連載小説
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赤い眼(上)

 さてと、じゃあ…どこから話そうかな?

 なにせ、25年越しだからねぇ。
多分、思い出しながらの話になるわ。
 
 まずはそう、当時は剛ちゃんと呼んでいたけど、継のお父さんと出会うまでかしらね。そこまでの経緯を話すわ。



 ―――私が、自分がダンピールだと知ったのが小学6年生の時だったと思うわ。


その日も、今日のような暑い夏だった。


 暑さのせいか、朝から身体がだるくて、頭痛が酷かったわ。 
 
 その日の朝の時点では、まだ風邪かと思っていた。
だからつい、放っておけば良くなるでしょって一人で勝手に判断して、私はそのまま授業を受けていた。

 でも、授業が進むにつれて段々悪化していって、午後の体育の授業の時に、とうとうそれは起きてしまった。


 その日の体育の授業内容はソフトボールだった。

 始まってすぐの準備運動で、バクバクと鳴る心臓の鼓動に合わせて、頭痛と耳鳴りが吐きそうなくらいに反響しはじめていた。
 
 眩しい日差しを受けていると目の奥がチクチク痛くて、喉に熱が籠って酷く渇いていた。


 当時の小学生のソフトボールは男女混合でね。
運動神経の良かった私は、女子で唯一、レフトとして試合に参加していたの。
 
 試合が始まってしばらくした時だったかしら。
 間抜けなことに、私はその頃になってようやく、普通の風邪じゃないことを自覚したわ。
 
 あっという間に我慢の限界がやってきた。
 膝がガクガク揺れて、冷汗が滝みたいに吹き出してその場に立っていられなくなったわ。

 私の視界が、みるみるうちに霞んでいった。
思考がバラバラにほどけて、まとまらなくなっていったわ。
  

 一番鮮明に思えているのは…「渇き」ね。
 喉の渇きが酷くて酷くて、たまらなかった。
早く何とかして、口の中を水でいっぱいにしたい、と。

そう思っていた時だった。



 パンッと。


 破裂するような音が校庭に響いた。
それはボールが、ファーストのミットに突き刺さった音だった。

 私が思わず一塁を見ると、クラスの男の子がファーストの子と一緒に倒れていた。

 どうやら、塁に出た男の子が接触事故を起こしたみたいでね。

 その男の子のことはもう、顔も名前もはっきりとは、覚えてないけれど。
思い切り塁に滑り込んだらしく、派手に擦りむいたその男の子の膝からは、赤い血が何本も、足首に向かって伸びていたわ。




 
 ――ドクン、と。
 とたんに私の心臓が、脈打ち始めた。
その赤みがかった傷口を見つめていると、全く目が離せなくなっていたわ。

 さっきの渇きとか吐き気とか頭痛とか、そういった色んな症状が一瞬にして悪化したわ。
 それらが身体の内側で全部ぐちゃぐちゃと、ごった煮のスープみたいに混ぜ合わせてグルグル回っていた。
 漫画みたいに自分の喉が本当にごくりって音を立てて、お昼を食べたばかりなのに、お腹の音がキュウと鳴いていたわ。
 口を開けるたびに、粘ついた涎が湧き水みたいに溢れ出てきて、喋ることもままならなかったわ。



 いつの間にか私の目には、傷口しか映らなくなっていた。
 
 …視界の真ん中…丁度、その男の子の傷口の映る辺りから、じわじわと血の色が広がっていって…ドンドン目の前が真っ赤に染まっていった。

 目の前が何もかも真っ赤になってしまった。
普通の人ならここで、パニックになってもおかしくはなかったはずなんだでしょうけどね。

 でも、その時の私は何故か少しもおかしいと思わなかったわ。
全身から流れてくる身体の異常信号と、訳の分からない視界の色の変化をを分かっていながらね。
 
 頭の中のスープから浮かんできたのは……


『この子の血が吸いたい』っていう、嫌に突き抜けた欲求だけだったわ。
 

 みんなが見ている前で、私はその男の子に吸い寄せられていって。
まるで食人鬼みたいにフラフラ歩いていって、男の子の横に座り込み、その膝を掴んで…。



 口を近づけた。

 そう。


 その時に初めて、私は人の血を飲んでしまった。

―――この瞬間が、「佐島扶美というダンピール」の生まれた時だった。


 …数秒のどよめきの後、試合を観戦していたクラスの女子が悲鳴を上げているのが聞こえたわ。 

 でも、私は弁解するために口を開くことができなかった。
 その男の子の血が美味しくてたまらなくて、傷口から口を離せなかったから。
 その時の自分の行動の異常さはちゃんと分かっていたのに、何故か私は血を飲むことをやめられなかった。



 …1〜2分ほどかしら。

 夢中になって舐め続けてしばらくして、すぅっと頭の中がクリアになっていった。

 さっきまでの身体中の異常も、嘘みたいに頭の奥に引っ込んでいった。
 頭痛も目の痛みもだるさも、まるで初めからなかったみたいにね。
正気を取り戻した私はすぐ状況を理解して、慌てて口を傷口から離した。


でも、すでにもう手遅れだった。

 周りのクラスメイトの視線は、私のその行為への困惑と畏怖と嫌悪で溢れていた。





私は校庭を飛び出した。

 とにかく皆のいるその場から逃げ出したくなって、外の水飲み場に駆け込んだ。

 目的地につくとすぐさま水道を捻って、水をとにかく飲んだ。


 空気や血なんて入る余地がないくらい。
 
 お腹がパンパンに張っちゃうまで。


飲んで。


飲んで。


飲み続けたわ。
 

 そのうち喉が蛇口の水を飲みきれなくなってくると、今度は喉の奥から胃の中から熱いものが逆流してきた。
 耐えきれずに半泣きで、ちょっぴり赤みがかった大量のお水と昼食のお弁当を水飲み場にぶちまけて、それでようやく落ち着いた。


 そして、目の前の鏡を見た。




自分の目を疑った。


自分の目であるかを、疑ったわ。


 青いはずの自分の瞳が、血の色みたいに真っ赤だった。


 視界が真っ赤に染まったのは、錯覚じゃなかったの。 
頭がはっきりしてからも、視界の色だけが変わらず、赤いままだったみたいだったの。
 
とたんに首筋の体温が、ひゅうと引いていくのが分かった。



―――どうしよう?病院に行かなきゃ…――

―――何であんなことしちゃったんだ、私どうかしている…。―――

―――自分は一体、どうなっちゃったんだ。―――


 雪崩のごとく、不安がぶわっと頭の中を駆け巡ってきたわ。

 怖くてたまらなかった。
自分に何が起きたのかも分からなかった。

 でも、一つだけわかっていたことは。

 私は「至って普通の人間」じゃなくなった。
「何かに変化してしまった」のだということだった。

 それまで自分のことを、学校に通う普通の人間だと思っていたし、それから先も変わらずにそうなんだって疑わなかった。
 

 でも、その日から、私は「普通」じゃなくなったの。

 その変化を認識してしまった瞬間の、私は酷く頭を揺さぶられるような、背中全体がぞわぞわと悪寒が駆け巡るような感覚。
 
 今でもよく覚えてるわ。


『がっこうのみんなとずっと楽しく、遊んでいられる』って。
 そういう年相応の小学生の無邪気な考えが、頭の中で音を立てて崩れていった気がした。
 

 愕然と、そのまま水飲み場で座り込んで震えていたら、しばらくして担任の先生が迎えに来てくれたわ。

 きっと、さっきのことをクラスの子に聞いたんでしょうね。

 そのまま私は担任に保健室に連れていかれたわ。

 

 担任が保健室から私を残して帰った後。
保健室のベッドで休む傍らで、保健の先生が、私にやんわりと声をかけてきたわ。
 
『これは普通のことなんだよ。他のどんな女の子にでもあることなんだよ』

 どうやら担任は、私のことは保健の先生やクラスの子に「私は初めての生理で、混乱していた」という名目で通していたみたいだった。

 保健の先生は担任の言葉を真に受けていたみたいでね。
恭しく生理について語る声を聞き流しながら、私は絶望していた。

 生理の特徴とか、ナプキンの使い方の説明をすごく丁寧にしてくれていたけど、全く耳に入ってこなかった。

…保健の先生がダメだったって言いたいわけじゃないの。


 むしろ逆。

 今だからわかることだったけど…。
その時、実は私は本当に生理だったの。

 確かに、生理特有の頭痛とだるさや熱っぽさがあった。
ただ、普通の人間の女の子みたいにお腹も全然痛くなかったし、血も全く出ていなかった。
 
 そのあたりはダンピールや魔物の特徴みたいでね。
人間とは少し生理の仕組みが違うみたいなの。


 今もさして変わらないけど…当時は魔物についての理解どころか、魔物の存在そのものが社会に認知されていない場所が多かったのよ。

 だから当然、当時の先生から魔物の生理の特徴を聞けるわけがなかったし、吸血衝動や赤い眼のことについて説明できるわけがなかった。

 もちろん私から、直接『血を吸いたくなることはありますか?』なんて聞くことはできなかったわ。
自分で自分がおかしいって言っているみたいでね。



 だから、その日はそのまま何も言わずに、クラスの子にも、担任にも顔を合わせずに早退したわ。
 
 私は、迎えに来た私のママと一緒に自宅についた。


 戻ってすぐに、ママに居間に座らせられた。
電話で担任の先生から、事の顛末を聞いたみたいでね。

 この期に及んで何か小言があるのかって。
私は不服な気持ちを飲み込んで、ママの話を聞いた。




…その時初めて、私は糸井家の事情、魔物という存在を知ったわ。


 「糸井の家がダンピールという魔物の一族だ」ということ。

 「ママや私の身体には、『魔力』という普通の人にはない特異なものが大量に流れている」ということ。

 「さっきの私の吸血や赤い眼も、そのせいだ」ということ。

ママは私に、事情を全部説明してくれた。

 最初は突拍子もない話に驚いたわ。
でも、不思議と疑うことは無く、ストンと本棚に本を戻すみたいに理解できてしまったわ。
 実際に、自分の身体に起きたことだからなのかもね。
 
ママもとても真剣に話していたし、子供だったから逆に真面目に信じられたんでしょうね。



 私のママ…迎えに来た時にね。
死にそうな顔で待っていた私の様子を見て、すぐにダンピールの生理だと思ったらしいわ。
 

 ママは『ダンピールの性質は生理のたびに症状が出る』と、そういっていたわ。

『貴方はもう人間ではないから、ダンピールの生理への対策をしましょう』

『吸血衝動は生理と理由も解決方法も一緒。つまり、あなたの身体が余分な魔力を外に出そうとするの。』

そうも言っていた。

 …蚊っているじゃない?

 あれって血を吸う時に、痛みを気づかせなくするために自分の唾液を流し込むの。
 それと同じようにダンピールも、吸血の際に自分の魔力を唾液に混ぜて流し込んでいるそうなのよ。
 だから男の子の血を吸った後で、私は正気に戻ったってことね。

 ママのダンピールの話をまとめるとね、私に『血を吸える番いの相手』さえいれば大丈夫だって話だったわ。



 私は困惑したわ。
 今まで友達として接していた男性を『番い』という、男女のそういうものとして捉えなきゃいけないのかと思ってしまったわ。

理屈は納得できても、そこだけは心で納得できなかった。

 というか番いなんて話をされたら、それこそ理屈や打算で相手を選ぶみたいで、すごく嫌だった。
 魔物は普通そういうことでは悩まないらしいけど、ダンピールの半分は人間なの。
 私の価値観は、その時はまだ人間に近いものだったの。

だから、私は人の血を吸うということを受け入れることができなかった。
 
 それに…魔物の体質だからって言って、顔も名前も覚えていない男の子から血を吸ってしまったことが、恐怖を与えてしまったことがチャラになるわけでもなかった。

 番いでもない、ただのクラスメイトの彼にも申し訳ないと思った。

 吸血行為もどこか浅ましいものに感じられて、あんなことしたくないって思ったわ。
  
仕方もないことだったけど、無理なものは無理だった。

―――――


 それから、生活は一変したわ。
 その日以来、ママの予想通りに吸血衝動と赤い瞳は、繰り返される生理のたびに現れるようになっていった。

 
私はその体育の日以来、まともに学校に行けなくなった。

 本当に、色々なことが変わってしまったわ。
 
 その頃から少しずつ、吸血衝動に加えて、肌の弱さや怪力といった変化も次第に現れるようになってきたわ。
 
 夏場だったせいか、登下校するだけで真っ赤になったり、鉛筆が嫌に柔らかく感じてしまって、上手く力を抜いて書かないと砕けてしまったのが大変だったわ。

 昼間の時間に、集中力が続かなくなった。
 時折、風邪の時みたいに目の前が靄にかかったみたいにすごくボーっとしちゃうことがあった。

 皆の会話についていけないことが多くなった。
 半分とはいえ、吸血鬼は昼間は眠っているから、きっとその血の影響だったのかもしれなかったわね。

 いつ瞳が赤くなっても見えないように、いつも俯くようになった。
昔はパッツンだった前髪も、やたらと長くうっとおしいくらいに伸ばしていたわ。

 瞳を人に見られたくないから、真っ直ぐに相手の顔を見るのができなくなった。人に何を聞かれても、一言も全くまともに返せなかったくらい重症化していたわ。

 人の首筋がやたら気になるようになった。
いつの間にか、相手の素肌を見れなくなっていたわ。
綺麗な青い血管の筋を5秒以上見ると、男女構わずに噛みつきたくなってしまって抑えるのが大変だった。

 特に男の子相手だと、近づいて来るだけで涎が出てくるようになった。
 毎日ハンカチやタオルを何枚も持ってきてよだれを抑えたり。
ハンカチ越しに自分の腕を噛んでいたり。
ほんの少し喋るだけで涎が出るから、それが嫌でなるべく会話しないようになった。


 あれだけ好きだったはずのクラスメイトが、怖くなった。
普通の人間の友達が、見ていられなかった。


 …コミュニケーションというものの一切を、当時の私はとることができなくなった。 

 あまりの環境の変化についていけなくて、何かを考えるのも億劫になっていった。
 次第に私は、学校で考えるのをやめたわ。
ただ学校に通うだけのロボット、そんな感じだったかもしれないわね。


 そして、段々そういうことを繰り返していくとね。
当然のごとく、私は『普通じゃない子』として見られ始めたわ。

 少しずつだけど、私を無視したり馬鹿にする子が現れた。
 露骨なものではなかったけど、得体の知れないものを扱うみたいに、私とまともな接触を避けているのはすぐに分かった。
 
 涎用のタオルを大量に持っていたから、陰では『タオル星人』とか『タオル運びロボ』なんて呼ばれていたわね。

あながち間違いでもないか…ってね。言わなかったけど。


 ―――ある時、廊下で私の陰口を聞いたの。
 その時に、私のブロンドの髪と肌の白さを、仲がよかったはずの女子たちに疎まれていたことに初めて気がついたわ。

…髪と肌は女の命、ってやつかしらね。
 
 血を吸えないことに悶えながら、今度は段々と居心地の悪くなっていくクラスの輪の中にいることにも耐えなくてはいけなくなった。


 辛かった。


 吸血衝動とは全く違う辛さ。
みぞ落ちにゆっくりとグーをねじ込まれていくみたいな、地面の中に沈められていくような苦痛だった。


 ダンピールの体質のことは、誰にも言えなかった。

 ばれたらイジメのネタになるかもしれなかったし、きっと言っても納得してくれないと思ったわ。

 担任もそのことにはあまり関わりたくなかったみたいでね。
体育の日から会話を交わした覚えがほとんどないわ。
 魔物と関わることなんて、当時から珍しかったことだし、なるべく異物とは離れていたかったのかもしれないわね。

 でも一番魔物と関わりたくなかったのは、他でもない私だった。

私自身が一番納得していなかった。

『私は皆と同じ人間だ。魔物なんて訳の分からない生き物じゃない。』

と、そう思っていたかった。
ただただ、私は机にうずくまって、学校が終わるのを待ち続けたわ。


 そして、無事に学校を乗りきった後。

 血が吸いたくなる前にわき目もふらずに帰宅して、自室でずっと一人で過ごしていた。

 ええ、一人っ子だからね。
私の両親も仕事や家事で忙しくて、まともに会話する時間がなかったのよ。


 誰もいない薄暗い部屋で、静かにじっと。
まるで吸血鬼が眠るように、ベッドに横たわっていた。

 寂しかったといえばそうけど、その時だけは確かに心が安らいでいたわ。
 その部屋の中にいる間だけは、ダンピールについて悩む必要がなかったから。
 でも、その状況を変えようとも思えなかった。
 
人間にも魔物にもなり切れない自分に嫌気がさしていた。
もう、大分投げやりな状態だったわ。

 ベッドの中で『これでいいんだ』って。
無理やりに自分を納得させてずっと、独りでまどろんでいたわ。





 そんな日々でも、少なからず楽しみはあったわ。

 ほんの時々だけど、私のパパが早く帰ってくる日があった。
そんな時に決まって話してくれたのが、ダンピールや吸血鬼の話だった。


 『糸井家、つまりダンピールの先祖様はな、ヴァンパイアハンターだったんだ!』
 
 ふふっ。バカみたいでしょー?
パパなりに、私を楽しませようとしてくれていたのよね。
 
 聞いているうちに私はすっかり、自分が本当のヴァンパイアハンターの子孫だと思ってしまったわ。
 実際のところダンピールとかヴァンパイアハンターとか、それが事実かどうかなんてことは、私にとっては些細な問題だったのかもしれない。

 恐ろしさと勇気とファンタジーに溢れたそのお話の数々。
それは私の空想を掻き立てるのには十分すぎるほど、夢に溢れていたわ。

 でも本当は、普段はあまり喋らないパパが、一生懸命話しかけてくれるのが嬉しかったのかもね。

 私はそれからというものの、パパから吸血鬼の話を聞くことが一番の楽しみになっていったわ。

 もちろんパパも仕事があるから、いつもお話をしてくれるわけじゃなくてね。
 そのうち足りない分は、自分でヴァンパイア関連の漫画や小説を読むようになったわ。

 …今にして思えばかなり痛い子だったわー、私。

 部屋には十字架やニンニク、クモや蝙蝠の人形なんてものも置いてみてね。
 
黒いマントまで纏って、ヴァンパイアの真似事をしてみたり。
逆に、杭とハンマーとレザー製品を装備して、人間のハンターごっこをしてみたり。

 ダンピールなんて半端な立ち位置をいいことに、ころころ気持ちを入れ替えてはコスプレをしていたわ。

 ヴァンパイアになりたかったのか、ハンターになりたかったのか。

どっちなのか自分でもさっぱり分からなかったけど、どっちも選べないくらいに魅力的で大好きだったのは確かね。


 …もちろん、そんなことをしていたからってね。

 現実の『半端者の血の吸えないダンピール』である私は、何一つ変わらなかった。
 むしろ、また一つ、気軽に人に言えないような趣味を持ってしまったことへの背徳感すらあった。


 ―――そのまま中学に入っても、相変わらず対人恐怖は続いていた。

吸血衝動や赤い眼、身体の変化もまだ続いていたわ。

 第二次成長期が終わるまで、症状は安定化しないらしかった。 
もしくは血を吸える番いの相手がいれば…抑えられたらしいけど。

何にせよその時の私には、とても無理な話だった。


 ある日、何かの商店街のイベントで出し物があってね。
私は、ママと一緒にそれについていくことになった。


それが、鬼太鼓だった。

 島の中でも特に大きいデパートの入り口で、鬼太鼓の演舞が行われる予定だったの。

 糸井家は昔から、島の伝統行事である鬼太鼓の保存会を運営していてね。
今の私達みたいに家族ぐるみで、鬼太鼓のイベントに参加していたの。

 本来は、私のパパがそのイベントに参加することになっていた。
でも、仕事の急用で出られなくなって、代わりにママが助っ人として参加することになったのよ。
 
 でも、私は吸血衝動のせいで長時間人ごみにいられなかったから、イベントが始まる前の買い出しとかの雑用担当だったわ。保存会の人の飲み物とか紙コップとかね。
 といっても、ママ一人じゃ無理なところを軽くフォローするくらいでね。
実際には私の仕事はほとんど無くて、あっという間に頼まれていた雑用は終わってしまったわ。

 当日の商店街はとても混むから、その前に私はイベントの現場から退散しなければいけなかった。 
 演舞を身に来るお客さんのために、親戚とかが鬼太鼓の演舞の準備をしているあろう時に、私だけは鬼太鼓を見ることも参加することもできなかったわ。


…またしても仲間はずれね、ふふ。
もう慣れっこだったけどね。



 元々鬼太鼓は、『厄を払い、その家系の安全や豊穣を守る』という目的のために行われた儀式でね。
 でも当時の私には、それがなんだかすごい悪者のように見えていた。


―――私の厄も払えないくせに、そんな鬼に何の意味があるのか。
ってね。

 その時はまさか、本当にそれができるようになるとは…とても信じられなかったけど。



 鬼太鼓を見ようと、商店街の入り口に集まる人だかりを遠目で見ながら。

私は、人気のない道を選びながら自転車を転がしていたわ。


 昼間だったけど、今みたいに長袖と日傘と帽子と日焼け止めを駆使すれば大丈夫だと、その時にはもう知っていたの。
 
 誰もいないところへって、そう思いながら当てもなく道を進んでいた。

 いつの間にか、私は左右を田んぼに囲まれた整備されたばかりのコンクリートの道路に出ていたわ。


 正面と左右、それぞれの奥には山しかなくて、民家もまばらで、ほとんど立っていなかったといってもいいわ。

 人のいる気配がまるで感じられないその景色が妙に丁度良くて、その時は久々に気分がよかったわ。

 ママとの約束の時間、鬼太鼓のイベントが終わるまでは結構あった。


 偶然見つけた道を当てもなく漕ごうと思って進むと、どこからか人の匂いがしてきたわ。

 口の中に涎が出ているから、すぐ近くにいると私はすぐに分かった。

人の匂いは、数m前にあったコンクリートで出来た橋の下からだった。


 橋の上からそこを覗き込んでみると、誰かが喋っているのが見たわ。

そこには本を囲って、楽しそうに笑う二人の男の子がいたの。



 …そう、それが剛ちゃんと、渡志ちゃん。
 
 私がすぐ後ろまで近づいても気づかないくらい、二人はその本に夢中だったわ。

 私は緊張していたけど、二人の話すことに何となく興味がわいて…まぁハブられて暇だったってこともあるんだけどね。

 勇気を出して、話しかけてみたの。


「何を読んでるの」って。

 当時、お父さんは中学二年生。渡志ちゃんは小学五年生だったわ。
お父さんは一瞬怪訝な顔をしていたけれど、渡志ちゃんは朗らかに笑うと読んでいた本を広げて見せてくれた。


 お父さんが見ていたのは、海外の都会の写真と書籍。

 私たちが今住んでいる都会の家の近くみたいな、コンクリートビルの写真がたくさん載ってるの。
 当時は今みたいに気軽に都会にいけなかったから、当時の田舎暮らしの私たちには新鮮で、まるで異世界みたいな景色だったわ。

 
 一方の渡志ちゃんはね、古ーい魔物の図鑑。
 
 都市伝説上の存在とか大昔の魔物や妖怪が載っていたの。
  今では都会の姿が一般的な社会だけど、文化の進歩とともに、いつか魔物の存在が認められて、もっと密接に関われる時代になるんじゃないかっていわれていたわ。


 聞いてみたら、二人の親御さんも鬼太鼓の保存会の関係者らしかった。

 普段は山の奥の方にある離れた家――そう、今のお婆さんの家ね。

 そこに住んでいて、商店街で鬼太鼓のイベントがあるときだけ、家族で山を下りてくるそうだった。

 でもただ演舞を見るのはとても退屈だったみたいで、二人はもっぱら普段行けない本屋に入り浸ったり、そこで本を買って読んでいたそうよ。

 二人はとても仲良しで、いつも一緒だった。
お互いの本の内容や結果は違っても…二人の目は同じように輝いていた。

 だって、すっごい楽しそうに話すんだもの。
 男のロマンってやつ?

 馬鹿馬鹿しい話のはずなのに、そういうのを目一杯詰め込んだ二人の瞳が本当に楽しそうでね…。

 「将来、俺は都会で一番高いビルの社長になってやる!魔物向けの生活用品を作る佐島グループを作るのが俺の夢だ!」とか豪語する兄。

「将来、魔物と深く異文化交流できるグローバルコミュニケーションの時代が来るよ!」とかインテリぶる弟。

 その言葉の本当の意味もまるで分かってないような、覚えたての言葉を使って二人の可愛い男の子。
 

 同じように、人に言えない夢を抱いていた私はすぐに二人と仲良くなったわ。
私にも、ヴァンパイアハンターなんて夢、というか憧れがあったからね。

 ドン引きされるんじゃないかなと思いながらヴァンパイアハンターについて話した時、二人は自分たちの夢と同じようにうんうんと頷きながら聞いてくれたわ。 
 馬鹿馬鹿しさを受け入れてくれるってこんなに嬉しいことだったんだって、生まれて初めて知ったわ。

 その日から、私たち三人は時折集まっては一緒に遊ぶようになった。
3人で本を読んだり、川で遊んだり、ヴァンパイアハンターごっこもしたわ。


 毎日が楽しかった。
不思議と赤い眼も、吸血衝動も起きなかった。

でもそんなことすら、当時はどうでもよかった。

 ただただ…3人で過ごす時間がハチミツみたいに濃厚で、とてつもなく幸せだった。
  

 でも、同時に後ろめたさもあった。

 自分が、その「魔物」だなんてことは、どうしても言いだせなかった。
魔物に理解のある二人なら、きっと受け入れてくれると何度も思ったけれどね。

逆に怖くなっちゃって。
なんだか、二人の夢やロマンを壊してしまうような気がしたの。
 

 夢の大切さは、私が一番理解してたもの。
 夢や憧れっていうのは辛い時、自分の心の大切な部分を支えてくれるものだから。
 それは私が自身がよく知っていたことだった。

 二人が今まで語らってきた夢とか未知がこんな私だったなんて知ったら、二人はきっと悲しむと思った。

 夢っていうのは、形になってないからこそ魅力があるものだと思うの。
その夢がもし目に見えてしまったら、きっと失望してしまうわ。

 そして夢が壊れてしまったら、きっと人は変わってしまう。

 次の夢の代わりになるものを探すために、価値観も何もかもが変化するんだろうって。 

 その変化が怖かった。
ずっと三人で幸せに遊んでいられると思っていた。
 
 何も考えず、変わらず、目の前の楽しさだけを噛みしめていたかった。


…でも、そんな都合のいいことを神様は許してはくれなかった。
 


15/11/08 01:16更新 / とげまる
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■作者メッセージ
 久々なのに、のっけから生々しくてすいません。
扶美お母さんの過去編、あまりに長すぎて後編に続きます。
 
そして夏までに終わらすときっぱりといったのに、すまん、ありゃ嘘だった。

ダンピールさんやほかの魔物の記述によくある「元々あった人間の価値観が失われる」って、よく考えたらすごくこわいことだなぁって。

※魔物に生理の苦痛はないそうですが、扶美の場合は生理と共に、脱水症と吸血衝動による貧血状態を同時に併発したのでこういう状態になっています。
という今さらな言い訳。

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