イザナギ一号_13:LIKE a LOVE 後篇(完結)
陽光の差し込む施設の庭。騒ぐ二人の小さな人影をなだめながら、笑っている自分。
その光景がまぶしくて、せつなくて、ただ、頬へ涙が零れ落ちていく。
色恋で説明できるほど綺麗な感情ではない。
自分という存在を肯定して欲しい誰かが欲しかっただけだ。
弱く汚い。
それでも戦う事を選んだのは何故だろうか。
頭痛と共に意識が覚醒する。
フロア全体の倒壊とプラズマ弾による余波に巻き込まれた瞬間までは覚えているが、その後の記憶が定かでなかった。
時間を確認しつつ動く。瓦礫が隠れ蓑になっているようであるが、のんびりできる状態ではないだろう。
「痛っ・・・」
全身の装甲は各所が罅割れ、一撃で戦闘不能に近い重傷を負っていた。回避していなければ、おそらく。
恐怖と共に混乱する。彼、いや彼女は何故、こんな真似を。
「と、にかく、あれを、止めないと」
瓦礫ごとあのプラズマ弾を食らえば灰すら残らない。一体、どうやればあんな威力を生成できるというのか。
身体を精査。ダメージ診断による結果は腕のアマハネは全損。内部の各所にもダメージ。身体機能は約80%まで低下。
立ち上がることにすら多大な労力を有した自分は、必死に呼吸を繰り返しながら顔を上げていた。
「一号」
「零号、少し、荒っぽい挨拶だったね」
目の前、空中で静止した零号は、全身から膨大な電気と不可視のエネルギーが混在したものを放ちながらこちらを見据える。
「お前も、魔物、なんだろう?」
「それが?」
「もう、R財団に従う必要はない。なのに、何故、戦う?」
「そう割り切れるのは、貴方が自由だから」
「自由?」
赤い外殻の奥、彼女の視線が僅かに揺らいだように感じる。躊躇い、そして戸惑い。
「こんな身体でどう生きていけばいいのだろう?」
「そんなもの、望む場所で」
「いいえ」
強い否定。
あまりに悲しい拒否。
「私には、無理」
それはまさに。
「こんな体、仲間にさえ、見せられない」
化物、そして悪魔を思わす姿。
それが1人の少女にどれだけ辛いものであるのか、自分には解っていなかった。
絶望。
彼女の心を覆う殻、身体を包むものより硬く、全てを覆い隠すものの正体が見えた瞬間、自分はただ哀しかった。
生きる意味さえ希薄になった彼女は、震え、怯え、何一つ信じようとしていない。
それはまさに、ここでの扱いも含め、彼女を蝕んだ恐怖によるものだろう。
外殻による外界と自分との拒絶は、あまりに痛々しい姿だった。
「………どうして」
どうして人は、こんなに無慈悲になれる?
人と違うから? 魔物だから?
記憶を失った自分では、彼女に伝えられることなど、ないのだろうか。誰かを救おうと思っていた自分は、思いあがっていたのだろうか。
膝から崩れ落ちる。
どうしていいのか解らない。
緩く薄い、他人に任せきりだった自分の戦う理由が、どれだけちっぽけであったのかに情けなくなる。身体がもう、ゆっくりとした自壊を始めているようであった。
立てない。勝つ気力が沸かない。
俺はヒーローなんかじゃない。
なれないんだ。
「………さよなら」
別れの言葉。別離の祈り。
実験室、彼女が女だとは知らなかった頃、傷跡だらけの身体で話していた相手とは、こんなに歪な外殻で隔たってしまった。
青い仮面の奥、折れた牙の外殻の中で瞼を閉じる。
けれど。
「ふしゅぅぅ!」
長い尾が揺れて。
横薙ぎの蹴りが放たれていた。
金属繊維で編みこまれたレギンスが赤い装甲を捉えて一撃、相手を吹き飛ばす。
驚き、そして唖然としたままの自分の傍を通り過ぎ、赤い装甲が壁へ叩きつけられた。
「この馬鹿! 無事なの!?」
母親を思わす叱咤。荒っぽい口調の中に滲む優しさ。
巨大な足先に引っ掛けられ、半ば強引に立ち上がることとなる自分は、ふらふらと定まらない視線で、目の前の巨躯、細身の女性の下、キチン質の外殻に覆われた節足までを確認する。
「・・・クユ?」
「そうよ」
細い四肢、自分より随分と高い場所から顔を寄せ、こちらの様子を心配そうに確認している横顔。
なにもかも、自分が知っているものと違う気がする。
それなのに。
「戻ったんだ」
「そうよ。だからもう」
抱き締められる。思ってた以上に大きな胸の中に収められてしまう。
頼ってもらえることは、もうない。
けれど。
「私も、護るから」
それでも一緒に、居てくれるんだ。
涙が落ちる。装甲の隙間から染み出し、罅割れた装甲の間を流れていく熱い雫が。
自分はもう一度、立てていた。
こちらまで跳躍し、退いたシャンヤトが微笑んだ瞬間、膝の震えも止まる。
「三人パーティは基本でしょ?」
「そういうものかしら?」
「そういうものよ。第一、こんなに男の子が頑張ったのよ。あとは、おねえさん達の番」
「それもそうね」
人間年齢に換算した場合、おねえさんという年齢なのかは疑問だった。いや、そんな冗談を考えられるほど気分は持ち直していた。
外殻を軋ませて一歩踏み出す。零号との距離を、そうやって詰めた。
祈るような口調で口を開く。
「頼む。彼女を止めるのに、協力して欲しい」
「はいはい、解ったから」
「勿論」
簡単に引き受けてくれた二人がやけに嬉しかった。
充電してあった電気を体内に高い電圧で通電する。混ざり合ったエネルギーと電気が、別次元のエネルギーに昇華される。
混ざったエネルギーの名前は『魔力』。
その結果生まれるエネルギーは何なのか。
だが、それはどうでもいい。
「終わらせるんだ。零号」
瓦礫の上に立ち上がる彼女は無傷。ふわりと宙へ浮いたまま、彼女の周囲にはプラズマ球が発生していく。
「・・・いや」
「ここを出よう」
「いや、いや、いや」
ただ、全てを拒絶する彼女に告げる。
「閉じこもったままなんて、やめろよ。研究所はもうないし、僕も、君も、こんな身体でも」
「い、や」
「生きていくしかないんだ」
赤い装甲越しに、彼女は。
「いやだぁぁぁっぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
慟哭していた。
小規模なプラズマ球が殺到する。動かない体を無理矢理に動かす。
電磁界を全身にまとい、電磁力で外装を駆動させる。
「電磁躯体術、とでもしておこうか」
これで負担を軽減はできるが、制御系への負担も増大する。
長期戦は不利。
狙いも定めていないプラズマ球での攻撃を前に、散開した三人がそれぞれ動き出す。
膂力のあるシャンヤトは瓦礫を拾い、弾丸もかくやという速度で投擲する。
糸を操るクユは、射出した糸で集め、整形した建物の破片を盾に、硬化させた糸の束を槍に変化させ、一気呵成に攻め込んでいる。
直接的な攻撃を警戒したのは感電やバリアを警戒しての行動だろう。
そのくらいなら解るくらい、二人とは付き合ってきたのだから。
肉薄。打ち下ろした拳が纏うオーラに阻害され、彼女には届かない。
それでも振るう。
勢いのまま電磁躯体術によって体を操る。連続での攻撃で装甲が砕け、表皮が抉られ、割れ目から血が滴ろうと攻める。
連続での攻撃に骨が軋み、筋肉繊維が少しずつ千切れていく。
叩く。折れる。
蹴る。砕ける。
強度を失っていた身体は硝子より容易く壊れていき、痛みで脳が痺れ、次第に感覚も薄れていく。
相手に反撃させない為に、こちらが攻撃手段を失っていくギリギリの戦闘。
小規模な電磁バリアによる迎撃を加え、次第に外殻を削いでいく零号を前に、ついには顔すら割れた。
血飛沫が晒された右目の周囲へ飛び散り、肉が抉れた。弾けた皮膚が紙切れのように裂けた。
だが、振りかぶられた拳が。
「っらぁぁ!」
叩き込まれ、確かな手応えとして、零号の胴体を捉えていた。
最初の。
そして最後の好機。
「電磁」
たとえ敵になってしまったとしても。
彼女もまた、同胞で、友達で。
「拳!」
空中を跳ぶ。飛ぶ。電磁推進で前へと飛翔する。
拳打、殴打。
空中を流れる相手へ空を翔けて追いつく。磁力による浮力によって追撃する。
放たれたプラズマ球が腿を削り、肉が爆ぜる。
それでもまだ追いつける。
手を伸ばす。
大きく五指を開いた掌を握り直し、彼女へ向け、更に一撃。更に一撃。
そこへ左右から距離を詰めたシャンヤトとクユが、零号の放つ電撃の間合いへと踏み込んだ。
単なる余波、身体から放たれるエネルギーによって肌が焼かれ、焦げた表皮が崩れる。
だが、そのおかげで三方からの攻撃が精度と威力を上げ、ついには防戦に回る零号に対し、プラズマ球のチャージを行わせないよう猛攻を加える。
絡まった糸が足を引いた。
バランスを崩した零号が傾いた瞬間、電磁推進を最大で出力する。
反応しようとしたその腕を肉球付きの足先が蹴飛ばし、逸らす。
たったそれだけの間隙。
「超電磁」
巨大な力を振るう相手が動けなくなる一瞬。
彼女へ、拳を向ける。
赤い外殻に包まれているはずの彼女の顔が見えたように錯覚する。
その顔は、どこか呆然としていて。
それでいて、まるで静かに泣いているようでさえあった。
「ブラストおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおぉ!」
掌の中央、暴力的なまでのエネルギーが収束され、荒れ狂う奔流が一点に集中、絞り込まれた光が、小さな、ミクロンサイズの光の粒となる。
その光が、掌から放たれ、零号へ照射。
展開された超電磁バリアによって糸とシャンヤトが弾かれる様子がスローモーションとして視界に捉えられ、紫色の電光を伴うバリアへ、光の粒が衝突。
一瞬にてバリアが掻き消され、光の粒が彼女へ到達。
そして、
ばらけた光の粒が夢幻の如く細かな光の糸へと変化し、硬く、重く、強固な赤の外殻を削り、切り崩し、砕き。
砕いた。
白い肌が晒され、色素の薄い髪が広がり、無機質な、ともすれば感情を伴わない瞳が現れ、目尻から零れた涙が散っていく。
全ての外殻が破砕された彼女の裸体が、ついには崩れ落ちる寸前、既に屑鉄そっくりの様相となっていた自分が、辛うじて受け止める事に成功していた。
「はいはい、ナイスキャッチ」
「どう、も」
火傷だらけのクユが、憮然とした様子で呟く。
毛皮の焦げたシャンヤトに支えられ、脱力した自分は荒く呼吸を吐き出す。
柔らかく、そして思っていたより、か細く、弱い四肢を胸に。
彼女達と、そして幸運に感謝した。
辛うじて機能していた通信を使い、ツカハギを召集。強奪させたカーテンで彼女をくるむと、そのままビルの外へ搬出するよう指示。
あとは。
「っこいしょ」
「ほら、いい?」
「助かります………」
二人の手を借りて歩く。三人とも傷だらけで、特に自分は動けこそするものの、どこまで戦えるのか疑問な状態でもあった。
だが、調整用機械、そして。
首謀者だけは、絶対に。
そう決意し、辿り着いた場所。
ビルの屋上で見た光景は、自分達の想像しえないものだった。
「よぉ、遅かったな」
煙草を吹かす博士の右腕は、肘から先が失われていた。
それだけではなく、各所の傷は自分より酷い状態で、まさに満身創痍と表現すべき有様。
屋上は下層までが大きく抉れ、ヘリポートのヘリはスクラップ、地面には、銃弾を額と胸に打ち込まれた壮年の男が血溜まりに倒れ伏し。
どう見てもそこでは、全てが終わっていた。
「博士、その男は」
「首謀者、だった肉」
自分は彼の名前を知らない。彼の考えを知らない。彼が望んだ未来を知らない。
しかし、それを知る機会は二度とない。
肉の塊という表現そのもの、彼は命の灯火を失い、物言わぬ屍でしかなかった。
それはもう、人ではない。腐敗していくだけの亡骸。
終わってしまったモノだ。
何も言えない。
何も言わない。
自分だけではなく、その場の誰もが、無言のまま佇んでいた。1人だけで戦っていたつもりなどないが、やはり自分は、舞台の端役に過ぎなかったようだ。
通信機越し、施設全体の制圧終了と、機材の確保までが終了したと伝えられ、どれだけの時間が経過していたか、遅く理解する。
夜の終わる時間。
遥か遠くで、紫色の闇が、白に変わりつつあった。
「呆気ないだろ?」
「………かも、しれない」
呟く博士は、常とはまったく違う冷たい横顔で、濁った眼と、濁った声をしていた。
怨嗟。
殺意。
そういったものを放散する彼が、何を考えているは解らない。
けれど。
零号を蝕み、僕を変貌させ、幾人もの魔物の生き方を、狂わせた相手は。
肩透かしのように、あっさりと。
いなくなってしまった。
八月某日。ビルの損壊事件に伴う大会社の統廃合は経済紙の一面を飾った。
一切の真実が伏せられた背景には、カヌクイと呼ばれる謎の組織と集会の影あってのことと思うが、戦闘、襲撃に関しては何一つ記載されてはいなかった。
内容については、大規模なビル火災であったものの、幸いにも死傷者はビルに残っていたCEOの1人のみ。
しかし事件によるイメージの悪化を懸念してか、ロイヤリティホスティング社は同グループの別企業へ統合されることとなったという内容を皮切りに、グループ内での不正経理などへの言及や、経済省や検察の動きについてと、自分には何の関係もない事柄が延々と続く。
その裏、自分や、自分を含む状況といえば。
研究施設内。
結局意識の分離こそ叶わなかったが、意識の統合より先に分離することに成功。
体の正常化に成功した自分の目の前に、かつての恩人、児玉 好冬が。
「やぁ、迷惑をかけたな」
白いもこもこした巨体として、立っていた。
「博士………」
「なんだその残念そうな顔は! もう肉体はおじゃんになっていたのだから仕方ないだろう!」
ビッグフットの脳に移植されてしまった意識体、データ化されていた児玉氏は、鷹揚な様子で笑った。
「慣れれば存外に悪くない。ぬくいしな」
「そりゃぬくいでしょうね」
「おとーさん、毛が抜けるからあんまりうろうろしないでよ」
「手厳しいなっ! はっはっは!」
「あなた、あんまり裸でうろうろするのはどうかと」
「あっはっは!」
こんな様子である。後半は笑って誤魔化しているようではあったが。
呆れるやら感心するやら、こちらとしては『俺』ではなく『僕』のままでいられたことがありがたかったが、あまりに締まらない結末と言えよう。
締まらないといえば。
「ぶえっくしょん!」
「きたないわね。鼻ぐらい拭きなさいよ」
「ほんとにね」
風邪をひいていたラガンジュについては何一つ言うこともないが、残った二人、クユとシャンヤトは、相変わらず研究施設に居座っていた。
それだけではなく、その背後には金属化能力を有す銅像が執事服姿で給仕役、部屋の隅、壁際に佇む2m近い長身の女性の舌は二股に割れているし、別のテーブルでは見覚えのある中性的な容貌の女性と、ビッグフットをお父さんと呼んだ母娘がトランプに興じている。
自分は相変わらず記憶との途絶感を拭えないままだが。
最近は記憶がどうのこうのと悩む気分にもなれなかった。
「どうするんだこの状態」
「半分くらいハーレムだから文句ないだろう?」
「そういう問題なのかね」
カヌクイの属す家柄は静観と不干渉、集会は保護と能動的援助を約束する形で自分達は生かされ、人や魔物ですらない自分達は、宙ぶらりんのまま命を繋いだ。
自分は各組織下におかれた場所とはいえ、夏休み明けには学生に復帰できる予定だ。つぎはぎの記憶で戻る日常生活いうのも妙なもので、顔も覚えていない両親になんとか連絡をとった時はひやひやした。
そのくせ、残る怪人と魔物達もそこそこ今の生活を愉しんでいる様子で。
「仕方ないわね、私も教師でもやろうかしら」
呟くクユに対し。
「やめてくれ」
ぼやきながら溜め息で返す。
終わって、始まって、生きて、繋いで。
それで何が変わったのだろうかと、ふと思う。
どんなに大きな人生の激変があっても、どうせそれは生きているうちに発生するイベントの一つでしかなく、それまでの人生とそれからの人生の間、今という時間の1シーンに過ぎない。
あがいても、あきらめても、たのしんでも。
変わらないというなら、それはそれで素晴らしいのかもしれない。
「いいじゃないか。愛のある人生で」
「そう思うか?」
背後から抱き着いてくるシャンヤト。
それを押しのけようとするクユ。
立ち上がった児玉家の娘が楽しげに飛びついてくるし、零号は外した首を投げつけてくる。デュラハンという種族の特徴に悲鳴を上げてると、その首に頭へ噛み付かれた。
どこか馬鹿馬鹿しくも楽しくて。
鷹揚に笑うビッグフット児玉氏に、傍で微笑む児玉氏の奥方といい、騒ぐ人でない人型の女性達といい。
なんというか、変な光景だなと。
知らず自分も、泣きながら笑っていた。
求めて、選んで、欲しがっていたもの。
居場所と、家族というものが、まるでスロットのジャックポッドのような唐突さで、手の中に転がり込んだ今。
人でないけれど。記憶も不確かだけれど。
もうすぐ終わる夏という季節の中、熱い日差しの下で。
僕は、笑っていた。
― 終 −
11/12/03 11:54更新 / ザイトウ
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