読切小説
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白の巫女
「クアン、白の巫女に会いに行こう」

俺の親友であるトルタが、唐突にそう言い出す。
これが全ての始まりだった。


白の巫女とは俺達の地方に伝承で語られる存在で、吹雪のヴェールに身を包んでいる時のみ人間の前に姿を現すとされてる美しい女性として伝わっている。
白の巫女の姿を見てしまった者はその美しさに魅了されるあまり、死を迎えるまで吹雪の中に立ち尽くすのだという。
白の巫女についての謎は多く、立場を弁えない恋情から死に至る人間を見て嘲笑っているとも、叶うことの無い想いに散った命に涙するとも言われている。
当然ながらどちらが正しいのか、あるいはどちらも正しくないのかを知る人間は存在しない。
もし仮に白の巫女と出会って真実を知ったとしても、その秘密を氷雪の牢獄から持ち出すことはできないからである。
俺達の住む古めかしい家屋と齢を同じにする魔術師グァーヴェは、白の巫女こそは雪山に遭難した人間が最期に見る幻影であり、実体を持たない幻との愛など成就する訳も無いと一笑に付した。
同時に、白の巫女は死んだ人間の魂を回収するよう死神の命を受けた従者であるとし、死神の使いが舞い踊る雪山には決して近寄らぬ様に魔術を施してあると語った。


子供の足でも雪山に行けるような集落に暮らす俺達にとってさえ、白の巫女は雪山の恐怖を象徴する存在でも有り、死そのものでもあった。
幼少の頃は、両親に叱られる時には決まって白の巫女が会いに来るぞと脅かされたものである。
俺達の集落では、白の巫女に会うのは死にに行くのと同義だ。
白の巫女に会うなどと言うことを集落の老人やグァーヴェを始めとする魔術師達が聞いたら激怒するに違いない。
とは言え、当時の俺達のどちらかが白の巫女に会いに行く、などと言い出しても不思議は無かった。
その時の俺達は僅かな子供と多数の年寄りばかりの活気を失った集落と、集落を囲う小さな森だけという狭苦しい世界に嫌気が差していたからだ。
狩人の俺も獲物が少ない森にうんざりしていたし、まだ酒の味も知る前から世界を旅する冒険家を志していたトルタにとっては、白の巫女に会うよりも寂れた集落にいる方がよほど死に近かったのだろう。
それに、俺達を傲慢にも見下し続ける雪山を踏破することは、地理的にも精神的にも大きな意味があった。
雪山は俺達の集落を外界から隔絶するような位置に聳えており、雪山を乗り越えることが出来れば広大な世界が俺達を待ち望んでいる。
また、子供の頃から恐怖で押さえ付けられていた場所に向かうことで、始めて束縛を解き放って自由になれるような気がした。
俺もトルタも両親とは既に死別しており、友と呼べる存在もお互いのみ。
元より人口が少ないので今生の別れを惜しむような人間は他におらず、死に行く集落に未練もない。
世界を目指すトルタと、臆病な草食動物だけを延々と狩り続けるだけの生活に別れを告げることに決めた俺は、いつも神経質に雪山に入る者がいないか見張るグァーヴェに酒を盛り、年老いた監視者は眠りに付いた。
こうして俺達を縛り付ける鎖を一つ千切り、俺達二人は人間を拒絶し続ける雪山へと足を運んだのである。


魔術師の目を欺いて辿り着いた雪山は、俺達を強く拒絶した。
雪山の氷の洗礼には獣も耐え難いようで、どれだけ歩いても生き物を目にする事はない。
想像を絶する極寒は絶えず俺達の肌を刺し、立つこそすらままならない程の吹雪が俺達に引き返せと告げる。
このまま気力だけで登頂を続けるのが不可能なのは明白だったが、かと言って引き返すわけにも行かない。
魔術師の怒りを買った以上、もう故郷には戻れないだろう。
俺達は集落に戻ることも先に進むことも出来ず、ただただ吹雪に踊らされ続けた。
そしていつしか、親友のトルタとはぐれたことに気が付いたが、その時には吹雪のせいで音も目も頼りにならない状況になっており、捜索などしようが無い。
一人ぼっちになった俺は急に心細くなり、人間の立場を弁えずに白の巫女に会いに行こうとした事、広い世界を求めた事、そして魔術師グァーヴェを出し抜こうとした事を強く悔いた。
恐怖のあまり流した涙もすぐに凍りつき、頬にへばり付いて激痛を生む。
この吹雪に晒され続ければ命が無い事も理解し絶望の中にあった俺に、鈴のように澄み渡る声が響いてきた。

「そのまま後ろを振り向かずに歩き続けなさい」

吹雪の中で聴覚は完全に凍りついたと思っていた俺はその声に強く驚き、同時に声の主を恐れた。
魔術師グァーヴェの話では、魂を貪る白の巫女は吹雪の中で死期が近い人間にのみ存在を知覚させるという。
ならば、この声を発しているのは死神の従者で、俺の魂を奪うために偽りの道を示しているのではないのか。
そう思ったが、それを口に出す事はできなかった。
口を開ければ雪が飛び込んでくるこの地獄で声を出す事など不可能だ。
もし声を出す事が出来たとしても、孤独と反抗への後悔、そして死への恐怖に打ちのめされていた俺はこの声に抗おうとは思わなかっただろう。
背後に迫る死神に怯えながらも、死神の声に従い歩みを進めていく。
果たして白の巫女の言葉は正しく、足が動かなくなる直前に緑の草木が目に入り、地獄の出口に辿り着いたことを知った。

「さあ行きなさい、ここを進むと夜鷹達の住む大木があります……そこから集落への道は、貴方の方が詳しいでしょう」

そう言って、俺の背後から白の巫女が離れていく。
吹雪の中で足音が聞こえた訳でも振り返って姿を見た訳でもないが、背後から声の主が離れていくのが何故かはっきりと感じられる。
死神の使いから解放されて安堵の息をつき、恐怖が取り払われた思考でトルタがまだ雪山に居る事を思い出した。
白の巫女は何故か自分を見逃してくれたが、親友のトルタまで同じように慈悲深く接するとは限らない。
また、トルタに迫っている脅威は白の巫女だけではなく、死神が声を掛けるまでも無く吹雪に命を持ちされている事も十分考えられる。
どうせ死神に情けをかけられた命だ、失うのは怖くない。
そう決心し、俺は吹雪に立ち向かおうと白の巫女がいた場所へ振り返る。
そして、忌まわしい光景を目撃した。

「……トルタ!目を覚ませ、トルタ!」

俺が目にした瞬間こそ、親友トルタが助かる見込みがないのを確信すると同時に、白の巫女が邪悪な存在であると判断するのに十分なものだった。
我が親友トルタは吹雪の中で力尽きたのか、意識を完全に手放している。
そして何より俺が注視したのは親友トルタを担ぎ、吹雪を意に介さず去っていく外套に身を包んだ小柄な人影だった。
やはり白の巫女は慈悲深い存在などではなく、彼女なりの基準で俺は助けられてトルタは連れて行かれたのだ。
青年二人を抑える力が無いのか、それとも一人で腹が満たされるのかは分からない。
どちらにせよ、このままではトルタの魂が彼女の手に落ちるのは明白だ。
俺は吹雪を浴びた体に鞭打って、連れ去られる親友を追って行った。
吹雪に何度も突き倒されて、積もった雪に何度も足を掬われ、それでも俺は執念深く親友を連れ去った存在を追い続ける。
もう来た道も覚えていないし、帰ることはできないだろう。
体に刻み込まれた疲労を考えると丸一日は探し続けていたに違いない。
だが、長い永い追跡の果てについに白の巫女の潜んでいた洞窟へと辿り着いたのである。
洞窟から出てきた白の巫女は、俺の姿を見て酷く驚いたようだった。
俺を下山させ、その隙に人間の血肉を喰らうとでも考えていたのだろうか?
だが、親友の為に悪鬼になる覚悟を決めていた俺は巫女の動揺している隙に彼女の元へ駆け寄ると首に剣を向けた。

「俺の親友を……トルタを返せ!」

白の巫女は、今度は酷く怯えだして体勢を崩し、必死に後退りする。
子供くらいの身長の人間が震えて尻餅をつく光景に良心の呵責はあったが、こいつが親友の仇だということを考えると再び心を閉じる事が出来た。
丸一日経った今、俺は親友が生きているとは考えていなかった。
だから相手の返答を聞く必要も無い、この命が尽きる前にトルタの無念を晴らす。
そのまま剣を握った手に力を込めて……。


「やれやれ……お前もグァーヴェのじじいくらいに頑固だなぁ」

最後の力を振り絞って剣を突き立てようとした時、地鳴りのように響く声がすると同時に辺りが急に妖しい明かりに包まれた。
光と声の発生源を探して、宙に目を向ける。
そこには吹雪の城壁の中でも尚強く輝く、今まで見た事もない二つの巨大な星が赤く輝いていた。
俺が双子の星を睨みつけると、双子の星も俺を見下すように輝きを強めた。
その直後、突如として突風が吹き荒れて俺の体が宙に舞い上げられる。
そのまま体を何かに鷲掴みにされ、空高く持ち上げられた。
その高度は相当なものらしく、先ほどまで高く見上げていた双子の星が今や俺と同じ高さで輝いている。
自身に起こった状況も理解できずにいると、再び振動を伴った声が響く。

「随分と取り乱しているな、クアン」

声がいきなり俺の名前を呼ぶ。
どうやら声の主は俺の名前を知っているようだ。

「おい、この声を出している奴。 早く俺を降ろせ……親友の敵討ちの邪魔をするな」

俺を空中へと攫った相手が恐ろしい存在であるのは間違いない。
相手に気圧されることのないように俺も敵意の篭った声で言い放った。
しかし、声の主は俺の敵意を浴びて、むしろ可笑しくてたまらないといった様子で告げる。

「おいおいクアン、敵討ちも何もお前の親友トルタは生きてるぞ……今ここに居るようにな」

耳に入る度に脳が揺さぶられるような声は、我が親友トルタと全く同じような口調や言葉遣いで話す。
そしてこの声は、今ここに居るようにと言った。
だとしたら、今この場にトルタが居て、この声はトルタのものなのか?
では……今まで双子の星だと思っていたものは彼の瞳で、今俺を締め付けている物は彼の……腕?

「そういう事だ……お前にも、俺が見知った事の全てを見せてやろう」

トルタだった巨人はそう言うと、俺を掴んだまま風のようになり、雪山を離れていく。
俺の親友が変わり果てた果ての巨人は、如何なる魔術を使ったのかは知らないがこの世界ならざる場所へと俺を運び、主神とも魔王とも違う、別世界の絶対的な支配者の名を語った。
そして、俺達が白の巫女と呼んでいた存在『ウェンディゴ』こそ別世界の支配者の眷属と名を同じにするものだという。
白の巫女とは違って別世界のウェンディゴは邪悪な存在であり、そもそも邪悪な真の名前を覆い隠す為にウェンディゴと呼んでいるに過ぎない。
その本当の名前は人間にも、人を捨てた彼の口にも発音することは出来ないようだ。
しかしウェンディゴが邪悪な存在だと言うのはあくまでも別世界の話であり、俺達の世界のウェンディゴ……白の巫女は人に危害を加えない温厚な存在である。
だが白の巫女は別世界のウェンディゴと同じ性質を引き継いでおり……。

「もう、止めてくれ! 別の世界なんて俺達には関係ないだろう!」

俺は狂乱して叫んだ。
トルタだった巨人の話が理解できなかったのもあるし、別の世界でのウェンディゴの真の名前を想像するだけで全身が恐怖に包まれたのだ。
俺に懇願に、トルタは慈悲深く応じてくれた。

「……そうだな、ここまでにしよう。 これから先はお前自身が選択しろ」

そう言って、虚空へと俺を投げ飛ばす。
俺は白の巫女と名前を同じにする邪悪な存在、そして彼らが仕える絶対的な支配者についてトルタから聞く事がなかったことを心から幸福に思い、意識を手放した。


俺が目を覚ましたのは、洞窟の中だった。
どうやらあの後トルタに投げ飛ばされて、雪山に倒れていたところを保護されたらしい。
俺はまず自分が生きている事に驚いたが、一番は俺の恩人だった。

「クアンさん、木が集まったので焚き木をしましょう」

俺を担いで洞窟まで運んだ外套に身を包んだ子供。
その姿が、かつて俺が斬り殺そうとした白の巫女そっくりだったのだ。
どうやら白の巫女……正しくはウェンディゴは一人ではなく、種族の名前のようだ。
俺は命の恩人……ウェンディゴのララに返事をして彼女の元へ向かい、火で体を温める。

「あの……クアンさん」

おずおずと、隣で火に当たっているララが切り出した。
彼女にとっては喜ばしくない話題のようで、割れ物を扱うかのように少しずつ話し出す。

「……私達が、怖くは……ないんですか? ……クアンさんは私達の別の世界での姿を……知っているはずです」

ララが言っているのは、間違いなくトルタが俺に見せた光景のことだろう。
あの時垣間見た別世界のウェンディゴはおぞましく醜悪で、人間など歯牙にもかけない振る舞いだった。
あのウェンディゴを恐れていないなどとは、例え夢の中の世界でも言うことは出来ない。
だけれど、あのウェンディゴと、俺の為に木の枝を集めて焚き木をしてくれている目の前の少女が同じだとも、言うつもりは無い。
例え夢の中の世界でもだ。

「ああ、知ってる……だけど、あれは別世界での話だ。 君達じゃあない」

なので、きっぱりとそう言い切った。
だが、それでもララの口調からは躊躇いが消えない。
先ほどの問いかけも、自分自身に問いかけていたのかもしれない。

「で、でも……」

なので、先に行動で示すことにした。
彼女の外套の中に手を突っ込み、顔を外界に晒して唇に舌をねじ込む。
そのままと舌と舌を絡め合う内に、ララは手を伸ばして俺の頬に触れてきた。
雪を握ろうとするような手つきだったので、逆に俺の手で握り返す。
彼女の手はひんやりとしていたが、俺と手を重ねていると瞬く間に暖かくなった。

「今のでも、まだ答えは足りないか?」

舌を抜いて、少し意地悪く問いかけてみる。
ララは顔を真っ赤にしながら顔を横にブンブンと振った、もう十分伝わったらしい。

「そうか、それは良かった」

俺も彼女の舌の感覚を思い出して、顔の火照りを誤魔化す様に大声を出す。
そのままお互い無言で火に当たっていたが、ララが消え入るような声でこう言ってきた。

「……あの、さっきの、続き……したい、です……」

それを聞いた俺は、彼女と同じくらいに小さな声で返事をしながら、彼女と手を繋いで洞窟へ向かった。
今まで女性の扱いというものにはてんで無知だったため、恥ずかしさで今にも溶けてしまいそうになる。
洞窟に向かう間、気を紛らわすべくとりとめもない事を延々と考え続けるのだった。

結局、俺は別世界のウェンディゴの犠牲者と同じ末路を辿ってしまったらしい。
トルタに虚空を連れ回されていく内に、体は変化して低温の環境に順応してしまった。
恐らくは、この雪山の中でしか生きることはできないだろう。
だが、それでも俺は俺のことを不幸だと思わない、ララが居るからだ。
ララは倒れ付した俺を洞窟にまで運んで介抱してくれたし、彼女の唇を味わってしまった今は他の事なんて考えられやしない。
……それに、別世界での恐ろしいウェンディゴの記憶を癒してくれるのはララだけだ。
ララだけが、あのおぞましい巨人の怪物の記憶を否定してくれる。
あのウェンディゴはこの世界には実在せず、あの暖かい唇と小柄な少女こそがウェンディゴなのだと俺に言い聞かせてくれる。
……俺は、ララから離れることは出来ないだろう。


白の巫女の姿を見てしまった者はその美しさに魅了されるあまり、死を迎えるまで吹雪の中に立ち尽くすのだという。
白の巫女に関する伝説は結局ほとんどが人間が勝手に作り出したものだったが、これだけは正しいだろう。
何故なら、俺はララと共に、生涯を吹雪が吹き荒れる雪山で過ごすつもりだからだ。




「クアンも俺と同じ道を選んだか……。 あいつがお前に斬りかかった時はヒヤッとしたよ、シビル」

異形の声が、雪山に轟く。
かつての人間の姿を完全に失ったトルタもまた、後悔の念はまるで見られなかった。
彼もまた、ウェンディゴ達と共に生きることを決めた人間だ。
真実に至った者として親友を気に掛けていたが、その不安はもう必要ないらしい。

「これで思い残しはないでしょ、なら続きをしよ?トルタ」

異形の巨人に抱きかかえられたウェディゴの少女、シビルが彼に答える。
彼女はクアンに命を狙われたが、彼の無知故の誤りだったとして咎めるつもりはないようだ。
そんなことよりも、と言いながら猫撫で声で夫を誘う。

「ああ、じっくり楽しもうか、……愛してるよシビル」

異形の声は、今度は優しい響きだった。
妻であるシビルも、彼に対抗するように、甘えるような声を上げた。

「私も、トルタのことはだーい好き」
17/08/10 01:46更新 / ナコタス

■作者メッセージ
どうも、ナコタスです。
ウェンディゴはクトゥルー的な設定がマインドフレイアやショゴスに対して薄めで書くネタが思いつかない状態でしたが、ふと思いつきました。
「ウェンディゴが無理なら、旦那にエクストリーム高い高いさせれば良いんじゃね」
そこから筆の進むこと進むこと。
なので、今回の作品を書こうと思った理由の大半がエクストリーム高い高いです。その割には描写がチープですが……。
また、今回の作品でえっちい感じの初挑戦。
ただキスするだけなのに、書いてる方がドキドキしました。
今回のキャラクターの名前はCAスミス先生の『ヒュペルボレオス極北神怪譚』に収録されている短編小説を参考にしました。

今回も自己的に満足の行く作品ではないですが、楽しんでいただけたなら幸いです。
今度こそ、今度こそリビングドール書かなきゃ……データ飛んで一から書き直しだけど。

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