連載小説
[TOP][目次]
イザナギ一号_x1:番外編『逃亡必死のチキンラン! 前篇』
 朝起きた時に感じるもの。無機質で建材の匂いばかりが鼻につく空気とパイプベッドの硬さ。
 それが、今日起きた時に感じたのは、噴煙混じる鉄錆臭い空気と、地面の固さだった。
「………えー?」
誰かと誰かが繰り広げる戦場の中央、戦火の只中に僕は居た。そして、爆炎から必死に逃れた塹壕の中で、新たな出会いに救われた。
「だ、誰?」
 跳び込むと同時、頭上から降り注ぐ矢を切り払うは、自身の体躯をも上回る大きさの刀剣を構えた男。
 こちらに続いて跳び込んできた一人の人間、槍を振り上げていた兵士を両断すると、短く、自身の名を呟いていた。
「………フェムノス・ルーブ。傭兵だ」
自身の体躯を大きく上回る大きさの剣は、その多大な質量から刀剣と呼ぶより鈍器と呼ぶ方が似合う代物。
 軽々と持ち上げ、羽でも扱うかのように振り回す様は、傍から見ても技量の高さを伺わせ、塹壕を抉らず、刃の余波すら届かぬようこちらに気を遣ってさえいた。それだけの余裕を保っている様子は、まさに傭兵と呼ぶに相応しいものだった。
 遠心力による高速の連撃により、塹壕を狙う兵士達は、どれも一太刀によって斬り伏せられていた。
 その中で。
「あーらよっと。出前一丁、ってね」
その剣風を読み、躱して塹壕へ滑りこんできた男が一人。こちらはどう見ても和装をした日本人らしき男。背中に背負った対の鎌に鍔無しの居合刀という格好。
 かたや質実剛健の化身のような男と、軽妙洒脱を絵に描いたような男。どちらも、剣の才覚たるや、首を竦めねば斬り飛ばされてしまいそうなものだった。
「あんちゃん、指揮官どこ? 届けもんがあるんだけれど」
「指揮官は既に撤退した。ここに居るのは殿を務めている傭兵達だけだ」
「そりゃ困った。ところでそっちの変な格好した男は?洋装ってのは解るんだが、学術公国領の学生さんか何かかい?」
「こ、ここ」
「ここ?」
「ここ、何処ですか?」
その言葉を聞いた瞬間、一人は無表情に見下ろし、もう一人は名状しがたい表情をもって答えた。
「戦場」
「だな」
一言で切り捨てられた現状は、あまりに理不尽だった。


 山岳領と大河領。未だ紛争の絶えない諸王国領において、数少ない戦争状態が継続されている場所であるとのこと。
 その根幹は水源を巡る争いに端を発するものであるというが、数年に渡り続く戦禍によって、国内は疲弊し、いつ共倒れになるとも解らぬまま続いているという。
「で、俺ぁ運び屋でな。カマイ・ナギってんだ。お前と同じジパング人」
ジパングという単語が脳内で幾つか候補を弾きだす。確か、クユが言っていたが、あちらの世界における日本だ。文化レベルは戦国時代とも、平安時代とも判然としなかったが。
 あちらの世界。
 その単語だけで顔から血の気が引いた。確か、ゲートを通過さえすれば言語も文字も基本的な互換性を得られるそうだが、かといって、場所が場所だ。
 試しにナギと名乗った男にこの場所とジパングとの位置関係を聞いた所、やはりというか、絶望というか、あまり信じたくはない答えが返ってきた。
「あぁ? こっからジパングっつったら、一番近場だと馬車で一週間くらいの場所にある南方領から、船で大陸東端までを数か月、そこからまた定期船で一カ月、合計で半年近くはかかるな」
外殻を展開し、走っていくとすればどうだろうかと考えたものの、到達してもアテがない。いきなり「ゲートありませんか?」と尋ねたとしても、よくて変人、悪くて狂人扱いが関の山だろう。
「困ったな。どこか、大きな力のある魔物が居る集落はないですか?」
「近場なら大河領から北に樹海領がある。そこならば、エルフやアラクネなど、幾つかの種族のコミュニティがあるはずだが」
膝立ちの男、確かフェム、なにがし、と名乗った男が答える。体勢を沈めたまま塹壕をゆっくりと移動していく背中を追い、慌てて自分も続いた。
「ふぇ、フェムさんはどうするつもりで?」
「前金分の働きは終えた。撤退する」
「ま、戦線は崩れたし、前金分の働きにしちゃ上等だろうしな。俺も付き合う。届ける相手も不明瞭なまんま仕事すんのも面倒だ。残党狩りに会うのはもっと面倒だ」
「戦場の東から大河領へ続く支流がある。そちらなら敵は薄い。行くぞ」
「へいへい。今回も儲けそこなったようで残念至極だ」
「ぼ、僕もお伴します」
戦場慣れした二人の背に続き、外殻で矢を弾きながら走る。追ってくる兵士達を蹴りと拳だけでなんとか駆逐すると、前を切り開いていた二人が唐突に足を止めた。
「………」
「おいおいおい。これはないだろ?」
「………なるほど」
兵士の配置が少ない事も頷ける光景が眼下に広がっていた。支流は支流だが、これはまさかの。
 滝であった。
 怯えと震えで全身に冷や汗が流れる。濁流の流れる滝は、昼間であるというのにどこか暗く濁っていた。
「ま、しゃあねぇか。袴じゃ泳げそうにねぇな。こりゃ」
手早く服を脱ぐと、腰紐で一まとめにし、褌一枚となった男、確かカマイ・ナギと名乗った方が、足場を確かめるように軽く跳んでいる。
「か、カマイさん、まさか」
「馬鹿に丁寧な奴だな。どっかの武家の出か? ナギでいい」
「ナギ、貴方、まさか」
「他に選択肢はない」
フェムの方も大剣を投擲し、滝壺の下、川の傍にある樹へ突き刺していた。あれが目標地点らしい。
「この旦那、とんでもない剛腕だな」
「先に行く。合流できない場合は」
冷たい視線。それが独自の諦観、悲しみである事を理解するのは、会ったばかりの自分でも十分だった。
「すまない」
革鎧もそのままにフェムが跳び込んだ。続いて、ナギも服と得物を背に背負った格好で跳び込む。
 残されるたのは、未だ状況を理解しきれない自分。
「僕、泳げるのかな」
少なくとも、記憶喪失以降の経験では、まだ、ない。精々があの可愛らしいネコ科シャンヤトと水遊びしたのが精々である。
 それでも。
 背後の怒号に急かされ、自分も滝壺へダイブせざるを得なかった。

 水死体の危機は辛うじて逃れた。この時ばかりは改造人間でよかったと本心から感謝したほどである。
 滝壺への着水時に外殻を展開、川底へ着地すると同時、脚力任せに川底を蹴り、水面へ力任せに生還した。
 その後、外殻の一部を変化、両手をパドル状にして川岸まで腕力で到達。この時、初めて外殻の多様性を知った。
 外殻を解くと同時、大剣を既に背負っていたフェムと、草履を履き直したナギへ合流。
 そのまま薄暗い森を駆ける。
 怒号と爆音、そして剣戟の終わらぬ戦場を離れること小一時間。太陽は随分と傾むいていた。
「ここまで来りゃ、とりあえず安心だな」
褌姿のまま疾走していたナギが、皺だらけではあるものの、水気の抜けつつある和装を着る。否、水は既に乾いていた。
「そりゃ、おめぇ、こちとら身体の動かし方なんかは大方叩き込まれてるんだ。水の飛ばし方なんてのも朝飯前さ」
心底納得いかない。こちらの日本人はこんな人間ばかりなのだろうか。 
 こちらは濡れたままの外套を絞り、フェムも足を止めていた。
「た、助かった………」
生き延びた事への達成感に安堵する。身に染みついた闘争本能すら働かぬ緊急事態に、人間としての理性は悲鳴を上げ続けていた。
 死体が無造作に転がる場所から生還できた喜びと共に、死に満ち溢れていた現場を見てしまった怖気が全身は重くなり、今にも座り込んでしまいそうなほど。
「………飲むか?」
「あ、ありがとうございます」
皮製の水筒を受け取り、一口だけ嚥下する。水は泳いでいる時も少なからず飲んでいたし、携行しているものをわざわざ分けてくれた相手に礼儀を欠きたくない。
「本当にいいところの坊っちゃんみたいだな。お前さん」
彼等にしてみれば、あちらの世界の日本人全てが自己主張の乏しいお利口さんにしか見えないだろう。僕でさえそう思う事もある。
 しかし、戦場慣れしたジパング出身者と、無口な傭兵、この二人を悪人とは思えず、知らず安心している自分も確かに世間知らずに見えたのだろう。
「ここまでありがとうございます。それで、樹海領は、どちらに行けばいいのですか?」
「かしこまんなって。つっても、お前、魔物に知り合いでもいるのか?」
「直接的な知り合いは居ませんが、もしかしたら、協力してもらえるかもしれないので」
樹海領であれば、もしかすればクユの知り合いに会えるかもしれない。そうすれば、集会へも接触できる可能性が高くなる。
 全てがもしもであるが、この改造された身体であれば多少の無理は効く。走り続けさえすれば、そのうちに到達できるだろう。
「………案内しよう。戻ったとして、このままでは盾にされる可能性も高い」
「そりゃそうだ。確か、山岳領の方は崩落事故で主力だった部隊の一つを失ってるんだろ? 戦況がこれだけ推移してちゃ、この指令書ももうゴミだろうしな。樹海領経由で司法領のあたりにでも抜けた方が安全そうだ」
蜜蝋に印を押された手紙をナギが破り捨てる。あちらもあちらで、戦場に長居する理由もないようだ。決断も早い。
「で、フェム、だっけか? 道は解るのか?」
「ここから北へ進めば街道へ出る。その後、一泊して樹海領へ向かう」
「一泊って、宿あんの?」
「野宿だ」
「だろうな」
 滝壺に跳び込み、尚も森を歩いているというのに二人には余力が見て取れた。
 そんなそれぞれのバイタリティに引っ張られる形で森を抜け、街道へ出た頃には既に夜。
 近くには街の明かりはなく冷え冷えとした月光だけが大地を照らしていた。
 焚火の爆ぜる音。食料一つ持っていなかった三人だが、火にはウサギが焙られている。
「ひの、ふの、みの、一人あたり三羽ずつくらいだな」
狩った本人は惜しげもなく提供してくれる。逆に自分は何もできていない。
「いえ、あの、僕は一羽でいいので」
「ったく、ここは全部よこせって言うんだよ。ほれ遠慮すんな」
「……………」
「そっちはもちっと喋れや。まるで俺の師匠によく似てるよ。ったく」
落ち着かない。
 思えば、自分の交友関係はあの男を始めとした研究所の関係者と、クユやシャンヤト、集会の人々などしかいない。こういった野宿も初めてだ。
 二人は元気かと、少しだけホームシックになった。
 ぽつぽつと、それぞれが己の事情を語る。フェムも、無口かと思いきや、少しだけ、話してくれた。
 ナギは随分と前にジパングから単身で渡ってきたらしい。
「東方移民っつって、大昔にこちらに定住した奴等も居るようだが、そいつらにゃぁ会ったこともねぇな。だから、基本的にこっちで見かけるのは俺と同じように単身で渡ってきた野郎ばっかりだ」
得物は鎌と思いきや、よくよく見ると刃を備えたトンファーに似た代物。そちらを尋ねてみると、元暗殺者と気軽に喋った。
 開ければ何かが跳び出してくる、びっくり箱のような男だった。
「人間、四十年も生きてりゃ色々とあらぁ」
実に鮮やかな一言である。既婚かと尋ねると、心底嫌そうに「独り身だ」と呟く。
 何か隠しているのか、それとも思い出したくもない過去でもあるのか。あえて聞く気にもなれず、そのまま流す事とした。
 かたやフェム。
「フェムノス・ルーブ。傭兵だ」
つい数時間前に聞いた事の繰り返しだが、名前を省略していた事をまずは謝罪した。とにかく謝罪した。
「どうとでも呼べ」
ぶっきらぼう。そんな単語が最も相応しいであろう男だ。何を考えているのか読めないものの、悪意や敵意といった淀みもない。
 ナギの方は比較的に損得勘定や好悪による取捨選択が見てとれるが、こちらは何を考えて行動しているかが見た目からは察する事もできない。
 傭兵をやっている理由を尋ねると。
「仕事だ」
選んだ理由を尋ねたつもりだったのだが、再び問い直すのも怖い。
「今は」
不意に言葉が継がれる。
「養わなければならない、相手もいる」
その時だけ、僅かに口元がほころんだように見えた。
 自分には、帰りを待つ誰かが居るのか。
 そう考えた途端、胸が締め付けられた。自分が思い出せる二人の小柄な影が脳裏で再生されると、たまらなく寂しくなった。
「坊主、戻る家はあるのか?」
ナギの言葉に、しばし逡巡する。しかし、自分は強く頷いていた。どうやっても帰ると、ただ決意した。
「はい」
「そうか。それで………」
 その時。
ナギとフェム、フェムノスだけでなく、自分までもが身構える。
 足音。気配。
 身体は即座に警戒信号を発した。
 ナギが居合刀の鯉口を切る。フェムノスは音もなく大剣を抜き放ち、深く静かに呼吸を洩らした。
「………お前、そんな籠手持ってたか?」
「持ってました」
自身の両腕に展開した外殻を、籠手という事にして状況に集中する。
 不可思議な事がある。
 足音の数は多いのだが、妙に気配が乏しい。強いて言うなら一塊の何かだ。
 森の中から何が出現する。
 魔物でも人でもないシルエットに、単なる獣かとも思ったものの、その長大に背筋がぎちぎちと居たんだ。
「………ありゃ、召喚者が死んで放置された化物だな」
脳内で情報を統合。視力を高め、相手の仔細を確認する。
 幸いにも月明かりもあった為、敵の造形を確認するには問題がなかった。むしろ、確認などしたくなかった。
 蛇。だがその姿は、半ば竜の造形に近い。あの男の私物であった『述異記』を参考に考察してみると、形で言えば角竜や応竜の手前、蛟のそれだ。
 頭骨は蛇というより鰐に近く、蛇に近い胴体も、まるで鞭のように俊敏で、大木ほどの太さとは思えぬ挙動である。
「あれ、は?」
「………知らんがこんな街道で見かけていい代物じゃねぇな」 
「逃げ切るのは難しい。斬るぞ」
「しゃーねぇなぁ。そういや小僧、お前さんの名を聞いてなかったな」
諦め混じりに呟く。
「伊邪那岐 壱剛です」
「イチゴウ? そりゃキャラクター人気だけで支えられているどこぞの喜劇の主人公のような名前だな」
メタ的な発言は危険です。しかも、以前にクユも同じような事を口にしていた。毒電波ってどこから送られてくるのですか?
 ともあれ。
 1頭対3人の戦いは、既に始まっていた。

 数秒後。
 あっさりとした形で決着がついたその場には、頭骨を裁断され、命の灯火を失った蛟モドキが転がっていた。
 状況説明。
 同時に跳び出した三人のうち、ナギが高速で奇襲、居合刀での一閃により片目を潰し、蛟モドキがのたうった次の瞬間、振り上げた大剣が頭骨ごと蛇を砕き割った。
 そのままのたうつ巨大な体躯を、腕力任せに自分が突き飛ばすと、捩じ切れた頭が皮一枚で、ぶら下がり、身体も痙攣と共に動きを止めた。
 同時に放った電撃に麻痺したようだが、これはおまけのようなものだ。
「で、どうする?」
「どう、とは?」
外すフリをして外殻を皮膚の内側へ収納していた自分は、ナギの言葉を理解できず、訝しげに問い返す。
「喰うか?」
「遠慮します」
多少血生臭い展開はあったものの、蛇はその場に放置。地面から何かの溶ける異臭がしたので、慌てて離れた。
 その後、別の場所で野営し、今度こそ何事もなく眠る事はできた。

 翌朝。
 樹海領を目指して街道を進んでいく。街道へ出た事もあり、これ以後の道のりにはこれといった問題はなかった。
 何度か教会と名乗る人々によって自分達のことを尋ねられたが、男三人組の旅人と解ると、これといって何かを調べられる事もなく解放された。
「基本、あいつらは男に用はないからな」
魔物の排除。
 彼等の目的を聞いた時は、やはりどこの世界にも理不尽というものがあるのだなとしみじみ思った。

一昼夜を歩き、再び夜となった頃。
「そういやここがあったんだったな」
「失念していた」
巨大な湖。その中央には燦然と輝く都市があった。
 盲目領。
 クユの話していた悪徳と享楽の都市。人身売買から売春街までが繁茂するこの世の陰。
 数々の廃船や残骸などによって人工島として形成されたその威容は、確かに見る者を魅了する。
「それでどうする? 迂回するにゃ時間がかかり過ぎらぁ」
「湖の東西南北に波止場がある。そこから貨物船で街を経由し、湖を抜ける」
言うのは簡単だが。
「実は、お金を持ってないのですが」
「奇遇だな。俺もだ」
最悪、貨物船の外壁に掴まればどうとでもなると伝えると、ナギが親指を立てた。
「そん時は密航のやりかた教えてやろう。ま、そう深刻になりなさんなって事だ」
結局。
 ナギの手引きによって、本当に貨物船に潜りこむ事となるが、むしろ、泳いで渡るべきだったと後悔した。
 盲目領が、どれほど恐ろしいところとは、この時の自分は知らなかった。

11/08/12 23:03更新 / ザイトウ
戻る 次へ

■作者メッセージ
ゲスト参加者に多謝。
ザイトウです。

後篇完成前の投稿となりました。
最近は掲載ペースが速めなのですが、いつどこで停滞してもおかしくない感じなので、そこらへんはご勘弁を。休み中に終わる長さに出来るかどうかも未定ですし。

さて、内容に関してですが、ゲストキャラ2名を含む異世界エピソードとなります。
今後、中篇、後篇へと続くのですが、中篇はサイドストーリーとなります。
なので、正確な続きは後篇…ということなのですが、そっちは未完成w

とりあえずゲスト参加を許諾していただいた方ですが、片方の方は返信があったのですが、もう片方の方は、先行して送ったメールに気付かれていないのかもしれません。 申し訳ないっ

飛び入りゲスト参加は、メインルートに関われないかもしれませんが、後篇への登場も場合によっては可能です。場合によってはですが。

さて、何時も通りにご意見ご感想誤字脱字指摘はお待ちしてます。
ではー。

TOP | 感想 | RSS | メール登録

まろやか投稿小説ぐれーと Ver2.33