連載小説
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T 私は貴女を殺す為に
 数年前、住処の近くにあった国が反魔物領となった。
 元々魔物の数が少なかった事もある。アタシも他の魔物も人間に抵抗しようなどと言う者はおらず、アタシたちは潔くその土地を離れる事になった。
 それなりに長い旅の末にたどり着いた新しい土地は、川も森もあって食料が豊富で近くには反魔物領でない人間の町もある。とても住みやすい場所だった。
 沢山の魔物と旅をしたが、その多くは男を捜しに色々な国へ向かったり、そのまま旅を続けるために各地へ散った。
 アタシは仲の良かった何人かと共に、国々から少し離れた森で見つけた空き家に住むことになった。
 そして移住してから一年も経たずして仲の良かった一人が男を捕まえ、家を出て行った。きっと、アタシたちに気を使ったのだろう。
 さらに一ヶ月もしないうちにまた一人が男を見つけて家を出て行き、すぐにもう一人が男を見つけて家を出て行った。
 だがアタシは男を見つけることも、探す事すらしなかった。
 家に残ったのがアタシだけになった今でも、まだ探そうとは思わない。稀に人間が近くに来ても、害さえなければ無視を決め込んでいた。
 平和な土地でのんびりと生活する日々が心地よく感じていて、それに満足していたからかもしれない。
 アタシはヘルハウンドだ。
 昔、一緒に住んでいたリッチに言わせて見れば、
「ヘルハウンドはね。火山地帯や墓場に住み、業火のごとき強烈な凶暴性を持ち、男を見つければ有無言わさず犯してしまう魔物なのよ。貴女はちょっと違うみたいだけれど、個体差かしら?」
 との事だが、個体差と言うより別種と言っていいレベルにアタシはヘルハウンドらしくなかった。川の流れる平野を住み心地が良いと思い、ただただ平穏を求め、男を求める事すらしないのだから。
 その様な考え方だから、こんな初歩的な罠に無警戒で引っかかってしまうのだと自らを罵る。
「グァ……グル……アゥガァ……」
 右足への痛みと痺れに、情けなくも呻き声を上げる事くらいしかでき無い。右足を噛むトラバサミの牙はアタシに毒を流し込んでいる。意識は朦朧とするし、力ずくで外すことすら叶わなかった。
 めったに人間は通りかからないとか、親魔物領が近いからとか、そういう事は言い訳にはならない。
 この罠を仕掛けた人間は拍子抜けする事だろう。凶暴といわれているヘルハウンドがろくな抵抗もできず、この程度の罠に負けてしまうのだから。
「アァ……」
 毒が回ってきたのだろうか。
 思考する事すらままならなくなったアタシは、眠るようにゆっくりと意識を失っていった。 



 風を感じる。川の流れる音が聞こえる。頭の下にある、柔らかいものは何だろう。枕だろうか、気持ちがいい。
「ア……ァァ……」
 意識は徐々にはっきりしてきたが、体はだるいし、目が開かない。
 ためしに寝返りを打つ。が、少し転がっただけで枕から頭が落ちて硬いものに叩きつけられた。
「いっ……つ……」
 だが、その衝撃のおかげで目が開いた。周囲を見渡して現状を確認しようと立ち上がる。そしてアタシは中腰のまま、正面の人間に目が釘付けにされてしまった。
 肌に感じる精の量から一瞬、男かと思ったが、胸のふくらみとその顔立ちからはっきりと若い女だと分かった。髪は長く、真っ黒なアタシと正反対の白髪。肌も白い。女は少し驚いたような顔をしている。
 何故人間がここにいる。介抱してくれたのだろうか。しかし、何故。罠にかけたやつならわざわざ助ける必要も無い。危険といわれる魔物を助ける理由は何だ。
 様々な思考が交錯し、頭の中が軽くパニックになるアタシに比べて女の反応は早かった。固まるアタシを見て、にこっと微笑む。
「目が、覚めたみたいですね。良かった」
 その声を聴いて、体の力が抜けた。敵意が無い事を知って、少し安心したからかもしれない。
 女はすぐさま駆け寄り、倒れそうになるアタシの肩を支えてくれる。
「もう少し休んでいたほうがいいみたいですね」 
 女はそう言ってアタシを木の近くに座らせ、幹に体重を預けさせる。そして、そのまま横に座ってアタシの頭を撫でた。
「大丈夫ですよ。毒は魔法で抜きました。足も治療したのですが、まだ痛みますか?」
「アンタは……誰だ……? 助けて……くれたのか……? どうして……」
 女の質問を無視したアタシの質問攻めに、しかし女は優しい声で一つずつ答えた。
「私の名前はクロユリです。たまたま罠にかかったあなたを見つけたので、治療させてもらいました。回復魔法は得意なんですよ。理由は特にありません。助けたいと思ったから助けたんです」
「理由が無いって……なんだよ……」
 それからは、お互いに口を閉じた。アタシはしばらく体を休める事に集中したかったし、クロユリはそれを察して気を使ってくれたのかもしれない。
 気がつけば、日が沈みかけていた。足の痛みも引いたし、体に力も入る。
 このお人よしの人間に、純粋に感謝する事にした。
「クロユリ。助けてくれてありがとう、だいぶ落ち着いたよ。アタシはヘルハウンドのザレア・エクアル。レアでいい」
「いいんですよ、レアさん。元気になってよかったです」
「アンタ、あの、クロッカスの街に住んでるのか?」
「はい。産まれも育ちもクロッカス=パーピュアですよ」
「……もう日が落ちる。近くにアタシの家があるから、泊まっていきな。元は人間の空き家だから不自由はしないと思う」
「ありがとうございます。正直、これからどうしようかなと困っていたのです。本当にいいのですか?」
「アンタこそ、魔物にそんなに無警戒でいいのかい。襲っちまうかもしれないよ?」
「悪そうな人には見えませんから」
 家にたどり着き、私は夕食を用意して、風呂も貸して、そうしたらクロユリはすぐに寝てしまった。
 だが、クロユリの事を完全に信じきったわけではない。ぐっすりと眠っていたクロユリとは対照的に、アタシは彼女を警戒して全く眠ることができなかった。
 次の日は早朝からクロッカスの街の近くまで送り届けた。
「昨日はありがとうございました。夕食、美味しかったです」
「いや、こちらこそ助けてくれてありがとう。もうあんなヘマはしない様に気をつけるよ」
 クロユリは街へ帰り、私は今までの日常へ戻っていった。一応、朝食代わりにと干し魚を持たせたが、口にはあっただろうか。
 しかし、家に帰って早く眠りたい。



 クロッカスの街で平凡に暮らしていた私は、ある時やってきた過激派の司祭の指示で教団に捕らえられた。罪状は『女性であるにもかかわらず、魔物の様にに魔力が高い私は魔物である可能性がある』との事だった。
 教団の者にあっさり捕まり地下牢に閉じ込められながら死を覚悟していたが、牢の鍵を開けた司祭は私にこう言った。
「貴殿の魔力量は目を見張るものがある。魔物の魔力に侵されることもないだろう。さらに、日常的に様々な魔法を使いこなしていたというではないか」
「つまり、何が言いたいの?」
「このクロッカスに近づく魔物の撃退を依頼したい」
 彼は依頼と言う言葉を使ったが、逆らえばろくな目に合わないのは明らかだった。
「手始めに、付近で目撃情報のあったヘルハウンドを狩ってきて欲しい。罠や武器が必要なら用意しよう。ここには専門の知識を持つ者も多い。彼らから情報を集めるのもいいだろうな」
 そうして私は言われた通りに、情報を集めて罠と武器を用意してもらい、ヘルハウンド討伐へ向かったのだ。
『助けたいと思ったから助けたんです』
 私があのヘルハウンド、ザレア・エクアルに言った言葉を思い出して内心苦笑する。
 ――罠を仕掛けたのは私だというのに。
 なぜ助けたのか。
 それは毒に苦しむレアを見て、私が人間を殺しているように感じたから。あの表情も、震えも、足掻こうとしても力が入らない様子も、人間となんら変わらないように見えたからだ。
 それでも、魔物は魔物。人間じゃない。あのヘルハウンドが真実を知ったら、私を殺すかもしれないと思って嘘をついた。私がレアを信じきっていると思い込ませるために演技をして騙した。
 そして彼女の家で一夜を過ごした上に無事、街へと帰りつけたのだから、私には魔物を騙せる程の演技力があったというわけだ。
 街に帰って、まず私が向かったのは教団の支部。帰りついたら真っ先にここにきて報告しろと命じられていたからだ。
 通された無駄に広い部屋には司祭と、その腰巾着の男が待っていた。大きなステンドグラスの光を背に浴びる彼らは私より一段高い足場からこちらを見下ろす。
「おお、クロユリ。無事で何よりだ」
「死んだとでも思った? まあ、司祭様みたいに街で引きこもってるようなやつなら死んでいたでしょうね」
 私の嫌味に、しかし司祭の表情が変わることはない。
「女!! 口の利き方に気をつけろ!!」
 対照的に、後ろの腰巾着は顔を真っ赤にして声を上げたて騒いだが、無視する。
「――で、報告なのだけれど」
「おい!! 私を無視するな!!」
「落ち着け。彼女は魔物討伐に最も必要な人材だ。ある程度の無礼は許そうではないか。――して、ヘルハウンドはどうした?」
 司祭の言葉に腰巾着は押し黙った。相変わらずこちらを睨みつけるのは変わらないが。
「あの程度の罠では効果がなかったわ。すぐに私の場所もばれて襲われたし、一晩中ずっと逃げていたのよ。命があっただけでも奇跡だと思ってほしいわ」
 私はレアに対してと同じように、嘘八百を並べた。とりあえずは信じてもらうしかない。
「あれは対魔物用の猛毒だったはずだが」
「凶暴なヘルハウンドには足りなかったんじゃないの? もっと強い毒を作ってくれないと私はヘルハウンドに手を出さないわよ。死にたくないからね」
「なるほど。で? 毒が手に入るまではどうする。地下牢で過ごすか?」
「……いや、もしも許されるなら、ヘルハウンドを観察するために外出を許可してほしいの。今回はたまたま罠に引っかかってくれたけど、二度は通じないわ。もっとヘルハウンドを知らなければ」
 しばらくの静寂。
 本来、地下牢に囚われの身となっている私の我儘を司祭は許すだろうか。
「クロユリの言っていることも一理ある。外出を許可しよう。それに、地下牢で暮すのも不便だな。客室を用意させよう」
 ふぅん、思っていたよりも話しの分かる人間ね。
 だが、それに反発するのはやはりあの腰巾着だった。
「司祭殿!! 魔物に近いこの女にその扱いはあまりにも危険ではないでしょうか!? 少なくともこの街にいる間は地下牢で監視しておくべきです!!」
「それでヘルハウンドが倒せず、クロユリが負けてしまえば本末転倒であろう」
「しかし――」
「そうか。貴殿は私の決定が間違っていると、そう言うのだな?」
 その言葉に、腰巾着は青くした顔を上げる。
「いいえ、そのような事はございません。了解しました。――おい、女。司祭殿の寛大な処置に感謝せよ」
「そうね、ありがとう。感謝するわ。司祭様」
 次にあのヘルハウンド、レアに会った時。私はどうするのだろう。
 私はレアを殺すか、司祭を裏切るか。決めかねていた。
16/01/20 19:15更新 / YUKAnya
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■作者メッセージ
今年最初で最後の投稿。
前の連載はなかったことにしてください……これは必ず完結させます。

2016/1/20 加筆修正

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