暗闇
―――その日の夜遅く、俺は部屋で島を出るための準備をしていた。
その日は本州の方にある都会のパソコンの大企業の面接を受ける前日だった。
確かいくつかの会社を何個か同じ期間に受けるのでしばらくは都内に滞在するつもりだったかな。俺は鞄に当面の着替えや資金をぶちこんでいた。
面接に対する緊張はそんなになかった気がした。むしろ奇妙なくらいスムーズに行っていた。
だが、だからといって全く嬉しくはなかった。あいつへの疑念を抱いたたまま一人で夢を追う寂しさは、就職活動をしている最中も拭いきることはできなかったんだ。
俺は支度の済んだ鞄を隅にやって立ち上がると、部屋を後にした。
島を出る前に、渡志と…あいつともう一度話そうと思っていたからだ。
あいつがうちの畑を継ぐと言い出してからこっち、親父からの圧力はほとんどなくなっていた。丁度今みたいな寡黙になったのもその時期だった気がするな。
無論、喧嘩ばかりだった親子関係がすぐ今みたいに修正されたわけじゃなかった。同じ家にいるのに飯の時以外は顔を合わせることはせず、ほとんど言葉も交わさなかった状態だった。半分勘当されたようなもんだったなアレは。
まぁその時は親父とは喋りたくなかったし、そのほうが楽といえば楽だったんだがな。初めのうちは親父がなにかあいつの弱みを握ったんじゃないかとも思って食って掛かったこともあったがな。
だが、その度にあいつに見事に仲裁されちまってな。
あいつがいうには「そんなことは絶対にないし、元々父さんに握られて困るような弱みもない」だそうだ。
だが、そんな言い分も俺の心配を助長させるばかりでしかなかった。
親父、つまり家族に関係なくて俺にも言えないこと。隠し事。
俺の頭には警察に厄介になるようなろくでもない単語ばかりが浮かんできた。何度振り払おうとしても、煙を仰ぐように俺の頭にあいつへの疑念は面接の前に日になってもしつこく残り続けていたんだ。
面接の期間はこの島にはいないし、元々は帰って来ないつもりで計画していた都会への移住だった。戻ってきた時に手遅れになってしまう可能性のある今のうちに本当のことを知りたい。
そしてそれがもし警察沙汰になるのなら、できれば早いうちにやめさせたい。そう思いたった俺はその夜、あいつを探しにいったんだ。
…くさい青春だろう?俺もそう思う。
だが、その日はなぜかあいつの姿が家のどこにも見当たらなかった。
もしかしてこの納屋にいるのかと思って見に行ったがやはり結果は同じだった。たしか夜の八時くらいだったか、すでに辺りは何も見えないほど真っ暗だったというのにだ。
お前も知っていると思うが、田舎の夜と都会の夜の暗さは段違いだ。懐中電灯があったって一歩踏み出すのにさえ勇気がいる。ましてや俺のガキの頃なんてこの辺りに街灯があること自体が稀だった。
そんな時間に家を出るなんてことは非常時でもない限りありえなかった。
あいつは夜遊びするようなヤツじゃないし、そもそもこんなド田舎ででわざわざ夜遊びする場所なんかない。
すでに嫌な予感はしていた。俺は家の周りにいないか調べようと懐中電灯を取りに行こうとした。
そんなとき、ふと家の前の坂道に目をやると、なにかが暗闇でもぞもぞと動いた気がした。加えて、石の道に何かがじゃりじゃりとこすれる音がした。
渡志だった。坂の真ん中あたりにいたが、そこから一歩先にはすでに家の光が届いていない真っ暗闇だった。
――渡志、ちょっと話が…おいっ待てよ!――
何度か呼びかけてみたが、あいつはこちらを振り向きもせずにそのまま坂の上へと行っちまった。
俺は急いで家から懐中電灯を持ちだすと、あいつを追いかけた。
しかし、暗闇が危険なのは俺にとっても同じだった。
家から離れれば離れるほど、俺の足は震えて重たくなっていった。
目の見えない人は普段こんな気持ちなのかと思ったね。
右手から伸びる懐中電灯の光は、強すぎて逆に暗闇を強調して俺の歩みを妨げた。俺はあいつを見失わないようにするのに必死だった。
だが、あいつはそんな足元も見えない暗闇の中をふらふらと、だが全く速度を緩めずに進んでいった。いくらなんでも、満月でもない僅かな月明かりだけでそんな風に歩くなんてどう考えても普通じゃなかった。まるで何かに操られているかのように、渡志は淡々と歩みを進めていく。
俺は何とか走ろうとしたが、暗闇の怖さにすくんで一向にあいつに追いつけなかった。
…いや、違う。追いつけなかったわけじゃないんだ。
「このままあいつについていけば、俺に秘密にしている理由がわかるのかもしれない。」なんて考えが俺にあったんだと思う。
結局、俺はあいつが自ら足を止めるまで後をつけていった。
ライトの光を当てられているのにあいつは全くこちらに反応しなかった。俺に構っていられないくらい大事なものがの先にあるかのようにな。
…あいつが向かった場所?決まっているだろう。あの墓場だよ。
その時の俺は、追いかけるのに夢中であいつが止まった後にライトで周りを照らしてみるまでどこにいるか気づかなかった。
懐中電灯で辺りを見回すと、光の先にボンヤリと形の整っていない墓が浮かび上がっていた。木と地面の境界が暗闇で曖昧になり、視線の先にライトの光を当てていないと急に不安が溢れてきそうだった。
ひどく視界の悪いなかで、草木の揺れる音がとても恐ろしく感じられた。その木々の向こうや墓石の裏側に何かがいるような感じがしてな。ものを言わせぬ津波のような圧力が俺を元の道へと押し戻そうとしてきた。
心霊現象なんて信じちゃいなかったが、長居したくなかった。
怖い。一刻も早くここから去りたい。頭の中はそんなだった。
だが、ここで帰ったらあいつを追いかけてきた意味がない。
俺は泣きそうな心をなんとか踏みとどまらせて、不安を感じつつも万が一に他の誰かがいてもばれない様にライトの電源を切って、草陰であいつの様子をうかがった。
あいつはたちどまると、そのままぼうっと草むらの上に突っ立ていた。別に何かをするわけでもなく、ただ暗闇の中でずっとだ。
風の音が別の生き物の鳴き声みたいに聞こえて、見えない足元には何か得体のしれない虫が近寄ってきている妄想に襲われた。
一秒が五分くらいに感じられた。このまま生きて帰れなくなるのではという恐怖すら出てきた。
自分でやったとはいえ、頼みの綱のライトの光を絶ったせいで余裕がなくなってしまったんだろうな。
精神的に耐えられずに、早々に痺れを切らしてしまうのも仕方がなかった。
俺はライトをつけ直し、あいつの傍に近づいた。
次の瞬間、あいつの姿はライトの丸い光の中から消えうせていた。
俺は一瞬何が起こったかわからず、右手のライトを振り回してあいつを探した。
――渡志?…どこだ返事をしろ、暗くて分からない。――
やはりあいつの返事はなかった。
そのかわり、どこからともなく唸り声のようなものが聞こえる。狼や熊のような重く響く声だった。
俺は肝がぞわぞわと冷えていくのが分かった。この辺りには猛獣が出るという話は聞かないが、それでもその暗闇の中では身構えざるを得なかった。
体中の筋肉が固まっちまった。肩も、足も、腕も、指もどこもかしこも動かなかった。
唸り声はよく聞くと右後ろ、足元の方から聞こえてくるようだった。
その方向にはライトをまだ向けていなかった。
そのまま振り返らずに走って逃げだしたかった。
得体のしれない何かが確実に後ろにいる。命の危機かもしれなかった。
しかし、あいつを…渡志を置いていくわけにはいかない。
もしかしたら、その声の方にいるかもしれない。
俺はそう思って乱れる呼吸を無理やり抑えながら、ゆっくりと、ゆっくりと振り返った。
そのまま手首を傾けて、ライトを下に傾けた。
光を受けた青い草の絨毯の中に渡志のチノパンが映る。靴は履いていなかった。どうやら地面に横たわっているようだった。
案の定、あいつは襲われていた。何かに乱暴に身体を揺すられていた。
光の円の外からピチャピチャと水っぽい音がした。獣にすでに食われているのかと思った。
だが、そこにいたのは獣じゃなかった。血の匂いもしなかった。
…今思うと獣の方がましだったかもしれない。
あの喰人鬼が、あいつを、襲っていた。
唸り声を上げる口からはドロドロと涎が滴り、のしかかる様にして膝と腕であいつの手足をミシミシと押さえつけていた。
一目見て人の形をしているが、狼なんかよりやばい何かだということを直感した。
そして、涎が滴っているのは喰人鬼だけじゃなかった。
その時初めてその夜、俺はあいつの顔を見た。喰人鬼と同じように口の周りは涎でべとべとで、目はライトの光すらも見えていないのか、焦点が合わず黒目が座らない首と共に揺れていた。
ライトに気づくわけもなかった。始めから暗闇なんて見えていなかったんだ。まるで何かの薬物の廃人のような、どうみても、頭がまともに働いているような、まともな状態じゃなかったんだ。
このままじゃまずい。あいつの身が危険だ。
ほとんど反射的だった。俺はあの喰人鬼に飛び掛かった。
空手をやっていたこともあったし、学校のやつとはよく喧嘩をしていたから多少の相手なら負けないと思っていた節があったんだろうな。
俺は左足を踏み込んでヤツの後ろから横っ面に回し蹴りをかましてやった。
…手ごたえは、あった。
奴の顎に確かにめり込んでいたので間違いなくやったと思った。
だが、足の甲から伝わる叩いた感触に俺は違和感を感じた。
人の肌にしては妙に硬かった。石のようなその感触は相手が人外であることを証明するようだった。
あの喰人鬼は全く怯まないどころか、口を歪ませてにぃっと笑いながらこちらを振り向いてきた。
…蚊でも止まったみたいな蹴りだな、とでも言いたそうだった。
ニヤニヤとした不気味な笑いは、俺に本能的に危機を知らせてきた。
俺は足を引っ込めようとしたが、間に合わなかった。喰人鬼は俺の右足首を掴むと、ぎゅうと握りしめてきた。
――いッ…たぁ…いああ!――
ものすごい力だった。激痛が一気に駆け上がってきた。皮膚が痺れて、肉が裂けて悲鳴を上げていた。足の中のミシミシという音が脳まで響くようだった。
まずい、折れる。足が折れたらもう逃げられない。
そんなことが頭をよぎった瞬間だった。
ふっと、自分の身体から重力が消えうせた。喰人鬼を見ていたはずの視線の先には何故か夜の星空があった。
喰人鬼が俺のことを投げ飛ばしたのに気づいたのは、既に地面にぶつかった後だった。人間とは思えない力だった、男を片手で数m先にブン投げるなんて普通じゃない。
それもかなりの勢いで高く投げられたらしかった。俺は固い地面に何度もた叩きつけられた。そのあまりの衝撃と全身の激痛は俺の肺に空気を取り込めなくさせた。
暗闇なのに目の前がチカチカと霞む視界の中で、あの白い髪が渡志の方に近づいていくのが見えた。渡志の身体をもぞもぞといじっているようだった。
一体、ヤツは何者だ?渡志に何をする気だ?
身動きがとれない中で、俺は辛うじて握られたままのライトをヤツの方へと向けた。
先ほどは反射的だったから、その時にようやく俺は喰人鬼をしっかりと目で見たんだと思う。
喰人鬼が女だと気が付いたのもその時だった。
気味が悪いくらいの美女だった。
見た目こそ異常だったが、暗闇に浮かび上がる喰人鬼のその四肢はライトの光を不気味なほどに艶やかに反射していた。
正直、見惚れてなかったといえば嘘になる。
それは紛れもなく俺や渡志が夢見ていた未知の存在そのものだったからだ。
紅い手足に白い髪の毛、泥のように茶色く、薄汚れた肌。
そしてあくまで美女であることを否定するかのような口元がひきつった歪んだ笑い顔。
限りなく人間に近かったが、でもどう見たって化け物や魔物の類だった。
…まぁ、継はあったことあるからな。言わなくても分かるだろうが。
俺はそこで気づいた。コイツは魔物という生き物だと。
渡志は元々魔物にも興味を持っていたからな。
経路は不明だがこの島には魔物がいるということを知って近づいたんだろう。だから俺には島に残ると嘘をついたんだと。
喰人鬼はどうやら渡志の衣服をはいでいるようだった。
当時はどんな種族かはその時はわからなかったが、渡志の持っていた魔物の図鑑に書かれている通りならば、魔物は男の精を主食とすることは知っていた。
随分都合のいい話だと思ってそんなのはデマだろうと思っていたが、もし本当だったらその後の魔物の行動は一つだ。
そう、渡志を犯すことだ。
俺は焦った。いくら魔物の食事のためとはいえ未知の存在との交わりほどリスクの高い話はない。
だが、そんな危機感とは裏腹に俺の身体はピクリとも動かなかった。
握り潰された右足には骨が折れているようで全く力が入らず、強打した全身は触覚と筋肉が完全に麻痺していた。
完全に置物状態の俺を他所に喰人鬼は行為を進めていく。
衣服を剥ぎ取り終わった後、ヤツはしきりに渡志の股間に顔をうずめて舐め続けていた。
暗闇で行われるその行為は怪しげな儀式めいていて、俺の思考回路をさらに混乱させた。
喰人鬼は執拗に渡志の下半身をなめまわした後、ゆっくりと顔を上げて、そのままあいつの腰にまたがり、股間の辺りをいじりながらゆっくりと腰を下ろし…自分の腰をがくがくと振りはじめた。
何をしているかは明らかだった。渡志の唸り声は次第に大きくなっていった。それに輪唱するように喰人鬼の声も大きくなっていった。
あいつは横になったまま、かかとを何度も地面に打ち付けている。
だが足は喰人鬼に掴まれ、腰の部分はがっちりと固定されていて全く動かなかった。
あいつと化け物の唸り声が重なって遠くから来る波のように何処からともなく押し寄せてくるようだった。
あっという間だった。ものの数分であいつの全身が震え始めた。腰を何度も宙に浮かせながら腕や足を硬直させてはしきりに跳ねていた。
俺は何もする間もなく、何も考える間もなく、何もできる間もなくあいつは犯されていた。
全てが一瞬で奪われてなくなってしまったかのような感覚でいっぱいになった。無力感がずんと背中にのしかかり、罪悪感が胸を締め付けた。
もしかしたらあいつがここに残る理由はこうやって魔物に襲われていたからかもしれない。
いつから?農家を継ぐといった時からか?もっと前、俺が嬉々として島を出る計画を話していたときからか?
どうして気づいてやれなかったんだ。もっと俺が魔物について詳しければよかったのだろうか?さっき途中であいつを止めていればまだマシだったろうか?
もうわけが分からなかった。頭の中がごった煮のスープのようにぐちゃぐちゃだった。
なんでこんなことになっているのか。なんであいつが強姦されている?
俺が一人混乱していると、喰人鬼がひときわ大きな嬌声を上げてさらに強く腰を振りはじめた。
あいつの身体には既に力が入っていなかった。口から出た涎は泡状になっていて、頭は全く座らず、喰人鬼に振り回されてガンガンと地面に打ちつけられていた。
そんな死姦めいた扱いを受けるも、あいつの唸り声だけは強くなっていった。
喰人鬼の方もそれに合わせて輪唱するようによがり声を上げていた。
あいつは結合しながら失禁しているようで、臭いが俺の方まで漂ってきていた。大と小が混ざり合った最悪の匂いだった。
だが当の二人…いや一人と一匹は全く気にも留めないようだった。
こすれる勢いが強くなっているせいで途中であいつは何度も果てたようだが、その行為は全く終わりを見せることはなかった。
その一連の状況は俺の、俺たちが夢に見ていたものは決して都合のいいことばかりではないんだと、これが現実なんだと知らしめているかのようだった。
どれだけ経っただろうかは分からない。喰人鬼の嬌声は相変わらずどんどん激しくなっていった。
喰人鬼が全く休むことなく無尽蔵に交わり続ける一方で、あいつは少しずつ反応が鈍くなっていく。あいつの踵を何度も打ちつけられた地面は抉れて穴になっていた。
結合部からは精液と小便と共に血が垂れていた。喰人鬼の腕のように赤く変色したペニスが何度も現れたり消えたりするのをみているとまるで、あいつが喰人鬼に取り込まれていくような錯覚に襲われた。
気づくと、俺は、吐いていた。
身体の痛みは引くことはなく、足の痺れはその場から離れることを許さなかった。ただただ胸の底から響く嫌悪感が吐瀉物に混じって溢れ出てきた。
そのまま俺は気絶をするその瞬間まで、その不快な臭いを吐き出し続けていた。
15/04/05 22:43更新 / とげまる
戻る
次へ