連載小説
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イザナギ一号_x2:番外編『逃亡必死のチキンラン! 中篇』
 さぁさぁそこ行くイカした兄さんよっといで。富豪のおじさんお耳を拝借。
 泣く子も売り捌かれる盲目領が娼婦街とくりゃ、お好きな国なりお好きな種族なり、お声をかけていただければ誰であれ都合しますよ?
 何? それなら会いたい男が居る? お嬢さん幾らお持ちで? ほう、二代前の王国銀貨幣だねこりゃ。銀の含有率がいい時のだ。解ってるねぇ何でも喋りますよ。
 それで、会いたいってのは誰だい?
 娼婦街に住んでいて、毒を使う盗賊? 盗賊団ではなく盗賊? 一人商いの。
 そりゃあのクソ野郎だな。
 間違いないとは思うが、あの男に何か恨みがあるのかい? だったらどうするって? とりあえずは止めとこうと思ってね。なぁに貰った分の忠告くらいはたかだか娼婦通りの案内人だってするさ。やめとけやめとけ。人生の無駄だ。
 俺ぁあの男ほど卑怯な野郎は見た事ない。敵にゃ容赦ないよ。味方にゃちっとばかし甘いがね。
 それでも行くのかい? ま、人生は自分の勝手だ。他人にゃ決められねぇ。好きにするといい。
 それではお嬢さん、お達者で。
 まいどありぃ。

 盲目領。
 紛争や戦争、争いの絶えぬという諸王領内においても特異な夜の都、享楽の都市として知られる無法地帯。
 巨大な湖に浮かんだ船舶がひしめき合い、長い歴史の中で一つの人工島に近い様相が出来あがった場所である。軍船商船、ともすれば砕けた岸壁まで、足場になればそこが商人の塒にもなり娼館の軒先でもある。 
 その特異性と統治はすれども支配はしない領主によって、欲望が燦然と輝き、堕落を水に歴史が培われてきた背景がある。
 貧民窟の隣、娼婦街の端。
 今日もそこかしこで嬌声が建物を軋ませる。
「ん、あぁ、う、うぅん」
女の声に合わせてベッドが揺れる。波の音に合わせ、肉の混ざる生々しく獣の臭い漂う行為が続けられる。
 男と女、そしてベッドの傍には短い蝋燭。
 仮初の恋人を買う時間と同じ長さの蝋燭は、その細く短い蝋を金属の燭台で溶かし、逢瀬の終わりまでを静かに刻む。
 男は汗に濡れた身体を必死で動かす。粗末な棒っきれを女の中に押し込み、ざらつく膣の感触を先端の凹凸で確かめるように押し込む。
「あんっ!んんん!」
下になっていた女の足先が跳ねる。甘く濡れた大事な場所に当たったらしい。
 その快感に震わした全身の余韻も収まらぬうち、指先が燭台の金具を弾く。
 蝋燭の火が消えた。蝋を残したまま。
「あ」
男が間抜けに呟く。ぼんやりとした視線を女の顔へ動かすと、その頭部には二本の角が伸びている。
「倒れたんだがね」
「いいから」
魔物。女の肉と人間の知恵を得た種族。そのうち、オーガの名で呼ばわれる鬼の眷属は、薄く緑に近い肌を汗に濡らし、上気した頬を笑みに緩める。
「今日は、貴方とだけ眠るの」
こんな街ではそこかしこの窓から聞こえる口説き文句である。しかし、男は何も言わずに女を抱きしめる。
 人を殺した金で女を抱く。奪った金で時間が買われる。
 女は娼婦。見ているのは男の懐と身体。おまけが心。
 けれど、この瞬間に感じた温かな感情までは互いに否定しない。人なのだ、そういったものを感じる時だってある。
 女を抱く。
 そして明日の朝、何も言わずに自分の塒へ帰っていくのだ。
 それが娼婦街の日常。

 股の真ん中がすっきりした気分で水を浴びる。娼館の狭い風呂場なので腕を打った。
 汲み上げられ、船の貯水槽で溜められた湖の水。桶の中に小さな魚が浮かんでいた。
 盲目領は水だけは溢れている。そして魚は排泄物と人の死骸で肥え太る。なので、釣り糸さえあれば飢えない。
「大きくなったら、またな」
 魚を窓から湖へ戻し、男は身体を洗う。
 三杯、四杯、建物に溜められた水を使い切るように浴びた。蛇口を捻ればどこの店でも貯水槽から水が滴る。
 中肉中背。黒髪、隻眼で片方には鋭い刀傷が奔っているものの、残る片方はどこか眠たげな眼。あとは長い犬歯が三対。
 着る服もまた麻の上下に脚絆となめし皮の靴。何処にでも居る普通の格好。
 その上に革のベルトとベスト、ポーチを幾つもぶら下げ得物まで吊るすと、少しばかり変な男。
 額に布を巻き、麻の掠れた青色と、革のくすんだ小箱をぶら下げたベルトを身に纏う。そして腰には三本の短刀。
 日に焼けた肌、歳の頃20代前後の青年は、懐から汚れた紙を出すと部屋の丸盆に置いた。
「また来る?」
僅かに身体を起こした女の問い。男は窓縁に足をかけると、周囲を確認して後ろ脚へ重心を落とす。
「解らない。まぁ、金があって、気が向けば」
「そう。アンタなら今度、安くしといてあげるから」
「いいのか?」
「いいの。ここの店主は無理強いまでしないから」
女は寂しそうにもせず紙巻き煙草へ火を点ける。その顔には微笑。
 赤い炎が唇の前で揺れる光景をしばらく眺めると、男は懐から何かを取り出し、彼女へ投げた。
「っと。何これ?」
「予約」
料金は先払い。お帰りは窓からでも文句は出ない。
 そのまま向かいの建物の壁や外壁の凹凸を足場に外へ出ていく背中を見送ると、女は受け止めた石ころを一瞥する。
「へぇ、綺麗」
色のついたガラス玉。赤い色を月光に透かしてみると、まるで太陽のように輝く。
 その背中に届いた荒っぽい足音。隣の客もお帰りのようだ。途端に外では甲高い声と怒号が飛び交う。追剥ぎかもしれない。
「今日も平和だねぇ」
煙草の火が口元へ迫ると、何も言わずに彼女は煙草を飲みこんだ。
「ぬるい」
牙の並ぶ口の中に火傷などない。
 魔物が抱かれていた夜も更ければ、じきに夜明け。

 近年、盲目領では大きな変化が起きた。発端は錬金術師崩れが司法領におけるあの銀なる銃の複製を試みた事である。
 銀の銃とは、司法領の最高戦力とも呼ばれる法規警邏官、通称ハイドマンと呼ばれる者達の証であり、その脅威を知る者も少なくない。
 錆びず、大砲に倍する威力を持ち、どんな物でも滅す。加えて、戦場で銃が主戦力とならなかった理由、いかなる魔術式による妨害も通用しない。
 その再現を試みた錬金術師崩れであったが、再現は叶わず、残ったのは盲目領で最も力を持つ商人連合《ペッパー・ユニオン》への大きな借金。
 錬金術師は湖の藻屑に、残った研究資料は僅かばかりでも借金の代価になればと回収された。
 その、研究資料が問題だった。
 精密な銃の設計図。
 材料の練成と魔術的な効果の付与は失敗に終わっていたものの、銃の設計は完璧に近かった。元々、錬金術師崩れは司法領の工房出身者だったらしい。
 結果、劣化複製品が出回る事となる。
 拳銃の大量流通。
 現在、銃で稼がれ、流入した外貨による盲目領の好景気と共に、盲目領は狂騒に近い様相を呈している。
 死と富、闇と光。
 それらが混然とした都市こそが、この湖の孤島、廃墟を重ねた人工島だろう。  
 それでも。
「おい盗っ人、覚悟ぁできてんだろぉな?」
「………これは困ったもんだ」
周囲全てが拳銃を構えるような光景は、なかなか見られるものでもないだろう。
 銀の銃を基礎としているだけあり、シリンダーと呼ばれる回転型の装填機構によって六発の弾丸が連続して発射される。
 無論、劣悪な複製品である以上、正常に動作する確率は五分が精々、悪ければ二分である。
 それでも、20も30も銃口が並んでいる今、半分当たれば死は必定だろう。
 両手を挙げるも、その格好はソファーへ腰を下ろしたままである。
 囲まれている黒髪の青年、盗っ人と呼ばわれる彼は、辟易した様子で椅子へ体重を預けている。
「ニシギナの親分、毎度毎度こすっからい一人働きの盗賊にそう熱くならんでも」
「これが落ち着いてられるかぁ! 緑青ユダイ! 今度は南方商船の積み荷に手を出したろうが!?」
ニシギナと呼ばれた男は心から叫ぶ。壮年、一見すれば年季を重ねた戦士の面立ちをしているものの、髭面がヒステリックに叫ぶ様子は、あまりに器が小さい。
 それに比べ、青年の方は泰然自若。ともすれば面倒そうにニシギナの方を見る。その様子にまたニシギナは激昂する。この繰り返しである。
 この二人の関係、一見すると奇妙に見えるかもしれないが、周囲で銃を構える男達が引き金に指すらかけていない様子からも馴染みの光景なのは確かだ。
 盗賊ユダイ、または緑青(ロクショウ)のユダイ、それが青年の通り名である。緑青というのは錆のことで、それだけ厄介な相手という揶揄を込めての呼び名でもある。
 得手は毒。その雑多な知識は一族秘伝とも嘯き、事実、揮発性、即効性と、自在に使いこなす。
 本来ならこの寝床ももまた、雑多な薬物で埋め尽くされているはずなのだが、押し入った彼等とて瓶を一つ二つしか見た事はなかった。毒の調合場所は別らしい。
「商人連合から文句が入ってだな。もしお前ならただじゃおかないときた。場合によっちゃ難癖つけて直接引きずり出す腹積もりだぞ」
対して、このニシギナは、娼婦街の一角を取り仕切る名の知れたやくざ者である。ニシギナ組とも聞けば周辺の人間は随分と嫌な顔をする。
 嫌な顔はするが、嫌ってはいない。そんな集まりではあったが。
「それじゃあ、しばらく隠遁でもするかね。ご忠告どうも。さて、どこの塒に潜り込むか」
 ユダイが部屋の隅に転がっていた鞄を担ぐと、やれやれとばかりに銃口を下げる面々。ニシギナは回転弾倉を一度確かめると、苦虫を噛み潰した表情で撃鉄を元に戻した。
「それじゃ、御達者で」
「帰ってくるな。クソ野郎」
そうは言うものの、このやたら面倒くさい青年は、居たら居たで有用であるとか理屈をつけ、本気で追い出そうとも思わないのがニシギナの優しさである。
 そんなやりとりを終え、どやどやと部屋から出て行く子分達。その動きがふと止まった。
「あの、緑青のユダイ、とおっしゃられる方は、御在宅、で?」
戸口に立つのはここらでは珍しい学術公国領の学院に属す人間の着る服、制服という服装をした女、それも魔物の女だった。
「あのぅ、ちょっとご相談が」
くしゃくしゃの癖っ毛をした彼女の登場に、その場の誰もが訝しげな表情をする。
「とりあえず、茶でも出そう」
引き上げようとする面々にしっしと手を振りつつ、ユダイは鞄を床に下ろした。
「どうぞ」

 狭い室内、その中央に置かれたテーブルに二人。
 目の前の陶器でできたコップを前に、重たい沈黙が流れる。
「…これ、お茶?」
煮えたぎった緑色の液体を前に疑念混じりで呟く女。ユダイは不機嫌そうに頷くと、自身の分を躊躇いなく飲む。
「あ、美味しい」
若干の警戒はあったものの、覚悟を決めた一口に驚く。濃厚な渋みと共に微かな甘みの残る後味は、確かに良い茶葉によるものだ。
「原産は極東の茶だよ。紅茶とは味わいが違うだろう。で」
自身の分を半分ほど飲み干し、ユダイが陶器のコップをテーブルへ置いた。
「要件は?あと半刻ほどで俺は外に出るが」
促す、というより急かす。既に部屋には家具や食器を除いて何もない。
「《M&G・ペーパーズ》という名前に聞き覚えは?」
「あー、秘密結社だった、あの」
曰く、元々は某国の諜報機関の隠れ蓑であったという新聞社。ちなみに新聞とは、ニュースを印刷して発行する紙面の事である。
 その新聞社だが、諸王国領の常、母国の敗戦を契機に半ば放置される結果となり、その後に亡国再建を目的とした秘密結社へと転じる。
 一説によると、宮廷魔術師、宮廷錬金術師などの合流を経て、兵器製造に着手したとの話もあった。しかし、有名な盗賊ギルドとの抗争以後に話を聞く事はなくなった。
 それが通説である。
「その時に開発された錬金術と魔術式の混合物が、この盲目領で発見されたとの一報を受けまして」
「その回収に協力しろと?」
ひどく嫌そうにユダイは顔を歪めた。はっきり言って、関わりたくないと全身を通して発している。
「お願いします。報酬もお約束しますし、ハーロットさんのご紹介もあります」
「げ。銀拳か。嫌だなぁ」
銀拳のハーロット。その名も悪名高い武闘派錬金術師。その銀の籠手と様々な開発品は多くの好事家にも知られ、もし金銭に執着の一つでもあれば億万長者であっても不思議でない男だ。
「失礼ですが、彼とはどういったお知り合いで?」
「知り合いの知り合いで友人、といったところか。元は同郷の男の友人でな」
「はぁ」
解ったような解らない曖昧な表情で頷いた相手。その手が差し出した小袋を受け取ると、中身を確認した。
「あぁ、これは助かるな」
取り出されたのは金属性の小瓶が幾つか。どうやって製造したのかも定かでない筒状の小瓶には、インクとは違う塗料でラベルが記されている。
「それは?」
「さてね。それじゃあ情報でも集めるか。二日もあれば終わる仕事だ」
「たったの二日?」
驚く彼女を連れ、ユダイは足早に部屋を後にした。

 店。路地、というか、折り重なって今にも沈みそうな客船の残骸、その片隅にある売店のような場所でユダイが荷物を下ろす。
「あの、ここで何を」
隠してあった荷物を用意するユダイに、制服姿の女が問う。
「商売。情報収集するにゃ昼も前の時間じゃ都合が悪くてな。夜までは日銭稼ぎだ」
「確か、盗賊、なのでは?」
「あんな仕事を毎日やる度胸はねぇよ」
床に放り出されていた看板から埃を払うと、目立つ壁の上にぶら下げる。カウンターが一つの店先だが、中へ入るユダイの姿に気付いてか、周囲の人間がぞろぞろと集まってくる。
「久しぶりだな盗賊のあんちゃん。景気は?」
歯の抜けた男の言葉にユダイが掌を振る。
「恨みの方ならともかく、懐具合は何時だって素寒貧さ。なんか入用で?」
「近頃胃痛が酷くってね。いいのあるかい?」
「どんな具合に痛む? 虫下しか胃腸薬かにもよるが」
ユダイは手慣れた様子で身体を調べる。顔色、触診、次いで口腔の状態。
 荷物から取り出した瓶から目分量で錠剤を掴むと、紙袋の中に放り込む。
「4錠。飯前に水で飲め。その間は禁酒な」
「へへ。酒ぁ飲んじゃ駄目なんかね?」
「どうせ飲む金もなくなるよ。銅で12枚」
「かー、勘弁してくれよぉ」
「治りゃ飯が旨いぜ。毎度あり」
客あしらいも手早く、尻を蹴るように男を追い返してしまった。そのうちに、声を聞きつけた人間がまた現れる。
「さあさ薬にヤブ医者、ご入用の方はいらっしゃい!」
言葉に反応して客が寄ってくる。そのうち、呆気にとられていた制服の女にまで用事が回ってきた。
「あー、嬢さん、嬢さん、手伝って」
「私の名前はリヴィン・シューレルです」
「じゃあリヴィン、奥に隠して有る荷物持ってきてくれ。そうすりゃ引き受けた仕事の代金も勉強してやらぁ」
「・・・もうっ」
溜め息に憤り。しかし、生真面目に手伝い始めた女の手際に、周囲からは称賛と冷やかしの声が届けられた。

 昼を過ぎて小一時間。繁盛していた客足も遠退き、ユダイが手早く店仕舞いをした。手慣れた様子で瓦礫の隙間に薬品を含む荷物を隠し、手荷物一つ手にその場を後にした。
「ほれ」
「あ、ありがとうございます」
露店で買ったのは魚肉を脂と甘辛いタレで炒めてパンに挟んだ盲目領お馴染みの魚のパン包みである。
 濾過して多少はマシになった飲み水と共に店主から受け取ったユダイは、手慣れた様子で包み紙を剥がし、昼飯を平らげていく。
「雑多ですね」
ユダイが調達してきた薄汚れた外套を纏ったリヴィンも包みを剥がす。楚々とした動作は、どう見ても令嬢のそれ、特権階級の礼儀作法である。
「住めば都さ」
「どこの名言ですの?」
仕事の間にか、多少は砕けた口調でリヴィンが憎まれ口を呟いた。
「生まれ故郷のさ」
「懐かしいな」
呟いた男の気配にリヴィンが逃げる。ユダイの背後に隠れるよう離れると、ユダイのすぐ傍には矮躯の男が立っていた。
 外套、衣服、バンダナ、全身を黒で覆い、片手には金属製の棒を握っている。羊飼いのようでもあり、旅人のようでもある異邦人だった。
 極東移民。どこか希薄な気配の裏に、狼に似た獰猛さを隠した男。
「シェロウか。千客万来だな」
「久しいな。ユダイ」
顔馴染みの反応で言葉を帰す。この街の中でも異彩を放つ男であるというのに、この場の誰も、ユダイとリヴィン以外、彼の存在に気付いた様子もない。
「前に会ったのはお前がハーロットの所に居た頃だからな。何年前か」
「些細な事だ。悪いが、少し頼めるか?」
「同郷の縁だ。可能な範囲であればな」
「すまん」
数年来の知己と思しき二人の会話は淡々と進む。既に昼飯を終えたユダイは、シェロウと呼んだ男の言葉に耳を傾ける。
「盲目領の下に遺跡があるな。そこへ行きたい」
「・・・情報屋並みにいい耳してるな。まったく」
水を一息に飲み干し、言葉の接ぎ穂を探るようユダイが視線を宙へ彷徨わせる。
「水没してるのは、古代人の工場、、ってな話だが、盲目領の何処かに転送用の魔術具を受け継いでいる一族が居るってな話は聞いた事あるくらいだな。何の用だ?」
「ゴーレムのパーツが欲しい。型番を調べた結果、そこにある可能性が高い」
「女関係か?」
「あぁ」
視線の交差。ユダイが溜め息を吐き出した。
「ま、気ぃつけてな。施設が生きてるってんなら、防衛機構も生きている。機械相手じゃ俺も力にはなれないからな」
「ありがとう。今度は、酒でも」
「奢れよ」
「あぁ」
次の瞬間にはリヴィンの視界からシェロウは消えていた。得体の知れない男であったが、あんな男と関係のあるユダイも、信用できるかが不安になる。
「ったく、前払いとは気前のいい」
ユダイが手品のように握っていた掌から銀貨を取り出す。つい先程までは、握り潰した包み紙があったはずの手から。
「律儀なもんだ」
そう言って笑うユダイ。確かに、得体は知れない、だが。
 その笑顔に、どこか安堵したのも確かだ。少年のような、憎めない笑顔に。
「ん、そういや」
「何よ?」
「何を探しに来たんだっけか?」
「・・・はぁぁぁぁぁあぁあぁぁぁ」
虚脱感と共に、水を飲む。
 この男、やっぱりおかしい。

 煌びやかな照明。刻まれる異国の音楽。
 ステージで踊る一人の女の肢体から醸される情熱と愉悦の放散、莫大な熱量を放つように奔放で優美な様子に、客達は狂乱の如く湧き立つ。
 踊る女。金が舞う。その艶やかな様は、時に王侯貴族のそれよりも気高く、人の心を昂ぶらせる。
 躰が弾むたびに鈴を打ち鳴らすよう金銀の飾りが鳴る。その所作一つに目が奪われる。心がざわめく。
 恐ろしく美しく、怖ろしく綺麗であった。
 魅了。
 それは魔術より余程に恐ろしい現象だった。
 足踏みの音、踏み込んだ瞬間に弦楽器の音が途切れ、女の動きが閉じた。
 歓声が怒号のようにフロアを揺るがした。
 知らず拍手していたリヴィンの隣、ユダイは空にしたジンのおかわりを注文していた。
 なみなみとタンブラーに注がれた酒。しかし、彼はそれを見ていない。
 舞台を眺めるその顔には、この喧騒の中と比して酷く場違いな感情、穏やかな至福が満ちていた。
 何に対してそれが向けられたのか、リヴィンには解らなかった。
 ステージから降り、舞台の袖へ消えて行く踊り子。
 その後を追うよう数十の観客が立ち上がるが、全員が屈強な男達に阻まれていた。
「さて、行くか」
「え?何処に?」
「仕事だよ。人生ってのは退屈な時間はあっても無駄な時間はないんだ」
「はぁ」
促され、向かった先は建物の外。
 この舞台劇場も元は豪華客船だった。廃棄された豪華客船のメインホールがそのまま流用され現在に至っている。
 雑多で掴みどころのない湖の上に浮かぶ人工島。通常なら通路であるはずの船の壁には、強引に取り付けられた扉がぎしぎしと軋んでいた。
 ノブを掴んでも動かない。だが、手慣れた様子で扉を1、2、1、4というリズムでノックした途端、扉の向こうから声がした。
「誰だ?」
低く重たい声。その存在感から、扉の向こうにどんな人間が立っているのかが即座に理解できた。
「まいど。薬屋でござい」
「・・・入れ」
錠の外れる音と共に、重々しく扉が開いた。この扉だけ、随分と重い金属に替えていたようだ。
 黒い服装の巨漢の脇を抜け、中へ入る。途端、化粧品と香水の臭いで溢れた部屋に出た。
「なっ!?」
どう見てもそこは、劇場の楽屋だった。
「薬屋が通りますぜー」
躊躇もなければ停滞もない。半裸の女達の傍を流れるように通り抜けて行く。
「薬屋さーん。化粧水ある?」
「香油頼めないかしら―?」
「はいはい、化粧水は一瓶で銅貨10、香油は銅貨20だ」
しかも商売までやっている。差し出された手から銅貨を受け取ると同時に化粧水や香油の詰まった小瓶を置いていく。
 そのうちに奥にある黒い扉の前に辿り着き、狼狽しつつ必死に駆け抜けてきたリヴィンが息をきらしているうちに、その扉も開いた。
「毎度ー」
「あら、いらっしゃい」
「え?」
そこに居たのは。
 つい先程の踊り子だった。

 ユダイ曰く。
 踊り子の名はカルティケーヤ。サラマンダーの種族でも変わり者で、何の因果か踊り子を生業と選んだ。
 流れ着いた盲目領、日銭稼ぎをと舞を始めて半年もすると、気がつけば今の地位である『廃船劇場』の支配人となっていた。
 人生とは解らないものだとしみじみと語る。
「で、御用は?」
「旧友との邂逅にそっけないもんだ」
「そう? この間も会ったばかりじゃない。貴方は随分と厄介事を連れてくるもの」
「頼むよ。今度もちっとばかし」
「懲りないのね」
笑い合う二人は旧友というより弟と姉のようだ。
 自然な会話に居心地の悪さを感じていたリヴィンだったが、話の接ぎ穂からいきなりユダイが彼女を引きよせた。
「で、このお嬢さんが話の本題。何か探しているようで」
説明。
「つまり、マジックアイテムのようなものかしら?」
「はい。記録によると大きな儀仗だとされています。その『儀仗モデル901』の回収が、我々の仕事なのですが・・・」
「小娘、俺をカウントするんでないよ」
軽くコツくユダイに対し、目を細めていたカルティケーヤが暫し黙る。
「危険な儀仗・・・確か、西のグラムス衆が似たようなものを搬入していたと聞いたけど」
グラムス衆。有り体にいえば、運び屋を主な仕事とするヤクザ者の集まりである。
「え? この領内に運び込まれた物品なんて、解るのですか?」
「そうじゃなければ情報屋などとは名乗れなくてよ?」
妖艶にして人懐っこい微笑み。ユダイが短く唸ると、指を二本示した。
「これでどうだ?」
「あぁ、いらないわ。代わりに、グラムス衆にちょっかいかけるなら、私の名前を出して。あの子達、少し前に劇場の中で暴れたから」
微笑みは変わらない。だが、そこに奇妙な圧力が混じった事を確認したユダイは、さも面倒そうに一言だけ呟く。
「手紙」
「ん? 何に使うの?」
「犯行現場に置いてくらぁ。だから一枚頼む」
「あら? そんなに疑わなくともスケープゴートになんかしやしないのに」
ころころと笑うカルティケーヤに、ユダイは歪んだ笑みで応える。
「用心するに越した事ぁねぇよ」
「悲しいわ。信用してくれないのね」
「無論だ」
皮肉交じりの会話に入り込めないリヴィンは、それでも楽しそうな二人を嫉妬混じりに眺めていたものの、あまりに容易く収束しそうな事件を前に、一抹の不安を感じずにはいられなかった。
 その後、手紙を受け取ったユダイに続き、カルティケーヤに一礼してリヴィンもその場を後にした。
「ふふふ」
「どうされましたか?」
影のよう、背後から現れた給仕服姿の女性に対し、カルティケーヤが呼びかけた。
「ここ最近に来た傭兵ギルドの彼、名前なんて言ったかしら?」
「黒い剣の使い手ですか?」
「そう、彼と連絡をとっておいて」
先程とはまったく違う、人の悪い笑みをカルティケーヤは浮かべ。
「お仕事、してもらうから」
そう呟いた。

 戦力を冷静に分析し、アジトとされた小型の貨物船内、彼等の住処へガスを流し込む卑劣さは見習うべきものかもしれないが、ユダイの手際の良さは、どうにもリヴィンには空恐ろしいものに見えて仕方なかった。
 大体、個人で気化毒まで使用する盗賊が何処に居るというのか。
「よし、薬も散った。さっさと済ませるぞ」
「・・・お父さんお母さんごめんなさい。私は悪い子です」
「懺悔なら後で頼む。面倒くさくて仕方ねぇ」
「ううう」
静かに涙を零すリヴィンを余所に、手際よくユダイが調べる。
 通常、こういった場面であれば派手な格闘戦の一つでも展開されそうなものであるが、盗賊ユダイにぬかりはないようだ。昏倒に近い形で眠る男達は、目を覚ます様子はない。一部、薬の濃度の問題か、失禁までして眠っているが、もし起きなかったとしてもそれは運だろう。少なくともそう割り切れてしまう程度には盲目領の倫理は薄っぺらい。
「これか」
資材の保管が行われていた部屋から一抱えほどの木箱を発見する。手早く懐から刃を閃かせて結ぶ縄を断ち切ると、中身を躊躇なく検分する。
「これでいいのか?」
そこから取り出されたものは、一抱えほどの金属球を頂点に備え、鉄の骨組みを束ねて柄にしたような造形の杖。
 確かにそれは儀仗らしきものだった。デザインからはむしろ、異国、オリエンタルな雰囲気を感じた。
「そ、それです! 間違いなく『儀仗モデル901』です。別名をネルガルの大腿骨」
「・・・ネルガルの大腿骨?」
「そう、発揮される効果は大気の支配、発動条件は血液による象形文字への干渉です」
「へぇ」
次の瞬間。
発光と共に浮遊した『儀仗モデル901』、またの名を『ネルガルの大腿骨』から雷光が迸った。
彼らごと、船を焼き尽くさんばかりに。

11/08/14 15:08更新 / ザイトウ
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■作者メッセージ
2日連続更新の理由はお外に出るのダルくて、ちょっと進めてたから。
ザイトウです。
休み中なのに、うろうろも出来やしません。
実は二週間前に負った負傷が地味に肉体から抜けなくて。
脛のキズって、すんごい面倒くさいっす。
神経と血管が他よりあるから、どっか血管切ってて内出血したらまー、膝から下がダンダラ模様。とか、前フリはここらで。

さて、番外編のうち、完成しているものを連続アップ。
予告通りに番外編かつサイドストーリー。久しぶりの異世界編という事もあり、実はリハビリ的な意味合いも含めてこんな感じに。

ただ、後篇は6分の1くらいで停滞中なので、また雲隠れの可能性がw
内容に関しましては、異世界編という事もあるので我慢できない設定や疑問点があればご指摘ご感想どーぞ。
今度はしばらく間が空くかもしれませんが、ちょっと待っててくださいね。
では。

※ご指摘いただいた後半の誤字を修正しました。ありがとうございます。

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