もとい契約書から考えるに、解放の条件は一定時間の経過。他者の殺害はあくまで戦闘の優位性を除けばこれといった意味はない。
同時。
生かすという事にも、特段の意味はないのだ。単なる理性的な忌避を除けば、ここでは殺人を律する法も社会もない。
とはいえ、それを許容するには彼等は賢し過ぎた。
「殺す側であれ、多少なりとも自分の理屈で選ぶのはありだろう。それダウト」
「まぢですか!? ありえなくないですか!」
「ちょい、ルール覚えたばっかの私に負けるってどんなんよ」
トランプで遊んでいたが、連敗に咆哮した春子がトランプを投げた。
「ま、ちょうどいいから風呂入ってくるわ。ホウイチ、覗くなよ」
「・・・普段から裸だし、鱗だらけのその身体はちょっと」
「エチケットとかあるでしょうが!乙女舐めんなよ!」
「合流した部屋の水洗トイレを洗顔機と思ってたようなのが、乙女?」
「言いやがったぁぁぁあぁぁあぁ! 戻ってきたら咬む! 噛み砕く!」
どすどすと去っていくカンジナバルを見送り、法一は気にした様子もなく茶を啜る。
「仲がいいですね」
「まぁ、何故か呼吸が合う。会って一日しか経っていないのにな」
そう笑う法一は、カーテンをめくり、窓に貼ったシートを確認する。遮光シートを三重にしたもので、確認した限りでは光が漏れる様子はない。
「外からの観察だけであれば大丈夫だと思うが」
「やっぱり、アヌビス女、とか言っていた人を?」
「まぁ、会ったばかりで殺しに来る相手だ。正直いえば怖いな」
湯呑みを置く。
「けど、これからどうするつもりだ?」
「私?私は・・・禁忌、の使い方も解るけど、戦いには参加したくないかな。一定期間を過ぎれば外に出られるはずだし」
「契約書がどこまで本当かにもよるが」
「そうね。けど、殺し合いに参加したくないから」
「まぁ、あんなもんはやりたい人間にやらせておけばいいだろうし」
互いにお茶を啜る。
法一は考え込む。
きっかけは死体を見た瞬間の殴打。気がつけばこの世界に閉じ込められた。
逃げよう、とは思うものの、おそらくこの世界はこの街で終わっている。
カンジナバルは滑空のみに移動を留め、その他の移動は全て走っている。
聞けば「なんか気持ち悪いものを感じるし、飛行すると狙い撃ちされそうな気もするし」と言っていた。
箱庭。もしくは蟲毒。
嫌な考えしか浮かばない。殺しは強要されていない。だが、殺せば優位になる。
しかし殺し合う理由は?
何か理由があるのだろうか? 殺す側には殺す側の理由が。
「あち」
舌先に触れた熱に、意識が現実へ引き戻される。
何一つ解決しないということばかりが思い知らされる。現実は痛くほろ苦い。
「しかし、この程度の熱さ、何時もなら飲めるはずだが・・・」
身体が急激な騒ぎで弱っているのかと、法一は自嘲する。茶もろくに飲めないのか。
「ねぇ」
気付けば、春子が隣に座っていた。
「はい、ちうー」
唇の距離ミリ単位。
互いの鼻をぶつけた格好の二人は、相手の頭を互いに掴みあっていた。
「何を、している?」
押し留める法一に引き寄せる春子という謎の攻防は続く。
「いやいや、なんか異性として爬虫類に負けている現状に軽くジェラシィ」
「ぶつぞたたくぞひっぱたくぞこら」
「受け止めるわよ私って若干Mだし」
「ねじる」
「いたいいたいいたいいたい」
「ったたたたたたたた。首、首、首が」
首を捩じ折らんばかりに頭を捻っていく法一に、首の皮をつねるという地味に痛い攻撃で春子が反撃する。
「あー、いいお湯。って何よこの状況!?」
ソファーの上に膝立ちで、にらめっこのように互いを攻撃するエルフと人間。
慌てて止めに入ったカンジナバルがソファーごと二人を突き飛ばしてしまうと、派手な音と共に全員が床に転がった。
夜。屋上で空を見上げていた法一は、風もなく、満月ばかりやけに大きな空を見上げ、白い光に照らされた手の中を見降ろす。
「動くかな・・・」
指先ほどしかない小さな人形である。マンションの中を探索している間に発見した。
背中にはゼンマイのネジが刺さっており、それを回すとぎこぎこと動き出す。
目の前に置くと、兵隊の姿をした人形は歩く。その様子をぼんやり眺めていた法一が、不意に首を巡らせた。
「はろー。お元気?」
「カンジナバルか」
人形を掴み上げ、ポケットへ放り込む。隣まで歩いてきた巨体はどさりと重たい身体を床に置く。
「疲れたわねー。今日」
「まぁ、確かに」
「それにしてもいいわねーフライドチキンって。美味しかったわー」
味を思い出したのか、大きな舌がべろりと口のまわりを舐める。
巨大な牙の並ぶ口の中を興味深そうにみると、口の周りを触る。
「んが、なによ?」
「この歯って、抜けたらどうなる?また生えるのか?」
「いくらでも生えるわよこんなもん。ほら」
前歯を一本折る。少しの血も出ず、新たな歯が奥から出現した。
「鮫みたいだな。あ、それくれ」
「・・・ちょっと解ってきたんだけど、私のことオモシロ生物か何かと思ってない?」
「気の所為だろう?」
しげしげと歯を見る。鋭く尖った牙の表面には、細く鋭い鋸状の棘があった。
「ねぇ、そういえば、禁忌に意識を向けた時、何を見たの?」
「あー・・・」
爬虫類、蜥蜴にしては骨ばった顔を見返す。悩むような沈黙の後、言葉が続けられる。
「言ってもいいが、軽蔑したくなると思うぞ」
「へー、そんな事を言うくらいにはわたしのことを信用しているわけか。へー」
「茶化すのは構わんが、そこそこ面倒な話だぞ」
何から話そうとしていたのか、しばらく考えた結果、最初から話す事にしたらしい。
「まぁ、俺の通っていた学校で、自殺者が出てな。その女と顔見知りだった」
シニョンにした髪型が特徴の子で、眼鏡の奥の瞳は小さく、丸顔の可愛い子ではあった。
「好きだったの?」
「いや、そこまでの具体性はなかったな。知人程度だ。だが、嫌いではなかったし親近感くらいはあったな」
穏やかな子であったように思うと、そう呟く。怒っている様子を見たこともなく、物静かな子な印象しか、自分は持ち得なかったと。
「で、自殺の原因が何日か経って解ってな。まぁ、偶然だが」
図書室で本を探していた時、中央のテーブルに座っていた面々。
単なる暇つぶしであったのだろう。携帯電話片手にげらげら笑っていた。
「いわゆるいじめがあったらしい」
「え?なにそれ? イジメって?」
そもそもイジメという概念そのものが欠如していたらしい。渋々とその内容を説明しつつ、話を続ける。
「嫌いな相手に陰湿な嫌がらせをする事だ。まぁ、その女の話だと、相当に悪質だったらしい」
トイレの上から水をかける。
ゴミを靴箱へ入れる。
ノートや教科書に落書きをする。
「他は、なんだったけか。覚えていないな。まぁ、その話を聞いてふと思ってな」
本当は思い出していたもっと悪辣な行動については言葉を濁す。彼女が受けた屈辱をわざわざ聞かせたいとも思わなかったし、聞いて欲しくもなかった。
そんな自分も隣のクラスである為、交流は多くなかった。イジメがあった事すら後になって知ったほどだ。
それでも、図書館でふと会った時、廊下ですれ違った時。
彼女はこちらを見て微笑み、軽く会釈してくれるような関係だった。
たったそれだけの。
「・・・それで、何をしたの?」
爬虫類の言葉に法一が考え込む。
声も、顔も、うろ覚えなのに、あの笑顔だけが焼き付いていて。
深呼吸。
険しい顔が、何か膨大な感情を滲ませていた。
「あの子が、そんなに悪いことをしたのかと少々、腹が立った」
要約すると、堪忍袋の緒が盛大に切れたと。
「まぁ、その後はあまり聞かせられない事をした。その女は鉄格子サービスの病院行きになったらしい。黄色い救急車だな。救急車ってわかるか?」
実際には怯えた貌の彼女は、両親の付き添いと共にタクシーで精神科への隔離となった。家庭内の不和は決定的なところまで進み、在学生が精神科への入院に際し、休学届けを提出したなどという異常事態は学校中に波紋を呼んだ。
「いや、わかんないけど。つまりそれって義憤だったの?」
「私怨でしかないってこんなもん。虐めの主導者、その女が一人で帰っているところをタオル巻いた鉄パイプで打撃した。まぁ、二週間から一か月に一度くらいを何回もな。それを相手が動けなくなるまで毎回繰り返していたら、そのうちに相手もな。結局は隔離先で自殺したとかしなかったとか」
「鉄パイプにタオルって、なんで?」
「打撃痕がはっきり残ったら凶器が特定されるだろう?」
「悪質!?」
さも当然とばかりに言い返す法一。
「で?どうだ?軽蔑したか?」
苦い表情で法一が呟く。
カンジナバルが何かを考えるように鼻先を近付けると、鋭い爪を備えた手で、法一の頭を撫でた。
「お?」
「ま、いんじゃない?人を怨まない事なんかないはずだし。やろうと思えば殺せたろうに」
「殺さん方が苦しむだろうと思っただけだ」
「私は責められないわねぇ。あんたが非道だろうと、私はその女よりあんたのことを尊重するだろうし。ま、正直どうでもいいわ」
「そうか・・・」
法一が立ち上がる。
視線の先には月明かりだけで照らされた幻想的な光景。
水面の奥に沈んだ、静謐な廃墟。
人のいない町並みを前に、そんな連想へ思いを馳せていた法一。
その視線が鱗を月光に輝かすカンジナバルへ向けられる。
「なによ?」
その瞳に濁りはない。逸らされることもにあ。
彼はおもむろに、そして唐突に、カンジナバルの巨体へ抱きついた。
「にゃ?」
「悪い。共闘の禁忌があるから、お前がどう答えようと構わないと思ってたんだが」
離れられない相手。どちらがどう思おうと。それを考えたうえでの告白。
「赦されて、安堵しているっぽい。卑怯だな」
いや、赦してくれると思ったからこそ、ある程度の楽観と共に喋ったのだが。
「投げやりねー。そういうのはあんまりよくないわよ?」
「そうだな。みくびっていた」
離れる。普通の、何の変哲もない手が差し出される。
「こんな男で悪いが、これからも、俺が相棒でいいか?」
「いいわよ。なりゆきで出会っても、選んだのは私なんだから」
大きな、爪を備えた手が、自身の半分もない手を掴む。
繊細に。
喜劇的に。
月光の下で行われた一種の儀式には、神聖さなど欠片もないが、凡庸で、それでいて大切な概念。
絆が、生まれていた。
二つの夜が過ぎ、三日目となった。
「うちの親、都市整備の仕事やってたんだけど、仕事帰りにそいつ見たわけ」
「やーねぇ。それで?そいつは?」
「二股がバレてクラス中からハブられた。そのあとも卒業までの半年、きまずそうだったわねー」
「私んとこでも同じ話はあったけど、その時は口説かれたアルラウネがね」
ガールズトークに花を咲かせる二人を余所に、呆れ混じりに部屋を出る法一。
日常は平穏である。飢えることはない。人と出会う事もない。
稀に、遠くで爆音などを聞くことはあるが、法一達に害が及んだことはない。
何もやる事がない彼は、マンションの廊下を歩き、適当な部屋へ入った。
ソファーの上の新聞紙。テーブルに放置された食器。脱がれたスラックスの落ちた床。
生活感だけが静寂の中で浮いている。
誰も居ない。その事に安らぎすら感じる静けさ。
不意に積まれた雑誌から一冊を手に取り、ぱらぱらと捲る。何かのバグのように白いページの混じる雑誌を眺め、しばらくして元の場所へ置いた。
ふと、テーブルの上、放り出された接着剤を見る。
まるで呼吸するように制御が出来るようになりつつある異能、それを発現してみた。
掌に生じた黒い皮膚。その黒い面が接着剤に触れた瞬間、掌の黒い皮膚が接着剤を黒く染め、掌の皮膚の中へ取り込んだ。
同時、今度は黒い皮膚から何かが生まれる。白い塊、消しゴムが床に落ちる様を眺めると、興味なさげに部屋を後にした。
今日は爆音もない。
昼を過ぎた今も、彼女は目標を発見できていないのだろう。
目的も何もない。
生き残るには怠惰でいるだけでいい現状、ここはまるで楽園なのかもしれないとすら思う。
屋上へ上る。
開けた扉の外には、変わる事のない晴天が広がっていた。
雲も動かない。太陽は薄く白く輝くのみ。
フェンスに上半身を預けぼんやりと周囲を見る。歩哨のつもりで物陰から伺っていた初日、二日目を過ぎ、若干の気の緩みすらある。
結局、不安感からすぐに踵を返した。誰も居ない。誰も見る事はないと思っていても、どうにも落ち着けなかった。
それが虫の報せなどと呼ばれる一種の直感などとは、この時には思いもしなかった。
階段を下りている途中、音もなく角からカンジナバルが姿を現した。
背に乗った春子が困惑に眉根よ寄せ、緊張した面持ちをしていた。
「誰か来る。とりあえず逃げようかと思ってるんだけど」
「英断だ。荷物は?」
「い、一応私が担いでる」
背中にバックパックを背負った春子が、軽く後ろへ退く。
「乗るぞ」
「いやん。騎乗位がお好み?」
「だから、脱力させるな」
素早くカンジナバルの上に乗り、手綱を握る法一。その腰へ後ろから春子が腕を巻きつける。
素早く屋上まで移動した法一、カンジナバル、春子の目の前には、あのアヌビス女。
どうやって屋上に現れたのかは定かでないが、好意的な雰囲気はない。
「・・・こんにちは」
法一が辛うじて声を絞り出す。
杖、籠手に加え、銀のアンクレットに飾られたグラディエイターブーツと、金色の髪飾り、赤い指輪が増えていた。
女は喋らない。笑わない。呼吸しているのかさえ不確かに見えた。
ゆっくりとした動作で構えられた杖。
魔力という謎の力学を肌で感じ、空気が冷却されていくような錯覚と共に、彼女の手の中に何かが収束していくのを理解する。
「春子ちゃん!」
「はい!」
カンジナバルの声に反応し、詠唱もなく春子の掌から青い球体が発生、腕の振りに合わせて前へ投擲される。
咄嗟に構えられたアヌビス女の籠手から、半透明な力場の盾、魔力によって形成された遮蔽術式が展開され、彼女をガード。その力場によって青い球体は阻まれる。
しかし遮蔽術式による透明な盾に接触した瞬間に球体は破裂、球体から飛び散った青い液体が魔力で形成された盾の表面を広がっていく。
「・・・!?」
不可解な感覚、奇妙な違和感。
発動しようとしていた自身の杖からの術式をキャンセルし、続けて遮蔽術式も解除。
すると、消えた盾が展開されていた位置にそって、青い液体だったはずのものが固形化していた。
まるで蜘蛛の巣のように残っていたそこへ爆炎を放っていた場合、おそらく液体に込められた『反射』の効果が発動、自身が黒い肉の塊に変化してしまったことが、肌で感じられる。
「ちっ」
「ちっ」
「ちっ」
二人と一体が揃って舌打ち。
無論、その間にもカンジナバルは屋上のフェンスを爪で破壊し、空中へ飛び出している。
引きつった顔の春子にしがみつかれながらも、法一は前傾姿勢のまま体勢を保つ。
空中を滑空していくカンジナバル、その上で肩越しに視線を巡らせた法一だったが、振り返った途端に顔がひきつった。
「カンジナバル。飛べ!羽ばたけ!」
「へ?」
空を跳ぶアヌビス女が、空中を蹴って後ろを追っていた。
「ホウイチ!」
「え?」
カンジナバルの尾が、法一の腰ベルトに引っかけられる。
「死んでこい!」
「まぢかよぉぉぉぉお!?」
絶叫。全力で投擲された法一に反応が遅れたアヌビス女。その身体になすこともなく激突し、女ごともつれて法一が落ちそうになる。
「死んで」
身体を捩じり、体勢を立て直しながら。
「たまるかぁ!」
法一は心からの叫びを上げる。カンジナバルへの怨嗟でもある魂の咆哮。
法一の掌全体が黒い皮膜に覆われた瞬間、表面から何かが出現した。
皮膜と同じ色、そして皮膜とは違う質感。
「どっせい!」
アヌビス女を蹴り、空中へ身を躍らせる。掌から黒い紐状の触手が射出されると、ビルの側面に吸着、身体が振り子の動きで地面すれすれを過ぎる。
触手を収納する暇さえ惜しみ、全力で逃げ去ろうとした。
しかし。
空中を蹴り、追い縋るアヌビス女の髪留めが輝く。空中へ現出した炎の帯が、続けざまに法一を狙う。
「だ!だ!だ!?あっつい!あっつい!」
避ける。逃げる。転がる。火を消しながら立ち上がる。
咄嗟に路地裏へ飛び込んだ法一の足音は、すぐに聞こえなくなる。
追うべき背を見失ったアヌビス女は、舌打ちと共に別の方向へ歩き出した。
ショッピングモール内倉庫。
うず高く積まれた段ボールの中、合流したのは一人と一体だった。
「マジかよ・・・」
「ごめん」
龍が頭を垂れる。
はぐれた、というのは正しくない。
彼女二人を追ったアヌビス女に対してカンジナバルが囮となったところ、更に別の人間によって浚われた。
合流地点傍で分断されたらしい。
「おそらく共謀だろうな。詳細は?」
「わかんない。いつのまにか、彼女が隣から消えてた」
「あちらにも仲間か・・・」
法一は考える。否、考えていなかった事を恥じてさえいた。
自分、カンジナバル、春子。
春子を襲った人間とアヌビス女。
そのアヌビス女が身に着けていた道具の数から、まさか仲間がいるとは考えもしていなかった。いや、単純に、彼女の協力者というわけではなく、単独で春子を狙った誰か、ということもある。
そこでふと疑問点が浮かんだ。
今まで遭遇した、または殺された人間の数、そして道具の数などを改めて考えると、参加している人間の総数、それが八人を越えてしまう。
「いや」
八人。この解釈こそが間違いである。
同盟、協定、共闘。
この三つがどういった意味で定められたのか、その一端を改めて認識する。
これは組織の数を確認する一種の判別ではないかと。
「八組か。俺、春子、カンジナバルが1グループだとすれば、アヌビスもまた1グループという事か」
「それじゃ、足りなくなればまた補給されるの?」
「だろうな。常に敵対勢力を作る構造が必要なんだろう。この戦いそのものに儀礼的な意味合いがあるんじゃないのか?」
「儀礼的?つまりそれって魔術式か何かってこと?」
「かもしれない、と思っただけだ」
「むー」
髪をかき回す。眉間の皺を深くし、法一が深く呼吸を吐き出す。
「どちらにしろ、今はもうレールの上だ。彼女はもう助からないかもしれない。だが、誘拐した以上は何らかの目的があるのだろう。出来ることなら救えるように動いてみてもいい」
「おっとこまえー。っしゃ、じゃあ行きますか」
気合いを入れ直したのか、重く熱い息を吐き出すカンジナバル。獰猛な様子を前に、法一も立ち上がる。
刹那。
「え?」
「あ」
間の抜けた空白。
全てが消え失せる瞬間。
カンジナバルの足元に黒い穴が開き、その中へその巨体が落ちる。
踵を返し、駆け寄る暇もなく。
彼女は、消えた。
穴が閉じる。
残っていた光の文字が消え、展開された魔術式によってどこかへ移動されたのだと推測はできた。
考える。考える。
「今の魔術式で殺されたとは考えられない。だが・・・どうすれば」
何処へ行けばいいのかも解らない。どうすればいいのかも解らない。
一人。たったの一人。
恐怖が背筋を伝う。恐慌に沈みかけた脳内を整理し、どうやって追うのかを考える。
駄目だ。
駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ。
今までは選択基準があった。
法一は春子とカンジナバルを天秤にかけ、カンジナバルと自分の安全を考えて行動しようとしていた。
それを卑怯と言うか、冷徹と評すか、彼にとってはどちらでもよかったのだろう。
しかし。
選んだはずのカンジナバルさえもういない。
誰も、いない。
「・・・・・!」
スチール製の棚を蹴飛ばし、苛立ちを抑え込む。
孤独が怖い。何一つ手にしていない自分が怖い。敵に一人で挑むのが怖い。
それでも考える。考えることだけはやめない。
必死に、意固地に、頑固に。
そんな時に不意に目に入ったもの、散らばったSDカードとフィギュアの箱。
慌てた様子で探す。
無理矢理に段ボールを引き裂き、中身を調べてまわった。
「パソコン!あと、バッテリー!」
荒らす。探す。
法一はその能力を便宜上 使役能力と認識している。
例えば、接着剤を黒い表皮から取り込んだ場合、接着剤の特性である『接触と接着』を用いる力として発現できる。それがあの触手であり、能力の一端だ。
この力はストック数や現象の発現範囲など、制限こそあるものの、幾つもの特性を使用できるという利点もまた存在する。
接着剤、接触と接着。
パソコン、計算と入出力。
スピーカー。音響とサイズ調整。
禁忌を通して特性を把握する。禁忌の中で解釈された新たな世界に触れる。
蹴倒した段ボールから同じ形の人形がばらばらと転がった。
ゼンマイ仕掛け。手のひらサイズの兵隊。
月光の下の景色を思い出す。膝は震えているし、怖くてたまらず涙すら出そうな自分。
だが、彼女達の顔はまだ鮮明で。
「・・・殺す、いや違う」
棚から引っ張り出したヒーローのフィギュアを握り締める。
あまりに無粋で、物騒な言葉を忘れるよう、たった一言、本当の望みを心の内側から搾り出す。
「助けたいんだ」
決意が己を動かす。
伸びた一本の触手が、倉庫の中から無数の物品を引きよせていた。
リフォーム途中のビル。露出されたコンクリートと資材の溢れた室内。
硝子のない窓枠からは青い空、薄暗いフロアには一人の女が転がされ、巨大な鎖で拘束された龍が身をよじっていた。
「うわー。こんな女じゃ抱く気も起きねぇな」
痩せた男である。尖った顎と眼差し、眼鏡、肋を晒すほど開いたシャツの胸元とジーンズの端には血の痕。
床に転がる女を仰向けに転がすと、顔を血と吐瀉物で汚した春子は昏倒していた。
「あーあ、俺もこうなんのかなぁ。どう思う?そっちのドラゴンさん」
「・・・随分なお喋りね」
「うん、喋るのは好きだよ。本職は事務と園内放送担当。遊園地で働いてた。名前は伊藤三朗(いとう さぶろう)です。よろしくー」
汚れていた顔を拭う。へらへらした顔はそのままで、タオルで拭いた春子を、血の痕から離すように引き摺った。
「よくわかんないけど、状況の説明は?」
「あ、いいよいいよー。そういう反骨心。あの女よりよっぽど楽しいや」
けたけたと笑う。その笑みに含まれた疲労の様子に、擦り減ったものを感じた。
「こんな世界でさ、もうなんだろーねぇ、かったるいのよ。あの犬耳付いた女は人殺しをやたらやりたがる。俺と一緒に行動していた風を使う男も殺された。その代わりに女の頭には金の髪飾りが一つ増えましたとさ」
「それで、あんたが彼女と一緒に行動しているわけは?」
「事情があるわけよ。えーっと、そっちは何日くらいこっちに居る?」
「多分、四日」
「まぁ、それなら知らないか。どうも、この世界では5日のサイクルで人が入れ替わるらしい。入れ替わった人間が元の世界に帰れるかは不明。だがまぁ、この世界からは離れられる。そういったシステムだ。しかし、人を殺すと道具の利益と共にペナルティがある。この世界の滞在日数が増えるらしいぜ。えげつないよなぁ」
「じゃああの女、この世界に滞在する為に人を殺してるの?なんで?」
「なんか探しているらしい。どうも、この世界を壊す為に必要なものを、らしいがね。んで、八組の集団が出来るまで人間が補給される。だが、今は補給されてない。なんでと思う?」
「このゲームの管理者が、彼女を長居させないよう、何らかの措置をとろうとしている?」
「んー。俺もそう思った。法則性が解んないけどさ、居座る人間に対してリセットかけようとしてんじゃないかってね。それが安全装置なのか防護措置なのかはわかんないけど。ほら、彼女、道具の数ってそんな多くないじゃん?あれも集団が入れ替えのたびに消えているらしいよ。それもリセットの一つじゃね? とか思ってるんだけど」
「・・・あの女は、このゲームと何か関係しているの?」
「事情は知っている気はするんだけど、なんかよくわかんないのよ言っていることが。なんか『改変されている』とか『元々の機能とは違う』とかぶつぶつ言ってるけど。まーとにっかく、ここまでの情報を数日かけて俺が聞き出したんわけだが、こまかいとこはどっこもわかんなかったんだよなぁ。結局」
両手を上に上げると、男は溜め息を吐く。
「結局、彼女はこのボードを壊す事で利益を得るわけだ。あぁも簡単に人を殺し続けているだけの利益が。それが何なのかも不明なんだがね」
「ボードねぇ」
最初にされた説明である。この世界はボードと呼ばれ、自分達はバザールの商品。だが、その言葉と現状の差異、違和感がどこかにある。
「あー、なるほど。見えてきた」
龍が全身から力を抜く。落胆した様、そこはかとない悲哀が爬虫類の顔から滲む。
「え、本当に?」
呆けたように男が半笑いの前に問い返す。
「大昔に奴隷闘士って制度があったのよ。自由と引き換えに闘技場で戦って見世物になったり、戦争に参加したりする話が」
「あぁ、聞いたことはある。ギリシャのあれか」
円形闘技場コロッセオでは、戦争で隷属する事となった者や犯罪者が殺し合いを見世物にされた歴史があり、古代ローマ後期にはボクシングの元となった格闘技も生み出されたという。
「まぁ、その中から戦争に駆り出す特に優秀な人間を選び出す品定めがあったのよ。うちの国なんかは。それがこのバザールに使われている様式とそっくり」
さらに「私の住んでたところでは奴隷市(ラキーク・スール)と呼ばれてたけどね」と一言付け加えると、全身を覆う枷を揺らしながら首を振る。
「闘技場の上に『何人かを選ぶ』って言って、その4、5倍の人間を立たせるのよ。その中で最後まで残った人間を商品価値の高い兵士として採用するわけ」
「なるほどー。一人一人の実力だけでなく、共闘や不干渉なんかの知恵も問うわけか。確かにそっくりだね。しかし、このゲームには自由ってエサこそぶら下げられているが、それだけじゃ、人を駆り立てるほどのものにはならないんじゃないか?」
「けど、この『バザール』の場合は殺したがりがいるじゃない。あの女が試験官の役割を果たすわけ。あの女が居なければ人を殺さないと五日後に消えて死ぬとでも言って、参加したばかりの人間の前で一人消してみればいいかもしれない」
三朗が渋面をする。
「悪人のやる手口だね」
「そうね。まぁ、もっと古いのだと、そうやって生贄をこしらえて術式を維持してた文明もあったらしいけど。むしろ必要な生贄を選ぶ儀式て可能性もあるか」
枷を爪先でつついていたカンジナバルが、ふと三朗を見る。
「ところで、私が移動された魔術式って、貴方?」
「残念ながらその通り。条件次第で人や物を手元に引き寄せるのが俺の能力というわけ」
「・・・アヌビス女がアンタを従えている理由のはそれが理由でしょうね」
「まぁね」
「ここを基点にしてあの犬耳女を一定時間ごとに引き戻す事になってたわけだけど、今日は二回も普段と違う対象を引っ張ったから打ち止め。やー、もうきっついわこれ」
「それで、私達が殺される時は見捨てるわけ?」
「まぁ、自分の命は大切だし。しかしその話が本当なら、あれが何かもなんとなく解った気がする」
部屋の隅、柱に縛られ、上半身をベルトで縛られた少女が項垂れている。
ぴくりとも動かないその異形の顔はくすんだ黄金色の長い髪に覆われ、両腕に貼りついた石板状のパーツの上を大きく削られた存在。髪の隙間から除く瞳には、金色の環が刻まれていた。
「あれは、ゴーレム・・・?」
呟いた龍の言葉より先に、気まずげな三朗が動く。手には材木を構えた。
階段を上がってくる気配に身体を強張らせたカンジナバルだが、姿を現した存在に疑問符。
「見つけた。見つけた。ますたーに通信します。ぴぴぴ」
丸い頭部には軍用ヘルメット。スプリングの両腕に短い両足。カメラの一眼レフのような目玉。ほんの1mほど足らずのキャラクター人形じみた存在が、ひょこひょこと動く。
「カンジナバルに通話。カンジナバルに通話。受話器を渡します。渡します」
背中に背負っていた緑の公衆電話から受話器が外され、ブリキに似た質感の掌で渡される。渡された受話器をおそるおそる手にとったカンジナバルは、受話器へ話しかける。
「も、もしかしてホウイチ?」
『そうだ。場所は確認した。今行く』
「え?」
通話途絶をツーツー音が知らせる。背負った公衆電話のベルトを直し、受話器を元の位置へ戻したキャラクターが両手を動かす。
「きます。きます。きてます」
「あ」
窓の外を三朗が見た。
背の低いビルの屋上。
掌から黒い一本の触手を伸ばした人影が、振り子の動きで突撃してくる。
「いきますー。いきますー」
「いきますー」
「いきまー」
「わー」「わー」「わー」
続けて飛び出した丸い人影が妙な推進装置でこちらへ飛翔、着地する。それがガスボンベを使ったロケットだと気付いた三朗は、度肝を抜かれた様子で人影を見る。
丸い頭。デジタルカメラから流用された一眼レフの眼。身体に来た抗弾ジャケットの下には、堅いプラスチックの層が見える存在。キャラクター人形じみた存在の大量発生。
「無事か?」
触手をロープ代わりに着地した法一を見ると、嬉しそうにカンジナバルが身をよじった。
「ああん! 本気で惚れそうなタイミング!」
「気色の悪い声を出すな。そっちの男、戦闘の意志は?」
腰に手を添えた戦闘態勢のまま法一が問う。
「ないない。むしろ能力も打ち止めだよ」
「じゃあ放置させてもらったまんま話を進めさせてもらうぞ。あの犬耳女は?」
「んーわかんないけどさ」
会話の間にも小さな人影達が動き出し、数人がかりで春子を持ち上げる。部屋から退却していく人影を見送り、残った数体はカンジナバルの鎖に取り付いていた。
「ますたー。ますたー。これは駄目です。通常のこうげきでは『はかい』できません」
「退いていろ」
腰から抜いた黒い作業用カッターナイフ。分厚いカッターの刃が鎖の表面を削った瞬間、力任せに繋ぎ目が斬られていた。
「硬度は鉄か何かのまんまか。カンジナバル、怪我は?」
「なし。今の鎖で魔力封じがされてたくらい。抜かったわー。そっちの兄さんの能力で、一瞬でピンポイント転移よ」
「はた迷惑な。それでお前はどうする?」
「そっちの人の名前はサブロウね。一応教えておくけど」
両手を挙げたまま動かない三朗は、ひらひらと手を振る。
「戦闘能力は期待されてないから、素直に逃がしてそれでおしまい。転移もしばらく無理だし、一人でダラダラ逃げ隠れしとくよ」
「そうか。それで、あんたがアヌビス女に協力している理由は?」
「身内が人質だったからさ。ま、協力は続けるが、自分から動くつもりはないってのが正直な話」
「なるほど。では、逃げさせてもらうからな」
「ご自由に」
「カンジナバル。いけるか?」
「バッチでGOよ。もうキュンキュンきちゃうわね。救われる姫君って感じで」
「全員。撤退準備。集合地点はS1で」
「りょうかーい」「りょうかーい」「りょうかーい」と、残っていた三体のキャラクターが窓や扉から逃げ出していった。
「あの変な機械は?」
「詳しい話はあとだ。行くぞ」
「もう。強引なんだから」
法一が跨った瞬間、両翼を開いたカンジナバルが飛翔した。
が。
「ごめんねー。協力はするんですよ。こんな風に」
溜め息。
ポケットから取り出した防犯ブザーの紐を引き抜いた三朗は、けたたましい音と共に空虚な笑みを浮かべた。
「やっば」
「来たぞ」
腕を黒い表皮で包み、身構えた法一。
カンジナバルもまた、両翼で風を打ち、その身体を上昇させた。
「どうする?」
「戦う。今の春子を襲われたらひとたまりもない。可能なら倒す」
「あんたも人がいいよねぇ。結局」
遠く、黒い人影が空を滑るように跳ぶ。
炎の矢。が赤く空を染める。
続け様の炎弾を巨体が躱し、戦闘が始まった。
二対一でありながらの不利。
カンジナバルの背で冷や汗を流す法一は、活を入れるように叫んでいた。
「なんとかぶちのめすぞ!」
「曖昧にもほどがある戦略じゃない!?」
空中で接近する影。
降下。
上昇。
火蓋は切られた。
頭痛と酩酊感。
気絶から目を覚ました春子は、腹の鈍い鈍痛と共に顔をしかめた。
気持ちが悪い。
秒で衝撃波を叩きつけられ、鼻血と共に気絶した事を思い出すのも腹立たしい。恐怖よりも大きな憤りを感じられるのだから、気力は十分。
しかし、身体は言う事をきかない。叩きつけられた衝撃波に全身が軋む。
「起きました。起きました。はるこが起床」
スーパーのバックヤード。床の上に放置された自分の周囲にh小さな人影。
それが自身の膝より少し上の位置に顔のある変な人形だという事は解るが、状況はまったく理解できない。静かに混乱していると、ぱたぱたと動き回る人形のうち数体が春子に駆け寄ってきた。
「はるこ、はるこ、我々は法一に製造された人形です。ビターと及びください。大人の味です」
「・・・確かに、このわけの解らないのに理路整然とした態度は法一だね」
「そこは違います、そこは違います。色々と手順があって生まれましたが、私達はコピーですが別人格です。ビターの一人として抗議します」
「そう。とにかく現状を教えて」
「我々、我々は援護と諜報の為に居ます。貴方を運び、救助しました。残りは諜報への従事と戦闘の補助を行っています」
「諜報? なんで?」
「あの女の行動理由。あの女の行動理由はこのゲームの崩壊であることは解りました。もし、破壊可能なこのボードの基盤があると仮定した場合、発見すれば交渉の余地が生まれますのです」
「・・・それで、法一とカンジナバルは?」
「戦っています、戦っています。可能ならぶちのめします。だから頑張っています」
「なら、私も」
「無理、無理。貴方の身体には損傷がありますのです。内臓や手足にダメージが残っている様子がありますのです。邪魔になるので引っこんでいてくださいませ」
「・・・じゃあ、私は」
震える足で立ち上がる。走れもしない。だが、身体はまだ動く。
「頭を使おうと思う」
春子は歩き出す。
誰もが必死で今を考えていた。
「先手必勝ぉ! ビター! ばら撒け!」
両腕を漆黒に染め、カンジナバルの手綱を短く引く法一。
それだけで以心伝心、急停止から急上昇に転じたカンジナバルは、目の前のアヌビス女から鼻先を逸らし、空へ舞い上がった。
「それ、それ」
「それ、それ」
頭上から破かれた袋が落ちてくる。咄嗟に展開されたシールドの上で白い粉が広がる。
次々に落とされた白い粉で周囲が包まれ、煙幕のような現状になった頃、ビルの上に居たビター達のうち一体が、躊躇いなく下へ何かを投擲する。
一升瓶。点火された紙の芯。詰められたガソリン。
燃料瓶というあまりにレトロな武装が粉へ落ちた瞬間、高圧、爆炎、衝撃波がアヌビス女の居た位置から爆散した。
轟音に耳を押さえる法一。
ビリビリと空気が鳴動する衝撃にカンジナバルが四肢を丸めていると、眼下では火柱が上がった。
「まだ生きてるか。ビター!作戦継ぇー続ー!」
「いきなりなんなのあの人形なんなの!?」
飛翔するカンジナバルの背の上、掌から何か奇妙な物品、長大に変化、剣の如きカッターナイフを取り出した法一が、チキチキと刃の長さを1mほどに調整しながら言葉を返す。
「あの人形は俺が作ったもので名前はビター。今のは粉塵爆発。この空間に風の流れが少なくて助かった」
「あぁもう! なんか話が通じてない気がする! とにかくいくわよ!」
「おぉ!」
急降下。
火柱の消えた位置、地面寸前でカンジナバルがホバリングした瞬間に法一は迷う事なく跳び下りる。
続けざまに刀身と柄の長さが長巻の刀が如きものへ変化していたカッターを振るうと、防いでいたシールドが崩壊、シールドを司っていた籠手もまた破壊された。
「ついでに!」
振るわれた爪にアヌビス女が背後へ跳ぶ。足元のグラディエーターブーツの効果によって、滑るように浮いたアヌビス女は距離をとった。
「カンジナバル!」
「こぉ」
短い吸気。蓄積されるエネルギー。
喉の深い位置へ滞留した空気が、瞬時にプラズマの領域まで加熱される。
ブレス。
発射された光熱波を避け、空中へ上昇するアヌビス女。そのタイミングを見計らってか、頭上から大量のBB弾が降り注いだ。
「てー! てー! 弾倉が空になるまでうてー!」
ビター達が降り注がせたプラスチックの弾丸に体勢を崩すアヌビス女。致命傷どころか小さな青痣が精々の攻撃であるが、詠唱のタイミングを一瞬だけ外す。
「っらぁー!」
飛び降り様に真正面から横薙ぎにカッター。
振り抜かれた切っ先を炎の鞭が迎撃するものの、ばたばたと見苦しく後ろへ撤退した法一を跳び越え、空中からカンジナバルが強襲。爪が振るわれる。
「・・・・!」
連続攻撃に体勢を崩しかけたアヌビス女。しかし、炎の鞭が鋭くカンジナバルの鱗を叩き、その衝撃で空中から地面へ叩きつけた。
「ネイルガン!」
「はい! はい!」
「はい! はい!」
周辺の路地裏から走るビター×2。その手には、ビルの上に居たビター達とは違い、釘打ち機、それも改造され、射出制限のないものが構えられていた。
「ゲッチュー!ゲッチュー!」
続けざまに発射される釘。ガス圧で飛ばされる鉄の弾丸すら炎の鞭は難なく迎撃。しかし、周囲から取り囲むように更に2体が出現し、何の躊躇いなく消火器の中身を放射した。
「はい、第二弾! 同時に一時撤退!」
「いえっさー! いえっさー!」
「逃げるぞ逃げるぞー!」
ガスボンベの投擲と同時に反転。周囲の消火剤を振り払うように燃え盛った爆炎を前に、一体だけ振り返ったビターがネイルガンを射出した。
ボンベに的中。再び爆発。
衝撃に転がった法一を拾い上げると、ビターやカンジナバル達は即座に逃げ出していた。
一体のビターを随伴させた春子は、微かな電灯の明かりしかない空間を歩いていく。
後ろへ続くビターは、不思議そうに彼女へ問う。
「はるこ、はるこ、何処へ行くのですか?」
「地下のパイプライン。親の仕事の関係でね、地面の下にいろんな空間があるって事も知ってるし」
「確か、確か。そう、都市開発のお仕事」
「そういえば法一からのコピーだったっけ。そうよ。だから、隠すなら地下、とか考えちゃうわけ」
「しかし、しかし。あのアヌビス女は長く捜索していたはず。地下もそうなのでは?」
「あの女は生粋の異界住まいよ?この近代都市を模した街の地下、それもパイプライン関係まで把握してると思う?」
「なるほど、なるほど。確かに一理あります」
「だから、こういう解りにくい場所を探してみると」
スニーカーの靴底が何の変哲もない壁を蹴る。反響音が空間の空白を知らせると、躊躇いなく手にしていた金槌を振りかぶった。
「ふぬ!」
叩きつける。歪んだ壁の隙間にバールを捻じ込むと、横へと無理矢理押し開いた。
「っしゃ。開いた」
「これは? これは?」
「電気配線の整備用通路。変電設備なんかに続くから、こういった加工をして、他の人間にわからない独立した通路を確保してることもあるのよ」
「博識、博識」
「親父が酒飲むと毎回そういう話するもん。もう機密保持とか解ってないわよねー」
苦笑いする顔は青い。
重たい身体を無理矢理に動かし、春子は通路のおくへ 進んだ。
明かりの種類が変わる。
無機質で金属的な通路の終わりに、こんな地下には似つかわしくない木目も美しい扉が鎮座していた。
ランプに照らされた扉の違和感。あまりに不自然な情景に自然と緊張するが、前に出たビターが、持たされていたバールを構える。
「守ります。守ります」
「・・・ありがと」
ドアノブを回す。真鍮の手触りも滑らかな取っ手が動いた。
目の前の光景を見た時、春子の顔は白くなるほど蒼褪め、温かく室内を照らすシャンデリアの下に広がる光景に息を呑んだ。
古いブラウン管テレビ。
幼い頃のトラウマが流れる白黒画面を前に、彼女の身体が震えた。
心にある傷が映る。鮮明に。
見覚えのない男に手を掴まれ、悲鳴を上げた中学生。押し倒され、上に乗られた瞬間に振るったのはポケットに入ったままのシャープペンシルだった。
露出された下半身に突き刺さる芯。表皮を突き破り、血を散らした男性器が揺れる。荒い呼吸の生臭さ。
蹂躙される恐怖と共に湧き上がったのは強烈な殺意。
振り回したシャープペンシルは首筋へ刺さり、仰け反った男の下から抜け出すと、近くに置いてあったブロックを掲げる。
振り下ろす。
砕けた頭蓋から溢れたもの。眼鼻から飛び散ったぬるりと血に混じるもの。
ブラウン管の中では景色が消え、繰り返し明滅した。
「っは・・・!?」
絶望が焼きついた瞳。悪夢と魘される光景を前に、辛うじて平静を保った。恐ろしかった。
「こんな。こんなもの」
正当防衛という言葉。高校への進学を遠方に選んだ理由。
自分が魔物であったから救われたという事実。
自分が魔物だから誘引したのではないかという懸念。
思い出してしまった今、全てが忌まわしく脳裏を染めていく。
「はる・・・」
おそろしい。
部屋に満ちた気配、白く塗り固められた壁の表面の凹凸、中央に置かれたテレビ、小さなシャンデリア、生温かく濡れた真っ赤な絨毯。
全てから異質な空気が放たれている。気持ち悪い。
蹴飛ばした足先はテレビに弾かれた。硬質なゴムに触れたような感覚しか感じない。
これはシステムだ。
誰かが作り出した狂気で、今も続いている人間の欲望を動力とした機構だ。傷のある人間を集めて、また狂気を生み出す。タガが外れかけた人間にもっと大きなものを吹き込む。
「ここ、つたえて」
絞り出すように言葉を発す。
「はるこ、はるこ・・・」
「此処のこと! 法一に伝えて!」
怒り。憤り。
「ぶっこわせばいいこんなもの!」
低空飛行のまま街の中を滑るカンジナバルと騎乗する法一。
携帯電話の着信音は突然に流れた。
アヴェマリア。初期着信音の中からセレクトした音源に手の中から黒い携帯電話が出現する。
「もしもし」
『目的を発見。目的を発見。ボードの中核らしきものを発見』
「よくやった」
『ですが。ですが。はるこが』
「待て。いますぐそちらへ向かう」
電話を掌の中に。手綱を引き、停止を促した。
「あとは交渉。交渉を・・・」
重たい溜め息と共に顔を歪める法一。
相手が求めているのはボードの中枢だ。奇しくも、それを発見する事には成功した。
それを相手に伝えなければならない。
「・・・そっちの文化に、白旗ってある?」
「あるけど、信じると思う?」
「難しいか。けど、殺すのも嫌なんだよなぁ。個人的には」
可能なら避けたい、その程度には思っている。殺して解決する事をまた望む気分にはなれない。善意が報われることはない。だが、同時に悪意もまた報われることなどない。
奪われたものが戻ることはない。奪ったものも戻ることはない。
「降りる。ビター、案内頼む」
「了解。了解」
路地裏から跳び出してきた一体がカンジナバルの背中に乗る。交代するように法一が降りた。
ポケット探る動作。何かを確かめた法一は、膝を強く叩き、震えを堪える。
「っしゃ、頑張ってみるか」
狙う側から殺し合う間柄。チキンの自分には少しばかり重たい現状。
ただ、今回は守る側のつもりだった。退く気はない。
「頼んだ」
「了解、了解」
「・・・やばくなったら逃げんのよ」
「そのつもりだ。ところでカンジナバル」
「何?」
「まぁ、どんな形であれもうすぐ終わる気はするからな。一応は言っておく。あー、そのー」
躊躇いを乗り越える1秒。
「大好きだ。感謝している」
ぎこちない照れ笑い。
両頬を叩いた彼は、振り返ることなく歩き出した。
「・・・馬鹿っぽい。つーか、なんて殺し文句よ。もう」
カンジナバルは飛翔した。形容しがたい感情の揺らぎを現すよう、盛大に溜め息を吐きながら。盛大に尻尾を左右に振りながら。
風を叩く音と共に気配は遠ざかった。
一人。
しかし震える事はない。少しばかり落ち着いてはいた。
両手を挙げる。
四車線の道路で向き合う。
通りを跳躍し、飛翔していた彼女は、緩やかに路面へ着地する。
「ボードの中枢を見つけた」
言葉に反応し、詠唱に構えていたアヌビス女の動きが止まった。
「・・・どこ?」
敵意。虚勢。殺人鬼と元暴行魔との対比はあまりに違い過ぎる。
「一つだけ聞けば教える。お前の目的は?」
「ボードこわすの」
「何故?」
「妹の仇だから」
疑問符。思わず眉根をしかめた様子に何を感じたのか、口早に言葉を繋げる。
「昔、このボードに妹は閉じ込められた。びっくり箱の手法。死体の幻影。驚いているうちに転移魔術式の座標が固定。意識が吹き飛ばされるほどの衝撃がはしり、ここへ」
頭の中で歯車が一つずつ咬み合う。死体、頭をガツンと殴られた衝撃。この世界。
「強要される殺し合い。巨大な術式とゴーレムに阻まれるボードの破壊。殺して、殺して、殺して殺して殺して殺して殺して殺して探し続けて」
歌うように、呟くように、とうに法一など見ていない。忘れている。
「探したの見つからないの見つけたのね。やっぱり防衛の要を封じたのがよかったのかしらそれとも街の構造についての知識かしらどうしてなのかな教えてほしい」
半ば、正気を失っているのではないだろうか。否、論理的思考はまだ動いている。動いていないのは何だ?
「教えて。早く」
良心、もしくは心そのもの。
置き忘れたものの代わりに燃料と動力となっているもの、それが憎悪であり魔術式であると理解して尚、彼女の思考パターンは読めない。
「約束しろ。教えれば、もう、殺す必要はないだろう。仲間に二度と手を出すな」
心の中、篝火のように怒りは残っている。おそらく春子を傷つけたのは彼女だろう。報復したいという憎悪はまぎれもなくある。
だが、傷ついた彼女は戻らない。殺そうと過去は覆らない。
それは、目の前の相手が証明している。あまりにも哀しい結果として。
平静を保ち、じっと、彼女の言葉を待った。
長いようで、短い沈黙。
彼女が口を開いた時、その顔に浮かんでいたのは。
「そう、そうね」
ぽっかりと開いた心から覗く、絶望と。
そして寂しさだた。
「そうなのね」
泣き笑いに変化していくアヌビス女。
解放(リベレイション)という感覚が最も近いのではないかという急変。情緒の危うい均衡。喋っているうちに崩壊するのではないかと法一は危惧した。
空白。何かを喋りかけたアヌビス女は、糸が切れたように言葉が途切れていた。
喉を動かす。唇が空気を呑みこむように何度も動いた。
だが、何も出なかった。
それでも待つ。時間は有限だが均衡を崩すべきではない。
「殺さなくて、いいなら」
憑き物が落ちたような表情。童子じみた幼い笑顔。諦めの果てに見せた表情。
その顔を見た時に心臓が痛んだ。人間、いや魔物の多面性を突きつけられた気分。
自分が死に追い詰めた彼女もと思い、絶望感が背筋を苛む。
それでも思考を切り替える自分は非情であり、不感症なのかもしれない。
「・・・地下だ。案内させる。壊してしまえ」
ビターのうち一体が姿を現す。先導するように走り出した背中を追い、空中を滑って行く彼女と擦れ違う。
呆気ない。
なんて呆気ない終わり。
しかしその瞬間、爆音が遠方より響いていた。
「・・・!?」
咄嗟に横へ跳んだ法一の背後が爆発。
衝撃波に吹き飛ばされた法一が打撲の痛みを堪えて立ち上がると、路面にはクレーターが生じていた。
地下空間。
鋭い爪を渾身の力で叩きつけたカンジナバルは、凹んだテレビが突如として消失、それに驚く間もなく轟音と共に天井が崩落していく光景に呆けていた。
「れー?」
「やっばいし!?」
青い球体を落下する瓦礫へ叩きつけ、発生した網目状の構成物、瞬時に硬質化する液体によって落下軌道が逸らされ、防御用のネットが展開される。
「も、もしかして、私ってば状況を悪化させたのかしら?」
「・・・煽った私が元凶っぽいけど」
青い空。立ち上る煙。空気を切り裂く甲高い飛翔音を耳にするど同時、ドラゴンと少女は一気に逃げ出した。
続けざまに着弾する砲撃と思しき遠距離攻撃。
ヘルメット装備の法一は、ビターと共に建物の影へ隠れていた。
『危険。危険。空爆をよう請』
『さすがに空爆機は造ってなかったな。ところで、あの攻撃は誰を狙っている?』
青い顔のまま手渡されたペンとメモ帳で筆談する法一とビター。
『砲撃の軌道。砲撃の軌道。及び繰り返される攻撃から、アヌビスおん、女と呼ばれる存在への攻撃かと』
『相手は?』
『彼女。彼女。アヌビスおんなが拘束していた防衛機構では?』
「・・・ビルの柱に縛られていたあれか」
ビターの頭を法一が叩く。記録。ビターからロードされた映像が一眼レフの瞳によって壁へ投影され、拘束されていた一人の少女を映し出す。
『危険視。危険視。けれど、このこが砲撃?』
『禁忌といいドラゴンといい常識の外にある事ばかりだ。今更だろう?』
ビターが跳ね動く。
「頭上。頭上。警戒」
何時の間にか途切れていた爆音。まだ音の遠い耳の中へ、ビターの発した声が届く。
ビルの屋上で浮遊する人影。
黄金色の髪に、僅かに焦げた色合いの肌。両腕の皮膚の一部が石板によって構成され、身体を包む簡素な貫頭衣は、まるでワンピースのようであった。
無機質な双方に次いで、さらにその人影の上、巨大な何かが空に出現。
『charge。ミニチュア・フォートレス。照準』
電子的な振動を伴う音声が、浮遊するビルを思わす存在、全長20m近い物体へ指示を飛ばす。
ミニチュア・フォートレス。
そう呼ばれたのは、飛空する武装ポッドらしき存在は、ハリネズミに等しい数の砲身を一斉に地表へ向ける。
別方向へそれぞれ逃げ出したビターと法一、彼等の進行方向へ半分ずつ砲門が向く。
『shot』
短い指示に、ミニチュア・フォートレスの下部、機銃が照準を修正。
続けざまに乱射された莫大な銃弾。建物の側面が吹き飛ばされ、ビルが傾く。
その下、倒壊間近のビルを遮蔽物にし、触手を使った高速移動をしていく。
弾けるゴムのような軽い破裂音が続く。それが触手が壁を叩き、吸着し、引き寄せた瞬間に外れる。
それだけでビルの側面を蹴ってぐいぐいと身体が上へ引き上げられる。
「ビター。ネイルガン構え」
「あいさー。あいさー」
各所から声。屋上で待機していたビター達が給水タンクや非常階段の影から射出口を露出。
改造釘打ち機から射出された釘は、続けざま少女へと飛来していく。
それが彼女の柔肌、否、装甲に弾かれた。
痛痒すら感じぬ様子で睥睨した少女が掌をかざす。その指示に従い、彼女の頭上から砲声。建物ごとビター達が砲撃された。
「リンク正常ー。リンク正常ー」
「逃亡ルート。逃亡ルート。ゴーウェスト」
砲弾の発射より先にビター達は回避行動。しかし、場所の問題から逃げ遅れた数体は犠牲となり、瓦礫と共に粉塵の中へ消えた。
西へ走るビター達は、蜘蛛の子を散らすようにそれぞれが方向転換。複数の機銃がそれぞれをサイトに捉えたものの、元々のサイズと都市内という遮蔽物の多さを利用し、再び姿を消した。
『熱探知、能動的走査、loadingloadingloading』
「別部隊。援護」
ビター達と同じよう、都市の中を逃げ隠れしていた法一が黒い表皮を掌に展開。黒い掌の中から出現した携帯で指示を出す法一は、触手を振り回し、フォートレスの後方から何かを狙う。
「オペレーション『イスカンダル』発動」
『了解。了解』
ガスボンベ装備のビター達が空中を飛翔。細かな軌道修正はできぬものの、フォートレスへの直撃コースへ乗せたガスボンベを切り離して離脱。パラシュートで降下。
ガスボンベがフォートレスに衝突するものの、元々が即席の推進物である。爆発する事もなく、衝突の衝撃では、精々がフォートレスの航行を阻害する程度。
あらぬ方向へ逸れ、落下していくガスボンベ。数発がフォートレスの側面に引っかかったままだったが、爆発させるにもネイルガンなどでは射程が足らない。
だが、それでいい。
「時間は稼げた。あとは合流を優先しろ」
『了解。了解』
パラシュートを脱ぎ、着地時の衝撃を前転によって軽減。そのまま走り去っていく空挺部隊顔負けのビター達。
その間にも、最大まで伸縮させた触手の先端をフォートレスへ接触させた法一は即座に収縮を指示、瞬時にフォートレスの上へと引き寄せられていく。
そして着地。
「遅い」
掌を黒い表皮が包む。その質感が変化し二の腕まで覆ったかと思えば、あたかも籠手のような硬質な形成がなされる。
「金槌の特徴は簡単だぞ?」
回転する機銃へ拳が叩き込まれる。
「激突(strike)だ」
金属と金属の重たい衝突。しかし打ち勝ったのは小さな法市の拳。
そのまま衝撃波が貫通し、機銃が吹き飛ばされていた。
その衝撃に乗って移動。今度は砲塔を握り潰しつつ黒い表皮で覆い尽くし、丸ごと吸収した。
吸収と同時に展開、砲塔を腕に構えながら触手を固定、狙いを定めて連続射撃。
上部に残っていた砲塔は全て潰す。
危機を察知してか、フォートレスの援護を目的としたゴーレム少女が飛翔。背中からの盛大な噴煙と共に彼へ肉薄し、それこそ重機に等しい馬力での拳撃が迫る。
無表情な容貌。攻撃対象である法一を認識した瞬間、恐怖と怒りに動かされた法一もまた動きだす。
打撃は腹部へ直撃。だが、即座に黒い表皮に包まれた拳による反撃が返された。
ゴーレムの少女は馬力とは別種、衝撃波による打撃技によって吹き飛ぶ。
巨大なフォートレスの上でバウンドし、殴られた頬の装甲には罅割れが広がる。
「システム如きじゃ、勝たせてはやれない」
血反吐を吐きながら法一は少女を睨む。
黒い表皮によるガードによって致命傷は防がれていた。
立ち上がろうとするも動けない少女を無視し、再び拳を固めた。
がちがちと、壊れた人形のようなぎこちない動きを繰り返す少女。
黒煙を上げるフォートレス。
歩行を諦め、飛翔する少女を再び出現させた砲塔からの砲撃で黙らせる。
叩き落とされる少女から今度こそ視線を外し、拳槌の構えを見せた法一。
「落ちるまで殴るぞ」
拳は、無慈悲なほどに高く振り上げられていた。
容赦がない。むしろ、アヌビス女にすら手加減していたのだと理解する。
少女へ打ち込んだ時に比べれば、倍の速度、全身をしならせるように上から叩きつける両拳。
最大出力、一撃で機体は揺らがす力が、何度も、何度も加えられる。
繰り返される打撃でフレームが歪んで機体が損壊していく。生み出す重たい衝撃に半壊した機銃ががたがたと揺れ、機能を回復させようとあがいていた機銃が照準を修正するも、触手によって捻られ、即座に破壊される。
間断なく打ち下ろされる拳は続く。
そのたびにフォートレスが傾く様子を、カンジナバルと春子は下から見上げている。
「もしかして、あの上に法一が?」
「いるわね。しかも、えげつなく殴って殴って殴ってる」
バットにしろ拳にしろ、殴る事に慣れているのだろう。彼が忌み、後悔した過去の産物は、彼が吐き出す感情を効率よく発揮させる。
「せぇ、のっ」
乱打。左右の拳が続けて振り下ろされたかと思うと、凹んだ装甲の隙間に拳を捻じ込む。
腰からの回転だけで衝撃を生み出し、装甲を引っぺがすと、引き剥がした機銃が皮膜の中に消えた。
「象徴しているのは『穿鑿』と。吹き飛べ」
掌の中、金属製の球体が出現する。露出したフォートレスの機構、そのの中に光を放り込んだ途端、巨大な針が続け様に内側から炸裂した。
「これで終わりだ。よし逃げよう」
撤退は速い。落下を始めたフォートレスから飛び降りる。一瞬の浮遊感。触手を伸ばそうと掌を向けるも、何故か皮膜からは接着剤が吐き出された。続けての能力使用に、発動に失敗したのだろう。
「や、っば」
真っ青に蒼褪めた法一だが、咄嗟に掌から長大なカッターナイフを展開。瞬時に伸びた刃先をビルの外壁へ突き刺す。
刃先を寝かすように力を加え、壁面に波打つような線を描きながら降下していく。
路面へ激突寸前、辛うじて勢いは殺され、地面をバウンドしながらも着地に成功する。
「あっぶな。あっぶな。し、死ぬかと思った」
カッターナイフをしまい、逆に砲塔を皮膜に包まれた掌の中から解放する。そのあとで落ちていた接着剤を皮膜を通し手の中にしまっていると、真っ青な顔に幾ばくか赤みが戻った。
「ホウイチ!」
「法一!」
駆け寄るカンジナバルと春子の掌をひらひらと振る法一。いつのまにか黒く汚れた顔を手の甲で拭っていると、途端、舌打ちをした。
「・・・柄にもないなぁ」
独白。触手を使った高速移動。路面へ貼り付けた触手の伸縮と共に、通り過ぎ様に春子を突き飛ばし、籠手を使ってカンジナバルを吹き飛ばした。
短い閃光。左の膝下を打ち抜かれ、肉を大きく抉られた法一は、そのまま悲鳴を上げていた。
「があああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!ああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
慟哭。頭の奥まで突き抜ける激痛。必死に片足でバランスをとっていた彼を、姿を現したビター達が担ぐ。
「撤退!てったーい!」
「逃亡!とうぼー!」
叫ぶビター達のうち、数体が迎撃を目的に火炎瓶を投擲。何時の間にか、一体のビターはアヌビス女を担いでいた。
ならば相手は。
『・・・対象の損壊を確認。攻撃を継続』
「あの、ゴーレムか」
悲鳴に擦り切れた喉からの呟き。顔を絶叫時の涙で濡らした法一が、物理的に青くなった顔で立ち上がった機械の少女を見る。
破裂した火炎瓶による炎の中、片腕から大口径の機銃を出現させた少女は、続けて発砲。火炎瓶を用意していたビター達を撃ち砕いた。
ただの物体となってしまうビター達。その間に、法一を口に咥えたカンジナバルが走る。
ここにきて。
状況は悪化した。
術式による止血。怪我によるものか、ぶら下がるように損傷した膝下は感覚が消えている。
鈍い触覚を残し、痛みは感じない。だが、冷たく気だるい全身からはぬめるような死の気配が放散され、彼の顔を陰鬱に彩る。
「これ以上は無理」
アヌビス女の手により細かな裂傷を焼き、止血された怪我の上を包帯で覆った法一。
ざりざりと髪をかき回すと、寄りかかったビルの壁に体重を預ける。
「この戦闘は」
掠れた声。重たい袋に包まれたよう、緩慢に法一が顔を上げた。
「どうすれば終わる?」
「・・・ボードの核の破壊」
「つまり、あのテレビを壊せばいいわけね」
春子の言葉に、少し考え込んだアヌビス女が頷く。
「・・・春子、あと、そっちの犬耳、消えたテレビの捜索、頼む。残ったビター達にも手伝わせる」
「貴方は?」
長い髪の隙間、底冷えのする威圧を備えたアヌビス女が法一を見据える。
「・・・正直、動きたくもないが、あの女・・・ゴーレムとやらを止めにいく。この機構の防衛装置である以上、そちらを守るために動くだろうからな」
「なら、急ぐべきだ。ここでは魔力の放出の影響から生命力も減る」
法一に対し、アヌビス女が短く告げる。
「そうなのか?」
「この都市は時間の流れが緩い。その理由は、吸い上げた莫大な魔力によって維持をしているから」
「その魔力の発生源もまた、禁忌付きの人間達の殺し合いによって発生するエネルギーか」
「原理は不明だけど、多分ね。ところで私には手を貸してくれとか言わないわけ?」
憮然とするカンジナバル。それに対し、片足を引き摺りながらも低く笑った法一は、壁に背中を預け、背中でずり上げるように立ち上がる。
「必要ないだろう?相棒」
「・・・あんたみたいなパートナー、どうして選んじゃったんだか」
「初見非武装の人間を殺さない程度には善人だったからだよ」
カンジナバルに手を借り、法一が彼女の背にまたがる。ジーンズを黒く染める血は止まっていなかったが、法一は動き続ける。
「私、だけでもいいけど」
カンジナバルの言葉に、彼は首を振る。
「邪魔にはならない。頼む」
「・・・どっちにしろ、時間はない、かぁ」
のし歩くカンジナバルを見送る。
一瞬だけ鋭い視線を向けたアヌビス女が走り出し、慌てて春子もそれに続いた。
「あいつが死んだら、私はどう思うのかな」
冷静に、そんなことを考えていた春子は、速度を上げたアヌビス女に引き離されないよう、その足を必死で前へ踏み出した。
「たぶん泣くから」
独白を聞く者はいなかった。
「いいか。俺達二人は、ビターを仲介することで範囲制限は適用されないらしい。あれが俺の代理になる」
「あ、だからか」
ばらばらに行動し、地下へ出向いた事を今更に思い出す。足の痛みこそ辛いようだが、頭は明瞭らしい。
「あんな大量出血でショック死しなかったのは共闘の禁忌のおかげだろうな。おそらく、龍の生命力が俺に影響しているらしいな」
「んで、半径10m以内の今は、一番安定しているわけか」
「あぁ。おそらく時間さえかければ直る、かもしれない」
「それでも急いだ理由は?」
「あの無差別攻撃を続けられたらどうする?抵抗もできない」
足の傷を何度も触っているが、動けると判断したようだ。血の滲む包帯、青い顔を無視し、意識を繋ぎとめるように喋っている。
「どうにかしてあの機械女を黙らせる。奇襲して一撃。これしかない」
「いっつもいきあたりばったりよねー」
「臨機応変と言ってくれ」
おそらくフォートレスは探索や監視、広域への攻撃といった意味合いが大きかったのだろう。ビルの上、翼を僅かに広げ、急降下の姿勢を行っていたカンジナバルが頭を下げる。
未だ発見されていない事がその論拠である。
「ねぇ」
「何だ?」
「ここに来て、なんかいいことあった?」
「足を吹っ飛ばされて身体が軽くなったくらいか」
「・・・ダイエットには最適ね」
皮肉と愚痴の応酬。遥か彼方、通りを進む機械女、ゴーレムの姿は徐々に接近してくる。
「あぁ、、一個だけあった」
「なにが?」
「相棒が出来た事だな」
「・・・っは!?なにその殺し文句!?あんたってマジでタイミングとか狙ってるわよね!?よね!?」
じたばたと尾が揺れる。下げたままだった頭は伏せたまま、喉の奥が詰まったような沈黙の後、カンジナバルが首を僅かに巡らせ、背中へ振り返った。
「あんた、私と結婚しない?」
「爬虫類そのものを娶る趣味はいまのところない。くるぞ」
「・・・マジ美人よ?私ってば本当の姿はマジ美人なんだから」
「事実であれば考えておく。攻撃部隊、用意」
掌から出現させた携帯から指示。
ビター達が通りに現れる。四車線道路で向かい合ったゴーレムが敵性行動をとるより先に、一気呵成のビター達が飛び出した。
『ガンホー!ガンホー!ガンホォォォ!』
全機の叫び声が重なり、雪崩のように進んでいく。
前列のネイルガン連射と共に、建物の影から出現した数体が雪崩れるように鉄パイプ(コンクリ入り)を振るう。
重たい衝撃に緩慢な動きのゴーレムは避けきれないが、気にした様子もなく掌から発生させた電撃で周囲を薙ぎ払った。
「げ。あんな武装まであったのか。いつ動く?」
「待て。今回は消耗戦で追い詰める。リーダーさえ破壊されなければ行動に支障はない」
「そのリーダーは?」
「春子達と行動させている」
「うわ、用意周到」
「当たり前だ。こっちは既に半殺しなんだぞ?警戒して然るべきだ。よし、第二陣」
周囲の建物から茶色の袋を担いだビターが現れる。
電撃と銃撃、鉄パイプとネイルガンによる戦闘の中に跳び込むと、袋の下部を結んでいた麻紐をほどいた。
一気に放出された白い粉が周囲を染め、ビター達とゴーレムが見えなくなる。
白い粉による粉塵の中から逃げ出していたビター達数体の背後、ゴーレムによるものか、閃光が再び瞬く。
その瞬間。
天を焦がさんばかりの閃光と轟音。通りの建物の半径数十mに渡って全て弾け飛び、炎と衝撃は大きく周囲の街路樹を薙ぎ倒した。
「この距離でも耳が痛いな」
「って何よこれってなんなのこれって!?」
「前も説明しなかったか?これは粉塵爆発だ。爆薬がない以上は他にちょうどいい爆破手段もないので利用させてもらっている。今回はアヌビス女が持ってた爆縮カートリッジってものを合わせてみた。予想外だったな」
「さらっとヤヴァいこと言わないでよ!なにその爆縮カートリッジって!?」
「俺達と入れ替わりに去った黒づくめの男が忘れていったものとか言っていたな。なんか「ここにも探していたものはないな」とか言ってた変な男とかなんとか」
「だからなんなのそれ!?」
「なんか炎の術式を封印したものとかで、今までの爆発にも、あれを流用して効果範囲や詠唱短縮を行っていたらしい」
「・・・もうなんかいいや。とにかく、あの裏技はこういった反則があったわけね」
「で、相手は」
砂塵と煙の中から現れるゴーレム。片腕は千切れ、服も煤と埃で汚れているものの、機体そのものは依然として戦闘可能なようだ。
周囲には元ビター達であったとおぼしきよく解らない構造物が散乱していた。
「・・・逃げていいかなぁ」
「足止めにすらなってないわね。これは」
「あとは俺達が行くしかないわけだが」
「だいじょうぶだいじょうぶ。死にゃ死ないわよ。最悪、私が盾になるから」
カンジナバルの覚悟。その顔は笑っていた。
震える法一もまた、手に長大なカッターナイフ、剣と同じほどの刃渡りを備えた得物を握った。
「二対一だ。なんとかなる」
「そう願いたいわね」
飛ぶ。
降下する。
これが最後である為に、これを最後とする為に。
半壊したマンションの一室。
発見したテレビを春子の能力で固定。逃がさないようにした瞬間、巨大な炎の槍が貫いた。
しかし動かない。テレビを包む何か巨大な壁のようなもの。
遮られた壁を前に、アヌビス女が呟く。
「術式が障壁を形成している。これは・・・多分、ゴーレムの核とリンクしている」
「またなの!?どうやったらこんな陰湿なシステムが作れるっていうのかな!?」
春子が苛立ちを露わにする。
「まるで、何かを逃がさないように、壊させないように・・・」
「どっちにしろ法一待ちか。あのゴーレムの起動、何がきっかけだったの?」
「動かした人間とは、もしや」
「いや、ごめんなさい。俺です」
突如姿を現す三朗。転送術式によるものか、ふらふらと床に座り込み、血にまみれた身体を左右へ揺らした。
腹部からは、多量の出血に溢れている。
「すんません。ちょっと死にそうなんで、話を聞いてください。とりあえず」
「・・・この馬鹿、その怪我は?」
春子が傷口を確かめる。大きな傷からは、腹圧で中身が露出しそうになっていた。
「やー、あのゴーレムが妙な反応して、そんで、咄嗟に転送術式で吹っ飛ばそうとしたら、自衛の為に起動したっぽかったんだけど」
「妙な反応?」
「なんか、爆発音がする少し前、何か動いたんですよ。通信、というか、始動準備?」
通信はおそらくフォートレスの呼び出しの可能性が高い。そしてその原因に心当たりのあった春子は嫌そうな顔をした。
おそらく、自分がけしかけてカンジナバルにテレビを攻撃させた事が要因の可能性が高い。
だが、自分がやらなくともこのアヌビス女がいつかやっていたであろうし、やらなければやらないで、アヌビス女がこの世界から消え、代わりにゴーレムが動き出していたはず。
「どっちにしろ、あのゴーレムと喧嘩することになったわけだ・・・」
諦め。あとはちっぽけな信頼。
「あの二人がどうにかしてくれるだろうけどね。でなけりゃどっちにしろ全滅だわ」
強襲する一人と一頭。頭上へ向け電気を放射したゴーレムの攻撃をカンジナバルのブレスが迎撃。
それを避けたゴーレムが、続いて指の先端から出現した銃口から弾丸を発射。高速弾頭が命中する寸前、黒い表皮に包まれた法一の掌から、一つの部品が投擲された。
触手の先に掴まれていたのはコイル。
磁力により軌道の変化した弾丸が周囲へ散り、指向性を持って制御される磁界は、コイルを中心に弾丸やゴーレムの動きを制限した。
「あと、ちょい!射程距離まで連れてってくれ!」
「掴まっときなさい!」
カンジナバルが地面を駆ける。全身からゴーレムへ体当たりする。
突き飛ばされたゴーレムの腹腔から更に武器が展開。出現した砲門による砲撃をカンジナバルが受け止め、銀砂のように飛び散る鱗と共に、血の赤が空中へ散らばった。
「カンジナバル!?」
「止まるな!進め!」
叱責するような厳しい口調に法一が歯を食いしばる。
彼女の背を蹴って跳躍した瞬間、包帯の赤黒い染みが広がる。
「っだらぁ!」
無事な足が横薙ぎに振られる。黒い皮膜に包まれたスニーカーから衝撃波が発生し、側頭へ叩きつけられたゴーレムが僅かに揺らいだ。
その打撃の隙にチャージしたのか、煌々と輝く電撃が放たれる。
飛び散る青白い光と紫電の牙を前に、一人と一体は神経を千切られるような激痛を受ける。
それでも法一が動いた。
全身を突き抜ける衝撃を触手をアース代わりにして軽減させ、カンジナバルが爪を振るう僅かな余裕を作り出す。
叩きつけられた一撃。骨格に阻まれたのか、爪の先端が砕けるも、ゴーレムの顔にも罅が入った。
反撃に放たれたゴーレムの細い腕。
全身で受け止めたカンジナバルの足元で路面が陥没、その間にゴーレムと鼻先の触れる距離まで法一が這い寄る。
迎撃できる距離ではない。打撃を繰り出す腕は、既に一本しか残っていなかった。
「叩けっぇぇぇえぇ!」
「っしゃぁああっ」
カンジナバルの言葉に呼応し、漆黒の拳が降り抜かれる。
全力で拳が減り込み、鼻骨を砕かれくしゃりと顔の右全ての壊れたゴーレム。地面へと一気に叩きつけら、骨格まで露出された顔の右側が歪んでいく。
地面への激突と共に、ゴーレムの核である腕の石板も破損した。
踏み込んだ勢いのまま転ぶ。
鼻血が飛び散った。泥臭く突っ込んだ。
「っだらぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
そのまま転がって立ち上がる。ゴーレムの横腹を蹴る。容赦なく爪先を叩きつける。
胃液らしき粘性の液体と血を吐いてゴーレムが地面を滑る。展開されていた武装がずれる。
続く一撃を前に、咄嗟に機体内部に内臓されていた術式が展開、法一の鼻先へ現れる。
爆炎。
現出した炎という事象、構成を前に踏み込む。炎が皮膚を焦がすが、大半が彼を捉えずもっと先へ飛んでいく。
下段。起き上った女に向けられた足が黒く染まる。
小さな跳躍と共に全身が捩じられる。
空回りしそうな力が、狙い違わず振り下ろされる技の名は。
ソバット。
全力で放たれた、体重も速度も筋力も足先に収束した一撃は、重いゴーレムの躰を圧し折るように胴体を打ち抜いた。
吹き飛ぶ。
今度こそ。
単なる蹴り、喧嘩すら忘れていた身体が放った打撃によって、魔物の娘を蹴飛ばし、秒の半分にも満たない時間で全てが終わっていた。
終わったのだ。
破壊されたテレビ。
合流した一人と一体は満身創痍で、今にも朽ちて消えそうなくらいだった。
全てが消えていく。外は真っ白な光に包まれ、全てが呑みこまれていく。
「人殺しであれ」
アヌビス女は白い空間の中に消えた。
「おしゃべりであれ」
三朗も。ぼんやりとした表情のまま消えた。安心したように最後には眼を閉じていた。
「そして小煩い女も」
触れる事すら畏れるように、軽く、泣きそうな顔をした春子を、何かを叫ぶより速く抱きしめた。
そして彼女も消えていく。おそらく、テレビ破壊時の距離だろう。
「龍も」
疲労困憊のままに動けないカンジナバルへ笑った。
「救われてもいいだろうさ。こんだけ頑張ったんだ」
コンクリートが割れる。
彼女は落ちていく。
「腕時計、やるよ。大切にしてくれ」
中空を流れていく傷だらけの手を、何故、握れなかったのだろうとカンジナバルは眼を見開く。
爪先にひっかけられた銀色の腕時計。不平不満と共に、ずっと使ってきた法一の人生を刻み続けた時計。
それを、法一は渡した。
「しあわせにな」
血が流れて。
笑っていて。
なんと馬鹿馬鹿しい姿なのだろうと思った。
楽しげな法一が最後に見たのは、泣き叫ぶカンジナバルの顔であり。
最後まで聞いていたのは泣き声だった。
それがひどく。
ひどいくらいに、法一には嬉しかった。惜しまれる事が。
「・・・どんな形であれ、苦労した人間が報われなきゃ、話がオチないしな」
法一の両拳を黒い皮膜が包まれる。
半ば消えたマンションの扉を踏み越える影。
半壊した躰を動かし、全ての消えていく光景残った片目を動かしたゴーレムが目標を法一へ合わす。
「さて、俺の人生で頑張るのは、これが最初で最後だろうな。もうエンディングなんだよ。素直に死んでおけ」
拳を握る。片足に体重を預けたまま、壁を肩で擦るように進む。
「悪いが近寄ってくれ。そのままじゃキスもできん」
片足で跳ぶ。回転し、大きく腕を振り回すように放たれた拳と交差し、手首から先のなかったゴーレムの腕も振りかぶられていた。
世界は、白い光の中に消えていく。
ただひたすらに殴り合う二人もまた、光の中、最後の残滓と共に消えていく。
ここに、一つの世界は、事象の果てへと消え去った。
時計。
短針と長針は右へ回る。
既に身体は動かない。意識だけが全てであり、この空間が破壊された核に内包された魔力の残滓、街一つ分の空間の時空を制御していた膨大な力の暴走。
禁忌へ意識を集中する。魔力を呼吸し、龍と同じ肺、龍と同じ喉を使い、カンジナバルと共闘の契約で同期されたままだった躰の回復力を制御し、重たい躰を持ち上げた。大きな傷は軽減するに留まっていたが、崩壊し、虹色のような奇妙な光に包まれた空間の中、半壊したテレビと向き合う。
小さな足場はマンションの階段だった場所。半壊したテレビから滲み出すもの、濃い霧を想像させる膨大な気配こそが、魔力というものだろう。
「・・・まずった。あのゴーレムを外に出したらいかんと思ってたら、逃げ遅れたか」
損しかしていないなと、それでも笑う法一。
周囲にはわけのわからないものしかない。次元や空間という認識が曖昧な所為か、足元が巧く定まらない。
「この空間を制御すりゃ、帰れるのかねぇ」
他人事の様子。静寂と平穏。だた一人の世界。
虹色の空間。重力すら不確かな場。
これが終わりなのかと嘆く。そのくせ満足そうに。
悪化しないが癒えぬ傷、延々と痛み続けるであろう事に辟易する法一。
終わってしまった場所。やることもない時間。
ぼんやりとノイズばかりが流れるテレビの画面を注視していると、その画面を何かが過った。
それは何も起きぬまま高校入試合格に喜ぶ耳の長い女であり。
遠い砂の国で、死んだはずの妹の魂を次元の檻から解放されたことによって、あの場所へ誘因されなかった過去にまで回帰することとなった彼女、生身の彼女と再会した犬耳の女であり。
とある犬耳女の術式によって病魔から解放され、退屈そうに、だが楽しそうに園内放送している痩せた男であり。
遠いどこかで、咆哮のような盛大な泣き声を発す、見覚えのない女の後ろ姿であった。
テレビが最後に明滅した時。
その画面に映ったのは、怖気のはしる莫大な存在感を持つ存在からの視線。その視線が興味なさげに法一からずれた瞬間、生きていることに感謝すらした。
「まさか」
このシステムはあの存在、ゴーレムなんかよりもっと壮大な何かを、どうにかする為に造り出された術式の塊ではなかったのだろうか。
そんな想像が頭を過るが、今となっては確かめる術もなかった。
それに、自分にとってはもっと重要な事がある。
「完全に、ぶっこわせば帰れるかもな」
半ばやけっぱちであるが、他に方法もなさそうだ。
そして。
「どこでもいいから」
ぼろぼろの拳が尚も振り上げられ。
「こっから出せや、今畜生」
振り下ろされる拳槌。今度こそ、本当に壊れてしまうテレビ。
全てから解放され、法一もまた、どこかへ消えた。
どこかに。
終。
「苦労した人間が報われなきゃ、話がオチないだろ?」
高校の入学式を欠伸混じりに済ませる。
西暦を何度計算しても、自分の記憶とは合致しないことを諦めた一人の少年は、一人暮らし初めての夜を寝不足で過ごし、既に身体がだるかった。入学式を休もうかどうかを悩んだ。
まだサイズの大きい制服。見慣れていたはずなのに、全てが新しく感じる渡り廊下からの光景。
「アンタ、何ぶつかってんのよ」
「ご、ごめんなさい」
茶色に染めたセミロングの新入生と、黒髪をシニョンにした眼鏡の少女が廊下で騒いでいる。
通り過ぎるふりをして、肩を軽くぶつけた。
「あ、ごめん」
心ばかりの言葉を残した法一は、そのまま通り過ぎた。
「ちょ!? 誰よ今の!」
「あの、大丈夫?」
黒髪の少女が差し出した手に、ばつが悪そうに茶髪の少女が掴まる。
「もういい。なんかしらけちゃったし・・・あんた、名前は?」
「三笠 周子(みかさしゅうこ)です。貴方は?」
「天津 綴(あまつ てい)。それで周子、あんた、部活とか入るの?」
「うん、文芸部とか・・・」
離れる。これで変わったのなら、それでいいと思った。
掌には黒い傷痕。
これだけでいい。何も残らなかったわけではないと。
あとは、一年一学期の期末テストが思い出せれば最高だったのだが。
そう巧くもいかないだろうと、自嘲した。
欠伸。安穏に浸れる喜び。
そして。
「新一年生担当の巽・カンジナバル・夜子です。科目は数学、授業中騒いだら叩きのめすから覚えておくこと」
歓声が一瞬で止む。
美女だと思った。嘘ではなかったのだと笑った。
喉の奥から込み上げる声を押し留めようと、必死に肩を揺らす。その様子に何を感じたのか、長い髪をなびかせた数学教師がチョークを握り潰した。
「で、そっちのご機嫌な子。しばっころすぞ」
全員が顔を蒼褪めさせ、一斉に視線を巡らせる。
窓際から二列目、後ろから二番目。
細い眼、中肉中背。印象は薄いはずなのに、時折覗く青白い眼球の中、大きな瞳孔が妙に記憶に残る。
「悪いが」
その声に、手の中から粉となったチョークが落ちる。
「俺の知り合いにそっくりだったので。カンジナバル先生」
「な、んで」
膝を着く。教壇に隠れて真っ赤な顔を隠す。
「こんなタイミングで、顔出すのよぉ」
泣きそうな声。
笑う法一。
「久しぶり。相棒」
気付けば、隣の席では耳の長い生徒がぽかんとこちらを見ていたり。
静寂の廊下に響き渡る声。
反響する泣き声。教壇を覗き込んだ法一は、彼女が泣きやむまでその髪を撫で続けていた。
数学教師と生徒の禁断の愛。
三文記事の文面のような噂と共に、その後の彼の高校生活が少しだけ騒がしくなった。
― 了 ―
12/08/06 22:56更新 / ザイトウ