イザナギ一号
【イザナギ1号】
○月○日
今日から日記を付けようと思う。というか、他にやることがなくなってしまった。
僕の名前は伊邪那岐 壱剛(イザナギ イチゴウ)。安易な名前だが、拘りはない。昔は忘れてしまったから。
どこから話せばいいのかは解らないので、最初から話してみようと思う。そのくらいの時間はある。
最初、自分が『俺』だった頃。浚われた、らしい。
今となってはもう覚えていない。改造されてしまったので。
R財団。
正式な名前は知らないが、組織の人間にはそう呼ばれていた。なんでも、カヌクイによる異世界間管理体制を打破する為の組織であり、魔物を倒す為の人間を研究しているとも。
そう話したのは、研究班の中でもイザナギ計画を担当していた男で、自分にとっては兄のような存在であった。日記などを書こうと思いついたのも、彼の影響が大きい。
魔物。よく解らないが、強い女、らしい。
そもそも女というものは強いのに、もっと強いのなら最初から勝てないのではないだろうか?
そう尋ねると、深い同意と共に男は頷いた。しかし、そういった意味とは違うとも。
なにか、そう、パワーがあるのだという。それに対する為に、自分のような改造人間が造られたらしい。改造人間、改造人間とはまた不思議な単語だ。何かうさんくさい。
自分の場合は身体の中身を機械と生体機関というものに代替されたらしい。股間が無事なのかと聞いてみたのだが、多分無事と言われた。多分という表現がとても怖い。
神経繊維のトルクに、機械じかけの筋肉、それらを外殻が包み、人間以上の性能を発揮させるという。
しかし、イザナギ計画は9割近くが成功したものの、コストパフォーマンスに難点があり、量産においても問題があった為に計画の中止が決定。自分を含めた研究体も、別計画への流用か処分を検討された。
男は、僕達の廃棄案否定の為に苦心していたようだが、停滞していた事態は唐突に終わりを告げた。
R財団が敵対しているという『カヌクイ』と『集会』と呼ばれる団体による襲撃である。
人体実験、遺伝子操作、兵器研究、これらがどこからか公となり、彼等の介入を招いたそうだ。
おそらく、男の仕業だろう。
結果、自分は助かった。研究体を一体ずつ処分していくような暇もなかったようだ。形態変化さえしなければ人間としての外観を保っていた自分は、そのまま保護された。
そして今に至る。
現在、自分は社会復帰するにも年齢不明、記憶喪失、身体的な強化構造の治療不可と、問題が多過ぎて無理だろう。
知っている場所と言えば研究室だけなので、カヌクイの人には、なんらかの事情が判明するまでこの場所に居留する事を頼んだ。第一、他に知識のある人間がいない。
残っていたイザナギ計画のメンバーは治療可能であり、記憶も回復は可能であったことから既にいない。
男は情報のリークと共に、早々に逃げ出していた。運が良ければまた会おうと約束こそしたものの、生きているのかどうかも定かでない。
他の被害者は、大概が死んだか、もしくは社会復帰どころか生命活動にも問題があり、カヌクイや『集会』が所有する医療機関へ搬送された。
自分だけが宙ぶらりんとなってしまったわけだ。
いや。正確には自分だけ、というわけでもないだろう。
閉鎖区画、破損から立ち入りのできないエリア。
そういったものを再調査し、管理するのが現在の仕事となった。
とはいうものの、やる気はあまりない。
だって、生きている意味も特にないのに、惰性でこんな場所に居るだけなのだから。
○月□日
研究施設制圧からかれこれ一か月。元職員用の設備を使っての寝起き。
朝起きるのはだるい。けど、寝続けるのも疲れる。
そういった事情で規則正しい生活をしている。健やかな起床は生活を豊かにする。
とはいうものの、特にやることが決まっているわけではない。
この『とはいうものの』は、男の口癖で、それが自分にも映ってしまった。影響を受ける相手が少なかったので、記憶の無い自分は、かなり大きな割合で男の影響を受けている。
それでいてこれだけ紳士なのだから世の中わからない。むしろ、反面教師だったのではないかと思う。
さて、今日は整理していた研究資料から気になる記述を見つけたので、閉鎖区画を探索しようと思う。暇つぶしにはもってこいだ。
なんでも『呪いと魔物の関連性』を研究していた施設であったらしい。魔術式と呼ばれる異質な技術体系に関わる区画は特に深い位置にあるので、閉鎖にも理由があるようだが。
まぁ、死んだら死んだで面倒がない。何か面白いことがあったらめっけものだ。
用意した『バールのようなもの』や『鈍器のようなもの』、それに『凶器のようなもの』や『ベルトのようなもの』をザックへ放り込み、探検へでかけた。
電気系統は補助電源も含めて停止している。なので、研究機材は、特に重要なものを除けば機能しているものはないだろう。
無論、扉もだ。
バールのようなもので無理矢理に自動扉を開くと、息をきらせて奥へ奥へと進む。
僕の身体は人間の身体ではない。それを人間のそれと使うには、まだ訓練が足りないらしい。変なところが反応して非常に疲れる。
思わずズボンの中を確認する。多分と言われていたモノは無事だった。機能不全とかなったらどうしよう。
とはいうものの、動ければなんとでもなるもので、そのうちに目的の区画へ辿り着いた。S−3区画。地下三階の特別措置区画である。
BC兵器の研究や謎の生物兵器などもいないはずなので、そこそこ安全だとは思うものの、下手に怪我でもすれば面倒くさい。
しかし、呪いとは何の事だろう?
蛍光灯タイプのランタンを片手に進む。照らし出した周囲には、破壊の痕跡はないのに、妙に不気味な気配を感じる。
何かが歩き回っているような。
確認してみようと思った。
楽しくない人生って何だろう。
過去を無くしてとりあえず生きている自分にはいまいち解らない。じゃあ過去があればどうにかなるのだろうかと考えたが無駄だった。もしもは存在しない。
じゃあ楽しければいいのかとも思ったが、楽しかったら活力があるという事だろう。それなら明日も生きていける。生きているだけでモルモウメ。モルモウメって何だろう?
研究施設を徘徊していた自分は、小さなビーカーのようなものを見つけた。ビーカーは側面に穴が開き、中には白い粘液質なものが飛び散っていた。
怖気に思わず掌を臭う。異臭はしなかった。むしろ、ガムのような質感がした。
「アンタ誰?」
足元を見ると、40cmくらいの生き物が居た。しかも喋った。
妖精が見えたら頭の検査をした方がいいと男が言っていた。そういえば脳にも機械が入っていたのだった。もしかしてほっといても死ぬのか?
しかし、僕でなくても死ぬ人間はそのうち死ぬと気付いた。ヤバい、もしかしたら自分は頭がいいのではないだろうか?
軌道修正。
若干、男の悪影響についての懸念はあるが、現実と向き合う事とした。改造人間が現実と向き合ったら何か面白いのだろうか? 解らない。
「ねぇ、外に出れる?」
とりあえず「出てどうする?」と聞いたら「身体を治したい」と言われた。よく見ると、何か、虫の造形を備えた女が人形くらいの大きさをしていた。
「呪われたの」
とりあえず彼女を抱えて職員用居住区へ戻る事にした。今日の努力終了。
呪い。
マイナス方向への精神作用としてなら理解できる。大概は思考のベクトルが人や自分を堕落させた時に生じる感情の別称だ。
憎しみは活力を奪う。恨みは視野を奪う。悲しみは希望を奪う。絶望は全てを奪う。
このうちで憎しみと恨みがより呪いに近い。悲しみと絶望は自殺に近い。
どっちもあまり楽しくはなさそうだ。
楽して生きたいというのは人間として仕方ないらしいが、ついでに誇りや矜持があると、より人生が楽しいらしい。
男の言葉の流用だが、拘りは人生を豊かにするが、執着は人生を損なうものらしい。あの男の格言はそこそこに偉大だ。
けど、生きる目的や矜持というのは誰が作ってくれるのだろうか? 自分には搭載してもらえなかった。
搭載してもらえなかったらどうすればいいのだろう。解らない。
「ねぇ、砂糖水ちょうだい」
美味しいのかそれは?
水に砂糖を溶かすという一大事業をやってみたのだが、意外となんとかなる。
砂糖の粒子が解ける様子はなかなかに楽しかった。溶解というらしい。
脳へのインプラントで覚えられるのは知識だけで、経験は伴わない。知っている事はあっても体験している事がないと、思ったよりつまらない。
知ったつもりって格好が悪いらしい。あの男は転んで鼻血を出していた事があるが、あのくらい格好が悪いらしい。それは嫌だな。
砂糖水を小柄な女に渡す。
さっき知ったのだが、彼女が『魔物』らしい。
とりあえずカヌクイの・・・なんとか、確か『笹門』さんという家に電話した。家、家というのは住むところだ。住むところの名前が笹門だから笹門さん。間違っているのかな?
口調の性格も安定、していないらしい。脳内分泌物質の制御系統による記憶の混濁が影響している、そうだが、実感はない。それは変な事らしい。
じゃあ変な事って何だ? 個性と何が違うのだろう。
性別は男、年齢は十代後半くらい。外見的特徴は解らない。襲撃の影響で顔に損傷をこさえてしまったからだ。額から鼻のあたりまで包帯をしなければならない。
「変なの」
小さな女がそう呟く。魔物というのは口が悪いらしい。
試しに「魔物というのは、そのくらいのサイズなのか?」と聞くと、とても怒られた。
「だから! これ! 呪い!」
語句を強調された言葉。とにかく、とても気に障ったらしい。
「ごめんなさい」
「え、う、いいわよ。そうね、当たって悪かったから」
気まずそうに呟く。彼女の感情の起伏がどうにも理解できない。俺はやっぱり変なのだろうか?
いや、そうじゃない気がする。
男は前に「女の機嫌が解るようになったらノーヘルでしょうが貰えるくらい凄い」と言っていた。ところでノーヘルを貰うという行為はよく解らなかった。ノーヘルとは、ヘルメットがない状態であり、ないものは貰えない。
これが哲学というものか。
「ね、ねぇ、怒ってる?」
「いいえ」
何かを探るような口ぶりに首を傾げる。怒るというのは納得できない事だ。今やっている『悩む』とは別の感情だ。
こういった時、自分は機械なのか人間なのかよく解らなくなる。どっちでもいいのかもしれないが。
「それで、貴方は誰?」
自分の事を説明する。
改造人間で、記憶喪失で、研究所の調査員、みたいなもの。
「なにそれ?」
自分でもよく解らない。
「じゃあ、なんか好きなことは?やってみたい事は?」
好きな事は嗜好だ。食べる事、眠る事は好きだ。
「んむ、それは何か違う、んじゃない?」
まんじゅうを食べる虫の魔物はもごもごと喋る。
「じゃあ探せばいいじゃない」
「探す?」
「探すことは過程であり目的にもできるってこと。ウチのママもそう言ってたもの」
そうか。そういった考え方もある。
「じゃあ、私もここで呪いの解き方を探すから。見つかるまで一緒にいましょ。すると、私が楽」
「僕は?」
「貴方は楽しい」
「なるほど。いい取引だ」
何か、微妙な食い違いがあったような気もするが、問題はない。問題がないなら別にいいことなのだ。
「貴方のお名前は?」
「アラクネのクユ。アンタは?」
脳内インデックス検索。魔物という生き物のデータにアクセス。
現在、脳内のインデックスにおける制約も外されている。頭の中に埋め込まれた機械の中に蓄積してある情報に関しては、どんなものも取り出せる。
アラクネ種。蜘蛛の生態的特徴を持つ種族。類似種にウシオニ、ジョロウグモ。魔物としては比較的に知名度が高い。胸部の成長も比較的によい。
疑問。
最後の一文を訂正したのは、おそらくあの男だろう。読み流す事とした。
本来はピクシーなどとは違い、むしろ人間と比較しても発達した体躯をもつらしいが、呪いによってご覧の通りの手乗りサイズであるらしい。
「僕は、伊邪那岐 壱剛」
「イチゴーね。なんか、キャラクター人気だけで続いている週刊雑誌の主人公っぽい名前ね」
妙に具体的な表現が怖かった。誰の事を言い表しているのだろうか。
とかく、探す事が目的というのは解り易かった。当面それでいこう。
とりあえず解った。
魔物は意外といいやつである。
「ところで、私の他にも、あの場所にはいた、はず」
見ていない。
じゃあ、こんな手乗りサイズの生き物をまた探さないといけないのか。
「スライムは居なかったと思う。けれど、もし居たら」
増殖するらしい。
怖気と共に明日も探検を行う必然性が発生した。増殖は危険だ。バイオハザードである。
けれど、不思議と人生に張りがあるように感じる。やはり怠惰であるより動く方が面白いらしい。
新発見だ。
こういった経験の積み重ねこそが豊かな人生になるのだと思う。なんとなく。
「ごはん」
「・・・あれ? こき使われている?」
「楽」
それもいいかと諦める。共同生活者が居るのは楽しい。
こんな人生もありなのかと、不思議な感じと共に納得する。どうせ改造人間だ。死ぬ時は死ぬだろうし生きていていいならめっけもの。
日々なんとかなる。そう望む限りは。
どうせ今日もいい日だ。自分がそう思っている限りは。
「デザートは?」
「・・・明日もいい日だといいなぁ」
終わり。
― 終 ―
○月○日
今日から日記を付けようと思う。というか、他にやることがなくなってしまった。
僕の名前は伊邪那岐 壱剛(イザナギ イチゴウ)。安易な名前だが、拘りはない。昔は忘れてしまったから。
どこから話せばいいのかは解らないので、最初から話してみようと思う。そのくらいの時間はある。
最初、自分が『俺』だった頃。浚われた、らしい。
今となってはもう覚えていない。改造されてしまったので。
R財団。
正式な名前は知らないが、組織の人間にはそう呼ばれていた。なんでも、カヌクイによる異世界間管理体制を打破する為の組織であり、魔物を倒す為の人間を研究しているとも。
そう話したのは、研究班の中でもイザナギ計画を担当していた男で、自分にとっては兄のような存在であった。日記などを書こうと思いついたのも、彼の影響が大きい。
魔物。よく解らないが、強い女、らしい。
そもそも女というものは強いのに、もっと強いのなら最初から勝てないのではないだろうか?
そう尋ねると、深い同意と共に男は頷いた。しかし、そういった意味とは違うとも。
なにか、そう、パワーがあるのだという。それに対する為に、自分のような改造人間が造られたらしい。改造人間、改造人間とはまた不思議な単語だ。何かうさんくさい。
自分の場合は身体の中身を機械と生体機関というものに代替されたらしい。股間が無事なのかと聞いてみたのだが、多分無事と言われた。多分という表現がとても怖い。
神経繊維のトルクに、機械じかけの筋肉、それらを外殻が包み、人間以上の性能を発揮させるという。
しかし、イザナギ計画は9割近くが成功したものの、コストパフォーマンスに難点があり、量産においても問題があった為に計画の中止が決定。自分を含めた研究体も、別計画への流用か処分を検討された。
男は、僕達の廃棄案否定の為に苦心していたようだが、停滞していた事態は唐突に終わりを告げた。
R財団が敵対しているという『カヌクイ』と『集会』と呼ばれる団体による襲撃である。
人体実験、遺伝子操作、兵器研究、これらがどこからか公となり、彼等の介入を招いたそうだ。
おそらく、男の仕業だろう。
結果、自分は助かった。研究体を一体ずつ処分していくような暇もなかったようだ。形態変化さえしなければ人間としての外観を保っていた自分は、そのまま保護された。
そして今に至る。
現在、自分は社会復帰するにも年齢不明、記憶喪失、身体的な強化構造の治療不可と、問題が多過ぎて無理だろう。
知っている場所と言えば研究室だけなので、カヌクイの人には、なんらかの事情が判明するまでこの場所に居留する事を頼んだ。第一、他に知識のある人間がいない。
残っていたイザナギ計画のメンバーは治療可能であり、記憶も回復は可能であったことから既にいない。
男は情報のリークと共に、早々に逃げ出していた。運が良ければまた会おうと約束こそしたものの、生きているのかどうかも定かでない。
他の被害者は、大概が死んだか、もしくは社会復帰どころか生命活動にも問題があり、カヌクイや『集会』が所有する医療機関へ搬送された。
自分だけが宙ぶらりんとなってしまったわけだ。
いや。正確には自分だけ、というわけでもないだろう。
閉鎖区画、破損から立ち入りのできないエリア。
そういったものを再調査し、管理するのが現在の仕事となった。
とはいうものの、やる気はあまりない。
だって、生きている意味も特にないのに、惰性でこんな場所に居るだけなのだから。
○月□日
研究施設制圧からかれこれ一か月。元職員用の設備を使っての寝起き。
朝起きるのはだるい。けど、寝続けるのも疲れる。
そういった事情で規則正しい生活をしている。健やかな起床は生活を豊かにする。
とはいうものの、特にやることが決まっているわけではない。
この『とはいうものの』は、男の口癖で、それが自分にも映ってしまった。影響を受ける相手が少なかったので、記憶の無い自分は、かなり大きな割合で男の影響を受けている。
それでいてこれだけ紳士なのだから世の中わからない。むしろ、反面教師だったのではないかと思う。
さて、今日は整理していた研究資料から気になる記述を見つけたので、閉鎖区画を探索しようと思う。暇つぶしにはもってこいだ。
なんでも『呪いと魔物の関連性』を研究していた施設であったらしい。魔術式と呼ばれる異質な技術体系に関わる区画は特に深い位置にあるので、閉鎖にも理由があるようだが。
まぁ、死んだら死んだで面倒がない。何か面白いことがあったらめっけものだ。
用意した『バールのようなもの』や『鈍器のようなもの』、それに『凶器のようなもの』や『ベルトのようなもの』をザックへ放り込み、探検へでかけた。
電気系統は補助電源も含めて停止している。なので、研究機材は、特に重要なものを除けば機能しているものはないだろう。
無論、扉もだ。
バールのようなもので無理矢理に自動扉を開くと、息をきらせて奥へ奥へと進む。
僕の身体は人間の身体ではない。それを人間のそれと使うには、まだ訓練が足りないらしい。変なところが反応して非常に疲れる。
思わずズボンの中を確認する。多分と言われていたモノは無事だった。機能不全とかなったらどうしよう。
とはいうものの、動ければなんとでもなるもので、そのうちに目的の区画へ辿り着いた。S−3区画。地下三階の特別措置区画である。
BC兵器の研究や謎の生物兵器などもいないはずなので、そこそこ安全だとは思うものの、下手に怪我でもすれば面倒くさい。
しかし、呪いとは何の事だろう?
蛍光灯タイプのランタンを片手に進む。照らし出した周囲には、破壊の痕跡はないのに、妙に不気味な気配を感じる。
何かが歩き回っているような。
確認してみようと思った。
楽しくない人生って何だろう。
過去を無くしてとりあえず生きている自分にはいまいち解らない。じゃあ過去があればどうにかなるのだろうかと考えたが無駄だった。もしもは存在しない。
じゃあ楽しければいいのかとも思ったが、楽しかったら活力があるという事だろう。それなら明日も生きていける。生きているだけでモルモウメ。モルモウメって何だろう?
研究施設を徘徊していた自分は、小さなビーカーのようなものを見つけた。ビーカーは側面に穴が開き、中には白い粘液質なものが飛び散っていた。
怖気に思わず掌を臭う。異臭はしなかった。むしろ、ガムのような質感がした。
「アンタ誰?」
足元を見ると、40cmくらいの生き物が居た。しかも喋った。
妖精が見えたら頭の検査をした方がいいと男が言っていた。そういえば脳にも機械が入っていたのだった。もしかしてほっといても死ぬのか?
しかし、僕でなくても死ぬ人間はそのうち死ぬと気付いた。ヤバい、もしかしたら自分は頭がいいのではないだろうか?
軌道修正。
若干、男の悪影響についての懸念はあるが、現実と向き合う事とした。改造人間が現実と向き合ったら何か面白いのだろうか? 解らない。
「ねぇ、外に出れる?」
とりあえず「出てどうする?」と聞いたら「身体を治したい」と言われた。よく見ると、何か、虫の造形を備えた女が人形くらいの大きさをしていた。
「呪われたの」
とりあえず彼女を抱えて職員用居住区へ戻る事にした。今日の努力終了。
呪い。
マイナス方向への精神作用としてなら理解できる。大概は思考のベクトルが人や自分を堕落させた時に生じる感情の別称だ。
憎しみは活力を奪う。恨みは視野を奪う。悲しみは希望を奪う。絶望は全てを奪う。
このうちで憎しみと恨みがより呪いに近い。悲しみと絶望は自殺に近い。
どっちもあまり楽しくはなさそうだ。
楽して生きたいというのは人間として仕方ないらしいが、ついでに誇りや矜持があると、より人生が楽しいらしい。
男の言葉の流用だが、拘りは人生を豊かにするが、執着は人生を損なうものらしい。あの男の格言はそこそこに偉大だ。
けど、生きる目的や矜持というのは誰が作ってくれるのだろうか? 自分には搭載してもらえなかった。
搭載してもらえなかったらどうすればいいのだろう。解らない。
「ねぇ、砂糖水ちょうだい」
美味しいのかそれは?
水に砂糖を溶かすという一大事業をやってみたのだが、意外となんとかなる。
砂糖の粒子が解ける様子はなかなかに楽しかった。溶解というらしい。
脳へのインプラントで覚えられるのは知識だけで、経験は伴わない。知っている事はあっても体験している事がないと、思ったよりつまらない。
知ったつもりって格好が悪いらしい。あの男は転んで鼻血を出していた事があるが、あのくらい格好が悪いらしい。それは嫌だな。
砂糖水を小柄な女に渡す。
さっき知ったのだが、彼女が『魔物』らしい。
とりあえずカヌクイの・・・なんとか、確か『笹門』さんという家に電話した。家、家というのは住むところだ。住むところの名前が笹門だから笹門さん。間違っているのかな?
口調の性格も安定、していないらしい。脳内分泌物質の制御系統による記憶の混濁が影響している、そうだが、実感はない。それは変な事らしい。
じゃあ変な事って何だ? 個性と何が違うのだろう。
性別は男、年齢は十代後半くらい。外見的特徴は解らない。襲撃の影響で顔に損傷をこさえてしまったからだ。額から鼻のあたりまで包帯をしなければならない。
「変なの」
小さな女がそう呟く。魔物というのは口が悪いらしい。
試しに「魔物というのは、そのくらいのサイズなのか?」と聞くと、とても怒られた。
「だから! これ! 呪い!」
語句を強調された言葉。とにかく、とても気に障ったらしい。
「ごめんなさい」
「え、う、いいわよ。そうね、当たって悪かったから」
気まずそうに呟く。彼女の感情の起伏がどうにも理解できない。俺はやっぱり変なのだろうか?
いや、そうじゃない気がする。
男は前に「女の機嫌が解るようになったらノーヘルでしょうが貰えるくらい凄い」と言っていた。ところでノーヘルを貰うという行為はよく解らなかった。ノーヘルとは、ヘルメットがない状態であり、ないものは貰えない。
これが哲学というものか。
「ね、ねぇ、怒ってる?」
「いいえ」
何かを探るような口ぶりに首を傾げる。怒るというのは納得できない事だ。今やっている『悩む』とは別の感情だ。
こういった時、自分は機械なのか人間なのかよく解らなくなる。どっちでもいいのかもしれないが。
「それで、貴方は誰?」
自分の事を説明する。
改造人間で、記憶喪失で、研究所の調査員、みたいなもの。
「なにそれ?」
自分でもよく解らない。
「じゃあ、なんか好きなことは?やってみたい事は?」
好きな事は嗜好だ。食べる事、眠る事は好きだ。
「んむ、それは何か違う、んじゃない?」
まんじゅうを食べる虫の魔物はもごもごと喋る。
「じゃあ探せばいいじゃない」
「探す?」
「探すことは過程であり目的にもできるってこと。ウチのママもそう言ってたもの」
そうか。そういった考え方もある。
「じゃあ、私もここで呪いの解き方を探すから。見つかるまで一緒にいましょ。すると、私が楽」
「僕は?」
「貴方は楽しい」
「なるほど。いい取引だ」
何か、微妙な食い違いがあったような気もするが、問題はない。問題がないなら別にいいことなのだ。
「貴方のお名前は?」
「アラクネのクユ。アンタは?」
脳内インデックス検索。魔物という生き物のデータにアクセス。
現在、脳内のインデックスにおける制約も外されている。頭の中に埋め込まれた機械の中に蓄積してある情報に関しては、どんなものも取り出せる。
アラクネ種。蜘蛛の生態的特徴を持つ種族。類似種にウシオニ、ジョロウグモ。魔物としては比較的に知名度が高い。胸部の成長も比較的によい。
疑問。
最後の一文を訂正したのは、おそらくあの男だろう。読み流す事とした。
本来はピクシーなどとは違い、むしろ人間と比較しても発達した体躯をもつらしいが、呪いによってご覧の通りの手乗りサイズであるらしい。
「僕は、伊邪那岐 壱剛」
「イチゴーね。なんか、キャラクター人気だけで続いている週刊雑誌の主人公っぽい名前ね」
妙に具体的な表現が怖かった。誰の事を言い表しているのだろうか。
とかく、探す事が目的というのは解り易かった。当面それでいこう。
とりあえず解った。
魔物は意外といいやつである。
「ところで、私の他にも、あの場所にはいた、はず」
見ていない。
じゃあ、こんな手乗りサイズの生き物をまた探さないといけないのか。
「スライムは居なかったと思う。けれど、もし居たら」
増殖するらしい。
怖気と共に明日も探検を行う必然性が発生した。増殖は危険だ。バイオハザードである。
けれど、不思議と人生に張りがあるように感じる。やはり怠惰であるより動く方が面白いらしい。
新発見だ。
こういった経験の積み重ねこそが豊かな人生になるのだと思う。なんとなく。
「ごはん」
「・・・あれ? こき使われている?」
「楽」
それもいいかと諦める。共同生活者が居るのは楽しい。
こんな人生もありなのかと、不思議な感じと共に納得する。どうせ改造人間だ。死ぬ時は死ぬだろうし生きていていいならめっけもの。
日々なんとかなる。そう望む限りは。
どうせ今日もいい日だ。自分がそう思っている限りは。
「デザートは?」
「・・・明日もいい日だといいなぁ」
終わり。
― 終 ―
11/07/23 02:20更新 / ザイトウ