連載小説
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朱玉
 おそらく、自分の人生最大の羞恥心に僕は苛まれていた。
 
 朝方に行われていた鬼太鼓のステージのある、船内のイベントプラザに僕は来ていた。父さんが倒れた時と同じく空席の多い二階のギャラリー席で、同じ白いプラ製のテーブルに腰を掛け、頭を抱えてうずくまっている。
 
「馬鹿なの……?マジで?馬鹿じゃないの?」
 
 もう一度改めて言おう。
 僕は今、人生最大の羞恥心に苛まれていた。
 その原因はもちろん、さきほど食堂の隅で起きた楓香との一件のせいだ。雰囲気に飲まれていたとはいえ、なぜあんなことをしてしまったのだろうかと、ただいま絶賛後悔中なのである。
 大衆の目がある中で、しかも幼馴染の目の前で、鼻水垂らして号泣する高校生の姿は滑稽以外の何者でもなかっただろう。高二病をこじらせすぎだ。死にたい。
 
 ここに至る前の話だ。
 フードコーナーで出会った後、僕は楓香から喰人鬼に関わる情報を聞いた。ただ楓香自身は喰人鬼のことは詳しいわけではなかったので、正確には他に情報を持っていそうな人を紹介してもらったというべきだろう。
 ダンピールの家系である糸井家。それと深く関わる保存会にならば、魔物のことに詳しい者が一人や二人いてもおかしくないだろうと踏んでのことだった。
 すると意外にもその人物は、今日もこの船に乗って来ているのだという。僕はその人に会うために、僕はこのイベントプラザに来ていたのだ。
 
 その人物とは何度かメールのやりとりをしたが、『喰人鬼』のワードを出すだけで食いつくように話が進んだ。どうやらその人も喰人鬼には特別な興味があるらしく、すぐに会う約束を取り付けることができた。
 他の一般客の目を気にしないように、先ほどの特等室で聞くつもりなのだが、母さんと鉢合わせて、まだ僕が魔物について探っていることを知られるわけにはいかなかった。だから鬼太鼓が始まって母さんが部屋からいなくなるまで、このイベントプラザで待っていたのだ。

 だがしかし。

 問題が起きてしまったのはその後だった。
 その人物と待ち合わせの時間を決めて、いざ一人になってからだった。
 行動を起こすにあたって、頭を一旦クールにしてしまったのがいけなかった。
 食堂での自分がいかにクサいことをしていたのか、それに気づいてしまったのだ。
 時間にして15分以上だろうか。
 ぞわりと全身の毛が逆立つような悪寒によじれながら苦悩している。死にたい。
 
「違うんだ。あんなのは僕のキャラじゃないんだ。もっと落ち着いて考えれば、あんな痴態をさらさなくても良かったはずだ……」
 ブツブツと自身への悪態をつき続ける。
 とにかくなんとかして気持ちを紛らわそうと、もだもだと全身をぐねらせる。だが脳内に焼き付いた黒歴史はこびりついて一向に消えそうにない。

 ―――ドン、ドン、ドン。
 
 そんな無駄な動きをしているうちに聞き馴染んだ、和太鼓の重く響く音が下の方から聞こえてきた。リズムが一定じゃないから、おそらくただの音出しチェックだろう。鬼太鼓がもうすぐ始まる合図だ。
 
 僕は母さんがステージにいるか一応の確認のため、傍にあるバルコニーの柵から顔を投げ出して、一階を覗く。
 下の階では朝と同じくらいの人数がこぞって集まっていた。軽く見ても百人以上はいるだろうか。
 午前中の鬼太鼓の演舞の時にいた乗客は全員、本州側についた時点で降りているはずだった。だけどそれと同等に、この船にそれだけ人が乗ってきたのだということだろう。

 しかし、それを見た僕の第一の感想は「少ないなぁ」だった。
 
 盆の時期だからかそれなりに人はいるけど、僕の幼い頃に比べれると全体の乗客数は年々減っている。全盛期はこの空席だらけの二階席でさえも、人でぎっしりと埋まってしまうほどだったのに。減少していく乗客をみるたびに、島にゆかりのある人間が目に見える形で消えていくのだと理解する。

 この島も少しずつ、人が少なくなってきているのだろう。

 主に若手の人口が、僕らの住む本州の都会へどんどん移住しているからだ。でも実際、それは当然のことだろう。
 
 この島は、若者には住みづらい。
 とにかく物資が少ないのだ。電気もガスも、限られた場所にしか通っていない。このご時世で便所は汲み取り式で、風呂を薪で炊いているだから相当なものだ。
 食料も山の奥に行くほど畑での自給自足の割合が高くなる。娯楽の類も都会と比べたら雲泥の差だ。週刊誌だって週遅れで港近くの場所にしか置かれない。
 そして不便であるということはつまり、他人に頼らなければ生きていけないという意味でもある。どんなに辛かろうと、嫌な相手でも交流していかなければ、日々の生活が成りたたない。

 僕みたいな都会での利便性や薄い人間関係の気楽さを知ってしまった人間にとっては、それにほとほと嫌気がさすのが普通だ。
 もしも自分の好きな人とだけ関わって生きていけたら、こんなに楽なことは無いだろう。
 
「はは、魔物には……生きづらい所だよなぁ」
 何かを憂う一息を、ふぅと吐き散らす。

 視線の先をステージの方に向けると鬼太鼓の準備が粛々と行われていた。午前と同じ黒い半被をきた中年男性たちが、低音を繰り出しながら和太鼓の準備や飾り付けの微調整を行っていた。
 
 そして、その和太鼓の後ろに人影が二つ。
 そこには鬼装束の母さんと、楓香が待機していた。二人とも衣装のチェックをしつつ息を潜めて佇んでいて、完全に太鼓の影に同化していた。

 母さんと楓香。
同じダンピールなのにまるで対照的な二人。

 二人が被る鬼の黒髪と白髪の仮面が、その両者の対立を形にしているかのようだ。
 黒髪の鬼面は魔物であることを受け入れ、僕が介入することを拒絶し、白髪の鬼面は自身の本性に悩みながら僕が踏み込むことを望んでいた。
 お互いの意見は決して交わらないはずの二人なのに、同じ鬼の格好で並んでいるのを見ているだけなのに、僕にはなぜだか二人が奇妙で運命的な巡り合わせのような気がしてならなかった。
 
 『誰か一人が悪いわけじゃないの、だからその時は…何も言わずに全部聞いてあげてほしいの』
 
 いつぞやの別れ際に言われたタガネの言葉を、僕は思い出していた。
 もちろん、母さんも楓香もどちらの言い分も理解できた。ただ僕に対しての在り方が違うというだけだ。

 下の階の二人の様子をじっと見て、僕は今一度、大きく深呼吸をする。
 ……少なくとも今は、黒歴史とか羞恥心なんて言っている場合じゃないだろうな。

 僕の視線に気が付いたのか、白い髪の鬼がパッと顔を上げて、僕の方を見返してくる。そして、そのまま胸の手前で小さくひらりと手を振ってくる。

「……うっ」 
 なぜだろう。
 色気なんて微塵もない鬼の恰好なのに、可愛く見えてしまう。
 昔のこともあって、楓香にはすごく乱暴なイメージが付いてしまっていたせいなのか。そのちょっとした仕草だけでどうにも視線が泳いでしまう。一応僕も軽く手を振り返すが、なんだか恥ずかしかった。
 
 話を聞く機会を作るためとはいえ、楓香にはかなりの負担を敷いてしまった。同い年とはいえ楓香も保存会の一員である。仕事としてこの船に乗ってきている以上、演舞の方を疎かにはできないはずだった。しかも一番キツい花型である鬼太鼓の鬼の担当なのだから、いくら魔物でも相当の体力を強いられるだろう。
 しかしそんな非常に限られた時間の中で、楓香は尽力してくれた。
 いきなり僕が会いに行ったら怪しまれるからと、僕と専門家の人の仲介役になってもらったのだ。わざわざその人に僕のメールアドレスを渡してもらったりと、何かと世話を焼いてくれた。

 魔物である楓香にとって、『自分の知らない魔物のために僕が頑張る姿』なんて見たくもないものだろうに。それどころか、ここまで頑張ってくれたことが非常に嬉しかった。
ここにきて楓香は、ダンピールという魔物としての糸井楓香ではなく、『幼馴染』としての楓香を選んでくれたような気がしたのだ。これはきっとそのための、彼女なりのケジメなのだろうとすら思える。
 無論、これは僕の勝手に解釈だ。本当のところはどうだかは知らない。ただ僕が一方的に感謝をしているだけだ。

 だけど感謝には、行動で答えなければならない。
 一通り楓香に手を振って柵から頭を引っ込めると、今度は二階席を見まわす。
 魔物に詳しいその人物は「藤木」という名前らしい。
 その人も保存会の仕事で時間がなかったので、名前とアドレス以外はあまり話を聞くことができなかったので、容姿とかの事前情報は全くなかった。コミュ障の僕にははっきり言って不安である。

 それにしても、楓香が仲介してくれたとはいえ、よくこんな僕の話を聞いてくれる気になったものだ。
 最近、勘ぐりすぎが癖になっている自覚はあるけど、ここまでくると都合が良すぎる。
 僕の求める条件の人物が偶然この船に乗っていているなんて、なんだか怪しい。大体、僕みたいな馬の骨がいきなり『喰人鬼なんてファンタジーみたいな存在について知りたい』なんて言ってきたら、普通は警戒すると思うのだけれども。
 まいった。勢いで行動したは良いが焦りすぎだし、そのくせ思考の詰めが甘い。
 
 ……いやいや、ダメだ。そんなことを考えちゃ。
 
 両親に喰人鬼に関しての一切を隠されてきた僕にとって、楓香とその人物が唯一の情報元であり接点である。結果がどうなろうと、無駄に勘ぐって関わるチャンスを逃してはいけないのだ。僕はそのまま椅子に座ったまま、それらしき人物が来るまで静観していることにした。

 と、その時。

 二階席の奥にある鉛色の屋外行きの扉が静かに開けられた。
 扉から出てきたのは白黒のシャツの男だった。デジタルカメラと大きな黒い鞄を手に持っている。男は歩きつつ何度も立ち止まってはカメラを覗き、また歩き出す。きっと鬼太鼓を撮影しているのだろう。

 ひょっとして、彼だろうか。
 僕は警戒されないよう、その男が近づいて来るのを目の端だけで追いかける。男もこちらに気が付くと、カメラを手に持ったまま、ゆったりと僕の方へと近づいてくる。
 僕はその男が誰なのか気づいたのは、彼が手前10mほどまで接近してからであった。

「やぁ、さっきはどうも」
 その男は、旧友に会ったかのように気さくに声をかけてきた。
「あなたは……」
 見覚えのあるその顔を見て、僕はスッと立ち上がる。
 さっきの鬼太鼓で父さんが泡を吹いて倒れた時に、部屋まで運ぶのに手を貸してくれた人だった。
 同じ船の上だから、また見かける時だろうとは思っていたがまた会えるとは。彼は右手を僕の前のイスに向けて、僕に着席していいかを尋ねてくる。
 相変わらず随分と丁寧な人だ。僕はどうぞと、小さく頷いた。

「さっきはありがとうございました。おかげで父さんも無事です」
「いえ私は大したことはしていませんよ。それにしても何もなくて、良かったですね」

 再度、馬鹿丁寧に恭しく頭を下げる。
 すらすらと遜る文言が出てくる様子からして、藤木さんは普段からそういう腰の低い姿勢に慣れているのだろう。いい終えた後、藤木さんは握手を求めて腕を伸ばす。
 実際さっきはこの人のおかげで何とか騒ぎにならずに済んだのだ。即座に僕は、藤木さんの手を握り返す。

「……先程は名乗らずに申し訳ありません。私が藤木といいます」
「藤木、え?じゃあ……」
「ええ、楓香ちゃんから事情は既に聞いています。喰人鬼、それと佐島扶美さんの近辺のことを詳しく知りたいとか」

 なるほど、快く引き受けてくれたわけだ。僕はほっと胸をなでおろした。
 どうやら神経質になりすぎていたようだ。彼はさっき目の前で僕の父さんの異常事態をみている。すぐにOKを出したのも、僕の事情を知っているからだろう。
 
「はい、母さ……佐島扶美さんにはできるだけ悟られたくないので、すみません」
「わかりました。私の知る限りでしたらお話しましょう」
「じゃあ、さっきの特等室まで……」

 感謝の気持ちも込めて、僕は藤木さんを特等室へと案内した。

―――――

「グゴゴッゴオー、ゴッゴ!」
 
 特等室に到着してドアを開けた矢先、クマか何かが唸ったみたいな弩低音が飛び出してきた。
 何事かと思い部屋を見まわすと、ベッドに横たわっていた父さんのビール腹が風船のように上下に膨らんでは萎んでを繰り返していた。

「なんだよ、いびきか」
「ふふ、本当にもう大丈夫そうなんですね」 

 肩の力ががくりと抜ける。これから真面目な話をするというのに。
 ていうか、もう数時間は経っているのにまだ起きないのか。それはそれで心配だな。
 気持ちよく眠る父さんを他所に、僕たちは向かい会うようにソファーに座る。ちなみに部屋の鍵は藤木さんが持っていた。
 
「さてと……では早速ですが、本題に入らせていただきます。私も君もあまり時間に余裕があるわけではありませんので」
 藤木さんはデジカメをケースにしまうと、さながらビジネスマンのように姿勢を整える。
 その通りだ。母さんは鬼太鼓でしばらく戻らないが、そこまでのんびり話をしてもいられない。
「はい。よろしくお願いします」
「継さんはその喰人鬼のことはどこまでご存じなのですか?」

 僕は淡々と、知っていることを順に並べたてる。
 タガネという元死体の喰人鬼がうちの墓の近くにいたこと。
 そのタガネが叔父さんの精を吸いながら25年もの間、生きていること。
 父さんが18才の時、タガネに犯されて、インキュバス化したこと。
 母さんがタガネから父さんを取り返すため、父さんを自分のインキュバスとして上書きしようと今まで必死だったこと。

 言いながらこれしか知らないのかと思うと、少し顎に力が入る。
 藤木さんは少し唸ると、続けて質問をしてくる。

「そうですか。大体わかりました。お辛いお話ばかりで大変だったでしょう」
「いえ、そんな……」
 そうではない。
 むしろ知らずに今日までのうのうと生きてきたことの方が辛かった、というべきなのか。そんなことは流石に言えなかったけど。

「いえ、貴重な話ありがとうございました。では次は私からお話しましょう。彼女たちは……いえ、見てもらった方が早いですかね」

 すると、藤木さんは自身の鞄から縞模様のモスグリーンのハンカチに包まれた何かを取り出して、目の前のテーブルに置いた。
 藤木さんが包みを外していくと中に入っていたのは桐箱だった。大きな湯飲みが一つ入ってそうなくらいの大きさだ。箱の作りもしっかりしていて、何かちょっとした高価なものを入れるようなソレだった。

「これは、一体?」

 尋ねると、藤木さんは静かにその蓋に手をのせる。

「喰人鬼の心臓部、と。申し上げたら……信じますか?」

 切り出すと同時に、藤木さんは静かにその桐箱を開ける。
 箱には中身が動かないようにぎっしりと隙間なく綿が詰められていた。
 その綿の中心部に守られるように、硬式野球の球くらいの大きさのデコボコした石が保管されていた。赤というよりは朱色といった方が近いかもしれない。上から直接絵の具で塗ったみたいに、はっきりと主張してくるその派手な色は、とても自然に出来たものとは思えない。

「……私たちは朱玉(あかだま)と呼んでいます。この島でのみとれる貴重な魔石です」

 藤木は朱玉をあっさりと手でがしりと掴む。と、そのまま僕の前へと差し出してきた。その余りの軽々しさに思わず僕もぎょっとしてしまう。

「……いいんですか?触っても」
「構いませんよ、このままではただの石ですから」

 大丈夫です、という藤木さんの言葉を信じて、僕はその石を受け取る。
 正直、見た目では石といわれてもどこか違和感がある。どこか人為的に色を塗ったみたいに綺麗に赤く染まっているだからだろう。
 だけどこうして実際に手に取って観察してみると、紛れもなく石であることが理解できた。この見た目に反したずっしりとした重みや、妙に滑らかな触感、魔石云々はともかく特殊な物だということを物語っている。
 つるつるとした手触りは、これは流石に何かで磨いているのだろうか?よく見ると赤色の中に細く茶色い筋が何本か入っている。

 まじまじと観察しているうちに、僕は一つ、思い出したことがあった。
 この石……見たことがあるぞ。
 一度や二度じゃない。つい最近も目にした、だけど興味が湧かず今まで気にもとめなかったものだ。

 確か、そう。昨日の夕刻だ。
 叔父さんとタガネのことを話している時。

「……そうだ、この石、うちの玄関にもある」

 祖母の家の玄関、その隅に目立たぬように置かれた棚の上に確かに同じ赤い石があった。確かにその石はこれと同じものだった。

「昔からこの石には、周囲の魔を払い蓄える力があると言い伝えられています。玄関に置かれているのは外部からの魔物の侵入を防ぐためでしょう」
 
 そういって藤木さんが差し出した桐箱に、僕は朱玉を元通りに収める。

「喰人鬼を作り出すには主に二つの方法があります。一つは喰人鬼自身が死体に魔力を注ぐ。そしてもう一つが、どうやらこの島特有なのですが、この朱玉を死体の心臓部分に埋め込むという方法です。埋め込まれた朱玉はそのまま死体と融合し、喰人鬼を動かす魔力炉となります」

 いきなり藤木さんは、学者が図鑑を読んでいるみたいな、それでいて漫画の設定を読みこむような語りぶりで、喰人鬼の生態についてを語りだした。
 
 急な話に僕は狼狽する。
 魔石だって?中学生の設定資料集じゃあるまいし。

 聞いていて、なんだか背中が寒いというか、嫌な感覚が僕の背中にピリリと走った。藤木さんのような大の大人が、妙にフワフワしたファンタジーな要素を混入してきたうえ、その内容が嫌に生々しいからだろう。
 しかし、藤木さんに聞きたいのはここから先のことだ。ひるんではいられない。
 まず一つ、僕は頭に浮かんだ疑問を躊躇なく聞くことにした。

「……なぜこんなものを藤木さんが?」
 とにかく仮に、藤木さんの話を信じよう。
 ならばそもそも何でそんなシロモノをこの場でさっと用意できるのか?無論うちの玄関にあること自体もおかしなことだが、そこは今はスルーだ。

 何か言い淀んでいるような雰囲気を藤木さんから感じ取る。

「すみません、色々と余計なことを。今すぐ信じろというのは無理がありますが……どうか最後まで聞いてもらいたいのです。実は、我々保存会には鬼太鼓の伝統保存だけでなく、公にはしていないもうひとつの仕事があるのです」

 藤木さんのその言葉は、何か怪しげな雰囲気を漂わせていた。

「この島の朱玉と、喰人鬼を保護することです」

 一瞬、意味がわからなかった。
 突拍子がない話で申し訳ないと言いたげに、藤木さんは頭をほんの少しだけ垂れる。
 そして一呼吸すると、穏やかに話を再開させる。

「なぜこんな石が存在するのか、誰がどこからこんな石の使い方を知り得たのか。それはわかりません。ですが……本来、死体を蘇らせる力など太古の昔からの禁忌です。継君。君と家族の方は、25年前からタガネさんという喰人鬼と関わっているそうですね」

「ええ……まぁ」

「本来人間は生きている限り、人間と繋がり、関わることで生きていける存在です。人間同士が繋がった間に生まれるものが社会です。そして、社会は常に変化しています。古い人間が死ぬことで古い社会が消えて、次の新しい社会へと更新されていくのです。
 ですが、喰人鬼は元人間。つまりは人間社会の一部だったものです。死んで社会から消えたはずの人間が、未だにこの島で歩き回っているのです。もしも、喰人鬼が際限なくこの島に溢れていったらどうなるでしょう?これから先、全ての死者が死なずに男性を餌のように貪るだけの存在で溢れてしまったら、この社会というものはどうなってしまうのでしょう?喰人鬼と会って、そういうことを考えたことはありませんか?」

 まるで誰かが恐れて、目を背けて向き合ってこなかったことに無理やり手を突っ込んでいるみたいな、そんなイメージが僕の目の奥に湧いて出た。

 死体を蘇らせる……僕にとっては漫画やエンタメの中でしか聞いたことのないフレーズだった。第四の壁の向こうの、映画や漫画のゾンビやグールたちは当たり前のように人を襲っていた。

 しかしこうやって、演出やドラマ性などは一切なくて。
 あくまで冷ややかで現実的に。当然に存在する隣人のように。
 
 『死んだ人間』が実在するとは、一体どういうことなのか。
 
 次々と懸命に語る藤木さんの姿を目の当たりにすると、次第にその生々しさが改めてじわりと、脳へと及んでくる。

「……難しい話になってしまいましたね。つまりこの石の力は放っておいたり、不用意に世間に知られて使われてはいけないと私は言いたいのです。ですから悪用されないように、魔力や魔物について詳しいダンピールの家柄である糸井家、ひいてはダンピールと深い関わりのある保存会に白羽の矢が立ったわけです」

 そこまで一気に話し終えて、藤木さんはようやっと息継ぎをした。
 
「決して魔物を虐げているわけではありません。ですがこの石と喰人鬼は、ちゃんとした専門の知識をもった我々の管理の元であるべきなのです。人間と魔物たちのために、この現実で、魔物が存在していい社会を守るために、むしろこれは必要なことなのです」

 藤木さんはさらに一言、さらに一言と語気が強めながら話し続ける。僕に理解してもらおうと、必死に言葉を並べて伝えようとしていた。
 その異様なまでの熱意に既に僕は口を挟む気力さえ失っていた。

「継くん。君に頼みたいことがあります」
 頼みたいとはいうが、その眼力は断らせる気はなさそうだ。
 僕は首を縦に振るしかなかった。

「我々はこの島の全ての喰人鬼を保護したいのです。彼女らはもう、自ら死を望まない限り死ぬことはありません。彼女たちは受け入れるべきだった死を通りすぎ、終われなかった悲しい者たちなのです。このまま、ただ人から精を吸うだけの存在でい続けるだけなんて、悲しすぎます。彼女たちは映画の中のクリーチャーではありません。人間ではないですが、共存できない化け物ではありません。そのタガネさんという喰人鬼は、我々の保護の外の者です。彼女を保護し、助けるためにも。君の力を借りたい」

 タガネを、助ける―――。
その言葉を聞いた瞬間、息をのんだ。

「僕に、何をさせたいんですか?」
「……こんなことを君に言うのは心苦しいのですが」

 藤木さんは言いづらそうに唇を噛むと、目を伏せたまま言葉を告げる。

「継君。君の家族には昔から、この朱玉の不正使用の疑いをかけられています」
 
 不正使用……?
 なじみのない単語たちに、一瞬認識ができなかった。
 だがその言葉が僕の心に染み渡らないうちに、藤木さんは次なる情報を打ち明けた。

「君の叔父さん、佐島渡志が、君の言うタガネさんという喰人鬼の誕生に深く関わっていると我々は踏んでいます。この島において、我々の許可のない朱玉を使用して、タガネさんのような辛い境遇を生み出すことは……犯罪と同等です」

 犯罪という刺激的な言葉に反応して、思わず顔に汗が噴き出てくる。

 なんだ、この事態は?
 叔父さんの行為が犯罪だって?


 いや。
 ……いや。
 初めからそんなことは分かっていたはずだろう。
 これはロクな話ではないとはないと。 
 そんなことは初めから分かっていた。

 あの日、興味本位で叔父さんを追いかけて。
 初めてタガネから出会ったときから、ずっと。

「もちろん。我々も手荒な真似はしたいわけではありません。恐らくその喰人鬼が生まれたのはきっと何かの過ちなのでしょう。タガネさんのような、10年以上も長期的に活動している方はかなり特殊な事例ですが……時間という概念のない喰人鬼には時効もないのです。ですから、君には佐島渡志のことを今一度、探ってほしいのです」
 
 もはや鬼気迫る勢いの藤木さんの申し出に完全に気圧されてしまっていた。
 あの叔父さんのことだから、何かを隠しているだろうとは思っていたことは事実だ。

だけど……。

 喉が震える。顎の下が力み過ぎてつりそうだ。
 震えでブレる視界を他所に送ろうとして。

 数秒の間。
 僕は考える。



 いや、本当は考えるフリだったのかもしれない。



「……分かりました。できるだけ、やってみます」

 タガネを助ける、さっきの言葉がやけに僕の耳に残っていたのがきっかけだった。
 この数日間、どこに行っても誰に聞いても、タガネへの風当たりは冷たいものばかりであった。
 それが初めて彼女の存在を認めて、守ろうと言う人に出会った。
 初めてタガネを社会の一人として迎えようとしている人に会った。
 もしかしたら、体よく利用されているのかもしれない。
 そういう考えも脳の片隅にはあった。
 だけどここで断ったら、僕がタガネにしてやれることが、タガネとの繋がりが本当に何もなくなってしまう。
 
 「ありがとうございます。一緒に彼女を守ろう、継君」
 差し出される藤木さんの右手を握り返し、僕らは本日二回目の握手を交わす。この話のなかで藤木さんが初めて敬語を使わなかったことに、遅れて気がついた。

 迷うな。

 やるしかない、やるしかないんだ。
 半ば言い聞かせるように、僕はそう心の中で唱えていた。



 
16/07/02 14:05更新 / とげまる
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■作者メッセージ
いつぶりの更新でしょうか……。
いつの間に、こんな重たい話になってしまったのか。
朱玉は実際の石をモデルに、個人的妄想を捩じ込んでます。

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