連載小説
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盗掘屋と龍姫 前篇 ― 里帰り ―
 揺れる荷馬車の中、樽の間に座る二人の旅人が居た。
 一人は矮躯を東方衣装に包み、黒髪黒眼で、その暗い瞳は、容貌を不吉なものにする。その隣には銀髪の美女。無機質な美貌、陶磁器に近い純白の肌を東方衣を元にしたスカートとシャツで隠し、腕には碑文を思わす古代の文字が刻まれた石版が飾られていた。一見すると人間に見えるものの、この美女の正体はゴーレム、それも古代に偽りの命を得た古きゴーレムだった。
「お兄さん達は夫婦かい?ここらにある東方移民の村に里帰りってとこだろ?」
同乗に快く応じてくれた行商人からの言葉。老年に差し掛かった人の良い顔には笑顔が浮かんでいる。
「似たようなものだ」
男が伏せた顔を僅かに上げる。肩にした鉄棍が揺れ、先端がこつりと荷馬車の床を叩いた。
「む、息子さんをわ、わた、わたしに」
無表情なまま膝を抱える女は、ぶつぶつと何かの予行練習に没頭していた。
「読み込みにロスが生じました。新規に処理を開始します。LoadingLoadingLoading」
首を傾け、女は男の顔を見つめた。
「私、いい子を産みます」
「・・・そろそろ冷静になれ」
熱暴走で過剰な熱気を放出しているゴーレムの美女から距離をとり、男は、ひっそりと溜め息を漏らした。

 ――――――――――――――――――――――――

 男はシェロウと名乗る盗掘屋にして研究者を自認する東方移民、女はアレシアの名を持つゴーレム。彼の戦利品、ではなく、発掘の途中で拾ったという奇妙な出会いから、秘された墳墓の盗掘を経て、旅路を共にしている次第である。恋人、と言い切ってしまうような関係なのかも定かでないが、今回の彼等が向かう場所とは、行商人の言ったように東方移民の郷が目的である。
 東方移民とは、極東の島国から渡ってきた人間や、大陸の東にあるという大国からの人間が旅先で新たな故郷を見つけた結果、その地で民となった事を指す。犯罪者や抹殺された政敵の子孫、新天地を求める開拓者、ただ己の好奇心を満たす為に旅をしてきた結果など、素性は多彩であるが、唯一共通する点とは、異才や異能、秘術を操る者が多いという。
 奥の手として仙術なる東方の秘儀を操るシェロウにしてもそうだが、過酷な旅路の中、ここまで辿り着くにはそれなりの理由があるという事だろう。
行商人に礼を述べ、山間の獣道を登り始める。山林を慣れた足取りで進むシェロウは、背中にアレシアを背負っている。
「ここを抜ければ郷だ。大丈夫か?」
「少し――――ムラムラしてきました。背中の筋肉の感触が、とても素晴らしい」
「・・・郷はすぐそこだ。頭の傷の手当もできるぞ」
足と額を損傷したアレシアは、虚ろな眼でシェロウにしがみついている。つい先程、草叢から襲ってきたワーウルフを退けた結果なのだが、直接的な原因はアレシアの生体ミサイルの近距離爆発。馬車の上から様子がおかしいのは解っていたものの、もう少し気を配るべきだったかとシェロウも少し反省した。
「背中で胸が潰れてる感触、解りますか?」
「もういい黙れ」
草を鉄棍で払い除け、山林から脱出するシェロウ。目の前に広がった光景とは、奇妙に牧歌的な村の様子だった。
 木の骨組みや焼いた粘土板の屋根で造られた家々。走り回る子供達の簡素で汚れているが染色の綺麗な服。見た事もない樹が蕾を膨
らませ、気の早い木々からは、雪のような白い花弁が宙を舞う。天国ほど綺麗でもないが、人と大地の調和した異郷として全てが満ち足りた世界。
「おう、紫焔か?」
鍬を肩に歩いていた村人が顔を上げる。眼帯をした隻眼の老人は、痩躯だが無駄のない身体をしており、シェロウそっくりの雰囲気をしていた。顔立ちは違うのに、まるで写し取ったように挙動が似通う老人は、再びシェロウを別の名で呼ぶ。
「生きていたか。それで、背中の女は誰だ?」
逡巡と躊躇い。悩みながらシェロウは短く「相棒」と口にすると、老人と視線を合わせる。
「怪我をしているので休ませたい」
「戸なら開いてる。好きにしていいぞ」
「助かる」
見慣れぬ人間に周囲から声が上がる中、シェロウは古びた家の中へ入っていった。

 ――――――――――――――――――――――――

 頭痛と吐き気。ゆっくりと身体を起こしたアレシアは、痛む脛に巻かれた包帯に気付く。
 着ているものも薄手の襦袢一枚。明るい室内から察するに、まだ昼を過ぎた頃だと推測した。
「おう、起きたか?嬢ちゃん」
火の無い庵に胡坐を組んで座る老人が振り向く。口元に煙管、東方のパイプを咥えた老人は、急須から茶を注ぎ、庵の傍へ置いた。
「こっち来な。紫焔・・・いやシェロウってな名前を名乗っているんだっけか?あの餓鬼もそろそろ帰ってくる」
「・・・ここは?」
自己修復が正常に機能したのか、襦袢の前を直したアレシアが、慣れない服を着崩さず、庵へ座った。
「東方移民の村だよ。お前さんは担がれてここまで来たんだが、着いて早々に気を失ったのさ。ついでだが、俺の名は八雲。この村の村長もやってるが、紫焔、いやシェロウの面倒も見ていたモンでな」
白い煙を吐き、灰を捨てる。煙草盆には灰が降り積もっていた。
「で、嬢ちゃん、妖魅の類ってのは解るが、種族は何だ?」
「ゴーレムです」
「ごーれむ?聞き覚えはないが、まぁいい。野暮な事を聞くが、一緒に旅をしている時のアイツはどんな感じだい?」
「シェロウ、正確にはシエンと呼ばれるべき方についてですか?」
「ま、そうだ。何か用事があってここに帰ってきたのは解るが、黙ったままなんで気になってな」
「・・・そうですね」
気安い口調だけではなく、この場の雰囲気の所為だろうか。早々に警戒を解いたアレシアが考え込む。口にすべき情報と、する際に、どうまとめるべきかを考えた結果、あまり不適切な単語ばかりが脳裏を過ぎっていく。自重、ではなく、単純にシェロウ以外にそういった台詞を喋る気になれなかったアレシアは、自然と慎んだ言葉を選んでいた。
「遺跡の研究や探索を生業にして旅をしています。性格については冷静ですが臆病でもあると表現すべきでしょう。しかし、自身の恐怖を御すだけの胆力もあり、震えていようが畏怖していようが、必要な行動に躊躇しません。口数は少ないですが、多弁よりも好ましく思っています。考えが読めないのが常なので、こちらからアプローチしています。敵となった時を考えると怖くてたまりませんが、味方として共にしてきた時間は、何物にも代え難い素晴らしい時間ばかりでした」
ベタ褒めである。シェロウが居れば訂正もするだろうが、その時は実力行使で黙らされるだろう。口を口か舌で塞がれて。
「あんな餓鬼が、まぁ成長したものだ。それで、ここに来る前は何処に居た?」
「北部の山脈から南方領、諸王領を通り、ここまで来ました」
人の悪い笑みを浮かべるヤクモと名乗った老人は、愉快げに咥えた細い煙管から、灰を庵に落とした。
「そうか。では聞いた以上は質問にも答えるぞ。何か聞きたい事はあるか?」
誠実、というより、悪魔の取引を思わす老人の言葉。まるで、聞かせたくてたまらないという様子で待ち受けている。
「それでは。シェロウ、いえ、敢えてシエンと呼びましょう。彼の過去を、聞かせてください」
対するアレシアに躊躇は無い。
「だろうな」
老人は笑う。やはり、それを聞かせる為の前振りが今までだったのだろう。
「どっから話すべきか迷うが、順序だてていこうか」

 ――――――――――――――――――――――――

 今は昔。とある一族が居た。彼等は戦を経て掴み取った平和を謳歌し、生まれた場所が栄える為に尽力した。
 しかし、平和は長く続かず、共に平和を勝ち取った一族の手により反逆の汚名に穢された彼等は国外への追放を余儀なくされる。その後、国を捨てた者達は大陸へ渡り、長き旅の果てにこの地へ辿り着いたという。
「まぁ逆賊と呼ばれるだけの力だ。その手腕によって、集落も出来た。それから月日が過ぎ、彼等を頼って同じ流刑者や反逆者達も集まって村になった。そして俺も数十年前に流れ着き、同郷のよしみで里の一員とさせてもらった」
その頃、村の長をしていたのが逆賊の末裔、シェロウの父のおかげでヤクモが迎え入れられたのは、シェロウの生まれる前の話。
「そのまま、集落の長なんてものになっちまったのは、紫焔の親父が早死にしちまった所為でな。遺言で後を継がされた。それも紫焔が成人となるまでの期限付きのつもりだったんだが、あの馬鹿は郷を出ていっちまった」
何を考えていたのやら。そう締めくくろうとしたヤクモだが、不意に思い付いたように付け足した。
「通り名にしてあるシェロウの元となった呼び名だが、おそらく紫焔狼ってあだ名が元だ」
「紫焔狼?それはどういった意味で?」
ヤクモが煙管の先で部屋の隅を指す。その場所を見たアレシアは、表情こそ動かないものの、瞳を大きく見開いていた。
「文字通り、狼。郷を守る為に戦ってきた獣だ」
 その場に残された鉄棍。出歩く時には滅多に手放さない得物の意味、それを考えようとしたアレシアは、黙り込むしかなかった。

 ――――――――――――――――――――――――

 薄暗い山道を男達が走る。巨大な麻袋を手荒く担いだ男の一人が立ち止まると、呼吸を乱していた他の男達も足を止めた。
「こ、ここらで休憩にしようや」
「そうだな。ここまで来れば・・・」
引きつった笑みと共に、男達は座り込んだ。麻袋が地面へ転がされ、薄汚れた革鎧と長剣で武装した男達は、粗野な言動だけではなく、
どこか気味の悪い空気を発していた。
「ひ、ひひひひひ。あの魔術師、ボリやがったが仕事は確かだったな。この護符、本当に効き目があった。ざまあみろ東の猿が」
「そいでさ、これ、何処で売る?」
「諸王領にこれの売買を専門に扱う組織がある。確か盲目領だったか。そっちに渡りさえつけば、幾らにでも化けるぞ」
「いい気味だな。東の猿どもが化物と揃って居座りやがって。俺らの土地を何だと思ってやがる」
彼等の言う東の猿は東方移民を蔑視する際に用いられる言葉であるが、彼等がこの土地に貢献した事も無ければ、蔑視するだけの関わりもない。だが見下せば気分が良くなるし、自分達の姑息な悪事による劣等感を忘れる事ができる。ここまで堕ちた人間にはその程度の意気地しか残っていなかった。
「そ、その前にさ」
男の一人が、唇を歪める。
「浚ってきたガキ、誰から使う?」
途端に男達が笑い出す。救いようのない狂気を前に、森の鳥も去っていく。周囲から次第に気配が薄れていく理由がそれだけではないと気付く事はなく、一人の男の首筋が割れた。
「は?」
血飛沫が吹き荒れる。首筋から噴水のように溢れる血の雨を前に、男達が恐怖と共に慌てて剣を抜いた。
「き、斬られた!斬られたぞ!出てきやがれ!」
しかし、周囲にはざわめく木々しか見えない。物音も、匂いも、そして気配もない。森そのものに牙を剥かれた錯覚と共に、腰の引けた一人の右腕が斬り落とされた。
「ひ、ひ、ひ!」
引きつった声での悲鳴が漏れる。しかし、その間にも残る男達が斬られた。無音のまま銀光が過ぎった時、倒れ伏した男達の影から、一人の男が姿を現した。
 東方衣装に身を包んだ矮躯の男。しかし、その身からは毒の霧より深い殺意が立ち上っている。怯えに半狂乱となった男の首筋へ片刃が突きつけられ、首の皮へ触れた。冷たい気配を前に、男の正気は辛うじて保たれていた。
「お前の持つ護符、何処で手に入れた?」
「こ、ここから、山二つ越えた、町の、酒場、で、魔術師、から」
「その魔術師の特徴は?」
「み、右頬に刺青、鳥の絵の」
「そうか」
刀身が首から外れる。しかし、男の顔は既に青かった。
「た、たすけ、たすけてくれ」
しかし、麻袋から魔物の少女、気絶したアカオニの子を抱え上げた男からは、底冷えのする視線だけが返された。
「他の奴にでも頼んでみろ」
森の木々の中へ溶け込み、男が姿を消した。周囲からは、重傷を負いながらも死にきれない男達の呻き声だけが聞こえてくる。
 荒く乱れる息。故郷や母の顔を思い出そうともしたが、捨ててきたものを思い出せるほど彼等は賢くなかった。嘲笑しながら蹴った者の怒りの表情、強姦した女の怯えた顔、それらが怨嗟として彼らを取り巻き、悪霊達を傍へ呼び寄せている。悪魔も近寄らず、天使も迎えには来ない。
「た・・・たす・・・け・・・」
山の中、男達は悪霊の群れの中で息絶えた。

 ――――――――――――――――――――――――

 村の中で騒ぐ声が聞こえる。元々着ていた東方衣装リメイクの上下に着替えたアレシアは、手足の稼動チェックを終えると、履き物へ足を入れる。声の中に彼の低い響きは聞こえなかったものの、帰ってきたのだと直感で解る。なんとなく、と言ってしまうのは奇妙だが、センサに拾えない情報が事実を伝えている。
「紫焔が戻ってきたぞ!」
「八幡んちの娘は!?」
「無事だ!無事だぞ!」
騒ぎの中心、赤い肌をした少女、魔物の子を抱えるシェロウが、その視線をアレシアへ向ける。熱も感情もなかったその顔が、僅かに緩んだ事がアレシアには解る。
「お燐!無事かい!」
年若い母親へシェロウが少女を渡す。泣いて喜ぶ母親とは違い、少女は呆然とシェロウの顔を見ていた。
「着いたぞ」
シェロウの硬い掌が乱れた髪を整える。途端、正気に戻ったのか、十三、四の少女は母親の胸に顔を埋めて大泣きに泣く。
 事情は知らないが、彼女達の危機を救ったのだと納得する。彼の行動原理は未だに難解だが、悪人とも善人とも言えないという程度には理解していた。少なくとも、悪人であれば、機械仕掛けの自分を丁寧に扱うはずもない。
 仕事を成したであろう腰の得物を見る。反りの浅い細身の太刀には、鍔の端に、ほんの飛沫程度だが血液が付着していた。センサ類の感知した血液反応に加え、強く地を蹴る為に擦ったのか、履き物にも細かな傷がある。、つい先程まで戦闘、もしくは戦闘に近い状況であったらしい。
 シェロウの視線がアレシアと合う。僅かに心臓が跳ねた。どうしてか解らないまま、落ち着かず、軽く身震いしたくなるような緊張が身体を伝わっていく。 
 これが恋という感情なのか。
 そこまで考え、思わず自嘲する。感情の演算速度を意識的に落とす。考えたくない、と、演算処理の手順を脳内の回路の幾つかで迂回させた。自分に、心があるかどうかも解らないというのに、人間の真似をしてどれだけの価値があるというのか。
そう悩む反面、大事にしてくれるシェロウに、今すぐ抱きつきたくも思う。
 私は私を解らない。私が在るかどうかも解らない。この感情が、主従という関係に対するプログラムからの反応ではないのか不安でしかたない。
 そして、それは彼もそうかもしれないと、漠然と感じ取ってもいた。
 アレシアは、表情の動かせないまま、歩み寄るシェロウと向かい合う。手の届くか届かない距離で。
 もし、ここから手を伸ばせば、自分の想いが解るのではないか。そう直感的に思うも、プログラムでしかなかった時を思うと不安でしかたない。
 僅かな沈黙をどう捉えたのかは解らない。無表情ではないものの、感情を表に出さないシェロウは、いつでも暗い眼を静謐に保っている。
 出会った頃に比べ、その淡々とした表情は今も深みを増している。
「・・・元気か?」
安堵した。本当に聞きたかった言葉とは違うものの、どこか不器用に、下手糞な笑顔を見せようとしたシェロウは、アレシアの長い銀髪へ手を伸ばす。
「・・・貴方の元気な部分が欲しいです」
つい、口にしてしまった言葉。やっぱり思考ルーチンにバグが在るのだろう。
「阿呆」
額を拳で突かれ、思わず憮然とした口調で「痛いです」と返せば、「そうか」と受け流される。この関係のままでもいいかと、不思議な満足と共に彼の後ろに続こうとした時、村の中から音が消えた。
 驚きより先にアレシアはシェロウを見る。その顔は、なにか、そう、卑猥で淫猥な単語を口にした時と同じ顔をしていた。
 一般的に『呆れ』や『疲れ』といった表現と合致する、なんでこう面倒な事に付き合わなければならなのかという表情。
 山裾の建物へ続く石段を、瀟洒な衣装を着た美女が降りてきている所だった。
「龍姫が・・・」
誰かの呟きを皮切りに、ざわめきは全体へ広がった。人でなく人の形をした存在、魔物、その中においても、アレシアは一度として見た
事のない存在が近付いてくる。
 長い蛇とも鰐とも見える尾、蜥蜴のような指の足、巨大な爪を備えた手、樫を思わす節の多い角、各所を覆う鱗、
そして、肌そのものも、白銀に近く煌く。
 地に着くのではないかというほど藍の色合いをした長髪は、幾重にも重なる編み込みとして結ばれ、藍は白目の無い碧い瞳は、縦長の瞳孔をぴくぴくと揺らし、僅かに持ち上げられた碧い唇が微笑に近い表情を浮かべている。
 長身、折れそうに細い身体にアンバランスな女性の丸み。どこを見ても人間ではなかった。
 ともすれば気味の悪いそれらが優美にすら見える理由は、彼女の内面から滲み出す気品が関係しているだろう。
「ドラゴン・・・」
思わずアレシアは口にしていた。
 過去にも龍で在りながら人と共に生きた存在を記した文献は多いが、時に古代の碑文の中や、遥かな極地の古書に名を見る事も在る伝説の存在。
 だがしかし、その実在や真偽すら判然としない種族が、まさに目の前に立っていた。
 相対してみればセンサ類が狂ったように警戒をプロセッサに届ける。魔力も存在感も、神性に等しいレベルが肌で感じ取れる。
「帰ったか。末よ」
 平坦、抑えられた声。
長い袖、幅広の袴、細かく繊細な紋様の数々。武芸者とも祭事者とも見える格好を前に、自然体のシェロウの背後へ移動するアレシア。警戒というほどはっきりした敵意は感じないものの、静かな威圧感が肌から骨格を通し、身体の奥を侵食してくるような錯覚が脳裏を過ぎった。
「紫焔、ちと時間を割いてもらおうぞ」
笑っているはずの顔からは、どこか危険な香りが感じられていた。

 ――――――――――――――――――――――――

 明け方に神宮へ来い。それだけを言い残し、龍人は去っていた。村人達のざわめきも消えた頃、シェロウ達もヤクモの家へ戻った。
「あのドラゴンは、誰です?」
神妙な面持ちでシェロウへ尋ねるアレシア。夕餉を囲む面々の中、他の二人はごく自然な様子で煮込み芋を頬張っている。
「今は昔、東方からの移民を助けた守護の龍族の末裔。東方で神に次ぐ力を振るっていた中でも、一族最後の姫君だ」
味噌汁をすすり、シェロウはたくわんを口に運ぶ。
「村の人間は龍姫様と呼ぶんだが、普段はお社から出てこない。本名を知っている者も今では数えるほどだ。神通力一つで天候すら操る御方で、この村を今でも護っているわけだ」
白米と焼いた川魚を交互に口に運ぶヤクモ。食糧事情はかなり良好のようだ。
「そのおかげで、最近じゃここらは迷いの森っつって、人も寄らなくなってたんだが、何であんな馬鹿が入り込めたのやら」
「護符を渡した魔術師が居たらしい。恐らく、あの人間達は斥候の代わりだろう。教会勢力の関係者でなければよいが」
「はっ、また馬鹿も居たもんだ。痛い目見る事になるまで直らんのかね」
「かもしれない」
早々に食事を片付ける二人に急かされ、アレシアも食事を済ませる。
 ヤクモを始めに、シェロウ、アレシアが、木製の風呂桶で湯に浸かり、最後のアレシアが上がってきた頃には夜半を過ぎていた。
 濡れた銀髪を拭いながら出てきたアレシアは、月光に照らされる青年を見る。
 その姿は鴉を思わせる。
 これだけ黒い髪と眼ばかりの場所でさえ、彼の黒は色合いが違うように感じた。
「シェロウ」
縁側に座るシェロウが肩越しに振り向く。ヤクモは余所者について話し合う総会に出張っており、家には二人しか居なかった。
「座るか?」
「はい」
銀髪を手拭で纏めたアレシアが、胡坐をかくシェロウの傍へ座った。夜の涼しげな空気の中、矮躯のシェロウは、その身体から力を抜いている。自分と同じ寝巻き姿に心臓が高鳴る。回転数と吸気運動が急激に速度を上げていく。
「話を聞きました。貴方についてです」
ぽつりと、アレシアが言葉を漏らす。
「そうか」
シェロウは動じる事もなくその言葉を受け止めた。聞かれて困る事でもないと。
「ご家族は、もう」
「あぁ。母は早くに亡くなったし、父も既にいない。八雲の爺さんや、村の人間達に、育ててもらったようなものだ」
「この郷を出た理由は?」
「さて、何だったろうか」
乾いていない髪を、シェロウの乾いた手が何度か撫でる。気配も音もなく立ちあがったシェロウは、庭の中央に立つ。
「ただ、我慢ならなかったように、覚えている。自身の役目というものに」
「役目ですか?」
風来坊という言葉がぴったりとくるシェロウの言葉に違和感を覚える。何がしかの役目や立場の中、思慮深く物事を整理する姿が想像できない。
「お前には見せておこうと思う。龍を伴い異国へ来た一族の、残影を」
シェロウの指先が動く。空間に何かを編み上げているような複雑な動作から、人差し指と中指を伸ばす独特の手を作り、何の気配も、魔力や空気の震え一つ無く、指先が横一文字に振り抜かれた。
 風を斬る。
 何か、形容のし難い原初の力のようなものが通り過ぎた事だけは、アレシアにも感じ取れた。しかし、呆然と気配の残像を追った先、小さな庭石が一つ、真っ二つに割れた光景を見た時、背中の触覚センサが細かく震える現象、人間でいう怖気のようなものを身体が感じていた。
「ヒトツゴ、そう呼ばれる人の子が得る力の一端だ。風と同等に駆け、魔を打ち払い、神性を穿つ。そういう力だ」
「ヒトツゴ」
「俺の生国では、額に文字を書いて魔除けとするものを古くはヒトツゴと呼ぶそうだ。額にバツ印を書くアヤッコというものや、男なら『大』の文字、女なら『小』の文字を書くヤスッコなるものなどがあるが、それらの本来的な意味は、神との合一を求める呪法で、あらゆる厭魅、あらゆる呪いを防ぎ、神そのものになる術だと聞き及んでいる」
いつもより多弁なシェロウの様子。それがどこか、アレシアには悲しく見える。
「それになぞらえ、俺の血筋では、人とは、異なる力を持ち得る者、人には担えぬ、重荷を担う者という、意味を込め、ヒトツゴと」
「それが嫌で、村を?」
「そうだな」
縁側へ顔を向けるシェロウ。感情の抜け落ちた独特の表情。何時もの無表情とも違う空虚さにアレシアは胸を押さえる。
「解らない」
その言葉、その結論を認められるだけの心の在り方が、旅という苦境で身に着けた胆力だろう。どこかすっきりとした表情で、シェロウはアレシアへ視線を定めた。
 漆黒、暗闇そのものに近い眼には、悲しみも、後悔も映ってはいない。
「朝が早い。眠ろう」
瞬間、アレシアの脳内パルスにノイズが走った。
「やはり、夜這いは帯をほどくのが醍醐味ですか?するりと脱げ落ちる刹那こそが美の極みだと」
「・・・頭が痛むなら、眠れるまで付き合おう」
善意で口にしたシェロウの言葉。その意味をどう解釈したのかは、アレシアが股関節のジョイントを確かめた事で解った。

 ――――――――――――――――――――――――

 月が地平線に消える前。上半身をはだけたシェロウが独り、庭に立っていた。ぼんやりと、意識すら希薄に見えるその立ち姿からは存在感そのものが霧散していくようだ。風であり、夜であり、土であり、単なる流れだ。点として定まっていない独特の技術こそが、口伝でしか伝えられない秘技の一種であるなどと誰が解るだろうか。
 彼が研鑚してきた技術。アレシアと会った当初は、彼女にすら隠していた幾つもの異能。
「秘伝が一、『無明』か」
庭先、分け入ってきたヤクモがぼそりと呟く。身体からは酒気が漂っているが、その眼の奥では研ぎ澄まされた闘気が揺れている。
「様になってきたな。旅はどうだった?」
「・・・酷く、難しいものだった」
過去の出会い、そして別離。
 再会を果たせないままの潰えた初恋の相手、共に戦った戦友、共に学んだ学友、ただ一瞥を交えただけの知人、共に暮らした若き同胞等だけではなく、語りきれない今までの旅路もまた、未だに終わりは見えないまま、苦労と出会いを繰り返してきた。
 魔物であれ人間であれ、誰もが誰かであった。
「ここへ来たのは、おそらく最後の機会だったからだと思う」
「もう、戻らないつもりか?」
「違う。だが、似ている」
「つまり?」
「決別、のようなものだ。俺の役目を終わらせる」
「そうか」
深く問おうとはしなかった。何らかの意味は、彼の中にしかないのだろうから。
「久しぶりにやるか。構えろ」
「応」
喉の奥を鳴らすような短い呼吸方法と共に、仁王立ちしているだけなのに、両足から骨が失われたように立っている軸が解らなくなるシェロウ。それだけの様子で半身に構えたヤクモが舌打ちした。
「そんな技、教えるもんじゃねぇな」
「感謝している」
シェロウが動いた。しかし、地を蹴った瞬間から後、すぐに重心移動が不明瞭になる。
「くそっ、気持ち悪い動きばっかり巧くなりやがって」
気持ち悪い、というのはまさにシェロウの動きを表現したものだった。
 右、左、止まらず、点とならない動きで接近してくる。まるで波のようにたゆたう動きが、捉えきれないものを不快にさせる。
 それだけではない。動きのリズムや、動作そのものに技があるのか、軽い酩酊に近い状態へ相手を引き込む。瞬間的な眩暈の所為で相手は的を絞れない。
「だが、まだ甘い!」
「っ」
息を呑むシェロウの側頭を、足が撥ねる。咄嗟に受け流すも、続け様に薙ぎ払うように蹴撃が襲う。
 一定範囲を薙ぎ払うかの蹴りによって、シェロウの動きが制限される。それによって酩酊に陥る踊りに似た動きが弱まった。
「貰うぞ!」
素早く跳ね上がる前蹴り。力強く、そして速度も申し分のない一撃だった。
 それでいて当たらない。軽く後退したシェロウは、両腕を垂らすような姿勢で頭を下げる。
 重心が下がった。同時に膝が屈伸される。
 前へ跳躍すると同時、腕が蛇のように絡もうと迫る。咄嗟に肘と膝による迎撃を行うヤクモであるが、額へ膝が当たってさえシェロウは退かない。巧く打点を外して距離を更に詰めた。
「せいっ!」
 手足を折り畳むようにして身体を丸めるヤクモ。その身体が弾丸のように突進してきた。近距離からの体当たりにもシェロウは怯まず、体勢を沈めて腰へ肘を叩きつける。打点こそヤクモも外すものの、その肘を支点に体勢を崩された。
「手を抜き過ぎだ」
帯を掴み、雪崩のように地面へ叩きつける。その速度と瞬間的な馬力の前に、老人はなす術もなく地面へ転がされていた。
 直下ではなく、水平に近い斜めに地面へ叩きつけられた事で勢いは殺されている。
「ったく、最後に手加減までしやがるとは、嫌な餓鬼になったもんだ」
「指導があった故に、だ」
庭に寝転がったヤクモは、そのまま言葉を続ける。
「剣術は教えたが、剣の方は二流、無手の技ばっかり巧くなったな」
剣術、というのは、古来にして本来、東洋剣、刀を使う為の武術そのものであり、そこには、抜刀までの技術から抜刀後の技術、さらには戻しまでを、刀だけに頼らぬ技、無手での柔術や打撃術などを総計するほどに多様な面から成っている。
 受け流してからの投げ。
 柄尻を使っての打撃、鞘を使っての奇襲、抜刀せぬまま刀を痛めずに打つ作法。
 拳や膝を使い、刀すら用いず相手を倒す技。
 そして、太刀筋を一閃と無し、斬鉄すら可能とする剣技の冴えを得るまでの修練法。
 それぞれの技が統合されてこその剣術である。
 それすら忘れてしまっていない事に、シェロウは僅かに安堵した。自分は東方の民であり、そこは変えようが無い。
 変わらなければならない点もあれば、そのままでこそ正しい点もあるのだと再認識すると、どこか心が落ち着いた。
「明日が、最期に、なるかもしれんな」
「お前の親父はそうだったが、お前もそうだとは限らん」
 それが彼なりの励ましであると、苦く笑うシェロウにも解った。
 筋肉から力が抜ける。
 空では、夜明けが近付いていた。

 ――――――――――――――――――――――――

 長い石段の頂上。目的地へ辿り着いたシェロウとアレシアは、その威容の前で沈黙していた。
 石の鳥居、石畳の道、その奥には、紅く彩られた御殿を思わせる社が聳えていた。その大きさは、村の家々の数倍はある。
「凄い、ですね」
「あぁ。久方ぶりだと、さすがに肝が冷える」 
何時もと同じ黒い外套と東方装束姿のシェロウは足を進める。遅れぬよう、着慣れた東方衣装リメイクの格好をしたアレシアが続いた。
石畳を進み、お社の前に立つ。賽銭箱と鈴の奥、突然に開いた神所から歩み出てくる龍姫は、神々しいと同時、あまりに硬質な気配に満ちている。
 有り体に言えば、畏怖を感じるほどに強い存在感があった。
「紫焔、用向きは解っておろうな」
「是非もなく」
「良かろう。来い」
翻る裾。社から離れた塚の如き場所へ進む背に、二人が続く。
 社の裏手に丘のように土が盛られ、石に囲まれた場所が在った。
 墓所にも見えるが、遺跡とも見える。
「お前さんは知らないだろうが、ここは奈落ってんだ」
飄々とした口調で、石畳をヤクモが歩いてくる。神域であるはずの境内を、さも庭のように闊歩できるという神経は凄い。
「八雲」
龍姫の咎める口調に、ヤクモは笑って取り合わない。
「ま、遅れたのは謝るが、見届けなんざ、いらんだろうに」
「役は役ゆえに」
「お堅いことで。ま、紫焔は頑張れや」
「応」
場の中で孤立しているような感覚に、つい、アレシアはシェロウの腕に掴まる。それだけで察したように、シェロウはアレシアへ頷く。
「ヤクモ、説明して欲しい」
「こっちのお嬢さんにか?まったく、無精だな」
草履の裏を擦り、塚の石を登るヤクモ。移動した四人が見たのは、巨大な鉄扉だった。
「ここは奈落っつう名前で呼ばれている、遺跡となるほど古い墓所で・・・まぁ、お前らの言葉ならダンジョンって奴だ。この最下層に、二百年に一回、ないし二回、復活の機会を得る化け物が居てな。それを退治して再度封じるのが、この紫焔の一族が担ってきた役目ってわけだ」
言葉の意味に気付き、アレシアはシェロウの腕をきつく掴む。
 無表情なままのアレシアからの視線に、シェロウは意味を理解する。それができるからこそ、彼女を相棒と呼べるのだろう。
「神器のうち、残っているもの中から二つ、どちらかを貸す。失する事なきよう無事に戻れ」
宙で光が弾けた。光の粒子が雪のように降り注ぐの中、彼女の手の上へ鉱石の飾りと黒い石の剣が浮かんでいた。
「ウズメの勾玉とタヂカラヲの剛剣、好きな方を選べ」
一つは僅かに湾曲した紅い鉱石の飾り、一つはシェロウの背の高さほどある石の塊としか言いようのない無骨な鉄の剣だった。
「これは、何の儀式ですか?」
「簡単だ。あの神の道具がなければヒトツゴでも抵抗できぬほど巨大な敵なんだよ。加えて、討ち死にしても神器の力で封印を強化できる」
「それほどなら、あの龍の御仁に」
「それは駄目だ」
シェロウが短く呟く。口調にも表情にも変化は無い。それでいて、静かな闘志のようなものが燃えていた。
「女性を身代わりにはできない。そして、ここは龍を失えば、隠れ里という形すら失うだろう」
その言葉にヤクモが笑った。喉を鳴らす独特の笑い方は、やはりシェロウに似ている。
 それとは違い、龍姫は顔を伏せ、目を閉じている。
「今の言葉、覚えておけよ。お前がやるっつたんだ」
ヤクモは笑う。だが、今度は嘲るように低く。
「解っている。龍姫、こちらを」
「うむ」
ウズメの勾玉と呼ばれた曲がった石の紐が解け、腕へ巻かれた。
琥珀を削った独特の色合いが、朝の風に揺らいでは輝きを移ろわせる。
「では」
門である石の戸の上にシェロウが立つ。
「シェロウ、私は」
「帰れ」
「・・・!」
決然と継ぐ言葉を断つ。暗い瞳の奥で燻る炎、それは決意と呼ぶにはあまりに黒い炎だった。
 自分が帰らなければ、この地を去れ。それだけの言葉に、彼が何を伝えようとしていたのかアレシアは理解できなかった。
 思考回路は、ゆっくりと熱を帯びていく。
「奈落を開く」
龍姫の言葉に、シェロウが頷く。揺れる石戸の上、鉄棍を肩に緊張していた。
「行け」
言葉少なげに命じる龍姫に、暗い眼が微かに閉じられる。
「陸呂《リクロ》、アレシアを頼む」
「な」
腰に差した得物へ手を添え、瞼が閉じられる。言葉を返そうとした龍姫の目の前、シェロウが開いた門の中へ落ちる。一瞬にして闇へ喰われたように消えていく姿を視線で追うものの、リクロと呼ばれた龍姫が舌打ちまでした。苛立たしげに瞼を閉じた彼女は、裾を翻して本殿へと歩いていく。
「あの、シェロウと彼女は」
残されたアレシアは、隣で煙管へ火を点け、軽く煙を吹かすヤクモへ問う。
「さぁ、何て言えばいんだろうな?」
とぼけたヤクモは、リクロと呼ばれた龍姫の後へ続いた。
沈黙したまま残されたアレシアは、考え込んだまま、緩慢な動きで二人を追った。


                     
                                         ―――― 盗掘屋と龍姫 後篇へ続く ――――




11/09/22 15:16更新 / ザイトウ
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■作者メッセージ
ものすんごい過去作を引っ張り出してきた感。
ザイトウです。
ちなみにこの話、健康クロスさんがドラゴン種を発表するより前に放置した作品でした。当時は龍がいなかったので、そのままお蔵入りになったという経緯があります。
うわー、自分も覚えてないくらい昔でした。読む人いるのかも疑問だったり。
さて、内容に関してはいくつか修正しましたが、その所為で誤字脱字があるかもしれないので、今回もそれらのご指摘お待ちしてます。
では、2、3日中に後編も公開予定ですのでよろー。

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