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錬金術師とメイド
【錬金術師とメイド】

 諸王領。小国が乱立した大陸中央より西にある幾つもの領地を総称した名前である。今でも戦乱に燻る危険地域としても知られるが、その中において、外交の巧みさと地下資源の豊かさを武器に、恒久中立を謡う場所、学術公国領が存在していた。名前からも察す事ができるが、学術都市を首都とした研究と学問の聖地である。
 そんな公国領首都の南地区、まるで迷宮を思わす巨大な建築物が象徴的な研究機関。
 錬金術師統合院。そこでは、世界最高峰の英知が集う。
「誰か来てくれ!スキュラがトイレに詰まってるぞ!」
「サイクロプスによる鍛鉄研究の責任者出て来い!西棟が炎上した責任に首を吊って詫びろ!」
「練成用の鉛のストックが届いてないわよ!配達担当のミミックを締め上げてきなさい!」
「ぎゃぁぁぁ!スライムが研究員襲ってるぞ!別の場所でやらせろ!」
「教授ー!助手の一人がホーネットに浚われましたー!」
「協定違反だ燃やすぞクソがぁ!誰か爆裂弾持ってこい!蜂の巣を駆除してやる!」
「先週の結婚式、ご祝儀渡し忘れてますよ!」
「デュラハンとバフォメットのどっちか調べてから包んでおいてくれたまえ!」
「退避ー!模造人体練成場からゴーレムの群れが侵攻中だぁぁぁ!」
「天から地へ舞い降りろ紫電の逆鱗よサンダァァボルトォォォ!」
「ゴーレムの機能停止を確認!確保を開始するぞ!」
「ぎゃぁぁぁ!先輩がヤバイもの丸出して倒れてますよ!ズボン履かせて外に蹴り出しといてください!」
「それより遺伝子の合成サンプル何処だったけ!?」
「うっせぇ!ぶっ殺すぞこの尻デカ蛇女!」
「黙れ短小包茎童貞!」
「確認もしてねぇ罵倒を吹聴すんじゃねぇよ!」
世界最高峰の英知、が集まっているはずなのだが。


 ――――――――――――――――――――――――


 統合院隔離棟一階。ここは危険な研究や、機密保持の必要性のある研究などの中で比較的安全と分類されるものを研究する領分だが、『人体機構研究室』とプレートのかかったドアの先、芳しい紅茶の香り漂う一室では、外とは隔絶された優雅なティータイムの時間だった。
「た、大陸、北西の、ダージリン、で、す」
「すまんね」
たった二人の研究室内には、穏やかな空気が満ちている。
 メイド服姿の女性は、一見して人ではない。目元を隠した艶やかな髪、両腕は皮膜に覆われた翼、頭部に突き出た耳朶は深く、蝙蝠の特性をもった魔物、ワーバットと呼ばれる存在だった。しかし、凶暴とされる性格は明るい環境の所為で霧散し、居住まいに品のある楚々とした動作には怯えを含んだ羞恥が混じっている。
 要するに、恥ずかしがりな女性だった。
 対して男の方は人であるものの、彼女と比べてもその異貌がかなり目立つ。中肉中背、両腕には純銀の籠手、顔には丸い眼鏡、嘲笑にも似た酷薄な笑顔が張り付いた顔に、銀の刺繍がジクザグな模様刻んだベストは黒。スラックスも黒、ボウタイまで黒、まさに錬金術師、という胡散くささを放散する二十代後半の男だった。
「うん、今日もいい日だ。そう思わないかね?ロゼッタ君」
「は、はい。ハー、ロット」
ロゼッタと呼ばれた彼女は、銀のお盆に赤い顔を隠してしまう。クラシックスタイルのメイド服に幅広のレザーベルト。どちらも黒を基調としたもので、二人が並ぶと、不吉でありながら静謐な夜を思わす。ふと、懐中時計を確認したハーロットと呼ばれる男は、棚から本と薄い羊皮紙を取り出し、机の上に並べた。
「今日は、薬品の調合をおさらいとしよう。まずは、性的欲求を抑える即効性の鎮静剤と、その逆、アルラウネの蜜や愛液のもつ媚薬としての効果についてだ」
「は、い。ハー、ロット」
赤い顔で俯いたままだが、ロゼッタは素直に椅子へと座り、使い込まれた羽ペンを手にした。
 つまり、一言で説明するには困るのだが、二人はそういった相互互助を目的とした関係なのであった。


 ――――――――――――――――――――――――


 銀拳のハーロット。およそ錬金術師としては不似合いな通り名は、純銀の籠手と彼の凶暴性を一言で言い表したものであり、ハーロット・ムスターファをまさに象徴したものだった。若くして義肢などの代替身体の練成や接続の研究なども行い、肉体や機械を対象とした練成技術において、1、2を争う鬼才だが、時に人を人とも思わぬ暴虐もまた、鬼そのものとして知られている。
 一時、東方の人間を助手としていた時期を除き、研究所において孤独を最上とし、本人を除いてその研究の根幹を知る者はいない。魔術式爆縮カートッリジ、構成組み換え式金属など、様々な成果も上げており、技術の公開や研究成果の貸与を要求する人間もいるものの、多くは『断る』という拒否の言葉か、あの銀腕を用いた一撃によって黙る。
 そんな彼の出会いとは、稀少鉱石を目的としたフィールドワークの最中だった。
「開始」
 森林の奥。大樹に囲まれ、陽光も微かにしか届かない地面へ設置されていた地質調査用ランスが唸る。設計、製作を統合院所属の研究者が行った縦長の機械は、短槍を炸薬で射出して地面へ撃ち込む。その際の衝撃を練成式に通し、図形として出力、紙面へ焼き付け、地中の鉱脈を探っているのだ。
 地面へ刺された杭の表面、刻まれた練成式から拾い上げられた情報が杭へ巻かれた銅線へ伝わり、加熱された銅線が生き物のように動く。紙面へ銅線から焼き付けられていく地質の調査情報、地層の断面図や反響からの材質予測などを眼で追っていたハーロットは、特に反響の少なかった層を見つけ、眼鏡の奥で目元を歪める。笑ったのだろう。
 物質置換の練成式を地面に描こうとしていた時、銀腕の指先から警告音が皮膚を通して響く。何かを感知した時の警告音の一つ、鈴の音は魔物の接近についてで、身を低くしたハーロットは、銀腕の制御ピンを抜いていく。駆動系の回転数制限が解除され、皮膚へ密着した装甲が細かく振動し、戦闘態勢に低く唸る。
「――――――!」
頭上から、収束された衝撃波が唸る。避けながら空を仰ぎ、ハーピーかと空を睨んだが、空中で細かくホバリングする姿から相手の正体を遅く理解した。
「成る程。ワーバットとは」
大樹の枝に逆さにぶら下がる肢体。細かく震える頭部の長い耳は兎にも似ているが、皮膜の翼は軽い身体を器用に安定させる。つい数秒前も、この薄暗い森の中を気配もないまま高速飛行してもいた。その無音での動作は他の魔物を上回り、ハーロットは気付かぬ間に彼女達は囲まれていた。
「女の下で過労死とは、喜ばしくも非合理的な死に様かもしれないが」
既に残弾無しの調査用ランスを肩に、ハーロットは逃亡の用意を済ませている。あとは研究室に篭りきりである身体が、どれだけの速度で走れるかなのだが。
「さて、効くだろうか?」
独り言の途中、ベストの胸ポケットから何かを取り出している。傍目には金属片にしか見えないが、耳を塞ぎながら彼が口に加えた瞬間、無形の衝撃が彼女達を襲った。
 商品名『ドキッ!ワーウルフも脳殺!凶悪犬笛』は、その高周波が耳朶を通して三半規管を攻撃、あわゆくば気絶させる事を目的とした統合院の人間が試作した商品で、現在は性能の凶悪さから、統合院内の獣人達の抗議によって商品化と販売を禁止されている。
 そんな曰く付きの商品だけあり、聴覚に優れたワーバット達が端から落ちてくる。その隙に逃亡したハーロットは、犬笛を口にしたまま疾走する。
「よし・・・今後の課題は・・・肉体強化薬の開発としよう・・・」
息を荒くして走るハーロットだが、銀腕から伝わる鈴の音が増大した。ほとんど転ぶように前転して難を逃れたハーロットは、地面へ小規模な炸裂をした衝撃波の正体、超音波の威力を前に、眼鏡の位置を直した。
「そこまで執着されるほど、色男のつもりはないがね」
人を嘲笑うかの表情に変化はない。それでも、犬笛の威力を超音波で相殺したのか、飛行に支障の無さそうな相手を前に警戒の構えを見せていた。
「貴方、統合院の人間?」
いきなりの問いに驚く。野生、それもこんな僻地の魔物に、ここまで流暢な喋りを予想していなかったのもあるが、その物腰にもまた驚く。初見の道具を発動前に見抜いた事から、そこそこの理解力や勘の良さは想像していたものの、こうも理知敵な対話とは。精々が襲って犯すだけの化け物と軽んじていたが、なかなかどうして。
「どうやら今後、ワーバットについて図鑑の編纂を要求せねばならないようだ・・・それで、君の望みとは何かね?麗しのワーバット君」
「・・・ロゼッタよ。その下らない道具の音、止めてもらえないかしら?」
蔑視と警戒の視線を浴びせながら、ロゼッタと名乗った女が舞い降りる。犬笛こそ口から離していないものの、ハーロットは対話に応じ、ロゼッタを見つめる。
「他の面子は君ほ理性的とは言えなかったからね。話は歩きながらでも?」
「好きにして」
銀腕の制御ピンを戻しながら、二人は森の外へ向かって歩き出す。
「統合院に所属したい?」
「正確には、統合院にある資料が欲しい、と言うべきかもしれないけど」
道すがら、ロゼッタの口から聞かされたのは、ハーロットさえ感嘆させる単語の数々だった。
 現魔王の影響によって、魔物の女性化、もしくは女性比率が増加の一途を辿っている今、これ以上のペースで男女比率の偏りを招いた場合、近いうちに人間ともども魔物すら滅びるのではないかという懸念を持った魔物達の存在。近いうち、と言うのが魔物の視点なのはさておいて、事実、魔物と人間の間からは魔物しか生まれないと言われている。未だ、孫や曾孫の世代までその影響が及ぶかは定かでないものの、少なくとも現魔王が存続し続ける限り、女性型の魔物は増加していくだろう。諸王領などとは違い、王国と呼ばれる場所では、浚われれば殺されて喰われると脅し、自衛を意識させているが、それも少し外を知っている人間にしてみれば笑い話にされかねないのが現状だという。
「想像してみれば簡単でしょうね。スライムも女、ミミックも女、オーク、ゴブリンまでが女。これだけ影響が出ていれば、
種族間でも人間の男の争奪戦が起きているもの。ホーネットとハニービーの確執なんて、魔物の世界では表面的で解り易い部類だし、比較的数の多い人間という種族が正常だから成り立っているのが今の世界よ」
 まさか魔物の口から世界のバランスについて語られるとは錬金術師すら考えていなかった。良くも悪くも統合院に存在する魔物達は、自身の興味の対象があるから研究や開発を行っているだけであり、世界がどうなろうが最後の最後まで我関せずを通して統合院から出ようともしないだろう。
 フィールドワークがてら魔物のうようよする場所を探索する人間など、銀腕の馬鹿か、盗掘屋、あとは冒険者が精々である。しかしそれだけ外の世界にも眼が向いている事にもなる。
「迂遠な破滅とはな。しかし、魔物の因子とはいえ遺伝子学的な特性まで破綻させる力はないと、どこかの魔女は言っていたように記憶しているが」
「確証はないわ。それに、魔物の総数を知っているの?その全てが女であると仮定すれば?」
「・・・人間が支えきれる状況でもないようだ。確かに破滅を招きかねない」
「そうよ」
「ふむ。それをどうやって防ぐつもりだ?」
敵意を含む視線が今までの会話で緩和されているものの、ロゼッタからは変わらず警戒と牽制が感じられていた。それでも、これまでの会話で思想的な偏りもなく、知性も理性も低くはないと判断されたのか、ハーロットの質問には、順序だてて答えてくれる。
「大規模な人間狩りにでも発展すれば、今度は戦争という形で生態系のバランスは崩れていく。現在、私のような存在、仮称として世界維持思想者と名乗っているのだけれど、私達の目標は二つ」
 一つ。現在の魔王である最強のサキュバスを討伐する事。
 一つ。現状の生態系を、少なくともあと数百年は維持できるシステムを造る事。
「これらが世界維持思想者の究極的な目的よ。ただ、本能的に人間を襲い続ける限り、討伐にも、社会のシステム構築にも、人間の力は借りられない。そこで、まずは性的欲求を抑える薬や、魔王の影響を跳ね除ける力を研究してるのよ」
「実に壮大だな。驚いたよ」
そう喋る間にも、ハーロットの脳内で論理が組み上げられていく。魔物と人間の関係性についての現状を打破し、外交が可能となる国家レベルでの意思疎通の段階へ整えながらも、魔王討伐を可能とする人間を揃える方法を編み出さなければならない。
「なんと面白い課題だ。人生を賭けるに値するほどに素晴らしい」
眼鏡の奥、狂気すら感じられる満面の笑顔がロゼッタに向けられる。
「よかろう。私は全面的に協力する。君には、私の助手という立場を提供し、その立場を介して君への教授と、資料収集の手助けをしよう。代わりに、君は私の実験に対して協力して欲しい。それらは平行して学んでもらうから、少しばかり面倒で難しくなるぞ。さて、私は人生を賭けて付き合おう。どうするかね?」
森の終わり。太陽の下へと歩み出たハーロットが振り向く。その掌を彼女へ向けて無造作に突き出す。
 既に彼は、今までの会話で得た情報から新たな方向性を探っている。飽くまで研究者であり、人生すら探究心を満足する為に用意されたで過程と考える、合理的でありながら狂的である錬金術師の貌。差し出された掌を前に、ロゼッタは前髪の奥、鋭い眼差しで相手を探る。
 ぞくりと背筋が泡立つような緊張。悪魔との契約に似た申し出。しかし相手は、対等に、そして同盟者として、ロゼッタへ躊躇いなくその手を差し出した。好意だけではない、好奇心だけではない、まるで告白を思わず言葉の真意は、研究についての互助を目的とした協定。
 その手へ、一歩踏み出したロゼッタの皮膜の先が乗せられる。ワーバットの習性、陽光に晒される羞恥に顔は膨れ上がるほど真っ赤となるが、震える身体を翼で隠しながら、前髪の奥から掠れ声が漏れる。こんな行動に出るまでに、どれだけの決意があったのだろうか。
「よ、よろ、しく」
「よろしく。ロゼッタ君」
震える彼女の手を引き、彼は統合院へと戻った。


 ――――――――――――――――――――――――


「タイミングを合わせたまえ。爆縮カートリッジは制御手順が要だ」
「ま、ま、まち、がえたばあいは!?」
「燃え尽きて死ぬ」
「え、え、えぇぇぇぇ!?」
 そういった事情から、ハーロットは助手兼メイドとしてロゼッタを自身の研究室へ迎え入れた。元々、不随意筋や副交感神経から、生体のホルモンバランスに海綿体の研究までと、義肢を研究する過程で学んだ身体の構造についての経験や研究も豊富だった彼は、その知識を流用して鎮静剤の一種として期間も威力も自在の性的欲求抑制剤の開発を片手間にやってのけ、その作成方法や実験の基礎理論、更には、研究成果である人体機構についての論理までをロゼッタに教えた。
「まず照準を合わせる。狙い撃つ時には、射線と距離の確認。それは魔術であれ装置であれ同じだ」
「そ、その機構を、撃つ時、は?」
「覚悟しなくてはならない。死の危険が付き纏う」
「し、死!?」
 しかも、その間に彼自身も新たな研究を秘密裏に立ち上げていた。戦闘力を測るバイザー型の計測器や、用途に合わせた人体強化薬、転移魔術をベースとした瞬間移動法装置など、すぐに完成したものから、完成時期の不明な装置までだが、全てから共通して伝わってくる事のは、愉快犯的な衝動と、どこまでも捻じ曲がった情熱。
 人生の在り方を見つけたおかげか、ハーロットの狂気も、次第に方向性を変えていこうとしている。
 そんな、とある日。
 お茶の時間を楽しむハーロットは動かしていたペンを止め、不意に顔を上げた。
「ロゼッタ君、君には恋人がいるのかね?」
「い、いえ!いませ!いません!」
怖ろしく不似合いな言葉に、驚きと羞恥に動揺したロゼッタが応える。ほとんど銀の盆で顔を隠しているものの、前髪の奥から覗く瞳には、警戒の光が鈍く輝いている。
「すまない。興味本位で聞くべき事ではなかったな」
「きょ、興味、が、あるの、で、ですか?」
尾があれば、よほど毛が逆立っているであろうロゼッタの様子に、眼鏡の奥、ハーロットは瞑目しているように瞼を閉じた。
「ロゼッタ君、もし、目的が叶えばどうするつもりかね?」
その言葉に、ロゼッタの気配が変わった。思い悩むかの沈黙を続けている彼女を前に、ハーロットは、部屋のカーテンを閉める。ロゼッタは、迷いながらも唇を開いた。羞恥が消えたおかげで冷静になったのか、小さな決意を必要とする言葉の羅列を確かめるように唇を引き結んだ後、ハーロットへ包み隠さず口にしてみる。
「私の世代で叶うとすれば、私は私として、自由に恋愛したい」
薄暗い部屋の中、対面の椅子へ座ったロゼッタからの言葉。ハーロットは紅茶の入ったコップを手に、片手でペンを回す。
「詳しく聞かせてはくれないかね?」
「本能で恋をするのは屈辱なのよ。だって、交尾したいから愛してる、なんて、面白くないじゃない?」
暗い部屋の中、物思いに耽るロゼッタの顔は容易に想像できた。日の下でない彼女は理性と論理で言葉を紡ぐ。日の下であれ、羞恥に隠れた心の内では、同じように論理や理論が渦を巻き、思い悩むからこそ望む未来への探究心が消えないのだとハーロットは思っていた。
 だが、違うのだ。
 人が人である限り性欲はある。しかし、それは命と引き換えにするべき情動ではないし、しなくてもいいと理性は抑えてもくれる。しかし、彼女達、魔物は違うのかもしれない。襲いたいから襲う。けれど、襲わなくては心が保てないほどに強固な本能でもある。そんな摂理に抗いたい者がいるとすれば、彼女もまた、苦痛の中で生きてきたのかもしれない。
 気持ちいいからそれでいい。そんな単純な言葉で割り切れない彼女は変わり者だろう。
「円環を描く日々の営みの中で、まるで爆発するみたいに本能で先走って、それから後悔して。魔物だからって納得できるモノでもなかったのよ」
ハーロットは答えられなかった。易い慰めの言葉なら用意もできるが、易いだけの慰めなら、彼女は必要としない。彼女の芯は、彼が思っていた以上、そして、彼女が考えている以上に凛として気高いものだから。
 冷えた紅茶を口に運んだハーロットは、形にならない言葉を、少しずつ、整理しながら語っていく。
「・・・古い話になるが、私は魔術を学んだ事もあった。統合院に入るより前にな。知識が顕現するという事実に、心は躍った。毎日、術式と睨み合っては研鑽を続けた」
過去を振り返りながら、言葉の一つ一つを噛み締める。自分の求める答えへの道筋が、朧げにも、現れようとしていた。
「金より、女より、知識にこそ自分は溺れた。その知識がどこで生かせるかには興味なく、ただ慢心したまま学び続けた」
ハーロットの言葉からは感情が排除されている。過去を記録として扱い、奥底を眺めている今、彼の心には何が浮かんだのだろうか。
 悩み、言葉を止める。上手く形にできなかったはずの言葉を、ハーロットは乾いた唇から、ゆっくりと語ろうとしていた。 
「だが、上手くいかないものでな」
銀の籠手が外される。籠手を固定する薄い皮膜状の白い手袋が外された下、皮膚には幾重にも爛れた火傷の痕が残っていた。
「腕が損なわれるほどの大怪我だ。左に至っては神経も傷付き、籠手の補助が無ければ指も動かない」
籠手の内側、電極の並ぶ内部構造は、時折、脈動するように光が瞬いている。
「結果、魔術師の限界を思い知らされた。自分の実力と共に。それでも求める事はやめられない。既に本能に近い」
もたつきながらも手袋を戻し、籠手を装着する。指先の動きを確かめたハーロットが眼鏡を外し、ロゼッタの瞳をそのまま見た。
「故に尊敬する。私達は同胞だ。求めるものに対しての真摯さは、どんな事にも変えられぬ。研究者としてだけでなく、限りなく信頼できる者として、私は君の最も親しき隣人でいたいと思った」
銀の籠手が伸ばされる。向けられた鋼の掌に、躊躇いながらも、その手が重ねられる。
 薄暗い部屋での握手。欲望と生きてきた男と、欲望に抗ってきた女の共感がそこには在った。
 尊敬と信頼と呼ぶには相応しくないかもしれない。
 それでも、絆に違いはない。
 愛には遠く、それでいて互いの薬指を握るような感触を、二人は忘れぬよう自身に刻んでいた。


 ――――――――――――――――――――――――


 そんな没頭と授業の日々の中、配達担当ミミックから手紙が届けられた。
「ゴーレムの実験についての集会?」
紙面を見たハーロットが唸る。統合院では、羊皮紙からパピルスに木簡、漉いた紙まで使っているが、彼の手元にあるのは羊皮紙に流麗な筆記体が刻まれた、これでもかと形式的な文面。よほど面倒で仕方ないのか、ハーロットは憎憎しげに文字列を睨んでいる。
「ふん、馬鹿馬鹿しい。何故、私が手伝わねばならんのか」
「よ、要請、には、統合院、院長の捺印、も、あります、が」
大人気なく舌打ちしながらも、その表情に諦めが表れた。
「・・・仕方がない」
重い腰を上げたハーロットは、仕方無さそうに立ち上がる。
「今日の仕事はここまで。机の上に出した二冊はそのまま読んでおくといい。悪いが、午後は研究室を空ける」
「は、はい。お気を、つけ、て」
扉から出る背中。残されたロゼッタは、研究資料の整理を始める。眼鏡の奥に隠れた無機質な眼には未だに慣れないが、以前にも助手がいた時期があるらしく、その教え方には無駄がない。ある程度の突き放しながらも、間違いがちな要点は順序立てて説明してくれる。
 幸運だった。共存派とも違うが、偏見も執着もないハーロットは、対価として資料の整理、家事、開発した道具の管理などしか要求しなかった。魔物を対象とした人身売買が囁かれる中、いとも簡単に見覚えの無い魔物を信頼し、傍に置いた。
 その事について尋ねた事もある。
「ふむ。そういった考えもあるが、脅しや強制、暴力を行使しなかった君を評価している。それに、これまでも悪意ある行動も無かった」
眼鏡の奥、物憂げな視線が宙を泳ぐ。
「研究にしろ、理念にしろ、私は君を信頼しているつもりだ」
それに、そうハーロットが付け加える。
「私の敵に回るつもりなら覚悟してくれたまえ。君の故郷の森ごと同族が消える」
銀の籠手が軋む。入浴を除いて外されないそれは、防具でありながら武器でもあると主張されていた。
 あの時の眼は、どんな感情を映していただろうか。
 あの、どこか非人間的な様子から常に感じる威圧に、嫌悪と拒絶の感情もある。それでいて、、どこか空虚な様子には孤独や寂寥を共感し、嫌う事もできなければ、好きにもなれない奇妙な距離感が存在した。彼の消極的な行動と太陽の下での自分が重なってしまう所為もある。
「あぁ、もう」
割り切れない感情に声が漏れる。一人の時であれば光の下であっても緊張や羞恥の感情も抑えられるので、言葉も滑らかに口から飛び出す。それが意味の無い唸りである事は悲しいが、大きく息を吸い込むと、鼻の奥が湿るような感覚が感じられた。
「雨・・・?」
厚い雲が重なり、空は陰ろうとしている。下がる気温はどこか不吉に感じられた。
「大変、洗濯物が濡れないうちに」
部屋を出ようとしたロゼッタのスカートに、コート掛けの金具に引っかかった。太股まで持ち上がった長い裾を慌てて押さえたロゼッタの腿の位置、機械的な作動音がした。曲がったコート掛けの隙間から覗く歯車が回り始めると、回転の振動が幾重にも増えていく。
「な、何?」
本棚が割れ、中央から左右に別れる。連動して奥から迫り出したクローゼットが開いた時、恐怖に背を強張らせたロゼッタは、膝から崩れ落ちる。
「な、な、な」
人の腱、人の肉、人の皮。それらを模造した品々が薬品漬けで並べられ、中央には機械で形作られた人体模型がぶら下げられている。幾百もの整形されたクリスタルの棒に囲まれたそれらは、今にも動き出しそうなほど生々しく鼓動を繰り返す。
 機械製の義肢が玉座のように組み重なり、まるで祭壇の様相を呈した秘密の収納を前に、あまりの光景に腰を抜かしていたロゼッタが、掠れた声で呟いた。
「これは・・・何なの・・・?」
落ちた布が地面に転がる。その布が衝撃に反応して小刻みに震えたかと思うと、空気で膨らむように手袋の形に変化していく。材質すら変質したような過程は、まるでこの部屋そのものが、錬金術師の釜、鉛を金に変える炉であるような錯覚させた。

 
 ――――――――――――――――――――――――


 ゴーレム。魔物として名前が知られているが、古代においては埋葬に際しての生贄の代替、ヒトガタとして製作されていた国もあるという。その思想、技術体系、年代、全てがまったく別といっていい。兵器として開発された者もあれば、王の身代わりとして用意された者、神の寄り代とされていた者。
 近代では、出土した年代も場所も不明な遺伝子採集型、性交すら可能な生体型が多数確認されている。現在の魔王に製作されたなどの諸説はあるものの、その仔細は謎に包まれたままである。そんな生体型への到達を目的とし、自らの手でゴーレムの創造を研究する学者の成果が、ハーロットの目の前にあった。
 製造されたゴーレムは、未だ機械をベースとされている。石膏で仮に顔を形成しているものの、四肢や胴体からは、様々なケーブルやコードが伸びたまま、装甲板一つ溶接されていない。立ち回る助手や研究者グループから距離を置いた所で、研究成果の立会い人の一人である彼は、特に興味も無さそうに作業光景を眺めている。
「ハーロット、アンタの評価は?」
同期であるコクトー・ダーレスからの問いに胡乱げな視線が向けられる。長い茶色の髪を束ねた猫背の女は、彼の三つ下、古い友人として、統合院在籍以来の付き合いである。
「今の段階では興味は沸かない。既存の技術の他に、見覚えのない練成方式が組み込まれてはいるがね、力の循環経路と構造から生まれるロスを考えると、燃料供給用のパイプが外せない。あれではゴーレムと呼べるのかさえ疑問だ」
「ご高説どうも。ハーロット・ムスターファ殿」
ハーロットの前、神経質そうな老人のしゃがれた声が研究室に響いた。骨と皮だけのような痩せた身体に白衣を纏い、整えられた髪は白髪混じりの金髪。鷲鼻の上の片眼鏡が、皴に埋まるように揺れている。
「失礼。推測をして暇を潰していたのだが、訂正があれば是非聞きかせてもらえないかね?」
「・・・稼動した姿を見れば、すぐに解る」
忌々しげな舌打ちを残し、痩せた老人はゴーレムの方へ立ち去った。
「アンダラの爺さん、未だにアンタを敵視してるみたいだね」
アンダラ・ダーレス。ゴーレムの研究を長年に渡って続けている統合院古参の一人を、さも気安くアンダラの爺さんと呼び捨てるコクトーは、名前からも推測される通り、アンダラ老の孫娘にあたる。彼の影響で統合院に所属するまでの研究者となったのかは定かでないが、彼女と老人の間に交流は、ハーロットの知る限りでは皆無。
「・・・ご苦労な事だよ。私とあの老人では、研究の目的がまるで違うのだが」
「それにしたって、自分の半分も生きてない研究者に、義肢の研究という分野から生体部品の性能を凌駕されて以来、その男の研究成果を上回る結果を一つとして出せないってのはどうにも許せないんだと思うよ。そのベストだって、爺さんが機械部位の伸縮に関する研究をしている時、さも簡単だったとばかりに君が完成させたものだし」
「正直、私は彼の現状こそ不可思議と思っているがね」
興味深げなコクトーにベストの表面を検分されながら、ハーロットが呟く。
「彼による機械を用いた人体構築論は、私が統合院に来た時には完成されていた。にもかかわらず、この数年において何一つ進歩のない事の方が納得できないのだ」
「・・・言われてみれば、そんな気もするけど」
今気付いたとばかりに首を捻るコクトーが、回転数の高まった練成炉の反応に顔を上げた。ハーロットの推測通り、機械式ゴーレムの稼動には外部からのエネルギー供給が必要らしく、その供給元として使用されているのが、小型の練成炉による練成反応を利用した機関であるらしい。
 機械式ゴーレムが動き出す。練成炉で変換と出力が行われている電力によって、四肢が伸ばされ、床を踏みしめた。身体の重心が安定、数本のケーブルがコネクターごとパージされ、次第に機械式ゴーレムの拘束となる配線が一本、また一本と減っていく。
「基本制御機構の安定を確認、変換練成式、起動しますか?」
「起動しろ」
「変換練成式、起動します」
助手とのやりとりが終わると同時、空気中が帯電したように震える。事実、空気中で弾けていた小さな電光が機体へ収束していき、陽炎に似た揺らぎがゴーレムの周囲を取り巻き始めた。ゴーレムの実像に、淡い幻影、空間へ投影された映像が、次第に焦点を合わせていくように重なる。
 情報が練成式と紫電によって空間に構築されていく。他にも、分子や原子の運動法則が強引にキャンセルされているようにも推測できたが、それ以上を説明する事はできなかった。
 骨格から最後のパイプが外れた。同時に全身が別の像に覆われた。ぼやけた輪郭が、次第に鮮明に変化していく。藍色のサマードレスを身に纏った美女。妖艶な微笑みと共に頭が下げられると、肩を飾る石版、そして渦を巻く長く真っ赤な髪がゆらゆらと揺れた。
「・・・驚いた。機械骨格を基礎に、練成式で生体を合成してしまうなんてね。準備にどれだけかかったかも想像できない」
「待ちたまえ」
立ち上がりかけたコクトーをハーロットが庇う。その動きを怪訝な表情で見返したコクトーの目の前、ゴーレムの服、丈の短いスカートから何がが零れ落ちた。
「え?」
絶望の表情で崩れ落ちかけたアンダラ。それを助手が支え、機材を盾に隠れる。反応のできなかったコクトーの目の前では、転がる球形爆弾が、そのピンをバネで弾き飛ばす。信管の反応までの短い時間が限りなく無限に引き延ばされていく感覚の中、立ち塞がるハーロットが呟く。
「close arm lock off」
閉じた腕よ。枷を外せ。
簡素な命令に対し、ベストの表面に練成式が浮かび上がり、表面に編みこまれていた金属繊維が何かを形成しようと蠢いた。
「ARMS open 」
兵器は解放される。
歯車がぶつかり合う衝突音と同時、閃光と爆炎の中に全てが消えた。
吹き荒れる衝撃の中、何かの展開する駆動音と共に、彼女とハーロットの周囲の空間が、全てを拒絶し、破壊の嵐を防御していた。
「展開確認。model code:マーカス」
ベストの表面から出現した二本の機械腕が、背中から生えた扁平な胴体に支えられている。スコープ型の隻眼だけが頭部を構成した無機質な容貌、しかし、黒い全身から発される破壊衝動は怖ろしく威圧的だった。
「stay mode《待機状態》」
二重に聞こえる独特の行動言語を口にした機械人形、その名をマーカスが、両腕をだらりと垂らす。強大な電磁波を放出していたコレーダーが収納され、手首のリングに刻印された練成式からの放熱で空気が焦げるほど熱くなる。ハーロットの着たベストの下、シャツの表面にも硬質なフレームが浮き上がって、骨格を覆うように張り巡らされていた。
「電磁防壁の出力も上がっているな。今後の課題は、半永久機関の研究としよう」
まるで巨大なパペットを思わす人型機械が、制御デバイスである銀の籠手の動作に合わせて動く。対面、同じように周囲を拒絶する何らかの結界によって自身を守っていた赤髪のゴーレムは、優雅な表情を崩す事なく両肩の皮膚装甲を展開。覗かせた吸気口から大量の酸素吸引を開始すると、機関出力を上昇させていく。
「block of offense《攻勢防御します》」
「了承する。黙らせてしまえ」
「ま、待ってくれ!Aモデルを壊さないでくれ!」
悲鳴に近いアンダラの言葉より先に、突進するゴーレムによって、マーカスごとハーロットが吹き飛ばされた。壁を破砕しながら外、学院の中庭へ放り出されたハーロットへ、跳躍したゴーレムの右腕の肘が展開される。小雨の降り注ぐ中、腕の断面から白い弾頭を晒すゴーレムの微笑みは変わらない。弾頭の露出と同時、発射シークエンスが瞬時に終了される。今にも飛び出そうとする生体ミサイルを前にしてさえ、ハーロットの顔色も変わらっていなかった。
「マーカス、spread needle all fire」
「yes.my lord《了解。私の御主人様》」
 炸裂する棘を全弾ぶちまけろという意図を含んだ命令。
 照準修正と対象の固定。中庭で休憩していた面々が逃げ出す中、マーカスは忠実かつ迅速に従う。扁平な背部装甲が細かく分裂して展開され、六角の細かな装甲として一時分離した場所から、鋼鉄のコルク栓を思わす小型弾頭が発射されていく。
 豪雨より激しい弾頭の群れと、射出された生体ミサイルが衝突。指向性をもたされたそれぞれの弾頭が、それぞれの目標を破壊する為に爆発するも、相殺された炎熱が暴風だけを撒き散らし、着地したゴーレムと、中庭に佇むハーロットは無傷のまま向き合う。ゴーレムの豪腕が唸り、受け止めたマーカスの下、支えるハーロットの革靴が地面を浅く陥没させた。骨と筋肉だけでは実現できない頑強さは、服の下にも何かを仕込んでいるからだろう。素早く放たれた横薙ぎの蹴りだけでゴーレムが転がり、体勢を立て直した瞬間にマーカスの拳が放たれる。
 連続攻撃は後方宙返りからのバックステップで回避された。しかし、その間にもマーカスが両腕の装甲を展開する。
「マーカス、big fire save」
「・・・yesyes《はいはい》」
何らかの武装を使い、膨大な火力による一掃を行おうとした所をハーロットが止める。先程からの攻撃パターンからしても、防御を除いて武装火器は使用されていない。それほど危険らしいが、このままではゴーレムも抑えられない。周囲を見回し、遠巻きに様子を見守る面々を一瞥。ハーロットはぶつぶつと考えを整理する。
「アーツモデルは使えないようだ。ふむ、面倒だな。救援を要請しよう」
懐から取り出された懐中時計。側面のボタンを押されると、時計が外れ、奥からマイクらしき端末が露出した。


 ――――――――――――――――――――――――


『ロゼッタ君!目の前にある箱を輸送してくれ!』
突然響いたハーロットの声に、どうにかして棚を戻そうとしていたロゼッタが驚きに飛び上がった。さすがに統合院暮らしにも慣れてきた頃だったので、声の出所が無線機と呼ばれる音の入出力装置である事は理解していた。構造こそ解らないものの、ロゼッタは風の精霊が言葉を伝えるようなものとでも考え、納得している。
「こ、これ?」
足元、楽器でも収納するかの黒いケースを引っ張りだしたロゼッタが、指示された場所を目測して窓を蹴る。足爪でケースを掴むと、大きく羽を伸ばし、一気に飛び上がった。
「いい加減にして欲しいわね!」
曇り空の下に出ると、光に対する恐怖と羞恥からロゼッタが解放される。頭から血が下がり、冷静な顔が表に出る。俊敏な動きで滑空したロゼッタは、中庭で待ち構えていたハーロットの頭上へ、まったくずれる事もなく黒いケースを投下した。風に踊るスカートの裾の下、ガーターベルトは、クリスタルに飾られている。
「いい反応だよロゼッタ君!」
向き合う赤毛の女を前に、黒いケースが開かれる。使用用途の判然としないケースがハーロットに握られると同時、彼の雰囲気が一変した。
「さぁ、フィナーレと行こうか」
まさに悪魔を思わす笑い顔を前に、ロゼッタは初めて、背筋が震えるほどの感情を覚えていた。魔的で、まさに異常な貌。だからこそ心臓の奥まで魅了される。
 曇り空からは、ついには雨が降り出してきた。
 開かれたケースの中には赤い炎球が閉じ込められたクリスタル。これこそがハーロットの研究成果、その一である。 義肢を形成する場合、動きを制御する神経系、動く為の筋肉部位、動かす為の動力機関が必要となる。限られた許容量、腕一本の中に機関を一つ積むとすれば、サイズの縮小にもそれ相応の努力が必要だった。そして、ハーロットが義肢の構成に用いた発明が、魔術式爆縮カートリッジ。
 クリスタルの中に密閉された火炎術式の総量、およそ中級魔術一発分を標準とし、高等魔術一発分を最大とする。端的に表現するならば、家屋の火災から山火事を引き起こす熱量までを、自在に制御可能し、発動までのプロトコルさえ間違えなければどんな場合においても安定した出力を維持できる。
「ロゼッタ君、順序は覚えているね?」
それが例え、雨の中であっても。
「・・・あの講義、戦闘訓練だったのね」
数週間前、爆縮カートリッジ応用に際し、教えられた手順がある。
「キーコードの発音からレールの成形」
ぶつぶつと記憶を反芻するロゼッタ。戦闘力において他の魔物に劣るともされるワーバットだが、彼女の場合、偉大なる錬金術の師による教えがあった。
『タイミングを合わせたまえ。爆縮カートリッジは制御手順が要だ』
思い出した過去の言葉と共に、ガーターベルトからクリスタルを引き抜く。中央に輝く炎を核とした練成式と魔術式の混合回路に封じられた火力を、ハーロットは砂糖菓子のように軽く扱ってみせる。
「恐怖の感情は初めてかね?」
ハーロットの握るクリスタルに脅威を認めたのか、動きを止め、防御姿勢へ移行したゴーレム。微笑みは強張り、頬の筋肉が痙攣するように震える。笑顔こそが仮面である彼女は、未知の感情に晒され、混乱し、頭の中の論理が少しずつ処理速度を劣化さ
せていく。回避パターンの予測を行おうとした思考ルーチンがかき乱され、演算効率が時間の経過と共に下がっていく。逃亡の成功予想が七割を超えた時、脳内のエラーメッセージは二桁を越えようとしていた。
ケースから取り出された真っ赤に燃え滾るクリスタルを側面から銀の籠手へ装填する。最後の一発をマーカスの横腹から装填すると同時、マーカスの背面スリットから蒸気が吹き上がる。
「face guard on」
貌を隠させてもらう。
 そう呟いたハーロットの顔を、マーカスの一部が鋼鉄の仮面として覆った。殊更にゆっくりと、まるで見せ付けるようにゴーレムの目の前で用意が行われる。今まで使用を躊躇っていた兵装と何が違うのか、彼の顔に躊躇いはない。
「ロゼッタ君」
「・・・キーコードとレール・・・はい、いつでも」
「良し」
同時に靴裏が地面を擦る。黒く淀んだハーロットの靴と、ベルベットブラックに輝くロゼッタの靴が。
 泥を蹴り、マーカスが両手を地面へ伸ばし、姿勢を沈めたハーロットとは対照的に、ロゼッタは両翼を大きく広げ、口元にクリスタルを咥えている。
「lady」
構え。
「go!」
突貫。
機械腕と両足が地を突き飛ばし、両翼と鉤爪が風を叩いた。動いた二人を阻み、防御結界が展開される。分厚い力場の壁を前にロゼッタが先行した。
雨を浴びた前髪が額に張り付く。僅かに見えた瞳は、ただ鋭く前を見据えている。
「fire is lance」
炎は槍。
ロゼッタの口元、咥えていたクリスタルが砕ける。術式の焦点として意識していた目の前の空間に顕現を始めた爆炎。それが出口を求めた揺れた時、口蓋で反響させた超音波による指向性が与えられ、一瞬にして炎に『向き』が生まれた。超音波によって形成された空気のレールに従い、爆炎が炎槍になる。防御結界へ直撃した炎に体勢を崩すゴーレムに対し、二発目の炎槍による追撃によって、防御結界が崩壊した。
「ハーロット!」
「準備は終わっている」
炎槍の余波によって、蒸発した雨が蒸気として周囲に立ち込め、姿勢を沈めたハーロットの姿を隠してゴーレムは見えていない。ロゼッタに照準を合わせたゴーレムが遅く接近を感知した時には、マーカスの両手が地面を突き飛ばすように跳び、防御に身構えたゴーレムを前に、跳躍から格闘の姿勢に構えを変えていた両拳が続けざまに襲う。両腕で攻撃を捌くゴーレムに対し、姿勢を沈めたハーロットの足が跳ね上がる。下から放たれた蹴りが、対応の遅れたゴーレムを打ち上げる。
 防御ごと身体を浮かせたゴーレムの右腕が展開され、肘の断面から白い弾頭が覗いた。
 二度目の生体ミサイル。知識の中で知る爆薬を前に、身体を緊張させたハーロットの背後から風が過ぎ、飛翔したロゼッタの蹴りが叩きつけられた。
俊敏な一撃に右腕が捩れ、発射口が塞がれる。
「fly shift」
飛行姿勢に移行。
「yes my lord《了解。私の御主人様》」
短く、必要な単語だけの遣り取り。両手を左右に広げたマーカスの腕から衝撃波が噴き出す。空中に飛翔したハーロットの籠手、その掌には球形の水晶が露出していた。
 ゴーレムの額を掴む銀の指。掌から超高熱と閃光、そしてとろけるような炎が微笑みを嘗めていく。背中から地面に叩きつけた相手の上、片腕で吊るし上げたゴーレムの顔が軋みと共に炙られる。
「全弾打ち込ませていただこうか」
 爆発の衝撃と炎、熱、光。ゴーレムの顔の一部が剥離皹した。
 爆熱と激震、衝撃波と轟熱、閃光。ゴーレムの髪が千切れた。
 そしてその四肢の全ては、動かなくなる。
 ぬかるんだ地面に離されたゴーレムが落下。水飛沫と共に沈む顔を横目に、呟きと共にマーカスを収納したハーロットは、壁の破砕された研究室へ、その瞳を向けた。
「さて、少し話さないかね?」
自身の三倍近い人生を歩んできた老人へ、濡れたレンズの奥、篝火のように瞳が燃えた。
 濡れたエプロンを絞るロゼッタは、髪の隙間から空を見上げる。
 未だ、雨は上がらない。


 ――――――――――――――――――――――――


「Aモデルは、ごく最近になって発見された謎の機体だ」
虚ろな眼で説明するアンダラ。焦点の定まらない瞳は、ぼんやりと床を眺めている。
「モデルによって性能や状態は違うが、完全なまま現存している機体は確認されていない。私が手に入れた機体もまた、骨格のみが原型を保っていた。だが、それも・・・」
ぎしりと歯を噛み締めるアンダラ。しかし、目の前のハーロットは、泥に汚れたゴーレムを床に投げ出すと、興味のない様子で一瞥する。髪からは水滴が滴った。
「破壊してはいないつもりだ。再構築した表層と、一部駆動系は破損しただろうが、クリスタル一発分の魔力も放出していない」
装填と逆の動作と同時、クリスタルが排出される。そのクリスタルから輝きは失われておらず、今も炎球が内側で燃え盛っていた。
 その言葉に、アンダラはハーロットを睨む。
「私に、情けをかけたつもりか・・・!?」
「そんなつもりはない。私は見たいだけだ」
感情を感じさせない虚ろな瞳が迫る。老人の皴の刻まれた顔の前、眼鏡の奥には挑戦的なまでの笑みがあった。
「これからどうなる?何を完成させる?どうするつもりで?何が生まれる?」
楽しそうに、なのに、笑みからは、欠片も表情が感じ取れない。
「私は、人の求めるカタチこそを見たい」
アンダラが怯えを含んだ眼でハーロットを見返す。
 緊張は持続しない。諦めに似た動きと共に、やがては力を抜いた。
「もう、いい・・・。今日の実験は失敗だ。他の者も解散してくれ」
「先生」
助手からの視線に、アンダラが立ち上がった。真っ直ぐにハーロットを見返し、今度は視線を逸らそうとはしない。
「研究者として、これだけは言っておこう」
汚れた白衣が、何故か神聖にすら見える。
「次は成功させる。見ていろ」
その時、ロゼッタには見えた。
 ハーロットの表情に、安心したような空気が流れた事を。
 しかしその安心の裏には、どこか悲しげな空気もあった。


 ――――――――――――――――――――――――


「あぁ、実験で使うので、そちらの道は封鎖しておいて欲しい。この警報も付けておいてくれ」
伝声管越し、ハーロットの声が何処かへ伝えられていく。伝声管の蓋を閉じたハーロットは、ハンドルを回して統合院内へ繋げていた管を閉じた。
「雨は止んだな」
揺れる夕日が、ハーロットの眼鏡に反射した。


 ――――――――――――――――――――――――


 煌々と、燃えるランプの光が薄暗い室内を照らす。夜も深まる眠りの時間。分厚い本を閉じたハーロットは、眼鏡を外し、目元を何度か揉んだ。その手元、空のカップへ、ロゼッタの注ぐ紅茶が暖かい蒸気と共に紅いお茶を満たしていく。銀の籠手とカップの取っ手が触れ合う硬質な音。幾度かの嚥下を経て、そのカップも空になった。
「ロゼッタ君、少し、散歩しないかね?」
「は、はい?」
今までになかった言葉。ロゼッタが不思議そうに首を傾げながらも、手早くエプロンを外し、部屋を出て行くハーロットへ続いた。
 夕方まで降り続いた雨も止み、濡れた地面からは土の臭いがした。短い雑草を踏み分け、二人は統合院の守衛へ挨拶し、夜間外出のサインを書き込んでいく。
「逢引かい?若いねぇ」
老いた警備員は、ペンを渡しながら笑う。
「こんな夜に散歩も、風雅とは思わないかね?」
眼鏡の奥、曖昧なハーロットの表情にも笑顔が張り付いているようにも見えた。だが、ロゼッタはどこか不安になっていく。彼は目的があるから外に出ようとしている。ロゼッタには、その目的がまったく解らない。
「ところで、今夜、他に外出した人間は?」
「あぁ、ついさっき、どこかの助手が一人で天体観測に出たよ。望遠鏡の入ったバックを担いだ美人が、颯爽とな」
「成る程」
二人分の名前を残し、ハーロットが守衛室から離れた。開けられた夜間出口を通って外へ出ると、空では満月が輝いていた。
「・・・何のつもり?」
「はて、何がだ?」
ランプを片手に、ハーロットがロゼッタへ視線を向ける。夜という空間において冷静なロゼッタは、真剣な瞳で向き合う。
「夜間外出、散歩、随伴、どれも、初めての経験よ」
「ふむ、最近は研究ばかりだったので、フィールドワークはやっていなかったようだ」
ハーロットは答えながらも答えない。はぐらかしたまま、夜道を歩いていく。通りには人影一つ無く、統合院裏手の林道に入るまで、誰とも会わなかった。
「とぼけないで。こんな夜に、何の用なの?」
「端的に言えば、契約について、だ」
林道の途中、曲がり道で立ち止まる。置かれたベンチの上をハンカチで拭うと、その上に座る。
「座らないかね?」
仕方なく、そういった様子でロゼッタは座り、足を組んで隣を睨む。
「契約って?」
「私は君の目的を援助し、君は私の助手として助力するという関係についてだ」
ハーロットの顔には、既に笑みはない。見詰め合う二人は、固まるように動きを止めた。
「つまり?」
「そう、つまりは」
そこまで口にし、はたと言葉を止めるハーロット。その動きに何を感じてか、ロゼッタは眉を顰める。
「すまない。うまく言えないようだ。言葉をまとめる」
まさかと奇妙に思う。あのハーロットが、何を躊躇っているのだろう。
「私は君に好意を抱いていると思う」
「・・・え?」
ロゼッタは愕然とする。驚きと同時に、夜であるはずなのに恥ずかしさに顔が染まる。魔物で、ワーバットで、化粧一つした事もない陰気な自分を、どこかに隠してしまいたくなった。思わず、両翼で顔を隠した。
「え?どういう?え?」
「笑われると困るのだが、簡潔に言えば一目惚れであったのかもしれない」
淡々と、それこそ研究論文の発表のようにハーロットは呟く。その所作から狂気が感じられない所為だろうか?まるで機械人形のように平坦な声が続けられる。
「私は孤児でな。統合院所属の錬金術師による支援がなければ、孤児院ごと消えていたかもしれない小さな存在だ。誰も知らず、誰にもなれないと思いながら今まで生きてきた」
重たい籠手同士が触れ合う。籠手を外し、晒された右手には、幾重にも重なる火傷があった。
「適正から魔術を学んだ事もあるが、それも失敗した。最後にして最高の居場所が、この統合院だった」
右手を動かし、左手の籠手も外す。抱えるように両籠手を抱くハーロットに、痩せて汚れた少年の幻影が共に見えるようだった。
「生きてきて、学び、知り、欲求が生まれ、その一つに、初めて女性という項目が出来た。私が、恋をしたというのだから、どうにも世界は広い」
自嘲混じりの言葉を最後に、空を見上げていた瞳がロゼッタを捉える。茶褐色の瞳は鋭く、それでいて澄んで見えた。
「君は魅力的だった。私の持ち得ない信念を掲げ、真剣だった。その姿が、どうにも、あれは、美しかった」
風が吹き、木々が揺れた。二人の周囲を、落ち葉が舞い落ちていく。
「ロゼッタ、私は君を愛していいのだろうか?」
 翼手の先端が、思わず自身の胸元を掴んでいた。心臓が軋みそうなくらいに鼓動が速い。どう答えたいか解るのに、どう答えるべきか解らない。拒絶してしまえば楽にはなれる。援助が得られなくなる可能性もあるという言い訳も浮かんだ。けれど、それは違う。
 彼は拒絶すら受け入れるだろう。
 だが、彼にとっては、この言葉が自身を吐露する最後になるかもしれない。
 抱え込まれた孤独、今までも一人で研究を続けていた彼は、寂しさという感情を理解すらしていない気がした。
 このまま彼を独りで死なせる未来を想像した瞬間、心が砕けそうな絶望が脳裏をよぎる。
 息を呑む。
 つまり、それこそが自分自身の答えなのだと。
 ハーロットは喋らない。
 しかし、その瞳は暗闇で尚、濡れるような輝きが感じられる。
 その輝きが愛しくて仕方ない。
 ロゼッタは震えた。自分の言葉が怖い。
 関係が壊れ、彼はまた、狂気に沈むのではないかと、どこかから警告が頭の中で鳴り響く。
 それでも。
「私だって、貴方が」
思わず、そしてつい、その言葉は漏れていた。
 泣きそうだった、否、泣きながらロゼッタは口にしていた。
「だって、優しかったもの」
 言葉が続かない。洞窟と森で生きてきた種族の言葉は、夜の森を震わせた。
「私を連れて出てくれた。それに、繰り返してくれた生活も、あまりに倖せで、私は、だから」
不器用なのだろう。
 そして一途だった。
 ハーロットもロゼッタも、巧く口にできない言葉を必死に口にした。
 相手に伝えたいという想い。
 相手から受け入れられたいという想い。
 だからこそ、互いの言葉を必死に聞く。
「ロゼッタ」
傷跡に覆われた右手が伸ばされる。恐る恐る、僅かな、ほんの小さな怯えを含んだその手を、皮膜を供えた翼手が、左右から包むように握った。
「愛せるかも、本当は解らないが、私は」
「ん。割り切れるまで、一緒にいようよ」
不器用だからこそ、互いを理解できた二人だった。
 それでいて、ハーロットは手を離した。
「これなら戦えそうだ」
眼鏡の位置を直し、低く、そして悲しげにすら見える笑い顔。
 その横顔を狂気が彩る。しかし、その狂気からは気の狂い、正常ではない心の在り方は感じられても、悪意はなかった。
 素早く籠手を戻したハーロットは、靴音の聞こえてくる方向へ向き直る。短い呟きと共に、マーカスが展開される。
「こんばんは。美しいお嬢さん」
ガス灯の下、真っ赤な髪が揺れ、サマードレスの上に白衣を纏った人影、右頬に罅割れの形をした傷のある美女、微笑みのゴーレムが
立ち止まった。
「コンバンワ、ハーロット」
喉に異常があるのか、人工声帯は異常な震えと共に声を発する。頬の傷跡を歪め、ゴーレムはくすくすと楽しげに笑う。
「しゃ、喋っ、たっ。たっ・・・!?」
驚きに喉を詰まらせるよう喋るロゼッタ。彼女を背後に庇い、ハーロットが前へ出た。
「フレームだけならまだしも、全身を備えたゴーレムであれば、喋らぬ方が奇異だとは思うがね」
「ソウ?ナラ アノ場所デ、ドウシテ ソウ言ワナカッタノカシラ?」
担いでいた麻袋を地面へ下ろす。乱雑な扱いに望遠鏡が零れ落ち、同時に、緩んだ紐の間から、人間の顔が覗く。
 それがアンダラである事を理解していながら、ハーロットは動じもしない。
「言えばどうするつもりだったのかお聞かせ願えるか?」
「自爆カナ?」
くすくすと笑う姿に邪気はない。だからこそどうにも気分が悪い。
 靴の爪先でアンダラが眠っている事を彼女は確かめると、近くの草叢に放り投げた。
「コレデ計画ハ頓挫、コノ老人ニモ価値ハ ナクナッテシマッタワ。今ノ状況ダト オ荷物ダモノ」
「何をする気だったのかね?」
「簡単ヨ。私ノ オトモダチ モ 修復シテ貰ウ ツモリ ダッタノヨ。 私達ト同系機ノ ゴーレム ハ 役目ヲ果タス為ニナラ制限ガ緩和サレル構造ダカラ、オ仕事ニハ ピッタリ ナノ」
列を成し、行進していく鋼の美女達を想像し、ロゼッタは身震いした。少なくとも彼女にとっては悪夢としか思えない。あまりに怖い。
 そんな想像を知ってか知らずか、ゴーレムはいつも通りに笑っている。まるで、笑い顔しか思い出せないように。怒りも、悲しみも、その瞳には映らない。
 仕事、という単語にはハーロットが眼を細めていた。何を考えてか、眼鏡の位置を直し、視線を硝子の内側へと隠すが。
「ソレデ、私ヲドウスルツモリ?」
「・・・速やかな処置を行う。そちらも本気でなかったように、こちらも本気ではない」
マーカスが動く。構えをとる機械の人形を嘲る様に、ゴーレムは微笑みを崩さない。
「馬鹿ネ。ソンナノ無駄ナノニ」
まるで踊るような動き。ステップを踏むように爪先が路面を叩き、踵を打ち鳴らすように体重移動が行われる。その流麗さに隠れた脅威を前に、ハーロットは両手を高々と掲げた。降参の体勢そのものであるはずなのに、ハーロットの顔には冷静な瞳が張り付いている。
「不思議には思わなかったのかね?マーカスのボディが上半身しか形成されない事に?」
マーカスが動く。その両手が変形し、肘から先が上腕に収納され、ボディが前後に割れる。
「model code:マーカス/the/revoltman」
今までに聞いた事のない命令を前に、マーカスのボディがハーロットを覆った。咄嗟に腕部に収納されていたアンカーを手首から撃ち出すゴーレムだが、頭蓋を狙った一発は、既に形成されていた銀の装甲によって弾かれる。
 まるで甲冑ともレザースーツとも感じさせる独自の構造が全身を取り込んでいき、装甲版が浮かび上がった時には、一種の奇妙な装甲服を形成していた。知る者は潜水服とも表現するであろうそれは、籠手と接続され、表情筋沿いに兜のカタチも変えていく。
 全身は装甲で銀に染まり、眼鏡が変形したゴーグルからは、冷たい眼が薄く透けて見える。皮膚を一切露出しないその格好を、この世界の言葉では説明できない。
 あえて言うなら、革と白銀、そして樹脂でできた全身鎧スーツ。
 絶句するロゼッタからは賞賛も嘲笑もない。ただただ驚いていた。
 硬く覆われた銀の靴裏が地面を踏み鳴らす。光を孕んだゴーグルが明滅し、頭蓋を包む兜の奥は既に見通す事ができない。構えと共に首筋に巻かれた細い鎖で編まれたのマフラーが重々しく揺れ、異形となったハーロットを飾る。全身を包む黒い装甲はマーカス、そのシルエットはハーロットと、歪だがどこか統一感が感じられる。
 その造形は竜にも似ていた。
「外では披露しない事にしている。秘密にしておいて欲しい」
まるで何かの冗談のようにハーロットは話す。エンジンの心臓を積んだ鋼の服。その価値は高いだろう。
「素敵。マルデ正義ノ味方ネ」
彼の姿から何か思い出していたのか、くすくすとゴーレムは笑い続ける。その間にも、徐々に回転数を高めようとギア比を変えたハーロットの胸、revolt《反逆》と刻まれた刻印は、エンジンのピストン運動に連動し、深く、そして強く上下に鼓動を繰り返しては勢いを速めていく。
「不思議な話とは思う」
エンジン音にも負ける事のない張りのある声。装甲の中に拡声器でもあるのか、はっきりと声の調子まで聞き取れる。
「私は、こうなって欲しくなかった」
足裏が地面を蹴る。同時にゴーレムも地面を蹴った。交錯する豪腕。叩き付け合う拳によって、一人と一体が同時に吹き飛ぶ。
 木々を圧し折り、勢いを殺して着地するハーロット。叩きつけられた路面にクレーターを穿ち、破片で白衣を破るゴーレムの美女。
 どちらも、何の躊躇いもなく立ち上がり、また構えをとる。豪腕が再び唸り合う。
 重々しく金属や筋肉がぶつかり合う衝突。速度だけで草が薙ぎ払われ、風圧で葉が散っていく。
 今度は退かない。どちらも、足を止めたまま板金加工より激しい打撃音が繰り返される。一撃で足が陥没して沈み、一撃で首が大きく仰け反っていく。巨大な鉄球が振り子のように揺れているようだった。銀腕が唸れば、細く小さな拳が鏃より鋭く空気の壁を貫いていく。
 大仰で、馬鹿げていて、しかも真摯。
 壮大な殴り合いを前に、ロゼッタは立ち尽くす。声を失い、動く事を忘れ、見入ってさえいた。
「凄い・・・」
遠くまで響く拳の衝撃。肌を震わせる風の唸りに、心臓が痛いほど脈打った。次第に凹み、汚れ、傷付いていく二人を、止める事ができなかった。
 先に膝を付いたのはゴーレム。傷と痣に加え、機械的な表皮の破損から血が滴る。再生された古代の技術を、一人の錬金術師が凌駕した瞬間の光景が、今現実となっていた。
 傷だらけ、装甲板の歪んだハーロットは、潰れた銀装甲を纏ったまま仁王立ちしている。拳を握ったままゴーレム立ち上がるのを待ち、ゆっくりと体勢を起こしたゴーレムに、再び構えをとった。
「終わりだろうか?」
「イイエ」
華奢な手が再び拳を作る。ここまで愚鈍な勝負に何故拘るのかは誰にも解らない。二人には、理由もいらないのかもしれない。
 僅かな羨望と共に嫉妬を覚えるロゼッタは、揺れるスカートの影、裾を翼手の先端で握り締める。楽しげでありながら、どこか寂しげなハーロットの気持ちを慮って。
 彼は少なからず友好的な気持ちになっている。古代から目覚めて尚、目的の為に戦いを選んだゴーレムに。
「では」
ハーロットが姿勢を沈める。銀腕の装甲がスライドし、装填を行う。機関出力用ではなく、攻撃用に設定された爆縮カートリッジが爆発を待つ。
 ゴーレムが踵を打ち鳴らす。右腕の肘、発射時の内圧を噴出する皮膚のスリット周辺がパージされ、巨大な排気口の奥には、予備の生体ミサイルが貯蔵されている。
 自身の真似を前に、ハーロットは僅かに笑う。
 奔った。タイミングはゴーレムが先行したものの、加速力と打撃モーションの滑らかさはハーロットが上。
 生体ミサイルの後部発射爆薬が排除され、生体ミサイルの弾頭の後部が覗く。点火した瞬間、拳が破城槌の如く発射された。
 爆縮カートリッジの残存燃焼力が一瞬で零になる。銀腕全体から蒸気が渦を巻き、それが瞬きするより速く消える。その時には、拳の形をした爆弾が、前へ放たれている。
 軌道は同じ。互いの中央、心臓を狙った打撃の直線状で接触した。
 木々どころか森ごと全壊しかねない暴風と空気の爆砕。拳から肩までの装甲に亀裂が入り、残骸を残して銀の装甲が崩れ落ちる。
 白い手が骨格から圧縮され、肩までを血と肉、そしてフレームの塊になった時、半身が背後がぐしゃりと崩れる。罅割れていた右頬から、硬質化した皮膚が弾けた。
 空中へ踊る人影。突き上げる拳の犠牲となり、ゴーレムは高々と舞い上がっていた。
「・・・すまない」
ゴーグルが剥げ落ちた。眼鏡のフレームから装甲の欠片が散っていき、痛いほどの静寂だけが残る。謝罪を口にしたハーロットは、眼鏡を傷痕の残る指先で押し上げる。
「今の時代に、君のようなゴーレムは生きていけない」
転がる彼女は、焦点の定まらない瞳で空を見上げた。月の浮かぶ夜空を。
「動作に支障が発生しました。system error。emerging。Loading Loading Loading」
今までの罅割れた声と違う、声帯を用いない合成音声が流れる。出力低下が見て解る彼女を前に、ハーロットはしゃがみ込んだ。
「センサに該当の無い機体を感知しました。生体装甲型と確認。残存データの転送を要請します」
即答から小指の先より小さな板が排出される。辛うじて動く左腕で差し出された回路の刻まれたカードを受け取る時も、ハーロットは黙り込んだまま。
「データの転送を終了。システムをダウンします。当機の行動は、以後、回復するまで不可能となります」
ぶつぶつと声のボリュームまで下がっていく。瞳からも、光が消えていった。
「system auto save。system down code of lost・・・・」
声が消えた。そこに残るのは、たった一機の、薄汚れた機械の塊。
「ハーロット」
隣にしゃがみこみ、シャッターのように強張ったゴーレムの瞼を閉じるロゼッタ。小さく、呟くような声での呼びかけに、ハーロットは応えを返す。
「私は」
立ち上がるハーロット。傷痕だらけの手が、宙を彷徨うようにロゼッタの肩へ触れた。
「彼女の名前すら知らないままだった」
慈しむ様に優しく、出来る限りの繊細さが、ハーロットの手を握った。皮膜で覆われた翼手が、硬く、歪な痕で覆われた掌を。
「こんな事になるのが怖いから、今まで生きてきたのだ。死ねず、それでいて殺せないまま、今まで」
 傷痕。挫折。孤独。才能に縋って生きてきた過去。研究しか残らなかった自分。
 自分を、感情を、半端にしか押し殺せなかった。狂気という形で滲み出す不条理への怨嗟は、ハーロットの虚勢であり、生きていく上での仮面だった。
「何故、敵だったのだろうと思う。だが、敵にしかなれなかったのだ」
ロゼッタの肩を強く抱く。ハーロットの頬を、涙が伝った。
「アンダラ老人は、私の居た孤児院の出資者でもあった。だから、一度は助けたゴーレムを、切り捨て」
「ハーロット」
 ロゼッタの声が彼の懺悔を遮る。
踵が地面を離れる。ロゼッタは、その翼で彼を抱き締めた。頭頂から伸びた耳がハーロットの横顔をくすぐり、滑らかな髪からは、甘い女性の匂いがした。
「帰ろう」
ハーロットは、瞼を閉じた。冥福を祈るように。
「ロゼッタ」
機械油と鋼の臭いのする腕の中、ロゼッタは唇を重ねる。
「・・・ありがとう」
一瞬だけ、そして今後、彼女の前でしか晒されないであろう弱さは、はにかむような彼の笑みとして現れていた。


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 柔らかいベッドで縋るように恋をした。
 細い身体を抱き締め、薄い皮膚の奥を、傷だらけの手が這い進んでいく。耳に心地よい声が彼女の喉から漏れ、鋭き爪を備えた足先が小さく跳ねる。
 最初は何処に定めればいいのかさえ解らなかった。ゆっくりと腰が前後され、甘く熱い内側へ招き入れられていく。
 熱く、暖かい彼女を抱き締める。夢心地で胸の中に顔を埋め、心臓の音を聞いた。ゆっくりと流れる血の流れに、涙が再び頬を伝う。
 求めてくれた彼女が愛おしくてたまらなかった。
 初めての快感に打ち震える。動かない左手の指が頬を触れていき、髪の中を梳いていく。
 どれだけの時間を過ごしたのかは覚えていない。
 髪の奥、優しげな瞳を前に、彼は子供のように眠った。


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「お、おは、おは、おは、おはようございます」
「おはよう。ロゼッタ」
カーテンの隙間から差し込む光を浴びた時、ハーロットの表情は、もう何時もと同じ色をしていた。
 夜は明けていた。
 その後、統合院では奇妙な変化があった。
 メイドが大発生したのである。
「あの時、私は天使を見た」
どこか穏やかな表情で笑うアンダラ・ダーレスは、私財を投資し、ゴーレムの消えた夜に見たという黒い翼の天使を求めて、メイドの育成事業という謎の研究を始めた。祖父なりに今までの焦りが消え、ふっきりがついたのだろうと、コクトーは苦笑いと共にハーロットへ話す。
「つい最近、ほら、シェロウが尋ねてきた事があったじゃない。あの時に、彼が連れてたゴーレムを見たからかもしれないけど」
東方移民、過去にはハーロットの研究室で助手をしていた男の名を口にする。盗掘屋を生業にする男と再会した時、隣には一体のゴーレムが居たという。
「あれで、安心したみたいだね。まだこの世界には先があると」
「先、とはな」
きっかけとは些細なものかもしれないと、ハーロット自身もつい先日知ったばかりだった。過去の知己との出会いを、喉の奥で詰まるような独特の笑いで思い出している。
 ふと、記憶の喚起に新しい情報が引っかかる。あのゴーレムの残した記憶を調べた時のものが。
「あの、研究室を破壊した?」
「そう、あのゴーレム。その記憶に記録されていた仕事とは、とある計画のものだった」
奇しくも、Aモデルとアンダラに呼ばれていたゴーレムの目的とは、ロゼッタの計画に似ていたものだと述懐する。
 あのゴーレムとは、英雄の子を身篭る為の器だった。子を孕み、増やし、そしてその時勢に勇を誇っていた魔王や神の討伐を行う。
 つまり、今のような魔物による遠大な滅びを回避する為のシステムが彼女や、その同胞であったという。英雄で形成された一騎当千の実現。世界を一変させるほどの戦力は、遥か過去に実在したという。
「それは凄い」
「他人ごとだな」
「だってどうでもいいし。それより、あの子とはどう?」
「あの子とは、誰の事かね?」
しれっと受け流すハーロット。
 この男にも最近は余裕のようなものが生まれ始めていた。
「もう。こっちは失恋したばっかりの傷を、他人の幸せ、惚気話でさえいいから癒したいってのに」
「ご愁傷様だと言わせていただこう」
しばらく愚痴を口にした後、コクトーも帰っていった。部屋には、開かれた窓から涼風が入ってくる。
「ハ、ハーロット、お茶のおか、お代わりは?」
「いただく」
相変わらずロゼッタは光の下で恥ずかしがる。昼と夜という顔の違いに、少しだけハーロットは痩せた。まだ腰痛は患っていない。
「昼は貞淑なのに、夜は随分と意地悪なものだから」
「な、何か、言い、ま、ましたか?」
「いや、何でもない」
今日も、研究室からは紅茶の香りが満ちていく。
顔を盆で隠すロゼッタを横目に、ハーロットは紅い液体を口にする。彼等の計画はこの紅茶と同じで、未だ一口目を飲み干したばかりでしかない。
「ところで」
「は、はい?」
「あの計画、魔王を討伐したとして、既に生まれた魔物の女性はどうにもできないのではないのかね?」
「・・・あ」
前途は多難である。





                                                         ――― fin  ―――



                                                                                              
10/04/09 21:01更新 / ザイトウ

■作者メッセージ
面白かったら感想どーぞ。

一件を確認してます。おぉ、ロゼッタさんに1票ですな。

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