連載小説
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蛇足
 幸福に生きよ!

 観光のために立ち寄った高原。白い花畑の中で想い人が舞っている。両手を広げて、くるりくるりと。白金の髪と純白の上衣が、遅れて揺れる。涼やかな風と柔らかな日差しが朝の情景を美しく彩っていた。舞い上がった花弁が青い空へ飲み込まれていく。

「やっぱりずるいと思うんだよね。ラリエルは」

 調子外れなオカリナの演奏を止めて、僕は溜息を吐く。今日も上機嫌らしい彼女は、くすくすと笑いながら踊り続けている。

「何がずるいというのです」
「真っ白なのがだよ。詐欺だ」
「詐欺とはまた随分ひどい言いようですね。染め上げたいのであれば、貴方好みに望んでください。いつでも黒く染まりましょう」
「……ずるいなあ」
「ふふ。いいじゃありませんか。ちょっとくらいずるい方が。便利でしょう、救世の旅に」

 からかうような口調にもう一度溜息を吐く。

「ラリエル、あんまり僕を困らせないでね」
「それは確約しかねます。私のささやかな趣味ですから」
「趣味が多いなあ」
「貴方もでしょう。今度は音楽だなんて、まるで似合わない」
「君の踊りは様になっているのになあ。はあ、ずるい」

 大きく背伸びをしてから、花畑に沈む。仰向けになると、太陽が少し眩しかった。ラリエルは舞の途中でばさりと翼を鳴らして、僕の上へ舞い降りてくる。随分乱雑なご降臨だった。抱きしめると、んぅ、と可愛らしい声が漏れた。

「評判は聞いていたけど、良い場所だね。ここは」
「はい。私もたいへん気に入りました。寄り道をして正解でしたね」

 そうだね、と頷く。何が嬉しかったのか、彼女は一度頬ずりをしてくれた。どきりと心臓が跳ねた。実によろしくない。

「休暇はいったん今日でおしまいだから。明日からはまたよろしくね」

 照れ隠しに少し真面目な話をすると、ばればれだったのだろう、ラリエルは肩を揺らして笑った。彼女は本当によく笑う。僕の倍くらい笑っているのではないだろうか。毎日楽しそうで何よりだ。

「そろそろ善行の一つも積まなければ、貴方も詐欺師の仲間入りですからね」
「何の詐欺さ……」
「勇者詐欺です」
「僕は勇者じゃないってば」

 今更のことに苦笑して突っ込むと、ラリエルは微笑んで首を左右した。

「いいえ、貴方は勇者ですよ」
「違うって言っているのに」
「少なくとも、私の勇者ではあります。周囲に自慢できます」
「……恥ずかしいことを言うなあ」
「顔が真っ赤ですよ。本当に照れ屋ですね」

 口許をぐしぐしと拭う。変ににやけてしまうのは、抑えられなかった。目に映るのはラリエルだけで、逃げ場がない。こうなってしまうと勝ち目がないのが悔しかった。

「負けました、僕の負け」
「あは。拗ねないでくださいよ。かわいい」

 顔を背けようとしたら両手でそっと頬を包まれた。ラリエルを直視する。それだけで、体全体が一気に熱を持つ。まるであの日の夜のようだ――そんなことを思うと余計に恥ずかしくなる。

 だから。あの日とは違う太陽の下、あの日言えなかったことを口にする。

「好きだよ、ラリエル」

 熱情に浮かされて吐き出した真実に、彼女は

「きこえません」

 悪戯っぽい復讐。そうされても仕方がないくらいの罪科が僕にはあった。何年もずっと彼女の声にならない声を、伸ばし続けてくれていた手を、無視していた僕だ。想いを躱される痛みを少しくらい味わっておくべきなのだ。

「君の笑顔が好きだ」

 一度も微笑みかけてくれなかった彼女に、僕も復讐する。痛む部分を交換して、僕たちは互いに苦笑した。歯車が噛み合っている、そんな心地よい痛みだった。

 柔らかく額をぶつけて、離す。そこ以外で触れてしまうと、止まれる自信がなかった。

「臆病者」

 からかうラリエルの顔がもう一度近づいてきて、音もなく。掠るようなひととき、確かに熱が触れた。どこまでも幸せな余韻だけを残していく清らかなそれは、本当に天使の口づけとあらわすべきものだった。僕には、絶対に真似できない。

 昨晩も、その前も、遡ればあの夜からずっと。穢れ堕ち続けているはずの彼女は、どこまでも透明で清らかだった。

「詐欺師」

 胸に詰まった寂しさのようなものを吐き出したくて、ラリエルを抱きしめた腕を一瞬だけ、きつくする。

「あは……これだけは、真似できませんね。レグルア、お願いです、もっとつよく」

 壊れるんじゃないかと心配になるくらい、強く抱きしめられるのをラリエルは好んだ。曰く、被虐趣味があるのだとか。どこまで本気なのかわかったものではない。

「このまま押し潰されてしまいたいです」
「お望みのままに。とはさすがに言えないかな」
「そうですね。ふふ。レグルアを置いてはいきませんよ」

 安心してくださいね、と彼女は僕の頬を撫でる。

 碧空に、ふたつの小さな雲が寄り添うようにして流れていた。ゆっくりと、離れることなく、少し混じり合うようにして浮かぶそれを少しだけ微笑ましく思った。

「なんです。いいものでも見つけましたか?」

 腕を解くと、ラリエルも半身を起こして空を仰いだ。

「何もないじゃありませんか。鳥でもいたんですか」
「雲がね。ちょっといいなって思ったんだ」
「はあ……? ふむ……あれがですか?」

 彼女の指差す空の中で、ふたつの雲はひとつの塊のようになりつつあった。ラリエルには、ただの雲にしか見えなかったことだろう。

「変な趣味ですね。何かの形でも見出しましたか」
「ううん。流れていく様子がね。なんだか感慨深くて」
「変なことを言う人ですね」
「そうだね。ちょっと感情移入しすぎたのかもしれないなあ」

 僕も体を起こすと、ラリエルはそっと腹の上から立ち退いた。背伸びをすると、高原の風が全身を爽やかに撫でていった。

 白い花弁がぶわりと舞って、一瞬視界を奪う。舞い上がるはなびらの先に、彼女はいた。両手を組んで、目を閉じて。その姿は、誰がどう見ても、

「何を祈っていたの?」
「ふふ。何に、ではないんですね」
「秘密?」
「ええ。はい。秘密の秘密、です。先程の仕返しですよ」

 やられたり。やりかえされたり。僕たちの日常はそうやってじゃれ合いながら、そしてささやかな善行を積みながら、重なっていくのだろう。

 眼前の白い花畑、青々とした遠い連峰。旅の日々は鮮やかで、隣に――とても近くに想い人がいる。文句のつけようがない人生とは、これを指して呼ぶのだろう。

 背嚢を担ぎ、ラリエルの手を取る。明日からはまた誰かのために。だから、今日までは彼女とともに。二人で過ごす贅沢な時間は、きっと許されている。

 僕たちの姿が、誰かのしるべになればよいと思った。だから、

「下山、しようか」
「はい。今日の夕食が楽しみですね」
「うん。街におりたら、またふたりでいちゃいちゃしよう」

 善行を積む者の背中は、幸福であれ。続く者が、そうあるように願って。

 いつか世界に幸福が満ちるまで、僕たちは幸せな旅を続けたい。
21/06/08 19:04更新 / やまいも
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■作者メッセージ
毎夜たいへん盛り上がっているそうです

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